神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

この世は在りながら天国であり、かつ死は恐れるにあたわず

2015年10月24日 17時19分21秒 | 気づき
今更かもしれないがいが、今日は、この世が天国だと気づいた。

今の季がさわやかで、木々は紅葉、黄葉して目を楽しませてくれて、食べ物がおいしいことで、天国のようだと言っても異論は出ないと想う。

じゃ、なぜ酷暑の夏があったのかと言われる人もいると想う。あの酷暑があったから、今の季節の気持ちよさに気づくのだ。

空気が澄んでいるから食べ物がおいしい。食べ物の恵みに気づけるのも、夏の暑さがあったからなのだ。

神社を訪れて、その空気の清浄を感じる人は多いと思う。

高い山に登って、その空気の冷涼を感じる人は多いと思う。

今の季節は、その高い山に登ったような気分を地上にいながら味わえる季節といえるだろう。

家にいながら神社にいるような空気の清浄を味わえる季節といえるかもしれない。

どれもこれも、夏という酷暑の季節があったからこそ味わえる至福である。

  高山にあるかのごとき秋は来ぬ酷暑を経たるこの身体に  biko

  神様のいます社(やしろ)の庭にゐるやうな清さを感じる秋は  biko

長い人生の途上で、苦労があり、病気があるのも、何もないときの、ただこの世に在るだけで幸せを感じられる多幸感を味わわせていただくためなのかもしれない。

これからだんだん秋が深まり、厳しい寒さがやってくるが、冬という季節は、ますますわれわれの魂を研ぎ澄まさせる。

厳しい冬があるからこそ、春は浮き立つような喜びが湧いてくるのだ。

春は、私達が生れたときに味わった喜びを毎年味わわせてくれる。

私たち団塊の世代の人間は、もうすぐ冬に突入する。

寒くて辛い冬の向こうには、死が、死を越えると、春のような彼の世が待っている。

死は、老い、病、愛する人との離別に苦しんだあとの春なのである。

よって、死は恐れるにあたわず。

  老い病ひ離別ののちの死は春の訪れに似てあたたかきかも  biko

そんなことを今日は想った。