癒しの森 湯布院(仙人の健康相談室)  


人を、そして自分を癒し真なる喜びをもたらす
   
        人生の生き方を学ぶ 癒しの森湯布院

シルディ・サイババ(72時間のサマディ)

2011-10-22 | シルディ・サイババ

72時間のサマディ

  これより32年前の1886年、ババは境界線を越える試みを行っていた。マーガシルシャ・プルニマ(満月)の日、ババはひどい喘息の発作に苦しんだ。これを鎮めようと、ババは自分のプラーナを高めようと、サマディに入ることにした。彼はバガット・ムハルサパティに「3日の間、私の身体を守ってくれ!私が戻ってくれば良いが、もし戻らなかったら、私の身体を(場所を指しながら)空き地に埋めて、目印になるようにそこに2つの旗を立ててくれ」と言った。こう言い終わるとババは午後10時頃に倒れ、呼吸も脈拍も止まった。

まるで彼のプラーナは肉体を離れてしまったように見えた。村人を含め大勢の人々がやってきて、すぐに検死を行ってババが示した場所に身体を埋めろと要求した。だがムハルサパティはこれを阻止した。ババの身体を膝の上に乗せて、彼は丸3日身体を守って座っていた。3日が過ぎて午前3時頃になると、ババは生命の兆候を現し、呼吸が戻り、腹部が動いた。ババは目を開き、手足を伸ばすと、再び意識を取り戻したのだった。

 

  こうした事柄を鑑みて読者には、サイババはある年月の間は3腕尺半の肉体であり、その後に出て行ったのか、それとも彼は内なる自己であったのかを考えて戴きたい。5つの元素から成り立っている肉体は腐敗しやすくはかないものだが、内側にある自己は完全なる真実であり、不滅で一時的なものではない。この純粋なる存在、意識、ブラフマン、感覚と心の支配者であり管理者であるのがサイである。これは宇宙の万物に浸透し、それなしにはいかなる空間も存在しない。

彼の使命を果たすために肉体を纏い、使命を果たし終えると肉体(有限の様相)を捨て、無限の様相を纏ったのである。ダッタトレヤ神の以前の化身、ガンガプールのスリ・ナルシムハ・サラスヴァティ同様、サイは永遠に生きるのだ。彼が亡くなったというのは外側の見方に過ぎず、真実は彼は生命のあるものと無いものの全てに浸透し、それらの内なる管理者であり支配者なのである。このことは、彼に完全に全てを委ね、心からの信仰で彼を礼拝する多くの人々が現在もなお体験しうることである。

 

  現在私たちはババの外側の姿を見ることができなくても、シルディに行けば、マスジッドを飾っているババの美しい、生きているかのような肖像画を見ることができる。これは有名な画家でババの帰依者であるシャムラオ・ジャイカールが描いたものである。

 

想像力豊かで信仰心の厚い訪問客にとって、この肖像画は今日でさえもババのダルシャンを受けたと感じるに足る満足を与えてくれる。ババが今肉体を持っていなくても、彼はそこかしこに生きており、彼が顕現していた以前と同じように、今でも帰依者たちに幸福をもたらしている。ババのような聖者は死ぬことはなく、人間のように見えても彼らは本当は神自身なのである。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シルディ・サイババ(レンガが壊れる)

2011-10-22 | シルディ・サイババ

  ババが旅立つ数日前、死を予見するような不吉な兆候があった。マスジッドには、ババが手を休めたり、その上に座ったりする古いレンガがあった。夜になると、ババはそれにもたれたり座布団代わりに使ったりしていた。これは長年続いていた。ある日、ババが留守の間、床を拭いていた少年が手でレンガを持ち上げた際に滑って転び、不幸なことにレンガを落として二つに割ってしまった。ババがこのことを知ったとき、レンガの割れたことを嘆いてこう言った。

 

2つに割れてしまったのはレンガではなく、私の運命だ。これは私の生涯の友だった。私はこれと共に自己に瞑想し、私の人生と同様に愛しいものだった。それが今日私の元を去ってしまった」ある者が質問をした。

「なぜババはレンガのような無生物に対してそのように悲しみを表現するのですか?」これに対し、ヘマドパントは、聖者は貧しく、頼る者のない人々を救うという明確な使命を持ってこの世に降りてくるのであり、彼らが自らを顕現するときには、人々と共に暮らし、外面的には人間のように振る舞う、つまり他の人々のように笑い、遊び、泣くが、内面的には彼らは自らの義務と使命に完全に目覚めているのだ、と答えた。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シルディ・サイババ(第四十三章、第四十四章 事前の準備 )

2011-10-22 | シルディ・サイババ

  ヒンドゥー教徒の間では人が亡くなるときには、彼の心が世俗事から引っ込められ霊的な世界へと固定することで、その先の経過が自然にたやすく進むようにと、何かしらの聖典を朗読するのが一般的な慣習である。パリクシット王がブラーミン・リシの息子に呪いをかけられて、一週間後に死ぬとされていた時、偉大な賢人シュカデヴはその週のうちに彼に有名なバグワット・プーランについて詳しく解説した、というのは誰もが知っていることである。

 

この慣習は今でも行われており、ギータやバグワット、その他の神聖な書物が死に行く人に読み聞かせられている。ババは神の化身であったので、そのような助けは必要なかったが、人々の手本になるようにとこの慣例に従った。ババは自分がすぐに死ぬことを知っており、ヴァゼ氏にラムヴィジェイを読んでくれるよう頼んだ。ヴァゼ氏は一週間に一度書物を読んだ。

 

それからババは彼に夜と昼にも読んでくれるように頼み、彼は3日で2回の朗読を終えた。それから11日が過ぎた。彼は再び3日の間読み聞かせをして、疲弊してしまった。そこでババは彼を帰らせ、一人で静かにしていた。ババは自己の中に留まり、最後の時を待っていた。

 

  2,3日前にババは外に出かけるのを止め、物乞いも止めて、マスジッドで静かに座っていた。彼は最後まで意識があり、帰依者たちに落胆しないように伝えていた。彼は自分が旅立つ正確な時間を誰にも知らせなかった。カカサヘブ・ディクシットとシュリーマン・ブティは毎日マスジッドでババと共に食事をした。その日(1015)アーティの後に、ババは彼らに家に帰って食事をするようにと言った。

だがラクシュミバイ・シンドとバゴジ・シンド、バヤジ、ラクシュマン・バラ・シンピとナナサヘブ・ニモンカールはそこに残り、シャマは階段の下に座っていた。ラクシュミバイ・シンドに9ルピーを渡した後、ババはここでは気分がよくないので、ブティのダガジ()ワダへ行けば良くなるだろうから、連れて行ってくれと言った。この最後の言葉を言いながら、ババはバヤジの体にもたれかかり、息を引き取った。バゴジはババの息が止まっていることに気づき、すぐに近くに座っていたナナサヘブ・ニモンカールに伝えた。

ナナサヘブは少しの水を持ってきてババの口に注いだが、水は出てきてしまった。それを見て彼は大声で泣いた。「おお、デーヴァ!」ババは目を開いて、低い声で「ああ」と言ったように見えた。だがババは永遠に人間の肉体を去ったのだということがすぐに明らかになった。

 

  ババが亡くなったという知らせはシルディ村に野火のように広まり、男も女も子供も全員が走ってマスジッドへやってきて、それぞれにババの死を嘆き始めた。ある者は大声で泣き、ある者はのた打ち回り、またある者は意識をなくして通りに倒れた。全員の目から涙が流れ、皆が悲しみに暮れた。

 

  サイババの言葉を思い出し始めている人々もいた。誰かが、マハラジ(サイババ)は帰依者に向かって、時が来たら彼は8歳の子供になって現れると言ったと、話した。クリシュナの化身として、チャクラパニ(主ヴィシュヌ)がまさにこの通りのことを行った。クリシュナはデヴァキの前に8歳の子供として現われ、顔面は光り輝き、四本の腕で武器を振り回していた。

この時の顕現では、彼(主クリシュナ)は地上の苦しみを明るくやわらげた。この度の顕現(サイババ)では帰依者たちの精神を向上させた。それならば疑う理由がどこにあろう?聖者の御業は計り知れない。この時のサイババと帰依者の交わりは一世代に限られたものではなく、過去72世代に及ぶものである。

そのような愛の結びつきが生まれているからこそ、マハラジ(サイババ)が旅立ってしまっても、帰依者たちは彼がすぐに戻ってくることを堅く信じているのだと思われる。

  そして一つの問題が生じた。どうやってババの遺体を安置したらよいのか?ということだ。あるイスラム教徒は、遺体を空いている場所に埋葬して、その上に墓を造るべきだと言った。クシャルチャンドやアミール・シャッカールさえも同様の意見を述べた。だが村の役人のラーマチャンドラ・パティルは強く決然とした口調でこう言った。「君たちの考えは受け入れられない。ババの遺体はワダ以外のどこにも安置すべきではない」そこで人々の意見は真っ二つに割れ、これについて36時間もの議論が行われた。

 

  水曜の朝に、ババはラクシュマン・ママ・ジョシの夢に現れて、手ずから彼を引っ張って言った。「すぐに起きるのだ。バプサヘブは私が死んだと思っているから、彼は来ない。君が礼拝を行って、カカド()のアーティをやるのだ!」ラクシュマン・ママは村の占星家でシャマの母方のおじだった。彼は正統派のブラーミンで、毎日朝起きるとまずババを礼拝し、それから村の全ての神々を礼拝していた。

彼はババに全幅の信頼を置いていた。ヴィジョンを見た後、彼はプジャの道具を持ってやってきて、モウルヴィスが異論を唱えるのを意に介することなく、プジャとカカド・アーティを形式通り行い、出て行った。それから正午にはバプサヘブ・ヨグが他の人々と一緒にやってきて、通常通り正午のアーティを行った。ババの言葉を尊重して、人々は彼の遺体をワダに安置することに決め、中央部分の採掘を始めた。火曜日の夜には、ラハタから副検査官がやって来て、他方からも検査官が着たが、彼らは皆この提案に賛成した。翌朝、アミルバイがムンバイからやってきて、コペルガオンのマムラトダールもやってきた。

人々の意見は割れているようだった。ババの遺体は空いている地面に埋めるべきだと主張する者もいた。そこでマムラトダールは一般投票を行い、結果、ワダを使用するという提案が二倍の得票を得た。それでも彼は徴収官に是非を確認したかったので、カカサヘブ・ディクシット自身がアーメドナガールに行くことにした。そうこうする間に、ババから霊感を与えられて他の人々の意見に変化が生じ、満場一致でその提案が採決された。水曜日の夜に、ババの遺体は葬列を伴ってワダに運ばれ、儀式を執り行ってから、ムルリダールのためにとってあった中央部分のガルバへ埋葬された。

実際ババはムルリダールになったのであり、ワダは聖なる寺院となり、その後大勢の帰依者たちが平安を求めて訪れるようになったのである。ババの葬儀はババの熱心な帰依者であるバラサヘブ・バテとウパサニによって滞りなく行われたのだった。

  ナルケ教授の観察によると、ババの遺体は36時間を経過しても死後硬直が見られず、四肢は弾力性があり、彼のカフニも破り取ることなく脱がせることができた、ということをここに記しておく。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シルディ・サイババ(全ての生き物に浸透するババ)

2011-10-21 | シルディ・サイババ

  このラクシュミバイ・シンドは善良で裕福な女性だった。彼女は昼も夜もマスジッドに仕えていた。バガット・ムハルサパティとタティヤとラクシュミバイを除いては、誰も夜にマスジッドに立ち入ることは許されなかった。ある夜、ババがマスジッドでタティヤと座っていると、ラクシュミバイがやってきてババに敬礼をした。

 

ババは彼女に言った。「おお、ラクシュミ、私はとてもお腹が減った」これを聞くと彼女は、「ババ、少し待って下さい。すぐにパンを持って戻ってきますからね」と言って出て行った。彼女はパンと野菜を持って戻ってきて、ババの前に置いた。彼はそれを手にとって犬にやった。ラクシュミバイは尋ねた。

 

「これはどういうことですか、ババ。私はあなたのために急いでパンを用意して戻ってきたのに、あなたは一口も食べずに犬にやってしまった。そんな無駄なことで私の手を煩わせるなんて」ババは答えた。「お前はなぜ何でもないことで悲しむのかね?犬の空腹を満たすことは、私の腹を満たすのと同じことなのだよ。

 

犬は魂を持っている。別々の生き物だとしても、喋るか喋らないかだけで、空腹を感じるのはどれも同じだ。空腹な者に食べ物を与えるのは、私に食べ物を与えることだと知りなさい。これは真実なのだよ」これは何気ない出来事だったが、ババは偉大な霊的な真実を示したのであり、他者の感情を傷つけることなく毎日を送る上で実際に応用できる事柄を示したのだった。

 

これ以降、ラクシュミバイは愛と信仰を持って毎日ババにパンとミルクを差し出すようになった。ババはそれを受け取り、感謝しながら食べた。彼はこの機会を利用して、ラクシュミバイを通して、いつもババの食べ残しのプラサドを食べているラーダクリシュナマイにも思い出させたのだった。このパンの話は余談ととらえるべきではなく、いかにサイババが全ての生き物に浸透していて、それを超越しているかを示すものである。彼は遍在しており、誕生もなく、死もなく、不滅の存在である。

 

  ババはラクシュミバイの奉仕を覚えていた。どうして彼が彼女を忘れることができようか?肉体を去る直前、ババはポケットに手を入れて、彼女に5ルピーを渡し、それからさらに4ルピーを渡し、合計で9ルピーを渡した。この9という数字は21章で述べた9つの種類の信仰1を暗示している。あるいはシーモランガンの時期に捧げられたダクシナだったかもしれない。ラクシュミバイは裕福な女性だったので、お金は必要なかった。ババは、良い弟子の9つの性質について彼女に知らせたかったのではないだろうか。9つの性質は、バグワットの11Skandha10章の6つ目の詩篇の中に描かれており、一番目の二行連句の中で最初の5つが、二番目の二行連句の中で次の4つが述べられている。ババのこの9つの贈り物を、彼女は一生忘れなかった。

 

  よくよく注意して意識的に見てみると、ババは人払いをするよう命じていた。カカサヘブ・ディクシットとバプサヘブ・ブティらはババのことを案じてマスジッドで待っていたが、ババは彼らにワダに行って、食事をしてから戻ってくるように言った。彼らはババの前から離れることもできず、かといって彼の命令に背くこともできなかった。そこで彼らは重い心と重い足取りを引きずってワダに向かった。彼らは、ババの状態は非常に悪く、ババの元を離れてはならないことを知っていた。

 

彼らは食事の席についたが、心はババの元にあった。彼らが食事を終える前に、ババが肉体を捨てようとしているという知らせがやってきた。彼らは食事を残したまま、マスジッドに走っていくと、ババはバヤジの膝の上に横になって休んでいた。ババは床に倒れたのでもなく、ベッドに寝ているのでもなかった。座席に静かに座って、自ら肉体を出て行ったのだった。聖者は一定の使命を持って自らをこの世に顕現させる。そして使命が終わると、彼らはやってきたときと同じように、静かにたやすくこの世を去るのである。

1.これら9種類の信仰は主ラーマがシャバリに教えたもの。

スリ・サイに頭を垂れよ - 皆に平安が訪れますように


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シルディ・サイババ(ラクシュミバイへの慈愛)

2011-10-21 | シルディ・サイババ

 

  ヴィジャヤダシュミ(ダサラ)はヒンドゥー教では、最も吉兆の時期とされており、ババは境界線を越えるのにこのふさわしい時期を選んだのだった。彼はこの数日前病に苦しんでいたが、内側では常に目覚めていた。最後の瞬間の寸前に、彼は誰の助けも借りずに立ち上がり、良くなったかのように見えた。人々は、危機は去り彼は回復するのだと思った。ババは自分がすぐになくなることを知っていたので、ラクシュミバイ・シンドに慈愛のしるしとしていくらかの金を与えたかったのだ。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シルディ・サイババ(ラムチャンドラ・ダダ・パティルとタティヤ・コテ・パティルの死を防ぐ)

2011-10-21 | シルディ・サイババ

 

  このしばらく後、ラムチャンドラ・パティルは重篤な病気になった。彼はひどく苦しんだ。あらゆる治療を試みたが回復せず、人生に絶望して最後の時を待っていた。そんなある日の真夜中、ババが突然彼の枕元に立った。パティルはババの足を掴んで言った。「私は全ての望みを失いました。どうか私がいつ死ぬことになるのかはっきりと教えて下さい」慈悲深いババは言った。

 

「心配するな。君の死への召喚状は取り下げられたから、じきに良くなるだろう。だが私はタティヤ・パティルを心配している。彼は釈迦歴1840(紀元1918)のヴィジャヤダシャミの日に亡くなるだろう。このことは彼にも他の誰にも漏らしてはいけないよ。彼はひどく恐れるだろうから」ラムチャンドラ・ダダは回復したが、タティヤのことを心配していた。

彼は、タティヤが2年以内に死ぬという、ババの言葉は変えられないことを知っていたからだ。彼は秘密を守り誰にも言わなかったが、バラ・シンピ(仕立屋)にだけは話していた。彼ら二人だけ - ラムチャンドラ・ダダとバラ・シンピは、タティヤの命について恐れと不安を抱いていた。

 

  ラムチャンドラ・ダダはすぐにベッドから起き上がり、自分の足で立てるようになった。時は矢のように過ぎた。釈迦歴1840(1918)のバドラパド(月の暦で6の月。8-9)の月が終わり、アシュウィン(月の暦で7の月。9-10)が始まろうとしていた。ババの言葉通り、タティヤは倒れ寝たきりになった。彼はババのダルシャンに来られなくなり、ババもまた熱で臥せっていた。

タティヤはババに全幅の信頼を置いていた。タティヤの病状は最悪になり、全く動くこともできなくなったが、彼は常にババのことを思っていた。ババの病状も同じように悪くなっていった。預言されたヴィジャヤダシャミの日が差し迫り、ラムチャンドラ・ダダとバラ・シンピはタティヤのことをひどく心配した。彼らの体は震え、恐怖に冷や汗をかき、ババの預言通りタティヤの最後が近づいているのだと思った。

ヴィジャヤダシャミの日が訪れ、タティヤの脈拍は非常にゆっくりになり、彼はまもなく亡くなるのだと思われた。だが興味深いことが起こった。タティヤは死を免れ、代わりにババが亡くなったのだ。まるで命の交換が行われたように見えた。人は口々に、ババはタティヤに命を譲ったのだと言った。なぜ彼はそんなことをしたのだろうか?ババのやり方は計り知れないのだから、真実はババにしか分からない。だがこの出来事の中で、ババは自分とタティヤを交換して、ババ自身が亡くなるのだということをほのめかしているように思われる。

 

  翌朝(1016)、ババはパンダルプールにいるダース・ガヌの夢に現れてこう言った。「マスジッドは崩壊した。シルディの油屋も乾物屋も私をひどく困らせるから、私は出て行くことにした。そのことを君に知らせに来たのだ。早く行って、私をバッカルの花で包んでおくれ!」ダース・ガヌはシルディからも手紙で知らせをもらった。そこで彼は弟子たちと共にシルディに行き、ババのサマディの前で一日中バジャンとキルタンを行って主の御名を歌った。彼自らも主ハリの名を織り込んで美しい花輪を作り、ババのサマディに掛けて、ババの名の元にたくさんの供え物をした。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シルディ・サイババ(前触れ)

2011-10-21 | シルディ・サイババ

 

  ここまで、読者はババの生涯の物語を聞いてきた。ここではババの死にまつわる出来事について注意して聴いて戴きたい。ババは1918928日、微熱があった。微熱は2,3日続いたが、その後ババは食事を採らなくなり、次第に弱って行った。17日目、すなわち19181015日火曜日、午後2時半頃、ババはこの世の煩わしさを逃れ亡くなった。(1918115日付けのG.G.ナルケ教授がダダサヘブ・カパルドに宛てた手紙、Sai Leela誌初年度版78項参照)これより2年前の1916年、ババは自分が亡くなることを暗示しているのだが、その時は誰も理解しなかった。

それは次のような出来事である。ヴィジャヤダシャミ(ダサラ)の日(収穫を祈る秋の祭)、人々が夕方シーモランガン(村の境界を越えること)から戻ってくると、ババは突然激昂し始めた。頭に付けた布やカフニ、ランゴタ(ヨギが着けている下着)をも脱ぎ捨てた。彼はそれらを切り裂いてドゥーニの中へ投げ込んだ。この捧げ物を受けて、ドゥーニの火は明るく燃え始め、ババも尚輝いた。ババは裸でそこに立ちはだかり、目を真っ赤にして叫んだ。

「お前たちは今ここで私を見て、私はイスラム教徒かヒンドゥー教徒なのかを決めるがいい」皆は恐怖に震えて、誰もババに近づこうとはしなかった。しばらくしてらい病患者の帰依者バゴジ・シンドが大胆にもババのそばへ行き、ランゴタをうまくババの腰に巻きつけて、こう言った。

「ババ、どうしたのですか?今日はシーモランガンで、ダサラの祝日です」ババはサトゥカを床に叩きつけて言った。「これが私のシーモランガン(境界線を越える)だ」ババは夜の11時頃になるまで落ち着かず、人々はその夜チャヴァディへの行進は行われるのかどうかと訝った。一時間後、ババはいつもの状態に戻り、いつものように正装をして、前に述べた通りにチャヴァディへの行進を行った。このような騒動を起こして、ババはダサラが彼にとって人生の境界線を越えるのに適当な時期であることを示唆していたのだが、その時は誰もその意味するところを理解しなかった。ババはまた次のように別のやり方でも自らの死を暗示している。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シルディ・サイババ(第四十二章 前置き)

2011-10-21 | シルディ・サイババ

前置き

  前章で紹介した物語は、グルの恩寵の光は世俗に生活する恐れを取り除き、救いの道を開き、私たちの苦悩を幸福に変えるということを示した。私たちが常にサドグルの御足を思い浮かべていれば、私たちの苦しみは終わり、死は痛みを失い、この世に暮らす苦悩は跡形もなく消えてしまうのだ。だから自分たちの幸福を憂う人々は、心を浄化するサイ・サマルスの物語に注意して耳を傾けなくてはならない。

  冒頭でヘマドパントは、ドクター・パンディットがババの額に三本の平行線を描く礼拝の仕方について詳しく述べているが、これは既に十一章で述べているので、ここでは省略する。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シルディ・サイババ(ボロ布を盗んでドニャネシュワリを読む)

2011-10-21 | シルディ・サイババ

 

  ダハヌ(タナ地区)のマムラトダールであったB.V.Dev.氏は、長い間ドニャネシュワリ(ドニャネシュワールによる有名なバガヴァッド・ギータのマラティ語の解説書)やその他の聖典を読みたいと願っていた。彼は毎日バガヴァッド・ギータの一章を読むことができたが、彼がドニャネシュワリを手に取ると、何かしら問題が起きて読めなくなってしまうのだった。

彼は3ヶ月の休みを取ってシルディに行き、ポウドの家で休養をした。彼はそこで他の書物を読むことができたが、ドニャネシュワリを開くと、何かしら関係のない考えが心に浮かんできて、彼の努力を妨げるのだった。出来る限り頑張ってみたものの、彼は数行も読み進めることができなかった。そこで彼は、その書物に愛情が湧き、彼に読むようにとババが命じた時に読もうと決心した。

そして19142月、彼は家族とシルディへ行った。そこでヨグが彼に、毎日ドニャネシュワリを読んではどうかと提案した。Devは読みたいのだがうまくいかなかったこと、ババが彼に読むように命じたときに読み始めようと思っていることを話した。そこでヨグはその本をババに渡し、彼に聖別してもらってから読み始めてはどうかと助言した。Devは、ババは自分の心の内を知っているから、その手段には出たくないと答えた。ババは彼の望みを知らないだろうか、彼に読むように明確な指示を出して彼の願いを叶えてくれるだろうか?

 

  Devはババに会って1ルピーのダクシナを差し出した。ババは20ルピーを要求したので、彼はそれを差し出した。夜になって彼はバラクラムに会い、どのようにババへの信仰と恩寵を手に入れたのか尋ねた。バラクラムは翌日のアーティの後で全てを話すと言った。Devが翌日ダルシャンに行くと、ババは20ルピーを要求したので、彼は快く払った。マスジッドは混んでいたので、Devは脇へ行って隅に座った。ババは彼に近くへ来て静かに座るように言ったので、彼はその通りにした。

それから正午のアーティが終わって人々が分散していくと、Devはバラクラムに再び会ったので、ババが彼に語ったことや、どのように瞑想を教わったのかなど彼の体験について尋ねた。バラクラムが答えようとしていると、ババはらい病の帰依者のチャンドルをよこして、Devをババの元へ呼んだ。Devがババのところへ行くと、ババは誰と何を話していたのか尋ねた。

彼は、バラクラムからババの評判について聞いていたのだと答えた。するとババは再び25ルピーのダクシナを要求し、Devは喜んでこれを支払った。するとババは彼を中に連れて行き、柱の側に座ってこう言った。「君は私の知らない所で私のボロ布を盗んだだろう」Devは布のことは何も知らないと否定したが、ババは彼に探させた。彼は探したが何も見つからなかった。そこでババは怒って言った。「ここには誰もいない。盗めるのはお前だけだ。灰色の髪をした年寄りのお前がここへ来て盗んだのだ!」そう言うとババは腹を立てて、激しく激昂し、小言を言い始めた。

 

Devは黙っていたが、叩かれるのではないかとも思った。一時間近く経つと、ババは彼にワダへ行くように言った。彼はワダに戻って、ヨグとバラクラムに起きたことの全てを話した。すると午後になってババは皆を呼んで、自分の言葉が老人(Dev)を傷つけてしまったかもしれないが、彼は盗みを働いたので、彼を叱ったのだと言った。それからババは再びDev12ルピーのダクシナを求め、彼はそれを支払うとババの前にひれ伏した。するとババは彼に言った。

「これからは毎日ポティ(ドニャネシュワリ)を読みなさい。ワダに座って毎日きちんと読んで、読んだ部分を愛と信仰を持って皆に説明しなさい。私はここに座って、君に黄金の刺繍の入ったシェラ(高価なショール)を渡すつもりでいるのだ。それなのになぜ他へ行って、ボロ布を盗むのか!なぜ君は盗んでばかりいるのか?」

  Devは、ババから直接ポティ(ドニャネシュワリ)を読んで良いという言葉を聴いて、とても喜んだ。彼は欲しかった物を手に入れ、それ以後は安心してその書物を読むことができると思った。

彼は再びババの前にひれ伏して、自分は完全にババに全てを委ねるから、どうか自分を子供のように扱って、読書を助けてくれるようにと言った。その時彼は、ババの言っていたボロ布を盗むの意味を理解した。彼がバラクラムに尋ねたことが、ボロ布で、ババは彼の態度が気に入らなかったのだ。ババは彼の質問に答えるつもりでいたのに、彼が他の人に必要のない質問をしたのが気に入らなかったので、彼を叱ったのだった。Devは、ババは本気で彼を叱ったのではなく、ババが彼の望みを叶える準備ができているのに、無駄に他の人に尋ねるのは意味のないことだと教えたのだと思った。Devはそのように叱られたことを祝福と受け取り、心満たされて家路に着いた。

 

 

  この出来事はここで終わらなかった。ババはただ読書をすることを命じただけで終わりにはしなかった。一年のうちに、ババはDevのところへ行き、彼の進歩の度合いを尋ねた。191442日木曜日の朝、ババは彼の夢に現れた。ババは二階に座っていて、彼にポティを理解したかどうか尋ねた。Devは「いいえ」と答えた。ババは言った。「それではいつになれば理解するのかね?」Devは急に泣き出して言った。「あなたが恩寵を注いで下さらない限り、この読書は重荷でしかなく、内容を理解するのは更に困難です」ババは言った。「それなら私の前で読みなさい」Devは尋ねた。「何を読めばいいのでしょう?」ババは言った。「アディヤトマ(霊性)を読みなさい」Devは本を取りに行ったが、その時彼は目を開けていて完全に起きていた。このヴィジョンの後、Devがどれほどの喜びと至福を味わったかについては読者の想像に委ねることにする。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シルディ・サイババ(第四十一章 アリ・モハメッド・ヘマドパント)

2011-10-21 | シルディ・サイババ

前章に描かれた出来事の9年後、アリ・モハメッドは再びヘマドパントに会って、次のような話を彼にした。

 

  ある日かれはムンバイの通りをふらふらと歩いていて、通りの行商人からその写真を買うと、額を付けて彼のバンドラ(ムンバイ郊外)の家の壁に飾った。彼はババを愛していたので、毎日写真でダルシャンを行っていた。彼が絵をヘマドパントに譲る3ヶ月前、彼は足が腫れあがる病を患い手術を受けた。それから彼はムンバイにある義理の兄弟のヌール・モハメッド・ピーボイ氏の家に滞在し、徐々に回復していった。3ヶ月間、彼のバンドラの家は閉められ、誰も立ち入らなかった。

無人の家にはババ・アブデュル・レーマン、モウラナサヘブ・モハメッド・フセイン、サイババ、ババ・タジュディン、その他数人の聖者の写真だけが掛けてあった。時間の経過はこれらの写真にも容赦がなかった。彼はムンバイで病気を患い臥せっていたのだ。これらの写真だけがバンドラで辛抱する必要があろうか?全ての写真が最後を迎えた。だがサイババの写真がどうやって最後を免れたのか、今に至るまで私に説明できたものは誰もいない。これはサイの全てに浸透する遍在性と計り知れない力を示すものだ。物語は次へ続く。

 

  彼は何年も前に、モハメッド・フセイン・タリヤトパンから聖ババ・アブデュル・レーマンの小さな写真をもらっていた。彼はそれを義理の兄弟ヌール・モハメッド・ピーボイに譲り、写真は8年間彼の机に飾られていた。ある時ピーボイはそれを写真家の元へ持って行き、実物大の大きさに拡大してもらい、コピーをアリ・モハメッドを含む親類や友人に配った。

アリはそれをバンドラの家に飾った。ヌール・モハメッドは聖者アブデュル・レーマンの弟子で、彼のダルバールでヌールがグルにその写真を差し出すと、グルは激昂して彼を叩き追い出してしまった。彼は悲しみがっかりした。また彼はグル、ババ・アブデュル・レーマンは偶像崇拝を好まないので、大金を費やしたことでグルを不快にさせ激昂させてしまったのだと思った。

彼は拡大したババ・レーマンの写真を持ってアポロ・ブンデールのところへ行き、ボートを借りて漕ぎ出すと海に写真を投げた。彼は友人や親戚にコピーを返してくれるように頼み、全部で6枚のコピーを回収すると、それもバンドラの海に沈めてしまった。この時アリ・モハメッドは彼の義理の兄弟の家にいた。彼は兄弟から、他の聖者の写真もすぐに海に沈めてしまえば、彼の苦しみも終わると聞かされた。これを聴いたアリ・モハメッドはメタ(彼の主人)にバンドラの家に行ってもらい、家にある聖者の写真を全部海に投げ込んでもらった。

 

  アリ・モハメッドが2ヵ月後に家に帰ってみると、サイババの写真が以前と同じように壁にかかっているのを見て驚いた。彼はどうしてメタがこれだけを残したのか理解できなかった。彼はすぐに写真を取り外すと、彼の義理の兄弟が見てそれを処分することを恐れて食器棚にしまった。彼はそれをどのように処分したらよいか、誰がきちんと礼拝をして手元に置いてくれるだろうかと考えていると、サイババ本人が彼にモウラナ・イスム・ムジャヴァールに相談して、彼の意見に従うようにと提案した。彼はモウラナに会って全てを話した。

よく話し合った後、彼らは写真をアンナサヘブ(ヘマドパント)に贈るのがよいと決め、彼ならば写真をきちんと守ってくれるだろうと思った。そこで彼らはヘマドパントの所へ行き、ちょうどよい折に写真を彼に贈ったのであった。

 

  この物語は、ババが過去、現在、未来の全てを知っていて、巧みに糸を操り帰依者の望みを叶えるということを示している。次に挙げる物語は、霊的な事柄に本当に関心を寄せる人々をババがとても好み、ババが彼らの困難を取り払い幸せをもたらしたことを示すものである。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする