ヒンドゥー教徒の間では人が亡くなるときには、彼の心が世俗事から引っ込められ霊的な世界へと固定することで、その先の経過が自然にたやすく進むようにと、何かしらの聖典を朗読するのが一般的な慣習である。パリクシット王がブラーミン・リシの息子に呪いをかけられて、一週間後に死ぬとされていた時、偉大な賢人シュカデヴはその週のうちに彼に有名なバグワット・プーランについて詳しく解説した、というのは誰もが知っていることである。
この慣習は今でも行われており、ギータやバグワット、その他の神聖な書物が死に行く人に読み聞かせられている。ババは神の化身であったので、そのような助けは必要なかったが、人々の手本になるようにとこの慣例に従った。ババは自分がすぐに死ぬことを知っており、ヴァゼ氏にラムヴィジェイを読んでくれるよう頼んだ。ヴァゼ氏は一週間に一度書物を読んだ。
それからババは彼に夜と昼にも読んでくれるように頼み、彼は3日で2回の朗読を終えた。それから11日が過ぎた。彼は再び3日の間読み聞かせをして、疲弊してしまった。そこでババは彼を帰らせ、一人で静かにしていた。ババは自己の中に留まり、最後の時を待っていた。
2,3日前にババは外に出かけるのを止め、物乞いも止めて、マスジッドで静かに座っていた。彼は最後まで意識があり、帰依者たちに落胆しないように伝えていた。彼は自分が旅立つ正確な時間を誰にも知らせなかった。カカサヘブ・ディクシットとシュリーマン・ブティは毎日マスジッドでババと共に食事をした。その日(10月15日)アーティの後に、ババは彼らに家に帰って食事をするようにと言った。
だがラクシュミバイ・シンドとバゴジ・シンド、バヤジ、ラクシュマン・バラ・シンピとナナサヘブ・ニモンカールはそこに残り、シャマは階段の下に座っていた。ラクシュミバイ・シンドに9ルピーを渡した後、ババはここでは気分がよくないので、ブティのダガジ(石)ワダへ行けば良くなるだろうから、連れて行ってくれと言った。この最後の言葉を言いながら、ババはバヤジの体にもたれかかり、息を引き取った。バゴジはババの息が止まっていることに気づき、すぐに近くに座っていたナナサヘブ・ニモンカールに伝えた。
ナナサヘブは少しの水を持ってきてババの口に注いだが、水は出てきてしまった。それを見て彼は大声で泣いた。「おお、デーヴァ!」ババは目を開いて、低い声で「ああ」と言ったように見えた。だがババは永遠に人間の肉体を去ったのだということがすぐに明らかになった。
ババが亡くなったという知らせはシルディ村に野火のように広まり、男も女も子供も全員が走ってマスジッドへやってきて、それぞれにババの死を嘆き始めた。ある者は大声で泣き、ある者はのた打ち回り、またある者は意識をなくして通りに倒れた。全員の目から涙が流れ、皆が悲しみに暮れた。
サイババの言葉を思い出し始めている人々もいた。誰かが、マハラジ(サイババ)は帰依者に向かって、時が来たら彼は8歳の子供になって現れると言ったと、話した。クリシュナの化身として、チャクラパニ(主ヴィシュヌ)がまさにこの通りのことを行った。クリシュナはデヴァキの前に8歳の子供として現われ、顔面は光り輝き、四本の腕で武器を振り回していた。
この時の顕現では、彼(主クリシュナ)は地上の苦しみを明るくやわらげた。この度の顕現(サイババ)では帰依者たちの精神を向上させた。それならば疑う理由がどこにあろう?聖者の御業は計り知れない。この時のサイババと帰依者の交わりは一世代に限られたものではなく、過去72世代に及ぶものである。
そのような愛の結びつきが生まれているからこそ、マハラジ(サイババ)が旅立ってしまっても、帰依者たちは彼がすぐに戻ってくることを堅く信じているのだと思われる。
そして一つの問題が生じた。どうやってババの遺体を安置したらよいのか?ということだ。あるイスラム教徒は、遺体を空いている場所に埋葬して、その上に墓を造るべきだと言った。クシャルチャンドやアミール・シャッカールさえも同様の意見を述べた。だが村の役人のラーマチャンドラ・パティルは強く決然とした口調でこう言った。「君たちの考えは受け入れられない。ババの遺体はワダ以外のどこにも安置すべきではない」そこで人々の意見は真っ二つに割れ、これについて36時間もの議論が行われた。
水曜の朝に、ババはラクシュマン・ママ・ジョシの夢に現れて、手ずから彼を引っ張って言った。「すぐに起きるのだ。バプサヘブは私が死んだと思っているから、彼は来ない。君が礼拝を行って、カカド(朝)のアーティをやるのだ!」ラクシュマン・ママは村の占星家でシャマの母方のおじだった。彼は正統派のブラーミンで、毎日朝起きるとまずババを礼拝し、それから村の全ての神々を礼拝していた。
彼はババに全幅の信頼を置いていた。ヴィジョンを見た後、彼はプジャの道具を持ってやってきて、モウルヴィスが異論を唱えるのを意に介することなく、プジャとカカド・アーティを形式通り行い、出て行った。それから正午にはバプサヘブ・ヨグが他の人々と一緒にやってきて、通常通り正午のアーティを行った。ババの言葉を尊重して、人々は彼の遺体をワダに安置することに決め、中央部分の採掘を始めた。火曜日の夜には、ラハタから副検査官がやって来て、他方からも検査官が着たが、彼らは皆この提案に賛成した。翌朝、アミルバイがムンバイからやってきて、コペルガオンのマムラトダールもやってきた。
人々の意見は割れているようだった。ババの遺体は空いている地面に埋めるべきだと主張する者もいた。そこでマムラトダールは一般投票を行い、結果、ワダを使用するという提案が二倍の得票を得た。それでも彼は徴収官に是非を確認したかったので、カカサヘブ・ディクシット自身がアーメドナガールに行くことにした。そうこうする間に、ババから霊感を与えられて他の人々の意見に変化が生じ、満場一致でその提案が採決された。水曜日の夜に、ババの遺体は葬列を伴ってワダに運ばれ、儀式を執り行ってから、ムルリダールのためにとってあった中央部分のガルバへ埋葬された。
実際ババはムルリダールになったのであり、ワダは聖なる寺院となり、その後大勢の帰依者たちが平安を求めて訪れるようになったのである。ババの葬儀はババの熱心な帰依者であるバラサヘブ・バテとウパサニによって滞りなく行われたのだった。
ナルケ教授の観察によると、ババの遺体は36時間を経過しても死後硬直が見られず、四肢は弾力性があり、彼のカフニも破り取ることなく脱がせることができた、ということをここに記しておく。