このラクシュミバイ・シンドは善良で裕福な女性だった。彼女は昼も夜もマスジッドに仕えていた。バガット・ムハルサパティとタティヤとラクシュミバイを除いては、誰も夜にマスジッドに立ち入ることは許されなかった。ある夜、ババがマスジッドでタティヤと座っていると、ラクシュミバイがやってきてババに敬礼をした。
ババは彼女に言った。「おお、ラクシュミ、私はとてもお腹が減った」これを聞くと彼女は、「ババ、少し待って下さい。すぐにパンを持って戻ってきますからね」と言って出て行った。彼女はパンと野菜を持って戻ってきて、ババの前に置いた。彼はそれを手にとって犬にやった。ラクシュミバイは尋ねた。
「これはどういうことですか、ババ。私はあなたのために急いでパンを用意して戻ってきたのに、あなたは一口も食べずに犬にやってしまった。そんな無駄なことで私の手を煩わせるなんて」ババは答えた。「お前はなぜ何でもないことで悲しむのかね?犬の空腹を満たすことは、私の腹を満たすのと同じことなのだよ。
犬は魂を持っている。別々の生き物だとしても、喋るか喋らないかだけで、空腹を感じるのはどれも同じだ。空腹な者に食べ物を与えるのは、私に食べ物を与えることだと知りなさい。これは真実なのだよ」これは何気ない出来事だったが、ババは偉大な霊的な真実を示したのであり、他者の感情を傷つけることなく毎日を送る上で実際に応用できる事柄を示したのだった。
これ以降、ラクシュミバイは愛と信仰を持って毎日ババにパンとミルクを差し出すようになった。ババはそれを受け取り、感謝しながら食べた。彼はこの機会を利用して、ラクシュミバイを通して、いつもババの食べ残しのプラサドを食べているラーダクリシュナマイにも思い出させたのだった。このパンの話は余談ととらえるべきではなく、いかにサイババが全ての生き物に浸透していて、それを超越しているかを示すものである。彼は遍在しており、誕生もなく、死もなく、不滅の存在である。
ババはラクシュミバイの奉仕を覚えていた。どうして彼が彼女を忘れることができようか?肉体を去る直前、ババはポケットに手を入れて、彼女に5ルピーを渡し、それからさらに4ルピーを渡し、合計で9ルピーを渡した。この9という数字は21章で述べた9つの種類の信仰1を暗示している。あるいは’シーモランガン’の時期に捧げられたダクシナだったかもしれない。ラクシュミバイは裕福な女性だったので、お金は必要なかった。ババは、良い弟子の9つの性質について彼女に知らせたかったのではないだろうか。9つの性質は、バグワットの11編Skandhaの10章の6つ目の詩篇の中に描かれており、一番目の二行連句の中で最初の5つが、二番目の二行連句の中で次の4つが述べられている。ババのこの9つの贈り物を、彼女は一生忘れなかった。
よくよく注意して意識的に見てみると、ババは人払いをするよう命じていた。カカサヘブ・ディクシットとバプサヘブ・ブティらはババのことを案じてマスジッドで待っていたが、ババは彼らにワダに行って、食事をしてから戻ってくるように言った。彼らはババの前から離れることもできず、かといって彼の命令に背くこともできなかった。そこで彼らは重い心と重い足取りを引きずってワダに向かった。彼らは、ババの状態は非常に悪く、ババの元を離れてはならないことを知っていた。
彼らは食事の席についたが、心はババの元にあった。彼らが食事を終える前に、ババが肉体を捨てようとしているという知らせがやってきた。彼らは食事を残したまま、マスジッドに走っていくと、ババはバヤジの膝の上に横になって休んでいた。ババは床に倒れたのでもなく、ベッドに寝ているのでもなかった。座席に静かに座って、自ら肉体を出て行ったのだった。聖者は一定の使命を持って自らをこの世に顕現させる。そして使命が終わると、彼らはやってきたときと同じように、静かにたやすくこの世を去るのである。
1.これら9種類の信仰は主ラーマがシャバリに教えたもの。
スリ・サイに頭を垂れよ - 皆に平安が訪れますように