元幸福の科学の会員で1987年より三十数年間、在籍し、活動をしてきました。その間を振りかえります。

最初は勉強会だったのに大川隆法氏は1991年に突然に自分は地球神・エルカンターレだと宣言し、宗教法人となった。

金正恩の守護霊 霊言「水爆で日本を丸ごと皆殺しができるようになった」以外、国際情勢の分析は鋭い

2016-02-02 20:40:17 | 日記

http://the-liberty.com/article.php?item_id=10737

公開霊言抜粋レポート 

北朝鮮、核の小型化に「成功」 金正恩守護霊が90分間激白! 

公開霊言「北朝鮮・金正恩はなぜ水爆実験をしたのか」2016年1月7日収録

 
北朝鮮・金正恩はなぜ「水爆実験」をしたのか
 
緊急発刊!

北朝鮮が実験したという水爆(水素爆弾)とは、地球上で最も強力な兵器と評され、国際連合の常任理事国5カ国(米・英・露・仏・中)のみが保有する"稀有な兵器"。

かつて広島・長崎に投下された原爆よりも、数百倍以上の威力があると言われており、北朝鮮は大国と肩を並べる軍事力を手に入れたことになる。 

核の小型化に「成功したんだ」

しかし、韓国の情報機関・国家情報院は、今回の核実験の爆発力を6~7キロトン程度と推定。「水爆の可能性は低い」との見方を示した。

日本の多くのマスコミも、これに同調する評論を伝えており、海外も含め、北朝鮮の発表内容に疑問を呈する声も多い。

だが、大切なのは、最悪の事態に備えておくことだろう。 

そうした中、大川隆法・幸福の科学総裁は7日午前、金正恩(キム・ジョンウン)第1書記の本音を聞き出すために、同氏の守護霊を招霊。実験の成否や、その真意に迫った。

 霊言の冒頭で金正恩氏の守護霊は、「(核の小型化は)成功したんだ」「水爆が手に入った以上ね、もう中国の援助なんかもそんなに必要ない」などと発言。

「(小型化した核を搭載した)ロケットが飛ばせるなら、アメリカや、イギリス、フランス、ロシア、日本や韓国なんかは言うまでもないことだけども、みんな射程距離に入った」と語り、さらなる恫喝を行った。

特に日本に対しては、「水爆ができたっていうことは、皆殺しができるっていうことだ。(原爆では)都市壊滅ぐらいだけどし、開発、日本を丸ごと皆殺しができるようになったということは、君たちは丸ごと人質になったわけよ」と脅迫最低でも10兆円程度の"身代金"を差し出すよう示した核技術を金に換える狙いを明らかにした。 

その上で金氏の守護霊は、「親父(金正日)や祖父(金日成)を超えたということ。最高権力者になったということを、やっぱり誇示する必要がある」と述べ、核実験の意義を力説することも忘れなかった。 

日本は北の脅威を過小評価しがち

こうした狙いが鮮明になる一方で、東アジアの脅威に対応すべきアメリカの姿勢は心もとない。 

世界各地で「弱腰外交」を展開するオバマ大統領は、残りの任期が1年を切って、さらに政権の「レームダック化(死に体)」が深刻化。オバマ氏は、中国の南シナ海への進出に対してもほぼ野放しにしており、「ならず者国家」を増長させている。

 日本も、戦後から続く「平和ボケ」から抜け出せず、いまだに国防強化に反対する向きが根強い。今回の核実験のほかにも、マスコミや左翼勢力は、12月に行われた潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)の発射実験の「成功」に懐疑的な見方を示すなど、長らく、北朝鮮の脅威を過小評価し続けてきた。

 この点について、金氏の守護霊は、「君らは、本当にいいマスコミを持っているねえ。(中略)疑い深いということが、自分たちを危機に陥れているということが分からないのは残念ではあるが、うちにとっては有利なことだ」と日本を皮肉った。 

事実、民主党などの5つの野党は、核実験が発表された6日に、安全保障法制の廃止を要求。沖縄でも、多くの左翼団体が、名護市辺野古への基地移設に対する反対運動を続けており、日本の国防力を弱体化する動きがある。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

実際に霊言の映像を見ての感想

金正恩守護霊の国際情勢の分析は鋭い。完全にアメリカ、韓国の大統領は何もできない、口だけとバカにしている。

中国と対等な関係になり、中国は何もしてこないことがわかっている。ロシアのプーチンだけを恐れているのが印象に残った。

また敵国の捕虜と思っている拉致被害者は絶対に戻ってこない。第一に核を保有している国に保有してない日本が何を言っても、バカにされるだけ。

この霊言を聞いて、日本の愚かさを痛感した。1994年から幸福の科学が北朝鮮の核は危険と警告してきたが、政治家、マスコミは無視してきた。

日本の危機なのに、相変わらず平和ボケした国民。将来、どうなってしまうのか非常に心配だ。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

北の脅威は、参院選で争点化すべきテーマ

振り返れば、北朝鮮が2009年5月に核実験を強行した際、日本の既存政党は、北の脅威には目を向けず、安全保障政策を"持たない"民主党が、その年の夏に行われた衆院選に勝利して、政権交代が起きた。

当時、北朝鮮や中国の脅威を訴えていたのは、唯一、同年に立党した幸福実現党であり、日本の国防強化は後回しにされ、「国難」が顕在化した。

もう、2009年の過ちを繰り返してならない。北朝鮮の脅威が明白になる今、夏の参院選では、対北朝鮮外交を争点に加えるべきであり、日本の有権者も、その意思を示すべきではないか。 

国際社会は、世界の平和と繁栄を損ねる北朝鮮に対して毅然とした態度で臨み、地獄のような苦しみを味わっている北朝鮮の国民を解放するためにも、金王朝の独裁体制を崩壊へと追い込まなければならない。

 

霊言では、この他にも注目すべき、以下のポイントへの言及があった。

  • 次に考えている、「ある実験」について。

  • 金正恩氏の権力基盤は盤石か? クーデターの可能性は?

  • 健康悪化が取りざたされる金正恩氏の体調。

  • 北朝鮮の「後ろ盾」だった中国との関係は良好か否か。

  • 中国がフィリピンと戦い始めたときに、北朝鮮が狙っていること。

  • 米大統領選で注目されている、トランプ氏やヒラリー氏への評価。

  • 韓国の朴槿恵大統領や潘基文・国連事務総長について。

  • 核実験を進めるイランとの"密約"とは?

  • ロシアのプーチン大統領は、金正恩氏の味方なのか敵なのか。

 
 



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

がんの苦しみを乗り越えて人生観が変わった!

2016-02-02 20:39:24 | 日記

がんの苦しみを乗り越えて人生観が変わった!

http://voicee.jp/201405149520

 

腎臓がんの告知

「親父、これは、がんやで」

医師の息子からそう告げられたのは6月末のこと。初めて行った人間ドックで、腎臓に異常が見つかったのです。

「そんなばかな……」

目の前が真っ暗になりました。

学生時代からスポーツ好きで、社会人になってからも野球にラグビー、ゴルフなど、仕事に遊びに全力投球だった私。健康優良児が自分の代名詞だと思うほど、健康と体力には自信がありました。

(どうして自分が! 仕事のこと、家庭のこと、妻のこと……まだまだやり残していることがたくさんあるのに!)

憤りと絶望感、さらに突きつけられた死の恐怖。ショックと混乱で、私は、一緒にいた妻に「ゴメンな……」とつぶやくのが精一杯でした。

薄れてゆく恐怖感

病院からの帰り道、私の足は、以前から学んでいた幸福の科学の支部に向かっていました。信頼を寄せている支部長に話を聞いてもらいたいと思ったのです。

がんであることを打ち明けると、支部長は親身になって聞いてくれました。

「Kさん。人間は、生まれてくる時に、自分の使命を決めてくるといいます。今回の病気は、もしかすると、それを考えてみるチャンスなんじゃないでしょうか」

思わずハッとしました。人生に目的と使命があることは仏法真理で学んでいました。しかし、自分の使命について考えたことはありませんでした。

私は、仏の前で心を見つめたいと思い、御本尊の前に座りました。

(自分は何を約束してきたのだろうか……。俺の人生、このままでいいのか――)

しばらく考えていると、がんを告知されて千々に乱れていた心が、だんだんと落ち着いてくるのを感じました。まるで仏に抱きかかえられているような安心感が心に広がり、涙がとめどもなくあふれてきました。すると不思議なことですが、がんや死に対する恐怖心が薄れていったのです。

それから、支部長の勧めで東京正心館の「強力病気平癒祈願」を受けました。

告知から2週間後、私は、穏やかな気持ちで手術にのぞみました。腎臓を片方摘出し、手術は成功。7月下旬に退院して、月末には夫婦二人で、東京正心館にお礼の参拝に伺いました。術後、間もないので、まだゆっくり、ゆっくりとしか動かせない足。しかし、その一歩、一歩を踏み出せることが喜びでした。

見えてきた心の間違い

体調が落ち着いてくると、これまでの人生を振り返ってみました。 予防医学やバイオテクノロジーの研究に必要な試薬や機器等を扱う会社の営業マンとしてがむしゃらに働き、他人に弱みを見せないようにしてきました。

同期よりも早く成果をあげ、営業本部や生産本部を統括するようになると、さらに仕事において完璧を求め、同僚や部下にも厳しい要求をしてきました。

書籍『復活の法』を読んだときには驚きました。がんのもとになる病念は、他人に対する怒りなどの攻撃的な感情や自己処罰の観念にあると書いてあります。まるで自分のために用意された言葉だと感じました。

さらに、自己処罰の観念が強いと、自分を不幸にするだけでなく、他の人も巻き込むことになると書かれていました。

「俺は自分だけでなく、周りの人をも苦しめる生き方をしてきたのか――」

自分のために生きるのはやめよう

書籍『超・絶対健康法』の中で、大川隆法先生はこうおっしゃっていました。

「病気は、反省と感謝を教える修行の場でもあります」

大川隆法先生の言葉が胸にガツンときました。反省と感謝は、自分に最も足りないものでした。

会社の同僚をはじめ、いろいろな方に育まれて今の自分があるのに、会社を支えているのは自分の力だと過信し、感謝することもなく、なんと傲慢に生きてきたことか――。

(仏に助けられた命だ。自分のために生きるのはやめよう。周りの方々へお返しがしたい)

がんになって、初めて素直な自分になれた気がしました。

それから経営幹部として厳しい目は持ちつつも、さまざまな意見を受け入れる心の余裕や寛容さが出てきました。これまでの個々の能力による実績重視のスタイルから、学習会などで成功のノウハウを共有させ、チームワークの強い組織を目指すスタイルに改善しています。

人生の意味を見つけて

現在、定期的に検診を受けていますが、今のところ、がん再発の心配はありません。

がんをきっかけに、私は考え方や物の見方が大きく変わりました。

世の中の役に立つ人間となり、会社を発展させ、豊かさを通して、社会に貢献していくという使命に目覚めることができました。仏や支部長、幸福の科学の仲間や多くの同僚・友人たちに、本当に感謝しています。

いま与えられている仕事を通じて、多くの方に幸福を広げていけるよう、これからもお返しの人生を歩んでいきたいと思います


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自殺を考える鬱(ウツ)の日々から抜け出して

2016-02-02 20:38:14 | 日記

自殺を考える鬱(ウツ)の日々から抜け出して

http://voicee.jp/2013113010

 

 どうしても起き上がれない、生きていたくない……。ある朝、突然ウツになり、ひきこもるようになった私。7年にわたる泥沼の苦しみに沈んでいた私の心にある日、”奇跡”が起きました。

この世で一番不幸なのは私

 私はこれまでの人生の大半を、「この世で一番不幸なのは私だ……」そう思って生きてきました。20代後半でウツ病になってからは特に、体は鉛を流しこまれたように重く、心は家族や周囲への恨みでいっぱい。死ぬことばかり考えていました。

 そんな私を救ってくれたのは、幸福の科学の方々でした。皆さんの愛にふれて初めて、自分が今までたくさんの愛を与えられてきたことに気づき、ウツから立ち直ることができたのです。

雨漏りのする家

 私が育った家は、雨が降るたびに何カ所も雨漏りがするような借家でした。私が生まれて間もない頃、父が営む金融会社が、知人にお金を持ち逃げされたことから借金を抱えて倒産。一家は、親戚の助けを得ながらやっと暮らしていたのです。

 父は工場勤務に加え、早朝の新聞配達もしていました。幼な心に、私は父の体が心配で、「新聞配達やめればええのに」と言うと、父は笑って私の頭をなでてくれたものでした。

「心配せんでもええ。新聞配達は健康のためにしとるんや」

 いつも優しいこの父が、私は大好きでした。

私はいらん子?

 一方、母はいつも不機嫌でした。腎臓が悪かった母は、いつも眉間に皺を寄せていました。私は母に優しくしてほしくて、母の気を引こうと必死でした。

「お母さん、抱っこして」

 両手を伸ばす私に、母は決まってこう言います。

「甘えやんの(甘えないで)」

 また、具合の悪い母のために皿洗いを手伝おうとしても、いつも冷たく追い払われました。

「さわらんといて!」

 次第に私は、「お母さんは私が嫌いなんや。いらへんのや」と思うようになりました。

生きていたくない

 中学生になると、わが家と友達の家を比べるようになりました。雨漏りもせずお風呂のある家、流行りの服やラジカセ、優しい母親――。

「なんで私だけ、こんな不幸なんやろ?」

 しかし、そんな惨めな状態を、人には知られまいと私は必死でした。小中高と成績は常に上位を保ち、「優等生」で通したのです。ところがふとした時に、いつも同じ思いがこみあげてきます。

「生きていたくないなぁ……」

 死んで灰になって、自分を消滅させたいということが、いつしか私の唯一の願いとなっていきました。

父の死・母の病

 苦難は続きました。高校3年の時には、父がガンで他界。悲しみを心に抱えながら、私は高校卒業後、生命保険会社に就職。ほどなくして母がパーキンソン病を発病したのです。

 当時、同居の兄は昼も夜も仕事を持っていたので、母の世話は私が引き受けるしかありませんでした。母は銭湯に行くにも病院に行くにも、私の助けを求めます。その度に子供の頃の辛かった思い出が甦りました。

「抱っこもしてくれなかったくせに! なんであんたの世話なんかせなあかんの!」

 そう思う反面、母を見ていると、放っておけません。頼まれる前に世話をし、「文句はないでしょ」とばかりに、夜は繁華街に出かけました。心にも体にも、やり場のない怒りと疲労を充満させながら―― 。

体が動かない

 あれは、27歳のある朝のことでした。体が重くて全く起き上がれなくなってしまったのです。家事は兄と母がやるようになりました。

「2人でできるんやんか。今まで私に押しつけとったんやな。お母さんの面倒は、私より可愛がられとった兄ちゃんが見るべきなんや!」

 閉め切った暗い部屋で布団にくるまっていると、昔の嫌な思い出が頭を駆け巡ります。舌打ちをして私を見る母の冷たい視線。兄は新品の学習机を買ってもらったのに、私にはボロボロの事務机が与えられたこと……。体も心も、何倍もの重力で押しつぶされるようでした。

「死ぬな!」

「結局、こんな自分から逃れるには死ぬしかないんや」

 とうとう私は、死を決意しました。自宅で餓死すれば、母と兄への復讐になるし、自分を消すこともできる。その一念で食べ物を断って一週間。簡単には起き上がれない状態になりました。そんな時、ふいに心の中に、ある考えが浮かんだのです。

「このまま死んではいけない」

 どうしてそんなことを思ったのかは分かりません。でも、心に浮かんだその言葉は、「死ぬな、死ぬな」と訴えかけてきます。

「……救急車……」

 私は何かにせっつかれるように、泥のように重たい体を引きずりながら受話器に辿り着くと、自分で救急車を呼びました。

そして、精神病院へ

 私はウツ病と診断され、精神病院に収容されました。ベッドで点滴を受けていると、兄と、交際相手のMさんという女性が病室のドアを開けました。

 Mさんは、まっすぐ駆け寄ってきて、初対面の私を、ぎゅうっと抱きしめたのです。私は何カ月もお風呂に入っておらず、垢と臭いにまみれた状態だったはずです。けれどもMさんは、そんなこと気にもせず、何も言わずに抱きしめ続けてくれました。

「こんな人がいるんや……」

 それからもMさんは、通ってきてくれるようになりました。Mさんが来ると、病室がぱっと明るくなります。幸福の科学の会員であるMさんは、人生の意味や苦悩の意味を、少しずつ教えてくれました。

「Cちゃん、魂は永遠だから、自殺したって自分を消すことはできないのよ」

 うそやろ? そんなん最悪や――。 魂は永遠と聞いて、当時の私は落胆しました。一方で、「自殺者は成仏できない」と教えられると、「あの時死ななんで良かった」と、心底ホッとしたのを覚えています。

心に響いた一言

 2カ月後、私はたくさんの薬を持たされて退院しました。兄は私がひきこもらないようにと、サービスエリアでの販売の仕事を見つけてきました。しかし私はその仕事が合わず、半年後、またひきこもってしまったのです。

 真っ暗な部屋で、過去の事をぐるぐる思い出しては、ブツブツと恨み言をつぶやく日々……。そのうち母は老人施設に入所していきました。

 兄とMさんは、その後結婚。Mさんは度々家に来ては、 仏法真理の話をしてくれました。

「本当の『愛』はね、自分から与えるものなの。幸せになりたかったら、自分から人を愛することが大切なのよ」

 ある時Mさんが言った言葉が心に響きました。私は時折、その意味を考えるようになりました。

外に出てみたものの……

「外に出る練習と思って、支部でボランティアさせてもらったら?」

 ひきこもって6年。自分でもどうにかしなければ、と思い始めていた矢先、Mさんの勧めに従って、幸福の科学の支部に通うことにしました。掃除や備品の整理をしながら、緊張してぎこちなくふるまう私に、皆さんが優しく接してくれます。

「Cちゃん、こんなんできたん? すぐにお嫁に行けるやんか」

 しかし、褒められる度に、「私は褒められるような人間じゃない」と、強い違和感を覚えました。いたたまれなくなった私は、半年後、パタッと支部に行かなくなりました。仕事を投げ出してしまって、皆、怒っとるやろな――。心の中は罪悪感でいっぱいです。

こんな私でも、愛されていた

「Cちゃん、本当にこのままでいいの? 皆、あなたを待っとるよ」

 ある日、いつになく強い口調のMさんに連れられて、2カ月ぶりに支部の門をくぐりました。すると――。

「あっCちゃん! 元気やったん?」

「よかったー、会いたかったんよー!」

 満面の笑みと歓声が、私を迎えてくれたのです。呆然としてしまいました。皆が次々と抱きしめてくれます。泣いておられる人もいました。皆の温かさが心にしみてきて、自然と涙がこぼれました。

「私、こんなに中途半端やのに、受け入れてくれるんやな……」

 私はそれまで、完璧にしないと嫌われると思いこんでいました。でも、支部の皆さんは、未熟な私を受け入れ、こんなにも愛してくれていたのだと分かったのです。

「私、アホやったわ」

 急に心が軽くなりました。長年身に付けていた鎧を脱いだようなさっぱりとした気分です。たった今、これまでの自分と訣別できたのだと実感しました。すると、今まで一度も考えたことのない思いが、湧き上がってきたのです。

「生きていこう!」

新しい人生の出発

 私はその日のうちに「いつかこれを飲んで死のう」と貯めていた大量の安定剤を捨てました。また、支部行事に参加しては仏法真理を学びました。また、支部行事に参加しては仏法真理を学びました。

 そうするうち、Hさんという会員の方と知り合いました。一緒にいると心が安らぎます。自然におつきあいが始まりました。やがて、私達は、たくさんの方の祝福の中、結婚式を挙げました。

辛かったんやね、お母さん

 ある時私は、法友のIさんが母親との葛藤に苦しんでいることを知りました。私は、彼女が人生にどう向き合えばいいのかを、主人と考えていきました。人は魂修行のための人生計画を立てて生まれるといいます。

「彼女は何を学ぶために、その人を母に選んできたんだろう?」

「Iさんは、自分を愛してくれない母親を持つことで、かえって愛の大切さを知ったんや。そして、そんな母親を恨むんじゃなくて、本当は与えられていたことに気づいて、心から感謝できるようになることを、人生の問題集として設定してきたんやろなぁ」

 自分でそう言った瞬間、ハッとしました。彼女への結論は、そのまま自分への解答でもあったのです。

「私は自分の気持ちを分かってほしいばかりで、お母さんの心なんて考えてなかった。それは「奪う愛」や。だからずっと苦しかったんや……」

 私は母の生い立ちを辿っていきました。以前聞いた話では、幼い頃に実母を亡くし、父親の後妻に子供が生まれてからは邪魔者扱いされていたとか。母もまた、愛に飢えていたのです。やがて結婚してこれから幸せになれるという時の父の会社の倒産。どんなに辛かったか――。

 母は私を毛嫌いしていたのではない、優しく抱きしめられた経験がないから、私にどう接していいのか分からなかったのでは。そう思い至った時、急に胸が熱くなり、母が不憫で涙がどっとあふれました。また、母との葛藤があったからこそ、信仰の道にいざなわれたのだと気づきました。 「私は不幸だったんじゃない。本当は全てを与えられてたんや……」

ウツは必ず治る

 それからは、母の入所先の施設をよく訪ねるようになりました。認知症の症状が出始めた母は、私に気づかないこともありますが、母の手をとって感謝を伝えると、母は微笑んでくれます。

 私がウツになったのは、自分がいかに不幸かということばかり考え、与えられているものから目をそらしていたことが原因でした。でも、生きている限り、本当はたくさんのものを与えられています。そのことに素直に感謝した時、憎しみや悲しみは消え、心に喜びが生まれるのだと、今は実感できます。

 私は今、同じ苦しみの中にある人に、仏がいつも見守ってくださっていること、「奪う愛」をやめて「与える愛」を始めることで、必ず苦しみから解放されるのだという真理をお伝えしています。

 それが、私を苦しみの泥沼から救いあげてくれた幸福の科学の友人や、どんな時も傍らにあって、愛と慈悲を注ぎ続けてくださった仏へのご恩返しになると思うからです。

義姉のMさんより

 初めてCさんに会った時、「絶対にこの子を助けたい」と思いました。信仰に出会って心の持ち方が変わることで、ウツを克服できた人はたくさんいます。Cさんも必ず治ると信じていました。彼女の良さが見えてくると、「あなたには良いところがたくさんあるのよ。本来のあなたになろうね」と、よく語りかけていましたね。

ご主人のHさんより

 妻は、支部の皆さんの温かさにふれて、ウツ病から立ち直ることができ、彼女本来の長所を発揮できるようになりました。妻の長所は、人の好き嫌いがなく、誰とでも仲良くなれること。今は苦しんでいる人の心の支えになりたいと頑張っているんです。

 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家庭も一冊の「人生の問題集」 大川隆法

2016-02-02 20:37:07 | 日記

http://ryuho-okawa.org/2015/299

『悩み苦しみの根っこは子ども時代にある


「子ども時代に、家庭内で、さまざまな問題が起き、それを充分に乗り切ることができず、大人になり社会人になってから、うまくいかなくて困っている」という人は、数多くいるようです。

その問題の根っこは家庭のなかにあり、また、子ども時代の考え方、生き方が、その人の出発点として大きな意味を持っているのです。

したがって、大人の問題を考えるにつけても、あるいは、大人自身が自分の人生を振り返り、反省するにつけても、やはり、折に触れ、子ども時代に遡って自分自身を見つめてみなくてはなりません。

根っこは、意外に、小さいころ、子ども時代にあります。「子ども時代の自分の苦しみや悩みなどに根っこがあり、大人になって、それを忘れているけれども、実は、それが原因で、いま、そのように考え行動している」ということが数多くあります。

理想の家庭に育つことだけが幸福ではない
そして、ともすれば、「自分の家には、こんな悩みがある。こんな秘密がある」ということを、人に打ち明けることもできず、苦しんだり悩んだりして、「こういうことがなく、理想の家庭だったら、どれほど自分は幸福か」と思うのです。

しかし、現実には、一点の非の打ち所もない理想の家庭というものは、日本中を探しても、おそらくないでしょう。もちろん、問題のほうが非常に大きくなってくると、家庭のなかが地獄化してくることもあります。

家庭のなか自体が生き地獄になり、「どうやって、ここから逃げ出すか」ということで苦しむ人もいます。

そのように、人生の早い時期から厳しい試練が襲ってくる人もいます。気の毒といえば気の毒です。

しかし、確かに、赤ちゃんとして生まれてきたとき、体は小さいし、魂も、それ相応に縮まってはいますが、もともと、その赤ちゃんに宿って生まれてきた魂自体は、大人の魂なのです。

みんな、天上界においては大人の魂であって、「今世、立派に生ききろう」と思って生まれてきているのです。

その意味で、「人間として生まれ、『楽をして、楽しかった』というだけの一生を送ろうと思っているわけではないのだ」ということを知らなければいけません。

「『さまざまな苦難・困難、試練のなかをくぐりながら、自分の魂を鍛え、心を鍛えて、立派な人格をつくる』という目標を持って生まれてきて、現実に努力しているのだ」ということは忘れないでいただきたいのです。

家庭も一冊の「人生の問題集」
幸福の科学では、「人生は一冊の問題集である」と説いていますが、家庭もまた一冊の問題集であるわけです。

当会では、「人のせいや環境のせいにしてはいけない」ということを、繰り返し説いていますが、現実には、人のせいも環境のせいもあります。ただ、それもまた、「悟りを得るための、人生の試練として、それぞれの人が、あるいは環境が、存在しているのだ」ということなのです。』

大川隆法総裁の御法話「子どもたちの試練と自立について」(月刊「ヤング・ブッダ」16号に掲載)より抜粋

※本記事は機関誌「ザ・伝道」11月号(No.200)に掲載されています。機関誌は全国の幸福の科学の精舎・支部にご用意しておりますので、ぜひお気軽にお立ち寄りください。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国の「宇宙人交流基地」と「秘密核基地」を遠隔透視する。驚愕の事実が明らかに

2016-02-02 20:36:22 | 日記

中国の「秘密核基地」と「宇宙人交流基地」を遠隔透視 - すでに日本の主要都市に照準は定められていた!

中国の「秘密核基地」と「宇宙人交流基地」を遠隔透視

http://the-liberty.com/article.php?item_id=4640

 

すでに日本の主要都市に照準は定められていた!

 

 日本では「反原発デモ」や、米軍基地反対運動が盛り上がりを見せている。だが、隣の軍事大国・中国が核ミサイルの照準を日本に定めている事実を、日本のメディアは報道しない。い。

 そんな危機が差し迫る中、大川隆法・幸福の科学グループ創始者兼総裁は7月17日、グーグルアースで「中国の謎の模様」と話題になっている巨大建造物3カ所に「遠隔透視」を行った。その結果、驚くべき事実が次々と明らかになった。日本人すべてが今、この「事実」と向き合わねばならないだろう。

 

 

 

ゴビ砂漠に点在する謎の模様の正体とは?

写真2は新疆ウイグル自治区のゴビ砂漠の中にある空港のような基地。「8」の字のような模様が多数点在している。

 問題の「謎の模様」は、中国奥地の甘粛省と新疆ウイグル自治区の境のゴビ砂漠の中に点在している。


 大川隆法総裁は、超絶した霊能力によって自らの「眼」をその場に飛ばし、実況中継的に透視した映像を言葉で説明する。今回も、関係者以外が入ることを拒絶する巨大砂漠地帯に一瞬にして飛び、その様子を語った。


 まず、長方形の迷路のような模様の一画に飛ぶ(写真1)。国道ほどの幅の道路が入り組んでいるが、ここは戦車や市街戦の実践演習用の施設だと分かった。


 次に、不思議な形をした滑走路が交差している空港施設のような場所に飛ぶ(写真2)。

「私に見えているのは何かというと、巨大なマンホールみたいなものが見える」

 それは、滑走路の周りに点在する「8」の字型の正体だ。その丸の部分が二つ一組で地上にサイロのように出ていて、フタが閉まっている。大川総裁は、そのフタの中に「入っていく」。

 

 

日本の主要都市が核の標的にされている!

 真っ暗な中を真っ直ぐ100メートルほど降りた底にあったのは、驚くべきことに核弾頭を積んだミサイルだった。

 この核ミサイルサイロは、数えると約150。つまり150基の核弾頭ミサイルがこの基地には隠されているのだ。

「アメリカ向けのものが数としては多い」

 大川総裁はその透視能力によって、一つひとつのミサイルの標的まで見抜いた。

「(アメリカ)西海岸の……」「このあたりに、日本向けが入っている」「狙っているのは、一番に発射されるのは……」

 総裁の口から、核ミサイルの標的となっている世界と日本の主要都市の名前が、次々と明かされた。 

 質問者の「アメリカはこの基地について認識しているのですか」の問いに、大川総裁は「アメリカは沿海部の基地についてはつかんでいるが、こちらの基地については、明確にはつかんでいない」と明かした。

 つまり、アメリカもつかんでいない中国人民解放軍の核発射基地の「秘密」を白日の下に晒したのだ。

 中国版「エリア51」の驚愕の事実が明らかに

写真はともに甘粛省と新疆ウイグル自治区の境あたりにある不思議な「模様」。グーグルアースで見た人により、ネット上で様々な憶測を呼んでいる。

 続いて、円形の模様を描き、その中心部に飛行機が置かれている不思議な場所(写真3)に、大川総裁の透視は向けられた。


「小さい人が見える……グレイ(宇宙人の一種)のようなものが見える。地上を歩いている」

 今度は宇宙人が登場した。


「ジェット機を置いて普通の軍事施設のように見せているが、フェイントで、ここは宇宙人に関連がある」


 大川総裁の「眼」は、横穴を掘ったトンネルの内部に潜入した。複雑な通路をたどって、見えてきたのは、野球場4個分ほどもある巨大な地下格納庫。


 そこにいたのは?

 奇妙な形態の二種類の宇宙人。彼らが中国人民解放軍に軍事技術を供与しているらしい。

 ここはやはり、中国版「エリア51」だったのだ。

アメリカも中国の核基地の場所を特定できていない

 

中国軍事専門家 平松茂雄

 

 現在、中国が保有する大陸間弾道弾、つまりアメリカまで飛ばせるミサイルが多く見て100基あり、複数弾頭ならば核弾頭を300発撃ち込めます。

また射程3000~5500kmの中距離ミサイルは約200~300基あり、これらはすべて核弾頭を積めます。

 では中国の核ミサイル発射基地がどこにあるか。アメリカの情報では、中国大陸のほぼ真ん中あたりに4カ所あると推定しています。


甘粛省の天水、河南省の南陽、湖南省の邵陽、青海省の大通。あと陜西省の西安にも重要な司令所があると言われています。

 同じくアメリカ情報では、「長城工程」と言って、一カ所に長距離、中距離の複数の射程のミサイルが集まった基地があるとされますが、場所は不明です。


 今回、大川隆法総裁が遠隔透視した甘粛省と新疆ウイグルとの境は、宇宙衛星発射場のある酒泉付近でしょうが、ここでは1980年に南太平洋に向けてICBMの発射実験をしています。

今は中国の宇宙開発の中心地で、宇宙船を何度も打ち上げ、2020年までに宇宙基地を造る計画を着々と進めています。

 ただ、アメリカ情報の4つの核ミサイル基地にしても、すべては推測であって、実際のところはよく分かっていないのが実情です。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大川隆法・本日の格言「苦悩のなかに神意を見出す」

2016-02-02 20:35:52 | 日記

「人生は一冊の問題集である」という言葉で表わされるように、

それぞれの人間には、その魂にふさわしい試練が与えられます。

その試練をどのようにくぐり抜けていくかが、

その人の真価、値打ちを決めるのです。

したがって、その人にどのような苦悩が現われているかを見れば、

その人の魂修行が何であり、

何を最高の値打ちとすべきなのかが明らかになるのです。



『不動心』P.73

※幸福の科学出版
http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M275841&c=10209&d=203d

※Amazon
http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M275842&c=10209&d=203d


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

膀胱がんを克服!原因は「心の毒」だった!?

2016-02-02 20:32:43 | 日記

http://voicee.jp/201406179923

進行ガンの宣告

「こんなになるまで放っておく人、見たことないよ」

数年前、私は医師から膀胱(ぼうこう)ガンの宣告を受けました。1年ほど前から血尿のようなものが出ていたのですが、痛みもないので放っておいたのです。

それがある時、職場でトイレに行くと、ワインのような色の尿が……。さすがに青くなり、病院に駆け込んだのです。

ガンはピンポン玉大のものが一つ、ビー玉大のものが二つあり、膀胱の三分の一の表面にニキビ状のガンがびっしりできているとのことでした。

「すぐにでも入院して、膀胱全摘以外にないですね。人工膀胱になります。生活は不便になりますが……」

突然、ガンを宣告され、心の整理がつかない私を前に、医師は淡々と今後の処置について説明していきます。

(ちょっと待ってよ……。まいったな)

ガンになった原因

ガンというものは、ほとんどの場合、精神的なストレス、悩みや苦しみが原因になっています。(中略)心が病むと肉体も病んでくるのです」(『繁栄の法』より)

すでに幸福の科学の教えを学んでいた私には、ガンになった原因が、自分の心のあり方にあることは分かりました。しかし簡単に受け入れられるものではありません。

日頃の自分の姿が浮かびました。友人や知人に幸福の科学をおすすめしながら、「心を調和して生きることが、大事なんだよ」と諭している自分……。

(人には分かった風なことを言って、自分の心のコントロールはどうなんだ)

病院を出て家路につきながら、そんなことを考えていましたが、ふとびっくりしたことがありました。進行ガンの宣告を受けたのに、昔からあれほどあった「死の恐怖」がありません。

(何かおかしいぞ。信仰を持っているからといって、体裁を気にして恐怖心を隠してるんじゃ……)

家族にガン宣言

その日の夕飯後、妻と当時大学生だった息子と娘に、病気のことをわざと明るく報告しました。

「はい! 今から発表します。私はガンになりました」

と、見渡せば、顔を曇らせる妻、黙っている子供たち。

家族の前でも本心を取り繕っている自分が、なんだか滑稽でもありました。

(まずいぞ。自分の心の闇や嘘を赤裸々にしなくちゃいけないんじゃないか……)

それから間もなく、私は幸福の科学の本やCDをたくさん持って入院しました。そして、検査や人工膀胱のレクチャーを受ける合間に、病室のベッドで、真理の書を開きながら心を見つめていったのです。

心の毒の発見

心の作用でガン細胞をつくってしまったのですから、よほど心に毒を溜め込んでいったに違いありません。

当時、私は郵便局の局長を務めていたのですが、心が揺れるシーンとなると、やはり職場のことばかりが出てきます。

書類の処理が要領を得ない部下へのイライラ。何回も同じことを言わせる部下を見下すような思い。お客様へのサービス精神に欠ける部下にカッとなりそうになってしまうこと。

(なんでできない!)( バカヤロー、何度言ったら分かるんだっ)

面と向かっては言わないまでも、心の中では罵声を浴びせていました。

それは明らかに、部下を生かす思いというよりも、仏法真理で戒められている「瞋(じん)=怒り」の心です。

さらには、そういった自分の思い通りにならない出来事があると、何十分でも何時間でも、その事に不満を持って思い続ける癖があることも発見しました。それは、心の中でずっとグチを言い続けている「 癡(ち)=愚か」の心です。

私は要領もよく、人からは社交的と言われていましたが、外見からは分からない心の中は、人を責める思いや言葉が渦巻いていたのです。

心の中の謝罪

入院前、職場で病気のことを報告すると、「ゆっくりしてきてください」と、どことなくホッとしているように見えた局員たち。

(皆、こんな寛容じゃない上司の俺と仕事してつらかったのかな、本当に申し訳ないことをしてきたのかもしれない)。私は部下の一人一人に、心の中で詫びていきました。

次に私は、自分のそんな傲慢さがどこから来ているのか、人生を振り返っていきました。

私は父が会社経営をしながら議員をしている家の6男として生まれました。小学生になると子供のいない親戚に養子にいき、養父母からそれは大切に育てられました。

そして大学卒業後は、知人の紹介で郵便局に就職。29歳の時、縁あって大手航空会社の客室アテンダントだった妻と結婚し、家も新築。35歳で特定郵便局の局長に抜擢。

その郵便局は、全国有数の商工団地にあったため、毎年抜群の営業成績をあげることができ、日頃の付き合いから政財界とのパイプも太くなっていきました。まさに順風満帆の人生

多くの人に生かされて私は、知らず知らずのうちに「慢心(まんしん)」していたのです。

日頃、部下に業務の手本を見せる時も、「どうだ」とばかりに接客したり、窓口業務についたり……。私の慢心ぶりが部下の鼻につかないはずはありません。

「『自分はよくやったな』とだけ思っている人は、忘れているものが多いのではないでしょうか。確かに努力はしたかもしれない。しかし、『その努力を反映する場を与えてくださった人びとがいた』ということを忘れてはならないのです」(『人生の王道を語る』より)

幼い頃よりお世話になった人の顔を思い出していくと、限りがありませんでした。大量の人に連綿と世話になりながら、今の自分がある。そのことを思うと、長い間忘れていた心を思い出しました。 それは「謙虚さ」です。

20代の頃の、素直で初々しかった自分が、まぶしく思い出されました。

「死」の覚悟

その合間にも、他の臓器への転移を調べる検査が何度となく行われ、私は「死」を覚悟し、腹をくくりました。

兄たちが原爆や病気で亡くなっていることも影響してか、物心ついたころから「死」の恐怖を抱いていた私でした。

しかし信仰を持ってからは、あの世の実在を確信。医師からガンを宣告された時、死の恐怖がなかった自分に驚きましたが、信仰によって護られていたのだと気づいたのです。

「これまでのことはすべて、自分で蒔いた種だ。仏に全託し、たとえどんな結果になっても受け入れよう」

今の自分にできることを

幸福の科学の支部では、支部長が「病気平癒祈願(びょうきへいゆきがん)」をしてくださっていると聞きました。

同じ信仰を持つ仲間がいて、いつも私のために祈ってくださっていること。順境の時も逆境の時も見守ってくださっている仏がおられること。

(信仰とはなんと心強きものか)。病気になって初めて、そんなしみじみとした思いがこみ上げます。

「オレは今まで人から与えられてばかりで、『奪う愛』の塊だった。だからこれからの人生は無私なる愛を実践して生きていこう」

死ぬのは怖くありませんでしたが、この世の生を閉じる時、周りの人にもっと優しくしてあげればよかった、と悔いが残るのはつらいと思いました。病身であっても、今の自分にできることからやっていこう、と心に誓ったのです。

「与える愛」の実践

病室は4人部屋だったのですが、病室特有の暗い雰囲気に負けじと、自分から話しかけたり、家族に頼んでトランプや花札、知恵の輪を持ってきてもらい、患者同士で遊んだりしました。

また、高齢の方とは、一緒に風呂に入るようにして、体を支えてあげたり、下着の脱ぎ着を手伝ってあげたりしました。そのうち、別の病棟から患者さんが遊びにくるようになり、退院祝い会をやったりと、明るいサロンのような雰囲気になっていきました。

吹き出てきた「感謝」

そんな日々の中で、びっくりするようなことが起きました。

時折、腹から胸に向かって、まるで壊れた水道管から水が吹き出るように感謝が湧き上がってくるのです。

それは病院の廊下を歩いている時や食事の時など、前後の脈絡もなく突然やってきました。そして決まって、「いい人生だったなあ」という言葉が口をついて出、涙がぼろぼろと止まらないのです。

一度その場面に居合わせた妻も、「なにも明日死ぬわけじゃないんだから」と困惑するぐらいでした。

それは自分の人生も、死も、すべて受け入れることができた瞬間だったと思います。そして何かが吹っ切れた気がしました。自分の心の根っこに純粋な感謝があり、私はホッとしていました。

(迷ったらここに戻ればいい――)

「信仰」の奇跡が臨んで

そして手術が迫ったある日。医師がふとこんなことを言い出したのです。

「こんな状態の人にやったことないけど、膀胱を取らずに、悪いところを内視鏡で焼いてみますか?」

膀胱にびっしりできたガンを切除するのは至難のこととは思いましたが、私は先生にお任せすることにしました。ガンが深いため、手術中に膀胱に穴が空く恐れがあるとも言われました。

ところが実際には、手術は成功したのです。

「こんなにひどくなってるのに、ガンが表面にしかない。尿管にも広がってない」と医師も驚きを隠せない様子です。「Fさんがお持ちの信仰のお陰もあるんじゃないでしょうか……」と不思議そうな顔をしていました。

心の財産

ガン発覚から2カ月後、私は職場に復帰しました。

「分からんことがあったら、俺に遠慮せずいつでも聞きにこいよ」

入院前、あんなに皆に伝えてあったのに、聞きに来た部下は誰もいません。以前の私なら心が動揺したでしょう。しかしその時は、私が不在でも滞りなく業務をこなしていた部下たちの成長を祝福し、皆に感謝することができたのです。

手術から数年が経ち、ガンの定期検診の必要もないほどに、健康を取り戻すことができました。退職した今は、地元の会社の役員や、幸福の科学のボランティアをしながら、充実の日々を送っています。

年を重ねるほど、心は、凝り固まった「有(う)」の状態になりがちです。

人間そう簡単に変われるものではありませんが、私にとってこの数年間は、「 地獄の方向を向きがちな心の針を、天国的な方向に振り向ける」ことを常に自らに課し、実践し続けてきた歳月でありました。

まだまだ未熟ですが、習慣づけた心の操縦法は、私の心の財産です。

「新しい生命(いのち)」をいただいて

ガンを宣告された時、もし無信仰の私だったら、死の恐怖におびえながら、医学書を買いに走って、油汗を流しながら読み、何としても肉体生命を延ばす方向で悶々と苦悩したでしょう。

病気がきっかけで、自らの間違った思いに気づくことができました。教えによって、心の傾向にまで踏みこんだ反省ができ、心身の健康を取り戻せたことは、まさに「信仰の奇跡」であったと思います。

支えてくださった幸福の科学の皆さんと、新しい生命(いのち)をくださった仏に、心からの感謝を捧げ、これからの報恩の人生を歩んでまいりたいと思います。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大川隆法 「智慧の挑戦より」抜粋

2016-02-02 20:31:37 | 日記

〜幸福の科学出版『智慧の法』第6章 智慧の挑戦より〜


この世の命は有限です。

しかし、真理は絶対に死にません。

真理は不滅です。


私の説く言葉は、今から五百年たっても、千年たっても、

二千年たっても、三千年たっても、人類史のなかに、必ず遺ります。

おそらく、そのころには、エル・カンターレの写真も映像も遺ってはいないでしょう。



しかし、「ある人が東洋の小さな国に生まれて、そこから、日本の国を超え、

世界の人々に対し、福音を宣べた」という事実。

この事実だけは、絶対に、地上の歴史から消してはなりません。」


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「沖縄を他国の植民地にはさせない」 大川隆法総裁が沖縄で大講演会「真実の世界」

2016-02-02 20:27:17 | 日記

http://the-liberty.com/article.php?item_id=10855


米軍基地移設問題で揺れる沖縄で、大川隆法・幸福の科学総裁が30日、大講演会「真実の世界」を行った。

会場となった沖縄コンベンションセンターには約3000人が詰めかけ、約50分間の講演は、同グループの中継網を通じて日本全国に同時中継された。


◎「沖縄の左翼は唯物論的な左翼とは違う」

大川総裁は、沖縄の米軍基地反対の世論について、次のように語った。

「(沖縄で)左翼が強いと言われていますが、その根元をたどってみますと、日本本土の左翼と違うような気がしてなりません。沖縄の左翼は、70年前に戦死したたくさんの方々の無念の思いを受けて、反発心や不信感として出てきた左翼であって、唯物論的な左翼とは違うのではないかという気がしています」

「沖縄で20万人近く亡くなっていますから、そんなに簡単に許せることではないと思います。そうは思いますが、現在、アメリカは日本の友達になってくれています。

アメリカは世界最大の経済国家であり、軍事国家です。その国と同盟関係にあるということは、日本が守られた状態にあることを意味しています」

大川総裁はこれまで、沖縄を何度も訪れており、沖縄県名護市辺野古の基地移設予定地も視察している。講演の最後に大川総裁は、日本の神々と沖縄の関係にも触れ、「二度と沖縄を他国の植民地にはさせません!」と述べると、会場からは拍手が沸き起こった。


◎「沖縄がアジアの平和と安定を守っている」

講演に先立ち、会場では、幸福実現党の釈量子党首と、今年7月の参院選に沖縄選挙区で立候補する、同党の金城タツロー氏が対談を行った。金城氏は2009年の幸福実現党立党以来、国防強化と沖縄県内への米軍基地移設を訴えてきた。

沖縄の海のような青のスーツで登場した釈党首は、「沖縄は海も素敵ですが人が好き」「今年、沖縄に来たのは今回が3回目。尖閣諸島開拓の日(1月14日)ということで石垣と与那国に行き、国境の島の危機感を感じた。中国が台湾をけん制して撃った砲撃の音を聞いた人や、中国船に追いかけられた漁師さんの話を聞いた」など、中国の覇権拡大に警鐘を鳴らした。

それを受けて金城氏も、「中国の侵略によって、チベットでは120万人もの人が亡くなっていると言われている。

これは沖縄本島の人口が丸々なくなるくらい。中国の脅威をアジアに広めてはいけない」「私は『ウチナンチュ(沖縄人)が守っている』と言いたい。たくさんの基地を引き受けて、アジアの平和と安定を守っているのが、誇り高きウチナンチュじゃないでしょうか」と訴えた。


なお、大川総裁の講演では、他にも、以下のような論点への言及があった。

●沖縄の地元紙2紙に対する見方
●民主主義の強さと独裁のもろさ
●韓国が今もっとも恐れていること
●天皇陛下のフィリピン慰霊について
●政治家の一番重要な資質とは
●日銀が発表したマイナス金利について(※)
●沖縄と日本の神々の密接な関係

(※)「大川総裁が講演でマイナス金利導入に言及『資本主義の精神を傷つける』
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10854 )」参照

なお、この講演は、全国・全世界にある幸福の科学の支部、精舎、拠点において拝聴できる。
支部や精舎への問い合わせは、以下の連絡先まで。
・幸福の科学サービスセンター
  03-5793-1727(火〜金10〜20時、土日10〜18時)
・同グループサイトの支部・精舎アクセス
   http://map.happy-science.jp/

【関連記事】
2016年1月9日付本欄 「北朝鮮は新しいステージに踏み込んでいる」 大川隆法総裁 大講演会「『正義の法』講義」
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10744

2016年1月15日付本欄 幸福実現党・金城氏が出馬表明 参院選・沖縄選挙区で
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10765

2016年1月14日付本欄 「尖閣諸島開拓の日」式典 幸福実現党の釈党首が来賓として出席
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10761


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本人自らの手によって憲法をつくる|大川隆法の提言

2016-02-02 20:26:57 | 日記

http://ryuho-okawa.org/2013/181

憲法改正について教団の草創期から主張

北朝鮮の核ミサイルや、中国による領土侵略の脅威が現実味を帯びてきた今、憲法改正が来る参院選の争点となっています。

大川隆法総裁は、教団の草創期から、憲法改正について主張してきました。

「日本国憲法を、私はぜひとも変えたいと考えていますし、やがてもう少しこの運動が起きてきたときに、私なりの憲法草案を出してみたいと思っています。必ず出さねばならない」(1989年2月8日「『天照大神の霊言』講義」より)

憲法第九条改正案について特別提言

1997年には、「憲法第九条改正案について」と題して特別提言。

「憲法九条から見たら軍隊は持てないけど、自衛隊は軍隊ではないからいいんだ、みたいな、自衛隊法で自衛隊があるみたいな感じですね。だけど(自衛隊が)軍隊だと思ってない人なんて世界で誰もいないです。

軍隊ですよ。憲法から見たらあってはいけないものがある。必要だからです。必要なら、憲法を変えるべきです」(2008年11月22日「気概について――国家入門」より)

「占領下において外国人が来てどさくさにつくった憲法を、彼らも六十何年も守り続けるとは信じてなかった。だから日本人自らの手によって憲法を、自分たちの幸福にとって大事なものに変えていく必要があると思います」(2009年4月30日「幸福実現党宣言」より)

憲法のあるべき姿を示した「新・日本国憲法試案」

そして、2009年には「新・日本国憲法試案」を発表し、憲法のあるべき姿を示しました。

「これ見たら『憲法九条改正』じゃなくて『憲法全部改正』なんですよね。ここまでばっさり103条を16条までしてしまえる人がいることをお見せしたんです」(2009年6月21日「億千万の民を救う道」より)

大川総裁の提言が、政治家や学者、国民世論に影響を与え、現在、憲法改正の議論が活発化しているのです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

先の大戦の意義をもう一度見直そう  大川隆法

2016-02-02 20:26:34 | 日記

http://ryuho-okawa.org/2015/250

大川隆法総裁の書籍『国家の気概――日本の繁栄を守るために』より抜粋でお伝えします。

今なお残る、大東亜戦争への疑問

戦後、日本の言論界を引っ張ってきた思想は、「先の大戦は、単なる間違いであり悪であり、軍部の独走によって多くの人が犠牲になった。日本は近隣諸国に迷惑だけをかけたのである」というものです。

最近は、それとは違う意見が出てくることも多くなりましたが、こういう思想が長らく日本の言論界を占めていたのです。そのため、首相や大臣が靖国神社に公式参拝することが、なかなかできなかったのです。

そういう思想に基づいて、「では、戦った人たちは、いったい何だったのか」ということを考えると、結論としては、「結局、彼らは犬死にした」と言う以外になくなるのです。

それゆえ、戦争で亡くなった人たちには、「われわれは、天皇陛下のために、お国のために、家族や子孫を守るために戦ったのに、あの戦争は間違いだったのか。われわれは犬死にしたのか」「しかるべき人から説明を受けたい。

本当に、ただの間違いだったのか。私たちは犯罪人のようなことをしただけなのか」という疑問が、どうしても残っているわけです。

日本の神々も応援していた先の大戦

戦争というものは、戦い始めると極端まで行くものです。戦争は、それほど理性的なものではないので、歴史を見れば、行きすぎた行為いろいろなところで出てきます。

そういう行きすぎた部分は別として考えた上で、「先の大戦は、日本側の単なる犯罪行為、侵略行為であったのか。

日本は単なる悪人国家であり、軍人はみな犯罪人であったのか」と問われれば、私の考えは、基本的に「ノー」です。

霊界において、先の大戦で日本を主導していたのは、日本神道の中心の指導神たちです。彼らが応援していたのは間違いのないことです。

日本の神々が掲げた大義とは

なぜ、日本の神々は戦争を考えたのでしょうか。

第二次世界大戦の前には、アジアのほとんどの国は欧米の植民地になっていました。四年間、アメリカと戦った結果、日本は負けましたが、アジアの国々は、ほぼすべて独立できたのです。

そして、アフリカの国々も独立していきました。この部分については、やはり「解放戦争」としての面があったと言えます。

日本の神々は戦争を主導していましたが、彼らは一種の“錦の御旗”を持っていたわけです。「アジアの解放」という部分については、建前や嘘ではなく、本当にその気でいたのです。

人種差別の理論を崩した日本

日本軍が戦ったことの功罪はいろいろあると思いますが、少なくとも、「功」の一つとして、「『有色人種は差別しても構わない。

有色人種は劣性民族なので、彼らの国を植民地にしてもかまわない』という欧米の論理を崩した」ということが挙げられます。このことは、大きな功績として認められるべきです。

もう一つ大事な点は、本土決戦が回避された結果、「戦後、日本が発展するための余地が残った」ということです。勇ましく戦って亡くなられた方々のおかげで、戦後、日本はまだまだ発展することができたのです。

尊い命がたくさん失われましたが、決して無駄死にではありません。「勇ましく戦った方は英雄である」と考えてよいと私は思うのです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大川隆法「完璧な人生」より「よりよい人生」を「80%主義」の生き方を」

2016-02-02 20:26:09 | 日記

http://ryuho-okawa.org/2015/253

大川隆法総裁の書籍『大悟の法――常に仏陀と共に歩め』より抜粋でお伝えします。 

自分も、他人も、完璧な人はいない

しかし、自分自身のことをよく考えてみるならば、完全な人、完璧な人などいないことが分かるはずです。

そして、自分が完璧ではないように、他の人もまた、完全でもなければ完璧でもないのです。完全性は、自分に求めることもできないし、他人に求めることもできないものです。

ところが、完全性という、自分にも他人にも求めることのできないものを求めて、結局、不完全な生き方をしていく人が跡を絶たないのです。

「一度でも失敗があったら、もう人生は終わりだ」というような考え方は、取るべきではありません。

それは、何十年かのあいだ、みなさんを育て、護り、励ましてきた人々に対する、非常な冒瀆行為です。

人生は、そういうものではありません。

したがって、「人間は仏の子、神の子である」という考え方はもちろん大事ですが、その一方で、「人間は不完全な生き物である」ということも、ある程度、認める必要があります。

この世に生きている以上、やはり、肉体を持って生きている人間としての不完全さは残るのです。

「80%主義」の生き方を

大事なことは、完璧な人生を生きることではなく、よりよい人生を生きることなのです。そのように心に言い聞かせなければなりません。

魂的、霊的に、自分を非常に責め、毎日、夜も眠れずに苦しんでいる人がいるならば、「完璧な自分のみを求めてはいけない」と言いたいのです。

80%主義でよいから、とにかく生き抜くことです。そして、完全な人生、完璧な人生、欠点のない人生、傷のない人生ではなく、よりよい人生を選び取ることが大事です。

 

※本記事は機関誌「ザ・伝道」5月号(No.209)に掲載されています。機関誌は全国の幸福の科学の精舎支部にご用意しておりますので、ぜひお気軽にお立ち寄りください。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

詐欺容疑で朝鮮大学校元副学部長逮捕 日本の対韓工作拠点「責任者」

2016-02-02 20:09:01 | 日記

産経ニュース

 不正入手したクレジットカードで物品を購入したなどとして、警視庁公安部は2日、詐欺容疑で、朝鮮大学校経営学部元副学部長、朴在勲容疑者(49)=東京都練馬区=を逮捕した。公安部は、朴容疑者が北朝鮮の対外情報機関「225局」の指示を受け、韓国での工作活動を行う在日の拠点責任者だったとみており、活動の経緯などについて裏付けを進める。

 逮捕容疑は、架空の人物に成りすまして不正入手したクレジットカードを利用して、平成24年、パソコンの周辺機器などを購入させたなどとしている。

 捜査関係者によると、朴容疑者は12年ごろから225局の指示を受けて活動。南北統一に向けた工作活動の日本での拠点を構築していたとみられる。韓国の政界情報収集のほか、工作員を獲得して反政府運動を支援。工作員とは中国などで直接接触する一方、暗号化ファイルを使い、インターネット上で秘匿したやりとりをすることもあった。

 日本ではスパイ活動を摘発する法律がなく、出入国も容易で、通信のインフラなども充実していることから、公安部は在日朝鮮人の立場を利用して、工作を展開していたとみている。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国、資本逃避加速 121兆円大流出 人民日報は危機説打ち消しに躍起

2016-02-02 20:03:53 | 日記

夕刊フジ 

中国からの資本逃避(キャピタルフライト)が加速している。昨年の流出額は「過去最悪」の1兆ドル(約121兆円)に達し、世界最強の投資家、ジョージ・ソロス氏の「ハードランディングは不可避」との警告が現実味を増す。日銀の黒田東彦(はるひこ)総裁からは「資本規制」の実施を突きつけられるが、この「禁じ手」を導入すれば人民元の国際通貨化やアジアインフラ投資銀行(AIIB)など習近平政権の構想も破綻しかねない。

 中国からの資本流出額が昨年末に急増し、2015年全体で1兆ドルに達したと報じたのはブルームバーグ。流出額は14年の1343億ドル(約16兆2600億円)の7倍余りにふくらみ、06年からのデータ推計以降、過去最悪だという。同時に人民元に対する弱気心理も広がっており、輸出企業がドル資金を人民元に替えずに保有を続けるなど「人民銀の外貨準備に減少圧力がかかっている」とエコノミストの分析も紹介している。

 資本流出の加速は、富豪で世界的投資家のソロス氏が何度も言及してきた中国経済の危機を裏付ける結果となった。「中国経済失速の影響は08年のリーマン・ショック級」と述べているソロス氏は、世界の投資家や経済関係者が注目する世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)でも「中国経済のハードランディングは不可避で、世界的なデフレに陥る恐れがある」と警鐘を鳴らし、中国などアジア通貨の「空売り」を宣言した。

 この指摘に逆上したのが人民日報だ。中国への海外直接投資は急速に伸び、消費者物価の伸びは緩やかだとして、「中国経済は絶対にハードランディングしない」と反論、国内総生産(GDP)に対する債務比率は300%に達しているとの観測についても「根拠のない憶測で理解できない」とした。

 「中国共産党の喉と舌」と呼ばれる人民日報がここまで必死なのは、ソロス氏が米経済誌フォーブスの15年版世界長者番付で29位の242億ドル(約2兆9300億円)を持つ富豪だからというだけではない。

 ソロス氏は1992年に英国の通貨ポンドを大量に売り浴びせて巨額の利益を上げ、「イングランド銀行(中央銀行)を打ち負かした男」と呼ばれた。97年にはタイのバーツなど東南アジアの通貨を空売りし、アジア通貨危機の引き金を引いたことが市場関係者の記憶に新しい。

 今回危機を迎えた中国当局が、資本流出と、表裏一体である人民元暴落を止めることは容易ではない。人民元の買い支えるためにドルなど外貨を売ると外貨準備はますます減り、これを警戒する投資家は資本流出を一段と加速させるためだ。

中国危機が世界市場の足を引っ張るなか、個人的見解としたうえで、「資本規制が為替相場の管理に役立つ可能性がある」と提言したのが日銀の黒田総裁だ。英紙フィナンシャル・タイムズも社説で「唯一の選択肢は、(資本流出の)圧力が和らぐまで資本規制を強化することだ」と黒田総裁に同調した。曲がりなりにも自由化を進めようとしてきた中国だが、資本流出も人民元安を止めるには、海外への投資や送金を制限するしかないというわけだ。

 ブルームバーグによると、すでに中国人民銀行(中央銀行)は、香港で業務をしている中国の一部の銀行に対し、オフショア(本土外)人民元の貸し出しを停止するよう指導したという。

 ただ、これで大恥をかくことになるのが人民元が国際通貨であると事実上認定した国際通貨基金(IMF)だ。

 特別引き出し権(SDR)の構成通貨に人民元の採用を決めたのは、「自由に交換可能である通貨」であることが大前提のはずだが、資本規制されている通貨を使おうとする国が果たしてあるのかは疑わしい。

 さらには、AIIBを通じて人民元を幅広く流通させようという目論みも水泡に帰す恐れがある。

 元内閣参事官で嘉悦大教授の高橋洋一氏は、「資本の自由化や国有企業改革は中国の一党独裁体制を揺るがすものだ」と指摘しており、社会主義と資本主義を無理やり両立させようという習政権の矛盾が一気に噴き出した形だ。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北のミサイルVS「日本最強」の情報機関…もうひとつの戦い

2016-02-02 20:00:36 | 日記

デイリーNKジャパン 

北朝鮮に長距離弾道ミサイルを発射する兆候があることを受けて、日本政府は28日夜、自衛隊に対し、ミサイルを迎撃するための破壊措置命令を出した。北朝鮮は2、3週間以内にも人工衛星の打ち上げと称して発射を実施する可能性があり、日米韓などの防衛当局は耳目をこらして動向を注視している。

こうした局面で、日本の情報コミュニティーの主役となるのは防衛省情報本部だ。ジャーナリストの三城隆氏は様々なデータを挙げて、情報本部こそが「日本最強」の情報機関であると解説している。

日本の情報機関といえば、「公安」がよく知られている。小説やドラマの題材となることも多く、一般にも認知された存在だ。それに比べれば、情報本部は非常に目立たない組織だ。一般の人々に限らず、「ハム担」と呼ばれるメディアの公安担当記者であっても、情報本部とツテを持っている者はほとんどいない。なぜなら、情報本部はヒューミント(人的情報活動)を行わないためだ。

では、どうして情報本部が「日本最強」なのかと言えば、隷下に強力な電波傍受部隊を要し、北朝鮮の通信を逐一拾い上げているからだ。その能力は、単に通信内容を知るだけでなく、日本の領海に入りこんだ工作船の位置まで特定することが可能だという。

しかしそんな能力を持ちながら、自衛隊は拉致事件の多発を防げなかった。その背景には情報コミュニティー内部の錯綜した利害関係や、米軍への「配慮」があったからだと言われている。

日米同盟を防衛政策の土台としている日本においては、いかなる情報活動も、米国との関係から自由ではない。北朝鮮のミサイル問題にしてもそうだ。米国は、偵察衛星が撮影する画像を微妙に調整する「シャッターコントロール」で日本に流れるデータを操作し、「情報優位」に立って、外交政策に影響を与えていると言われる。

そうした影響を最小限に抑え、独自の「目と耳」で集めた情報で政策を立てることもまた、国家の安全保障にとって欠かせない戦いなのだ。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする