プロ野球のセ・パ両リーグ12球団が2月1日から一斉にキャンプインとなった。しかし華々しく号砲が鳴らされてから、わずか1日後。日本球界は「大物OB、逮捕」の衝撃ニュースによってメガトン級の激震が走ることになる。
西武や巨人、オリックスで活躍した元プロ野球選手・清原和博容疑者が2日、覚せい剤取締法違反(所持)容疑で逮捕されたのだ。都内の自宅マンションに覚せい剤0.1グラムを所持していた疑いで本人も「私のものに間違いありません」と容疑を認めているという。
高校時代はPL学園で1年生の時からレギュラーに名を連ね、5季連続で甲子園に出場。甲子園通算13本塁打を放ち、1年夏と3年夏に2度の優勝を飾った。
1985年秋のドラフト時は相思相愛と思われていた巨人への入団を希望しながらも夢は叶わず、代わって1位指名された西武へ入団した。
そこからはスター街道をバク進。FA権を行使して巨人へ移籍後は好不調の波に苦しみながらもファンから「番長」「だんじりファイター」などと呼ばれて熱狂的な支持を集め続たものの、2008年のシーズンで22年間の現役生活にピリオドを打った。
だがその後、転落の人生が待ち受けていようとは夢にも思わなかったであろう。
引退後は野球評論家に身を転じ、同時にタレント活動も続けていたが、知名度抜群の売れっ子で華やかな仕事ぶりとは対照的に私生活は徐々に破たんの方向へと進んでいた。
週刊誌報道によって薬物使用疑惑が何度か持ち上がり、そのたびに本人が別のメディアで全否定。だが、2014年3月に再び週刊誌上で「深刻な薬物中毒に陥り、奇行癖まで現れ始めている」とかなり突っ込んだ形で具体的に報じられると、それまでなかなかウワサの域を出なかった疑惑がグンと信憑性を増していった。
●奇跡のカムバック
世間から「信頼」の2文字が音を立てて崩れ去っていくのと同時に14年間連れ添った夫人も、ついに愛想を尽かして2人の子どもと一緒に家を出た。
2014年9月に離婚を発表。その後、同年12月ごろに水面下で一部メディアの間では「清原氏が薬物疑惑で逮捕秒読み」との情報が流れるが、結局その時は「秒読み」のままで終わることになった。
とはいえ、これら一連のマイナスイメージがあっという間に業界全体に浸透したことで、清原は一時メディア露出が激減することになる。
だが清原はタニマチの根回しもあって有力な某芸能事務所からバックアップを受け、昨年4月3日放送の『中居正広の金曜日のスマたちへ』(TBS系)に出演。悲惨な近況や「自殺を考えた」ことまで明かして大きな話題を呼び、番組が好視聴率を獲ったことで再浮上のきっかけをつかみかけた。
再びメディアから出演や取材依頼が増え、奇跡のカムバックへの道筋がハッキリと見えていたところでの今回の「逮捕」だったのである。
清原に近い関係者は絶対匿名を条件にし、次のように怒りの言葉を「容疑者」となった当人に向けた。
「裏切られた気持ちでいっぱい。キヨ(清原)……いや彼は私を含めた周囲につい最近まで『命に代えても絶対にそんなもの(覚せい剤)はやっていない』と言い切っていたんですよ。
その言葉を信じて私たちも何か手助けできればと思っていた矢先に、このようなことになってしまった」
●とても臆病で弱い人間
このように語った前出の関係者は電話口の向こうで明らかに涙声だった。やや震えるような声になりながら「今となっては、もう遅い反省なのかもしれませんが」と言いながら、こうも続けた。
「彼の本当の性格は、とても臆病で弱い人間なんです。子どものころから、ずっと臆病だから『ちょっとでも手を抜いて休むと野球が下手になって、他人に抜かれてしまう』という思いが消えなかった。だから臆病な自分を打ち消す為に常に努力を怠らず、人一倍のトレーニングを積んで野球のうまい人間になっていった。
彼は努力によって『臆病』をいつしか『自信』に変えていったんです。
プロに入ってからも、それはしばらく変わらなかった。でも人気球団の巨人へ入って以降の彼には、だんだんと『慢心』が生まれていった。そこで“自分は人気者でファンも多いんだ”というような錯覚を覚えてしまったのでしょう。
巨人時代の2004年のシーズン中には両耳にダイヤモンドのピアスをつけたり『全身にタトゥーを入れたい』とおかしなことを言い始めていたこともありましたしね……。
私は彼が転落の一途をたどる発端となったのは、巨人でプレーした時代に勘違いしてしまったことだったのだと思います。あの時にもう少し強く『このままじゃダメになるぞ』と進言していれば良かったのかもしれません」
どちからかというとこれまで「コワモテ」のイメージが強かった同容疑者が「実は臆病だった」という指摘はかなり意外な感もある。しかしながら、結局その臆病な性格を捨て切れず逃避したくなったからこそ禁断の薬物に手を染めてしまったのかもしれない。
「私もそう思います。彼はストイックになってがんばっていた時期は本当に輝いていた。それがなくなってラクをしようという思いが強まったところに、昔の臆病な自分が蘇ってきた。
クスリに手を出したのはどうしようもなく弱いからですよ。
これまで彼のことを信頼し、応援しようと思っていた人たちは世間に数え切れないほどいる。彼の支援者や彼が携わっていた球界の方々、そして何よりもファンの方々……。清原和博の犯した裏切りの代償は、とてつもなく大きい」(前出の関係者)
●思い出したくない“黒歴史”
どれだけの超人気者であろうとも、たった一度の過ちで転落してしまうのが薬物の恐ろしさでもある。
2016年2月2日、かつて現役時代に2000本安打を達成して名球会入りまで果たし「スーパースター」と呼ばれた清原和博は「容疑者」となった。この日は今後間違いなく日本球界にとっても、プロ野球ファンにとっても思い出したくない“黒歴史”となってしまうだろう。