日本では神も仏もいない。死んだら終わりと言う人が大半ですが、真実を伝えます。

日本は神も仏もいない。死んだら終わりと言う人が大半ですが、真実を伝えます。

テレビの反日、左翼、偏向報道は詩織さんを自殺に追い込んだ、韓国企業の電通が原因。日本のメディアが電通に支配されている。解体すべきだ。

2019-08-18 10:19:56 | 日記

http://webt3skytl.blogspot.com/  より転載


なぜ、電通はマスコミの支配者なのか?

電通に葬られた日本外国特派員協会会長 
カレル・ヴァン・ウォルフレンの言葉 

電 通は、日本の全テレビ・コマーシャルの三分の一の直接責任者であり、ゴールデンタイムのスポンサーの割り振りに関して実質的に独占的決定権を持つ。午後七時~十一時の時間帯の番組にコマーシャルを出したい広告主は、電通を通すしかない。スポンサーの選定と放送番組の内容の大部分を電通が握ってるからだ。 

このような状況下では、電通に気をかけて扱ってもらえることが一種の特権となり、立場が逆転して広告主が電通の指示に従うことになる。その結果電通の影響力は日本のテレビ文化の内容まで左右し、世界中どこにも類例が見られないほど、強力なマスメディアを通しての社会統制力になっている。 

新しい雑誌は、電通が一人前の広告媒体として認めるまでテスト期間を設けられ、その間は無料で広告を掲載するよう言われる。もし電通の要請に応じなければ、逆に足を引っ張られ広告主が落ちてしまう。それほどの力が電通にはある。 

また逆に電通は自社の子会社のみならず大手新聞社、全国・地方テレビ局、その他マスメディア関連会社に社長やトップクラスの役員として人材を供給する。

多数の子会社や下請け会社を通じて行使する統制力については、いうまでもないだろう。約120の映像プロダクション、400以上のグラフィックアートスタジオがその傘下にある。

他の国では広告代理店は仲介業者である。日本では広告主がどのような広告をどこに出すべきかまで電通が決めることが多い。

商業テレビが主要産業になってるもう一つの国、アメリカでは、番組がどのていど商業的に成功しているかを評価するのは、独立した視聴率調査会社である。日本ではこの機関も電通の手に握られているのである。


電通は企業の不祥事を世に知らせたりその後でもみ消したりする手が使えるので、大企業を脅かすことができる立場にある。

また、電通は仕事の上で知った不正行為を当局に通告するという噂があるので、企業は代理店を変えることもできない。 

一九三六年から四五年まで独占的な政治の宣伝機関だった同盟通信社と一体だったこと、また、どちらも戦時中の同盟通信社の末裔である共同通信社と時事通信社 という日本の二大通信社と、非常に緊密な関係があることにも起因する。

このつながりは株式の相互持合いによって強化されている。共同が扱うニュースについては、つねに電通に情報が入る。 


メディアを通じて日本を支配する電通の闇

◆国民の多くは電通の存在を知らない◆ 

広告を打たなければ死活問題である企業が、限られたCM枠を独占支配する電通に対して屈従・隷従せざるをえない構造は知られていない。

戦後の日本でなぜ、左 翼・反日系の番組に、大企業が嫌々ながらに資金提供をさせられてきたのか?だれもがまず感じるであろう疑問の答えは、じつはこの構造にあった。 
◆電通は単体では、現存する世界最大の広告会社である◆ 

電通はグループ・系列でも、広告代理店としては世界第五位にランクされている(これは多国籍広告グループが現在世界の主流となっているため、実質的には世界最大

日本での業界シェアは25パーセント。これはスーパーの折込チラシまでを含めた数字なので圧倒的なシェアある。他の大手広告代理店もおおむね電通に追従的である。

設立にあたって、電通に指示を仰いだ大手広告会社も存在する。広告業協会の会長・理事長は電通トップが歴任する事が慣例化している。 

電 通のもう一つの側面としては、兄弟会社の共同通信や時事通信とともに、新聞や雑誌も支配・統括することがあげられる。

かつて同じ会社であり、分割された後の現在も、株の持ち合い等で事実上の連携をとっている共同通信・時事通信とともに、わが国日本のテレビ・新聞・雑誌から映画・音楽まで大衆文化全般を支配する「情報の中央銀行」 としての顔を持っているのである。


◆【現在進行中】電通・マスメディアによる日本人の男女を離間させる謀略・移民による日本民族の衰退計画 

*日本人の男女を不仲にさせ、分断させる活動 ・男叩き、女叩きを意識的に煽り、日本人の男女で対立させる方向に仕向ける 

日本人の異性に興味を持たせない 
日本人同士で恋愛させない 
日本人同士で結婚させない 
日本人の男女間で子供を生ませない 
日本人同士で結婚していたら離婚させる方向に仕向ける(免罪DV、熟年離婚) 

*平行して純粋な日本人以外との恋愛を炊きつける動き 

在日韓国人、韓国人と日本人のカップル推奨 
日本人っぽく見えるアジア系ハーフと日本人カップルの推奨 
上記以外の外国人と日本人のカップル推奨

================================================

http://whisper-voice.tracisum.com/?eid=74  より転載

【電通のやり方】

①日本人の精神を腐敗・堕落させ愚民化させろ。
②日本人の女を集中的に狙い洗脳しろ。
③韓国人、在日同胞への批判をしてはいけない雰囲気を作れ。
④ネトウヨ、ヘイトスピーチ、レイシスト等の言葉を浸透させ、同胞への批判を封じろ。
ろ。

⑤「韓国人は悪くない!悪いのは韓国政府だ!」と誘導しろ。

⑥「反日の韓国人はごく一部だ!ほとんどの韓国人は親日だ!」と誘導しろ。
⑦ゲイタレントやハーフタレントに「幼少期、日本人から差別を受けた!」と強調させろ。
⑧韓国人識者やゲイタレントに政治的意見を言わせ、御意見番化させろ。
⑨「同性婚・LGBTを全面肯定しない者は差別主義者だ!」という雰囲気を作れ。
⑩海外セレブやハーフモデルをもてはやし、「日本人は劣等人種だ!」と植えつけろ。
⑪「未だにガラケーの奴は笑い者」という雰囲気を作れ。

⑫「LINEに入らない奴は仲間外れ」という雰囲気を作れ。

⑬「日本人の男VS日本人の女」の対立を煽り、分断しろ。
⑭日本人の男が、女から虐げられるCMを大量に作れ。
⑮日本人同士で恋愛・結婚させない、子供を生ませないよう誘導しろ。
⑯日本人同士で結婚していたら離婚させる方向に仕向けろ。
⑰女が活躍するドラマばかり作れ。男は無能な役、笑われ役にしろ。
⑱電通が力を入れるドラマには必ず韓流スターを出演させろ。
⑲イケメンブームを定着化させ、「男は外見が全てだ!」と洗脳しろ。

(2018.8.25)
出回ってる【電通のやり方】、これは内部からリークされた事実だと思いますよ。紙でたとえ配られてなくとも、実際に幹部がこのようなことを言ってたのは間違いないのでは。

またマスコミに限らず、ネットも電通に支配されてます。

LINEは韓国管理の下で電通の強力な支援、マスコミによるゴリ押しで普及しました。

今の中高生はLINEがないと生きてゆけない者ばかり。

すでに大人になってる者も多いし、成人してもその依存は続くでしょう。

ユーザーの携帯・スマホのアドレス帳にある家族・知人など貴重な個人情報が韓国サーバにまる漏れの諜報システム、醜悪デザインのスタンプやアイコン。

子供たちの脳ミソを腐らせる低俗なゲームなどを友達に紹介しまくることでもらえるお金やポイント付加サービス。

感受性の強い、大事な時期にろくでもないものばかり吸収することで子供たちの感性が破壊され、その矯正は生涯、困難になります。品の悪いセンス、デザインものに気づけないバカなお母さん、大人ばかりにこれからなっていきます。

 =================================================

http://webt3skytl.blogspot.com/  より転載


ついに白日の下に晒された日本のマスコミの支配者 電通の正体


マスコミの情報操作・偏向報道 
日本の大手広告代理店 電通の成田豊 最高顧問に韓国政府から勲章が贈られる 中央日報


日本最大の広告代理店、電通の成田豊最高顧問(元社長)(79)が韓国政府から修交勲章光化章を贈られた。30年にわたる韓日文化交流事業を積極的に後援した功労だ。 権哲賢(クォン・チョルヒョン)駐日大使が24日に駐日韓国大使館に成田顧問を招いて勲章を授与した。修交勲章光化章は国権伸長や友邦との親善など国益増進に寄与した人に授与されるもので、外国人に贈られる最高等級の勲章だ。 

勲章を授与された成田顧問は、「韓国の国歌であるムクゲの花言葉は尊敬だと聞いた。互いに尊敬する心を忘れないことこそ未来の両国民を強く結びつける基本だと確信する」と感想を述べた。また「韓国は私が生まれ青少年時代を送ったところで、一度も忘れたことはない」と話した。 

1929年に忠清南道天安(チュンチョンナムド・チョナン)で生まれ、中学3年を終えるまで韓国で少年期を送った成田顧問は、鉄道業に従事する父親とともにソウルをはじめ各地で生活した。「いまでも夏には北漢山(プッカンサン) に登り、冬には漢江(ハンガン)でスケートをしたことをはっきりと覚えている」と振り返った。 

成田顧問は88年のソウルオリンピックと 93年の大田万博開催当時に協賛企業募集に寄与したほか、韓国が遅れて招致に乗り出した2002年のサッカー・ワールドカップと関連しても両国の友好増進に向け韓日共同開催を主導した。

2005年からはソウルで毎年韓日サッカー大会を開催するなど多彩な韓日文化交流事業も主導してきた。昨年9月にソウルで 開かれた韓日交流おまつりでは日本側実行委員長を務め行事を成功裏に進める実践力も誇示した。 

成田顧問は本業の広告分野でも韓日協力を 主導した。97年に国内の広告会社のフェニックスコミュニケーションズと共同で韓日フォーラムを開催し、国内広告業界・メディアとの連係を図った。

2006年には韓日など8カ国・地域で構成されたアジア広告業協会を設立し初代会長に就任した。2007年の第4回アジア広告業協会総会の済州島(チェ ジュド)での開催も成田顧問が主導した。金浦(キムポ)空港と羽田空港を結ぶシャトル便の就航も成田顧問の寄与が大きく作用した。 

勲章授与式後に権大使が開催したレセプションには森喜朗もと首相ら日本の著名人が多く出席した。 


韓流ブームの仕掛人は電通  『WILL 2005年12月号』 水島総 

昨年韓流ドラマ番組が、NHKから民放キー局全てにわたって一斉に横並びで放送され始めた。この状況は明らかに、一昨年以上前から計画され、昨年の秋にピークを迎えるように、仕組まれ、実行されたものと断言してよいと思う。


また、普通、各テレビ局は番組の視聴率を争うわけであるから、全く同種類の韓国のテレビ番組を一斉に横並び放映するなど、考えられない。

この「異常事態」は、直接的には、テレビ局全てに影響力を持つ大手広告代理店「電通」によって仕掛けられたものだろうが、誰かが、 または何らかの集団が、意図的、計画的に、電通にこのプランを依頼したはずなのである。

特定は出来ないが、韓流ブーム最盛期の頃、つまり昨年秋から年末頃だろうが、国会に提出されようとした法案が「在日外国人地方参政権」法案と、「人権擁護法案」であった。

無論、私の立場はこれらの法案に反対である。だからこそ、この法案を成立させるため、日本国民の間に、法案を受け入れる環境作りを狙った計画が、極めて戦略的に、巧妙な計画性をもって実行されているという事実、これを見逃してはならないと思う。


日本メディア統制本部


=====================================--======

https://blog.goo.ne.jp/aboboa/e/f2d004d780d69cbba9036b0604a580b6  より転載

【速報!】 メディアを牛耳る電通のドン 成田豊 死去 

2011年11月21日 20時28分55秒 | マスコミ

日本のマスコミを牛耳り朝鮮漬けにした、巨悪反日 成田豊、肺炎で逝く。


今朝ほど、飛び込んだ朗報。
広告代理店「電通」の会長で、その立場を最大限利用し日本のマスコミを牛耳り
生まれ故郷韓国の為に、良いように朝鮮化した、超S級の反日工作員、成田豊が死んだ模様。
まかりにも人の死なので、とりあえずお悔やみ申し上げます。

<電通元社長、成田豊氏が死去 日韓W杯共催を後押し>
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/111121/biz11112109460003-n1.htm

2011.11.21 09:43 [メディア]

広告代理店最大手の電通元社長で、日本広告業協会会長などを務めた成田豊(なりた・ゆたか)氏が20日、肺炎のため死去したことが21日分かった。82歳。葬儀・告別式は近親者で行う。喪主は長男、哲(あきら)氏。

日本統治下の朝鮮半島で生まれ、昭和28年に電通入社。

新聞雑誌局長、営業局長などを経て、平成5年に社長に就任した。

13年の東証1部への株式上場や14年の東京・汐留への本社移転などで手腕を発揮したほか、同年の会長就任後も、電通の海外との連携を指揮した。

16年には、同社最高顧問に就任。17年に社団法人・日本広告業協会の会長も歴任し、名実共に日本広告界のトップとして活躍した。

韓国で生まれ、日本と韓国の友好にも力を注いだ。2002年のサッカーワールドカップ日韓大会では、共同開催を後押しした。21年には、韓国政府から修交勲章光化章、日本政府からは旭日大綬章を受章した
====================

 

このブログでも幾度となく出てきた男、成田豊。
この男により、日本のマスコミはどんどんおかしくされました。
ご承知の通り、いまのマスコミの異常な朝鮮上げの反日
韓流ブームのゴリ押し捏造、朝鮮人犯罪、韓国イメージダウン情報の隠避、等々
まさに、日本のマスコミを韓国朝鮮の為の機関としてしまった男です。

ニュース記事にもあるように、
日本の単独開催のはずだった2002年ワールドカップを韓国の我儘で無理やり共催にした男でもあり、
そういった韓国の為に尽くした功績が評価され、韓国政府から修交勲章光化章を授与されている男である。

「韓日の架け橋30年」である。

まさに人生掛けて日本を韓国に売ってきた男だ。
上の記事からも、朝鮮への愛がヒシヒシと感じられることでしょう。


メディア権力を私物化し韓国の為に利用。
日本単独開催だった2002ワールドカップを横取りし韓国に分け与え、大会を汚し、
韓国で最高等級の勲章をもらい、韓国メディアに絶賛される男が日本のマスコミを牛耳っていた訳だ。
そりゃ朝鮮漬けにもなるわな。

そして韓国にとっちゃこんな使える人物もないわけだ。
=================。===========================

https://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi/entry-12303722674.html  より転載

 電通は朝鮮人に乗っ取られている! 

2017-08-23 00:00:00

 電通の初代社長は光永星郎という立派な日本人です。責任感があり軍隊も志願して入れなかったのですが、愛国者です。

 日本が行っているよいことを世界に発信しないと誤解を招きます。いくら発信しても、ロイターやAPがありますが、日本のことはニュースにしません。すると日本の悪いところだけを外国人が勝手に報道して、日本を貶めるようなことをしているのです。

 日清戦争の時には従軍記者として中国に向かいますが、通信手段の不備が原因でせっかく書いた記事の掲載が大幅に遅れた経験から、通信会社の設立を構想したのです。同時に広告代理店を設立し、新聞社から得る通信料と新聞社に支払う広告料を相殺することを思いついたのです。

 映画や宣伝は金を払ってつくると売らなければいけません。テレビ局に買わせれば儲かります。電気通信でも儲かります。電通は大きな会社になっていったのです。

これをGHQが利用したのです。電通を使ってウォーギルトインフォメーションプログラムWar Guilt Information Program、略称:WGIPを日本人に押し付けるために、電通という組織は残ったのです。その段階でGHQに取り込まれていたのです。

 成田豊が第九代の社長になります。この成田は曲者で韓国生まれです。京城中学校3年まで行っています。それから海軍兵学校に志願します。海軍兵学校予科というものがあり、そこに入って1年くらい在籍します。

 そこで終戦になって京城中学に帰って卒業したという男です。朝鮮人かどうかはわかりません。本人は「韓国人ではない。日本人だ」と言っていますが、韓国臭がプンプンする男です。

 日本に来てから東大に入り野球部で活躍するのですが、この成田という男は、朝鮮びいきです。

2005年に日韓文化交流会ができます。「日本と韓国は仲良くしなければいけない。

いがみ合う時代ではありません。本当に仲良くしましょう」と成田が言うのです。

この段階で朝鮮人脈をバサッと電通に入れた可能性があるのです。それで、大量の韓国人が入ってきて、電通を乗っ取ろうと考えたのです。

 電通を乗っ取ればNHKも乗っ取れます。NHKは電通を通して芸能関係の仕事をたくさんやっていたのです。その中でスキャンダルを起こされたのです。NHKは電通に引きずり込まれたのです。

 愛国者だった会長の海老沢さんが巻き込まれて、辞めさせられたのです。「これが朝鮮人の罠であったのだろう」と言われています。電通の成田は「海老沢さんさえ辞めてしまえば、あとはこっちのものだ」と考えて、後は韓流ドラマをNHKにバンバン入れたのです。

 海老沢さんは韓国ドラマなどやらなかったのです。NHKは日本人を守るためのものである。民放は金儲けのためにやればいい。NHKはこの体制を崩さない」とやってきた人です。

電通の成田は「邪魔だから、あれを引き摺り下ろせ」と芸能関係の罠をつくって海老沢さんは、はめられて辞めることになったというのです。

 日本にいる在日朝鮮人は、本国は嫌いです。日本にいる在日朝鮮人は韓国を「俺の国だ」と思っていません。

在日朝鮮人は「日本国を乗っ取った朝鮮人である」という自覚です。「日本の企業は俺たちのもの」と思っていますが、「韓国のもの」だとは思っていません。

 第三の人種が発生したという考え方です。韓国にいる朝鮮人、日本にいる在日朝鮮人です。在日朝鮮人は日本人でもなければ、韓国人でもありません。

すると元プロ野球選手の張本が「私の故郷は日本海だ」と言ったように新しい人種として振る舞っているのです。それに気が付かなければいけません。

 民族のもっている性質がどんどん日本社会に食い込んできて、日本人を退けて自然に乗っ取りをやっているのです。計画的にやっているわけではありません。

気が付くと朝鮮人だらけになっていたのです。そこにできあがったものは日本を離れてしまっているので、日本の文化とは違います。

 NHKは視聴料を無理矢理取ったり、インチキ韓流ドラマを流したりしているのです。

NHKは死んだのです。それだけ多くの朝鮮人が要所に入り込んでしまったのです。政治部長・社会部長・報道局長、そのようなところに朝鮮人が入ってしまったのです。

 くだらない番組を流して、金だけで物を考えるようにしていますNHKは金で考えてはいけない放送局です。そのために視聴料を取っているのです。それを今度はインターネットから視聴料を取ろうなど、とんでもない奴らです。

 そのようなことを企んでやろうとしているのです。日本における鮮害(せんがい)は3つあり、お互いに影響しています。まず、金がないと朝鮮人はのさばれません。金を残す手段を朝鮮人はつかんだのです。

これはパチンコです。30兆から40兆円ある、国家予算の半分くらいある売上に税金がかけられないのです。

 それは誰がやったのかというと、やはり政治家が関与しているのです。政治家が関与しなければこんなことは絶対にできません。朝鮮人が政治家を取り組むために、ワイロを使ったのです。

 1、パチンコで作ったお金を政治家に献金して、政治家に守ってもらいパチンコ業界をどんどん大きくしていったのです。これは政治家が動かないとできません。

 2、今度はそのお金をマスコミに使い電通を抑えたのです。電通を抑えればNHKを抑えられます電通・NHKをコントロールできるように手を伸ばしたのです。あとのマスコミはどうにでもなるのです。

 3、マスコミでつかんだ人脈で政治家に睨みをきかしたのです。「お前、変なことをやると叩くぞ!」という構図です政界、マスコミ、パチンコ業界がもちつもたれつです。これが在日朝鮮人が日本に食い込んでくるための手段です。

=============================================

http://tetsu-log.com/006-nhk.html より転載

1.NHKを鋭く批判する元NHK職員 立花孝志氏

 

立花孝志氏

立花孝志氏

立花孝志氏をご存じだろうか。私はYouTubeで偶然iに出会った人である。元NHKの職員で少し特徴のある人だが、言うことに自らの体験と熱意を感じ、気にしてみるようになった。元NHKの職員で経理を務め、かなり活躍されていたようである。ご存じの人もいると思うが、NHKの海老沢会長時代に海老沢会長にもかわいがられていたようで、まさにNHKの中枢にいた人と思われる。

その立花孝志氏が、今「NHKに受信料を払ってはいけない」という運動をしている。もう少し説明すると、立花氏はNHKの腐敗ぶりを週刊文春に内部告発し、それが元でNHKを追われる事となった。立花氏は正義感からうつ病にまでなり、離婚を経てでも内部告発した人である。それでもNHKを追われる形で外に出て、その後YouTubeを中心に活動を進め、今はその運動を確かな物にすべく、政党を作り活動の幅を広げている。

元パチプロ、といった面白い経歴もあり特徴のある人だが、言っていることは是非聞いてほしい内容である。NHKというメディアの中心地が如何に腐敗し、ひどい状態か、情熱を持って発信してくれている。なお、YouTubeの立花氏のチャンネルは2018年6月に一度消されている。それくらいの内容ではあるので、是非、早めに見ておくことをお勧めしたい。


 

語られない「電通」という企業の影響力とNHKの反日報道の原因

 

「電通」とNHKの関係を赤裸々に伝えているものである。「NHKの反日報道」について、電通を通じた影響を含めた立花氏の見解が聞ける。

 

海老沢勝二 元NHK会長

海老沢勝二 元NHK会長

 

内容は電通だけではない。海老沢会長がどうして「不祥事」の引責として辞任したか、そこには電通との関係があることを、立花氏は指摘している。なぜNHKが反日報道をしているのか、そこに電通の支配がありそれがいつ始まったのか、実名を挙げて指摘している。また、電通という企業がどういうものか、立花氏の経験に基づく見解が述べられている。

 

海老沢会長は、ニュースで顔を見た覚えはあるが、これほどの存在の人というイメージはなかった。テレビで見るものが如何に少ないのか、それでは何もわかっていない、と痛感した。動画は46分と少々長いが、是非、見てほしい。


NHKが反日放送している理由は【電通】に乗っ取られているから

アマゾンのプライム会員であれば、次の二冊は無料でKindle版をダウンロードできます。すぐに読めます。反日とまでは書いていませんが、電通の実態がよく分かります。 「電通 洗脳広告代理店」 「電通巨大利権: 東京五輪で搾取される国民」


アジア解放のために戦った日本。日本の誇りを取り戻せ!

2019-08-18 10:19:37 | 日記

http://hrp-newsfile.jp/2019/3681/

幸福実現党 広報本部スタッフ 佐々木勝浩

◆日本の誇りを取り戻せ!

8月15日、74回目の終戦の日を迎えました。

今日、私たちの時代の平和と繁栄は、先人たちの尊い偉業の上に築かれたものです。

あらためて「大東亜戦争」で亡くなられた、すべての御霊に対し、哀悼の意を捧げます。

「大東亜戦争」という呼び名は、「西欧の植民地からアジアを解放する戦い」であったのです。

米占領軍が、戦後、「大東亜戦争」という言葉を使うことを禁じた理由は、「西欧の植民地からアジアを解放する戦い」であったことを忘れさせるためでした。

そして、再び日本が強くならないように、日本の誇りを失わせるために、「日本は大東亜戦争で悪いことをやった」という宣伝をマスコミや日教組を使って行いました。

今では日本人自らが「自虐史観」を宣伝するようになっています。

また中国や韓国は、いわゆる「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」など、日本がやってもいないことをあたかも本当にあったかのように言っています。

それは、自分の政権に批判が及ばないようウソの歴史を作り上げて「反日」を国是に似なければ国が持たないからです。

しかし大東亜戦争の真実は、日本の正当な自衛権の行使としてなされたものであり、また欧米列強による植民地支配からアジアの同胞を救い、人種差別を打ち砕く正義のための戦いであったのです。

日本が西欧と戦った結果、東南アジアの諸国は独立を果たすことができ、東南アジアの諸国は今でも日本に感謝しています。

8月15日前後はマスコミが、アジアで日本がいかに悪い国であったのかを報道しています。

アジアの国は中国と韓国だけではありません。他のアジアの国はどのように日本を評価しているのでしょうか。

以下に、東南アジアの国が、どんな感想を持っていたのかを紹介します。ぜひ、コピーして特に子供達へ伝えていただきたいと思います。

これを読んで、「立派に生きた先人に恥じない生き方をしたい!」と思ってもらえたら、現在の学校で生きている「いじめ」がいかにつまらないことかがわかるはずです。

◆学校では教えてくれない「日本の誇り」――70年数前、日本人はアジアを救うために戦った

【ビルマ】(現在のミャンマー)

ビルマには、イギリスに滅ぼされた王朝最後の王子が残した伝承がありました。

「いつか白馬にまたがった雷帝が東方からやってきて、ビルマを救出し解放する。雷帝の稲妻の進撃は英国軍を追放する(参考図書『雷帝、東方より来る』)」というものです。

日本は、後の首相オンサン、大統領ネウィンを始め、多くの志士を軍事訓練し独立義勇軍を結成して英国軍と戦いました。

英国軍の一個大隊は戦わずして潰走、英駐留部隊も2日で陣地を放棄するなど、首都ラングーンを陥落させ後に、義勇軍は独立政府を樹立、ビルマはイギリスから解放されたのです。

第15軍司令官・飯田中将はビルマの民衆に向かってラジオから次のような布告を発しました。

「親愛なるビルマ1500万の民衆に告ぐ!日本軍のビルマ進撃の目的は、最近百年間の搾取と圧政を事とせる英国勢力を一掃し、ビルマ民衆を解放して、その宿望たる独立を支援し、もって東亜永遠の安定確保と世界平和に寄与せんとするに外ならぬ。しかして勇敢なるビルマ独立義勇軍兵士よ、今こそは祖国の独立と栄光のために決起すべき秋(とき)なるぞ。必勝不敗の大日本帝国軍は諸士とともに進軍す。進め必勝の信念の下に!」

●バー・モウ元首相(自伝『ビルマの夜明け』)

「歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱させることに貢献した国はない。しかし真実のビルマの独立宣言は1948年の1月4日ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、真のビルマ解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、東条大将と大日本帝国政府であった。」

●ウー・ヌー元外相 (1943年8月1日独立時の演説)

「歴史は、高い理想主義と、目的の高潔さに動かされたある国が、抑圧された民衆の解放と福祉のためにのみ生命と財産を犠牲にした例をひとつくらい見るべきだ。そして日本は人類の歴史上、初めてこの歴史的役割を果たすべく運命づけられているかに見える。」

【インド】

「藤原機関」は、「英国からのインド独立運動の支援」を任務としていた。同機関の国塚少尉は、「至誠、仁愛、情熱」をもってインド兵に接しました。日本軍はインド兵を殺さないという噂が広まると、英国軍に所属していたインド兵が次々に投降してきたのです。

国塚少尉の「至誠」に心を開いたモン・シン大尉は、インド独立のために立ち上がる決意を固め、インド国民軍は日本軍と同盟関係を結んだのです。インド国民軍は、英印軍のインド将兵を自軍に引き入れることでインド国民軍は日を追って増えていきました。

「英軍降伏」の報がもたらされ、国塚少尉とモン・シン大尉が外に飛び出すと、いっせいに万歳の声があがりました。その後のマレー・シンガポール攻略戦は、1200キロの距離を72日で快進撃し、兵力3倍の英軍を降伏させて、10万余を捕虜とした名作戦として世界から賞賛されています。

●グラバイ・デサイ弁護士会会長・法学博士(1946年 デリーの軍事裁判に参考人として召還された藤原岩市機関長に対する挨拶)

「インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のお陰で30年早まった。」

●P・N・レイキ最高裁弁護士(靖国神社への書簡より)

 「太陽の光がこの地上を照らすかぎり、月の光がこの大地を潤すかぎり、夜空に星が輝くかぎり、インド国民は日本国民への恩を決して忘れない。」

【インドネシア】

オランダの植民地で大東亜戦争が始まると僅か9日間でオランダ軍を排斥した日本軍は、軍事訓練を指導して4万名のインドネシア人将校を養成。敗戦後も日本に帰らず残留して、インドネシアの独立を支援し共にオランダ軍と戦いました。

●サンパス元将軍 復員軍人省長官(1957年来日の際の発言)

「特にインドネシアが感謝することは、戦争が終わってから日本軍人約1000人が帰国せずインドネシア国軍と共にオランダと戦い、独立に貢献してくれたことです。日本の戦死者は、国軍墓地に祀り、功績を讃えて殊勲賞を贈っているが、それだけですむものではありません。」

【マレーシア】

イギリス植民地時代、マハティール首相は、「イギリスの植民地時代には民主主義など存在しなかった。専制的で権威主義的な支配であった」と述べ、マレイ大学副学長ウンクアジズ氏は「日本軍の大東亜戦争があったため、マレーシアの独立は50年早まった」と述べています。

●ラジャー・ダト・ノンチェック元上院議員(1988年クアラルンプール邸にて土生良樹氏への言葉)

「私たちアジアの多くの国は、日本があの大東亜戦争を戦ってくれたから独立できたのです。日本軍は、永い間アジア各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い、とても白人には勝てないとあきらめていたアジアの民族に、驚異の感動と自信とを与えてくれました。永い間眠っていた『自分たちの祖国を自分たちの国にしよう』というこころを目醒めさせてくれたのです。」

「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げてゆく英軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。しかも、マレーシアを占領した日本軍は、日本の植民地としないで、将来のそれぞれの国の独立と発展のために、それぞれの民族の国語を普及させ、青少年の教育をおこなってくれたのです。」

●ガザリー・シャフィー元外務大臣(1988/7/19 於・赤坂プリンスホテル)※日本政治家の「大戦において貴国に対しご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」との挨拶に対して。

「日本はどんな悪いことをしたというのか?マレー半島で南下したときの日本軍は凄かった。わずか3ヶ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。あの時は神の軍隊がやってきたと思っていた。日本は敗れたが、英軍は再び取り返すことができずマレーシアは独立したのだ。」

【タイ】

タイは緩衝地帯として植民地化されませんでしたが、マレーシア、ラオスとの国境付近はイギリス、フランスに侵略され領土を奪われました。

ビブン首相は、「日タイ同盟条約」を締結して連合国に宣戦を布告。蒋介石に「同じアジア人として日本と和を結び、米英の帝国主義的植民地政策を駆逐すべきである」と勧告しています。

●ククリット・プラモード元首相(タイの新聞『サイアム・ラット紙』)

「日本のおかげでアジア諸国は全て独立した。日本というお母さんは、難産して母体を損ないましたが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が、米英と対等に話ができるのは、一体誰のおかげであるのか、それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったからである。」

【参考】『雷帝.東方より来る』(田中正明著)『世界が語る大東亜戦争と東京裁判』(吉本貞昭著)『世界から見た大東亜戦争』(名越二荒之助編)等


韓国は「反日」で燃え盛っているが、世界は親日国で溢れている理由

2019-08-18 10:19:21 | 日記

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190814-00066377-gendaibiz-int&p=1

8月2日、日本政府は安全保障上の観点から、韓国を貿易管理上の優遇措置が受けられる「ホワイト国」のリストから除外することを閣議決定した。韓国はこれに猛反発し、かつてなく「反日」が燃えさかっている。だが世界を見渡せば、反日国家は中国と朝鮮半島くらいで、ほとんどの国が「親日」だ。たとえば、ミャンマーはアジア随一の親日国である。このたび、『親日を巡る旅 世界で見つけた「日本よ、ありがとう」』を上梓したジャーナリストの井上和彦氏が、ミャンマーの親日の背景を解説する。
----------


日本兵の墓を守り続ける僧侶たち

 「オーイ、水島! いっしょに日本へ帰ろう!」

 終戦を迎えて復員を待つ日本兵たちが、山野に散らばる戦友たちを弔うために僧侶となって現地残留を決心した水島上等兵に呼び掛ける、映画『ビルマの竪琴』のクライマックスシーンは感動的だった。

 この映画の中で日本兵たちが水島上等兵の奏でる竪琴に合わせて歌う『埴生(はにゅう)の宿』のメロディーはいまも私の胸に響き続け、この曲を聞くたびにミャンマー(ビルマ)のことが頭に浮かぶ。

 大東亜戦争で、終戦までに投入された日本軍約30万人のうち、およそ18万人が戦死したビルマ戦線。この戦いの過酷さは筆紙に尽くせぬものがあった。

 なるほど、大東亜戦争末期の兵士たちの戦記を読めばその苦労がよくわかる。

 まずもって日本軍と連合軍とでは、物量が雲泥の差であった。連合軍は、陸路を大型トラックで、また空からは輸送機を使って十分な武器弾薬・食料を補給できたが、日本軍にはおよそ補給は期待できなかった。

 だが日本軍将兵はこの不利な状況にありながらも至純の愛国心をもって勇猛果敢に戦い続けたのである。こうして斃(たお)れた兵士たちの亡骸は各地に放置されたままとなったため、いまも日本政府や民間諸団体による遺骨収容が行われている。

 そんなミャンマー各地には日本軍将兵の慰霊碑が建立されているのだ。

「毎晩お経を唱えています」

 かつての首都ヤンゴン(旧ラングーン)にも大きな日本人墓地があり、墓苑内には数多くの慰霊碑が建つ。「戦友と共にここに眠る」と刻まれた慰霊碑、そして「父よ ありがとう 安らかに」と刻まれた、息子からこの地で亡くなった父親への慰霊碑の言葉が胸を打つ。

 実は、先に紹介した『ビルマの竪琴』の主人公・水島上等兵のモデルとなったといわれる中村一雄曹長の慰霊碑(復員され92歳で逝去)もあり、この日本人墓地は、もっとも知られた慰霊参拝の場所となっている。

 かつての激戦地でメイクテラーと呼ばれたミャンマー中部のメイッティーラにも日本兵の墓があった。この墓は、寺院の尼僧が生活する区画内にあり、いまも彼女たちが守り続けてくれている。墓石の両端に建つ慰霊碑には、「狼兵団 第168連隊通信隊」と、もう一つには「独立自動車第102大隊」の文字が刻まれていた。

 ピンク色の僧衣を着た尼僧は「ここには(日本兵の)お墓もあり毎晩お経を唱えています」と話してくれた。これを聞いた私は、彼女らに心からの感謝の意を伝えた。

 無情にも祖国で忘れられた日本軍兵士たちが異国のミャンマーで慰霊されていることに複雑な思いがこみ上げると共に、こうして毎日手を合わせてくれている尼僧らの祈りが、ただただありがたかった。

 さらにこの近くには、歩兵第16連隊長の揮毫(きごう)による大きな鎮魂碑と、先の独立自動車第102大隊戦没者のための仏塔が建立されており、こちらは男性の僧侶たちが鎮魂してくれていた。

 大人から年端もゆかぬ小さな少年僧侶を目の当りにしたとき、熱い感動で胸がいっぱいになった。

 まったくもってミャンマーの人々に頭が下がる思いである。

日本軍が作った「ビルマ独立義勇軍」

 日本軍のビルマ攻略戦の最大の目的は、米英軍による蔣介石率いる中国国民党軍への支援ルート「援蔣ルート」の遮断にあった。連合軍は、蔣介石を支援すべく武器弾薬などをビルマから送り届けていたのだ。

 開戦翌月の1942年(昭和17年)1月20日、日本軍は2個師団をもって南部ビルマへ侵攻を開始。タイ-ビルマ国境を突破して首都ラングーン(現ヤンゴン)を目指した。そしてついにイギリス軍はラングーンを放棄。日本軍は3月8日にラングーンを無血占領することに成功したのである。

 タイとビルマを結ぶかの「泰緬(たいめん)鉄道」が建設されたのも、ビルマへの物資輸送の必要からだった。

 こうして日本軍は、最終的に5個師団約8万5000人の大兵力をもってビルマ南部から押し上げる形でイギリス軍を圧迫してゆき、5月8日に要衝ミートキーナを占領してビルマと中国雲南省を結ぶルートの遮断に成功した。そして日本軍は破竹の勢いで進撃を続け6月までにビルマ全土を制圧したのである。

 そこで忘れてはならないのが、「南機関」と「ビルマ独立義勇軍」の存在だ。

 援蔣ルートの遮断とビルマ独立を工作する日本軍「南機関」の機関長・鈴木敬司大佐とビルマ人独立運動家アウン・サン(かつては“オンサン”と呼ばれていた)の出会いがすべてのはじまりだった。

 ちなみにアウン・サンは、現在のミャンマーの国家顧問で民主化運動指導者として知られるアウン・サン・スー・チー女史の実父である。

 大東亜戦争が勃発する前、アウン・サンは、日本軍の支援を受けて30人の同志と共に海南島へ逃れ、そこで彼らは鈴木大佐の南機関による厳しい軍事訓練を受けていた。

 そして開戦直後の1941年(昭和16年)12月16日、アウン・サンらは、タイのバンコクで「ビルマ独立義勇軍」を設立。司令官に鈴木大佐が就き、彼はビルマ伝説の救世主“ボ・モージョ”を名乗った。そして参謀にアウン・サンが就いた。

 1943年(昭和18年)8月1日、日本軍の支援を受けてバー・モウを首相とする「ビルマ国」がイギリスから独立。ビルマ独立義勇軍は、ビルマ防衛軍を経て「ビルマ国民軍」へと改編され、同時にアウン・サンは国防相兼ビルマ国民軍司令官となった。

幸せな日々

 戦後、バー・モウは、自著『ビルマの夜明け』で、長きにわたったイギリスの植民地支配から独立できた当時のビルマの様子をこう回顧している。

 《それは言葉では言い現せないほど幸せな日々だった。人々は喜びに胸をふくらませて、いたる所で歌った。国民こぞってこれを祝うために、各地域社会を代表する委員会が設けられた。くる日もくる日も群集がパゴダを訪れて灯明をあげ、花を捧げた。僧たちは町中で振舞を受け、催物は果てしなく続いた。人々は集い、日本語で万歳を叫んで、日本に対する深い感謝を現す決議をした。同時に、喜びと感謝の気持ちを綴ったメッセージが東条首相と日本政府に送られた》(ASEANセンター編『アジアに生きる大東亜戦争』展転社)

 ビルマ国民軍は、日本軍と共に進撃し、各地でイギリス軍と戦闘を繰り広げたのだった。 

 ところがインパール作戦で日本軍が敗退し、日本の敗色が濃厚となるや、突如アウン・サンは連合軍側に寝返って日本軍に銃口を向けたのである。

 戦後、このことをもってアウン・サンが反日闘士のようにいわれることがある。だがそれは違う。誤解を恐れずにいえば、アウン・サンは国家の生存のために、日本を裏切る苦渋の選択をせざるを得なかったとみるべきであろう。

 アウン・サンは、日本と共に敗戦国となって再びイギリスの植民地となるより、ここは、戦勝するであろうイギリスの側に立って戦い、戦後のイギリスとの交渉を有利にしようと考えたのだ。つまり彼は日本軍を恨んで敵対したのではなかったのである。

 そのことは戦後、BC級戦犯に問われてビルマに連行された鈴木敬司少将(最終階級)をアウン・サンが助け、後の1981年(昭和56年)には、鈴木少将ら7人の元日本軍人に国家最高勲章が授与されていることがなによりの証左であろう。

 1948年(昭和23年)1月4日、ビルマは、アウン・サンの思惑通り、連合軍に協力したことが評価されて再び独立を勝ち取った。だがその半年前にアウン・サンは暗殺されており、その喜びを分かち合うことはできなかったのである。

 

アウン・サン将軍の胸に輝く旭日旗

 いずれにせよ日本軍が、イギリス植民地からの独立を希求するビルマ人を助け、ビルマ人の軍隊をつくって彼らと共にイギリス軍と戦ったことはいまも高く評価されている。

 首都ネピドーにあるミャンマー国軍の軍事博物館には、当時の貴重な写真や兵器などが展示されており、こうした封印された近現代史の真実を知ることができる。

 面白いことに当時のビルマ国民軍の軍服は日本陸軍のそれとそっくりであり、このことからも日緬両国の関係性が読み取れる。

 とりわけ私は展示されている写真に注目した。訓練に励む生き生きとしたビルマ国民軍の兵士たち、イギリスからの独立を喜ぶ彼らの笑顔、これまで目にしたことがなかった写真がずらりと展示されていたのである。

 これらの貴重な写真が史実をなにより雄弁に物語っていた。そう思いながら展示に見入っていると、だんだんと戦後日本の噓にまみれた偏向報道と自虐史観に怒りがこみ上げてきたのである。

 そして展示の中には驚くべきものがあった。それは日本軍人と見まごうばかりのビルマ国民軍の軍服を着たアウン・サン将軍の肖像画だった。この肖像画のアウン・サン将軍の胸元には、1943年(昭和18年)に天皇陛下から授与された旭日章が描かれおり、加えてそのコーナーには勲三等の勲章と日本刀が恭(うやうや)しく展示されていた。

 感動が湧き上がってきた。これまで私は、このようないでたちのアウン・サン将軍の写真や肖像画を見たことがなかったからである。

 さらにミャンマーにはアウン・サン将軍の日本軍将官そっくりの銅像もあった。

 場所はメイクテラー近郊だったと記憶しているが、日本陸軍ばりの軍服を着用し日本刀を地面について立つ丸刈り頭のアウン・サン将軍像を目の当りにした私は思わず頭を垂れて敬礼した次第である。

いまも続く感謝のつながり

 さて先の軍事博物館には、日本に亡命したときの着物姿のアウン・サン将軍の写真もあった。

 実はアウン・サン将軍は1940年(昭和15年)に日本に亡命し、鈴木敬司少将とビルマの独立について鈴木少将の郷里である静岡県浜松で策を練っていたのだ。

 こうしたことから、浜松の大草山の山頂に「ビルマゆかりの碑」という顕彰碑が建立され、2014年(平成26年)にミャンマーの国軍司令官が来日した際、日本の自衛隊と共にここで慰霊式典が行われた。以来、自衛隊とミャンマー軍の将官交流プログラムで来日するミャンマー軍の将官はこの地を訪れ献花しているという。

 かつて鈴木敬司少将をはじめ日本軍がミャンマーの独立に貢献したことが、いまでもミャンマーの人々に感謝されているのだ。

 

井上 和彦



「神仏に近づく第一歩」大川隆法

2019-08-18 10:18:59 | 日記

私は、みなさんに、「単純に明るく生きることが出発点である」ということを、

そして、「『明るく生きよう。明るく見、明るく振る舞い、明るく考えよう』と思うこと自体が、

信仰への道であり、仏そのものを自らの内に引き入れる行為であるのだ」

ということを知っていただきたいのです。

幸福の科学 公式サイト https://happy-science.jp/whats-happy-science/

『発展思考』P.90
http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M264172&c=10209&d=203d

※Amazon
http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M264173&c=10209&d=203d


「悪霊や悪魔に通じる考え方とは・・・・・・・」大川隆法

2019-08-18 10:18:37 | 日記

「他人の不幸を見て胸がスッとするというのは、

人間として最低の心

(中略)これがいわゆる、悪霊(あくりょう)や悪魔に通じていく。

原理は簡単なんです。

 

他人様の幸福を願う方向で考えているか、

不幸を願う方向で考えているか、これが人間の方向を決めます」


「大海のごとく受け止める」大川隆法総裁

2019-08-18 10:18:09 | 日記

「寛」という言葉は、「くつろいで、ひろい」という意味になります。

「容」という言葉は、「受け入れる」ということです。

すなわち、寛容とは、「多くのものを受け入れるような、

ゆったりとした大きな器である」ということです。

あの大海のように、さまざまな河川から水が流れ込んできても、

ゆったりと受け止める心、それが寛容の心です。



『ダイナマイト思考』P.68

※幸福の科学出版
http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M272002&c=10209&d=203d

※Amazon
http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M272003&c=10209&d=203d




亡き妻が教えてくれた「あの世は絶対にあるよ」(体験談)

2019-08-18 10:17:46 | 日記

http://voicee.jp/201407059980

40歳の若さで亡くなった妻

数年前、5人の子供と私を残して、妻のHが40歳の若さで、がんで亡くなりました。もし信仰がなかったら、私は悲しみに暮れ、仕事も手につかなかったでしょう。

しかし、今、私は心に希望を抱いて生きていくことができます。それは、「人生はこの世限りではない」ということを確信しているからです。そして、あの世から見守ってくれている妻の存在を感じているからです。

妻の死を通して、私が感じ、学んだことをお話ししてみたいと思います。

突然の余命宣告

「お父さん、私、がんだって……」

ある春の日のこと、妻が不安そうな声で会社に電話してきました。

「最近、胸のあたりが苦しい」と体調不良を訴えていた妻が、病院で受けた検査の結果でした。病名は「スキルス性胃がん」。進行が早く、治療が難しいと言われている胃がんだそうです。

「すぐにでも入院して、手術しましょう。胃の3分の2を切除すれば、治癒の可能性もあります」

医師の強い勧めにしたがって、手術することになりました。ところが、手術が終わって医師に呼ばれると――。

「残念ですが、奥さまのがんは予想以上に進行し、周辺の臓器もすでにがんに侵されていました。胃は全体を摘出しましたが、すべてのがん細胞を取り除くことは不可能でした。余命は……あと、1カ月から半年です」

あまりのショックに言葉も出ません。

医師の説明を聞きながら、「どうして今まで気づいてやれなかったのか」と申し訳なさに涙があふれるばかりでした。

「生命は永遠」と知ってはいても……

私たち夫婦は、幸福の科学の信者です。人間の本質は霊であり、死んで肉体が滅んでも、あの世に還って新たな生活が始まると学んでいます。

しかし、実際に妻の死が迫っていることを告げられると、私はすっかりうろたえてしまいました。

しっかりしなければ――。そう自分に言い聞かせて、妻の病室に向かいました。手術前、妻から「手術の結果は隠さずに伝えてほしい」と言われていたので、私は医師の説明を彼女に伝えました。

「気をしっかり持って頑張るんだぞ」と言いながら、自分が動転しています。

「お父さん、大丈夫よ。心配しないで。何があっても私は仏を信じているから。でも、あと4、5年は生きられるように頑張るからね」

妻は全く動じることなく、いつもの笑顔で、逆に私を励ましてくれました。病名を告げられてから、手術を受けるまでの間に、心の整理をし、覚悟を決めていたようです。

しかし、私にはとてもそのような不動心はありませんでした。

優しかった妻

妻は高校時代の同級生で、当時から付き合い始め、24歳の時に結婚しました。

私は運送会社の営業職で、朝から晩まで忙しく、結婚当初から家庭を顧みる余裕はありませんでした。

「もっと早く帰ってこれないの」と時々こぼしていた妻でしたが、幸福の科学の信仰に出会ってからは「お仕事、遅くまでおつかれさま」などと、ねぎらいの言葉をかけてくれるようになりました。

その変化に驚き、幸福の科学に興味を持った私は、妻の勧めで入信しました。そして、仕事で問題につきあたったときなどに、『常勝思考』や『仕事と愛』などで説かれている成功論や仕事論を実践し、少しずつ教えの素晴らしさを実感していきました。

しかし、今振り返ると、当時の私は、仕事のため、成功のために仏法真理を学んでいたようなもので、確かな信仰を持っているとはいえない心境でした。

一方、妻はもっと深いところで、仏の慈悲を感じていたのでしょう。信仰に出会ったことで、本当に強くて優しい女性になりました。

家庭では私や子供たちにいつも笑顔で接してくれ、「ありがとう」という感謝の言葉を絶やしません。

子供の母親同士の人間関係の中でも、何か揉め事が起きれば仲裁に入り、人のことは絶対に悪く言わず、いろいろな人に頼りにされていたようです。伝道にも熱心で、友人・知人に仏法真理の本をお勧めする手紙をよく書いていました。

自宅療養のため5月に家に戻ってからも、妻の優しさは全く変わりませんでした。「お父さん、身体大切にしてね」と毎日笑顔で送り出してくれる妻に、私も笑顔で応えました。

しかし、私の心の中は、数カ月のうちに妻を失うことになるかもしれないという不安と悲しみでいっぱいだったのです。

父の日の手紙

自宅療養が始まって1カ月ほど経った6月中旬の父の日のことです。

「これ、お父さんへの感謝の気持ち」と、妻が手紙をくれました。

「Kさんへ。いつも家族のために、お仕事頑張ってくれてありがとうございます。(中略)Kさんの優しさ、励ましに支えられて、今の私があると思います。Kさん、家族、幸福の科学の仲間たち、数多くの方々の愛に気づかせてくれた、仏の慈悲に深く感謝いたします。この生命を正しく全うし、来世でもまたKさんとご縁がありますように……」

涙で、手紙の文字がにじみます。あふれてくる涙を拭いながら、何度も何度も読み返しました。私は、手紙に込められた妻の強い信仰心に、改めて目を覚まされた思いでした。

妻は、心から仏を信じ、その信仰心の輝きで私や子供たち、そして身近な人たちを照らしていました。 自分の身を案じるより、周りの人たちの愛に感謝し、そして何より仏に感謝して、許される限りの生命を全うしようとしている……。

私は、妻を失うことを悲しんでばかりで、自分のことしか考えていませんでした。悲しんでばかりいるのは自分勝手なことだと気づき、私も仏を信じ、信仰を拠り所として、妻をあたたかく支えていこうと思えたとき、悲しみでいっぱいだった心に、一条の光が差し込んできたような気がしました。

それからの私は、悲しみや絶望にさいなまれそうになる自分の心を、仏に祈り、仏法真理を学ぶことで励ましながら、自宅療養を続ける妻を心身ともに支えていきました。

再入院

療養生活を送りながら、病状は徐々に悪化していきました。8月下旬になると、腹部の痛みや倦怠感でつらそうな顔をしていることが多くなりました。

そして9月に入ってすぐ、妻は耐えられない痛みに自宅で倒れ、救急車で運ばれて再入院することになったのです。

「再入院になったら、もう家には戻れません」と医師から言われていました。いよいよ最期のときが近づいてきたことを私は覚悟しました。

私は仕事の都合をつけながら、毎日のように妻の病室に足を運びました。

「お父さん、いつも、ありがとう」

私が行くと、妻は必ずやせた頬に微笑みを浮かべて声をかけてくれます。

夜中の付き添いにいけば、「少しでも眠ってね」と忙しい私の身を心配してくれました。激しい痛みと倦怠感で、人の身を気遣えるような状態ではないはずなのに……。

私も、悲しみをこらえながら、できるだけ明くふるまい、「少しでも楽になるように」と願いながら、幸福の科学の書籍を読んで聞かせたりしていました。

やがて衰弱が進み、妻は話すこともままならなくなっていきました。

入院して2週間が過ぎたある日の午後。いったん、会社に戻った私に病院から電話がかかってきました。

「すぐ病院に来てください」

急いで子どもたちを連れて病院にかけつけました。

医師や看護師に囲まれ、酸素マスクをつけられた妻が、目をつむってベッドに横たわっていました。

私と子供たちが妻の手を握ると、妻は少し薄目をあけて微笑んでくれました。子供たちは、皆泣いています。

「今まで世話ばかりかけてごめんな」

私が泣きながら謝ると、妻は微笑んだままゆっくりと首を横に振りました。

そして、震える手で酸素マスクをはずし、何かを言おうとするのです。

「子供たちのことが心配なのか?」

そうたずねると、妻は、「そうではない」というように、ゆっくりと首を横に振りました。

「あ・り・が・と・う」

声にはなりませんが、そう唇が動きました。その言葉を最後に、妻は穏やかな笑顔を浮かべたまま、静かに息を引き取りました。私たちは、ただただ泣くばかりでした。

妻からのメッセージ

帰天式(幸福の科学式の葬儀)には、700人もの方が参列してくださいました。いつも穏やかで、誰に対しても優しく接する妻には、多くの友人がいたようです。

私は、信仰深く生きた妻の思いを伝えようと、妻の友人たちに幸福の科学の教えを紹介していきました。しかし、そうして前向きに努力しているつもりでも、一人になると何とも言えない寂しさや自責の念が襲ってきます。

亡くなってちょうど30日目、納骨を済ませた日の明け方、まだ暗いうちにふと目を覚ますと、空色の服を着て、にこにこと笑っている妻の姿が見えました。

「H、今、どこにいるんだ?」

「天国の手前で、あの世について勉強しているところよ」

いつもの優しい笑顔で答えてくれました。

死後まもない霊は、霊界の入り口であの世について勉強してから、それぞれの心境にふさわしい世界に還ると、仏法真理では説かれています。

「H、やっぱりあの世は、本当にあるんだな」

「あるよ。絶対にあるよ」

「じゃあ、あと40年くらいたって、俺も無事、この世での人生を終えて、あの世に還ったときは、お前迎えに来てくれよな。そして、来世、生まれ変わるときには、また一緒になってくれよな」

「うん。約束よ」

そう言った妻の姿がすーっと消えていき、はっと気がつくと朝になっていました。

その後も、四十九日を迎えるまでに、何人もの親戚や友人の方から「Hさんと夢で会いました」「Hさんの声が聞こえました」と言われました。

肉体は死んでも、現実に魂は生き続けている。人間は、この世限りの存在ではなく、この世とあの世を転生輪廻しながら、魂を磨いている存在なのだと実感しました。

自分の死を見つめながら、信仰のもと最期まで強く生きた妻の姿。そして、あの世からのメッセージ。これらの経験を通して、私は少しずつ穏やかな心を取り戻していくことができたのです。

限りない感謝を込めて

妻が亡くなってから、私は、10人の方を幸福の科学の信仰に導くことができました。その中には、「Hさんの姿を見ていて、素晴らしい宗教なんだろうと思っていました」と言って入信された妻の友人もいます。

実は、再入院することになる前の晩、妻と私はこんな話をしていました。

「私、お父さんと一緒に、たくさんの人を仏のもとにお連れしたい」

「そうだな、一緒に伝道しよう」

死を目前にしてなお、妻の伝道への情熱はいっそう強くなっていたのです。この世では、もう二人で縁ある方を伝道することはできませんが、私の伝道を、妻があの世から応援してくれていると感じます。

悲しい出来事ですが、しかし、もし、妻の病気と死がなかったならば、今でも私は、心から仏を信じる喜びを知らずにいたでしょう。すべてを支えてくださっている仏の慈悲に、心から感謝いたします。

そして愛するHへ。今世、僕と一緒になってくれてありがとう。あなたが教えてくれた深い信仰と愛を胸に、これからも多くの方に仏の教えを伝え続けていきます。



「この人生を魂の向上に生かす」大川隆法総

2019-08-18 10:17:18 | 日記

“この世を無意味化”することは、

人生の数十年を無駄にすることになるので、

この数十年も「魂の修行」として十分に生かし切り、

この世において、「完成された自己像」「あの世にもそのまま持って還れるような自己像」

をつくりたいものです。


あの世に持って還れるものは心だけしかないとか、

「あの世に持って還れるものは信仰だけしかない」とか、

そういう言い方を幸福の科学ではしていますが、

「あの世に持っていけるような、

魂の財産部分を、今世の人生経験のなかでつくっていこうということを、

基本的に教えているのです。

そして、「この世とあの世を貫く幸福」を実現しようとしています。



『「幸福の科学教学」を学問的に分析する』 P.130



※幸福の科学出版
http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M432061&c=10209&d=203d

※Amazon
http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M432062&c=10209&d=203d


「新生のとき・再び生まれ変わる」大川隆法

2019-08-18 10:16:59 | 日記

人間は時折、挫折感に悩んだり、

失意に沈んだり、劣等感に悩んだりしますが、

仏の言葉が身に臨み、

その言葉を胸に刻んで立ち上がるときに、

力強く、明るく、積極的で肯定的な存在として、

再び生まれ変わることができるのです。



『ダイナマイト思考』 P.104

※幸福の科学出版
http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M408931&c=10209&d=203d

※Amazon
http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M408932&c=10209&d=203d


【心を洗う「反省」】大川隆法

2019-08-14 18:54:32 | 日記

対人関係、あるいは自分自身の心と行いにおいて、

正しい生き方をしたかどうかということを、

毎日きっちりと振り返って、

三十分なり一時間なり反省してゆくと、

次第しだいにゴミやほこりが取れて、

心が透明になってくるのです。

こうした点検を毎日くり返してゆきます。


『あなたは死んだらどうなるか?』 P.69より


【この世は魂を磨く場所】大川隆法

2019-08-14 18:54:14 | 日記

https://ryuho-okawa.org/quotes/20190530/


この世は、魂を磨き、進化させるための舞台装置として、

非常に巧妙にできています。


さまざまな価値観が混ざり合い、

自由に選び取れるようになっています。

そして、成功・失敗が分かれてきます。


これを経験することによって、

魂は鍛えられ、磨かれ、

成功も失敗も生まれてくるわけです。

 

『あなたの知らない地獄の話。』 P.120より


「されど、正直者であれ、飾らず、真一文字に生きろ 」大川隆法

2019-08-14 18:53:51 | 日記

善人でよいのです。

正直者でよいのです。

この世的には多少抜けているように見えたとしても、

飾らず、真一文字に生きている人は、

その生き方そのものが仏国土建設になっていることを知らねばなりません。



『釈迦の本心』P.216

※幸福の科学出版
http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M359832&c=10209&d=203d

※Amazon
http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M359833&c=10209&d=203d


----------------------
メルマガ本日の格言は、幸福の科学の公式メールマガジンです。
大川隆法総裁の著作から抜粋した格言を毎日お届けしています。
----------------------
◇「本日の格言」アプリ
http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M359834&c=10209&d=203d
◇本日の格言アプリ 公式サイト
http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M359835&c=10209&d=203d
----------------------
◇本メールアドレスは送信専用です
◇よくある質問はこちら
http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M359836&c=10209&d=203d
◇お問い合わせはこちら
http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M359837&c=10209&d=203d
◇配信停止
http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M359838&c=10209&d=203d
----------------------
◇書籍発刊情報
http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M359839&c=10209&d=203d
◇法話・霊言情報
http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M359840&c=10209&d=203d
----------------------
◇本日の格言 特設サイト
http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M359841&c=10209&d=203d
◇幸福の科学 公式サイト
http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M359842&c=10209&d=203d
幸福の科学 IT伝道局
----------------------


【何のために戦うのか】大川隆法

2019-08-13 14:33:42 | 日記

https://ryuho-okawa.org/quotes/20190809/

「死んで、あの世があって、

神仏がこの世を見ておられる」ということから、

人々は、正義を求め、善を求めます


だから、命を懸けて、正しさのために戦うのです。


神のために、仏のために、神仏の子として

この地上でやらねばならないことをやるために、戦うのです。


『日本の使命』 P.51より


【リーダーの生き方・考え方】

2019-08-13 14:33:23 | 日記

https://ryuho-okawa.org/quotes/20190808/

「世間一般はどうか」「ほかからはどう見られるか」

という目で自分を見るのも智慧の一つではあるのですが、

一定以上、責任がある立場になってきたら、

あるいは、人を動かせて、判断に力が出てくるようになってきたら、

やはり、それだけでは済まなくなってきます。


「正義」の観点や、「未来はどうなるのか」という観点から物事を考え、

それについて、いったん判断したら、

変えないで押し続けるだけの「持久力」や「胆力」が要るのではないかと思っています。


『人生に勝つための方程式』 P.123より


同じ敗戦国のイタリアは20回、ドイツは59回もの憲法改正を行い、国防軍を整備。時代の変化に合わせて憲法を変えることは世界の常識だ。日本を取り巻く世界情勢が激変しても日本は全く変えようとしない平和ボケ

2019-08-13 14:33:04 | 日記

 https://in.kamijimayoshiro.jp/KJLV190203_2980?cap=mitsuhashi より転載


アメリカを代表する新聞紙「ウォール・ストリート・ジャーナル」は2017年5月8日付の社説で「憲法9条は、もはや日本にとって危険になりつつある」と述べ、9条を変えることを促しています。つまり、中国や北朝鮮というリスクが目の前に起こっているのに、日本が全く動こうとしないことに苛立ち、警鐘を発しているのです、、、

 

日本人が学ばなかった憲法、そして9条の真実

時代が大きく変化しても、日本を取り巻く世界情勢が激変しても、、、一字一句変えられることなく、まるで“聖域”のように守られてきた日本の憲法…しかし、時代の変化に合わせて憲法を変えることは世界の常識…戦後1度も改正されていない日本の憲法は世界最古の憲法と揶揄されるほど…そんな日本を尻目に、同じ敗戦国のイタリアは20回、ドイツは59回もの憲法改正を行い…国防軍を整備するなど、すでに自立した独立国として歩みを進めています…

 

日本を守るためにも、、私たちの子供や孫など、次世代にツケを残さないためにも、真実と向き合うべき時がきているのではないでしょうか? 9条がある限り、本当の意味での独立国にはなれないし、自分たちの祖国を守ることもできない…他力本願はもうやめて、日本国民一人一人が、独立国としての気概と誇りを持って前に進んで欲しいと思います。

産経新聞「正論」元編集長 上島嘉郎