釈量子の略歴
名前
釈 量子(しゃく りょうこ)
1969年11月10日 東京都小平市生まれ
経歴
小平市立小平第一中学校卒業
國學院高等学校卒業
國學院大學文学部史学科卒業
大手企業勤務を経て、1994年に宗教法人幸福の科学に入局
広報局、『ザ・リバティ』編集部、学生局長、青年局長、常務理事などを歴任
幸福実現党青年局長、女性局長を経て、2013年7月から党首に就任
星座
さそり座
血液型
A型
モットー
努力即幸福
天は自ら助くる者を助く
趣味・特技
料理、お菓子づくり
温泉めぐり、ピアノ、弓道
活動
「いじめから子供を守ろう! ネットワーク」
「自殺者を減らそうキャンペーン」(2003年~)
マスコミ倫理研究会(「ストップ・ザ・ヘアヌード」運動)
正しい歴史認識を世界に発信(国連「女子差別撤廃委員会」にてスピーチ)
中国による「南京大虐殺」「従軍慰安婦」資料のユネスコ記憶遺産申請への抗議活動
釈量子の生い立ち
幼い頃の夢「婦人警官」
小さな子供から学生など、若い世代に会った時、必ず聞く言葉があります。それが「将来の夢なあに?」です。もう職業病と言ってもいいかもしれません。子供を見るとつい近寄って腰をかがめて「大人になったら何になるの~?」と尋ねてしまいます。彼らの夢の実現こそ私の夢であり、「ガンバレ」とひとこと、応援したいのです。
では、この私自身はどうだったのかというと、将来の夢や職業選択というテーマにぶち当たったのは、七夕の日のことです。竹に結ぶ短冊に「将来の夢」を書くことになり、母から「何をしたいの?」と聞かれ、とっさに「悪い人を懲らしめたい」と言ってしまいました。ウルトラマンや水戸黄門の影響かどうかは覚えていませんが、母の「それなら婦人警察かしら?」という言葉で、とりあえず小中学生時代の進路は決まりました。
「三つ子の魂百まで」と皮肉を言われそうですが、その後、婦人警官にはならずとも、「ストップ・ザ・ヘアヌード」運動や、いじめ防止などの社会啓蒙活動などを通して、形は変われども本質的に「夢は叶っていた」ことに気付いた時は驚きでした。
「革命」に興奮してピアノに夢中になった小学生時代
ピアノは3歳から中2まで習っていました。開眼(?)したのは小5の時。父親が買ってきてくれた「ショパン名曲集」の「革命のエチュード」を聴いて。それまではバッハのインベンションなどを、心を調律するかのように弾いていましたが、祖国ポーランドを奪われた激情を旋律で現した「革命」は、私の小学生ライフを一変させました。文字通りテープが擦り切れてしまい、セロハンテープでつなぎ合わせて繰り返し聴いたものです。
今思えば、強烈な政治的なメッセージに共鳴したのだろうと思います。小学校の卒業文集には将来の夢として「(ショパン生誕地の)ポーランドに行きたい」と書いたほどでしたが、中学になって同学年のW君のピアノを聴き、自分には才能がないことを一瞬で悟りました…(苦笑)。今は聴く専門です。
弓に青春の全てを賭ける
鎌倉時代、サムライの道は「弓馬の道」と言われ、弓と馬が武士の必須の武芸であったと言われます。高校の時、はかま姿で赤い鼻緒の雪駄、弓を持った素敵な女子の先輩の姿にキュンときて、一も二もなく弓道部に入りました。
弓の魅力は「美」。円相を描くように引く弓の姿は完璧な美しさがあるんです。高校時代の全てを賭けた、と言ってもよいくらいやりました。社会人になってからも小平弓道連盟に所属して三段まで取りましたが、仕事が忙しくなって断念。
東アジアに関心を持つようになった大学生時代
國學院大學文学部史学科へ入学。専攻は東洋史で、卒論は「鄭成功の台湾侵攻について」でしたが、これが、東アジアで最も危惧される中台問題に関心を持った原点だと思います。
また、近所にお住まいの博物館学の泰斗、故・加藤勇次教授のご縁で、教職課程と博物館課程を履修し、学芸員資格も取得しました。博物館学や考古学の研究室の教授陣と、エジプト、ギリシャ、台湾、ペルーといった古代文明の遺跡や博物館をめぐったことは、地球上の文明の流転を肌で感じる大変貴重な経験でした。
「幸福の科学」との出会い
幸福の科学との出会いは、19歳の時でした。バイト先の先輩が『太陽の法』という、大川隆法・幸福の科学総裁の書籍を渡してくれたのです。もらったその日の夜に一気に読んでしまい、そして、「これは本物だ。嘘では絶対に書くことはできない。」と確信しました。
「人生は、魂修行の場である」「人間は、この世をユートピア化するために生まれてきた」ーこの言葉に、今までの悩みの霧が一気に晴れて、希望が湧いてきました。そして「この真理で、全国の人々のお役に立ちたい」と強く思い、大手製紙会社に3年ほど勤めた後、私は念願の幸福の科学職員になりました。
世の中は変えられる「ストップ・ザ・ヘアヌード運動」
幸福の科学は、立宗間もない頃から社会問題に取り組むことを、ミッションとしていました。私は広報局や、雑誌「ザ・リバティ」編集部員として、数多くの社会啓蒙活動に携わりました。
1990年代、私がまだ20代の頃、ヘア・ヌード雑誌が、子供や女性の目にもふれる場所に置かれていることに対して、志あるお母様方と共に声を挙げました。新聞に投書を書いたり、機内で雑誌を配っていた航空会社に抗議の手紙を出したのです。
その後、JAS(のちにJALと合併)という航空会社は、機内のヘア・ヌード雑誌を撤去。私の投書を見た社長が判断したことを後から知りました。社長からは直筆のお手紙をいただきました。
「私は暑い八月を迎えますと、後に続くものを信ず、といって死んでいった当時の学友、先輩たちを想い出します。今のエゴとエロにまみれた日本を知ったら、彼らは何と思うでしょうか」
涙が出てきました。
この時、「誠の心で訴えれば、心ある人たちに聞き入れられ、世の中をよくすることができる」と感じ、政治家を志す上での原点の一つとなっています。
自殺者を減らすには政治の力も必要
1997年の消費税導入後、日本の景気は低迷し、自殺者の増加が社会問題となっていました。
私は「ザ・リバティ」の記者として「自殺者増加」の記事を執筆するとともに、幸福の科学の「自殺を減らそうキャンペーン」の街頭活動に参加。パンフレットの配布や、シャッター街での戸別訪問を行いました。
ある商店街で、「経営が苦しくて、朝から死ぬことばかり考えていた。知り合いに別れの手紙を投函してきたところ」という方に出会ったことを今も忘れません。
その後の活動も虚しく、自殺者は3万人台まで増え続けました。「自殺者を減らすには、宗教の教えだけではなく、政治の力で、現実的に経済をよくしていかなければならない」と改めて痛感しました。
国難を前にして政治家を志す
2009年4月5日、北朝鮮がミサイルを発射。日本上空を越えて太平洋沖に落下したミサイルを、各メディアは「飛翔体」と呼びました。自民党は頼りにならず、まして民主党に任せることはできません。
「国難」を前にして、「日本に責任を感じた」といってしまうとおこがましいかもしれませんが、これが偽らざる気持ちです。この「日の本の国」を未来に残したいのです。
中国や北朝鮮の軍事的脅威に対して「どうせ攻めてなんか来ないよ」「核なんて撃つわけない」と言うのは簡単です。しかし一党独裁の軍事国家である中国は、ウィグルやチベットを「解放」し、自国の若者でさえ戦車で踏み潰しました。北朝鮮は日本人を拉致して家族を引き裂き、拷問や虐殺が繰り返されている地上の地獄です。普通の国ではありません。
「自殺者を減らそう」といくら啓蒙キャンペーンをしても、経済が悪ければらちがあきません。また地域振興券に始まるバラマキ政策など、国民のふところに直接お金を入れるような政策は、国がやることでは絶対にないはずです。
私も日本のために「命を懸ける」という決意で政治への道を歩み始めました。
若者や女性の悩みに耳を傾ける
幸福実現党の青年局長・女性局長に就任してからは、全国を飛び回り、若者や女性の皆様の悩みをお聞きする日々が続きました。
2012年からは、地上波のテレビ番組「相談無料」(2012年10月〜TOKYO MX)
に、若者の悩み相談の回答者としてレギュラー出演しました。
また、2013年第23回参議院議員通常選挙では、東京選挙区で出馬しました。「若者が結婚しないのは、不景気が続き、お給料が増えないから。景気を良くするなら、幸福実現党の釈量子へ!」と訴える中、「結婚するなら釈量子!」というフレーズがツイッターで話題になり、「えっ、なんでそうなるの!?」自分でもびっくり仰天でした。
テレビ「相談無料!」レギュラー出演 TOKYO MX(2012年)
幸福実現党・党首として
すべての人が「この国に生まれてよかった」と心の底から喜べる時代を目指す
2013年7月、幸福実現党党首に就任いたしました。
私の考える政治の原点は「国民の幸福の実現」です。しかし、現在の政治を見るにつけて、”なぜ”という思いが心の底からこみ上げてきます。
私は、日本を愛してるから、黙ってられません。
すべての人が「この国に生まれてよかった」と心の底から喜べる時代を実現するために、これからも戦ってまいります。
活動実績
全国各地を視察し、国民の皆様のお困り事や将来の不安などに耳を傾け、幸福の実現に向けて活動を行っています。
子供達と靖国神社に参拝
日本の経済を守る
消費増税を止めるための活動や、将来的な課税強化と監視社会につながるマイナンバー制度への反対署名活動を行い、「安い税金」「小さな政府」「自由の創設」による経済発展を訴えております。
日本のエネルギー問題に警鐘を鳴らす
2011年3月の東日本大震災以降、原発の稼働が難しい状況が続いております。日本の世界最高水準の技術力によって建造・運営されている原発の早期再稼働、原子力規制の見直し、次世代エネルギーの開発の推進を訴えております。
中国や北朝鮮にも自由と民主主義を広げる
隣国の中国や北朝鮮では、今も独裁政治が続いており、多くの人たちが、恐怖政治にさらされています。両国の軍事拡大路線は、日本、アジア、そして世界の平和に対する脅威となっています。
中国の「天安門事件」「チベット・ウイグル問題」、香港の「雨傘革命」、北朝鮮の「強制収容所」等の実態調査に取り組み、現地に赴くかたわら、講演会を開催して、日本国内で報道されない事実を広める啓蒙活動を行ってきました。
中国や北朝鮮の人たちと自由の幸福を共に分かち合えるよう、これからも両国の人権問題や軍事的脅威に対して警鐘を鳴らしていこうと思います。
正しい歴史認識を世界に発信
歴史認識をめぐる日本の名誉を回復させるために、河野談話、村山談話ならびに安倍談話の撤回を求めて活動を続けています。
中国による「南京大虐殺」「従軍慰安婦」のユネスコ記憶遺産登録申請について反対運動を続けています。
釈量子の素顔に突撃!一問一答 Interview
Q. 趣味は?
A. 料理とピアノ。
母方の実家が千葉県鴨川市の駅弁屋だったため、小学生のころから夏の繁忙期には卵焼きやおかずを詰めるお手伝いをしていました。プロの料理人を見て育ったためか、料理を作って人にふるまうのが大好きです。
今でも、家にいる時は、必ず自分で料理しますし、大量に作って職場のみんなに差し入れするのが好きです(笑)。朝食のパンも毎朝、自分で焼いています!
★作ったお料理は「クックパット」に投稿。レシピの研究開発にもハマってます!
3歳から中2まで習ったピアノは、〇年のブランクがありましたが、最近、安い電子ピアノを購入し、毎日弾いています。レパートリーはショパンの「ノクターンop9-2」、バッハの「インベンション」、ベートーヴェンの「ピアノソナタ月光」など。ポップスやディズニーソングも練習中です。
Q. 好きな映画は?
A. 「スター・トレック」シリーズ
Q. 好きな動物は?
A. 全部好き。
猫、犬、魚全般。特に青魚は柴犬に似てて可愛い!
Q. 休日の過ごし方は?
A. 中国語教室、英語の勉強、美容院、ネイルサロン、掃除。
Q. ニックネームは?
A. 「ペコ」と「おやかた」
高校の時は「ペコ」。「ペコちゃんに似てる」と言われて。最近は「おやかた(御屋形)」。
Q. 落ち込んだ時、どうしてる?
A. さらに落ち込む曲を聴く。
バッハの「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」「ミサ曲 ロ短調」をひたすら聴いて、「マタイよりはマシだよな。」と。(感情の)振り子を極端まで揺らしちゃえばあとは元に戻るので、お勧めですよ。
Q. 幼いころの面白エピソードをひとつ!
A. 近所の、乾いていないコンクリートに手形をつけた時。
「やってない、やってない!」と言ったけど、手形で犯人だと特定されてしまい、「嘘をついたらバレるんだ」と学びました。
Q. オススメのストレス解消法を教えて!
A. 柿の種とコーラで、ぼーーっと気持ちを飛ばす。