http://ryuho-okawa.org/2015/250
大川隆法総裁の書籍『国家の気概――日本の繁栄を守るために』より抜粋でお伝えします。
今なお残る、大東亜戦争への疑問
戦後、日本の言論界を引っ張ってきた思想は、「先の大戦は、単なる間違いであり悪であり、軍部の独走によって多くの人が犠牲になった。日本は近隣諸国に迷惑だけをかけたのである」というものです。
最近は、それとは違う意見が出てくることも多くなりましたが、こういう思想が長らく日本の言論界を占めていたのです。そのため、首相や大臣が靖国神社に公式参拝することが、なかなかできなかったのです。
そういう思想に基づいて、「では、戦った人たちは、いったい何だったのか」ということを考えると、結論としては、「結局、彼らは犬死にした」と言う以外になくなるのです。
それゆえ、戦争で亡くなった人たちには、「われわれは、天皇陛下のために、お国のために、家族や子孫を守るために戦ったのに、あの戦争は間違いだったのか。われわれは犬死にしたのか」「しかるべき人から説明を受けたい。
本当に、ただの間違いだったのか。私たちは犯罪人のようなことをしただけなのか」という疑問が、どうしても残っているわけです。
日本の神々も応援していた先の大戦
戦争というものは、戦い始めると極端まで行くものです。戦争は、それほど理性的なものではないので、歴史を見れば、行きすぎた行為いろいろなところで出てきます。
そういう行きすぎた部分は別として考えた上で、「先の大戦は、日本側の単なる犯罪行為、侵略行為であったのか。
日本は単なる悪人国家であり、軍人はみな犯罪人であったのか」と問われれば、私の考えは、基本的に「ノー」です。
霊界において、先の大戦で日本を主導していたのは、日本神道の中心の指導神たちです。彼らが応援していたのは間違いのないことです。
日本の神々が掲げた大義とは
なぜ、日本の神々は戦争を考えたのでしょうか。
第二次世界大戦の前には、アジアのほとんどの国は欧米の植民地になっていました。四年間、アメリカと戦った結果、日本は負けましたが、アジアの国々は、ほぼすべて独立できたのです。
そして、アフリカの国々も独立していきました。この部分については、やはり「解放戦争」としての面があったと言えます。
日本の神々は戦争を主導していましたが、彼らは一種の“錦の御旗”を持っていたわけです。「アジアの解放」という部分については、建前や嘘ではなく、本当にその気でいたのです。
人種差別の理論を崩した日本
日本軍が戦ったことの功罪はいろいろあると思いますが、少なくとも、「功」の一つとして、「『有色人種は差別しても構わない。
有色人種は劣性民族なので、彼らの国を植民地にしてもかまわない』という欧米の論理を崩した」ということが挙げられます。このことは、大きな功績として認められるべきです。
もう一つ大事な点は、本土決戦が回避された結果、「戦後、日本が発展するための余地が残った」ということです。勇ましく戦って亡くなられた方々のおかげで、戦後、日本はまだまだ発展することができたのです。
尊い命がたくさん失われましたが、決して無駄死にではありません。「勇ましく戦った方は英雄である」と考えてよいと私は思うのです。