永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(367)

2009年04月25日 | Weblog
09.4/25   367回

三十二帖【梅枝(うめがえ)の巻】 その(6)

 秋好中宮をはじめ、理想通りお美しく、奥ゆかしい方々をお集めになっています六条院のお住居を、源氏は改めてまことに結構なことだと思っていらっしゃる。ただ、

「母上の、かかる折だにえ見奉らぬを、いみじと思へりしも、心苦しうて、参うのぼらせやせましと思せど、人の物言いをつつみて過ぐし給ひつ。」
――姫君の母上(明石の御方)が、このような晴れがましい儀式の姫君を見られませんのを、悲しまれているのも気の毒と源氏は思われて、余程こちらへ参るようにおさせしようかと思いましたが、人の陰口を憚ってそのままになさったのでした――

 「東宮の御元服は、廿よ日(はつかよか)の程になむありける。いとおとなしくおはせば、人の女(むすめ)ども競ひ参らすべき事を、心ざし思すなれど(……)」
――東宮の御元服は、二十日過ぎでございました。東宮はたいそう大人びていらっしゃいますので、娘たちを競って入内させようと人々が算段されていますが、(源氏が明石の姫君を格別なお考えで準備されているとの噂に、なまじ差し出してもつまらぬお扱いに終わるような宮仕えでは)――

 と、左大臣などは、思い留まられるということを、源氏がお耳になさって、

「いとたいだいしき事なり。宮仕えの筋は、あまたある中に、すこしのけじめをいどまむこそ本意ならめ。そこらのきゃうざくの姫君たち、引き籠められなば、世に栄あらじ」
――それはもってのほかです。宮仕えというものは大勢の中でちょっとした優劣を競うのが本筋でしょう。多くの優れた姫君たちが、宮仕えに出ずに引き籠られては、東宮の御所はさぞ淋しいことでしょう――

 と、おっしゃって、明石の姫君のご入内をお延ばしになりました。そこで、この姫君の後からと差し控えておいでになった方々も、源氏のご意見をお聞きになって、

「左大臣殿の三の君参り給ひぬ。麗景殿と聞こゆ」
――まず、左大臣の三の君が入内されました。麗景殿(れいけいでん)と申し上げます――

 源氏は、明石の姫君の宮中のお部屋として、ご自身昔の宿直所でありました桐壷を、立派に模様替えなさって、東宮もお待ちかねでいらっしゃるので、入内を四月にとお定めになりました。

ではまた。

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