永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて(128)

2016年06月03日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (128) 2016.6.3

「昼つ方、『渡らせ給ふべし。ここにさぶらへとなん仰せ事ありつる』と言ふ。ものどもも来たれば、これかれさわぎて、日ごろ乱れがはしかりつるところどころをさへ、ごほごほとつくるを見るに、いとかたはらいたく思ひ暮らすに、暮れ果てぬれば、来たる男ども、『御車の装束なども皆しつるを、など今まではおはしまさざらむ』など言ふほどに、やうやう夜もふけぬ。」
◆◆昼ごろ、「殿がおいでになるはずです。こちらに控えているようにとの仰せがありました」と言って、本宅の供人が来ましたので、こちらの侍女たちが大騒ぎして、いつもは乱雑にしているあちらこちらをばたばたと片付けているのを見るにつけ、とても心苦しい思いで一日を暮していたのですが、暮れ果ててしまったので、控えていた供人たちも、「御車のお支度も全部できたいましたのに、どうして今になってもお出でにならないのでしょうか」などと言っているうちに、とうとう夜も更けてしまったのでした。◆◆



「ある人々、『なほあやし、いざ人して見せにたてまつらん』など言ひて見せにやりたる人、かへり来て、『只今なん御車の装束解きて、御隋身ばらもみな乱れはべりぬ』と言ふ。さればよぞと、又思ふに、はしたなき心ちすれば、思ひ嘆かるることさらにいふかひなし。」
◆◆侍女たちが「何だか変ですね。誰かを様子見に参らせましょう」などと言って、見せにやりますと、帰って来て、「只今あちらでは御車の支度を解いて、御隋人たちも皆解散しました」と言います。ああやっぱり又しても、と思うと居たたまれない気がするので、込み上げてくる悲しさといったら、言葉にもならない。◆◆



「山ならましかば、かく胸ふたがる目を見ましやと、うべもなく思ふ。ありとある人もあやしくあさましと思ひさわぎあへり。ことしも三夜ばかりに来ずなりぬるやうにぞ見えたる。いかばかりのことにてとだに聞かば安かるべしと思ひ乱るるほどに、客人ぞ物したる。心ちのむつかしきにと思へど、とかくもの言ひなどするにぞ、すこし紛れたる。」
◆◆山寺にいたならば、これほど胸がいっぱいになることはないだろうに、やはり山寺での予感が当ったと思う。家の誰もかれもが、どうも変だ、あきれたことだと思って、がやがやと騒いでいます。まるで、新婚早々の婿殿が来なくなったような騒ぎのようです。一体どれほどの事があって、来られなくなったのかを聞けばなるほどと安心するだろうにと、思い乱れているところに、お客さまがありました。あれこれ思い悩んでいるときで気が進まなかったのですが、お話をしているうちに、心が紛れてきました。◆◆


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