永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(654)

2010年02月19日 | Weblog
2010.2/19   654回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(69)

 さて、一夜明けて、夕霧は雲井の雁に申しますには、

「人の見聞かむも若々しきを、限りと宣ひはてば、さてこころみむ。かしこなる人々も、らうたげに恋ひ聞こゆめりしを、選り残し給へる、やうあらむとは見ながら、思ひ棄て難きを、ともかくももてなし侍りなむ」
――こんなことでは人の手前も子供っぽくて厭ですから、貴女が分かれるとおっしゃるならそうしてみましょう。三條邸にいる子供たちもいじらしくも貴女を慕っているようですが、選び残して来られたにはそれなりの理由があるのでしょう。けれど、まあ放っておけませんから何とか始末をつけましょう――

 と、自信ありげにおっしゃるので、雲井の雁は、残してきた子供たちを、もしや、落葉宮邸に一緒に連れて行かれるのかと、ご心配になるのでした。夕霧は、さらに、

「姫君を、いざ給へかし。見奉りに、かく参り来ることもはしたなければ、常にも参り来じ。かしこにも人々のらうたきを、同じ所にてだに、見奉らむ」
――姫君を、さあこちらへ寄こしなさい。こうして逢いにくるのも極まりが悪いので、そう始終は来られませんよ。三條邸にも可愛い子供たちがいますから、同じ所で一緒にお世話しよう――

 と、おっしゃる。傍の可愛らしい姫君たちをあわれ深くご覧になって、夕霧は、
「母君の御教えになかなひ給うそ。いと心憂く、思ひとる方なき心あるは、いとあしきわざなり」
――母君のおっしゃることを聞いてはなりませんよ。困ったことに、物の道理が分からず、実によくないことだ――

 と言い聞かせていらっしゃる。

雲井の雁の父大臣は、このことをお聞きになって、世間の物笑いになったようで、すっかり気落ちなさって、

「しばしはさても見給はで。自づから思ふ処、ものせらるらむものを、女のかくひききりなるも、却りては軽く覚ゆるわざなり。よし、かく言ひそめつとならば、なにかは折れてふとしも帰り給ふ。自ら人の気色心ばへは、見えなむ」
――(雲井の雁に対して)どうしてしばらくの間、三條邸で様子を見られなかったのですか。夕霧もお考えがあったでしょうに。女がこうも短気になるのは、かえって軽々しく思われます。だがまあ、一旦言い出したからには、頭を下げてすぐにも帰ることもない。あちらのご様子やお考えもそのうち分かるでしょう――

ではまた。

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