永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1268)

2013年06月17日 | Weblog
2013. 6/17    1268

五十四帖 【夢浮橋(ゆめのうきはし)の巻】 その2

「『そのわたりには、ただ近きころほひまで、人多く住み侍りけるを、今は、いとかすかにこそなりゆくめれ』などのたまひて、今すこし近う居寄りて、忍びやかに、『いと浮きたる心地もしはべる、またたづねきこえむにつけては、いかなりけることにか、と心得ず思されぬべきに、かたがた憚られ侍れど、かの山里に、知るべき人の隠ろへて侍るやうに聞き侍りしを、たしかにてこそは、いかなるさまにて、なども洩らしきこえめ、など思ひ給ふる程に…』」
――(薫が)「その辺り(小野)はつい最近まで人が大勢住んでいたのに、今はたいそう寂びれてゆくようです」などと仰って、もう少し僧都の方に膝を進めて、声をひそめ、「こんなことをお尋ねするのは、一体どのような事情があるのかとご不審に思われましょう。いずれにしても甚だ申し上げにくいことなのですが、実はその小野に、私が世話をしなければならない女人が、身を潜めているように聞き及びましたので、それが確かなことならば、貴方にこのような事情が……などとも、そっとお打ち明けしようと存じておりますうちに…」――

さらに、

「『御弟子になりて、忌むことなど授け給ひてけり、と聞き侍るは、まことか。まだ年も若く、親などもありし人なれば、ここにうしなひたるやうに、かごとかくる人なむ侍るを』などのたまふ」
――「当人はすでにもう貴方のお弟子になって、すでに受戒などお授けになったと聞きましたが、本当ですか。まだ年も若く、親などもある女(ひと)なので、私がその女を死なせたように、言いがかりをつける人がいますのでね…」などとおっしゃる――

「僧都、さればよ、ただ人と見えざりし人のさまぞかし、かくまでのたまふは、軽々しくは思されざりける人にこそあめれ、と思ふに、法師と言ひながら、心もなくたちまちに容貌をやつしけること、と、胸つぶれて、いらへきこえむやう思ひまはさる」
――僧都は、案の定そうだったのか、どうも普通の女とは見えないあの人の様子だった。薫大将がこれほどまでに仰るからには、いい加減には思っておられなかった人とみえる、と思うと、いくら法師の勤めだといっても、分別も無く直ちに髪を落ろさせてしまったことよ、と胸がどきりとして、何とお答え申したものかと、途方にくれるのでした――

「たしかに聞き給へるにこそあめれ、かばかり心得給ひて、いかがひたづね給はむに、隠れあるばきことにもあらず、なかなかあらがひ隠さむに、あいなかるべし、など、とばかり思ひ得て、『いかなることにか侍りけむ、と、この月ごろうちうちにあやしみ思う給ふる人の御ことにや』
とて」
――(僧都は心の中で)この方は確かな筋からお聞き及びになったのであろう。これほどご承知になって御自分から聞き出される上は、隠しきれるものでもない。なまじっか逆らって隠しだてしたりするのはよくあるまい、などと、しばらく思案した末に、「一体どうした訳でしょうかと、先日来ひそかに不思議に存じておりますあの御方のことでしょうか」と申し上げます――

では6/19に。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。