永子の窓

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蜻蛉日記を読んできて(65)の1

2015年08月23日 | Weblog
蜻蛉日記  上巻 (65)の1 2015.8.23

「かくて、年ごろ願あるを、いかで初瀬にと思ひ立つを、立たむ月にと思ふを、さすがに心にしまかせねば、からうして九月に思ひ立つ。『立たむ月には大嘗会の御禊、これより出で立たるべし。これ過ぐしてもろともにやは』とあれど、わが方のことにしあらねば、しのびて思ひ立ちて、日悪しければ、門出ばかり法性寺の辺にして、あか月より出で立ちて、午時ばかりに宇治の院にいたり着く。」
◆◆こうしていたころ、長年考えていた心の願いのあったこともあって、何とかして初瀬にお参りしたいと思い、来月(八月)にはと思っていましたが、なかなかお思い通りにはいかず、どうにかして九月に出かけることに決めたのでした。あの人が「来月には大嘗会の御禊があり、わたしのところから女御代が立たれることになっている。これを終えて一緒に出かけてはどうか」と言ってきたけれど、私の方のことではないので、(時姫腹のむすめ)こっそりと参詣を思い立ち、出発の日が方角が悪いということで、門出だけを法性寺のあたりにして、翌日夜明け前から出発して、午(うま=今の十二時前後の二時間の幅)の時刻に宇治の院(兼家の別荘か)にたどり着きました。」

■初瀬(はつせ)=奈良県桜井市の長谷寺。
長谷寺の創建は奈良時代、8世紀前半と推定されるが、創建の詳しい時期や事情は不明である。平安時代中期以降、観音霊場として貴族の信仰を集めた。
十一面観音を本尊とし「長谷寺」を名乗る寺院は鎌倉の長谷寺をはじめ日本各地に多く240寺程存在する。他と区別するため「大和国長谷寺」「総本山長谷寺」等と呼称することもある。
初瀬山の山麓から中腹にかけて伽藍が広がる。入口の仁王門から本堂までは399段の登廊(のぼりろう、屋根付きの階段)を上る。本堂の西方の丘には「本長谷寺」と称する一画があり、五重塔などが建つ。国宝の本堂のほか、仁王門、下登廊、繋屋、中登廊、蔵王堂、上登廊、三百余社、鐘楼、繋廊が重要文化財に指定されている。このうち、本堂は慶安3年(1650年)の竣工で、蔵王堂、上登廊、三百余社、鐘楼、繋廊も同じ時期の建立である。仁王門、下登廊、繋屋、中登廊の4棟は明治15年(1882年)の火災焼失後の再建であるが、江戸時代建立の堂宇とともに、境内の歴史的景観を構成するものとして重要文化財に指定されている。
仁王門は明治18年(1885年)、下登廊、繋屋、中登廊は明治22年(1889年)の再建である。

■大嘗会(だいじょうえ)=天皇即位の儀式の後、はじめて行う新嘗祭(にいなめさい)で、
     十一月におこなう。その年の新穀を天皇みずから神々に供える大礼で、神事の最大の
     もの。天皇一代に一度だけ行われる。

■御禊(ごけい)=大嘗会に先立ち、十月下旬に加茂の河原でおこなうみそぎの儀式をいう。

■女御代(にょうごだい)=大嘗会の御禊に奉仕する女官。このときの女御代は、兼家の女(むすめ)で、時姫腹の超子が(ちょうし)が選ばれていた。その後入内。

*写真:長谷寺遠景



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