永子の窓

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蜻蛉日記を読んできて(50)の2 

2015年07月08日 | Weblog
蜻蛉日記  上巻 (50)の2 2015.7.8

「『まだ魚なども食はず。今宵なんおはせばもろともに、とてある。いづら』など言ひて、物まゐらせたり。少し食ひなどして、禅師たちありければ、夜うちふけて、『護身に』とてものしたれば、『今はうちやすみ給へ。日ごろよりは少しやすまりたり』と言へば、大徳、『しかおはしますなり』とて、立ちぬ。」
◆◆あの人が、「まだ精進落としの魚なども食べていない。今夜には一緒にと思って用意してあるのだ。さあ、こちらへ」などと言ってお膳を調へさせました。少し食べたりして、僧たちが居ましたので、夜が更けたころに、「護身に」といって部屋に来ましたが、「今日はお休みください。いつもより少し楽になりましたから」とあの人が言いますと、大徳が「そのようにお見受けしました」といって、立ち去りました。◆◆


「さて夜は明けぬるを、『人など召せ』と言へば、『なにか。まだいと暗からん。しばし』とてあるほどに明かうなれば、男ども呼びて、蔀あげさせて見つ。『見給へ。草どもはいかが植ゑたる』とて見出したるに、『いとかたはなるほどになりぬ』など急げば、『何か。いま粥などまゐりて』とあるほどに、昼になりぬ。」
◆◆夜が明けてしまったので、「だれか呼んでください」といいますと、「なあに、まだ真っ暗だよ。もう少し」などと言っているうちに明るくなったので、男どもを呼び寄せて、蔀を上げさせ、外を見ました。「見てごらん、庭の草花はどんな風かな」と言って眺めていますが、私は「夜が明け切ってしまって体裁の悪い時刻になりましたわ」と帰りを急ぎますが、「なあに、良いではないか。さて粥など召し上がって」などと言っているうちに昼になってしましました。◆◆


「さて、『いざ、もろともに帰りなん。またはものしかるべし』などあれば、『かくまゐり来たるをだに、人いかにと思ふに、御迎へなりけりと見ば、いとうたてものしからん』といへば、『さらば、男ども、車よせよ』とて、よせたれば、乗るところにもかつがつとあゆみ出でたれば、いとあはれと見る見る、『いつか、御ありきは』など言ふほどに、涙うきにけり。『いと心もとなければ、明日あさてのほどばかりにはまゐりなん』とて、いとさうざうしげなる気色なり。」
◆◆それから、あの人が「さあ、一緒にあなたの家に帰ろう。またこちらへ来るのは嫌だろうから」と言いますが、「このように参りましたのさえ、人は何と思うことでしょう。それなのにお迎えに参ったなどと思われましては、とても嫌でございますから」と言いますと、「それならば仕方がない。男ども、車を寄せよ」と車を寄せさせ、私の乗る所までやっとのことで歩いてこられました。とても切ない気持ちで「いつになりましょうか。わが家にお出でになれるのは」などと申し上げながら、もう涙が浮かんできてしまいます。あの人は「たいそう気がかりなので、明日か明後日には伺おう」と、とても寂しそうにしていらっしゃる。◆◆

■禅師=(ぜんじ)宮中の内道場に奉仕する僧を言うが、転じて一般に僧侶をいう。
■護身=陀羅尼経(だらにきょう・真言)を唱え、身心を守る密教の行法。

■大徳=(だいとこ)元来は高徳の僧をいうが、転じて僧を尊んでいう称。
■蔀=(しとみ)日本建築で上から吊(つ)り下げた格子戸。蔀戸(しとみど)ともいう。外に突き上げ、あるいは内に引き上げて開け、軒または天井から下げた金具に引っかけて留める。蔀には構造上多少異なるものがあり、表裏両面に格子を組み、その間に板を挟み込むのが正式で、表のみ格子で裏に板を張るものや、横桟または縦桟だけで板を留めたものもある。蔀は敷居と鴨居(かもい)の間を1枚で吊ると重いので、上下2枚に分け、上蔀を吊り下げ、下蔀を柱間(はしらま)に建て込むのが通例である。このような分けた蔀を半蔀(はじとみ)または小蔀(こじとみ)という。
 
 蔀は奈良末期~平安時代(8世紀後半)に現れた建具で、内裏(だいり)の殿舎や貴族の邸宅で用いられたが、中世以降になると一般化され、社寺でも使用した。ガラス戸のない時代、閉めると室内は真っ暗になる。

■粥=(かゆ)米を煮たものをいう。今日の「めし」にあたる。
    対して、「飯(いい)」は米を蒸したもの。

■イラストは蔀(しとみ)


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