永子の窓

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蜻蛉日記を読んできて(132)その2

2016年06月21日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (132)その2 2016.6.21

「こうじにたるに風は払ふやうに吹きて、頭さへいたきまであれば、風隠れつくりて見出したるに、暗くなりぬれば鵜舟どもかがり火さしともしつつ、ひと川さわぎたり。をかしく見ゆることかぎりなし。」
◆◆疲れたところに風が払うように吹き荒れて、頭痛までしてくるので、風除けをつくって外を見ているうちに、あたりが暗くなると、鵜舟が何艘もかがり火を灯して、川いっぱいに棹をさして行きます。この上もなく風情のある状景です。◆◆



「頭のいたさの紛れぬれば、端の簾まきあげて見出して、あはれ、わが心とまうでしたび、かへさにあかたの院にぞゆきかへりせし、ここになりけり、ここに按察使殿のおはして物などおこせ給ふめりしは、あはれにもありけるかな、いかなる世にさだにありけんと、思ひ続くれば、目もあはで夜中すぐるまでながむる鵜舟どもの、のぼりくだり行きちがふを見ては、
<うへしたとこがるることをたづぬれば胸のほかには鵜舟なりけり>
などおぼえて、なほ見れば、暁がたにはひきかへていさりとふ物をぞする。又なくをかしくあはれなり。」
◆◆頭痛も大分治まったので、端の簾を巻き上げて見わたしながら、ああそういえば、自分から思い立って初瀬に詣でたとき、京に帰る途中、あの人はあかたの院に伺って帰ったことがあったっけ、あれはここだったのだわ。ここに按察使様がお出でになっていて、贈り物をお寄こしくださったようでしたが、ほんとうにご芳情が見にしみたことでしたっけ。いったいどんな前世の因縁であのような素晴らしいことがあったのかしら、と思い出を辿っていると、目が冴えて夜中過ぎまで思い出にふけっていましたが、鵜舟が川を上ったり下ったり行き違うのを見ながら、
(道綱母の歌)「上も下も燃えているのは何かといえば、私の胸の思い(火)と、他には上り下りする鵜飼舟(の篝火)なのでした。」
などという歌が浮かんできて、なおも見ていると、夜明け前には全く違って、いさり(網漁)ということをしています。それもまた比べようもなく面白い風景でした。◆◆


■こうじにたるに=疲れたので

■風隠れ(かざがくれ)=風よけ


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