永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(631)

2010年01月27日 | Weblog
2010.1/27   631回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(46)

 源氏は、未亡人になられた落葉宮の境遇をお聞きになって、もしも自分の方が先に死んでしまった場合の紫の上のことをご心配になって、そのことを紫の上にお話になりますと、

 紫の上はお顔を曇らせて、お心の中でお思いになりますには、

「さまでおくらかし給ふべきにや。女ばかり、身をもてなすさまも所狭う、あはれなるべきものはなし、物のあはれ折をかしきことをも、見知らぬさまに引き入り、沈みなどすれば、何につけてか、世に経る栄々しさも、常なき世のつれづれをもなぐさむべき」
――それほど私を後々まで生き残らせるおつもりなのかしら。女ほど、身の持ち方も窮屈で詰まらぬものはない。深くこころに触れることも、興のおもむくこともまるで知らないように人前にも出ず引き籠ってばかりいれば、一体何によって日々の生活の楽しさや面白さを味わい、世の無常をなぐさめたりできましょうか――

「そは、大方物の心を知らず、いふかひなきものにならひたらむも、生ほしたてけむ親も、いと口惜しかるべきものにはあるずや」
――そのように、世間の道理も分からず、ただ能のない詰まらない身になっていたのでは、丹精して育ててくださった親も、さぞ残念にお思いでしょう――

「心にのみ籠めて(……)あしき事よき事を思ひ知りながらうづもれなむも、いふかひなし。わが心ながらも、よき程にはいかで保つべきぞ」
――思うことも一切言葉に出さず、(無言太子とか言って、僧たちが悲しい物語にしている昔の譬えのように)物の善悪をも心得ていながらじっと黙りこんでいるのも、まったくつまらないことです。自分でもどうしたら中庸を保って行けようか――

 とにかく、ご自分を保っておいでになれますのは、ただただ女一宮(明石の女御の第一姫宮)を可愛く、生き甲斐に思ってのことなのでした。

さて、

 夕霧が六条院へ参上されたついでがありましたので、源氏は夕霧がどう考えているのか知りたくてお呼び寄せになって「御息所の忌は明けたのですね。昨日今日と思っているうちに、三十年も昔のことになってしまう世の中ですからね。わたしもどうにかして出家しようと思いはしても、なかなか。まことに未練がましくて…」と、お話をあちらへ向けられます。

◆女一の宮(おんないちのみや)=明石女御の第一姫宮。子供に恵まれない紫の上は、明石御方がお産みになった源氏との御子・明石の姫君(後明石の女御)を養女として慈しみ養育した。

ではまた。


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