蜻蛉日記 下巻 (159) 2016.12.25
「十日になりぬ。今日ぞ大夫につけて文ある。『なやましきことのみありつつ、おぼつかなきほどにけるを、いかに』などぞある。
◆◆十日になりました。やっとあの人から大夫にことづけて手紙がありました。「気分がすぐれない日が続き、すっかりご無沙汰してしまったけれど、いかがお過ごしか」なとどあります。
「返りごと、又の日ものするにぞ付くる。『昨日はたちかへりきこゆべき思ひたまへしを、このたよりならではきこえんにも、便なき心ちになりにければなん。<いかに>とのたまはせたるは、何か、よろづことわりに思ひたまふる。月ごろ見えねば、なかなかいと心やすくなんなりにたる。<風だに寒く>ときこえさすれば、ゆゆしや』と書きけり。日暮れて、『かもていつみにおはしつれば、御かへりもきこえで帰りぬ』と言ふ。『めでたのことや』とぞ、心にもあらでうち言はれける。」
◆◆返事は、翌日大夫が伺うのにことづけました。「昨日はすぐにお返事を申し上げたいと思いましたが、大夫が伺うついででなければ具合が悪いような気持ちになってしまいましたので、「変わりはないか」とのことですが、なんの心配後無用でございます。幾月もお目にかからないので、かえって気楽に思うようになりました。「風だに寒く」の古歌どおりと申しますと、あなたを「見え来ぬ人」にしては大変でございますね、と書きました。日が暮れてから道綱が帰って来て、「賀茂の泉にお出ましでしたので、お返事も差し上げずに帰ってきました」といいます。「まあ、結構なことですこと」と思わず知らず口から漏れてしまいました。◆◆
「このごろ雲のたたづまひしづごころなくて、ともするば田子の裳裾思ひやらるる。ほととぎすの声もきかず。ものおもはしき人は寝こそ寝られざなれ、あやしう心よう寝らるるけなるべし。これもかれも『一夜聞きき』、『このあか月にも鳴きつる』と言ふを、人しもこそあれ、我しもまだしと言はんも、いとはづかしければ、物言はで心のうちにおぼゆるやう、
<我ぞげにとけて寝らめやほととぎすもの思ひまさる声となるらん>
どぞ、しのびて言はれける。」
◆◆この頃の天候は、雨雲の行き来があわただしくて、ややもすると、田植えをする農婦たちの裳の裾が泥にまみれるだろうと思いやられることです。ほととぎすの声も耳にしない。物思いのある人は眠れないというけれど、私は妙に快く眠れるせいかなのだろう。だれもかれも「せんだっての夜、聞きました」とか、「今日の夜明け前にも鳴いていましたよ」などと話すのを聞くと、人もあろうに、この私がまだ耳にしていないというのも、とても恥ずかしいので、黙ったまま、心の中に思い浮かべるには、
(道綱母の歌)「物思う私がぐっすり眠るわけがない。苦悩のまさる私の嘆きが、ほととぎすの悲痛な叫びとなっているのだろう」
と、そっとつぶやかれるのでした。◆◆
■月ごろ見えねば=兼家は三月二十七日の昼間以来訪れていない。
■風だに寒く=古歌「待つ宵の風だも寒く吹かざらば見え来ぬ人をうらみましやは」
■かもていつみ=未詳。「賀茂の泉」に改訂案あり。下賀茂神社の東にある出雲井於神社(いずもいのうえのじんじゃ)の清泉という。
■めでたのことや=兼家が「気分が悪くて」といいながら、作者の邸に来ず、そんなところへ外出するなんて結構なことね、と皮肉った。
「十日になりぬ。今日ぞ大夫につけて文ある。『なやましきことのみありつつ、おぼつかなきほどにけるを、いかに』などぞある。
◆◆十日になりました。やっとあの人から大夫にことづけて手紙がありました。「気分がすぐれない日が続き、すっかりご無沙汰してしまったけれど、いかがお過ごしか」なとどあります。
「返りごと、又の日ものするにぞ付くる。『昨日はたちかへりきこゆべき思ひたまへしを、このたよりならではきこえんにも、便なき心ちになりにければなん。<いかに>とのたまはせたるは、何か、よろづことわりに思ひたまふる。月ごろ見えねば、なかなかいと心やすくなんなりにたる。<風だに寒く>ときこえさすれば、ゆゆしや』と書きけり。日暮れて、『かもていつみにおはしつれば、御かへりもきこえで帰りぬ』と言ふ。『めでたのことや』とぞ、心にもあらでうち言はれける。」
◆◆返事は、翌日大夫が伺うのにことづけました。「昨日はすぐにお返事を申し上げたいと思いましたが、大夫が伺うついででなければ具合が悪いような気持ちになってしまいましたので、「変わりはないか」とのことですが、なんの心配後無用でございます。幾月もお目にかからないので、かえって気楽に思うようになりました。「風だに寒く」の古歌どおりと申しますと、あなたを「見え来ぬ人」にしては大変でございますね、と書きました。日が暮れてから道綱が帰って来て、「賀茂の泉にお出ましでしたので、お返事も差し上げずに帰ってきました」といいます。「まあ、結構なことですこと」と思わず知らず口から漏れてしまいました。◆◆
「このごろ雲のたたづまひしづごころなくて、ともするば田子の裳裾思ひやらるる。ほととぎすの声もきかず。ものおもはしき人は寝こそ寝られざなれ、あやしう心よう寝らるるけなるべし。これもかれも『一夜聞きき』、『このあか月にも鳴きつる』と言ふを、人しもこそあれ、我しもまだしと言はんも、いとはづかしければ、物言はで心のうちにおぼゆるやう、
<我ぞげにとけて寝らめやほととぎすもの思ひまさる声となるらん>
どぞ、しのびて言はれける。」
◆◆この頃の天候は、雨雲の行き来があわただしくて、ややもすると、田植えをする農婦たちの裳の裾が泥にまみれるだろうと思いやられることです。ほととぎすの声も耳にしない。物思いのある人は眠れないというけれど、私は妙に快く眠れるせいかなのだろう。だれもかれも「せんだっての夜、聞きました」とか、「今日の夜明け前にも鳴いていましたよ」などと話すのを聞くと、人もあろうに、この私がまだ耳にしていないというのも、とても恥ずかしいので、黙ったまま、心の中に思い浮かべるには、
(道綱母の歌)「物思う私がぐっすり眠るわけがない。苦悩のまさる私の嘆きが、ほととぎすの悲痛な叫びとなっているのだろう」
と、そっとつぶやかれるのでした。◆◆
■月ごろ見えねば=兼家は三月二十七日の昼間以来訪れていない。
■風だに寒く=古歌「待つ宵の風だも寒く吹かざらば見え来ぬ人をうらみましやは」
■かもていつみ=未詳。「賀茂の泉」に改訂案あり。下賀茂神社の東にある出雲井於神社(いずもいのうえのじんじゃ)の清泉という。
■めでたのことや=兼家が「気分が悪くて」といいながら、作者の邸に来ず、そんなところへ外出するなんて結構なことね、と皮肉った。