
東遊び(あずまあそび)
舞楽が唐、高麗の楽により宮廷における宴楽として発達し、華美な所があるのに対し神楽は奈良朝以来の唐楽等の長所をとり入れて、神聖にして格調の高き、高貴にして直截簡明な精神美を求めたもので、人長舞、久米舞、東遊などがある。
この東遊は東国地方の風俗舞であり、一説には安閑天皇[6世紀]の頃、駿河国の有度浜に天女が舞い降りたさまを国人道守が作ったと言われている。
宇多天皇の寛平元年11月賀茂の臨時祭の時に始めて用いられてから神事舞として諸社の祭典に奏られるようになった。
曲は一歌、二歌、駿河歌、求子(もとめご)歌、大比礼(おおひれ)歌からなる一大歌舞組曲で、京都の葵祭で奏されるのが有名である。舞人六人、拍子歌方数人、和琴(わごん)、篳篥(ひちりき)、高麗笛(こまぶえ)の編成で、舞は駿河舞と求子舞の2つで、動きの少ない上品な舞と云える。
◆写真:現在も京都の葵祭で舞われる。下鴨神社での東遊び。6人で舞う。神社により衣裳が違う。
舞楽が唐、高麗の楽により宮廷における宴楽として発達し、華美な所があるのに対し神楽は奈良朝以来の唐楽等の長所をとり入れて、神聖にして格調の高き、高貴にして直截簡明な精神美を求めたもので、人長舞、久米舞、東遊などがある。
この東遊は東国地方の風俗舞であり、一説には安閑天皇[6世紀]の頃、駿河国の有度浜に天女が舞い降りたさまを国人道守が作ったと言われている。
宇多天皇の寛平元年11月賀茂の臨時祭の時に始めて用いられてから神事舞として諸社の祭典に奏られるようになった。
曲は一歌、二歌、駿河歌、求子(もとめご)歌、大比礼(おおひれ)歌からなる一大歌舞組曲で、京都の葵祭で奏されるのが有名である。舞人六人、拍子歌方数人、和琴(わごん)、篳篥(ひちりき)、高麗笛(こまぶえ)の編成で、舞は駿河舞と求子舞の2つで、動きの少ない上品な舞と云える。
◆写真:現在も京都の葵祭で舞われる。下鴨神社での東遊び。6人で舞う。神社により衣裳が違う。