永子の窓

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蜻蛉日記を読んできて(132)その4

2016年06月28日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (132)その4 2016.6.28

「からうじて椿市にいたりて、れいのごととかくして出で立つほどに、日も暮れはてぬ。雨や風なほやまず、火ともしたれど吹き消ちていみじく暗ければ、夢の路の心地していとゆゆしく、いかなるにかとまで思ひまどふ。からうして祓殿に至り着きけれど、雨もしらず、ただ水の声のいとはげしきをぞ、さななりと聞く。」
◆◆やっとのことで、椿市(つばいち)というところに着き、例のようにいろいろと準備をして出立する頃には日も暮れてしまいました。風雨はなおも止まず、松明を灯していましたが、それも掻き消えてしまい真っ暗なので、夢の中で路を辿るようなおぼつかなさで恐ろしく、いったいどうなるものかと心配やら何やら生きた心地がしませんでした。やっとのことで祓殿にたどり着きましたが、雨の様子も分らず、ただただ川の音が激しいので、きっと雨がひどく降っているのだろうと思って聞いていました。◆◆



「御堂にものするほどに心ちわりなし。おぼろげに思ふことおほかれど、かくわりなきに物おぼえずなりにたるべし、何ごとも申さで、明けぬといへど、雨なほおなじやうなり。昨夜に懲りてむげに昼になしつ。」
◆◆御堂にのぼるとき、気分が悪くひどくくるしくなりました。並々ならぬお願い事が多くありましたのに、このように気分が悪く苦しいので意識もぼんやりしてしまったせいか、何事もお願いしないうちに、夜が明けてしまったようです。雨は昨夜と同じように降り続いています。昨夜の雨の中の旅に懲りて、当然のごと出立を昼にしました。◆◆



「音せでわたる森のまへを、さすがに、『あなかま あなかま』とただ手をかき面をふり、そこらの人のあぎとふやうにすれば、さすがにいとせんかたなくをかしく見ゆ。」
◆◆物音をさせずにとおる森の前を、いつもはにぎやかな連中も「静かに、静かに」と手を動かしたり、顔を振ったりしながら、大勢の供人たちが、魚みたいに口をぱくぱくさせるので、いつも心のほぐれることがない私もどうしようもなく可笑しく見ていました。◆◆

■祓殿(はらへどの)=参籠前に祓へをして、身を清める所。

■音せでわたる森=音を立てずに通らねばならぬ森。場所不詳。

■写真:椿市跡


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