永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(456)

2009年07月25日 | Weblog
09.7/25   456回

三十五帖【若菜下(わかな下)の巻】 その(10)

 出家されました朱雀院は、勤行に専念され内裏のことには口を挟まれないご生活ですが、女三宮の事だけは矢張りお忘れになれず、

「この院をば、なほ大方の御後見に思ひ聞こえ給ひて、うちうちの御心よせあるべく奏せさせ給ふ。」
――源氏をば、表向きのお世話役とみなされて、内々のことは、今帝にお頼みになっていらっしゃる――

「二品になり給ひて、御封などまさる。いよいよはなやかに御勢い添ふ」
――女三宮は、二品(にほん)に昇叙され、御封戸が所定どおり増されました。いよいよはなやかに、御威勢が増して行かれるのでした――

紫の上は、

「かく年月に添へて、方々にまさり給ふ御おぼえに、わが身はただ一所の御もてなしに、人には劣らねど、あまり年つもりなば、その御心ばへもつひに衰へなむ、さらむ世を見はてぬ前に、心と背きにしがな」
――このように年月の経つにつれて、女三宮などが昇進されるなど世間の信望が増して行かれますのに、自分はただ源氏お一人のお陰で、他の女方に劣るお扱いは受けてはいませんが、このまま年を経れば、源氏のご愛情も、ついには衰えてしまうことでしょう。そのような目に合わない前に、出家してしまいたい――

 と、始終思っていらっしゃいますが、源氏に、いかにも賢しらな女と思われそうで、
あれからは決してお口に出してはおっしゃらない。

「内裏の帝さへ、御心よせに聞こえ給へば、疎かに聞かれ奉らむもいとほしくて、渡り給ふこと、やうやう等しきやうになりゆく」
――(源氏は)今帝までもが、女三宮を御後援なさるので、女三宮を粗略に扱っているなどということがお耳に入っては困ると思われて、女三宮のところへお渡りになることを、紫の上と平等になさるのでした――

◆内親王の給与は、親王(男)の半分。実際はどのくらいなのかを調べたのですが、源氏物語の時代のことは、はっきりしません。資料でもバラバラでした。ただ、給与体系は整っていて、この場面では、女三宮には終生給与があり、紫の上には源氏からの分与以外何も無いので、その点でも行く末が不安であると分かります。女三宮が内親王であるかどうか諸説あるようですが、二品ですから内親王扱いでしょうか。

◆写真:女三宮  風俗博物館


源氏物語を読んできて(東遊び)

2009年07月25日 | Weblog
東遊び(あずまあそび)

 舞楽が唐、高麗の楽により宮廷における宴楽として発達し、華美な所があるのに対し神楽は奈良朝以来の唐楽等の長所をとり入れて、神聖にして格調の高き、高貴にして直截簡明な精神美を求めたもので、人長舞、久米舞、東遊などがある。
 
 この東遊は東国地方の風俗舞であり、一説には安閑天皇[6世紀]の頃、駿河国の有度浜に天女が舞い降りたさまを国人道守が作ったと言われている。
 
 宇多天皇の寛平元年11月賀茂の臨時祭の時に始めて用いられてから神事舞として諸社の祭典に奏られるようになった。
 
 曲は一歌、二歌、駿河歌、求子(もとめご)歌、大比礼(おおひれ)歌からなる一大歌舞組曲で、京都の葵祭で奏されるのが有名である。舞人六人、拍子歌方数人、和琴(わごん)、篳篥(ひちりき)、高麗笛(こまぶえ)の編成で、舞は駿河舞と求子舞の2つで、動きの少ない上品な舞と云える。

◆写真:現在も京都の葵祭で舞われる。下鴨神社での東遊び。6人で舞う。神社により衣裳が違う。