所在地:大阪府藤井寺市藤井寺一丁目16番21号
宗派:真言宗御室派
御本尊:十一面千手千眼観世音菩薩
創建:伝・神亀2年(725)
開基:伝・行基
勅願:聖武天皇
札所:西国三十三所、河内西国三十三所特別客番、神仏霊場巡拝の道
【歴史】
紫雲山三宝院剛琳寺と号し剛琳寺ともいい、
古代氏族葛井氏の氏寺として、7世紀後半の白鳳時代に建立されました。
飛鳥時代から奈良時代にかけては、全国各地で有力な氏族が、
仏教興隆を奉じて競って氏寺を造り、葛井寺もその一つなのです。
葛井氏は6世紀に活躍した渡来系の王辰爾の甥の胆津を祖とし、
日本書紀によれば吉備の白猪屯倉の田部の丁を定めた功績で白猪氏の姓を賜りました。
その後、葛井と改め、一族の葛井連広成が葛井寺を創建したと伝わります。
また、藤井寺という地名は後に大和在住の藤井安基という人が葛井寺の荒廃を嘆き、
その復興に尽力したことから生まれたといいます。
室町時代は奈良・興福寺の末寺として栄えましたが、
明応2年(1493)、畠山家の内紛に端を発した兵火にあって、
楼門、中門、三重塔、鎮守、奥院を焼失し、本堂と宝塔を残すのみとなりました。
残った建物ものちに地震で倒壊しましたが復興勧進で再興されました。
【南大門】
このお寺には駐車場がありませんので、
近くの有料駐車場に停めてくださいね。
【境内】
5年振りぐらいの参拝になりますが、
以前と変わらぬ雰囲気で懐かしさを感じました。
【出世地蔵大菩薩】
【本堂】
重要文化財。
毎月18日には国宝の御本尊が開帳されます。
【旗掛けの松】
【大師堂】
【専心龍乗観世音菩薩】
めっちゃイケメンでした。(^^
【観音堂】
阿弥陀如来、聖衆来迎二十五菩薩像が祀られています。
見応え十分ですが、もっと近くで見たいわ~。
【鐘楼堂】
【弘法大師像】
【十三重塔】
【弁財天】
【石仏】
全部はとてもじゃないが撮影は出来ませんでしたけど、
西国の観音像が祀られていました。
これって前からあったっけ?
全然記憶にない。
まぁ、当時は今と違って本堂のみ参拝してたから、
記憶に無いのも当たり前だけど。(^^;
【役行者像】
【護摩堂】
【紫雲石燈篭】
本物は本堂裏手の庭園にあり、
これは明治時代に造られたレプリカだそうです。
【四脚門】
重要文化財。
慶長6年(1601)豊臣秀頼が寄進したもの。
【御朱印】
宗派:真言宗御室派
御本尊:十一面千手千眼観世音菩薩
創建:伝・神亀2年(725)
開基:伝・行基
勅願:聖武天皇
札所:西国三十三所、河内西国三十三所特別客番、神仏霊場巡拝の道
【歴史】
紫雲山三宝院剛琳寺と号し剛琳寺ともいい、
古代氏族葛井氏の氏寺として、7世紀後半の白鳳時代に建立されました。
飛鳥時代から奈良時代にかけては、全国各地で有力な氏族が、
仏教興隆を奉じて競って氏寺を造り、葛井寺もその一つなのです。
葛井氏は6世紀に活躍した渡来系の王辰爾の甥の胆津を祖とし、
日本書紀によれば吉備の白猪屯倉の田部の丁を定めた功績で白猪氏の姓を賜りました。
その後、葛井と改め、一族の葛井連広成が葛井寺を創建したと伝わります。
また、藤井寺という地名は後に大和在住の藤井安基という人が葛井寺の荒廃を嘆き、
その復興に尽力したことから生まれたといいます。
室町時代は奈良・興福寺の末寺として栄えましたが、
明応2年(1493)、畠山家の内紛に端を発した兵火にあって、
楼門、中門、三重塔、鎮守、奥院を焼失し、本堂と宝塔を残すのみとなりました。
残った建物ものちに地震で倒壊しましたが復興勧進で再興されました。
【南大門】
このお寺には駐車場がありませんので、
近くの有料駐車場に停めてくださいね。
【境内】
5年振りぐらいの参拝になりますが、
以前と変わらぬ雰囲気で懐かしさを感じました。
【出世地蔵大菩薩】
【本堂】
重要文化財。
毎月18日には国宝の御本尊が開帳されます。
【旗掛けの松】
【大師堂】
【専心龍乗観世音菩薩】
めっちゃイケメンでした。(^^
【観音堂】
阿弥陀如来、聖衆来迎二十五菩薩像が祀られています。
見応え十分ですが、もっと近くで見たいわ~。
【鐘楼堂】
【弘法大師像】
【十三重塔】
【弁財天】
【石仏】
全部はとてもじゃないが撮影は出来ませんでしたけど、
西国の観音像が祀られていました。
これって前からあったっけ?
全然記憶にない。
まぁ、当時は今と違って本堂のみ参拝してたから、
記憶に無いのも当たり前だけど。(^^;
【役行者像】
【護摩堂】
【紫雲石燈篭】
本物は本堂裏手の庭園にあり、
これは明治時代に造られたレプリカだそうです。
【四脚門】
重要文化財。
慶長6年(1601)豊臣秀頼が寄進したもの。
【御朱印】
ほ~、そうでしたか。
おもしろそうなんでちょっと調べてみます。
コメント有難うございました。