TiTOを初めて聴いてる時に前半を終えて書き付けたメモだ。打出の小槌の如く次々美メロが湧き出てくる様は魔法としか思えなかったんだな。まぁ、今後このフレーズを使う予定はナイです(苦笑)。さてこの前半5曲のメロディ攻勢の源は何かといえばPrisonerOfLoveだろう。光が最も得意とする情感溢れる繊細な泣きのVocalをフィーチャしたこの曲は元々英語曲として作られ始めたものだった。UtaDA2ndを作るにあたりPoLの好感触を改めて英語でも追求したのでは、とi_はみる。夫々の違いを聴き較べながら何故PoLが結局日本語で歌われたのか考えてみるのも面白いかもしれない。
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「メロディ魔人」いいじゃないですか~
POLが何故結局日本語で歌われたか。非常に興味深いですよね。
僕らがいくら考察したところで、ヒッキー本人からは「タイアップの締め切りが近かったから」とか言われちゃいそうですよねw
僕が思うに、TiTOの収録曲すべてとPOLを聴き比べてみても、もうすでに日本語詞として完成されている作品を後から色々考えるのは、やっぱり難しいなぁ…。
といいつつ、がんばってみましたw
なので、まずPOLが英語詞だった頃、いったいどんなストーリーが歌われていたのだろう…ということを考えてみました。
タイトルは、♩Prisoner Of Love~のメロディと歌詞のハマり具合からしても、恐らく元々POLだったと予想します。
ただ歌詞の内容的には、この曲のインタビュー時において、ドラマの制作側からの「愛とも友情ともとれる歌詞」というオファーを受け、ジョナサンで粘って作詞をした、という発言より、元々そういう内容ではなかった、ということが言えると思います。
確かに、TiTO収録曲と歌詞の世界観を比べてみても、TiTOは「自立した一人の女性像」が際立っているのに比べ、POLは一人称こそ「私」を用いていますが、どちらかといえば中性的な印象ですよね(ドラマの特性に合わせた、或いは英語詞と日本語詞の単純な印象の違いかもしれませんが…)
そして、日本語歌詞の中でも英詞の箇所。
仮にここを、新たに作詞をしたのではなく、元々英詞だったときからそのまま「残した」と仮定したときに、その部分の歌詞は(I'm gonna tell you the truth等)これが元々ただの恋愛や失恋の曲だったとしても、違和感がないものばかりです。まぁそもそもPOLというタイトルからして、そうであっても違和感が無いですよね。
以上のことから、元の英語歌詞は、TiTOに入っていてもおかしくないような世界観だったとしても何ら不思議はないですよね。
次はメロディーについて。
ヒッキーはインタビューにおいて、「こういうJ-POPな曲を向こう(US)でやったらおもしろいかな、と思って」と発言していることから、POLという曲は元々US向けに作られたにも関わらず、ヒッキーの中では曲調や展開構成はあくまで「J-POPのソレ」だ、という認識だったわけですよね、最初から。
では、ヒッキーがUS向けのアルバムを制作するうえで、どのくらい「J-POP的」な性質を持った曲を収録しようと考えていたのか。
TiTO収録曲のうち、もし日本語詞が乗ったとしても違和感が無いものを僕なりに考えたのですが、意外と少なく、かろうじて「メ・ムエロ」くらいかな…と思うんです。
つまりTiTO制作時において、ヒッキーが「J-POPの要素を持った曲も入れてみようかな」と思って作っていた曲はそんなに数は無く、基本的には洋楽的?(適当な言葉が見つかりませんが)なものばかりだったのでしょう。
当時の状況を振り返ると、HSの制作も大詰めで、TiTOの制作も同時進行しており、そんな時に舞い込んだタイアップの話だったわけなので、ヒッキーとしても、ドラマの為に新曲を新たに書くか、ストックがあったのかは分かりませんが、あまり日程的に余裕がなかったとも考えられます。
そこで思いついたのが、元々J-POPの性質を十分に持ったPOLを日本詞に書き換えよう、という発想だったのではないでしょうか。
更にヒッキーはこれについて、「やっぱり日本語で歌いたいと思った」とも言っていますよね。これが多分一番の決め手だと思うのですが、やっぱりこの曲は日本語でやった方が曲の持つ性質を最大限に引き出せるのでは?とヒッキー自身が思ったからなのではないか…と思います。
また面白いことに、POLの収録時間は4:47。
もしこの曲が英語で、構成やbpmもそのまま、そしてトリッキーもしくはスターゲイトがトラックメイクをしたとしてもそんなに長さは変わらないと思うんです。
そうなると、もしPOLがTiTOに収録されていたとしたら、アルバム中一番長い曲になるんですよね。
メインストリームグッドポップを目指す上で、POLはあまりに情熱的で、メロディアスで、ドラマティックな展開だったのかもしれません。
イコール、POLはやっぱりかなり「超日本人向き」という結論になったのでは?と思います。
最終的に、そういう曲をUSでやったら面白いかな、という好奇心よりも、日本語でとことん演歌!やっぱ日本人はみんな好きよねマイナー調!!という曲の持つ本来の性質が勝った時、ヒッキーがPOLは日本語で、というジャッジを下したのではないかな?と僕は考えました。
事実、日本語で書かれたこの曲は、ヒッキーの中でも特にエモーショナル系な曲として5本の指に入る曲といっても過言ではない完成度でしたよね。(英詞を聴いたわけではないが、そう信じたいw)
HSのコンセプトも、曲の持つ世界観に忠実なアレンジでとなっていたように、ヒッキーにとってはPOLの完成形が、英詞よりも日本語での方が「はっきり見えた」のではないかと思います。
TiTOにこの曲の英語ver(←と言って良いものか…)が収録されなかったことからも、彼女が日本語詞での完成度に満足しているからでしょう。
ヒッキー本人はTiTOを以て、「宇多田もutadaも分けてない」と言っていますよね。作る曲が日本語なのか英語なのか、それによって宇多田かutadaかに名義が変わるだけの話だと思うんです。
だから分けているわけではない、と。
i_さんの言う、POLの好感触を改めて英語でも追求し、今度は逆に「英語でこそ生きるメロディ」を更に追求したんではないでしょうか?
だから前半5曲のメロディアスな展開はとてつもなく情感あふれるヒッキー節ではありますが、日本語が乗る気配はあまり感じられないような気がするんです。(これは僕の意見ですが…)
そう考えると、宇多田とutadaを繋ぐ中心に位置する曲は、出来上がった過程から考えてもPOLだったりするのではないでしょうか?
…と!こんなに長文を書くのが久々なので分かりにくい箇所ばかりだと思いますが、i_さんの目のつけどころの面白さにがんばって考えてみましたw
チラシの裏にしては文字数が多すぎますが、いかがでしょうww
お言葉に甘えて長々と綴ってしまいました。すいません。
長文コメント大歓迎です♪
どちらかというと、エントリとして上げないのが
もったいないくらいだ、というのが僕の気分では、あります。
さて、ひとつひとつ僕の所見を述べてゆきますが、
Hikkiのインタビューからわかるところもあればわからないこともあり
いずれにせよ推測の域は出ないことを踏まえた上で、ですね。
まず、一番わかりやすい理由は、仰る通り
「タイアップの話がきて、手元にある素材で何とかしようと思った」
ということで、日本語の載りやすそうなPoLが選ばれた、というものですね。
点P222によりますと(今度からこの方法が使える!凄い嬉しい!(笑))
「もともとあった歌詞がすごいラブ・ソングだったのね、コテコテの。
だから日本語にする時もそんな感じで作ろうかなと思っていた(後略)」
とHikkiは発言してるんですよ。ですから、hiさんの
> 元々ただの恋愛や失恋の曲だったとしても、違和感がない
という考察はまさに当を得ているという訳です。
これに付け加えますと、このPoLの曲調は彼女にとっての「十八番」で
長らく避けてきたものだったとその前の点P221から記述がありますが、
恐らく、まずUtaDAで英語詞でやろうと思った理由は、
「そうすれば、今までにやったことのないパターンになるから」
だったのではないでしょうか。
もし、日本語で、かつて日本語でやってたような曲を書けば二番煎じになるが
仮に、英語で、かつてに保護でやってたような曲を歌えば、
それはひとつの独自性を曲にもたせることができるな、と
最初光は考えたのではなかろうか、という推測です。
つまり、その頃は、開き直って自分の十八番を踏襲するのには
まだまだ心理的抵抗があったのではないか、曲に独自性をひとつひとつ
封入しなければいけないという考えが根深くあったのではないか、
だから英語を選んだのでは、という見立てです。
それが、Hステに入れるべき曲数の問題なり、
PoLのタイアップ話の浮上なりといった一連の流れの中で、
少しずつ光の中で“心境の変化”が起こっていったのでは、と。
一方で、TiTOの制作も、少なくとも07年9月以降の半年間はHステと
同時並行の形で進められていて(Stargateとの発対面はは07年冬ですからね)
先にHステが出るからには、TiTOの方に選り分けられていったアイディアは
自然な流れの中で「邦楽ではやりにくいもの」が集まっていったと考えられます。
それを推し進めたのが、「PoLを結局日本語で歌ったこと」であって、
「Jpop的なものをUtaDAで」というアイディアは、PoLの日本語化と共に
色としては薄れていったのではないかな。ここらへんは同意見ですね。
ただ、曲の長さに関しては僕は異なった見解を持っています。
TiTOは、光のアルバムの中でも特に「エンディングを凝らない」編曲が
多い作品になっていて、曲が短いのも多くがそれが原因なんですよね。
その点を考慮すると、PoLにおいてもエンディングをごそっと削れば、
最後の1分まるまる落とすことができ、3分50秒くらいの
楽曲としてまとめることができると思うんですよ。
仮にTiTOに入れるなら、そういう構成にしたんじゃないかなぁ、と。
以上の事等を踏まえてまとめますと。PoLが日本語曲として完成したのは、
自分の得意なメロディ展開を実践するにあたって常々持っていた
「同じことを繰り返したくない」という心理的抵抗感を
薄れさせるプロセスを構成する要素が、眺めの時間軸の中で
偶然にせよ意図的にせよ幾つか出揃ったこと、が大きいのではないでしょうか。
そうなると、元々持っていた「日本語曲としての素材」の側面を
そのまま出そう、というシンプルで素直な気持ちになっていった、と。
一方で、PoLを日本語曲にしてみた結果、、
その楽曲の出来が自身でも納得のいくものとなったことによって、
英語においても、自分の声が活かせるマイナー調で哀愁漂うメロディを
大きくフィーチャしようとした、そしてその局面に至っては、
メロディ自体が日本語向けでなくてもいいものを取り揃えた、と
いう風にみれば、PoLがTiTOに対して果たした役割がより明確に
見えてくるのではないかと。
まだまだ僕もまとまってませんが(汗)、今書けるのはこんなところです~。
まだまだ心理的抵抗があったのではないか、曲に独自性をひとつひとつ
封入しなければいけないという考えが根深くあったのではないか、
だから英語を選んだのでは、という見立てです。
するどいですね~さすがです!
でも本当にそうかもしれませんね…その解釈のほうが深いし、HS~TiTOの”良い流れ”を説明付ける理由としても辻褄が合います。
あと、TiTOの「エンディングを凝らない」っていうのも、納得しました。
そう思うと、僕がJ-POP的な要素が垣間見えると言ったメ・ムエロは、あの中ではエンディングに凝っている方かな…と思ったりして。
短いエンディングなりに、僕が「うまいなぁ~」と唸ってしまったのがA&Cのエンディング。
まさかあんな裏声とともに、E♭mで終わるなんて~憎いぞ!この!みたいなw
言われてみるとヒッキーはこれまでわりとフェードアウトやアウトロが長めのものが多く、その部分をカットしたとしたらどの曲も実はTiTO収録曲とそんなに変わらないのかもしれませんね。
きっとすべてに影響され、吸収して生きているヒッキーなので、曲の作りはじめから出来上がりまでに信じられないような変貌を遂げているものもあったりするんでしょうね。
あ、ちなみに僕も点、読みました。所々泣きそうになりながらw自伝の部分は当然ながら、
特定の曲のことを話していない部分のインタビューでも、なんとなく「じゃああれはそういうことだったのかな…」なんて想像が膨らむ内容で、それこそ点と点が繋がるみたいな感覚で、読めば読むほど深いな~と。
オフィシャルインタビューって、どちらかというとあまりディープなところまでは言及しないイメージがあったんあですが(勝手なねw)特にデビュー当時のインタビューなんかは今読むと驚かされることがいっぱいありましたね。
TiTO発売、点・線発売、トレボヘ放送と一連のスケジュールが一旦落ち着いて少し寂しい気もしますが、次に予定されている国内シングルまでの間に、TiTOのUSでのチャートアクションが楽しみでしょうがないです。
なのでその間は、ここのサイトの過去記事をじっくり堪能したいと思います(もう半分くらい読ませていただきましたw)
> hi さん
するどいだなんて言われると照れます(恥)<嬉しい、ってことねw
過去の自分の得意技を踏襲することを厭わなくなったことが、
気負いや力みを取り去る結果となり、
リラックスした聴き易さを作品に封じ込められることになったとすれば
それがPoLがTiTOにもたらした最も大きな特徴かもしれませんね。
メ・ムエロの、特にサビの歌詞の置き方は、
“英語以外の言語も載りやすいように”選ばれてる風に思います。
MeMuero、っていう母音の確固とした音の並びは英語では珍しいですからね。
その点を踏まえると、同じく母音が強調される日本語も
この歌の歌詞に載りやすい感じが現れるのではないかなぁ。
歌詞の場合、「乗る」と「載る」とどっちがいいんでしょうね。<突如余談(笑)
まぁ、どっちでもいいかな。
A&Cのエンディングは新鮮でしたね~!
僕は最後のコードの名前まではわからないけれど(^^;
ああいうところが、今回外部のプロデューサ(この場合Stargate)を
迎えた成果だと思うのですよ。
オフィシャル・インタビューに置ける松浦さんの妙味は、
たった一度のHikkiとの会話を各媒体の誌風と字数に応じて
微妙に書き分けていくところにあります。なので、
できるだけ突っ込んだことを書いてもOKな雑誌で
オフィシャルインタビューを読まないと、やや食い足りないケースも
出てくるかもしれません。その点、今回の点は(なんだこの語の並び(汗))
かなり網羅的に掲載されてる模様なので(まだ全然読めてませんが)、
読み応えがあるかもしれませんね~。
この日記を半分も読まれるなんてすごい!とてもありがとうございますm(_ _)m
もし最後まで行ったら旧・無意識日記にもとんでみてくださいね~
スパムトラバが消せなくて困って放置してて読み辛かったりしますが(瀑汗)