狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

「集団自決」 各紙めった斬り 毎日編

2007-03-31 20:17:33 | ★集団自決

毎日新聞社説:

教科書検定 沖縄戦悲劇の本質を見誤るな

 文部科学省の教科書検定・高校日本史で、沖縄戦の記述に相次いで検定意見が付き、表現が修正された。戦いのさなかに各地で起きた住民の集団自決について、日本軍によって強制されたり、追い込まれたりしたとするのを「軍の強制は明らかとはいえない」という理由で改めさせたのだ。

 元軍人の裁判や強制に否定的な出版物などがきっかけになったというが、これについての文科省の見解の転換は初めてとみられ、波紋は大きい。

 まず気になるのは、「強制」についての考え方だ。

 個々の惨劇に系統だった「命令」のような記録は残らない。しかし、軍から食糧を奪われ、避難壕(ごう)からも追い出された住民たちは「鉄の暴風」といわれた砲爆撃の野にさまよい、そうした人々が集団自決にも追い込まれた。

 1945年春、硫黄島陥落の後始まった沖縄戦で、日本軍守備隊は基本的に持久戦法を採用し、「敵を引きつけ、本土進攻を遅らせる」時間稼ぎに努めた。

 例えば、沖縄本島の主な激戦地は南部で、当初、一般住民は九州本土や本島北部に疎開させる計画もあったが十分に進まず、ついに日本国内で初めて住民を無制限に巻き込んだ地上戦を3カ月にわたって展開することになった。

 守備隊の作戦の最大の目的は「本土決戦準備」の時間を少しでも長くすることであり、「住民保護」の態勢や発想は薄い。要とした首里戦線が持ちこたえられず、軍がここを放棄して本島南端に向かって退却を始めたころから、住民の犠牲者は急増した。

 また将兵はもとより、住民たちも「投降」は考えることも許されなかった。日本中がそう教育され、刷り込まれていた時代である。軍は雪崩を打つように南へ敗走し、最終段階では軍属の人々も放置して崩壊した。

 こうした流れや無責任な全体状況は、死を選ぶしかないほど人々の心身を追い込んだとみることもでき、「強制は明らかでない」と言い切れるものだろうか。

 また沖縄戦は、ここから歴史、社会、地理、文化などさまざまな学習テーマを見いだすことができる。次世代が学び継いでいくべき内容は尽きない。だが総じて教科書では切り詰めた書き方になる。学習指導要領に沿って編集される検定教科書はどうしても「項目にできるだけ漏れのない」均等割り的な記述になりやすい。

 いっそのこと、高校では検定を廃止し、教材を学校・教師・生徒に任せることを検討してみてはどうだろうか。例えば、沖縄戦を一つの核にして、学習テーマを総合的に広げていくという長期授業の試みがあってもいい。

 昨秋明らかになった大量履修不足問題は、大学入試に関係なければ歴史学習に関心や意欲がわかないという高校生が少なくないことを示した。指導要領にも問題がある。新しい大学入試のあり方とともに、検定というタガを外した高校の教科学習を本腰を入れて考える時にきているのではないか。(毎日新聞 2007年3月31日 0時05分)

                   ◇

≪鉄の暴風」といわれた砲爆撃の野にさまよい、そうした人々が集団自決にも追い込まれた。≫

終始、情緒的に沖縄住民のことを同情してくれるの結構だが、

社説とは名ばかりの中味のない空虚な駄文。

無理に「集団自決」をテーマにした感。

砲爆撃で自決に追い込まれたのと軍の命令で自決した」のとでは責任の所在が自ずと異なる。

現場責任者を特定せずに、戦争を始めた日本軍に総じて責任があるというのならともかく、

今問題になっている「集団自決」問題は、

現場責任者たる座間味島の梅沢守備隊長、と渡嘉敷島の赤松守備隊長を個人名を挙げて、

「軍命令で住民を集団自決させた極悪人」と断罪し、それが教科書にまで載ったことが問題なのだ。

情緒的な同情論で「まず気になるのは、「強制」についての考え方だ」なんて格好つけずに問題の本質を考えてから社説など書いて欲しいものだ。


また将兵はもとより、住民たちも「投降」は考えることも許されなかった。日本中がそう教育され、刷り込まれていた時代である。≫

日本中がそう教育されていた時代と言うことが分っているならこんな社説はかけない筈だ。

日本中がそうだったのに何故渡嘉敷島と座間味島の守備隊長だけが名指しで糾弾され続けなければならないのか


 
≪高校では検定を廃止し、教材を学校・教師・生徒に任せることを検討してみてはどうだろうか≫

この社説の筆者が本気でこう考えているとしたら何をか言わんやだ。

教育の荒廃これに極まれり!

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その日、尖閣は天気晴朗だった!

2007-03-31 17:55:25 | 未分類

その日尖閣諸島近辺は天気晴朗であった。

だが「県知事として、南大東、北大東から尖閣も与那国も含めて、県域だと思っている」と胸を張ったはずの知事視察は、

天候を理由に尖閣視察を延期した。

知事は十五日、県庁を訪れた陳桎宏・台北駐日経済文化代表処那覇分処代表代理との懇談の中で、

十三日に天候不良のため延期したが

「いずれ行きたい」

と述べた。

あれから約三週間。

知事の尖閣再訪問の話は聞かない。

29日の衆議院安全保障委で、仲井真知事が尖閣上空視察を、

「天気不良」を理由に延期した件を、

沖縄選出の下地幹郎議員(無所属)が質問した。

防衛庁や海上保安庁の答弁から、その日の視界はよく、

知事の方から延期したいと自衛隊に持ちかけた事も判明した

同議員は「気象データを見ても天候が良かったのははっきりしている。・・・行く気がないなら最初から触れるべきじゃない」といきり立っていたという。

中国の横槍を聞いて

「何で?」とか

「国際情勢に疎いから」とか

「県に聞いて見る」等々、数々の名言、いや迷言を発した知事。

県に聞いたのか記者に、予定通り視察決行かと問われて、

「イエス!」と英語で答えるはしゃぎようだった。

「尖閣視察を県域視察」と記者に答え、

「何か?」といったまでは良かったのだが、

やはり自国のお墨付き(県域なので問題ないー外務省)よりも中国様のご機嫌の方が大事だったようだ。

仲井真知事といえば「くにんんだんちゅ(久米村人)」で、

「久米三十六姓」の末裔で、ご先祖は中国人。

まさか国を忘れて先祖返りではないでしょう。

◆久米三十六姓http://kumesouseikai.jp/kume36/index.html

≪当選した仲井真氏は、600年ほど前に中国福建省から琉球に移住し、王国の外交や貿易を支えた人材集団(久米村人)の末裔(まつえい)に当たる。大臣として琉球王国の国政を担当した蔡温(さいおん)(1682~1761年)もまたその血筋に属する人だが、その彼が中国・日本という両大国のはざまに生きる小国経営の苦労について多くの著作で述べている。私の好きな言葉に、「琉球経営の要諦は、手段(てだて)を間違えないことだ。何から着手し、その次に何を成すか、手段を取り違えてはならない」という表現がある。≫(高倉倉吉氏)http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/okinawa/kikaku/022/23.htm

 

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「集団自決」 各紙なで斬り 朝日編

2007-03-31 09:54:34 | ★集団自決

◆朝日新聞【社説】2007年03月31日(土曜日)付

  集団自決―軍は無関係というのか

 高校生が使う日本史教科書の検定で、沖縄戦の「集団自決」が軒並み修正を求められた。
 「日本軍に強いられた」という趣旨の記述に対し、文部科学省が「軍が命令したかどうかは、明らかとは言えない」と待ったをかけたのだ。
 教科書の内容は次のように変わった。
 日本軍に「集団自決」を強いられた→追いつめられて「集団自決」した
 日本軍に集団自決を強制された人もいた→集団自決に追い込まれた人々もいた
 肉親が殺し合う集団自決が主に起きたのは、米軍が最初に上陸した慶良間諸島だ。犠牲者は数百人にのぼる。
 軍の関与が削られた結果、住民にも捕虜になることを許さず、自決を強いた軍国主義の異常さが消えてしまう。それは歴史をゆがめることにならないか。
 この検定には大きな疑問がある。
 ひとつは、なぜ、今になって日本軍の関与を削らせたのか、ということだ。前回の05年度検定までは、同じような表現があったのに問題にしてこなかった。
 文科省は検定基準を変えた理由として「状況の変化」を挙げる。だが、具体的な変化で目立つのは、自決を命じたとされてきた元守備隊長らが05年、命令していないとして起こした訴訟ぐらいだ。
 その程度の変化をよりどころに、教科書を書きかえさせたとすれば、あまりにも乱暴ではないか。
 そもそも教科書の執筆者らは「集団自決はすべて軍に強いられた」と言っているわけではない。そうした事例もある、と書いているにすぎない。
 「沖縄県史」や「渡嘉敷村史」をひもとけば、自決用の手投げ弾を渡されるなど、自決を強いられたとしか読めない数々の住民の体験が紹介されている。その生々しい体験を文科省は否定するのか。それが二つ目の疑問だ。
 当時、渡嘉敷村役場で兵事主任を務めていた富山真順さん(故人)は88年、朝日新聞に対し、自決命令の実態を次のように語っている。
 富山さんは軍の命令で、非戦闘員の少年と役場職員の20人余りを集めた。下士官が1人に2個ずつ手投げ弾を配り、「敵に遭遇したら、1個で攻撃せよ。捕虜となる恐れがあるときは、残る1個で自決せよ」と命じた。集団自決が起きたのは、その1週間後だった。
 沖縄キリスト教短大の学長を務めた金城重明さん(78)は生き証人だ。手投げ弾が配られる現場に居合わせた。金城さんまで手投げ弾は回ってこず、母と妹、弟に手をかけて命を奪った。「軍隊が非戦闘員に武器を手渡すのは、自決命令を現実化したものだ」と語る。
 旧日本軍の慰安婦について、安倍政権には、軍とのかかわりを極力少なく見せようという動きがある。今回の文科省の検定方針も軌を一にしていないか。
 国民にとってつらい歴史でも、目をそむけない。将来を担う子どもたちにきちんと教えるのが教育である。

                 ◇

朝日新聞は沖縄の「集団自決」に関わる「岩波訴訟」のいわば被告側の当事者だ。

全ての発端となったのは沖縄タイムス社刊の「鉄の暴風」だが、

その初版は朝日新聞社から出版されており執筆者の一人牧港篤三(故人)さんも戦前は沖縄朝日新聞の記者だった。

「岩波訴訟」の被告の一人大江健三郎氏は「鉄の暴雨風」の記述を元に「沖縄ノート」(岩波書店)を出版したのだから、

大江被告よりは「鉄の暴風」」の記述内容にはより責任ある立場にある。

当然今回の教科書検定でも文部省の意見には反対の立場をとることは理解できる。

「軍命令あり派」の急先鋒沖縄タイムスとスクラム組んで「集団自決は軍の命令による」と煽り続けていたが、昨年辺りから論調が静かになってきた。

丁度「慰安婦問題」形勢不利と判断するや、これまでで愛用し続けていた「従軍慰安婦」の言葉を「いわゆる慰安婦」と言い換え始めた頃と時を同じにする。

「集団自決」問題でも形勢不利と判断したのか「軍命令があった」とは断定しなくなった。

今朝の社説のタイトル「集団自決―軍は無関係というのか 」でも最近の朝日の弱気が現れている。

「集団自決」は「鉄の暴風」を降らしたと言われる圧倒的物量に勝る米軍の総攻撃を直前にした村民があまりにも脆弱な日本軍の守備隊の状況にパニックになった結果だと当日記は推察する。 

当然軍に無関係だとは言い切れない。

米軍の総攻撃を目前にパニックになって「集団自決」したとなると無関係とはいえないだろう。

朝日が言う「広義の関係」がここでも顔を出してくる。

「集団自決はすべて軍に強いられた」と言っているわけではない

自決を強いられたとしか読めない」

軍隊が非戦闘員に武器を手渡すのは、自決命令を現実化したものだ」。

といった主張も裏返すと「軍命令は無くとも戦時中の行動は全て軍命令と同じ」だという理屈に支えられている。

だったら、貧弱な武器で島中を取り囲んだ米軍に決死で立ち向かおうとした梅沢、赤松の若き両司令官(座間味島と渡嘉敷島の)を「住民に集団自決の命令を下した極悪非道の男」として糾弾するいわれはないはずだ。

ましてや教科書に「集団自決」があった事はともかく「軍命令でやった」とは記載すべきではない。

この「直接の軍命令が無くとも命令と同じ」と言う理屈を最初に言い出したのは、安仁屋沖縄国際大学名誉教授である。

同氏は沖縄タイムス(2005年7月2日)の[戦後60年]/[「集団自決」を考える](18) 

/識者に聞く(1)/安仁屋政昭沖国大名誉教授

・・・と言う特集記事http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu/jiketu
20050702.html
で記者の質問に答えた次のように語っている。 

 -沖縄戦で起きた「集団自決」とは。

 「天皇の軍隊と、それに追随する市町村役場の管理職や徴兵事務を扱う兵事係らの強制と誘導によって、肉親同士の殺し合いを強いられたのが『集団自決』の実態である」

 「日本語で『自決』とは自らの意思で、責めを負って命を絶つこと。自殺の任意性や自発性が前提となるので、言葉本来の意味において、沖縄戦では『集団自決』はなかった」

 -どのような状況下で起きたのか。

 「『集団自決』は日本軍と住民が混在していた極限状態で起きている。沖縄戦は、南西諸島が米軍によって制海権も制空権も完全に握られ、民政の機能しない戒厳令に似た『合囲地境』だった。その状況下では、駐留する日本軍の上官が全権を握り、すべてが軍の統制下にあった。地域住民への命令や指示は、たとえ市町村職員が伝えたとしてもすべて『軍命』として住民が受け取るような状況があった

 「地域の指導者や住民たちは、日ごろから軍の命令は天皇の命令だと教えられてきた。皇民化教育によって魂まで身命を投げ打った。軍の足手まといになるなら、死を選ぶことが軍の手助けになるという考えが徹底的に植え付けられていた」

                  *

「地域住民への命令や指示は、たとえ市町村職員が伝えたとしてもすべて『軍命』」

と言ういわば「広義の軍命令」を言い出した安仁屋教授の理屈の根拠はどうやら『合囲地境』と言う聞きなれない言葉にあるらしい。

戦時中の沖縄を「戒厳令」状態と仮定しようとしたが2・26事件以来日本で戒厳令が引かれた例はない。

安仁屋教授はそこで日本の戒厳令においては、「臨戦地境 」と「合囲地境 」の2種類の戒厳地域区分が存在するということに着目した。

特に後者の「合囲地境 」 とは「敵に包囲されている、または攻撃を受けている地域で、一切の地方行政・司法事務が当該地域軍司令官の管掌となる」とあるのでこれを沖縄戦に適用しようと考えた。

だが、実際には日本では法制度上は存在してもこれが適用された例はない。

勿論「沖縄戦」にも「合囲地境」はしかれていない。

安仁屋教授個人が勝手に「合囲地境とみなした」に過ぎない。

この伝でいくと、沖縄だけではなく、1945年の日本列島全域、またソ連参戦後の樺太や千島列島は外形的には敵国に包囲され攻撃されているという合囲地境の条件を満たしており、樺太や千島で自決した住民も、いや日本国中で自決した人全てが日本軍の命令で死んだ事になる。

                  *

朝日は「軍命令はあった」と散々煽っていて自分は梯子を外して逃げの態勢に入った。 

昨年のエントリー朝日の敵前逃亡 沖縄の「集団自決」 (2006年9月3日)で次のようなことを書いた。

同じ筆者ゆえ多少重複するが敢えて以下に引用する。


≪沈没船のネズミが事前に察知して船から脱出すると言う話と全く同じだ。
 
朝日社説は、慶良間諸島の集団自決に触れるが、あえて大江健三郎の名とその「沖縄ノート」の名を出して彼の言葉を引用するも、集団自決が日本軍(各島最上級官)の「命令」によるものだったかには巧妙に触れていない。
 
この時点で朝日は既にこれまで主張してきた「軍命令による集団自決論」が崩れ出していることをネズミの本能で嗅ぎ付けていた。
 
朝日お得意の「広義の解釈」で「軍命のあるなしは問題はでない」と論点すり替えのアリバイ作りのつもりなのだろう。
 
しかし、大江健三郎氏の「沖縄ノート」の引用で他人事のように逃げるのは卑怯と言うものだろう。
 
朝日新聞社は「集団自決」問題については第三者ではなく、当事者そのものなのだ。
 
ことの発端となった沖縄タイムス社刊行の「鉄の暴風」の初版は朝日新聞が出版している。
 
「鉄の暴風」の執筆者の一人牧港篤三さん(89)・元新聞記者は【沖縄タイムス<2002年6月12日>[戦への足音 6・23体験者が伝える「有事」](1)】で次のように語っている。
 
≪『鉄の暴風』で取材した体験者は二百人余り。初版は朝日新聞社で印刷され、二万部出版された。≫
 
沖縄タイムスの前身は「沖縄朝日新聞」であり「鉄の暴風」の執筆者牧港さんは沖縄朝日新聞の記者だったのだ。
 
その杜撰な記事を鵜呑みにして「軍命令があった」と声高に個人攻撃をしたのが「沖縄ノート」になるわけだから、朝日が社説で自社出版物を典拠した「沖縄ノート」をわざわざ引用に使うのは事情を知る者にとっては笑止千万な話だ。
 
ネズミは危機を察知した。
 
正に朝日の敵前逃亡だ。≫
 
                  ◇
 
6月23日・朝日社説(1)
沖縄慰霊の日 悲劇と狂気を思い起こす
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
『沖縄の「慰霊の日」が今年も巡ってきた。太平洋戦争末期の沖縄戦で犠牲になった人々を悼み、平和を祈る日だ。80日余りの戦闘で亡くなったのは20万人を超える。狂気の世界というほかない。米軍に投降すればいいではないか。自殺することはない。いまの若い人たちはそう疑問を抱くだろう。 宮城さんは「皇民化教育は国のために死を惜しまないことを教えた。集団自決は敵を目前にした住民の必然的な行為で、国に死を強いられた」と語る。さらに住民は「米兵に捕まると、女性は辱めを受ける」などと、「鬼畜米英」の恐ろしさを信じこまされていた。米軍の上陸前、座間味島の住民は約600人だった。集団自決で命を絶った住民は135人にのぼり、その8割が女性や子供だった。慶良間諸島全体では犠牲者は700人になる。「鉄の暴風」と呼ばれた米軍の砲撃や空爆は、沖縄本島に上陸後も、さらに激しくなった。そこで米軍を迎え撃とうとする限り、おびただしい犠牲は避けられなかった。こうした沖縄戦の事実は沖縄では語り継がれているとはいえ、本土にとっては遠い土地の昔の話かもしれない。 慶良間諸島の集団自決について「沖縄ノート」に記した作家の大江健三郎さんは「沖縄戦がどんなに悲惨で、大きなことだったか。集団の自殺を頂点として、日本軍が沖縄の人々に大きな犠牲を強いたことを日本人の心の中に教育し直さなければならないと思う」と話す。すさまじい犠牲の末に、沖縄は米軍に占領された。それはいまもなお、広大な米軍基地というかたちで残る。沖縄戦の悲劇と狂気を絶えず思い起こす。それは日本の進む道を考えるうえで、苦い教訓となるに違いない。』 (朝日新聞)
 

 

 

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集団自決 原告梅沢さんの記者会見 「裁判の目的半分達成」

2007-03-31 06:32:08 | ★集団自決
「沖縄集団自決冤罪訴訟支援する会」からの引用です。
 
≪教科書検定 集団自決に軍関与を削除
 

平成19年3月30日は第8回口頭弁論でしたが、
ちょうどこの日、教科書検定により、沖縄戦での集団自決が軍の命令によって、あるいは軍の関与によって起こったという記述が教科書から削除される事が分かりました。
大変よきことであると思います。
すばらしいことで、
これでこの裁判を起こした目的の半分は達成されました。

明日31日朝刊に全紙報道される予定ですが、これまですでに為された報道を以下にアップしました。
また、原告の梅澤さんは裁判所で以下のように記者会見しました。

http://www.kawachi.zaq.ne.jp/minaki/page026.html
http://www.kawachi.zaq.ne.jp/minaki/page027.html 

(以下略)≫

                   *

今朝の全国五紙は日経を除いて、読売、産経、朝日、毎日がそれぞれ社説で教科書検定の「集団自決は軍命」削除を取り上げた。

タイトルはそれぞれ次のとおり。

読売:[教科書検定]「歴史上の論争点は公正に記せ」

産経:沖縄戦 新検定方針を評価したい

朝日:教科書検定 沖縄戦悲劇の本質を見誤るな

毎日:教科書検定 沖縄戦悲劇の本質を見誤るな

論調は言わずもがなだが、文部省意見に読売、産経は賛成、朝日、毎日は反対。

各紙社説への当日記の感想は次稿にて。

                 ◇

◆3月31日付・読売社説(1)

 [教科書検定]「歴史上の論争点は公正に記せ」

 諸説ある史実は断定的には書かない、誤解を招くような表記は避ける。文部科学省が求めたのは、そんな当たり前の教科書記述だったと言える。

 来年春から高校で使われる教科書の検定結果が公表された。

 終戦の年の1945年、沖縄戦のさ中に起きた「集団自決」をめぐる記述が一つの焦点になった。

 日本史教科書を申請した発行社6社のうち5社の記述に、それぞれ「沖縄戦の実態が誤解されるおそれがある」との検定意見がついた。「集団自決」について、「日本軍が追い込んだ」「日本軍に強制された」などと表記していた。

 「日本軍が」の主語を削り、「集団自決に追い込まれた人々もいた」などと修正することで結局、検定はパスした。

 今回、文科省が着目したのは「近年の状況の変化」だったという。

 70年代以降、軍命令の存在を否定する著作物や証言が増えた。一昨年には、大江健三郎氏の著書に命令した本人として取り上げられた元将校らが、大江氏らを相手に名誉棄損訴訟を起こしている。

 生徒が誤解するおそれのある表現は避ける、と規定した検定基準に則して、今回の検定から修正要請に踏み切った。妥当な対応だったと言えよう。

 ただ、昨年度検定の高校教科書などには、こうした表記が残っている。文科省は速やかに修正を求めるべきだ。

 「南京事件」は7社が日本史、世界史で取り上げた。うち4社の犠牲者数について、「諸説を十分に配慮していない」との意見が付いた。

 「10数万人」「20万人以上」「中国側は30万人、という見解」――。一方に「1~2万人」や「4万人」といった学説がある中で、各社の記述は数字の大きな犠牲者数に偏っていた。

 「例年、検定意見が付くとわかりながら、大きな犠牲者数のみを書いてくる発行社がある。ゲーム感覚なのか」と文科省。とても教科書作りの場にふさわしい姿勢とは言えない。

 「従軍慰安婦」をめぐる記述は6社が取り上げたが、検定意見は一つも付かなかった。昨年までは、日本軍が慰安婦を強制連行した、といった記述に「誤解を招く」などの意見が付いていた。

 発行社側が意見の趣旨を理解したことの表れなのかどうか、注視したい。

 一方で、最近の慰安婦問題をめぐる国内外の論争が、今後の検定に微妙な影響を及ぼすことを懸念する声がある。

 政治や外交などに翻弄(ほんろう)されることなく、客観的で公正な記述の教科書を、学校現場に届けたいものだ。(2007年3月31日1時48分  読売新聞)

 

◆産経新聞【主張】

沖縄戦 新検定方針を評価したい

 来春から使われる高校教科書の検定結果が公表され、第二次大戦末期の沖縄戦で旧日本軍の命令で住民が集団自決を強いられたとする誤った記述に初めて検定意見がつき、修正が行われた。新たな検定方針を評価したい。

 集団自決の軍命令説は、昭和25年に発刊された沖縄タイムス社の沖縄戦記『鉄の暴風』に記され、その後の刊行物に孫引きされる形で広がった。

 しかし、渡嘉敷島の集団自決について作家の曽野綾子さんが、昭和40年代半ばに現地で詳しく取材し、著書『ある神話の背景』で疑問を示したのをはじめ、遺族年金を受け取るための偽証が基になったことが分かり、軍命令説は否定されている

 作家の大江健三郎氏の『沖縄ノート』などには、座間味島や渡嘉敷島での集団自決が、それぞれの島の守備隊長が命じたことにより行われたとする記述があり、元守備隊長や遺族らが、誤った記述で名誉を傷つけられたとして訴訟も起こしている。

 軍命令説は、信憑(しんぴょう)性を失っているにもかかわらず、独り歩きを続け、高校だけでなく中学校の教科書にも掲載されている。今回の検定で「沖縄戦の実態について誤解するおそれがある」と検定意見がつけられたのは、むしろ遅すぎたほどだ。

 沖縄戦を含め、領土、靖国問題、自衛隊イラク派遣、ジェンダー(性差)などについても、一方的な記述には検定意見がついた。検定が本来の機能を果たしつつあると思われる。

 前進ではあるが、教科書にはまだまだ不確かな証言に基づく記述や信憑性の薄い数字が多いのも事実だ。

 例えば南京事件の犠牲者数は誇大な数字が書かれている。最近の実証的研究で「10万~20万人虐殺」説はほとんど否定されており、検定では諸説に十分配慮するよう求めている。

 その結果、「数万人」説を書き加えた教科書もあるが、相変わらず「30万人」という中国側が宣伝している数字を記述している教科書はある。

 子供たちが使う教科書に、不確かな記述や数字を載せるのは有害でしかない。教科書執筆者、出版社には、歴史を楽しく学び、好きになれる教科書づくりはむろんだが、なによりも実証に基づく正確な記述を求めたい。(2007/03/31 05:03)

 ◆朝日新聞【社説】2007年03月31日(土曜日)付 

  集団自決―軍は無関係というのか
 高校生が使う日本史教科書の検定で、沖縄戦の「集団自決」が軒並み修正を求められた。
 「日本軍に強いられた」という趣旨の記述に対し、文部科学省が「軍が命令したかどうかは、明らかとは言えない」と待ったをかけたのだ。
 教科書の内容は次のように変わった。
 日本軍に「集団自決」を強いられた→追いつめられて「集団自決」した
 日本軍に集団自決を強制された人もいた→集団自決に追い込まれた人々もいた
 肉親が殺し合う集団自決が主に起きたのは、米軍が最初に上陸した慶良間諸島だ。犠牲者は数百人にのぼる。
 軍の関与が削られた結果、住民にも捕虜になることを許さず、自決を強いた軍国主義の異常さが消えてしまう。それは歴史をゆがめることにならないか。
 この検定には大きな疑問がある。
 ひとつは、なぜ、今になって日本軍の関与を削らせたのか、ということだ。前回の05年度検定までは、同じような表現があったのに問題にしてこなかった。
 文科省は検定基準を変えた理由として「状況の変化」を挙げる。だが、具体的な変化で目立つのは、自決を命じたとされてきた元守備隊長らが05年、命令していないとして起こした訴訟ぐらいだ。
 その程度の変化をよりどころに、教科書を書きかえさせたとすれば、あまりにも乱暴ではないか。
 そもそも教科書の執筆者らは「集団自決はすべて軍に強いられた」と言っているわけではない。そうした事例もある、と書いているにすぎない。
 「沖縄県史」や「渡嘉敷村史」をひもとけば、自決用の手投げ弾を渡されるなど、自決を強いられたとしか読めない数々の住民の体験が紹介されている。その生々しい体験を文科省は否定するのか。それが二つ目の疑問だ。
 当時、渡嘉敷村役場で兵事主任を務めていた富山真順さん(故人)は88年、朝日新聞に対し、自決命令の実態を次のように語っている。
 富山さんは軍の命令で、非戦闘員の少年と役場職員の20人余りを集めた。下士官が1人に2個ずつ手投げ弾を配り、「敵に遭遇したら、1個で攻撃せよ。捕虜となる恐れがあるときは、残る1個で自決せよ」と命じた。集団自決が起きたのは、その1週間後だった。
 沖縄キリスト教短大の学長を務めた金城重明さん(78)は生き証人だ。手投げ弾が配られる現場に居合わせた。金城さんまで手投げ弾は回ってこず、母と妹、弟に手をかけて命を奪った。「軍隊が非戦闘員に武器を手渡すのは、自決命令を現実化したものだ」と語る。
 旧日本軍の慰安婦について、安倍政権には、軍とのかかわりを極力少なく見せようという動きがある。今回の文科省の検定方針も軌を一にしていないか。
 国民にとってつらい歴史でも、目をそむけない。将来を担う子どもたちにきちんと教えるのが教育である。
 
 

◆毎日新聞社説:

教科書検定 沖縄戦悲劇の本質を見誤るな

 文部科学省の教科書検定・高校日本史で、沖縄戦の記述に相次いで検定意見が付き、表現が修正された。戦いのさなかに各地で起きた住民の集団自決について、日本軍によって強制されたり、追い込まれたりしたとするのを「軍の強制は明らかとはいえない」という理由で改めさせたのだ。

 元軍人の裁判や強制に否定的な出版物などがきっかけになったというが、これについての文科省の見解の転換は初めてとみられ、波紋は大きい。

 まず気になるのは、「強制」についての考え方だ。

 個々の惨劇に系統だった「命令」のような記録は残らない。しかし、軍から食糧を奪われ、避難壕(ごう)からも追い出された住民たちは「鉄の暴風」といわれた砲爆撃の野にさまよい、そうした人々が集団自決にも追い込まれた。

 1945年春、硫黄島陥落の後始まった沖縄戦で、日本軍守備隊は基本的に持久戦法を採用し、「敵を引きつけ、本土進攻を遅らせる」時間稼ぎに努めた。

 例えば、沖縄本島の主な激戦地は南部で、当初、一般住民は九州本土や本島北部に疎開させる計画もあったが十分に進まず、ついに日本国内で初めて住民を無制限に巻き込んだ地上戦を3カ月にわたって展開することになった。

 守備隊の作戦の最大の目的は「本土決戦準備」の時間を少しでも長くすることであり、「住民保護」の態勢や発想は薄い。要とした首里戦線が持ちこたえられず、軍がここを放棄して本島南端に向かって退却を始めたころから、住民の犠牲者は急増した。

 また将兵はもとより、住民たちも「投降」は考えることも許されなかった。日本中がそう教育され、刷り込まれていた時代である。軍は雪崩を打つように南へ敗走し、最終段階では軍属の人々も放置して崩壊した。

 こうした流れや無責任な全体状況は、死を選ぶしかないほど人々の心身を追い込んだとみることもでき、「強制は明らかでない」と言い切れるものだろうか。

 また沖縄戦は、ここから歴史、社会、地理、文化などさまざまな学習テーマを見いだすことができる。次世代が学び継いでいくべき内容は尽きない。だが総じて教科書では切り詰めた書き方になる。学習指導要領に沿って編集される検定教科書はどうしても「項目にできるだけ漏れのない」均等割り的な記述になりやすい。

 いっそのこと、高校では検定を廃止し、教材を学校・教師・生徒に任せることを検討してみてはどうだろうか。例えば、沖縄戦を一つの核にして、学習テーマを総合的に広げていくという長期授業の試みがあってもいい。

 昨秋明らかになった大量履修不足問題は、大学入試に関係なければ歴史学習に関心や意欲がわかないという高校生が少なくないことを示した。指導要領にも問題がある。新しい大学入試のあり方とともに、検定というタガを外した高校の教科学習を本腰を入れて考える時にきているのではないか。(毎日新聞 2007年3月31日 0時05分)
 


 

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日本軍「強制」は修正=沖縄戦の集団自決-高校教科書の検定

2007-03-30 18:42:15 | ★集団自決

日本軍「強制」は修正=沖縄戦の集団自決-高校教科書の検定結果・文科省
 
 文部科学省は30日、主に高校2年生以上が来春から使用する教科書の検定結果を発表した。日本史で、太平洋戦争末期の沖縄戦の際、日本軍による強制で住民が集団自決したとする記述すべてに検定意見が付き、各教科書会社は「日本軍により」という部分を削ったり、「自決した住民もいた」という表現などに修正したりした。理科や数学では、学習指導要領の範囲を超える「発展的内容」が倍増した。
 沖縄戦の集団自決を扱ったのは6社8点。うち5社7点に「実態について誤解するおそれのある表現」と意見が付き、「日本軍に集団自決を強制された人もいた」が「集団自決に追い込まれた人々もいた」(清水書院)などに改められた
 2005年度(主に高校1年生対象)は申請段階から今回意見が付けられたような記述がなかったが、04年度は「日本軍に…『集団自決』を強制されたりした」と記述した中学の歴史教科書が合格している。
 文科省は「以前から(命令や強制はなかったとする)反対説との間で争いがあり、軍の命令があったと断定するのは不適切で、今回から意見を付けた」と説明している。(時事通信2007/03/30-16:46 )

                    ◇

奇しくも今日3月30日は沖縄住民を軍命令で「集団自決」に追いやったとされる梅沢元少佐らが、大江健三郎氏と岩波書店を提訴した「岩波訴訟」の第8回口頭弁論が大阪地裁で行われていた。

時事通信の続報によると、

≪命令を出したとされる元陸軍少佐梅沢裕さん(90)は同日、大阪市内で取材に応じ「(修正は)とてもうれしい。強制などとんでもない」と興奮気味に話した。≫

集団自決の生き残りである中村一男さん(73)=沖縄県座間味村=は30日、こう語った。

「文部科学省には、歴史を曲げるようなことをしてほしくない」。

座間味島で沖縄戦を体験したのは10歳の時。

日本軍から手りゅう弾を渡され「米軍に捕まったら体のあちこちを切り刻んでじわじわ殺される」と聞かされた。

「自決しろとはっきり言われたか記憶にないが、暗に自決しろと言っているのと同じだ」。

                    *

「従軍慰安婦」、「南京大虐殺」、「化学兵器遺棄」そして「集団自決」はいずれも「日本軍の残虐性」を吹聴し反日運動を起こすのには絶好のテーマ。

いずれも軍の「命令」、「強制」「関与」と言った言葉が共通項だが唯一「集団自決」のみが被害者とされる側が同じ日本人。

この点が「被害者」が朝鮮人、中国人等の外国人である他のケースと異なり「援護法」の適用その他の微妙な要素持つ。

先ほど聞いた地元「テレビ朝日」のニュース番組では文部省の意見を「歴史の改竄はけしからん」と言った口調でこれを報じていた。

「集団自決」の火付け役を果たした「鉄の暴風」の出版元沖縄タイムスは30日の口頭弁論を前に岩波応援のキャンペーン記事を連続で載せ27日には次のように報じている。

訴えられる側の当事者だとしても、何とまー思い入れの激しい記事!

沖縄タイムス  2007年3月27日(火) 朝刊 27面  
「集団自決」忘れない/座間味村、平和学習本発行へ

 沖縄戦で、日本軍の軍命や誘導により起きた「集団自決」を伝えようと、座間味村で平和学習ガイドブック編集が進んでいる。六十二年前に「集団自決」が起きた二十六日は、戦争体験者が「平和之塔」を参拝、編集作業の一環で、沖縄戦記録フィルムを鑑賞し理解を深めた。
 同村には平和学習用のガイド本がなかったため二〇〇六年十二月に編集作業を開始。「集団自決」の聞き取りをし、本をまとめてきた同村出身の元小学校長の宮城恒彦さんを委員長に、各地区ごとに委員を委嘱。住民が「集団自決」に追い込まれた過程を明らかにするため、戦前の体験も調査しており、八月に出版予定。

 沖縄戦フィルムの鑑賞は、当時の状況を思い出してもらうために企画された。戦闘状況を食い入るように見詰めていた中村一男さん(73)は「日本軍と米軍の攻撃の間で、皆どうしょうもないと泣き出し、渡されていた手りゅう弾で自決しようとした」と振り返った。


     ◇     ◇     ◇     

強いられた死 生存者訴え/岩波訴訟支援者ら「証言 胸に刻む」


 慶良間諸島での「集団自決」への理解を深めようと来沖中の「大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会」(大阪府)の二十二人は二十六日、那覇市で生存者の一人、金城重明さん(78)=沖縄キリスト教短大名誉教授の証言を聞いた。

 元軍人らが軍命の記述をめぐって大阪地裁に提訴した「集団自決」訴訟で、連絡会は被告の岩波書店などの支援活動を続けている。

 「『鬼畜米英』教育を受けた私たちには生き残ることこそ恐怖。死が唯一の選択肢だった」。日本軍に強いられた集団死の実相を訴える金城さんに、参加者は何度もうなずきながら聞き入った。

 あいさつに立った同連絡会の西浜楢和世話人(63)は「沖縄戦の真実の塗り替えを絶対許してはいけない。金城さんたちの言葉を胸に刻み、裁判支援の輪を広げたい」と誓った。一行は三日間の日程を終え大阪に戻った。

  
 

 

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「[きっこ」ブログのすごい中身 石原都知事側激怒

2007-03-30 14:31:07 | 県知事選

「きっこ」ブログのすごい中身 石原都知事側「事実無根」と激怒

J-CASTニュース
「きっこ」ブログのすごい中身 石原都知事側「事実無根」と激怒
石原事務所、「きっこのブログ」に激怒

   都知事選が戦われている最中、2007年3月28日付の「きっこのブログ」に、石原裕次郎氏の結婚問題に絡んで、石原慎太郎都知事をコキ下ろす内容が掲載された。石原都知事の選挙事務所では、「事実無根だ!選挙が終わってからまとめてヤル」と激怒している。筆者のきっこさんは同じブログのなかで、「あたしは浅野史郎さんが大好きだ!」と公言している。

「石原の家系が在日の血でけがされちゃかなわん」

   3月28日付のブログのタイトルは「東京を愛する皆さんへ」。それは、いきなりこんな調子で書き出している。

「裕次郎を自分の部屋に呼びつけて、『在日の女なんかと結婚するのはお前の勝手だが、絶対に子供だけは作るなよ! この石原の家系が在日の血でけがされちゃかなわんからな!』って恫喝したことでもオナジミの石原慎太郎だけど」

   そんな弟が設立した石原軍団を勢ぞろいさせて選挙戦に望もうというのだから、きっこさんに言わせると「厚顔無恥」であり、「東京の恥であり、ニポンの恥であり、地球の恥であり、人類すべての恥である大ウツケ者」なのだそうだ。さらに、築地市場を移転する場所は発ガン物質だらけの土地。東京オリンピックで使われる莫大な税金が石原家にキックバックさせられるのではないか、とし、

「石原慎太郎も、落ちるとこまで落ちたもんだ。『落ちるとこまで落ちた』って言うか、もともとが、文章の才能も絵の才能も何もない、タダのコンプレックスのカタマリの三流男なんだから、今までとりつくろって来た『化けの皮』がはがれたってだけのことなんだろうけど」

などと書いている。

「こんなことあるわけない、ということばかり」

   石原都知事がホントにこんな事を言ったのだろうか。
   石原選挙事務所ではこのブログの存在を知らなかったようで、

「こんなことあるわけない、ということばかり書かれていますね。選挙になると決まってこういう中傷というのが色々出てくるので困りものなんですよ。理解ある方々には本当の事が何かわかっていますが…。とにかく事実無根ですので、選挙が終わってから(こうした中傷について)まとめてヤル!(対応する)」

と、怒り交じりにJ-CASTニュースに話した。

   一方で、きっこさんはブログの中で、石原都知事の対立候補・浅野史郎さんについて、

「あたしは、声を大にして言わせてもらうけど、あたしは浅野史郎さんが大好きだ! そして、あたしは、浅野史郎さんはサイコーにいい人だと思ってる!」

とエールを送っている。そして、工作員の手によってネット上に浅野さんのデマが流されている、とし、

「それらのデマがすべて事実だとしたって、それでも、都民の税金で身内を引き連れて豪遊しまくってるような前代未聞の恥知らずよりは、地球とイスカンダルほどの距離があるほど、遥かに『いい人』だと思ってる」

と持ち上げ、浅野さんのマニフェストへのリンクを張っている。

2007年03月28日19時22分 J-CASTニュース / 提供元一覧

◆きっこのブログ:石原氏の激怒で速攻削除したが、キャッシュに残っているかも。
http://megalodon.jp/?url=http://cache.yahoofs.jp/search/cache%3fp%3dwrt%26u%3dwww.kikko.cocolog-nifty.com%2Fkikko%26d%3dXMKwGBIeOhQq&date=20070328235912

 
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「慰安婦問題」 次々出てくる「自爆資料」 靖国合祀にも出た!?

2007-03-30 13:52:23 | 従軍慰安婦

戦犯合祀、日本政府が積極的に関与

  靖国神社に太平洋戦争戦没者を合祀する過程で、当初伝えられていた内容とは違い、日本政府が積極的に関与した事実が明らかになった。

  読売新聞は29日、日本国立国会図書館が公開した「新編靖国神社問題資料集」を引用し、「当時厚生省は合祀対象者を決定する過程で、神社側と頻繁に協議を重ね、見解を述べていたことが分かった」と報じた。 A級戦犯が合祀される9年前の1969年に厚生省と神社が合祀に関する協議をした事実も、今回の資料で明らかになった。

  今回発表された資料集は、靖国神社が所蔵している非公開資料と、厚生省と神社側との協議内容など、計808資料、1200ページ分量。 日本政府はこれまで合祀に関与しなかったと主張してきた。

  厚生省は56年、戦没者の靖国神社合祀に関連し、「3年以内に完了」という指針を出した。 その後、厚生省と神社の協議が進行し、合祀基準を細かく決めた。 58年4月の4回目の協議では、厚生省が「戦没者はB級以下から個別審査し、支障が生じないよう、目立たない範囲で合祀するのはどうか」という内容の提案をした。 厚生省はまた「まず外地刑死者(B級戦犯)を目立たない範囲内で(合祀することを)了承してほしい」とし、具体的な基準まで提案した。

  厚生省と靖国はA級戦犯の合祀に関連し、69年1月に初めて協議を行った。 神社側は作成した資料には「A級戦犯(12人)は合祀決定とするが、外部発表は避ける」と記録されており、日本内外の反発を憂慮したことが明らかになった。 A級戦犯の合祀は78年10月に行われた。

  京都産業大学の所功教授は「厚生省職員が神社まで行って積極的に合祀に関する確認作業をしたのは注目される」とし「戦没者も靖国神社に合祀すべきという遺族会と戦友会の要請に厚生省が配慮したもの」と語った。

  これに関連し、安倍晋三首相は29日、「問題ないと思う。合祀を行ったのは神社で、厚生省は情報を提供しただけ」と述べた。

  これに対し、韓国外交通商部は29日、報道官論評で「韓国政府は日本政府がこれ以上真実を糊塗せず、正しい歴史認識のもと、責任ある措置を取ることを望む」と強調した。

東京=イェ栄俊(イェ・ヨンジュン)特員 (中央日報 2007.03.29 17:43:09 )
         
         ◇

何だって?

又しても日本の「関与」だって?

「靖国で逢おう」を合言葉に死んでいった人たちの英霊を合祀するのは当然のことでしょう。

戦死者の名簿を把握している担当官庁は厚生省。

靖国神社だけでは合祀出来ないのは当然で、それに厚生省が協力しただけの事。  

「関与」が有ったのは日本の役所としては当然のこと。

何か問題でも?

日本軍が慰安所設置に「関与」したことと同じで、当然のことをしただけの話。

                    *

▼日本の各紙の「新資料発見」の誇大報道を受けて韓国紙が騒ぎ出す。

いつものパターンだ。

全国紙に負けじと一面トップで報じた琉球新報も、安倍首相の

問題ないと思う。合祀を行ったのは神社で、厚生省は情報を提供しただけ」

という一言でシュンとなった。

同じ日の夕刊では虫眼鏡で探さなければ気付かないほどの小さな記事に化けていた。

 

▼よく次のような事が言われる。

「日本軍が強制的に慰安婦狩りをしたことを示す公的資料はない」。

これは慰安婦関係の公的資料が全く無かったという事ではない。

日本の新聞が次々と報ずる「新資料」は「軍の性奴隷狩り」を示すのではなく、逆にそれを禁ずる自爆資料の連続であった。

有名なのでは、

①1993年1月11日の朝日新聞で「慰安所 軍関与示す新資料」として大々的に報じられた吉見義明中大教授発見の、

「副官より、中国北部方面軍、及び、中国中部派遣軍 参謀長宛の通牒案」

 ◆吉見義明中央大学教授吉見教授発見の資料を報じる朝日新聞92.1.11が発見した資料を報じた「朝日新聞」1992.1.11

 

日本の公文書から見る、軍の関与

1992年1月11日、朝日新聞が「強制連行に軍が関与していた証拠」として報道した公文書
軍慰安所従業婦等募集に関する件
 
以下は分かり易く現代訳


 件名  『軍の慰安所従業婦等募集について』

副官より、中国北部方面軍、及び、中国中部派遣軍 参謀長宛の通牒案

日中戦争における慰安所設置の為、募集業者が慰安婦を募集する際、“日本軍の名義・権威を利用し、その結果 日本軍の威信を傷つけ、庶民の誤解を招く事例”や“従軍記者、慰問者などを通じて、不統制に募集し、社会問題を惹起する事例”や“慰安婦を募集する業者が相応しくない場合、誘拐に類した方法を使い、警察の検挙・取調べを受ける事例”など注意を要する事例が少なくない。
将来、慰安婦の募集に関しては、派遣軍がこれを統制し、慰安婦募集業者の選定を周到・適切に行い、慰安婦募集に際しては、関係地方の憲兵、警察当局と協力すること。
日本軍の威信保持、また社会問題上、遺漏のないよう十分配慮することを依命、通牒する。

1938年3月4日
 
今時この資料を「日本軍の性奴隷狩り」の証拠として持ち出す人は歴史の勉強の前に国語の読解力を疑われるだろう。

詳しく解説するのも疲れるが、これは軍と警察が協力して、民間の悪徳業者を取り締まれという内容である

軍が「性奴隷狩りをしたら逮捕するぞ」と言う通達を出した文書だ。

この資料を、小学生にでも分るように解説すると、

「悪い事をしたら、お巡りさんに捕まるよ」・・・。

                    *

 

▼今回の「靖国神社への合祀に国が関与した」も、よせばよいのに東京新聞が勢い余って「慰安婦問題」の「自爆資料」を報じてしまった。

 慰安所経営の一般人も合祀

慰安所経営者の合祀を旧厚生省などが決めていたことを示す記述
 日本占領下のインドネシアで民間の慰安所を経営しBC級戦犯として有罪判決を受けた後、獄死した男性について、厚生省(当時)と靖国神社が一九六七年に合祀を決めていたことが二十八日、明らかになった。国会図書館が同日公表した「新編 靖国神社問題資料集」に盛り込まれた靖国神社の内部資料に明記されていた。政府は、いわゆる従軍慰安婦について「おわびと反省の気持ち」を表明しているが、これに先立ち、慰安所経営者の合祀に関与していたことになる。

 靖国神社が、占領下のアジアで慰安所を経営していた一般人を合祀する方針を決めていたことが判明したのは初めて。

 この報告書は、六七年五月九日に靖国神社洗心亭で開催された厚生省援護局と神社側の会議の様子を記録した資料「合祀事務連絡会議開催につき(報告)」。それによると、会議では、厚生省側から合祀事務の担当課長以下七人、神社側から担当の権宮司ら二人が出席、これまで合祀を保留していた対象者について合祀の可否を検討した。

 このうち「法務死亡者(一般邦人)」は「合祀する」とされ、その中に「櫻クラブ経営者。(訴因、婦女子強制売淫刑十年受刑中病死)」という人物が含まれていた。

 BC級戦犯裁判に詳しい研究者によると、この経営者は四三年九月から四五年九月までインドネシア・バタビア(現ジャカルタ)で民間の慰安所を経営していた(★注2)実在の日本人。欧州系の女性らに強制的に売春させたとして、オランダ軍による戦犯裁判で有罪判決を受けた。四六年十一月末から現地で服役していたが、翌月末に病死した。

 財団法人「女性のためのアジア平和国民基金」による「『慰安婦』問題調査報告」は、同クラブを「一般邦人向けの慰安所」とする一方、「経営者には、行政側から強い圧力がかかり、慰安所を開業することになった」と日本側の関与を指摘。「逃げ出そうとした女性は直ちに官警に逮捕され短期拘置された」「軍は設置や規則に関与していた」と記している。

 ただし、軍が組織として設置したり、将兵たちが使う目的で設けられたものではないという。

■戦争貢献、国が認定

 BC級戦犯裁判や慰安婦問題に詳しい林博史関東学院大教授(現代史)の話 記載された男性はバタビアで慰安所を経営していた人物に間違いない。靖国神社の合祀対象は戦争に協力した人物であることが建前。慰安所経営者が、戦争に貢献したことを国が堂々と認めている。旧厚生省が「慰安所を経営してくれてありがとう」と言っているようなもので、重大な事実だ。こうした例があるということは、ほかにも慰安所経営者が合祀されている可能性がある。(東京新聞 2007年3月29日)

                   ◇

 ①≪日本占領下のインドネシアで民間の慰安所を経営しB   C級戦犯として有罪判決を受けた後、獄死した男性≫

慰安所経営者でも「性奴隷狩り」したような人物は戦時中と言えども「犯罪者」であり、有罪判決を受けていた。(★注1) 

何か?

②≪欧州系の女性らに強制的に売春させたとして、オランダ軍による戦犯裁判で有罪判決を受けた。≫

「強制的に売春させた」、つまり「性奴隷狩り」は何時の時代でも立派な犯罪。(★注2)

「女性のためのアジア平和国民基金」、・・・香ばしい名前の団体の調査報告だが、

③≪経営者には、行政側から強い圧力がかかり、慰安所を開業することになった」と日本側の関与を指摘。≫

関与が有ったの当然の事。 強姦等の犯罪予防、衛生面で性病予防等で関与した。 何か。

④≪「逃げ出そうとした女性は直ちに官警に逮捕され短期拘置された」「軍は設置や規則に関与していた」≫

戦時とは言え借金等を踏み倒して逃げ出すのは犯罪。

訴えを受けて官警が逃亡者を逮捕、場合によっては拘置するのは戦時、現在を問わず官警の職務でしょう。

慰安婦の借金が現在の法律で合法かどうかを問うのは全く別の問題。

更に逃げた慰安婦の身の上、境遇に同情するのも別の問題。 何か。

結局戦時、平時を問わず「性奴隷狩り」は犯罪であり、犯罪者はBC級戦犯として処刑されるか、獄死していた。

そのBC級戦犯合祀の是非を問うのも別の問題。

 

★【追記】注1:

<バタビア臨時軍法会議の記録>(同)
慰安所経営者の民間人・有罪10年=1943年9月から45年9月頃までの間、ジャワ島バタビアにおいて、民間人のために設立された慰安所を経営し、同施設において売春させるための女性を募集し又は募集させ、応募してきた女性が辞めたがった場合には直接あるいは間接的に脅迫し、自由に辞めることができないようにして、売春を強制し、その自由を奪った

 

★【追記】注2:この日本人については、反日的立場で「慰安婦問題」を研究した吉見義明氏も、著書「従軍慰安婦」でオランダ政府の調査を根拠に「スマラン慰安所事件」を述べている。

それによると欧州系女性とは先月米下院で証言した元慰安婦の一人オハーンさんの事か或いはその仲間で、彼女らオランダ女性を連行したのはインドネシアの日本軍の南方軍幹部候補生隊の一部の将校。

軍司令部では自由意志の者だけを雇うようはっきり支持していた,同将校たちはこれを無視した。

連行された家族の訴えで、軍司令部はスマラン慰安所を即時閉鎖しt、主犯格の将校は戦後、オランダ側の追求で軍法会議終了前に自殺した。

「服役中に病死」とあるのは主犯格将校の仲間なのか、いずれにしても有罪判決を受けて服役を受けている。

インドネシアに於けるオハーンさんらの事件は当時の日本軍の規則を破る犯罪行為として既に懲罰を受けていたのだ。

この事件から導き出される結論は、日本軍司令部の方針は

「慰安所は自由意志の女性だけを雇うようはっきり指示していた」と言うこと。

★【追記2】注2:強制的な勧誘や違反行為は、厳しく取り締まっていた日本軍

軍部の許可条件を満たさない慰安所を設置した民間業者や、それを黙認した軍人は、極刑に処されていたという事実。
従軍慰安婦・政府調査の結果 毎日新聞 東京朝1993.08.05

<ジャワ島セラマン所在の慰安所関係の事件>(臨時軍法会議付託決定書に基づくもの)
元陸軍少佐・死刑=兵站関係担当将校として上記慰安所開設許可を軍本部に申請したものであるが、慰安所開設の際(1944年2月末頃)、軍本部の上記許可条件を満たしていないことを知っており、女性の全員又は多くが強制なしには売春に応じないであろうことを察知し得たにもかかわらず、監督を怠った事実、及び、慰安所で女性を脅して売春を強制するなどし、また部下の軍人又は民間人がそのような戦争犯罪行為を行うことを知り、又は知り得たのにそれを黙認した。この元陸軍少佐を含め陸軍軍人5人、民間人4人の判決は死刑1、有罪7(刑期7-20年)。

★【追記3】防衛庁が公表した慰安業務に関する規定の解説

防衛庁が1994年12月5日に公表した「森川部隊特殊慰安業務ニ関スル規定」(森川部隊、1939年11月14日)の中には「慰安婦ニ対シ粗暴ナル行動ヲナスベカラズ」「慰安所ニ要スル経費ノ一切経営者の負担トス」「常ニ慰安所内ヲ清潔ニシ飲食物及酒肴ノ販売ヲ禁ス」とある。
防衛庁が1996年に公表した「後方施設ニ関スル内規」(1945年1月8日石第三五九六部隊)には慰安経営者や従業員にたいして礼儀を重んじることを命令している。「石兵団会報第74号(後方施設ニ就キ)」には雇用主は慰安婦にたいして「毎月稼高ノ百分ノ三」を「貯金」させ慰安婦をやめるときに「本人ニ交付スル」とあり、なおかつ「遊客其他ヨリ稼業婦ニ於テ直接収受シタル金品ハ全テ稼業婦ノ所得トス」「遊興費ノ不支ハ全テ営業主ノ負担トス」「稼業婦廃業シタルトキハ雇主ハ稼業当日迄ノ稼高ヲ清算スベシ」とある。
これではどうみても、慰安婦は強制連行され、強制売春されていた奴隷とはいえない。

 


 

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「光華寮」訴訟  京都でくすぶる二つの中国

2007-03-29 18:46:13 | 歴史

「光華寮」訴訟、最高裁が差し戻し…台湾が実質敗訴

 台湾が、京都市の中国人留学生寮「光華寮」の寮生8人に建物明け渡しを求めた訴訟の上告審判決が27日、最高裁第3小法廷であった。

 藤田宙靖(ときやす)裁判長は「訴訟は中華民国(台湾)が中国国家を代表して起こしたが、1972年の日中共同声明で中華人民共和国が中国国家となり、台湾の代表権は消滅した」と判断、台湾を原告としたこれまでの訴訟手続きを違法・無効として4件の下級審判決をすべて取り消し、審理を1審・京都地裁に差し戻した。

 最高裁が台湾を訴訟当事者として認めなかったことで、提訴から40年続いた訴訟は事実上の台湾敗訴となった。今後、京都地裁が原告を台湾から中国に切り替える手続きをとるが、中国が訴訟継続を望まなければ、取り下げで決着することになる。ただ、この日の判決は、「中華民国」名義になっている寮の所有権の帰属を判断していないため、所有権を巡る新たな訴訟になる可能性もある。

 この訴訟では、台湾勝訴とした87年の大阪高裁判決に、中国政府が「二つの中国を認めたもの」と反発するなど政治問題化。上告審は棚上げ状態のまま20年に及び、最高裁に係属中の民事訴訟では最も古いものとなっていた。

 台湾は戦後まもない52年、寮を購入したが、その管理を巡るトラブルを理由に、67年、寮生に明け渡しを求めて提訴。1審の審理中、日中共同声明で日本が中国を「唯一の合法政府」として承認したため、〈1〉台湾が訴訟当事者になれるか〈2〉寮の所有権は台湾から中国に移るかが争点となった。

 この日の最高裁判決は、訴訟の前提として「原告は国家としての中国」と判断。「日中共同声明で台湾の代表権は消滅し、訴訟手続きは中断したのに、下級審がその手続きを行わなかったのは違法」として、72年時点に戻って訴訟手続きをやり直すべきだとした。

 京都地裁は77年、「声明で寮の所有権は台湾から中国に移った」として台湾敗訴を言い渡したが、2審・大阪高裁が同地裁に差し戻し、差し戻し後の1、2審は、「政府承認が切り替わっても寮の所有権は中国には移らない」と、台湾勝訴としていた。

(2007年3月27日23時46分  読売新聞)

                  ◇

分り難いと言うのがこの記事を読んでの第一の感想。

分りにくくしている原因は勿論「二つの中国」。

台湾海峡を挟む「大陸中国」と「台湾中国」だ。

最高裁は「大陸中国」(中華人民共和国)が中国の代表権を持つと認定した。

その結果、それまで原告として立ち退き訴訟を起こしていた「台湾中国」が1972年の時点で突然消滅して「大陸・中国」に替わってしまうというマジックのような判断をしたことになる。

被告が自分(被告)を提訴し続けるはずはない。

当然提訴の取り下げとなるだろう。

結局「台湾中国」の全面敗訴と言う結果になったわけだ。

最高裁判断は「日中共同声明で台湾の代表権は消滅し、訴訟手続きは中断した」と言う事。

ならばここでもう一つの疑念がもちあがる。

果たして72年まで「中華民国」と主張してきた「台湾中国」は正統な「中華民国」の後継者たり得たのか。

第二次大戦後、国共内戦により台湾に逃れた蒋介石は台湾を称して「中華民国」と名乗った。

これは蒋介石が一方的に主張するだけで国際法、国際条例上の法的根拠は唯一「カイロ宣言」なる幻の文書だけである。

最近の研究によると「カイロ宣言」はその原本は当事者たる「中華民国」にも存在せず、そのコピーとされる文書にもサインはない。

カイロ宣言の有効性に対し、最近研究者の間から疑問の声が上がっている。

文書の正式名称は Cairo Communiqué であり、外交的な宣言などではなく、プレスリリースにとどまっているため、各国代表による署名も行われていない。

従って、何の法的効果も持たない。

ということは蒋介石の中華民国が台湾を自国に編入する事には何の法的根拠も無い事になる。

そもそも、カイロ宣言なるものの原本自体も存在していない事実から、 「カイロ公報」という訳語のほうが適切でないか、との指摘もある。

カイロ宣言が無効である場合、1952年のサンフランシスコ平和条約による日本の領有権放棄以降、台湾の領有権は定まっていないことになる。

話は巡り巡って「光華寮」訴訟に戻るが、原告が中華民国を名乗る事事態がおかしなことになる。

中華民国は蒋介石が台湾に作った亡命政府と言うことになる。

だとしたら中華民国が中国としての代表権をなくしたので原告が中華人民共和国に入れ替わると言う最高裁の離れ業にも矛盾が生じて来る。

最高裁の判断はともかく台湾が光華寮を購入した事は動かせない事実だ。

日本が法治国家であるなら「光華寮」の所有権は中華民国ではなく台湾にあるの。

従って、原告はあくまで台湾で無ければ整合性は破綻する。

話を一歩も二歩も譲歩して仮に台湾=中華民国だと認めたとしても最高裁判断には疑問が残る。

1972年の日中共同声明では、日本政府は、

台湾を中華人民共和国の不可分の領土とする同政府の立場を「十分理解し、尊重」するとしたが、

「台湾の帰属に関しては判断する立場にない」というのが日本政府の公式見解である。

「台湾の帰属に関しては判断する立場にない」筈の日本の司法がが、台湾を中華民国と同一に判断し、その中国としての代表権を剥奪する判断を下す事は政治的判断である。

これは「大陸中国」に配慮した過剰な「理解と尊重」ではないのか。

台湾は現在も過去にも「大陸中国」の領土であった事はない。

 

▼1945年の第二次世界大戦終結後、中華民国(蒋介石)は、連合国軍の委託を受けて駐台湾日本軍の武装解除を行うために台湾へ軍を進駐させた。

日本が明け渡した台湾は中華民国の前身である清が「化外の地」と言い放った台湾に戻っていた。

中華民国軍の台湾進駐は自国への里帰りではなく、あくまでも他国・台湾への進駐に過ぎなかった。

いわばイラク戦争後にイラクに進駐した自衛隊と同じく、本来ならいずれは大陸の母国へ帰る一時的進駐のはずだった。

だがそのまま台湾に居座り、1945年10月に台湾を「正式な」中華民国の領土に編入した。

その「正式」の法的根拠を、1943年のカイロ会談における取り決めに求めた。

そして、その後に国共内戦によって中華人民共和国が成立し、かつ中華民国政府が一旦崩壊した上で“台湾国民政府”として再始動をはじめた。

◆参考:産経新聞と「台湾の声」との「カイロ宣言」論争。 
      (2006-12-21 22:14:34 )
 
≪中国が台湾の領有権を主張する根拠を、1952年のサンフランシスコ平和条約による日本の領有権放棄に求める。

だが同条約では日本は台湾の領有権は放棄しているが、中国に譲ったと明記されているわけではない。

日本降伏の根拠となる「ポツダム宣言」にも日本が放棄した後の台湾の地位については触れられていない。

だが中国はポツダム宣言の「カイロ宣言の条項は履行され、また、日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国並びにわれらが決定する諸小島に局限される」と言う八条に目をつける。

そこで中国は戦時中の1943年11月、米、英、中三カ国で行われたカイロ会談で発せられたとされる「カイロ宣言」に台湾領有の根拠を求めた。

「カイロ宣言」とはアメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズヴェルト、イギリス首相ウィンストン・チャーチル、中華民国主席の蒋介石によってカイロ会談が行われ、その内容を踏まえて11月27日に署名、12月1日に発表された声明文。

主要な内容は以下の通り。

①米英中の対日戦争継続表明

②日本の無条件降伏を目指す

③日本への将来的な軍事行動を協定

④満洲、台湾、澎湖諸島を中華民国に返還

⑤奴隷状態に置かれている朝鮮の独立

⑥第一次世界大戦後に日本が獲得した海外領土の剥奪

ここに示された日本の領土に関する取り決めは、1945年のポツダム宣言に受け継がれる。

そしてそれがそのままサンフランシスコ条約に引き継がれていると言うのが中国の台湾領有の根拠である。(上記④条項)≫

 ◆参考:

「カイロ宣言」は幻か

◆参考;

「一つの中国」という虚構の始まり

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「風俗関係女性」にも国家賠償を! by吉見義明・中大教

2007-03-29 09:10:39 | 従軍慰安婦

「慰安婦問題」で安倍首相が「日本軍は強制的に連行していない」と説明する時、

広義の強制」とか「狭義の強制」と言うのを聞いて、

事実を隠す為の弁解のような印象を持った人が筆者の周囲にも多い。

海外紙も概ねこのような報道をしている。

この問題の火付け役、朝日新聞も事実に頬被りして「強制連行があったのか、なかったのかにいくらこだわってみても・・・」(5月28日社説)と言った戯言を言い出す始末。

だがこの「広義の強制性」つまり、「広い意味での強制性」はあったと最初に言い出したのは朝日も尊敬する「存在派」の教祖・吉見義明中央大学教授その人だった。

「慰安婦」の真相を解明する専門家達の努力により、「奴隷狩りのような強制連行」の事実はないことが明白になると、

さすがに「存在派」の間でも、「強制性の定義」を修正せざるを得なくなってきた。

そこで、存在派の教祖、吉見義明・中央大学教授は、岩波新書の「従軍慰安婦」で、

次のように述べている。

「その女性の前に労働者、専門職、自営業など自由な職業選択の道が開かれているとすれば、慰安婦となる道を選ぶ女性がいるはずはない・・・たとえ本人が、自由意思でその道を選んだように見えるときでも、実は、植民地支配、貧困、失業など何らかの強制の結果なのだ。(引用元)「従軍慰安婦」 吉見義明 岩波新書 1995/4 103頁

学者ともあろう人物がこのような幼稚な論理で自分の主張の誤謬を誤魔化すとは仰天ものだが、

これを金科玉条のように信じ込む岩波読者やこの屁理屈を撒き散らした朝日新聞の理解力のお粗末さは「存在派」の特徴でもある。

「強制性」をここまで広義に解釈すれば、現代の風俗関係の女性たちも、貧困や失業など何らかの「強制の結果」であり、国家が謝罪と補償をすべきだ、ということになる。

いや、必ずしも本人の貧困でなくともヒモに貢ぐために身を売る女性もある意味「なんらかの強制」に属するのでは。

さすがにこのような暴論では、常識ある国民の理解を得られるはずはない。

吉見教授も朝日新聞も得意のダンマリ戦術を取っていたのだが、今年になってからホンダ議員による米下院の「対日謝罪要求法案」提以来、急に元気をを取り戻して「強制連行があったのか、なかったのかにいくらこだわってみても・・」と言うのだからあいた口が塞がらない。
 

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【保存資料】■基礎からわかる「慰安婦問題  読売新聞

2007-03-28 13:39:57 | 従軍慰安婦

読売新聞が朝日の姑息な態度に業を煮やして朝日を名指しで批判した。

「慰安婦問題」の決定版ともいえるこの記事に朝日は如何答えるのか。

又しても得意の沈黙で答えるのか。

 

慰安婦問題が政治・外交問題化する大きなきっかけを作ったのは、92年1月11日付の朝日新聞朝刊だった。
「日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していたことを示す通達類や陣中日誌が、防衛庁の防衛研究所図書館に所蔵されていることが明らかになった」と報じたもので、「従軍慰安婦」の解説として「開設当初から約8割が朝鮮人女性だったといわれる。太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」とも記述していた。(読売記事抜粋)

 

 


読売新聞 2007年3月27日付 17面

基礎からわかる「慰安婦問題」(解説)

いわゆる従軍慰安婦問題をめぐる論議が再び蒸し返されている。米下院では、慰安婦問題を「奴隷制」「人身売買」になぞらえ、日本政府に謝罪などを求める対日決議案の審議が進んでいる。どうしてこうした曲解が広がってきたのか。あらためて論点を整理する。
(政治部・高木雅信、松永宏朗、山田恵美)


公娼制度の戦地版

慰安婦問題を論議するためには、「公娼制度」が認められていた当時の社会状況を理解しておくことが欠かせない。公娼制度とは売春を公的に管理する制度で、戦後も1957年の売春防止法施行まで、いわゆる赤線地帯に限って売春が黙認されていた。

慰安婦は、戦時中に軍専用の「慰安所」と呼ばれる施設で対価を得て将兵の相手をしていた女性のことだ。政府が93年8月4日に発表した調査報告書「いわゆる従軍慰安婦問題について」によると、32年(昭和7年)ごろ中国・上海に慰安所が設けられた記録があり、45年(昭和20年)の終戦まで旧日本軍が駐屯していた各地に広がった。軍直営の慰安所もあったが、多くは民間業者により経営されていた。現代史家の秦郁彦氏(元日大教授)は、慰安婦を「戦前の日本に定着していた公娼制度の戦地版と位置づけるべきだ」と指摘する。

慰安婦は、従軍看護婦や従軍記者らのように「軍属」扱いされることはなく、「従軍慰安婦」という呼称は存在しなかった。その呼称が広まったのは戦後のことで、作家の千田夏光氏が73年に出版した「従軍慰安婦」の影響が大きかった。

慰安婦となったのは、日本人のほか、当時は日本の植民地だった朝鮮半島や台湾の出身者、 旧日本軍が進出していた中国、フィリピン、インドネシアなどの現地女性が確認されている。
秦氏の推計によると、慰安婦の約4割は日本人で、中国などの女性が約3割、朝鮮半島出身者は約2割だったとされる。

ただし、正確な総数は不明だ。96年に国連人権委員会のラディカ・クマラスワミ特別報告者がまとめた報告書には、北朝鮮で受けた説明として、朝鮮半島出身者だけで「20万人」と記載されている。ただ、同報告は事実関係の誤りや情報の出所の偏りが多く、この数字についても、日本政府は「客観的根拠を欠く」(麻生外相)と否定している。

慰安婦や慰安所を必要とした理由は、

〈1〉占領地の女性の強姦など将兵の性犯罪を防ぐ
〈2〉検診を受けていない現地の売春婦と接することで軍隊内に性病が広がることを防ぐ
〈3〉将兵の接する女性を限定し、軍事上の秘密が漏れることを防ぐ

——ためとされている。

こうした制度や施設の存在は、旧日本軍だけの特別な事例ではなかった。戦後、日本に進駐した米軍は日本側の用意した慰安施設を利用した。米軍関係者が日本当局者に女性の提供を要求したケースもあった。また、ベトナム戦争の際に旧日本軍とそっくりな慰安所が設けられていたことも、米女性ジャーナリストによって指摘されている。

このほか、秦氏によれば「第2次大戦中はドイツ軍にも慰安所があった。しかも、女性が強制 的に慰安婦にさせられたケースもあった。韓国軍も朝鮮戦争当時、慰安所を持っていたことが 韓国人研究者の調べでわかった」という。


◆強制連行の資料なし

問題が蒸し返される根底には、官憲による組織的な「強制連行」があったという誤解が十分には解消されていないことがある。

政府は、「旧日本軍は慰安所の設置や管理に直接関与した」として、旧軍が「関与」したことは率直に認めている。ただし、ここで言う「関与」とは、

〈1〉開設の許可
〈2〉施設整備
〈3〉利用時間や料金を定めた慰安所規定の作成
〈4〉軍医による検査

——などを指すものだ。
一方で、慰安婦の強制連行については「公的資料の中には、強制連行を直接示す記述はない」(97年3月18日の内閣外政審議室長の国会答弁)と明確に否定している。これを覆す確かな資料はその後も見つかっていない。

「強制連行はあった」という見方が広がるきっかけとなったのが、83年に元「労務報国会下関支部動員部長」を名乗る吉田清治氏が出版した「私の戦争犯罪」という本だ。吉田氏は、済州島(韓国)で“慰安婦狩り”にかかわった経験があるとして、「泣き叫ぶ女を両側から囲んで、腕をつかんでつぎつぎに路地に引きずり出してきた」などと生々しく記述した。
しかし、この本は90年代半ばには研究者によって信憑性が否定され、安倍首相も07年3月5日の 参院予算委員会で、「朝日新聞(の報道)だったと思うが、吉田清治という人が慰安婦狩りをしたと証言した訳だが、後にでっち上げだと分かった」と述べ、強制連行の証拠にはならないと指摘した。

また、慰安婦問題が政治・外交問題化する過程で、韓国や日本の一部で、「女子挺身隊」と慰安婦を同一視する誤った認識を喧伝する動きがあったことも、「強制連行」イメージに拍車をかけた。女子挺身隊は、秦氏の「慰安婦と戦場の性」(新潮選書)によると44年8月か ら、「女子挺身勤労令」に基づいて12〜40歳の未婚女子を工場労働などに動員したものだ。
あくまで労働力確保が目的だった。

慰安所に女性を集めてくる女衒などの仲介業者が、高収入が得られるなどの甘言で誘った り、慰安所での暮らしを十分説明しなかったりする悪質な手段を使う事例はあった。陸軍省が中国派遣軍にあてた「軍慰安所従業婦等募集に関する件」(38年3月4日付)では、誘拐に近い募集など問題のある業者がいると指摘し、「軍の威信保持上、並に社会問題上、遺 漏なき様」と呼びかけている。軍としては、募集が強制的にならないよう注意を払っていたことを示す資料と言える。

それでも、戦争の混乱の中で、インドネシアでは旧日本軍の「南方軍幹部候補生隊」が抑留されたオランダ人女性を慰安所に送り込んだ事件(スマラン事件)が発生した。事情を知った上級司令部はすぐに慰安所を閉鎖させたが、事件の責任者らは戦後、オランダ軍による戦犯裁判で死刑を含む厳罰に処せられている。


◆あいまい表現の河野談話 「強制連行」の誤解広げる
     /歴代首相おわびの手紙 基金から償い金も

慰安婦問題が政治・外交問題化する大きなきっかけを作ったのは、92年1月11日付の朝日新聞朝刊だった。
「日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していたことを示す通達類や陣中日誌が、防衛庁の防衛研究所図書館に所蔵されていることが明らかになった」と報じたもので、「従軍慰安婦」の解説として「開設当初から約8割が朝鮮人女性だったといわれる。太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」とも記述していた。

宮沢首相(当時)の訪韓直前というタイミングもあり、この報道で韓国世論が硬化。訪韓中、首相は盧泰愚大統領との会談で「慰安婦の募集、慰安所の経営に日本軍が何らかの形で関与していたことは否定できない」と釈明した。

政府は92年7月6日、旧日本軍が慰安所の運営などに直接関与していたが、強制徴用(強制連行)の裏づけとなる資料は見つからなかったとする調査結果を、当時の加藤紘一 官房長官が発表した。

その後も韓国国内の日本に対する批判はいっこうに収まらなかったことから、政府は93年8月4日、慰安婦問題に対する公式見解となる「河野洋平官房長官談話」を発表した。

ただ、この河野談話は表現にあいまいな部分があり、日本の官憲による強制連行を認めたと印象づける内容になっていた。

第一に、慰安婦の募集について「軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあった」と明記した。

第二に、朝鮮半島における慰安婦の募集、移送、管理などは「総じて本人たちの意思に反して行われた」と重ねて記述した。これにより、ほとんどが強制連行だったとの印象を強めることになった。

強制連行を認めるよう迫る韓国側に配慮し、談話によって問題の政治決着を図ろうという狙いがあった。談話作成にかかわった石原信雄・元官房副長官も後に、
強制連行を立証する資料はなく、慰安婦の証言をもとに総合判断として強制があったということになった」と証言している。

しかし、この河野談話は慰安婦問題を完全決着させる効果は果たさず、むしろ官憲による「強制連行」という誤解を内外に拡散させる結果を生んだ。

国連人権委員会のクマラスワミ氏がまとめた報告書では、慰安婦を「性的奴隷」と規定し、日本政府に補償や関係者の処罰を迫ったが、その根拠の一つが河野談話だった。
現在、米下院で審議されている決議案の代表提出者マイケル・ホンダ議員(民主党)も、決議案の根拠として河野談話を挙げている。


日系のホンダ議員が決議案の代表提出者となった背景には、3月16日付本紙朝刊国際面で紹介したように、日系人が相対的に減少傾向にある一方で、中国系や韓国系住民が増加している選挙区事情があるなどと指摘されている

95年7月、政府は河野談話を前提に、財団法人「女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)」を設立。これまで364人の元慰安婦に償い金など合計約13億円を渡した。併せて、橋本、小渕、森、小泉の歴代首相がそれぞれ「おわびの手紙」を送っている。

河野談話について、安倍首相は06年10月5日の衆院予算委員会で、自らの内閣でも基本的に引き継ぐ考えを示したが、官憲による「強制連行」は否定した。
______ 


◇米下院の対日決議案要旨

日本国政府は、1930年代から第2次世界大戦中にかけてのアジア及び太平洋諸島の植民地および支配の期間中において、世界に「慰安婦」として知られる、若い女性を日本帝国軍隊が強制的に性的奴隷化したことに対する歴史的な責任を公式に認め、謝罪し、受け入れるべきである。

日本国政府による強制的軍売春である「慰安婦」制度は、その残忍さと規模において、輪姦、強制的中絶、屈辱的行為、性的暴力が含まれるかつて例のないものであり、身体の損傷、死亡、結果としての自殺を伴う20世紀最大の人身売買事案の一つであった。

日本の公務員や民間の要職にあるものが、近年、慰安婦の苦難について、心からのおわびと反省を表明した93年の河野官房長官談話の内容を薄めたり、撤回したりすることを願望する旨表明している。

下院の考えとして、公式の謝罪を日本の首相が公的立場において声明として公にすべきであり、(日本政府が)日本帝国軍隊による「慰安婦」の性的奴隷化や人身売買は決してなかったとのいかなる主張に対しても明確かつ公に反論すべきであることを決議する。(外務省の仮訳より)

 

 

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朝日の論理ー証拠は無くとも強制連行はあった! 

2007-03-28 09:15:27 | 従軍慰安婦

朝日新聞【社説】2007年03月28日(水曜日)付

 下村発言―首相のおわびが台無しだ

 安倍首相の、いわゆる従軍慰安婦をめぐる発言の波紋がおさまらない。

 発端となった今月初めの「強制性を裏付ける証拠はない」との発言が国内外で批判されて以来、首相は強制性への言及を封印し、元慰安婦への「おわび」を繰り返し表明している。

 来月下旬に初の訪米を控えていることもあるのだろう。93年の河野官房長官談話を継承する立場を鮮明にし、ひたすら波紋の沈静化を図ろうとしている。

 そんな首相の努力に冷や水を浴びせる発言が、下村博文官房副長官から飛び出した。ラジオ番組や記者会見で「旧日本軍の関与」を明確に否定したのだ。

 「日本は昔、(女性が)売られて女郎屋に行った時代があった。同じように親が娘を売ったことはあったと思う。しかし日本軍が関与していたわけではない

 「軍の関与はなかったと私自身は認識している。直接、間接的に軍の関与は明らかでなかったというのが97年の平林博内閣外政審議室長の国会答弁だった

 軍の関与を認め、謝罪した河野談話を真っ向から否定するような内容である。

 官房副長官といえば首相官邸のナンバー3の要職だ。その発言となれば、首相の真意を解説したと受け取られても仕方ない。首相のおわびは台無しである。

 理解に苦しむのは、軍の関与を否定する根拠に平林答弁を持ち出したことだ

 この答弁は河野談話の発表当時、「 河野談話が認めるように、慰安所の設置や管理、慰安婦の移送に軍が関与したのは明白であり、慰安婦の生活は「強制的な状況の下での痛ましいもの」だったことは否定しようがない。

 強制連行があったのか、なかったのかにいくらこだわってみても、そうした事実が変わることはない。そう考えるからこそ、首相は改めておわびの気持ちを表明しているのではないのか。

 アジアや欧米のメディアで、当初の首相発言は驚きと怒りをもって報じられた。最近では米国の有力紙ワシントン・ポストが「安倍晋三のダブル・トーク(ごまかし)」と題する社説を掲載した。北朝鮮による拉致問題には熱心な首相が、日本自身の戦争犯罪には目をつぶっている。そう批判している。

 「拉致問題は現在進行形の人権侵害だが、従軍慰安婦の問題は続いているわけではない」と首相は反論するが、事の本質を見誤っている。

 問われているのは、過去の日本が女性たちの尊厳と人権を深く傷つけたという歴史の事実に、日本を代表する立場の首相がいま、どれだけ真剣に向き合えるか、という問題にほかならない。「いま」の話なのだ。

 首相は、慰安婦問題についての考えをもっと丁寧に語るべきだ。 

                  ◇

今更ながらとは言え呆れ返ってしまうご意見である。

 

朝日と言えば一流大学の偏差値の高い人材が集う新聞社だと聞く。

 

その中でも社説を書くぐらいの人なら選りすぐりのエリートで理解力や読解力は人一倍いや、少なくとも人並み以上はあるだろう。

 

海外紙が「河野談話」だけを根拠に「慰安婦問題」を詳しい検証も無く書き飛ばす記事と違って、朝日はこの問題の火付け役として深く関わって来た。 

 

「平林答弁」が何を意味するかは百も承知のはず。

 

その朝日社説が、「軍の関与を否定する根拠に平林答弁を持ち出したこと」を理解に苦しむとのたまう。

 

朝日が「理解に苦しむ」、と言うがそれ自体を理解するのに一層苦しむ。

 

≪「慰安婦の強制連行を直接示す政府資料は発見されなかった」ことを認めたに過ぎない。「軍の関与はなかった」と言ったわけではない。 ≫

 

これを言葉のすり替えと世間では言う。

 

政府は「軍の関与はなかった」とは一言も言っていない。

 

その言っていない事を持ち出して読者をミスリードする手法はもはや陳腐としか言いようがない。

 

政府は「軍の関与は」は認めている。

 

ここでいう「関与」とは、

 

①慰安所開設の許可

②施設整備

③利用時間や料金を定めた慰安所規定の作成

④軍医による検査---などを指すものだ。

 

一方で、「慰安婦の強制連行を直接示す政府資料は発見されなかった」と「強制連行は明確に否定しているではないか。

 

「・・・」を認めたに過ぎない、のではなく明確にこれを否定しているのだ。

 

≪ 河野談話が認めるように、慰安所の設置や管理、慰安婦の移送に軍が関与したのは明白であり、慰安婦の生活は「強制的な状況の下での痛ましいもの」だったことは否定しようがない。 ≫

 

「強制的な状況の下での痛ましいもの」を慰安婦達に強いた主体は誰だったのか、

つまり誰が慰安婦達を強制的に痛ましい状況に陥れたのか。

 

結局国語の文法の初級問題になる。

 

主語(主体)は女衒(売春婦の元締め業者)であり、

場合によっては娘を身売りした親の例もあった。

 

朝日が「スクープ」する新発見の証拠は全て逆に「軍の強制連行」を否定する自爆証拠となって朝日は暫し得意の沈黙戦術を取っていた。

 

今朝の社説は「強制連行」の証拠が無いので、何とか読者ミスリードをしようと言葉をひねくり回しているのがすけて見える。

 

結局、≪証拠が無いからといって「強制連行無かった」訳ではない≫、と言いたいのだろう。

 

ウソの上にウソ築くとこう言わざるを得なくなる。

 

これではまるでガキの論理だ。 いや、ガキが怒るかも。

 

遂に朝日は自分が築いたウソの論理の迷路にここまで堕ち込んでしまったのか。

最後の文の
首相は、慰安婦問題についての考えをもっと丁寧に語るべきだ。 」 には同意する。

 

もっと丁寧に

 

「『河野談話』と『平林答弁』は一対」だと。

    

◆参考:「河野談話」は「平林証言」と一対で有効                                   

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「沖縄返還密約訴訟」 西山太吉は「知る権利」の旗手か?

2007-03-28 08:40:52 | 未分類

西山氏の訴え棄却 沖縄返還密約訴訟

 沖縄返還交渉をめぐる「密約」の取材で国家公務員法違反(秘密漏えいの教唆(きょうさ))の罪に問われた元毎日新聞記者の西山太吉氏(75)が、米公文書で密約が裏付けられた後も日本政府の否定発言などで名誉が侵害され続けているとして、国に謝罪と慰謝料を求めた訴訟の判決が27日午後、東京地裁であった。加藤謙一裁判長は「除斥(時効)期間の経過によって請求権が消滅した」として、西山氏の請求を棄却し、西山氏側が主張の力点を置いた密約の有無の判断もしなかった。西山氏は控訴する。
 判決について西山氏は「除斥期間であるとして、個人に対する名誉棄損も触れなかった。想像していた通りの判決だった」とコメント。代理人の藤森克美弁護士は「密約についても何も言っていない。一番逃げやすいところを押さえて書いた最低の判決だ」と批判した。
 同訴訟は2000年と02年に密約を裏付ける米公文書の発見を契機に05年4月提訴。9回の弁論で西山氏側は密約の立証に力点を置き、06年2月には返還交渉にかかわった元外務省幹部の密約を認める新証言が報道され、裁判所の判断が密約の事実認定に踏み込むか注目されていた。
 国側は裁判で密約の存在を認否せず、「密約が仮にあっても原告の有罪無罪を左右しなかった」「仮に違法行為があっても除斥(時効)期間の適用で賠償責任はない」として棄却を求めていた。
 西山氏側は国会承認を経なかった密約は違憲行為で、違法秘密であるから国家公務員法の保護の対象に当たらないと指摘。その上で、男女スキャンダルに仕立てた西山氏の訴追で政府は密約への追及をかわし、検察側の偽証により刑事裁判で誤った判決を下させたことは違法であり、不当と訴えていた。
 訴訟は沖縄返還の真相と密約という「国家犯罪」を追及し、知る権利の在り方も問い掛けた。(琉球新報  3/27 16:02)

                 ◇

沖縄地元紙が、毎日新聞の元花形記者西山太吉氏国を提訴した「沖縄返還密約訴訟」を大きく扱うのは理解できる。

だが、35年前の「西山事件」には封印をしたまま西山氏があたかも≪「知る権利」のために国家権力と戦う正義の男≫といった連日の印象報道には疑問を感じる。

琉球新報の記事も過熱気味で、ここ一週間の特集記事「裁かれる『密約』」では連日西山氏の顔写真入りで、

「ゆらぐ知る権利」

「国家犯罪最後まで追及」

と言った大見出しが踊っていた。

昨日の判決報道も夕刊一面トップで東京地裁前の西山氏の写真入の6段を使っての大きな扱い。

そして、今朝の朝刊は勿論一面トップの九段扱いで、関連記事が、2・3・26・27の各面にも及んでいる。

一面トップの大見出しは

<裁判所の自殺行為>

「国家犯罪裁かれず」

そして原告西山氏の「日本に司法はない」と言う談話を載せている。

以下各面の見出しだけを拾ってみると、

<県内関係者・識者反応>

「三権分立捨てた」

「密約判断放棄に怒り・失望」

社説のタイトルは「“疑惑”直視しない司法」

共同配信の囲み記事では、

「知る権利に背を向けた」の見出しに「・・密約が裏づけられれば、沖縄返還協定は虚構になったことになり、・・・」とある。

共同通信は、もし密約があるのなら沖縄返還協定は虚構だと言う。

だったら、沖縄返還は無効で、沖縄を元の米軍占領下に戻せとでも言うのか。

                   *

そもそもこの裁判は、元毎日新聞記者の西山太吉氏が、沖縄返還協定の密約を巡る外務省幹部らの虚偽発言などで精神的苦痛を被ったとして、国に賠償を求めた訴訟。

新報が大騒ぎするような「密約の存在の有無」を争う裁判ではなかったはずだし、「知る権利」を争う裁判でもなかった。

訴訟の訴因は西山氏個人の「精神的苦痛に対する損害賠償」であり「知る権利」とは似ても似つかぬ、ある意味極めて下世話な目的であった。

「沖縄返還密約訴訟」と言う新聞の報道に幻惑されて35年前の「西山事件」の本質に目を逸らせてはいけない。

「西山事件」の経過を概略すると、

①35年前の沖縄返還協定で、アメリカが負担すべき「現状回復費」を日本が肩代わりする密約文書を当時の毎日新聞西山太吉記者が入手。

②西山記者は正攻法の報道でこれに対処せずに、社会党横路議員に文書を手渡し、当時の衆議院予算委員会で暴露。

③入手経路の調査により西山記者と情報を提供した女性事務官が、国家公務員法の守秘義務違反とその幇助罪で逮捕される。
 

④毎日新聞社が「国民の知る権利」キャンペーンで政府批判と取材の正当性を主張。

⑤週刊新潮等の記事で「病床の夫を持つ女性事務官と情を通じ、それを利用して入手した情報」であることが暴露される。

⑥「知る権利」を掲げる正義の闘いが一転、世間の罵倒を受けることになり毎日新聞は部数が急減。西山記者は休職。

⑦一審の判決出る。 事務官~懲役6ヶ月執行猶予1年の有罪、西山記者~無罪
 西山氏について検察が控訴。

⑧部数減った状態でオイルショック発生、毎日新聞社が事実上の倒産となる。

⑨二審判決 西山氏に懲役4ヶ月執行猶予1年の有罪判決。西山氏上告。

⑩最高裁上告棄却。西山氏の有罪確定(1978年…事件から6年後のことであった)

⑪故郷の北九州で蟄居30年、沈黙を守り続ける。

⑫「琉球朝日放送」の土江真樹子ディレクター(現在、名古屋テレビ勤務)の説得により再びメディアに登場。

◆琉球朝日放送の「メディアの敗北」http://www.qab.co.jp/content/documentary/index02.html

⑬そして今回の訴訟にいたる。

                   * 

ここで35年前の沖縄返還交渉の際の密約についての法律論議をするつもりはない。

原告西山太吉元毎日新聞記者が昔の恥しらずにも彷徨い出て、よくも裁判に持ち込んだものだと言う感慨があるだけだ。

 

里子に出している子供を引き取る事になった。

子供は一日も早く実の親の元に返りたがっている。

結局、里親との間で金で解決する事になった。

金額は一応合意を得たが、里親の方から別の名目の請求があった。

里親の気が変わっては困る。

一日も早い解決の為、この別の請求は内密にして当初の約束の金額で子供を引き取ったことにして、別請求の金額は別途支払った。(原状回復費用)

これが沖縄返還時の日本とアメリカで交わされた密約のあらましである。

言うまでも無いが沖縄が里子で里親がアメリカ。

秘密の金を里親に支払ったのが日本政府。

外交の現場に立ち会った経験のない筆者が、ここで外交上の密約の是非は論じない。
 
だが外交とは、「外交辞令」と言う言葉が示す通り表面に見える合意以外にも虚虚実実の裏取引きがあるとも聞く。

密使もおれば、密書もあるし秘密交渉に裏交渉等々は小説の世界でもよく目にする言葉だ。

外交は教科書通り清く正しくは動かない。

「平和を愛する諸国民の公正と信義」を信じて外交の場に臨んだら尻の毛まで抜き取られるのがオチだろう。

これは六カ国協議でのアメリカ、北朝鮮の虚虚実実の駆け引きを見れば分る。

何でも白日の下に晒してガラス張りすれば事が解決するわけではない。

それが国益を損なう事だってあり得る。

この当時、政府の高官たちが密約をし、それを否定し続けたのは、何としても沖縄返還を成し遂げるための“苦肉の策”だったという面もあっただろう。

 「外交交渉の会談内容は公開しないという国際的慣行が存在し、それが漏れると他国の不信を招いて、交渉の効果的な遂行が阻害される恐れがある」。

しかし、その後、30年以上が経過し、状況は大きく変わった。

2000年と02年に、米国で密約の存在を裏付ける公文書が公開されたのだ。

公開された「密約」はもはや密約ではない。

                  *

問題を明確にするためここで再度確認する。

原告の西山太吉元毎日新聞記者は、「知る権利」や「外交密約の是非」を問題にして訴訟を起こしているのではない。

あくまでも西山氏個人の「精神的苦痛への損害賠償」を求める裁判なのだ。

問題の本質は「知る権利」の為には手段を選ばない事が許されるか、と言うことだった。

西山記者が「知る権利」を行使する為に行った手段は卑劣そのものだった。

琉球新報が報じるような「男女スキャンダルに“仕立てた"」ものではない。

だが、今ではこの事件が「男女スキャンダルそのもの」だった事は完全に欠落して報道されている。

毎日新聞と言う巨大メディアをバックに、尚且つ女の武器、もとい、男の兇器?を使って病身の夫を持つ人妻(外務省・事務官)の弱みに付込んでたらし込む。

こんな卑劣な手段で入手したスクープを正々堂々と紙面で発表し糾弾していたのなら一歩も二歩も譲歩しよう。

だが、西山記者はこのスクープを社会党の横路議員に売っていたのだ。

西山元記者の個人的名誉欲のため犠牲になった外務省の女性事務官の言葉が胸に響く。

「精神的苦痛」を味わったのは第三の権力巨大新聞社に属する西山氏ではなく、スキャンダルの為メディアの好奇の目に晒され家庭崩壊を余儀なくされた女性事務官の方ではなかったのか。

以下は「誰か昭和を想わざる」よりの引用です。

「さいわい、今日生きていられるのは、事件後、路頭に迷った私を坂田弁護士ご夫妻が救って下さったからだ。もっとも、昨年(昭和48年)暮、毎日新聞との間に示談ができて、ある金額の見舞金を頂いた。それはそれなりに感謝するけれども、よもや毎日新聞は、あのお金でもって、夫と私の口を封じようとは考えていないだろう。もし毎日新聞にそんな気持があったら、こんな身勝手な話はない。私もそれほど毎日新聞が卑劣だとは思いたくないし、だいいち、私たち夫婦にも『表現の権利』だってある」

 「私は夫に感謝している。事件が起ってからの夫は、病身にもかかわらず、私のカゲになり、日なたになって援助してくれた」「ところが、今度の公判中、毎日新聞側の弁護士が夫には耐えられない弁論を行なった。夫がいかにも私のヒモであるかのような表現を繰り返した。夫は激怒した。そして、男のメンツにかけても離婚の決意をせざるを得なくなった。周囲の人、親戚の人が、夫の不甲斐なさを嘆く可能性が十分にあるからだ」

 「私は私の半生を孤独に生きるべく運命づけられた。しかし、これも私の人間としての弱さから出たことだと思って、あきらめざるを得ないのだろうか…」

 どんな事件においても、最も権力に翻弄されて不幸を見るのは立場の弱い人間である。ここでいう権力は何も政治権力だけを意味しない。世間に向けて自らの正当性を吹聴できる機能と力を持つマスコミやジャーナリストもそれ自体、十分な権力である。2つの巨大な権力の間で翻弄され、自分に降りかかった事について、自身のガードの甘さが招いた災厄とはいえ、何があったのかを語る場さえ与えられないでいた女性事務官の不幸、その夫の苦衷。一新聞社が自らの正当性のために声高に訴えた「知る権利」とは、ほかならぬ、このような「物言えぬ」人々を踏み台にしたものだった。外務省内で政府方針に不満を持った内通者が記者に協力して、紙面上で堂々と展開してのスクープならば「知る権利」という言葉はその輝きを損なうような事はあるまい。しかし外務省内での立場の強弱、さらに男女関係の立ち位置を利用して獲得した情報を、野党議員に横流ししての「知る権利」に、一般の読者は拍手を送るだろうか。 (「誰か昭和を想わざる」より)

 

 

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裏面史・沖縄返還交渉(3)

2007-03-27 19:13:36 | 未分類

 
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裏面史・沖縄返還交渉(3)
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               古澤 襄

1969年4月1日に岸元首相は、実弟の佐藤特使としてワシントンで行われたアイクの葬儀に参列し、ニクソン大統領と会談した。儀礼的な会見というよりは、沖縄問題に絞った重要会談となった。

<各国代表とニクソンは会談した。岸はその一連の表敬会談の最期の順番を希望した。ニクソンと会談した四十五分間にうち四十分は沖縄問題を話し、おれ(岸)ですら核抜き返還であるべきだと(思うと)ニクソンにいった。

日本の国民感情にある核への大きい抵抗を強調したら、ニクソンはうーんといっていて黙ったままだった>(岸と会った末次一郎基地問題研究会事務局長の証言)

これについて楠田首席秘書官も「ニクソン大統領は、ホワイトハウスで旧知の岸さんを手厚くもてなした。沖縄返還についての、岸さんの言葉に耳をかたむけ、帰りは、わざわざ車のところまで見送る配慮をみせ、佐藤総理の訪米をお待ちしている、と語った」・・・と証言している。

基地問題研究会の末次事務局長は、木村官房長官の人選によるものだが、メンバーに若泉敬京都産業大学教授が加わった。キッシンジャー秘録で「ミスター・ヨシダ」のコード・ネームで出てくる佐藤密使。

キッシンジャーのコード・ネームは「ドクター・ジョ-ンズ」。若泉氏はニクソン政権以前から佐藤の命を受けて、屡々渡米し沖縄問題に関する米側の動きを探って佐藤に直接、報告していた。佐藤に若泉氏を紹介したのは福田赳夫氏だとする説もある。

若泉氏は楠田氏に「自分が沖縄問題に(深く)かかわったことは、生涯の秘密にしてくれないか」と頼んだ。楠田氏もこれを守った。しかし1994年になって「沖縄返還と自分のかかわりを(文藝春秋社から)出版する」と断りを入れてきた。

沖縄返還交渉で「核密約」といわれる日米合意議事録は、若泉氏の著書「他策ナキヲ信ゼムト欲ス」で明らかにされた。その内容は若泉氏によれば次のようなものである。

米国大統領「沖縄が日本に返還されるまでに、沖縄からすべての核兵器を撤去する。しかし極東諸国の防衛のため、重大な緊急事態が生じた際には、日本政府と事前協議の上で核兵器を沖縄に再び持ち込むこと、及び沖縄を通過する権利が認められることを必要とする。

事前協議では好意的回答を期待する。沖縄に現存する核兵器の貯蔵地、すなわち熹手納、那覇、辺野古などの基地をいつでも使用できる状態に維持し、重大な緊急事態の際には活用できることを必要とする」

日本国総狸大臣「日本政府は、大統領が述べた前記の重大な緊急事態が生じた際における米国政府の必要を理解して、かかる事前協議が行われた場合には、遅滞なくそれらの必要を満たすであろう」

「ドクター・ジョ-ンズ」と「ミスター・ヨシダ」の裏交渉が秘密裏に
始まったのは、岸・ニクソン会談の年(1969年)の7月だったという。
両者はコード・ネームでワシントンと東京間の電話交渉も行われた。

国務省や外務省という官僚機構を使わない大統領と総理大臣のチャンネルとなった「ドクター・ジョ-ンズ」と「ミスター・ヨシダ」の裏交渉は、それなりの効果をあげたのだが、後に「ドクター・ジョーンズ」ことキッシンジャーの不信を招き、佐藤・ニクソンの関係にも影響を及ぼした。

沖縄返還交渉は「縄と糸」の関係にあった。ニクソンの選挙地盤は人件費が安い日本の繊維製品の輸出で打撃を受けていた。日米繊維摩擦が政治問題化していたので、キッシンジャーは沖縄の核貯蔵権利に固執しない見返りに繊維問題で日本が譲歩することを迫った。

「ミスター・ヨシダ」こと若泉氏は、佐藤にそれを伝えたが、日本国内では輸出抑制で打撃を受ける繊維産業の救済という大きな政治解決が必要になる。繊維業界のみならず大蔵省や通産省の官僚機構、業界関連の自民党議員を巻き込んだ解決策がおいそれと出る筈がない。

若泉氏は「秘密交渉の場で繊維問題を解決するわけにいかない」とキッシンジャーの申し入れを蹴る結果となった。これによって難航していた日米繊維交渉はさらにこじれてしまった。大平通産相、宮沢通産相で解決できなかった日米繊維交渉は、田中(角)通産相が登場して、二千三百億円の政府救済資金を決めて解決するまで難航を重ねている。

1971年7月15日、ニクソンは電撃的な北京訪問をした。米政府から日本政府に通告してきたのは、発表の15分前。ニクソン・ショックは佐藤政権を直撃している。

これに先立ってキッシンジャーは、ひそかに北京入りして、ニクソン訪中のお膳立てとなる米中秘密交渉を行っているが、周恩来に日本のことを「ジャップ」と呼んでみせたり、日米安保条約は日本に核を持たせない条約だと説明したという。江戸の敵を長崎で討ったのかもしれない。

 


     渡部亮次郎のメイル・マガジン 頂門の一針  第752号
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              平成19(2007)年03月27日(火)


 

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「従軍慰安婦」 鳩山幹事長にブーメランの一撃!

2007-03-27 07:18:38 | 従軍慰安婦

慰安婦問題、「軍の関与ない」と下村副長官…野党反発

 下村官房副長官は26日夕の記者会見で、いわゆる従軍慰安婦問題について「直接的な軍の関与はなかったと私自身認識している」との考えを示した。

 下村氏は「直接、間接的に軍の関与は明らかでなかったというのが、1992年から93年にかけて行われた調査に基づき97年に平林博外政審議室長が行った答弁だったと思う。それに沿って発言している」と述べた。同日夜、下村氏は記者団に、発言について「(慰安婦の)強制連行について軍の関与はなかったということを述べたものだ」と修正した。

 野党側は下村氏の発言を一斉に批判した。民主党の鳩山幹事長は記者団に「もっと歴史を勉強してほしい。政府高官が決して言うべきことではない。強く抗議したい」と述べた。

(2007年3月26日23時36分  読売新聞)

                   

「もっと歴史を勉強して欲しい」ってか。

そっくりそのまま,鳩山幹事長にお返ししたい。

この党はどうしてもブーメランに拘っているようだ。

平林答弁については、

◆参考:「河野談話」は「平林証言」と一対で有効

 

【用語解説】河野談話
 宮沢喜一内閣が総辞職前日の平成5年8月4日、河野洋平官房長官(当時)が「慰安所の設置、管理および慰安婦の移送は旧日本軍が直接あるいは間接に関与した。慰安婦の募集は、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、甘言、強圧など本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、官憲等が直接これに加担したこともあった」とする談話を発表し、謝罪した。
 しかし、談話の根拠は元慰安婦女性からの聞き取り調査だけで、
9年3月の参院予算委員会で、平林博内閣外政審議室長は「個々の証言を裏付ける調査は行っていない」と答弁した
。(産経新聞)

                  

 

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【決定版】!「論説:所謂『従軍慰安婦』問題」

2007-03-27 06:57:36 | 従軍慰安婦

【論説】所謂「従軍慰安婦」問題

                    時局心話會代表 山本善心
                     
    今年1月31日、米国のマイク・ホンダ下院議員(65)ら7名は「かつての戦争で、日本の官憲は20万人の若い女性を強制的に性奴隷として売春宿に連行した。日本の歴代首相はそれを認めたからこそアジア女性基金を作り、元慰安婦たちに賠償金を支払ったものである。謝罪は日本の首相が公式声明で発表し、これらの歴史的事実を子どもたちに教育すべきだ」との対
日非難決議案を米下院に提出した。

 その後、ホンダ議員が中国当局と繋がる在米中国人団体から一貫して多額の献金を受けていたことが明らかになった(07.3.15産経)。しかも日本を糾弾する言動や活動方針については、中国側の反日認識と同一歩調を取っていることも判明。歴史問題に関する反日宣伝の広告塔である、との実態が暴露された。

 慰安婦問題については韓国が中心と見られていたが、実質的には中国が裏で操作していた、との報道に「やっぱりか」という声が上がっている。中国側がホンダ議員を手足として使い、ロビー活動やマスメディアを通して執拗に対日工作を行っていたことは薄々伝えられていた。


米国日系議員の反日


 従軍慰安婦問題は「河野談話」から始まり、米国に飛び火して世界的な関心事となった。米国のリベラル紙であるニューヨーク・タイムズ紙の2月6日付社説でも、ホンダ議員の発言が取り上げられ「日本軍の性的奴隷」「売春ではなくレイプだった」などと掲載されている。はじめて記事を目にした米国の読者はこれを本気にし、日本の非人道的行為に驚いていよう。

 「こうした日本批判に対し、日本の総領事館は何もせず傍観しているだけではないか」との不信の声があがっている。ニューヨークの桜井本篤総領事は「反論投稿は行わず、総理のお考えを個別に説明するだけ」と呑気なことを言っている。

 中韓はじめ米国の一部で、対日批判の立役者である日系のホンダ議員は英雄扱いだ。しかし彼は「日本軍が無理やりに強制連行し、言うことを聞かない慰安婦は集団暴行したうえ、殺害、手足切断、強制中絶を行った」とまで言い切っている。


反対勢力の意見


 ホンダ議員は孤軍奮闘して民主党、リベラル系を巻き込み、対日非難決議案を通過させようとしているが、これに反対する勢力が大方であるのも事実である。公聴会でも賛成したのは提案者であるホンダ議員と議長の2人だけだった。共和党や民主党議員にも彼らと見解を異にする者が大勢だ。

 反対勢力の意見を要約すると①日本の首相や閣僚は、慰安婦問題について1993年以来何度も謝罪している、②2世代前の先人の行為を理由に現在の日本国民を懲罰するのは不当だ、③米国も含め世界のどの国も過去には罪を犯してきたがれほど謝罪はしていない、④今の日本が米国の同盟国として人道主義を推進し、世界的にも重要な民主主義の旗手であることをこの決議案は無視するに等しい、というものだ(3月5日付産経新聞)。


「慰安婦」の実態


 元兵士たちの体験談や日韓統治時代の資料の中には、軍の関与による強制連行の事実は出てこない。中国戦線での慰安婦や業者は中国人や韓国人が多く、兵士の間でも、外地での慰安婦には「ツンコ・ピー」(中国系)、「チョーセン・ピー(朝鮮系)」と呼び、兵士間では「ピー買い」という隠語が使われていた。外地では多くの中国人や韓国人の業者により、中韓系の娘たちが駆り出されていたのである。

 元兵士によると、1940年代頃のツンコ・ピーやチョーセン・ピーは一回の代金が1円、日本人は1円50銭だった。当時の兵士たちの給与は3分の1が貯金、3分の1が生活費、残り3分の1が慰安婦代というのが一般的であったらしい。それゆえ当時の外人慰安婦の懐は潤沢だったが、兵士は金欠だったという。


 この問題に関心を持つ筆者は、40年前から元兵士の方にたくさんの戦争体験を伺う機会があった。ほとんどの方はすでに故人であるが、それによると「従軍看護婦はいたが、『従軍慰安婦』という呼び名はなかった」というのが全員の意見であった。戦地に春を売る女性がいたのは、公娼が法で認められていたからである。

 日本の「東北飢饉」と同じく韓国にも「春窮」と呼ばれる飢饉があり、貧しい農家が娘を身売りせざるを得ない時代だった。中には農家の弱みにつけ込んで強引に娘を引き連れていく業者もいたであろう。こうした時代背景の中での行為を「広義の強制性」と解釈している。

 慰安所は軍の集まるところに開設されている。軍人にとって一番恐いのは性病であり、軍医や衛生兵が慰安婦の検査を行うなど、軍が管理することで軍人や慰安婦の安全が保たれた。一方、軍人の性的処理を果たすための施設は軍の協力なしにはできないのである。つまり軍人も慰安婦も、身の安全を得るために軍の関与が必要不可欠だった。


河野談話とは何か


 1993年8月4日、河野洋平官房長官(当時)は宮澤内閣総辞職の前日を選んで下記のような談話を発表した。

「慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送、管理は旧日本軍が直接あるいは間接に関与した。慰安婦の募集は軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、当時は強圧など本人たちの意見に反して集められた事例が数多くあり、官憲等が直接これに加担した」

 これは官憲による慰安婦募集の強制性を認めたも同然で、韓国で拡大解釈されるのはいつものことだ。しかしこの談話を作成した石原信雄元官房副長官は、後日談として次の証言をしている。「韓国側は慰安婦募集の強制性を盛り込むよう執拗に働きかけてきた。これを認めれば韓国側も矛を収めてくれるのではないかと期待し承諾した」というのだ。これは日本の戦後史に残る外交政策上の失敗であった。


軍律の厳しい日本軍


 日本政府は慰安婦問題について、外交的に波風を立てず“先送り、事なかれ主義”が得策と判断した。しかしこの問題を大げさに報道すれば、誰もが慰安婦に同情するのは当たり前だ。こうして「河野談話」は解釈の違いこそあれ、事実関係を検証することなく公表された。

 筆者の父は中国で軍医として活躍したことがあり、当時のことをよく語ってくれた。「軍人は忠節を誓うを本分とすべし」との貼り紙が至る所に貼りめぐらされていた。また軍律に厳しい憲兵隊の存在は、兵士にとって恐怖である。事実インドネシア・ジャワ島では、オランダ人の女性捕虜を本人の同意なく働かせた日本の軍人5人が軍紀違反で死刑に処されている。軍律の厳しい日本軍で強制連行などがあれば、即座に軍法会議で処罰されることは明らかだ。


新談話を発表せよ


 こうした歴史的事実を安倍首相はよく理解しているはずである。たとえ問題にならなくても、将来の子どもたちのために「新官房長官談話」を発表するべきだ。しかし首相は、軍当局の関与と強制性を認めた「河野談話」を引き継ぐと明言した上で「強制性」をめぐる解釈の違いを指摘、理論展開している。

 首相は軍の強制連行の証拠がない以上、軍人が家に押しかけ娘を強引に連れ出す「狭義の強制性」はないと主張している。しかし先述のような時代の背景の中で行われた「広義の強制性」であるという定義を主張しても、解釈の仕方やズレが内外で軋轢を生むのは当然の帰結であろう。

 この問題は、首相の出方次第で八方塞がりになりかねない。首相が「河野談話」を継承する限り、正面から反論しても勝ち目はなく、外交的にも真意が伝わらずに逆効果となる。安倍首相は、「日本は自由な国だから意見を言うのは悪いことではない」と考えているが、相手は「河野談話」を錦の御旗に、問答無用の構えで全く根拠のないバイ菌をばらまいているのだ。    
 

『台湾の声』  http://www.emaga.com/info/3407.html

 

 

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