狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

橋本朝貢使節団 皇帝に拝謁

2006-03-31 16:33:41 | 県知事選
かつて琉球王国は国王が変わるたびに中国皇帝に朝貢使節を送っていた。

そして琉球国王として認めてもらうための国王印と王冠を拝受した。

それにより中国皇帝の柵封という権威を手にしたのだ。

当時の琉球王国と中国帝国との力関係からいったら止むを得ない行為だった。

小国琉球が生き延びるための知恵であったのだろう。

ところが中国と日本の柵封・朝貢関係は今も生きていた。

中国皇帝・胡錦濤は日本の首相との面会を拒絶し続けている。

これ以上皇帝の機嫌を損なってはいけない。

30日橋本竜太郎を団長とする「朝貢使節団」が北京を訪問した。

今日(31日)、胡錦濤皇帝は北京市内の人民大会堂で拝謁の栄誉を賜るという。

今頃は三跪九叩頭の礼でもして、誰が次期首相に適任か「ポスト小泉」の「重要講話」を拝聴するため宮廷に雁首を揃えているのだろう。

胡主席が日本の政治家と会談するのは、昨年5月の自民党の武部勤、公明党の冬柴鉄三両幹事長との会談以来となる。

橋本は首相時代中国の「女スパイ」との「親密交際」で世間を騒がした経緯がある。

中国に急所を握られ二進も三進もいかない。

皇帝のご機嫌を伺っている間に留守宅の日本で封印したはずの旧悪に火がついた。

「1億円ヤミ献金事件」で村岡兼造元官房長官に無罪判決が出たのだ。

事実上の犯人は橋本と野中の媚中コンビに嫌疑が燻りだした。

そもそも1億円の小切手を受け取っていながら記憶に無いとは面妖な。

1億円小切手は橋本に手渡され、それを脇から青木と野中が確認したと言われている。

この3人ともは「記憶にない」ですんでしまった。

場所はとある料亭の一室。

その席にはいなかった村岡が1億円の処理をめぐって法違反に問われた。

そして小切手の授受の現場にいた3人がまったく罪を問われていないのだ。

当初から橋本と野中の村岡への対応には疑念があった。

こうなったら仕方が無い。

いっそ媚中派の二人で仲良く手をつないで中国永住する事を進言する。


         ◇         ◇         ◇



◆日本経済新聞 2006年3月31日

橋本元首相、胡主席と31日会談・訪中団北京入り

 【北京=森本学】日本国際貿易促進協会会長の橋本龍太郎元首相を団長とする日中友好7団体の訪中団が30日、北京に到着した。31日に胡錦濤国家主席と同市内の人民大会堂で会談する。胡主席が日本の政治家と会談するのは、昨年5月の自民党の武部勤、公明党の冬柴鉄三両幹事長との会談以来となる。

 中日友好協会の招きによるもので、小泉純一郎首相が昨年10月に靖国神社を参拝した以降では初の本格的な訪問団となる。胡主席は橋本氏や超党派の日中友好議員連盟会長を務める高村正彦元外相らとの会談で、対日関係に関する「重要講話」を示す見通しだ。「ポスト小泉」もにらみ、中国の最高指導者が冷え込む日中関係について、どのようなメッセージを示すかが焦点となる。 (07:02)

◆村岡元長官に無罪判決 1億円ヤミ献金事件
2006年03月30日23時17分


無罪判決を受け、記者会見する村岡兼造元官房長官=30日、東京・霞が関の司法記者クラブで

 自民党旧橋本派の政治団体「平成研究会」の1億円ヤミ献金事件で政治資金規正法違反の罪に問われた同会元会長代理で、元官房長官の村岡兼造被告(74)に対し、東京地裁の川口政明裁判長は30日、無罪(求刑禁固1年)の判決を言い渡した。判決は、検察側が立証の最大の柱とした「元長官に裏金化を指示された」という滝川俊行・同会元会計責任者=有罪確定=の証言について、「到底信用できない」と判断。1億円が実質的に橋本元首相に対する個人献金だった可能性があるなどと指摘したうえ、裏金化の実行者だった滝川元会計責任者が橋本元首相や元宿仁・自民党事務局長に累が及ぶのを避けるため、あえてこうした証言をした可能性があると強調した。

 公判では、橋本元首相らが日本歯科医師連盟から受け取った1億円について、だれが裏金化を決めたのかが争われた。

 検察側は、滝川元会計責任者の「村岡元長官が派閥の幹部会で1億円には領収書を出さず、裏金化するようとりまとめた」という証言を柱に、元長官が裏金化を主導したと主張。元長官側は「幹部会でヤミ献金の話が出たことはなく、1億円については報道で初めて知った」と全面無罪を訴えていた。

 判決はまず、滝川元会計責任者の証言について(1)事件発覚前に証拠隠滅などをしているのに「逮捕前は1億円の献金を完全に忘れていた」と述べるなど不自然(2)幹部会での各議員の発言などについて供述に移り変わりがあり、思い込みや想像で供述したと自ら認めた部分もある(3)幹部会の開催時間は短かったと考えられ、領収書問題を話し合う時間があったか疑問がある――などと指摘。「不自然・不合理な内容が含まれ、記憶に基づくことなく証言している節がうかがえる」と述べた。

 幹部会で裏金化が決まったとされる経緯についても「(派閥会長だった)橋本元首相に相談や報告をすべきだという発言が出てもいいはずなのに、そういうこともなく会長代理の村岡元長官が最終決定を下したというのも不自然だ」と述べた。

 そのうえで、虚偽の可能性がある供述をしたと考えられる理由についても言及。「橋本元首相などに累が及ぶのを阻止して派閥への打撃を最小限に食い止め、献金実務を切り盛りしていた元宿事務局長に捜査の手が及んで自民党全体に事件が波及し、不透明な献金処理が明らかになるのを阻止するため」だと指摘。そのうえで「落選・引退した幹部の名前を挙げ、信憑性(しんぴょうせい)の高さをうかがわせる虚偽の供述をした可能性がある」とした。

 さらに「(領収書不発行が橋本元首相の意向だった場合は)元首相が同会の代表者であることを踏まえると、政治資金規正法違反の罪に問われる可能性は相当高いと考えられる」とし、「滝川元会計責任者は元首相に累が及び、平成研究会が大打撃を受ける事態だけは避けたいと考えるのが自然だ」と述べた。

 また、元宿事務局長が日歯連からの1億円献金や事後処理に深く関与した可能性は否定できないと述べたうえで、「元宿事務局長に捜査の手が及べば、窓口を務める(自民党の政治資金団体の)国民政治協会にまで問題が波及することは十分に予想でき、不透明な献金処理が白日のもとにさらされれば、党全体にとって回復し難いほどの打撃になることは明らかだ」と指摘した。滝川元会計責任者が元宿事務局長の関与を否定する証言態度をとっていることは、かえって元宿事務局長が深く関与した疑いを強めるものだと述べた。

    ◇

 〈キーワード:1億円ヤミ献金事件〉01年7月、旧橋本派の橋本龍太郎元首相、野中広務・元自民党幹事長、青木幹雄・同党参院議員会長の3人が、日本歯科医師連盟幹部との会食で1億円を小切手で受け取った。東京地検特捜部は、同派が幹部会で領収書を出さずに裏金化することを決めたと判断。政治資金規正法違反の罪で同派の元会計責任者を逮捕・起訴(有罪判決確定)、村岡元長官を在宅起訴した。幹部会に出席したとされる野中氏は「関与したが、積極的でなかった」として起訴猶予、橋本、青木両氏は嫌疑不十分で不起訴にした。



コメント
この記事をはてなブックマークに追加

民意もいろいろ、在日米軍再編

2006-03-31 08:22:05 | 未分類
♪ 人生いろいろ 男もいろいろ

女だっていろいろ 吹き乱れるの ♪

                 *

「こんな所で事故が起きない方が不思議だ。」

住宅密集地に隣接する普天間基地を上空から視察して、ラムズフェルド・米国防長官は思わず漏らした一言だ。 

03年11月に来沖した時の事だ。

あのラムズフェルドが普天間基地の危険性を保証したのだ。

在日米軍再編問題は、当面は普天間基地の移設が緊急課題だ。

昨日の琉球新報は外務省が29日に発表した「日中関係に関する意識調査」を報じた。

その中で、在日米軍再編に関連し、
昨年10月の中間報告については、「知らない」と答えた人が77.0%に上り、
「知っている」人は18・8%に留まっていることが判った。

無理も無い。 地元沖縄に居てもこの問題は判りにくい。

誰でも自国内に他国の軍事基地が存在する事に賛成するはずは無い。

それでは沖縄に基地が集中している事については、
「規模を縮小する」が54・9%。

更に一歩踏み込んで、
「国内の他の地域に移転する」となると11・8%と大きく後退する。

これも無理も無い。 人間の正直な本音の吐露だ。 いろいろな民意が交差する。

問題の普天間基地は宜野湾市の市街地に隣接している。

その宜野湾市議会の定例会が二十七日行われた。

そこで改めて普天間飛行場の危険性の除去を求める意見書を全会一致で可決した。

移設問題に対する考え方は会派ごとに異なる。 各派それぞれの民意を背負っている。

・・が、宜野湾の現状が放置されることへの危機感で一致した。 

ラムズフェルドも驚いたと言うから当然だろう。

肝心の当事者の一方である宜野湾市の意見は蚊帳の外だった。

議論が移設先の名護市に集中している日米協議に対する不満がにじみ出る。

意見書は「いつ何時、大惨事を引き起こすか予断を許さないまま、普天間の現状放置は許されない」と強調している。
 
「政府は宜野湾の実情を真摯に受け止めるべきだ」との文言も。

政府と名護市だけで協議が進むことに、宜野湾側の危機感がにじむ。

一方移設先の名護市に隣接する宜野座村も黙ってはいない。

宜野座村や村内各区の区長などでつくる宜野座村基地対策協議会は29日午後、宜野座村役場で会合を開いた。

そこで「住民の生命を守るためにも『沿岸案絶対阻止』の意気込みで訴えたい」と訴えた。

宜野座村議会は昨年11月7日、沿岸案反対の決議を全会一致で可決している。

東村長は「飛行ルートが村の上空を通る以上、われわれも周辺地域の住民であるということをアピールしたい」と述べた。

更に名護市に「自分の所だけよければ他の市はどうなってもいい考え」を止めるように伝えるとの事。

同じセリフを宜野湾市も言い始めるのでは。

その名護市への移設問題にも深く関わった岸本前名護市長の訃報が政府側と名護市の会談に水を差した。

それぞれの民意合戦も一時休戦だと言う。

合掌。


◆沖縄タイムス 2006年3月29日(水)

宜野湾市議会が危険除去可決/「普天間」放置に危機感

 「全所属機の住宅地上空での飛行停止をはじめとする手段を政府は講じるべきだ」―。宜野湾市議会(伊佐敏男議長)は二十七日の三月定例会最終本会議で、普天間飛行場の危険性の除去を求める意見書を全会一致で可決した。移設問題に対する考え方は会派ごとに異なるが、宜野湾の現状が放置されることへの危機感で一致。在日米軍再編が大詰めを迎える中、移設先の名護市に集中している日米協議に一石を投じた形だ。(中部支社・磯野直)
 意見書は「いつ何時、大惨事を引き起こすか予断を許さないまま、普天間の現状放置は許されない」と強調。早期返還と返還までの危険性の除去策を、最終報告に盛り込むよう要求している。

 「政府は宜野湾の実情を真摯に受け止めるべきだ」との文言も。政府と名護市だけで協議が進むことに、宜野湾側の危機感がにじむ。


一点集中


 自民党県連の流れをくむ野党会派の民政クラブは昨年十二月、県議会の「沿岸案移設反対決議」を踏襲した決議案に反対し、全会一致とならなかった。

 会派長の仲村春松氏は「われわれは移設先を問わない。前回は『沿岸案』という固有名詞が入ったため反対した」と説明。「国、県、名護のそれぞれの主張にどれがいいとは言わない。ただ、ヘリが住宅地上空を旋回しなければ、危険性の除去につながる」と話す。

 公明党の大城政利氏は「市民の生命、財産を守る立場から早急な対策は必要だ」と訴え。その上で、稲嶺恵一知事が主張する「沿岸案反対」を支持する姿勢を示した。

 一方、政治団体「そうぞう」幹事長の前川朝平氏(21世紀クラブ)は「F15戦闘機の一部訓練移転で飛行回数が減る嘉手納基地で、普天間のヘリを移設完了まで預かってもらうことが危険性除去への近道だ」と持論を展開する。

 このほか県外・国外移設を訴える与党を含め、市議会各会派の普天間問題への考え方はさまざまだ。そこで今回の意見書は、文中で県内移設や沿岸案の是非には触れず、「危険性の除去」の一点に集中した。


政治的圧力に


 「県内移設によらない普天間返還」を掲げ、普天間のグアムや米本国への移転を訴える伊波洋一市長は、全会一致した市議会の意見書を歓迎。「日米協議が大詰めを迎える今、市議会の意思表示は一定の政治的圧力になる」と評価する。

 与党結の会の桃原功氏は、飛行ルートが住宅地にかからないよう名護市と協議をしている政府の姿勢を問題視。「本当に『住宅地上空を極力飛ばさない』と約束できるなら、まずは今の宜野湾で実現してほしい」と、語気を強めた。


◆人生いろいろ


中村大三郎 作詞
浜口庫之助 作曲


死んでしまおうなんて 悩んだりしたわ
バラもコスモスたちも 枯れておしまいと
髪を短くしたり 強く小指をかんだり
自分ばかりをせめて 泣いて過ごしたわ
ねえ おかしいでしょ若いころ
ねえ 滑稽でしょ若いころ
笑いばなしに 涙がいっぱい
涙の中に 若さがいっぱい


人生いろいろ 男もいろいろ
女だっていろいろ 吹き乱れるの


恋は突然くるわ 別れもそうね
そして心を乱し 神に祈るのよ
どんな大事な恋も 軽いあそびでも
一度なくしてわかる 胸のときめきよ
いま かがやくのよ 私たち
いま 飛び立つのよ 私たち
笑いばなしに 希望がいっぱい
希望の中に 若さがいっぱい
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

小学校での英語教育

2006-03-30 09:17:05 | 教科書
英語の教科書にヤンキースの松井秀樹が出ているという。

その中で松井は国際人になるためには英語の勉強が必要だ、と言った意味の事を述べているらしい。

人気者を使って英語学習の動機付けをするという意味では理解できる。

ただ、小学校から英語の学習を導入するとなると待てよと言いたくなる。

試に【国際人】を検索してみた。
≪国際的に活躍している人。世界的に有名な人。また、世界に通用する人。≫

どうも国際人の定義が曖昧でよくわからない。

英語を話すのが条件とは何処にも書いていない。

「ネーティブスピーカーのようにベラペラ英語を話すのに話に中身の無い人が欧米では一番軽蔑される」。 

これはベストセラー『国家の品格』の著者である御茶ノ水大学教授・藤原正彦の言葉。
  



◆英語教育の小学校導入には賛否両論が入り乱れているが、お母様たちは概ね賛成らしい。

いわく≪これから国際人になるためには、どうしても英語が・・・≫

あるいは≪子供のうちに英語の発音に慣れさしておかないと・・・≫

だが、週に一回や二回の授業で英語がマスターできるものなのか。

高校時代、英語の授業で米国留学帰りの英語教師にRとLの発音で悩まされた。

いわく「RとLの発音を疎かにすると、とんでもないことになる」 
「例えばレストランに行って米のご飯を注文してライスと言うと虱を皿に盛って出される」。

なるほどriceとlice(louse虱の複数)で発音の違いの説明。

話としてはオモシロイ。

が、幸か不幸かアメリカのレストランで虱の入った皿を出されたジャパニーズイングリッシュを話す人の話を未だ聞いた事は無い。

藤原教授の話は例によって明快だ。

「人間誰でも平等に一日24時間しか持っていない。 だったらその限られた時間の小学生の時期に何を教えるかは優先順位の問題だ」

「・・・その時期に教えるものは、一に『読み書き』ニに『読み書き』、三 四が無くて、五に『算数』だ。」

「昔の人はこの教育の真理を見事に喝破していた」
「先ず、読み書きソロバンだ」」

「英語は中学に入ってからで充分だ」

本人自身が欧米大学の留学の経験のある数学者の話だけに説得力がある。

     
         ◇         ◇         ◇

 ◆河北新報 河北春秋 2006年03月29日水曜日


辞書を横に置けば、英文を読めないことはない。ただし話せないし、聞き取りもままにならない。学校時代、あれほど時間を費やしたのに▼そんな大人になってはいけないと4年前、小学校でも英語教育が始まった。全体の9割以上で何らかの授業を行っている。あいさつ、歌、ゲーム…。さまざまに工夫を凝らす。年間10時間程度だ

 ▼しかしながらそれでは足りずと、中教審が小学校の英語教育の強化を打ち出した。全国一律の必修化。中国、韓国などに刺激されてのことらしい。「会話や文法の技術よりも、国際理解を深める」ことを目標にする▼英語が流暢(りゅうちょう)であるに越したことはない。それは確か。だが、国際人を育てるなら、国語をきちんと学べとの論は多い。一例に、お茶の水女子大の藤原正彦教授の考えを紹介する

 ▼「彼ら(欧米人)との交際の中で痛切に感じるのは、英語の不便より日本の文化や歴史への理解不足である」(新潮文庫『古風堂々数学者』)。英語に傾けたエネルギーを古典や漢籍に向けていたら―と悔やむ▼「小学校の国語は一国の生命線」と言い切る。日本人の心性を養うのが国語。オーケストラのいろいろな楽器のようにそれぞれ個性があってこそ、全体に調和が生まれる。それが国際社会。単なる英語使いではだめだということ。




コメント   トラックバック (1)
この記事をはてなブックマークに追加

八重山商工よ、よく戦った!

2006-03-29 13:58:05 | 県知事選
「横浜の名前にビビッているのは自分が一番だろう」。

試合前、伊志嶺監督は強豪横浜に付いてそう語っていた。

本音とも冗談とも取れた。

一方、選手は相手の名前に臆する事無く溌剌と打ち、そして守った。

ビビッた監督は投手起用を誤った。

そして四回表横浜の攻撃。

2死、走者2、3塁で2-3のフルカウント。 ここで投手を先発金城から大嶺に繋いだ。

投手交代がワンポイント遅すぎた。

先発投手起用の判断はここでは問うまい。

しかしあの場面での投手交代は素人でも疑念を抱く。 やはり名前負けしたのか。

とんでもない重圧のかかる場面で引きずり出された大嶺はファーボールで満塁の後、暴投を連発して大量6点を与え7-0。 しかもその間大嶺はワンヒットも打たれずに。

その後大嶺が一回戦に続き三振の山を築く。

6回には金城がホームランで一点返し7-1。

そして8回、八重山は6連打の溌剌プレーを見せ5点を返して7-6。

迎えた9回の裏。 

2死、走者2、3塁、1打サヨナラの場面まで強豪を追い詰めた。

6点差から僅か1点差まで追い詰めた!  強豪横浜を!

大嶺は五回三分の一を投げて奪三振8個。 通算25個。 よくやった。



__2回戦__
第2試合 3月29日 11:00 
横浜(神奈川) - 八重山商工(沖縄)
回     1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
横   浜 0 0 1 6 0 0 0 0 0 7
八重山商工 0 0 0 0 0 1 0 5 0 6

  横浜 / 川角-浦川   本塁打 / 岡田1(横)、金城長2(八)  
八重山商工 / 金城長-大嶺  



八重山商工よ、 よくやった!


         ◇         ◇         ◇



◆(読売新聞) - 3月29日14時2分更新

横浜3年ぶりセンバツ8強、八重山商工の猛追振り切る


3回表、横浜・岡田が先制ソロ本塁打を放つ
 
 横浜7―6八重山商工(2回戦=29日)――横浜が、終盤の八重山商工の猛追を振り切り、前回出場した75回大会(2003年)に続く8強入り。

八重山商工は金城長。横浜は川角が先発した。一回、横浜は三者凡退。その裏、八重山商工は一死から、東舟道、金城長の長短打で一、三塁とするが、羽地が併殺に倒れた。

 横浜は三回、岡田が中堅右に本塁打を放って先制。 八重山商工はその裏、友利らの連打などで二死満塁とするも生かせず。

 横浜は四回一死一、二塁から佐藤、下水流が連続長打で加点。さらに八重山商工の2番手・大嶺が二死満塁から連続暴投。横浜はこの回、計6点を挙げ、リードを広げた。

 八重山商工は四、五回とも三者凡退。しかし、六回、金城長が左翼へ今大会2本目となる本塁打を放ち、1点を返した。

 横浜は八回、二死一、二塁としたが、後続が凡退。

 八重山商工は八回、仲里、金城賢が連続適時打で3点。さらに大嶺の2点二塁打で1点差に迫った。九回もサヨナラのチャンスを作ったが、あと1本が出なかった。

コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

打倒横浜! チバリヨー八重山商工!

2006-03-29 07:52:18 | 県知事選
沖縄の施政権が返還される前の事。

観光バスガイドがよく使ったネタがあった。

「右手に見えますのが○○ショウチュウ学校で御座います。 ショウチュウ学校と言っても酒の飲み方を教える学校ではありません」

現在、全国にどれくらいの割合で小学区と中学校が一つになった焼酎、・・じゃない、小中学校があるかは定かではない。

だが、センバツ沖縄代表となった八重山商工の故郷八重山地区では小中学校はごく普通だ。

因みに八重山地区には21校の中学校があるがその内なんと11校が小中学校だ。

言うまでも無く在校生が少ないから小学校と中学校を一緒にしたのが小中学校。

中には幼稚園まで一緒にした「幼小中学校」さえある。  

もっともこの学校は八重山地区ではなく、沖縄観光のメッカ、ケラマ諸島の座間味島にあった。(http://www.cosmos.ne.jp/~akawine/)ホームページ開いて!

でも、この学校の先生は焼酎よりワイン、特に赤ワインが好きなの?

だってこのURLがにくい。 赤ワイン(akawine)だって!


★ざまみそんりつあかようしょうちゅうがっこう
 座間味村立阿嘉幼小中学校

〒901-3311 沖縄県座間味村字阿嘉316
 TEL  098-987-2123  FAX 098-987-2011   
 E-mail  akawine@cosmos.ne.jp

     ※メールをお待ちしています
  平成18年1月6日現在
   【在籍数】
     中学校 (14名)
     小学校 (28名)
     幼稚園 (12名)

沖縄観光のガイドさんに一つ新しいネタを提供しよう。

「皆様ー、しょうちゅうと申しましても沖縄の焼酎は泡盛です。アルコール濃度が強いので、少量ですぐ酔っ払ってしまいます。酔う焼酎で御座います」

「ちょうど右手に見えますのがアカワイン、・・・ではなく、アカ酔う焼酎、・・・でもなく、アカ幼小中学校で御座います」

やっぱり、座布団を一枚持って行ってもらおうか。


                 *


沖縄代表の八重山商工が緒戦を突破した翌日の日刊スポーツ・沖縄版の一面トップに謎の見出しが躍った。

「八重山商工 大嶺 沢村に並ぶ!」

対高岡商業で大嶺投手が奪った三振の数は実に17。

そのとき思わず奪三振の新記録では、とブログに書いたが沖縄代表高としては新記録だが、センバツ大会記録として21があった。

それでも17個の奪三振は好記録で戦前の京都商業・手沢村栄治投手が17奪三振の記録を作っている。
それで大嶺投手が「沢村賞」として今にその名を留める大投手沢村に並んだと言うわけだ。

戦後では浪商の怪童尾崎行雄が17奪三振を記録している。

因みに奪三振18個は4人。 19個は2人。 
元祖怪物君の江川卓は1973年に20個を記録している。

新記録の21個は、戸田善紀で43年前の昭和38年(1963)に記録している。
その時の相手校はなんと沖縄の首里高校で8-0で完封負けを喫している。

戸田投手を調べてみた。

≪戸田善紀
右投右打
1945年7月27日生まれ
大阪出身
PL学園高-阪急-中日

高校時代1963年選抜大会に出場する。対首里高戦で1試合21奪三振の大会記録を樹立。
翌年阪急に入団。長年一軍半の選手であったが、徐々に才能が開花。 1976年5月11日の対南海戦ではノーヒットノーランを達成。
1977年 中日へ移籍した。≫

八重山商工は南海に浮かぶ沖縄より更に南の「ハワイと同じ緯度」に位置する石垣島の県立高校である。

今回のセンバツ大会出場校は32校。

内訳は県立が13校、市立が1校、私立が18校。

甲子園出場の県立高校でも「○○商業」、「○○工業」という名前はよく見た。

・・・が、「○○商工」という商工ローンのような名前の学校は今まで八重山商工を除いては寡聞にして知らない。

小中学校や商工高校という名前に離島にある学校の苦労を感じる。

八重山商工野球部員は20人、専用グラウンドも部室もない。

本土の野球名門校とはかけ離れた環境でひたすら野球に打ち込んできた。

八重山商工、チバリヨー!(八重山の方言ではギバリヨー?)

                  *


★蛇足1:「第3アウトがフォースアウトの時は、他の走者が正規に本塁に触れていても得点は認められない」。よって、三塁走者の生還も無効に。

「幻の逆転」→対高岡商戦で「逆転2点タイムリー」が、一瞬にして「中堅へのゴロ」になった。
1点を追う高岡商の五回2死満塁の攻撃。5番・北田の痛烈な打球は中前へ。三塁走者に続き、二塁走者の小泉も生還。これで逆転に成功したはずだった。
ところが……。八重山商工の三塁手・羽地が「二塁走者が三塁を踏んでいない」とアピールし、これが認められた。
満塁だったため、羽地がボールを持って三塁を踏んだ時点で二塁走者の三塁フォースアウトが成立。→「逆転の2点」が「幻の逆転」に。

★蛇足2;触塁ミスは、審判が気付いても、守備側がアピールしないとアウトにならない。

★蛇足3:ちなみに本塁打を放って一塁を踏み忘れた場合は、「投ゴロ」となる。

★蛇足4:プロ野球では、1958年に新人時代の長嶋茂雄(元巨人)が記録している。
(以上は毎日新聞 2006年3月25日 大阪朝刊より引用)


        ◇        ◇         ◇


◆ZAKZAK 2006/03/28

八重山商工挙島体制、自腹もなんの1600キロ
初戦突破で殺到、寄付金4000万円超え

離島の星、八重山商工ナイン(下)の快進撃に島民らのボルテージも上がる一方だ
 日本最南端の高校としてセンバツ初出場を果たし、1回戦を突破した八重山商工(沖縄)。甲子園から南へ約1600キロ、沖縄本島からでも約400キロの離島・石垣島からだけにフトコロ具合が気になるが何のその。島民は自腹応援をいとわず、寄付金も目標3000万円を軽く突破し、4000万円を超えた。29日の横浜(神奈川)との2回戦を前に、支援態勢は優勝戦までOKのようだ。

 「滞在期間が2週間を超えたし、資金が厳しくなるころ。でも、1勝して勢いがついている。それだけに、あとのことは気にしないようにしていますよ」

 24日の高岡商(富山)戦に勝ち、横浜戦まで滞在が5日延びたことに伊志嶺吉盛監督(52)は笑い飛ばした。

 同校にとって最大のネックはやはり遠征費。沖縄水産など本島の強豪チームと試合するだけで往復約5万円かかる。出費は年間1人あたり50万-60万円。アルバイトで補填(ほてん)する選手も。伊志嶺監督の家計も火の車だそう。

 センバツでは、往復運賃と滞在費を高野連が補助するが、チームは補助対象日の約1週間前に宿舎入り。自腹で滞在した。「抽選会とかで何度も往復するより、滞在し続けた方が安上がり。それに、ウチはコーチがおりませんから選手と一緒にいた方が練習もはかどる」と伊志嶺監督。代わりに、開幕までに大商大堺(大阪)や東洋大姫路(兵庫)など、有力校と練習試合をちゃっかり8試合こなした。

 そんなフトコロ具合は島民も十分承知。同校では、昨年秋の九州大会4強で出場確実になったころから、「滞在20日間で計3000万円」の目標を掲げた寄付金集めを開始したが、出場決定後からは、島民だけでなく関西の沖縄県人会などからも寄付が増え、目標を軽くクリア。今回1勝したことで、さらに殺到しているという。

 「すでに4000万円を超えたようです。ショーコーの甲子園出場は、話題の少ないやいま(=八重山)ではビッグニュース。本島の学校が出るのとは力の入り具合も違うし、有志が勝手連的に支援しているんですよ」とは地元関係者。

 勢いは1回戦のスタンドにも表れた。石垣-大阪(伊丹・関空)間臨時便6便などに分乗し、石垣島をはじめ八重山地域(石垣市、八重山郡)の約5万1000人のうち、約2000人が集結。関西在住者も含め約1万人がモーヤー(=手踊り)に指笛の応援を繰り広げた。「ほとんどが旅行業者の割引ツアーを利用しましたが、それでも6万9800円。痛い出費ですよ」(地元記者)

 そんな中、定例市議会を休止して、市議らと1回戦を観戦した大浜長照・石垣市長は、さすがに連続休会にはできず、2回戦はテレビ観戦。「勝てば優勝戦まで必ず行きます。1回戦は公費でしたが、さすがに今度は自腹。市民が利益抜きで選手たちを支えるなど、今までになかっただけに感激しています」と興奮気味だ。


コメント (1)   トラックバック (1)
この記事をはてなブックマークに追加

米軍再編 沖縄の民意とは

2006-03-28 08:57:42 | 普天間移設
♪ 山には山の 愁いあり
  海には海の 悲しみや
  ましてこころの 花ぞのに
  咲しあざみの 花ならば ♪

伊藤久男が歌う「あざみの歌」の一節である。

大自然にも夫々の感情がある。

ましてや人の心に咲くあざみの花には・・

と歌った昭和24年に発表された名曲である。

沖縄の普天間基地移設問題。

沖縄地元に在住していてもわかり難い。

住宅密集地に隣接する普天間基地を一日も早く移設して欲しい。

これは紛れも無く沖縄の民意であろう。

が、それを何処へ、・・となると問題は簡単ではない。 

複雑に交差した「沖縄の民意」が入り乱れている。

♪ 知事には知事の 民意あり、
  市長には市長の 思惑が
  まして利権の花園に
  咲きし補助金の 花ならば ♪

時をさかのぼって、問題を整理しよう。

95年9月、沖縄で起きた米海兵隊員による少女暴行事件が起きた。

それを機に反基地感情が高まり、日米両国政府は在日米軍施設の整理・統合・縮小を協議する機関として同年11月、日米特別行動委員会(SACO)を設置された。

普天間飛行場の返還は96年4月、橋本龍太郎首相(当時)と駐日米大使の間で合意、施設の一部の返還などを盛り込んだ最終報告をまとめた。

SACO最終報告に「十分な代替施設」の建設を前提とした5~7年以内の返還が明記された。

代替施設は02年7月、同県名護市辺野古岬沖に埋め立て工法による滑走路2000メートルの規模で建設する計画が決まった。

建設費3300億円、9年半の工期が見込まれていたが、反対派の運動などにより着工は頓挫した。

2005年10月29日、辺野古沖埋め立てを諦めた日米両政府は普天間基地の移設先をキャンプシュワブ沿岸部とすることで合意、発表した。

従来の辺野古沖案は現地での座り込み、海上阻止行動があり、そして今回の沿岸案も各「民意」が反対している。



◆「一昨日の日曜日(27日)テレビ朝日の「サンデープロジェクト」に沖縄の「民意」を伝えるべく沖縄選出の下地幹郎・衆議院議員(自民党→無所属)が出演した。


司会の田原総一郎が例の如く問題を二者択一にして質問した。

田原:
「(代替施設が)陸に近いほど現地にお金は落ちない。 海に出るほど工事費は掛かるので現地に金が落ちる。 さー、下地さん、沖縄現地の民意は如何なんですか」

下地:
「沖縄の民意ははっきりしています。 基地が1センチたりとも海側に出るのは反対です」

田原:
「へー、以外ですね。 工事費の掛かる海側に出るのに何故反対なのか」

下地:
「それは・・・珊瑚などの環境破壊やジュゴンの・・・」

そこで、石破前防衛庁長官が口を挟んだ。
「いや、それは違います。 私は何度も地元の人たちと会い意見を聞きましたが、沖縄の民意は海側に出るのを望んでいます」

田原:
「それでは下地さんの言う民意はウソなのですか」

石破:
「いや、それはそれで一つの民意です。 民主主義政治で選ばれた議員は一つの民意を背負っていますから」

市街地に隣接する普天間基地が危険を含んでいるのは沖縄国際大学米軍ヘリ墜落事故でも明白だ。

事故後、沖縄県を訪問したラムズフェルド国防長官が市街地の真ん中にある普天間飛行場を上空から視察。

「こんな所で事故が起きない方が不思議だ」と指摘した程だ。

当然普天間住民の民意は「一日も早く市街地以外の場所への移設」だ。

県民の民意を反映するはずの県知事、現地名護市の民意を背負う市長、そして今回の沿岸案に関わる名護市具志区、豊原区、辺野古区の各区長が主張する民意。

皆夫々微妙にずれて「反対」を唱える。

それを煽る地元メディアの民意。

地元メディアは「声無き声」の民意を熱く語る。

メディアと同じ意見は、例え一人でも「声無き声」として取り上げる。(3月27日金口木舌 参照)

が、意見を異にする「民意」は例えそれが多くとも「声なき声」として無視される。


         ◇         ◇         ◇


★3月13日「日本の民意 岩国の民意」(http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/d/20060313)




◆あ ざ み の 歌


作詩 横井 弘  作曲 八洲秀章
昭和24年 
1 山には山の 愁いあり
  海には海の 悲しみや
  ましてこころの 花ぞのに
  咲しあざみの 花ならば


2 高嶺の百合の それよりも
  秘めたる夢を ひとすじに
  くれない燃ゆる その姿
  あざみに深き わが想い


3 いとしき花よ 汝はあざみ
  こころの花よ 汝はあざみ
  さだめの径は はてなくも
  香れよせめて わが胸に


◆琉球新報  金口木舌(3/27 9:43)

 毎週土曜日の夕方、名護市辺野古のキャンプ・シュワブ前を通ると、ろうそくの光を手に、普天間飛行場の移設反対をアピールする人々を見掛ける
 ▼小さな子どもや飼い犬も連れた家族らで、一昨年11月から行動を続ける。同基地前で3月5日の沿岸案反対県民大会への参加を呼び掛けた男性は、今も時折、たった一人でプラカードを手に基地前に立ち続ける
 ▼キャンプ・ハンセンの都市型戦闘訓練施設の建設と訓練に反対する伊芸区住民は、約500日近く早朝の基地前集会を続けた。北部支社に勤務した3年間、米軍基地前に立ち続ける人々を見てきた
 ▼それはおそらく、戦後60年以上、沖縄の各地で続いてきた光景だろう。土地を基地に奪われ、あるいは実弾演習の中止を訴え、事件や事故に抗議し、県民は基地の前に立ち続けた
 ▼サイレントマジョリティーという言葉がある。大勢の「声なき声」という意味だ。県民は決して黙することなく、声を張り上げ抗議してきたが、日米政府の壁は厚い
 ▼「首相や防衛庁長官は、やがて忘れるだろう。われわれは、基地とともに住み続けなければならない」。普天間移設問題で揺れる地元住民の声だ。そこに基地がある限り、そこに住む人々は基地の前に立ち、声を上げ続ける。





コメント   トラックバック (1)
この記事をはてなブックマークに追加

殺人医者か赤ヒゲか

2006-03-27 08:35:29 | 身辺雑感
気の重くなる話題は昨日で止そうと思ったが今朝のテレビワイドショーはこの話題で持ちっきり。

今まで「臭いものにはフタ」で通してきたが、高齢化社会では避けて通れぬ問題だ。

「暗い日曜日」は「groomy sunday」というらしいが、今日は「blue monday」、憂鬱な月曜日は憂鬱な話題をもう一度・・。

日本では「安楽死」についても「尊厳死」についても未だに法の整備が出来ていないとう。

日本は契約社会ではない。 

それでも手術の前の同意書への署名捺印にはそれほど抵抗はない。

家族は手術によって患者が回復する希望をもっているからだ。

それが、終末医療現場での人工呼吸器外しとなると問題は手術同意書のように簡単ではない。 患者の回復は絶望的だからだ。

死はすでに確定している。(・・と思われている)  後は時間の問題だ。

これ以上患者を無駄に苦しめてよいのか。

家族の気持ちも乱れ、大きく揺れ動くだろう。

本人の尊厳死の意思にもかかわらず、家族と医師が延命治療を続行したため、食事を拒否して自ら死に至った98歳の老女の話を聞いた。

凡人にはこの老女のような鉄の意志は持てないだろう。

現場の家族としては、例え患者本人の尊厳死の意思を判っていても、呼吸器取り外しの同意書に平常心で署名はできないであろう。

件の医師は倫理観の一かけらもない「殺人医者」なのか、それとも患者の苦痛、家族心の痛みが判る「赤ひげ医者」なのか。

沖縄の方言でウヮーバグトゥと言う言葉がある。 いらぬお節介という意味で使われる。

もしも件の医師が患者の苦痛も、家族の苦しみにも鈍感な医師だったらそんな患者は薬漬けにして放置すればよい。 どうせそのうち勝手に死んでくれる。

何もウヮーバグトゥをして呼吸器を取り外して「殺人医師」の汚名を被るリスクを犯す必要はあったのか。

「冷血殺人医者」か「人情赤ひげ医者」かの判断は捜査当局、或いは司法が決める。


                  *


◆朝日新聞 2006年03月27日06時06分

呼吸器に拒否反応 「外して」頼んだ事例も 富山の病院

 「人工呼吸器をつけたら(高齢の)父が拒否反応を示したので、頼んで外してもらいました」

 数年前、射水市民病院に父親が入院、今回、延命治療を中止した行為が問題視された外科部長らの診療を受けたという男性は、当時を振り返り、そう言った。

 人工呼吸器を装着したところ、父親はすぐに拒否反応を示した。負担を軽くしたいと、酸素マスクに付け替えてもらったという。

 少しでも長く生きていてほしい。でも、それで本人が苦しい思いをするのでは……。「年も年だったので、家族で話し、全員で合意して管はやめて欲しいと頼んだ」

 数カ月後、父親は亡くなった。

 終末期を巡る医療現場で、患者、家族、医師、看護師らは、常に厳しい判断を迫られ、複雑な思いを抱く。

 容体が悪化し、呼吸管理のために気管に管を入れて酸素を送り込む人工呼吸器。回復の見込み、余命、そして苦痛。患者や家族が延命治療の中止を判断する理由は様々だ。医師はどこまで、どんな気持ちでその思いに応えたらいいのか。

 約200床の同病院は、県内では地域医療を担う中小病院だ。過疎地にあり、急性期医療に特化する都市部の大病院と違って、お年寄りの入院が多く、常にがんや老衰などで看取(みと)られる患者を抱えている。

 麻野井英次院長は25日の会見で、延命治療に対する今後の対応を問われ、「(終末期医療のあり方を検討する)ターミナル委員会を設けて対応を検討しなければならない」と答えた。だが、直後に「私は内科医。心臓が止まるまでは診ていく、という立場です」とも語った。新たな委員会が治療中止を決めたとしても、疑問は残る。そんな揺れが、言葉の端々ににじんだ。


■産経新聞 【主張】 平成18(2006)年3月27日[月]

延命中止措置 早急に指針づくりをせよ

 富山県の市民病院で、外科部長が人工呼吸器を外したため、五年間に七人もの末期患者が相次いで死亡していた。外科部長は「患者のためにやった」「尊厳死だ」と病院に説明しているが、日本には安楽死や尊厳死の法律もなければ、指針やルールもない。

 安楽死とは、終末期医療のなかで患者の苦痛を取り除くため、医師が死期を早める行為だ。東海大病院の安楽死事件で横浜地裁判決(殺人で有罪確定)は、安楽死を薬物で意図的に死を早める「積極的安楽死」と、人工呼吸器を外すなどして延命治療を中止する「消極的安楽死」に分類した。患者が事前に治療を拒否する尊厳死も消極的安楽死に入るとされる。

 問題の外科部長は人工呼吸器を外して治療行為をやめ、「尊厳死だ」と言っていることから、消極的安楽死とみられる。この消極的安楽死がやむを得ない要件として、横浜地裁判決は(1)患者の病気が治癒不可能で死が避けられない(2)患者本人か家族の意思表示がある-など三つの要件をあげている。

 外科部長の行為はこれらの要件をどこまで満たしていたのか。外科部長は「同意を得ている」と話しているというが、患者や家族の意思表示は、死の切迫という特殊な状況下で、担当医と患者、家族という限られた中で示され、判断や確認は難しい。

 それに外科部長は部下や病院側に何の相談や報告もなく、単独で患者の生命をつなぐ人工呼吸器を外している。富山県警が殺人容疑で捜査に乗り出しているが、チーム医療が重視される現在の医療の観点からは許されない。

 オランダやベルギーでは四年前に、米国オレゴン州では九年前に、安楽死法が施行されている。日本では安楽死させた医者は殺人罪や嘱託殺人に問われてしまう。

 厚生労働省の研究班は、平成十九年度をめどに終末期医療における患者の意思の確認方法や延命治療の在り方についての報告書を作成中だ。尊厳死の法制化では昨年、超党派の国会議員連盟が結成されている。

 だが、いずれも活動が緩慢で具体策に乏しい。医師が末期患者をその苦痛から救うためには殺人罪と明確に区別できる新たな法律の制定や指針、ルールづくりが急務であろう。







コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

沖縄北部ドライブ

2006-03-26 19:18:27 | 未分類
昨日の日曜日(25日)、春うららの陽気につられて名護路をドライブしてきた。

往路は春うららが家路につく4時過ぎには暑い位のバカ陽気に変わっていた。

行方定めぬ小さな旅には実は前回(14日)同様、密かな目的があった。

先日、友人から今帰仁土産に貰った新種のミカンを買うのががネライだった。

ヤンバル名産のシークワーサーとタンカンの掛け合わせ新種「サンセットクイーン」。

柑橘類シークワーサーとタンカンの良い面を受け継いだようだ。

シークワーサーは香りが良いが甘味ではタンカンに劣る。

タンカンは甘いが皮を剥くのに苦労する。

サンセットクイーンはとにかく甘くて美味しい。香りもよい。

が、何よりもタンカンのように皮を剥くのに苦労をしない。

でも「サンセットクイーン」というネーミングは気取りすぎて覚えにくい。

勝手にネーミングさせてもらうと、タンカンのイメージ・太陽のサンはそのまま使わしてもらい、シークワーサーのシーと海のシーをかけて「サンシー柑(カン)」。

呼びやすいし、これで決まり! 

因みに「道の駅」での値段はタンカンが100グラム280円なのに対して、「サンシーカン」は100グラム500円だった。

名護の旧市街がシャッター店舗が目立ち人影が少ないのに対し、周辺地区の発展は目覚しい。

各コンビニの勢ぞろいに加えて、ジャスコ、マックスバリュー、サンエー、メイクマン、サクモト、青山と殆どの大型店が出店している。

名護から本部に向かう伊豆見街道は観光客目当ての店が軒を連ねている。

山間に喫茶店があると云うので看板につられて横道に入って見た。

山の中は喫茶店だらけになっていた。

通る車も人影も無い山の中にあっちにも喫茶店、こっちにも喫茶店。

伊豆見街道は沖縄ソバ屋と喫茶店の激戦地と見た。

許田の道の駅は相変わらず観光客で大賑わいだった。


         ◇         ◇         ◇


◆琉球新報  (3/7 10:33)

給食の新顔大人気 サンセットクイーン

生産量が少なく、なかなか味わうことのできない果物サンセットクイーンが、学校給食のデザートとして児童・生徒の人気を集めた。給食のメニューには3、4年ほど前から中部地区の小学校を中心に取り入れられ始めた。1月初旬から2月下旬までの“旬の味”として児童や生徒たちに提供された。
 サンセットクイーンは、タンカンとクガニーを掛け合わせて作られ、県内では名護市中山で7年ほど前から生産されている。年間千数百トンが出荷されるタンカンやシークヮーサーに対し、サンセットクイーンの生産量は年間10トン程度。サンセットクイーンを取り扱う青果店によると、収穫までの手入れに手間がかかることや、生育地を選ぶ品種であることで、大量生産は難しいという。
 今季は、那覇市内の小学校からも多くの注文が寄せられ、需要に対応できなかった。給食センターなどに納入する青果類を専門に扱う比嘉青果(沖縄市)では、生産量を増やしてもらうよう今後、農家に働き掛けていくことにしている。
 比嘉青果の比嘉昭さん(50)は「タンカンには食べ飽きた、という子どもたちから別のミカンを望む声が上がっていると聞き、新しいものを探してきた。皮がむきやすいことも人気の一因のようだ」と話している。
 那覇市の開南小学校(新川純子校長)ではことし、デザートとして3回サンセットクイーンが登場。屋宜宣彦君(1年)は「酸っぱくて種がいっぱい入っていた。すっぱいところがおいしい」と話していた。




コメント
この記事をはてなブックマークに追加

自ら死を選ぶ自由

2006-03-26 10:25:15 | 身辺雑感
「暗い日曜日」という絶望的に暗いシャンソンがあった。

この歌を聴いて何人もの人が自殺したという。

昨日のバカ陽気とは打って変わって、どんより曇った空からポツリポツリ陰気な滴りが降り始めた。

豪快な土砂降りよりポタポタ雨のほうが気がめいる。

このような日には「暗い日曜日」は放送禁止か。

雨に釣られて暗い話題を・・・。

自らの命を絶とうとする人を見たら誰でも必死でその行為を止めるだろう。

積極的にせよ消極的にせよ人の命を絶つのを手伝う事は死刑執行人以外には認められるものではない。

人は例え「尊厳死」であったとしても、自らの命を絶つことは許されないのだろうか。

暗い日曜日・・・。


                 *


富山県の高岡商業が沖縄代表八重山商工に負けた翌日の25日、富山県射水市で時ならぬ大騒動が起きた。 

負けた富山代表高岡商業へのブーイングではない。

大量「安楽死」事件が「昆布消費量日本一」の県を揺るがした。

人口約9万5000人、富山湾岸から2・5キロのところにある、普段は静かな市民病院に全国の注目が大騒ぎとなった。

外科部長を務めていた50歳のベテラン外科医が、重症患者7人の人工呼吸器を外して“安楽死”させていた疑惑が浮上したのだ。

院長が25日、緊急会見を開きこの疑惑の存在を認めた。

死亡したのは50―90代の男女7人で、末期がん患者が多かったという。

人間を意図的に死なせることは、通常は殺人などの罪に当たる。

ただ医療現場で、厳格な条件の下意味のない延命治療をやめることなどは、認められるべきだという意見も当然ある。

射水市民病院の場合は、薬剤投与などによる「積極的安楽死」ではなく、延命治療を中止する「消極的安楽死」に当たるとみられる。

消極的な安楽死のケースでは、司法判断は家族による「本人の意思の推定」でも可能との考えも示している。

射水市民病院の担当医師は病院側に「家族の同意はあった」と話しているという。

もし自分が末期がん患者で、

(1)耐え難いほどの苦痛があり
(2)死が迫っており
(3)苦痛除去などの医療行為を全て尽くした

・・・このような症状にあり、しかも苦痛や意思の明示が出来ない状況の場合どうするか。

仮に家族の同意を得るとしても、患者本人の意思をどこまで反映出来るのかは深刻な問題である。

担当医師との信頼関係も重要なポイントと考えるが・・・。

因みに、「問題の医師」は、「10年前から診断を受けているが、患者の話をよく聴いてくれる良い先生」或いは「手術の説明が丁寧で優しい先生。自宅まで訪れる患者がいるほど評判が良かった」と、患者には大変評判が良い。

真相は警察が捜査中で目下藪の中。

人生の終末を迎えて、果たして人は死ぬ自由をもてるのか。


                   *


◆(2006年3月26日1時50分 読売新聞)

富山の病院延命中止、院長「倫理上問題」


外科部長が人工呼吸器を取り外した問題で記者会見する麻野井英次・射水市民病院長 富山県射水(いみず)市の射水市民病院で、入院患者7人の延命措置が中止され、死亡していた問題で、麻野井英次院長は25日、記者会見し、外科部長(50)の判断で回復の見込みがないとして人工呼吸器が外されていたことを明らかにした。

 院長は〈1〉患者の意思が不明確なうえ、家族の同意も口頭で得ただけ〈2〉病院や他の医師らにも相談していない――などから、「倫理上問題がある」としている。

 院長によると、7人は富山県の50~90歳代の男性4人と女性3人で、2000年~05年に意識不明に陥り、死亡した。このうち05年に死亡した7人目について、外科部長は自分の手で呼吸器を外したことを認めた。

 麻野井院長は「『積極的な安楽死』ではなく、広い意味での『消極的安楽死』で、医師の立場からすれば、『延命治療の中止措置』の範疇(はんちゅう)に入ると思う」と話している。同病院には延命措置の中止に関するルールがなく、他の外科医は外科部長の判断を黙認していたという。

 富山県警は25日、「関係者から事情聴取を行い、慎重に捜査を進めている」とのコメントを出した。

 問題は、昨年10月に発覚。病院はカルテなどを調べるとともに、新湊署に届けた。

 「消極的安楽死」を巡っては、北海道羽幌町の道立羽幌病院で2004年2月、当時勤務していた女性医師が男性患者(当時90歳)の人工呼吸器を外して死亡させたとして、道警が05年5月、殺人容疑で旭川地検に書類送検している。



◆河北春秋 2006年03月26日日曜日

友としたいのはどんな人物か。永遠のテーマに吉田兼好が答えている。「よき友三つあり。一つには物くるる友。二つには医師(くすし)。三つには智恵ある友」(『徒然草』第117段)▼年を取るととりわけ二つ目が欲しくなる。健康は夢幻。遅かれ早かれ、人は病にむしばまれる。よき医師にそばにいてほしいと願いたくなる。たとえ不治だとしても、穏やかにみとってくれるだけでいい

 ▼富山県射水(いみず)市の市民病院でがん患者ら7人が外科医に人工呼吸器を取り外され、不自然に死亡したことが分かった。外科医は「尊厳死」と説明している。病院側は「安楽死」の疑いを持ち、警察に届け出た▼仮に自分が末期がん患者だったなら…こういう医師でも友としたい。助かる見込みはないらしい。尊厳死を待つのもつらい。下手な医師なら余計苦しむ。「どうか先生、お願い」となる

 ▼仮に患者の家族だとしたら…こんな医師を恨むだろう。医療は最善だったか。死に同意したのは一時の迷い、緩和ケアを受けていれば、もっと穏やかな死を迎えられたかもしれない。悔いは消えない▼安楽死は死なせること。尊厳死は本人が選ぶこと。今回は尊厳死とは言いにくい。さぞかし悩んだだろう外科医に同情しつつも、二つの死がいまだ混同される医療現場の後進性にぞっとする。




コメント
この記事をはてなブックマークに追加

グラシアス! メキシコ

2006-03-25 09:25:43 | 県知事選
タコスはスダコの兄弟じゃない。 タコライスの親だ。

タコライスはタコメシの兄弟ではない。 牛丼の親戚だ。

冒頭から「ローマ人」(老耄・ロウモウの沖縄方言)をモロに出してしまった。

結局、何が言いたいのかって?

メキシコの事を語りたい・・・。

WBC戦でメキシコがアメリカを破って日本を窮地から救った時、思わず言った「メキシコよアリガトウ」。

そして書いた。 「メキシコの方に足を向けては寝られない」と。

ところが、実際に行動を起こした人がいたという。

胸の内をを伝えたくてメキシコ大使館に感謝のメールを入れた人が大勢いたと日刊スポーツは伝えている。

感謝ついでにメキシコを一口メモで知ろう。 

知るに勝る感謝なし。

人口約1億、日本の5倍強の国土(面積約197万km2)を有し、北米大陸に位置する。

マヤやアステカの高度な文明が花開いた地。

数々の遺跡、お祭りや市場、民芸品、食文化、民族音楽・舞踊等の多彩な文化。

先住民文化とスペイン等の西欧文化とが複雑に融合したこの国独自の民族色が育つ。

「明日で間に合う」アスタマニアーナ(又明日)のおおらかさ。

何か沖縄の「チャンプルー文化」(ごった混ぜ文化)に良く似ている。

日本とメキシコとの関係は古く、17世紀には伊達藩による天正少年使節団がメキシコに立ち寄っている。

明治維新、開国後の1888年、両国が締結した修好通商条約は日本が諸外国と結んだ、最初の互恵平等条約だ。

1897年には、初めて「榎本殖民団」によるメキシコ南部への組織的移住が行われた。
これらは当時の両国間の緊密な関係を物語っている。

太平洋を挟んで隣人同士の日本とメキシコ。

メキシコの奮戦を将棋の決戦に例えた今朝の読売コラムも面白い。

今後さらに発展・深化していくことが期待される。

アミーゴ!  ビバ! メヒコ


                 ◇


◆日刊スポーツ[2006年3月25日6時52分 紙面から]

メキシコ大使館に感謝のメール殺到

 「ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)」の2次リーグで米国を破り、王JAPANの優勝をアシストした形となったメキシコ代表への感謝のメールが、東京都千代田区のメキシコ大使館に殺到している。17日の試合終了直後から「グラシアス(ありがとう)」などの感謝メールなどが届き始め、24日までに500通以上に達した。同大使館では「代表同士の親善試合などを開催したい」と大喜びだ。

 メキシコ大使館のアルベルト・ロペス報道官(55)は「15年間日本にいるが、こんなにたくさんのお便りをいただいたのは初めて。非常に感動した。とてもうれしいことです」と笑顔で5センチを超えるメールの束をたたいてみせた。

 大使館の電子メールに最初のメールが届いたのは、17日の2次リーグ米国-メキシコ戦終了から1分後の午後0時41分。「今晩はテキーラで乾杯します」との内容に、最初は「なんのこと」(ロペス報道官)と思ったという。しかし次々に「ビバ・メキシコ」「結婚したら新婚旅行はメキシコに行きます」などと感謝する内容のメールが殺到した。

 準決勝進出が絶望視されながら、地元の強豪米国を相手に勝利したひた向きなプレーに「感動した。野球が好きになった」「内野守備の素晴らしさは世界一」と、メキシコ代表をたたえる長文のメールも多く届いた。21日の王JAPAN優勝後はさらに増え、24日までにファクス、はがきなど含めて500通を超え、花束まで届いたという。

 両国の友好関係はスポーツ界でも伝統だ。68年のメキシコ五輪サッカー3位決定戦。釜本邦茂、杉山隆一らの日本代表が、地元メキシコを破り、銅メダルを獲得した際にも、スタンドから日本代表に惜しみない拍手が送られた。ロペス報道官は「スポーツを通じて、友好が深まるのは素晴らしいこと。皆さんの気持ちは本国に報告し、外務省を通じて代表チームにも伝えた。ぜひ両国の代表同士で親善試合をやってみたい」と大喜びだ。

 都内のメキシコ料理店でも、客が増えているという。ある料理店では「ありがとうと声を掛けられる。テキーラを10本以上空けるグループもいた」と驚いた様子。渋谷区に本部のあるチェーン店「エル・トリート」では「WBC後、お客さまが増えている。これを機に両国のつながりがさらに深まり、メキシコブームが来るといいですね」と期待している。


◆3月25日付・編集手帳

 将棋の米長邦雄永世棋聖が、「一番大切な対局、これだけは負けられない勝負とは何だろう」と語ったことがある。タイトル戦でも、昇段のかかる一局でもないという◆その勝敗が実は自分にはあまり影響がなく、しかし、対戦相手にとってはこの上なく重い意味をもつ一局であるとき、そういう勝負こそ全身全霊を傾けて勝たなくてはならないのだ、と◆「勝ったところで…」と手を抜くことが、将棋という技芸の道を冒涜(ぼうとく)し、みずからの誇りをも深く傷つけるからだろう。日本が初代王者となって閉幕した野球のWBC大会にも、“米長主義”そのままの一戦があった◆米国が準決勝進出をかけて臨んだ2次リーグのメキシコ戦である。メキシコはたとえ勝ってもリーグ敗退が九分九厘決まっていたが、投打に気迫あふれるプレーで米国の夢を葬り去った◆メキシコの奮闘によって日本が4強に勝ち残れたことを感謝し、全国の野球ファンからいま、お礼の声が在日メキシコ大使館に続々と寄せられている。電話あり、ファクスあり、メールだけで500通を超えたという◆世界一に道をひらいてくれた恩義それ以上に、競技者の精神に一本通った「誇り」という筋金を見ることができた、その眼福に手を合わせる。将棋に限らず、野球に限らず、勝負の場に消化試合はないのだろう。

(2006年3月25日1時41分 読売新聞)


コメント
この記事をはてなブックマークに追加

八重山商工 初戦突破おめでとう!!

2006-03-24 18:08:19 | 県知事選
ガキのサッカー試合も自分の息子が出るとなると目の色が変わる。

普段野球に関心の無いオバーも地元高校が出る甲子園大会にはテレビに釘付けになる。

オラが村の代表に声援を送るのは、王ジャパンも八重山商工も変わりは無い。


八重山商工 初戦突破おめでとう!!

大嶺投手17奪三振!! ナイスピッチング!!

脱三振17なんて新記録じゃないの?

2回戦の横浜はあのWBCのVIP投手松坂の出身校でしょ。

打線と投手力で2回戦の横浜戦でもチバリよー!

校歌斉唱!

校 歌

作詞:大浜 信光
作曲:崎山 任


1.紫 匂 う  お も と 岳
   白 波 け ぶ る  真 栄 里 に
  世 紀 の 扉   開か ん と
   我 等 は 学 ぶ
  八 重 山 商 工 校


2. 海 軟 風 に   和 め ど も
   嵐 に 気 負 い  は ば た け ば
   希 望 は 高 く   空 澄 み て
   我 等 は 進 む
   八 重 山 商 工 校


 
 3.万 国 津 梁 の 鐘 が 鳴 る
     胸 に ひ び き て   さ わ や か に
    眉 う ら 若 き   青 春 の
     我 等  栄 あ り
    八 重 山 商 工 校



        ◇         ◇         ◇


2006年3月24日(金) 17時0分 共同通信


八重山商工5-2高岡商 大嶺が毎回の17奪三振

 八重山商工―高岡商 高岡商打線を17奪三振、2点に抑える好投をした八重山商工・大嶺=甲子園


 八重山商工の大嶺は緩急をうまく使い分け、毎回の17奪三振。中盤に2点を失ったが、最後まで球威は落ちなかった。打線は1回、金城長のソロ本塁打で先制すると、3回には4安打で2点を追加。3-2の7回は奥平の2点二塁打で突き放した。
 高岡商は5回に1点差とし、なおも好機が続いたが、走塁ミスで流れをつかみ損ねた。

 ▽1回戦
 八重山商工-高岡商(14時16分、20000人)
高岡商(富山)
   000 110 000-2
   102 000 20×-5
八重山商工(沖縄)
(高)堀岡、細川-清森
(八)大嶺-友利
▽本塁打 金城長1号(1)(堀岡)

[ 3月24日 17時25分 更新 ]


コメント   トラックバック (1)
この記事をはてなブックマークに追加

新説・沖縄語入門

2006-03-24 07:45:28 | 沖縄語講座

◆その男はいつも「その季節」がやって来ると落ち着かなくなる。

その男は千葉のとある街で代々続く理髪店を経営していた。

沖縄出身の父親から引き継いだ「千葉理容館」がその店だ。

今日は朝から仕事も手につかない。

遂に「その季節」がやってきたのだ。

               ◇        ◇         ◇

最近ではテレビを通じて沖縄の言葉が頻繁に話題になる。

そのせいか沖縄訛りの標準語にもそれほど違和感を感じないようになった。

それでも沖縄旅行中に、突然お年寄りに沖縄方言で話し掛けられたら、初めての観光客ならきっと面食らう事だろう。

外国語で話し掛けられたような気分にさえなるかもしれない。

そしてこんな感想をきっと持つだろう。 ≪沖縄語はやはり日本語とは全く異質の言葉だ。 外国語に等しい≫と。

 沖縄方言が日本の古い言葉に起源を辿ると言う事は意外と知られていない。

沖縄語は日本の古語と地元独特の言葉に加えて、中国の影響も受けている。

二つだけ例を挙げて説明する。

「気張る」と言う言葉は沖縄では「ちばる」と訛る。

「気張る」には息を詰めて力を入れるという意味の他に「気力を奮い起こす。

いきごむ」と言う意味がある。

沖縄で「ちばる」と訛り、意味は主に「頑張る」と言う意味に使われる。

 「頑張れ・よ」と声援を挙げるのは「ちばり・よ」となる。     

沖縄では母音「E(え)」は「I(い)」に変化する。     

子音「K」は「CH]に変化する場合がある。     

例として「 カッチンヌミサチ 」は沖縄の若い人は理解できないだろう。    

 「勝連の岬」と漢字に置き換えるとぼんやり判りだす。     

勝連岬は沖縄本島東海岸にある岬。     

★『岬みさき」の「MISAKI]が「MISACHI」に訛って変化する。

甲子園に沖縄代表の高校が出場すると「チバリヨー」の横断幕が張られ、独特の指笛とともに「チバリヨー」の歓声が球場に響き渡る。

 「チバリヨー」だけを聞くと異質感を感じるだろうがこれも日本語の一地方訛りに過ぎない。

もう一つだけ例を挙げよう。

「まる」をパソコンで変換させると「○とか丸、円」しか出てこない。

 「まる」の動詞形は日本語では既に死語になっているが、古い日本語では動詞として使われていた。

 今でも「おまる」としてその意味の痕跡を名詞形で残している。

「放(ま)る」には大小便をする、排泄(はいせつ)するという意味がある。

沖縄ではそのままの発音で、現在でも同じ意味に使われている。(主に大のほう)

           ◇         ◇        ◇

 これは沖縄がまだアメリカの占領下にあった半世紀前ほどの話である。

その頃は学生が勉学の為上京するのは大変な事だった。

今時の学生のように飛行機で2時間で一飛びという訳には行かなかった。

先ず那覇の港を発つと、一昼夜かかる船旅で鹿児島に着く。 鹿児島に上陸するとそこで一泊すると、翌日の急行で東京に向かうのだがその間社中で更に一泊する。

その頃東京と鹿児島を結ぶ最速の汽車は急行「霧島」だった。

勿論寝台車などは無く、硬い椅子の2等車に揺られての長旅だった。

それでも座席が取れればいい方で、満員の時などは新聞紙を通路に敷いてそこで寝た話などは珍しい事ではなかった。

那覇を発って東京へ着くまで三泊四日の大旅行であった。

             ◇         ◇        ◇

東京駅には先輩が出迎えに来ていた。 東京生活も三年にもなるという先輩。

今のようにテレビが普及する前の話である。

全く未知の東京では心強い先輩だった。

長旅で疲れていたが、其れよりも先ほどから腹の調子がどうもおかしい。

 車内で食べた弁当のせいか。

先輩の下宿に着くまで我慢をしようか思ったが、ここから1時間も電車を乗り換えていかねばならぬという。

沖縄を発つ時母に言われた言葉を想いだした。

 「お前は東京の事情は何も知らない田舎者だから、何でも先輩に聞いてその通りやれば間違いない」

 ホームにはベンチはあるが他にそれらしいところは無い。

意を決して、先輩に相談した。 「先輩! トイレに行きたいのですが・・・もう我慢出来そうも有りません」

「そうか。 下宿まで我慢できないか」 慌てた先輩、次の言葉を残して何処かへ消えてしまった。

 「其処でまってろ!」

 「へー、東京はやっぱり進んでいる」

 「緊急の場合はこんな所ででも、まっていいのか」 そういいながらズボンのボタンを緩めつつベンチの陰にしゃがみ込もうとした男の耳に、間一髪先輩の声が届いた。

「すぐ其処にトイレがある。 あー! そんな所で放(ま)ってはいかん!」 沖縄では今でも雅(みやび)な古語「放(ま)る」が日常で生きている。  

★「クソマルの神話学」 http://am.tea-nifty.com/ep/2004/04/post_15.html     

             ◇         ◇         ◇

◆遂にその男が待つ季節はやって来た。

全国選抜高校野球選手権大会。  

春の甲子園大会の開幕だ。

千葉県の理髪店「千葉理容館」の主はテレビの前に釘付けになった。

 テレビでは沖縄代表高の熱戦が繰り広げられていた。

画面から沖縄応援団の声援が地鳴りのようにテレビを揺るがした。

 男の店の名前が横断幕に一杯に書かれ画面を占拠した。

この理髪店を観客皆で応援するかのように。

 「チバリヨー!」 

「チバリヨー!  千葉理容!」 ・・・誰か! 座布団一枚持っていけ!

           ◇         ◇         ◇

◆(琉球新報) - 3月23日16時27分更新 八商工、注目一身に堂々行進 32番目で堂々と入場行進する八重山商工ナイン=23日午前9時すぎ、甲子園球場    【選抜高校野球取材班】第78回選抜高校野球大会が23日、兵庫県西宮市の甲子園球場で開幕し、午前9時から開会式が行われた。 朝方まで雨が降り続き、選手たちはスパイクではなく、アップシューズでの入場。ライトポール横の入場門から北から順に入場した。八重山商工は32番目、最後尾での入場。 「八重山商工高校」のアナウンスに出場校中一番大きな拍手が送られた。ナインはスタンドの注目を一身に集めながら、堂々とグラウンドを一周した。  開会式では岐阜城北の太田恵太主将が「このあこがれの夢舞台でプレーできる喜びを全力疾走で表し、感謝の気持ちを忘れず、未来に語り継がれる大会とすることを誓います」と宣誓した。 開会式を終えた八重山商工ナインは、報道陣の取材攻めに。奥平結右翼手(2年)は、「入場門の後ろで整列しているときからワクワクしていた。グラウンドに入った瞬間に、お客さんがいっぱいで感動した」。友利真二郎主将(2年)は「グラウンドに出たとき、この場に立てた喜びがあふれてきた」と感激に浸っていた。 八重山商工は大会第2日(24日)第3試合で、高岡商(富山)と対戦する。 ◆毎日新聞 2006年3月24日 0時04分  余録 球春 往年のヤンキースの名捕手ヨギ・ベラ氏にはヨギイズムと呼ばれる独特の名言迷言がある。たとえば「考えて打つって、どうやって二つ同時にやるんだ?」。「ピザは四つに切ってくれ、六切れは食べきれない」とも言ったそうだ▲最も有名なのが「野球は90%が精神力、あと半分が体力だ」との言葉という。なるほどワールドシリーズ最多出場、リーグMVP3度、ヤンキースの永久欠番「8」という輝かしい栄光は総計100%を大きく超えた力のたまものだったわけだ▲比率といえば、「野球のゲームを支配するのは技3分運7分」とは、戦前に明治大学の監督だった谷沢梅雄の言葉という。こちらの比率も野球観によっていろいろと異論があろう。運7分論は強打者でも打率は3割というあたりからの連想かもしれない▲王ジャパン世界一の興奮がさめない日本列島だ。“誤審”がらみの敗戦や韓国に連敗した後の雪辱、決勝の熱闘など思いがけぬ波乱の末の栄光だから無理もない。力と運はすべての人の想像や思いを超えたところでからみ合い、勝負を分けた▲少年のようなひたむきなプレーを選手が繰り広げ、ファンならずとも人々が久々に熱狂したのは、野球がもともとそういうゲームだったことを改めて思い起こしたからだろう。多くの人々にとって「甲子園」はそんな野球の原点である。世界一の余熱のなか、今年も全国から選ばれた32校が出場してのセンバツ高校野球が始まった▲球児たちは、それこそ精神力と体力とを足し合わせれば150%、200%の野球を見せてくれるだろう。今年の球春は野球の奥の深い楽しさ、喜びが人々の心に花を咲かせるなかでやってきた。あすはプロ野球パ・リーグも開幕、一気に春らんまんである。

コメント (1)
この記事をはてなブックマークに追加

自分の為に楽しんで・・

2006-03-23 10:29:08 | 県知事選
何時の頃から皆そう言うようになったのか。

「プレーを楽しんできます」

≪日の丸を背負って戦うなんて・・・・≫

≪ましてや、国民のために戦う事は出来ません≫

「自分の為に楽しんできます」

オリンピックや国際試合に出る日本代表選手の言葉だ。

1998年長野オリンピックで金と胴メダルを取った清水宏保選手が報道番組の「ニュースステーション」に出演して、

「国民の皆様の熱い声援で・・・・」と言いかけた時キャスターの久米宏は皮肉な笑いを浮かべた。

「国民?・・・ウ・フ・フ・・」

久米は「国民」と言う言葉がお嫌いのように画面は語っていた。

その時、「国民でなけりゃ、市民かよー!」とテレビに向かって突っ込みを入れた覚えがある。

今では信じられない事だが、当時のマスコミ報道は「国民の期待を背に受けて・・」国際競技に参加するなんて愚の骨頂と言った状況であった。

そこで冒頭の「自分の為に楽しんで云々」発言を皆喜んで受け入れていた。

それが今回のWBC報道で180度変わった。

いや、荒川選手の口を開けての国歌斉唱や日の丸を纏ってのウイニングランが感動を呼んでからののかも知れない。

WBC優勝戦士は誰一人「自分の為に楽しむ」とは言わなかった。

それどころか総指揮官の王監督を初めイチロー選手も日の丸をことさら意識し、国民の熱い期待を背中に受けてそれをバネにした。 

そして優勝を勝ち取った。

「国民」とチームメンバーの感動は渾然一体となり日本列島に広がっていった。

感動が感動を呼び、それが増幅、倍増していった。 燎原の炎のように。

テレビの中継で温泉場が映り、広間で大型画面に食い入るお婆さんがインタビューに答えていた。

「今まで野球なんて見たこと無かったけど、王さんやイチローさんには感動しました。お陰で未だ温泉に入っていません。 野球が好きになりました」

今日から選抜高校野球が始まる。

野球の感動はしばし日本列島を燃やし続ける。 


         ◇         ◇         ◇


◆「ワールド・シリーズは幻想」 WBCで米メディア

 【ニューヨーク=長戸雅子】第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の決勝戦から一夜明けた21日付の米メディアは、日本の優勝などをたたえる一方で、世界一を自任してきた米大リーグに厳しい論評を加えた。WBCは米国民にとって、自国の野球文化を見詰め直す契機ともなったようだ。

 ニューヨーク・タイムズ紙は決勝戦の日本とキューバには「両チーム合わせて二人の大リーガーしかいなかった」と指摘し、「大リーグは国際球界で自らの地位を問い直さなければならず、毎年秋の優勝決定戦の『ワールド・シリーズ』は改名すべきだ」と断じた。

 シカゴ・サン・タイムズ紙は「今ならWBCをクラシック(大試合、大会)と呼べる。一カ月前に、その名称に多くの米メディアがまゆをひそめた大会は実に面白かった」と評し、「どこよりも多くの大リーガーを抱えた米国が敗退したのはあまりにまずかった」と米国のふがいなさを指摘した。

(03/23 00:50)
コメント (1)   トラックバック (2)
この記事をはてなブックマークに追加

WBC優勝、その日沖縄のメディアは死んだ

2006-03-22 18:04:00 | 未分類
今朝の新聞各紙はWBC報道一色で埋まった。

スポーツ紙は勿論、一般紙も全国5紙は、経済専門紙の日経を除いて、全て一面トップをカラー写真入りで飾った。

新聞社の姿勢を示す社説・コラムでは日経も含めて全紙がWBCを熱意を込めて取り扱った。

全国紙だけではない。 北の「河北新報」も南の「南日本新聞」も夫々の朝刊コラム、「河北春秋」と「南風録」でWBC戦士の活躍を熱っぽく語っている。

各紙、執筆記者の熱気と感動が読者に伝わる。

しかし、これも朝刊の記事までが賞味期限だ。

同じ感動の記事が、更に遅れて翌日の夕刊に載るとなると読者の興味は半減する。

記者が熱っぽく健筆を振るえば振るうほどほど、読者は泡の抜けたビールを飲まされた感を免れない。


◆2006年3月21日と22日の両日。  その日沖縄のマスコミは死んだ。

沖縄の全テレビと全ラジオは、WBC実況を放送しなかった。

報道の真空状態が沖縄列島を襲った。

日本列島が世紀の決戦で興奮に沸き返っていると言うのに。

調査によると、「ジャパン世界一、その瞬間」のテレビ視聴率は56%を記録したと言う。

日本テレビ系の番組平均視聴率は関東地区で43・4%を記録した。

実に二人に一人の割合で日本人がテレビに声援を送ったことになる。

但し、沖縄を除いて。

テレビ系列局の放送権のことは素人には良くわからない。 

・・・が、沖縄県民が知りたい事をメディア側の都合で報道封殺した事は厳然たる事実だ。

一歩譲ってテレビ、ラジオは我慢しよう。

地元二紙は当日の夕刊も、一夜明けた今朝の朝刊も休刊であった。春分の日を理由に。

まさか「しゅんぶんの日」と「しんぶんの日」とを間違えた訳では有るまい。

地方紙だから仕方が無いって?

そんな言い訳は通用しない。

仙台の河北新報も鹿児島の南日本新聞も、今朝の朝刊コラムは感動を伝えている。

しかも、この地域はテレビ、ラジオは放送されていた。

昨日と今日で沖縄の放送各社と新聞ニ紙は集団自殺をしたのだ。


◆先ほど件の琉球新報の夕刊が配達された。

一面トップのカラー写真入りの「WBC感動報道」が何か虚しい。

全10面のうち5面をWBCの感動報道を伝えているが、こうなると新聞は報道の使命を自ら放棄したようなものだ。

いくら新聞が速報性に劣るとはいえ、その日の夕刊にも載らず、翌日の朝刊にも乗らないニュースを翌日の夕刊で「熱っぽく」報じては琉球新報ではなく琉球旧報であろう。

再び言おう。 

沖縄の全マスメディアは二度と「知る権利、報道の自由」を口にしてはいけない。


         ◇         ◇         ◇

 
◆産経新聞 平成18(2006)年3月22日[水]

王ジャパン、世界を制覇 WBC「初代王者」に

 【サンディエゴ(米カリフォルニア州)=奥山次郎】初めて大リーグ選手らが参加した野球の国別対抗戦、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)は二十日、サンディエゴのペトコ・パークで決勝を行い、日本代表はアマチュア最強のキューバ代表に10-6で勝ち「初代王者」に就いた。

 大会は北中米や東アジア、欧州、アフリカなどから十六カ国・地域が参加。一次リーグから決勝までの全三十九試合を行い、七十三万七千百十二人の観衆を集めた。大リーグ機構によると、大会が放送されたか、今後放送予定の国・地域は二百五に上る。

 王貞治監督率いる日本は二次リーグで米国、韓国に敗れながら辛くも準決勝に進出。韓国に雪辱して進んだ決勝では投手力や機動力を生かした“日本野球”で栄冠を勝ち取った。野球が五輪正式競技となった一九九二年バルセロナ大会以降、四大会で優勝がなかった。WBCの次回大会は三年後の二〇〇九年に開催され、その後は四年に一度、開催される見通し。

                   ◇

≪王さんだからこそ≫

 「ニッポンコール」渦巻くペトコ・パークで王監督が宙に舞う。一回、二回、そして三回。笑顔がくしゃくしゃになっていく。「絶対世界一になる」。宣言通り、野球発祥の地で味わう頂点。「最高だよ」。目を潤ませた。

 代表監督は、楽な役回りではなかった。三月二十五日には日本のプロ野球も開幕する。ソフトバンクの練習を見たのは、代表合宿に合流した二月二十日が最後。ほとんど留守にしたまま、開幕を迎える。

 出場辞退も相次いだ。主砲に期待したヤンキースの松井秀に、教え子であるホワイトソックスの井口も大リーグを優先。救援型投手の構成も「右腕五人、左腕一人」と、いかにもいびつになった。十二日の米国戦では、タッチアップした西岡の離塁をめぐる疑惑の判定に見舞われ、抗議するとスタンドから屈辱的な大ブーイングも浴びた。

 それでも、王監督でなければ、日本が世界の頂点に駆け上がることはなかっただろう。

 「王さん、そして王さんの率いる日本チームと同じグラウンドに立てるのは特別な気分だ」と話したのは米国のマルティネス監督。八百六十八本という世界最多本塁打記録を持つ王監督には外国メディアも「ミスター・オー」ではなく、尊敬の念を込め日本語で「王さん」と呼び掛けた。ロドリゲスやグリフィーといった大リーグのスーパースターたちも次々にあいさつに訪れる。日本の大きな戦力となったイチローも、そんなスーパースターの一人。こんな話を明かした。

 「『打撃は簡単でしたか』と伺ったら『簡単だったことはないよ』と答えてくれた。僕も、そう思ってきた。偉大な打者に言ってもらって勇気付けられた」。世界の尊敬を集める王監督だからこそ、チームは一つになれた。

 WBCでの成績が閉塞(へいそく)感漂うプロ野球の今後を左右するという思いもあった。しかも野球は二〇〇八年北京大会を最後に五輪から消える。

 「野球発展のために、できることがあれば何でもしたい」。その思いは、アテネ五輪にかけた元五輪代表監督の長嶋茂雄氏と重なる。米国に乗り込んだ王監督のジャケットの胸には、「着けていってほしい」と長嶋元監督が託した日の丸のバッジも光っていた。

 「王監督率いる日本の野球が、世界の野球に変わったことを意味する価値ある勝利」。長嶋元監督は優勝をわがこととして喜び、王監督も「野球の素晴らしさを世界に伝えられた」と、同じ言葉で、喜びを表現した。

 二人が紡いだ日本球界の悲願達成。「でも、これで、終わりじゃないんだ」と王監督は付け加えた。尽きることのない野球への情熱が日本代表の魂だった。(奥山次郎)


【WBC】ジャパン世界一、その瞬間56%
 21日に行われたWBC決勝日本-キューバ戦を中継した日本テレビ系の番組平均視聴率が関東地区で43・4%(関西地区40・3%、名古屋地区35・6%)を記録したことが22日、ビデオリサーチの調査で分かった。瞬間最高視聴率は、王監督が胴上げされた場面で56・0%だった。

 関東地区の瞬間最高視聴率は、キューバの最後のバッターが三振に倒れ、日本の優勝が伝えられた午後2時58分の56・0%。関西地区は同59分に52・8%、名古屋地区は同58分に46・8%を記録した。

 プロ野球関連の関東地区の記録としては、現在の調査方法となった1977年以降、3番目の高さ。今年放送された各局の全番組の中で最高だった。

[2006年3月22日10時7分]


◆河北春秋 2006年3月22日

あらためて野球って面白いと思った。ワールド・ベースボール・クラシック決勝のキューバ戦。先行し、追い上げられ、また突き放して王ジャパンが優勝を飾った▼正直言うと当初、この大会にさほど期待はなかった。お祭り的なものに終わるのではの先入観。しかし、イチロー選手の言葉で変わった。「僕の野球人生で最も屈辱的な日」。韓国に2度目の黒星を喫したときのことだ

 ▼いつも冷静な彼にして、この発言とは―と驚いた。敗れて、腹の内までもさらさざるを得ないほどの苦々しさに満ちていた。ひたむきにプレーする者でなければ、出て来るはずのない言葉だろう▼戦うほかの国々も真剣勝負だった。「向こう30年、日本には手を出せないと思わせたい」と言ったイチロー選手に反発し、意地でも日本を倒そうとした韓国が印象深い。大差でも勝負を捨てないキューバにも拍手を送る

 ▼3度目に負けた韓国・金寅植監督のフェアプレーは気持ちがよかった。「日本はよくまとまっていたし、パワフルだった。うちより能力的に上なのでは」。負けては、なかなか言えない台詞(せりふ)だろう▼初の試みだけに、運営面で課題は山積する。なぜ日本と韓国は3度も戦ったのか。誤審問題。収益分配が米に偏りすぎていないか…。次は3年後。大会はどう育つだろうか。


◆3月22日付・よみうり寸評

 〈終わりよければすべてよし〉――シェークスピア劇の題名で言えば、〈All's well that ends well〉◆王JAPANの世界一でそう思った。1次、2次リーグで韓国の後塵(こうじん)を拝し、審判の誤審もあるなど、準決勝進出さえほとんど絶望的だった状況からはい上がっての優勝◆それだけに歓喜もひとしおだった。野球とはこんなに面白いスポーツだったか、それを改めて思わせた。とんでもない審判の誤審で野球ファン以外の人たちまでWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)に目を向けた◆〈審判員の名前をファンが知りたがるのはジャッジを間違ったときだけ〉(大リーグの格言)――逆説的に言えば、ボブ・デビッドソン審判員は功労者かも知れない◆彼は多々ある大会運営の問題点を象徴した。直すべきは直してWBCが大きな大会に育つように望む。「どれほどのもんじゃい」とWBCを軽く見た人も終盤の熱い盛り上がりに目を見張った◆野球そのものの素晴らしさと、初代世界一・日本ナインの熱と意気と結束に喝采(かっさい)!

(2006年3月22日14時6分 読売新聞)



◆毎日新聞 2006年3月22日 0時26分

余録

野球への夢が再び大きく
 「体健ならば 心また健 金言千古 空(あだ)ならず 阿修羅(あしゅら)の腕! 韋駄天(いだてん)の脚! 正義に鳴り 正路を走る……万里の波涛(はとう)打ち渡り 世界に覇たらん 血気の一団」。やたら勇ましいが、1905年、日本で初めて米国に遠征した早稲田大学チームへ作家の巌谷小波が寄せた「遠征野球団の歌」である▲何と日露戦争のさなかだった。一行は「米国は雨が多い」という誰かの言葉を真に受け、そろってコウモリ傘を抱えていた。一向に雨の降らぬ米西海岸で、大学やクラブチームを相手に転戦したその戦績は7勝19敗だ。「世界に覇」からはほど遠かった▲それから101年の歳月が流れた。球場も米西海岸サンディエゴのペトコパークである。国・地域別対抗のWBC決勝戦で王ジャパンがみごとキューバを降し、初の世界の頂点の座を勝ち取った。かけ値なし、正真正銘の「世界に覇」である▲一時は2次リーグ突破も絶望的と思われた死地を通り抜けての栄冠だった。とくに準決勝、決勝は持てる力を存分に発揮しての快勝となった。日本のファンにとっては思わぬ展開の連続で、最後は胸のすくようなハッピーエンドだからこたえられない▲もともと米大リーグの選手を国別に対抗させて野球人気を盛り上げようという発想が出発点だったというWBCだ。だが、決勝に進出したのは大リーグのスター選手軍団ではなく、大リーガーわずか2人の日本とゼロのキューバだったのが皮肉である▲野球の祖国を舞台にした初の世界大会で、野球の神様はチームワークがその基本であることを改めて示してくれた。「正義」はともかく、「正路」を走り抜けての王ジャパンの世界一である。最近ちょっとしぼみがちだった人々の野球への夢が再び大きく膨らんだ。

◆南日本新聞 南風録 2006年3月22日

 マリナーズのイチロー選手といえば、試合後のインタビューにあまり出ず、無表情で愛想もよくないという印象がある。サービス精神おう盛なヤンキースの松井秀喜選手とは対照的だ。

 ところが、今回のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では別人のように表情豊かで、はつらつとしていた。チームもイチロー選手を中心に一丸となった。イチロー観を変えた野球ファンも多いのではないか。

 試合前や試合後も冗舌だった。「きょう負けることは、日本のプロ野球に大きな汚点を残すことと同じ」、「初めて日の丸を背負っているのが、自分のモチベーションを高めている」など、時には挑発的だったり、すごみを利かせた。

 イチロー選手の言動に後押しされるように、「王ジャパン」がWBCの初代王者に輝いた。MVPの松坂大輔選手や福留孝介選手、川崎宗則選手らが全員野球で、アマチュア最強のキューバの追い上げを振り切った。

 頂点に立つまでの展開は、波乱含みだった。米国戦では誤審騒ぎがあり、韓国に連敗するなど、4強は一時遠ざかった。九死に一生を得ての栄冠には、テレビ観戦のファンも快さいを叫んだことだろう。

 あすから甲子園でセンバツ高校野球が始まり、32校が出場する。世界を極めた日本選手の歴史的偉業を、球児はしっかりと目に焼き付けたに違いない。日本、世界の舞台に立つ夢実現へ、大きな励みになったはずだ。


コメント
この記事をはてなブックマークに追加

記録にも記憶にも残る男達

2006-03-22 08:45:51 | 県知事選
王ジャパン。 WBC優勝おめでとう。

日本列島は感動の渦。

昨日は朝起きると、先ずテレビ欄のWBC放映時間をチェックした。

「無い!」

琉球放送も、沖縄テレビも、琉球朝日もそしてNHKも教育テレビも。

それではラジオだ。 ・・・が、これも無い!

日本中が注目している試合を無視するとは、此処沖縄は一体どこの国だ。

沖縄は未だ日本復帰していなかったのか。

琉球新報も当日の夕刊は休刊。

そして今朝の朝刊もお休み。

日頃、「知る権利、知らせる権利」と嘯(うそぶ)く沖縄メディアよ、恥を知れ。

休む権利が知る権利に勝る。 これが沖縄メディアの実体か。

こうなったら、最後の手段。 パソコンの「速報」が頼みの綱だ。

お陰で生まれての初めての経験で、三時間近くパソコンににらめっこの「観戦」をした。

9回の裏、キューバ最後の攻撃の場面。

2死、キューバ最後のバッターでなかなか「速報」にアウト表示が出ない。

≪大塚が突然乱れて、打たれたのか≫   

≪もしかして、サヨナラ負け?≫

「速報」の沈黙に不安がよぎる。

≪いや、4点差も有れば大丈夫≫

≪でも、相手は強豪キューバ≫

三時になった。

テレビでNHKが三時のニュースで「日本優勝」を淡々と伝えた。

その瞬間、「速報」画面が大塚が最後の打者を三振で討ち取り、優勝と表示した。

やった! ・・が、疲れた。 数分のタイムラグ(時間差)で「観戦」するのは疲れる。

        
                 *

王監督
「日の丸を背負って戦うのは初めてだが、こんなにプレッシャーが大きいとは思わなかった。 いいメンバーと一緒に戦えたのは嬉しい」
「今までの優勝で一番嬉しい」

イチロー
「僕の野球人生にとって最高の日です。素晴らしい仲間と野球ができて本当にうれしい。ものすごいプレッシャーだったけど、こんな形で終わるなんて。僕の方がチームメートたちに持ち上げてもらった。このチームでメジャーで戦いたいくらい。それくらい素晴らしいチームだった」

「記録には残らないが記憶に残る男」という言葉がある。

王は今まで誰にも負けない「記録」を持ちながら、「記憶」では長島に一歩引けを取っていた。

今、WBC優勝で王は「記録にも、記憶にも残る男」になった。

同じ事がイチローにもいえる。

イチローのすばらしい「記録」に異論を挟むものはいないだろう。

しかし、記憶となると「元巨人、そしてヤンキースのゴジラ」に数歩譲っていた。

イチローよ!  今、君は「記録にも記憶にも残る男」になった。

世界中がそれを認めた。

大会開始前。 孤独で排他的な印象がイチローにはあった。

自分のコンディションを第一に考えるイチローはもしかして、出場辞退かと勝手に予想した。

むしろ、巨人の大先輩率いる王ジャパンには、ゴジラが喜んで参加すると、これも勝手に思った。

しかし、アカサタ、・・いや、赤坂の、・・じゃない、浅はかな筆者の思い込みは見事に外れた。

イチローは全試合を通じて燃えた。  そしてメンバーを引っ張った。

韓国の挑発にも怯まなかった。

むしろ「日の丸を背負っている事が感情を高める」と自分を叱咤した。

日本の「ヤキュー」がアメリカの「ベースボール」を凌駕したと、19日のエントリーで書いた。

今日、ニューヨークポスト紙は「WBCで語られたのはYAKYUであっって、BASEBALLでは無かった」と素直に頭(こうべ)を垂れた。




コメント (2)   トラックバック (1)
この記事をはてなブックマークに追加