狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

【最終回】ドキュメンタリー作家上原正稔の挑戦!

2012-01-31 20:08:46 | ★パンドラの箱訴訟
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八重山日報に連載の「ドキュメンタリー作家上原正稔の挑戦! 琉球新報の言論封殺との戦い」の最終回です。

表題及び文中の琉球新報と沖縄タイムスをそれぞれR紙、O紙と頭文字表記した以外は、全て原稿通り掲載して頂いた八重山日報の勇気に敬意を表します。

係争中の「パンドラの箱掲載拒否訴訟」については続編を八重山日報に寄稿予定ですのでご期待下さい。

 

                ☆

ドキュメンタリー作家上原正稔の挑戦!⑥

 R紙の言論封殺との戦い   江崎 孝

■竜頭蛇尾の最終回■
 上原氏の「長い夏休み」が終わり休載中の記事が再開されたとき、私はR紙の言論封殺を直感的に感じながらも、執筆者の上原氏に対して一種の失望感を感じたことを記憶している。 ひと言で言えば「上原正稔よ、お前もか!」という心境だった。


 その年2007年は新聞に登場する識者と言われる人達の「集団自決」についての論評は一斉に横並びで、例外なく「軍命があった」の大合唱だった。すくなくとも私の知る限り、「軍命」を否定する識者の論文は見たことがなかった。そんな風潮の中で「右も左も関係ない、反戦平和も関係ない」と「豪語」していた上原までもが、R紙の言論封殺に唯々諾々と従ったと考えたからだ。一読者であり上原氏とは面識のなかった私は、後に知ることになる上原さんとR紙との掲載拒否についての壮絶なバトルを知るよしもなかったのである。 従って肝心な部分で何の断りもなく四ヶ月も休載しておきながら白々しく「長期休暇」としか言い訳の出来ない上原氏に、やはり「全体主義の島」では実証的戦記を得意とする上原氏でも新聞の論調には迎合せざるを得ないのか、と落胆したのだ。


 それでも、肝心の「慶良間で何が起きたか」を欠落したままでは画竜点睛を欠くと考え、最終回までには慶良間の記述に戻るだろうと失望しながらも淡い期待を抱きつつ、2008年の連載記事の最終回を迎えることになった。


 「第13話 最終章そして人生は続く」と題する最終回は、「慶良間で何が起きたか」についての記述をフラッシュバックするどころか、本題とは外れる上原氏が始めた1フィート運動の経緯について紙面の大半を使っていた。


 これでは「パンドラの箱を開ける時」というタイトルからしたら、まさに竜頭蛇尾の最終回であた。長期連載戦記「パンドラの箱が開くとき」は、皮肉にも箱のふたを閉じたまま最終回を迎えることになったのだ。


■読者を敵に回したR紙■
 「慶良間で何が起きたか」の記述を欠落したまま終わるのでは、期待して最後まで読み続けた読者を裏切ったことになる。読者はR紙によって「知る権利」を奪われたことになるのだ。


 その後、上原氏がR紙の言論封殺に対し提訴することを知った一読者としての偽らざる心境は、上原氏がR紙を相手取って起こした「パンドラの箱掲載拒否訴訟」は、上原とR紙の間の損害賠償の訴訟ではなく、R紙が自己のイデオロギーのため読者の「知る権利」を封殺したということになる。


 つまりこの訴訟は、実質的にはR紙が全読者を敵に回した「言論封殺」訴訟ということが出来る。(宜野湾市、ezaki0222@.ne.jp)  (了)

 

【付記】

上原正稔さんは、沖縄戦の研究の他に、得意の語学力を駆使しサンスクリット語によるウチナー口(沖縄語)の解明にも没頭しておられる様子。

詳しくは、上原正稔公式サイトをご覧いただくとして、とりあえず第2弾「ウチナー口の起源・序章」¥525(税込)の一部を紹介する。

電子書籍でも購入可との事ですから、沖縄語の解明に興味のある方は、ご一読をお勧めいたします。 

これを読むと沖縄の論壇で持てはやされ、大城立裕氏もファンだという知念うし(ウシー)氏が、大きな勘違いをしていることがわかります。

第2弾「ウチナー口の起源・序章」¥525(税込)
  上原正稔はこの数年、図書館に通い詰め、2011年初頭「ウチナー口の起源・序章」と題する小冊子を発行し友人、知人に配られた。新聞で紹介されることはなかった。その内容は正にアッと驚くものだった。これまで意味不明だった無数のウチナー口が見事に解明されたのだ。
 カナー、カマドゥ、ウシー、カニメガなどの女性の奇妙な名前に神々しい意味があることが判明したのだ。さらに、北谷、伊是名、目取真、田名、我謝などの意味のつかみ所のなかった人名、地名100ほどの詞の神聖な意味を明らかにしたのである。これだけではない。極楽でもあれば地獄でもあるとされてきたニライカナイの真実が明らかにされたのだ。

 

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沖国大の言論封殺!惠隆之介氏突然の解雇

2012-01-31 06:02:51 | 県知事選

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■寝耳に水の解雇通告

一年前の今日1月31日、上原正稔さんが琉球新報を「言論封殺」で提訴して記者会見をした。

そして今年、正月休みが明けたばかりの1月16日、沖縄の数少ない保守論客の1人である惠隆之介沖国大客員教授が、突然解雇された。

事前に何の説明もなく、たった一通の通告で突然馘首を言い渡されたのだ。

一年前の新聞社による上原さんへの言論封鎖に続いて、今度は大学による惠氏への明らかな言論弾圧である。

惠氏が沖国大の客員教授になられたと聞いて、沖縄の大学も少しはまともになったかと喜んでいた矢先のことである。

筆者は惠氏と個人的面識はなかったが惠氏が沖国大で講演会をされると聞いてわざわざ大学キャンパスまで出向き講演を聴講したことがある。

教室は満席で講演終了後も活発な質疑応答があり、これまで沖縄の大学では聞くことの出来なかった新鮮な視点の惠氏の沖縄論に学生の人気が高いのが垣間見れた。

その時の感想がこれ。

左翼の巣窟で講演会!惠隆之介氏が

惠氏の突然の解雇の知らせを聞き、上原正稔氏に続き、反日左翼複合体の「言論封殺」が惠氏にも及んだのかと懸念し、28日の午後那覇市内某所で惠氏に面談し大学解雇の驚愕べき話を余すことなく聞くことが出来た。

そして漫画家の小林よしのり氏が皮肉る「異論を許さぬ全体主義沖縄」の魔の手が大学にも及んだ事実を知り愕然とした。

 

■解雇通知の一ヶ月前、大学側は講義要請をしていた

昨年末の12月12日、惠氏は、沖国大の科目担当責任者の武田一博教授より「次年度授業担当のお願い」という文書を受理しており、それに対し惠氏は次の文書を返信している。

教室は、当初、5-208でしたが、受講希望者が多く、収容困難となりましたので5-304に変更し、現在もこの教室を使用させてもらっています。 次回も引き続きこの教室5-304でお願いします。 ビデオ教材も頻繁に使用しますため極めて有効です。 では、いいお年をお迎え下さい。 学生達は大変素直に授業に臨んでくれており、将来が期待されます

これに対しT教授は「すでに、今年度の教室配置も5-304となっておりますので、次年度も同様でお願いします。 先生もどうぞ良いお年をお迎え下さい」と返信している。

ところが年が明けて1月、拓殖大学客員教授も務める惠氏が東京の出張から帰ると自宅で待ち受けていたのは予期せぬ沖国大よりの解雇の文書だったというのだ。

解雇については事前に何の打ち合わせもない寝耳に水の惠氏は、文書の中から解雇の理由を探したが「内部調整」以外の説明はひと言もない。

■沖縄で「調整」とは言論封殺の意味

上原氏の原稿を琉球新報が言論封殺した時の読者の問い合わせに対する返事が「調整中」だったことが脳裏を過った。

沖縄では「調整」のひと言で容易に言論封殺が出来る土地柄なのか。

惠氏の授業は学生の人気も高く、昨年末には大教室使用の確約もとったうえで、年が明けたらいきなり解雇の手紙では納得できるものではない。

いや、仮に「内部調整」で解雇されることを認めたとしても、少なくと1年ぐらいの余裕を持つのが常識であり、突然の解雇は誰が考えても納得できるものではない。 

惠氏は来年度の授業に合わせて他の仕事は調整してあり、授業のため断った仕事も有るというではないか。

■左翼教条主義批判が逆鱗に触れた

惠氏が馘首の理由を敢て挙げるとしたら、最近発売された惠氏著の『誰も語れなかった沖縄の真実』が、年が明けてから急に売れだしてベストセラー3位に位置するようになったせいではないかという。

同著書で惠氏は沖縄の論壇に巣食う左翼教条主義を激しく糾弾している。

これが沖国大の逆鱗に触れたというのか。

惠氏の他の著書を見ると、『艦長を救出せよ』『海の武士道』『昭和天皇の艦長』など、沖縄の反日左翼複合体の神経を逆なでするような書籍ばかりである。

従って、県内2紙が惠氏の著書を「書評」などで紹介することなどいまだかつて見たこともない。(惠氏の著書の書評は文末の【「おまけ】参照)

しかし、いくら「異論を許さぬ全体主義の島」とはいえ、大学教授がベストセラーを出したらその大学は宣伝になるので喜ぶことはあっても、その著者をいきなり著書を理由に馘首するとは前代未聞である。

■沖国大、言論封殺の予兆

だが、沖国大の言論封殺を予感させる出来事が昨年の9月に地元2紙の紙面を賑わしていた。

沖縄の言論封殺は地元2紙の他に、地元大学を含む「反日複合体」が仕掛けていることが、八重山教科書問題で県民の前に晒されたのだ。

昨年9月、沖国大のS教授が、竹富町教育長の慶田盛氏に批判のメールを送ったときの地元2紙と沖国大の対応こそが「異論を許さぬ全体主義の島沖縄」の面目躍如であった。

S教授は慶田盛教育長のルール破りを批判し「沖縄のヒトラー」と批判のメールを送ったが、これに対応した慶田盛氏は、批判には言論で反論するという民主主義のルールを無視し、その批判メールをいきなり琉球新報と沖縄タイムスに持ち込んだ。

反日左翼複合体の中核をなす琉球新報、沖縄タイムスは、慶田盛教育長の期待にたがわず、早速一面、社会面のトップを沖国大のS教授批判の大見出しで飾った。

■学長声明で、大学人の批判派許されぬ

さらに地元2紙は紙面でS教授をバッシングするだけでは飽き足らず、卑劣にも大学にねじ込んで学長の謝罪文をホームページ掲載させている。

だが、この学長の謝罪文こそが「異論を許さぬ全体主義」を露骨に表しているのには驚いた。

次は沖国大HPの引用である。

本学教職員が不適切なメールを送信したことについて

今回の行為につきましては、教職員個人の「思想信条」に基づく主張ではありますが、「批判メール」を送信するという行為につきましては大学人として不適切であり、極めて遺憾に思います。

本人に対しても、この件につきまして厳重注意を行いました。
また、先方様には、本学教職員の不適切な行為を深くお詫び申し上げたことも、併せてご報告いたします。


                                                      平成23年9月22日
                                                      理事長・学長 富川 盛武


大学人が「批判メール」を新聞などでいきなり公開したり、ビラに印刷して不特定多数にばら撒いたのならともかく、個人宛に批判メールを送るのは、それこそ教職員個人の「思想信条」に基づく自由ではないか。 それを認めていながら「批判メール」を送信する行為が「大学人として不適切」とは、大学人は批判精神を持ってはいけないということなのか。

いや、そうではあるまい。 沖縄の左翼大学人ほど連日「批判文」を新聞で書き散らしている大学人は全国でも珍しいのではないか。

沖国大に限らず、琉球大学、沖縄大学のどれをとっても極左大学人の巣窟であり、連日「批判の暴風」を撒き散らしているのではないか。

左翼大学人の批判を拱手傍観どころかこれに加担する態度を示し、一方数少ない保守系大学人が批判するとこれを封じるとしたら、大学による明らかな言論封殺ではないか。

八重山教科書問題は八重山地区住民のみならず全県民の、いや全国民の注目を浴びる社会問題にまで発展し、現在東京書籍版教科書を支持する「反日左翼複合体」の完敗という結果で今新年度を迎えようとしている。 つまりS教授の批判が正しかったことが文科省の指導で明らかになったではないか。

その仕返しのように、育鵬社版を支持する(と思われる)惠氏を解雇したのではないか。

■不当な言論封殺への戦い 

現在惠氏は「拙著の爆風に左翼が反撃に出たのでありましょう」「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり、国家のため、また県民啓蒙のためひるまず頑
張ります」と反日左翼複合体への反撃をすべく準備中である。

沖国大の理不尽な言論封殺の一番の被害者は、惠氏の講義に感激し、勉学意欲を刺激され継続して受講を希望していた学生たちである。

上原さんを言論封殺した琉球新報。

惠さんを言論封殺した沖縄国際大学。

いずれも「反日左翼複合体」の構成員であり、八重山教科書問題に大きく関わった。

だが結果は県民、いや全国民の批判を浴び、教科書の「有償給付」という屈辱的敗北で幕を閉じようとしている。

ちなみに「反日左翼複合体」とは沖縄を駄目にした「極悪複合体」と同義語であり、沖教組、高教組、自治労、左翼大学人、プロ市民団体などで構成する。

彼らは、「反戦平和」の旗印の下、反日、反米を叫んで究極的には国家解体を狙っている。

各構成員はそれぞれ別個の組織のように見えるが地下茎では強力に結びついており、今回のような言論弾圧や八重山教科書問題のような場合には一致団結して集団リンチのような論陣を張るのが特徴である。

異論を許さぬ沖縄の闇は深い!

次回は、惠氏の授業「女性と社会」を受講し感激の手紙を送った学生たちの感想文を紹介する。

沖国大の言論封殺は許せないと思う方クリック支援お願いいたします。

 

 【おまけ】

沖国大の逆鱗に触れたと思われる左翼教条主義批判の書。

書評】・『誰も語れなかった沖縄の真実』惠隆之介著

産経新聞 2012.1.22 07:59

「誰も語れなかった沖縄の真実」

「誰も語れなかった沖縄の真実」

高い見識と精緻な事実認識

 

 中国は沖縄侵攻の機会を狙い、アメリカは防衛線内に沖縄を含めるかどうかを迷い、日本は基地反対を叫ぶ沖縄の県民意識とアメリカのアジア戦略の間を漂流している。

 そんなことでどうなるのかについて、本書は凡百の沖縄論を圧倒する広い視野と高い見識と精緻な事実認識でかねて知りたかったことを述べている。著者は沖縄出身、海上自衛隊二尉、琉球銀行勤務に加えて、米国国務省の国防戦略研修を経ているので、目からウロコの連続だが、なかでも県民意識についての叙述は他県民には書けない領域に踏み込んでいる。

 沖縄の人は沖縄のことを何もかもワシントンまかせ、東京まかせにして自分たちは基地負担の過重を叫んでいれば優遇措置が幾重にももらえると思っているのかどうかについて、そうなってきた歴史を通観する著者の目は鋭い。

 まず、もともと冬がないから物の見方が一面的で、左翼教条主義に染まりやすいとの指摘が面白い。

 つぎに、長く続いた尚王朝の圧制による自主性の消失と島津藩と清に両属する外交の歴史が沖縄人の心に大きく影響していると手厳しい。

最後に、著者は警告する。復帰後は日米双方からのご機嫌取りがあり、その過程でご機嫌取りに依存する勢力が肥大しているが、いま、日米双方に沖縄を見限ろうとする気持ちが生まれつつある、と。

 そういえば、すでに20年前、沖縄県知事がワシントンを訪問したとき、現地の新聞はこう書いていた。

 知事「沖縄の県民所得は本土の半分である」

 先方「労働時間も半分である」

 知事「沖縄は観光産業を興したい」

 先方「いま駐留しているアメリカンボーイが、将来、新婚旅行にくるようにもてなしてくれ」

 知事「広くアジアと手をつなぎたい」

 先方「アジアの人々の所得は沖縄のさらに半分だが、どう付き合うつもりか」

 知事「………」

 いま沖縄問題は、焦眉の急にある。(ワック・1470円)

 評・日下公人(評論家)

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⑤ドキュメンタリー作家上原正稔の挑戦!

2012-01-30 14:13:36 | ★パンドラの箱訴訟

 

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■八重山日報 1月30日

ドキュメンタリー作家上原正稔の挑戦!⑤

 R紙の言論封殺との戦い   江崎 孝

■R紙の言論封殺■
 不自然な休載と同じく不自然な連載再開だった。
 R紙が上原氏に対して言論封殺を行った、という疑念は確信に変わった。私が一読者として感じたことはR紙の読者の誰もが感じたことだと考えた。R紙が言論封殺した上原氏の記事「慶良間で何が起きたか」には、一体、R紙を動揺させるどんな内容が書かれていたのか。だが、地元を代表する新聞が、「集団自決」に関する連載記事を突然中止したことに対しては当然、いろんな憶測が飛び交った。「新聞を中心に展開されている教科書検定運動に水をかけることになる内容になるため」だとか、「編集担当者の態度に変化があり、今回の事態になった」とも言われた。


 偏向記事で知られる沖縄紙ではあるが、連載中止という非常手段に打ってでるのはよっぽどのことがあったに違いない。後にわかったことだが、R紙に封殺された原稿には、上原氏が慶良間島の実地検証で得た「軍命はなかった」という論考が赤裸々に綴られていた。


■月刊誌『WILL』がR紙の告発記事掲載■
 上原氏の連載が中止された日の朝刊、文化面のトップに林博史関東学院大学教授の「沖縄戦」特集の第一回目が掲載されていた。林教授といえば日本軍は残虐非道だと糾弾するサヨク学者で、「集団自決訴訟」でも被告側の証拠を収集したことで知られている。私は当時の沖縄メディアの異様な有り様を同時進行でブログに書き続けた。


 それが偶然雑誌社の目に留まり「沖縄紙の言論封殺」について原稿を依頼され、月刊誌『WILL』に「これが沖縄の言論封殺だ」というタイトルで掲載された。本文と重複する部分も有るが、有力言論誌が沖縄メディアの異常性を告発したという意味で注目されるので関連部分を抜粋引用する。


 ≪…平成19年6月19日は、R紙の長期特集記事(火曜から土曜の夕刊に掲載)の第二話「パンドラの箱を開ける時 沖縄戦の記録」の掲載予定日であった。第一話「みんないなくなった 伊江島戦」が前日で終了、19日からは第二話「慶良間で何が起きたか」が始まる予定であった。筆者上原正稔氏は掲載日の前、知人に「集団自決」に関するもので、圧力に屈することなく執筆する」と語っていたという。


 「集団自決」というテーマは地元二紙を中心に沖縄メディアが〝民意〟を煽っている最もホットなテーマのはずだった。言うまでもなく慶良間とは「集団自決」に関する「軍命令の有無」が問題になっている座間味島と渡嘉敷島を含む、慶良間諸島のことを指す。


 だが、その特集記事は、読者に何の断りもなく、突然、中止になった。執筆者あるいは新聞社側の「お知らせ」や「弁明」等は一行も掲載されていなかった。≫(『WILL』2008年8月増刊号)  (つづく)

 

【付記】

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 カナー、カマドゥ、ウシー、カニメガなどの女性の奇妙な名前に神々しい意味があることが判明したのだ。さらに、北谷、伊是名、目取真、田名、我謝などの意味のつかみ所のなかった人名、地名100ほどの詞の神聖な意味を明らかにしたのである。これだけではない。極楽でもあれば地獄でもあるとされてきたニライカナイの真実が明らかにされたのだ。

 

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市民の安全よりイデオロギー!宜野湾市長選

2012-01-30 06:28:37 | 県知事選

 

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移設対応で応酬 宜野湾市長選座談会
市長選に向けて健闘を誓い合う佐喜真淳氏(右)と伊波洋一氏=28日、宜野湾市・カルチャーリゾートフェストーネ

政治  2012年1月29日 09時51分 

 【宜野湾】2月12日投開票の宜野湾市長選に向け、沖縄タイムス社は28日、県議で無所属の佐喜真淳氏(47)=自民、公明推薦=と、元職で無所属の伊波洋一氏(60)=社民、共産、社大推薦=を招き、同市内で座談会を開いた。米軍普天間飛行場の移設問題では、両氏はともに県外移設を主張したが、基地問題への対応や方針で対立点が際立った。また、それぞれが掲げた経済・福祉・教育分野の政策の実現に向けた手法をめぐって激論を交わした。29日で告示まで1週間となった。

 普天間問題について、両氏は、市長、市議時代の互いの姿勢を批判し合った。佐喜真氏は「返還を実現できなかった」と伊波氏を切り捨て、伊波氏は佐喜真氏を「積極的提起を行っていない」と一蹴した。

 県外移設を求める佐喜真氏は政府との交渉姿勢を重視。国外移設に比重を置く伊波氏は県内移設反対を貫くことが海兵隊撤退につながると主張するなど、認識の違いが鮮明となった。

 選挙戦の目玉政策として、佐喜真氏は小学校給食費の段階的無料化、伊波氏は中学卒業までの医療費の段階的完全無料化を掲げている。

 ともに一括交付金を財源に充当する考えを示したが、佐喜真氏は「求めるべきは求める」と強調し、防衛省が基地所在市町村に支給している「特定防衛施設周辺整備調整交付金」の積極活用を唱えた。伊波氏は「一般財源を増やしてきた」と実績を示し、子育て施策の充実での人口増、市税収と地方交付税を増やす施策を推進すると力説した。

 両氏の政策は待機児童の解消も重なっている。

 佐喜真氏は「認可園が少ない国道58号沿いに認可園を集約して配置し、県道330号沿いは分園や定員増を図りたい」と主張。伊波氏は在任中に認可外保育所を認可し定員が2倍増になったと説明し「認可外園の施設拡充など支援強化したい」と訴えた。

                            ☆

読者のどなたかのコメントにもあったが、任期途中で宜野湾市長職を投げ出して県知事に立候補し、それに敗退し、次の衆院選を狙うのかと思いきや社民党の照屋寛徳氏が次期も続投を狙うと聞いて、無職では寂しいからと恥もなく又宜野湾市長に立候補するという伊波洋一氏。

そもそもこのお方、市長在任中から米軍憎し、自衛隊憎しのイデオロギーのみに拘り宜野湾市民の安全と福祉には全く無頓着だったことは良く知られたことである。

>佐喜真氏は「求めるべきは求める」と強調し、防衛省が基地所在市町村に支給している「特定防衛施設周辺整備調整交付金」の積極活用を唱えた。

米軍基地を抱える県内市町村に対して国が交付する「特定防衛施設周辺整備調整交付金」を活用して、那覇市は野球スタジアムを建設し巨人軍のキャンプを呼び寄せ事に成功した。売るま市は看護専門学校を建設して市内の活性化に取り組んでいる。

では、我が宜野湾市ではどうだろうか。 

伊波元市長はこの交付金を2度にわたって受取らない結果を招いている。 そのため普天満宮周辺整備計画は頓挫してしまった。

伊波元市長が普天満宮周辺整備計画を2度も中止した驚くべき経緯は次の通りだ。

普天満宮として全県的に知られている知名度を生かして、さびれ行く普天間市街地の活性化事業を15億円規模で推進していた。しかし、伊波元市長は自らのイデオロギーに反するとして、その交付金を事実上断った。 理由は、補助の前提である「米国軍人との交流を推進する」との文言が受け入れられないとのことだったという。 しかし、交付金を受けた那覇市もうるま市もこうした交流を行った形跡はない。あくまでこの文言は形式的なものにすぎず、これに拘る伊波氏のイデオロギーは筋金入りとしか言いようがない。 その結果、普天満宮の周辺の再開発は進展していない。 宜野湾市長がイデオロギーに拘っている間に、周辺市町村は国の補助を得て着々と街づくりを推進している。

次の数字を見ても広大な米軍飛行場を抱える宜野湾市であるにもかかわらず、周辺市町村との補助金額の差は明らかだろう。 本来ならせめて北谷町ぐらいの補助金は交付されるはずだ。

■平成23年の交付金の「防衛省交付金」の実績

嘉手納町     6・5億円

沖縄市      5・8億円

北谷町      4・4億円

読谷村      2・4億円

うるま市      2・2億円

宜野湾市     0・8億円

那覇市      0・7億円

伊波元宜野湾市長は、このように町の発展よりイデオロギー優先で町の発展を自ら阻害しているといわれても仕方がない。

宜野湾市長時代、宜野湾市民の新聞投稿が、伊波氏の市長としての姿勢を表して余りあるので、その「声」を紹介する。

■沖縄タイムス 2007月25日 オピニオン面 読者の声

久高貞夫さん=73歳 (宜野湾市)

身近な問題をまず解決して

伊波洋一宜野湾市長に尋ねたい。 安全保障問題に関して一言の発言もないのは意図的ですか。 あなたは沖縄県民に選挙された市長ではなく宜野湾市民にのみ選ばれた市長です。 そこを自覚し現状では不可能な県外、国外移設を論じた時間を浪費する前に宜野湾市民の最も身近な問題、すなわち普天間基地の危険性、騒音の早期撤去、市民の安心・安全な生活、福祉等の発展を最優先にとらえ、その解決に心血を注ぐべきです。 
辺野古案は普天間周辺より人口密度、危険性が少ない上一度は移設を容認した辺野古住民、名護市にいま一度、宜野湾市民の心情を斟酌(しんしゃく)してもらい県、国に働きかけ早期移設実現に働きかけてもらいたい。 それが宜野湾市長としての義務です。
今のあなたの基地問題に対する姿勢は、多くの住民、とりわけ飛行ルートの住民の切なる願望を等閑視するパフォーマンスにしか見えません。 これ以上われわれ市民を我慢させないで欲しいと思うのはわたし一人だろうか。 次期県知事選出馬のうわさがあるがその前にやるべきことが山積みしていることを忘れないでもらいたい。

 

【おまけ】

伊波元市長の本分を忘れたパーフォマンスについて触れた過去エントリーを次にリンクする。
 
四面楚歌の宜野湾市長 沖縄タイムスが又梯子をはずした?

ジュゴンの命か住民の安全か 伊波市長のハワイ訪問

最強の偽善者は伊波市長!「基地は財産」 県知事選へ立候補!

 

【付記】

上原正稔さんは、沖縄戦の研究の他に、得意の語学力を駆使しサンスクリット語によるウチナー口(沖縄語)の解明にも没頭しておられる様子。

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第2弾「ウチナー口の起源・序章」¥525(税込)
  上原正稔はこの数年、図書館に通い詰め、2011年初頭「ウチナー口の起源・序章」と題する小冊子を発行し友人、知人に配られた。新聞で紹介されることはなかった。その内容は正にアッと驚くものだった。これまで意味不明だった無数のウチナー口が見事に解明されたのだ。
 カナー、カマドゥ、ウシー、カニメガなどの女性の奇妙な名前に神々しい意味があることが判明したのだ。さらに、北谷、伊是名、目取真、田名、我謝などの意味のつかみ所のなかった人名、地名100ほどの詞の神聖な意味を明らかにしたのである。これだけではない。極楽でもあれば地獄でもあるとされてきたニライカナイの真実が明らかにされたのだ。

 

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④ドキュメンタリー作家上原正稔の挑戦!④

2012-01-29 14:39:33 | ★パンドラの箱訴訟

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■八重山日報 1月29日

ドキュメンタリー作家上原正稔の挑戦!④

 R紙の言論封殺との戦い   江崎 孝

■パンドラの箱は閉じられた■
 待ちに待った5月20日、R紙夕刊の紙面を隅から隅まで探したが「パンドラの箱を開ける時」は、何処にも掲載されていなかった。通常、何らかの理由で連載記事が予定日に掲載されない場合、執筆者か掲載紙の方から、休載の理由について断りがあるもの。ところが、この予期せぬ休載については、上原氏はおろかR紙側からも一切何の説明もなかった。突然の休載に愛読者として一抹の不安が胸をよぎった。言論封殺ではないかという不安だ。 

 

 漫画家の小林よしのり氏が、沖縄の新聞のことを「異論を許さぬ全体主義」だと皮肉っていたことが現実のものとなって目の前に現れた、と考えた。R紙に電話を入れて掲載中止の理由を問い質した。だが、最初に対応したR紙の記者は、連載記事が掲載中止になっている事実さえ知らない様子だった。「自分の新聞のことも見ていないのか」と、言われて連載特集がが掲載されていないことを確認した後、電話は編集部に回されたが、その時「上原さん、原稿が間に合わなかったのかな」という記者の独り言が聞こえた。上原氏の記事の突然の中止は記者にも知らされずに急遽「言論封殺」が行われたものと直感した。その後電話に出た編集部の担当記者も動揺を隠せない様子で「調整中です」を連発するばかりで、納得できる応答は出来なかった。

 

 その時のやりとりを、当時から書いていた政治ブログ「狼魔人日記」に「沖縄のマスコミは大政翼賛会か」というタイトルで書き、読者の支持を受けた。翌日のブログには「R紙は報道機関としてのプライドをかなぐり捨て、連載中の記事を『削除』するという禁じ手を使ったことになる。自分の意見と異なるという非常に分かりやすい理由で」と書き、「沖縄の言論空間は、いよいよ異様な様相を呈してきたようだ。サヨクの方々が常用する『戦前のような言論弾圧』がメディア主導で今正に沖縄で行われている。」と続けた。このR紙による唐突ともいえる「休載」に対し、私のブログ「狼魔人日記」の読者の反響は、大きなものだった。「R紙に抗議します」というタイトルで「R紙の言論封殺が今日で4日目です」「…今日で7日目です」と定期的にエントリーして抗議の意を表した。


■画龍点睛を欠く連載の再開■
 それから四カ月が経過した10月16日、「パンドラの箱を開ける時」が突然再開された。10月19日付のブログで書いたことを引用する。


 《10月16日。 二回目の「教科書検定意見撤回要請団」が上京し、沖縄中を巻き込んだ「集団自決」に関する大フィーバーも一段落が着いた。地元2紙の紙面にも一時のような「新証言者登場」といった刺激的な記事も殆ど見なくなった。その静寂の合間をつくように、その日(16日)のR紙夕刊に、4カ月の長期にわたって中止されていた「沖縄戦の記録」がソッと再開された。まるで一目をはばかるように。何の予告もなく。(略)R紙側の突然の連載中止であるにも関わらず、新聞社側からは連載中止の知らせも、4カ月後の突然の再開の知らせも読者に対しては一言の説明もなかった。今後、R紙は「説明責任」で他人を責めることは出来ない。

 結局、4カ月前に電話で問い合わせた答えの通りの長い「調整中」を、筆者の上原さんの「長い夏休み」としてゴリ押ししたのだろう。げに恐ろしきは新聞社の「調整」。これを別の名で言うと「言論封殺」と呼ぶ。長い「調整」の結果、内容も「調整」されている模様。

 事前の予告では次は「慶良間で何が起こったか」を明らかにするとしており、集団自決の真実を白日の下にさらすとのことだったが、再開した第2話のタイトルは「軍政府チームは何をしたか」と変更されているではないか。「集団自決」が起きた1945年3月下旬の慶良間を飛び越えて、4月以降の沖縄本島の米軍上陸、投降住民の管理の模様を記しており、「慶良間で何が起こったか」については触れていない。》(「狼魔人日記」 2007年10月19日)  (つづく)

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石原教授の致命的証言!援護法申請で

2012-01-29 08:33:23 | 援護法と歴史捏造

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 昨日述べた「援護法」に絡んで「沖縄靖国訴訟」で原告住民側の証人として証言台に立った、石原昌家沖国大名誉教授の「致命的証言」について、報告する。

先ず援護法の概略を知る参考に、古い沖縄タイムスの記事を引用する。

<沖縄タイムス 2005年3月4日 朝刊30面>

戦闘参加者とは誰か](6)
申請
「救えるものは救おう」
役場職員も事務研究

 一九五七年、厚生省は、沖縄戦で亡くなった一般住民のどのような行動が「戦闘協力者」として、該当するかを調査した。その後、実際の受け付け業務は、琉球政府から委託され、各市町村役所が担当した。

 申請の過程でも、援護法が「軍への協力」を前提としていたため、そのことが、強調されていくこととなった。

 長嶺秋子さん(70)=糸満市=は五三年、兼城村役場(当時)の初代の援護係に着任し、その後八年間担当した。

 援護法の申請手続きは、兵隊や現地召集の防衛隊など軍人軍属が先だった。

 「軍人の場合は、政府から一次名簿というのが届いていた。しかし、戸籍がなく、仮戸籍で受け付けた。防衛隊の場合は名簿もないので、各字を回って、誰が隊員なのかを申告してもらった」

 地域の公民館に机を置き、住民が申請に来るのを待った。「援護金の支給があると言っても、なかなか信用してもらえなかった。『戦争のことは思い出したくない。辛いことを思い出すからやりたくない』。そんな声が聞こえてきた」と振り返る。

 その後に、一般住民が対象となる「戦闘参加者」の申請が続いた。

 申請には、戦没者氏名、生年月日、死亡月日、死亡場所に加え、どのようにして亡くなったかを記した「戦闘参加概況書」を添付する必要があった。

 職員は、概況書を基に、「戦闘参加者」の基準となる二十項目、「義勇隊」「直接戦闘」「弾薬運搬」「戦闘協力者」などの、どれに当たるのかを判断した。

 申請は、琉球政府を通して、厚生省援護局未帰還調査部に送付。厚生省は、添付資料を基に、「戦闘参加者」に「該当」するのか、否かの審査をした。その結果を「戦闘参加該当予定者名簿」として、市町村に送り返され、該当遺族に通知が送られた。

 厚生省へ送付される「戦闘参加概況書」では、住民が協力した、軍隊の部隊名も特定する必要があった。住民の立場からすると、混乱した戦場での正確な記憶が求められるのは、土台無理な話だった。しかし、書類はそれを要求していた。

 結局、申請を受け付けた役場職員が、日本軍の作戦状況を把握して、日時場所から、部隊名を記入することもあった。

 市町村の援護課職員は事務研究の連絡会をつくり「戦闘概況」について、どう記せばいいのかを検討し、連携したという。長嶺さんは「琉球政府の方針も、沖縄は復帰できるかも分からない、援助できるものは援助しようということでした」と振り返る。

 同村役場三代目の援護課担当だった大城美根子さん(62)は六五年に着任。当時の業務は、「戦闘参加該当予定者名簿」の中から、「『非該当』の人を『該当』となるように救うことだった」と振り返る。「沖縄戦で亡くなった人たちが、救えないのはおかしい。亡くなった人たちは、皆『戦闘協力者』だと思っています」と語る。(社会部・謝花直美)

                          ☆

裁判所に提出した上原さんの陳述書見れば自明だが、琉球新報の「言論封殺」は慶良間島の集団自決の真相にターゲット絞っており、集団自決は「援護法」に大きく絡んでいる。

簡単に言えば本来軍属にのみ適用されるはずの「援護法」を政府主導で強引に沖縄住民に適用するように政令を発して特例を設け、住民の中の「戦闘参加者」を適用対象としたのである。

「援護法」の申請の流れはこうだ。

住民(遺族)⇒各市町村の援護課⇒琉球政府⇒厚生省援護局

そして各担当部門で出来るだけ「『非該当者』を『該当者』となるように救う」という思惑が働いた。 昨日紹介したように厚生省側でも祝嶺さんのような沖縄出身者を担当職員に配置転換し出来るだけ「援護法』の適用させるように指導した。

当初は市町村の窓口でも申請書の記入などに不慣れな職員が多く、多くの申請書が厚生省側から突きき返されたという。 だがそれには厚生省側の「受理されるノウハウ」の指導が付いており、結局要領を掴めば簡単に「戦闘参加者」として受理れ援護金支給の対象となった。

政府(厚生省)、琉球政府、各市町村の三者が「出来るだけ受理する」という思惑で動けば、その申請手続きの過程で、どうしても該当しない申請者に虚偽の申請をするものが出てきても、見て見ぬふりをするどころ積極的に「偽造申請書」に加担する者も多かった。 組織ぐるみで加担した場合も多かったと聞く。

「援護法」の研究者を自認する石原昌家沖国大名誉教授は、申請書を書けない住民に代わって申請書を書く手伝いをしたと語っている。 この石原氏、援護法の研究だけやっておればそれなりの評価をされたのだろうが、沖縄で名声を得るには反日左翼複合体に迎合する必要を感じたのか、イデオロギー丸出しの論調で新聞紙上を賑わし「集団自決」訴訟では被告の大江・岩波側の弁護に回り、「軍命派」の論陣を張った。

その一方で「沖縄靖国訴訟」では原告(遺族)側の証人となって法廷で証言をした際、イデオロギーと研究の狭間でついうっかり自分の現在の立ち位置を見失ってしまい致命的発言をしてしまった。

石原氏は、沖縄戦で犠牲になった住民を靖国に合祀するため政府主導で「軍命による自決」などの「戦闘参加者」を作って援護金を与え口封じした、という趣旨の意見書を提出し、証言台では次のような趣旨の証言を行った。

被告側弁護士:石原先生の説明ですと、沖縄の遺族の中で援護金を貰っている人の中には本来、もらう資格が無い方々が多く含まれているということですか?」 

石原証人:   「いえいえそうではありません。ほとんどです」

被告側弁護士と石原証人との尋問で、石原証人は次のことを証言したことになる。

■石原証言のポイント

1)戦闘参加者という受理条件を与えるために、日本政府がその基準に合うように暗に指導していた。

2)日本軍が住民に命令や要請を受けた時点で国と住民に雇用関係が発生すると考えで、積極的な戦闘協力をした、と指導した。

3)壕の提供は、軍事行動であり、現認承認があれば軍属と認める。

4)厚生省から付き返されることは、結果的に書き換えて受理となった。

5)援護法の実態を解明することは、沖縄戦の事実を引き出すことになる。

               ☆

この証人尋問が、極悪複合体(反日左翼複合体)にとって何ゆえ致命的なのか。

石原氏は別の裁判である「集団自決訴訟」では大江・岩波側を支援し「軍命あり派」の論陣を張ったが、「沖縄靖国訴訟」では、「軍命は『戦闘参加者』を作るための虚偽記入」であり、国がそれを指導したと主張した。 ということは法廷で軍命は虚偽だったと証言したことになる。

石原氏の証言に関しては反日左翼複合体の側からも批判の矢が飛んでいると聞くが、結局、石原氏法廷での宣誓の通り、真実を語ったことになる。

真実を語ったため「集団自決」は軍命であるという持論を結果的に否定してしまったのだ。

もっともこの石原氏の致命的証言は、「不都合な真実」は徹底的に隠蔽する琉球新報、沖縄タイムスが報道するはずもなく、法廷記録として残っているだけである。

結局、石原氏の証言を要約すると、援護法と靖国合祀は、住民を死に追いやった戦争責任を回避するための口封じという「恨み辛みの歴史観」になる。

【おまけ】

<沖縄タイムス 2005年3月6日 朝刊26面>

[戦闘参加者とは誰か](8)
東京の目
援護法での救済に腐心
「生かされた」責任感じ

 沖縄戦で看護隊として亡くなった女子学徒は、援護法で「準軍属」にあたる。一九五五年、女子師範学徒八十八人に、死亡公報が発せられた。それに基づき、援護法申請の手続きが取られていった。

 申請書類をめくると、女子師範、一高女、寮で一緒だった同級生や下級生の名前が記されていた。審査にあたった厚生省職員の祝嶺和子さん(77)=静岡県=は「寮で枕を並べた友達が、死んでいるんだから。絶対救わなくちゃいけない。そんな気持ちがありました」。当時の悲しみが再び込み上げて、言葉を詰まらせた。

 「でも、それだけやったから、私はね、自分が生きてもね、みんなには『お前は来なかったな』と言われないで済むと思っていました」

 夫、正献さんの生前の口癖は「特攻隊で自分の友達も皆、死んだ。自分らは生き残ったから、国のために何かやれということなんだ」。名護にいた幼少時から空手を学んでいた正献さんは、六三年に空手を基にした武術「躰道」を本土で広めることに努めた。

 「自分は生き残った」という思いを持ち続けた祝嶺さんは、沖縄戦で犠牲になった人々を援護法の対象として救うことに、心を傾けていった。

 一般の住民は逃げ回っていたのではないか。軍人が住民にも一緒に戦えと命令したのか。軍人が「自分たちが使うから、おまえたちは出て行け」と言って、住民を壕から追い出した―。

 「戦闘参加者」として、一般住民の申請書類が上がってきた時に、厚生省で批判的にみる人もいた。

 祝嶺さんは振り返る。「逃げ回っていた人もいたと思う。でも、そういうと沖縄の人が救われない。『戦闘参加者』として参加したんだと、はっきり言った」

 沖縄戦では、住民と軍隊が混在した。三カ月にも及ぶ戦闘の中で、一人の人間の死に至る過酷な体験は問題にされることはない。援護法の適用で、注目されるのは「軍への協力」、その一点だ。

 書類の審査で難しいケースについては、最終的には沖縄戦体験者の祝嶺さんのところに、回ってくるようになった。

 「軍への協力」が必要と、入り口を絞られた書類の上の沖縄戦。戦場で同じような行動をしていても、書き方一つで住民は「戦闘参加者」か、そうでないかに分けられる。

 「事実を書いてあるのだが、書類では通すことが難しい事例がある。だから、ほかはこのようにして通っているのだから、これと同じような書き方でと、そうちらっと教えた覚えはあります」

 「今からいうとおかしいかもしれないが、自分は生かされた。死んだ人はどうしても救わないといけないという、責任みたいなもんがあった。私はただ、沖縄の人を救えばいいという気持ちだった」(社会部・謝花直美)(毎週木―日曜日に掲載)

 

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ドキュメンタリー作家上原正稔の挑戦!

2012-01-28 12:55:58 | ★パンドラの箱訴訟

 

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八重山日報の続編です。

■八重山日報 1/27 23:30 更新
ドキュメンタリー作家上原正稔の挑戦!③ 

R紙の言論封殺との戦い   江崎 孝 

■2007年、沖縄のメディアは集団発狂した■

 ここで時間を5年前の2007年に巻き戻してみる。この訴訟の本質を見極めるためには、上原氏の原稿に何が書かれていたかという点と、もう一つ重要な点は、その原稿が掲載拒否された2007年5月の沖縄の社会的時代背景である。

 

 平成19年(2007年)3月、文科省が高校の歴史教科書の検定意見で、沖縄慶良間諸島でおきた集団自決に関し「軍の命令によるもの」という従来の記述を削除するよう求めた。 地元2紙は連日、「集団自決」に関する特集を組み検定意見を撤回することを求めるキャンペーンを大々的に張った。そしてその年は9月20日に行われた左翼勢力主催の「高校歴史教科書検定意見撤回を要請する県民大会(11万人集会)」へと狂気のように雪崩れ込んで行った年である。

 

 各市民団体、労働団体が抗議声明が連日の紙面を飾る騒然とした状況の中、私はドキュメンタリー作家の上原正捻氏がR紙の夕刊に連載していた沖縄戦記「パンドラの箱を開ける時」を深い興味を持って愛読していた。

 

 というのは実証的戦記を得意とする上原氏が当時話題沸騰であった集団自決の「軍命論争」に関し、どのように記述するかが関心の的だったからだ。上原氏とは面識はなかったが、従来の沖縄戦の研究者のように、戦争の持つ影の部分のみを捉えて無理やりイデオロギー問題にすり替える手法をとらず、沖縄戦の真実の物語を追及している異色の沖縄戦研究者として関心を持っていた。上原氏が始めた1フィート運動を取り上げた沖縄テレビ制作『むかし むかし この島で』は、第14回FNSドキャメンタリー大賞ノミネート作品となり、沖縄テレビのサイトでは、上原氏の沖縄戦の記録発掘に対する姿勢がどのようなものかを垣間見ることができた。 これも上原氏の「パンドラの箱を開ける時」に興味を持った一因であった。  http://www.fujitv.co.jp/b hp/fnsaward/14th/05―330.html

 

 当時私と同じように上原氏の「パンドラの箱を開ける時」の連載に注目している人物がいた。産経新聞那覇支局長をしていた小山氏のことだ。私は小山さんのブログを愛読していおり、6月16日のブログに第2話「慶良間で何がおきたか」が20日の夕刊から始まり、慶良間の集団自決がテーマになることが書かれていた。そこには上原氏は、「圧力に屈することなく執筆する」と話していたと記されていた。私が長年関心を持っていた集団自決の軍命論争の核心が愈々上原氏の筆により語られる、と期待に胸が膨らんだのを記憶している。  (つづく)

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「援護法」、住民ぐるみの公金詐取!

2012-01-28 07:19:29 | 援護法と歴史捏造

 

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最近、沖縄戦がらみで三つの裁判が行われた。

一つは昨年4月に最高裁判断が出た「集団自決訴訟」。 そして係争中の「沖縄靖国訴訟」と「パンドラの箱掲載訴訟」である。

三つの訴訟はそれぞれ原告と被告、そして表面上の訴因は違っているが、実質の争点が沖縄戦であり、さらに論点を絞ると「集団自決と援護法の関係」になるという点では大きな共通項を持つ。

慶良間島の戦隊長だった梅澤氏らが大江健三郎氏と岩波書店を訴えた「集団自決訴訟」は最高裁判断で原告側が敗訴しているので、集団自決の「軍命の有無」論争は「軍命説」が確定したと一般には思われている。

だが、これは沖縄2紙による印象操作による大きな誤解である。

たしかに最高裁で原告側の名誉毀損と損害賠償の請求は敗訴が確定したが、最大の争点である「軍命」については被告大江・岩波側は立証することが出来ず、事実上梅澤氏らの名誉回復は確定した。 

ただ名誉毀損が訴因である裁判で大江・岩波側が勝訴したため、あたかも「集団自決は軍命だった」ということが最高裁で確定したかのような印象操作記事を沖縄2紙が垂れ流し、それに誤誘導された読者が多い。

この沖縄2紙の印象操作については、しつこいが何度でも指摘しておく。

「パンドラ・・訴訟」でも原告上原さんが陳述書で強調されているように、集団自決には「援護法」が大きく関わっている。 集団自決の真相を解明しようとすると、その適用を受けるため申請書を偽造したという点に触れねばならず、この「秘密」を隠蔽しようとする勢力との壮絶な戦いが裁判という舞台で争われることになるのである。

沖縄2紙を筆頭に反日左翼勢力は、「援護法」の」カラクリを必死になって隠蔽しようとしているが、これが結果的には「極悪非道の日本軍人」という歴史の捏造を生み出すことになり、その一番の被害者が「軍命で住民を自決させた極悪人」という汚名を着せられた梅澤さんと故赤松さんということになる。

上原正稔さんが昨年1月、琉球新報を提訴した記者会見の冒頭で、梅澤さんと故赤松さんに沖縄人として謝罪した理由は、すべて「援護法と集団自決」の複雑な関係にある。

読者の中には集団自決と「援護法」の関係を深く検証すればするほど、援護法申請書の偽造などに行き着き、詐欺行為の疑いを持つ人も多い。

より直裁的にいえば、援護法申請書の偽造は「公文書偽造による公金詐取」といわれても仕方ない行為である。 沖縄人の立場としては言い難い言葉だが、筆者はこれまでに何度も「公金詐取」と指摘している。

■石原教授のトンデモ発言

反日左翼の急先鋒であるOABテレビに、石原昌家沖国大教授が出演し、靖国訴訟の援護法関係でこんな意味の発言をしていた。

「本人(遺族)が知らない間に、靖国に祀られてしまい、本来なら軍人にしか給付されないはずの援護金を国が支給してごまかした」という印象で放映された。 

だが、実際は「援護法」適用の申請をしたのは遺族本人であり、裁判では遺族を支援している石原昌家沖国大名誉教授でさえも、「当時文字の書けない人のために申請書を代筆した」と証言しているくらいである。

したがって遺族の虚偽の申請には石原教授も加担しており、「公文書偽造による公金詐取」の共同正犯といわれても仕方が無いだろう。

ちなみにこの石原教授は、QABテレビの当該番組で、「(チビチリガマの集団自決は)「軍の方針で行われた」とデタラメな発言をしているのには呆れるが、学者の名を騙る左翼アジテーターといえば納得できる。

大田少将の「県民斯く戦へり」という電報に応え、県民に配慮した国側の「援護金の拡大解釈」も、沖縄国際大学・石原昌家名誉教授のひねくれた解釈によるとこうなってしまう。

沖縄戦で亡くなった一般住民を靖国に合祀することによって、ヤマト政府が軍事植民地的支配だけでなく、精神的にも沖縄を支配するという仕組みを作り上げていったと思います」(QABテレビ)

News Photo

 

 

 

 

 

 

■政府主導の「公金横領詐取」■

現在の厚労省には「隊長命令を記した援護法申請書」は存在しないという。

当時の厚生省は「援護法」申請者に可能な限り許可を与えるため、度重なる政令を連発して軍命を暗示、誘導して申請書を書き換えさせた。

無謬性を誇るはずの官僚のこれらの措置は、今から考えれば違法ともいえる強引な拡大解釈をしている。

違法性の疑のある「隊長命令添付」の申請書の存在を、無謬性を信じる厚労省が認めるはずは無い。

当然「そのような書類の存在は確認できない」といった官僚的言辞で、当該書類(軍の命令書付き申請書)の存在を事実上否定したのだろう。

研究者の調査によると、拡大解釈してでも何とか「援護法」申請を受理しようとした当時の厚生省は、「軍命があれば受理出来る」と何度も誘導の文書を村役所の担当者に送っているという。

元々「援護法」は沖縄住民に援護金給付をする目的の特例だったため、当時の厚生省は裏付け調査を省いて、書式さえ整っていたら全てを給付の対象にした。  

通常、お役所に何らかの給付金を申請するとき、お役所側は重箱の隅を突っつくように、申請書のミスを指摘しできるだけ給付金を与えないようにする。 少なくとも役所は給付したくないように見える。 お役所仕事といわれる所以である。

ところが、本来軍人に給付すべき「援護法」を、沖縄戦に限り拡大解釈し軍に協力した住民に適用したときの当時の厚生省は、何とかして給付させたいという善意が働いて、書類の不備を指摘するどころか、今考えればお役所が「偽造申請」に加担したような場面も散見される。

 申請書の記入に「軍命」を臭わすように村役場を指導したのもその一つだが、厚生省側でも沖縄出身者を他の部署から援護課担当者に強引に移動させ、同じ沖縄人なら対応しやすいだろうという配慮を示していた。

沖縄集団自決に絡む援護金給付が「政府主導の公金横領」といわれる所以である。

■厚生省の担当者に沖縄出身者を配属■

当時の厚生省は、校長など地域のリーダーがほとんど無条件に署名した現認証明書をそのまま受け付けるという極めて大雑把な審査をしていたという。

政府側は今から考えると違法性を問われかねない措置をしていたが、何とか沖縄側の申請に対応しやすいように、東京側の厚生省担当者にわざわざ沖縄出身者を配属して、出来るだけ援護法の適用の拡大を計った。

その当時東京側の厚生省担当に配属された沖縄出身者の証言が沖縄タイムスの2005年3月5日付朝刊に掲載されている。

 沖縄戦の住民犠牲者が、援護法の対象となる「戦闘参加者」として、「該当」するか否か。最終的に決定したのは厚生省だ。その決定に携わっていたのが、沖縄県出身の祝嶺和子さん(77)=静岡県=だ。

 一九八九年に厚生省を退職するまで、中国残留孤児問題を含めて、援護畑一筋に働いた。

 沖縄戦当時、女子師範本科に在学していた。四五年三月、女師、一高女の学生が、看護隊として出陣する集合に、空襲に遭い、祝嶺さんは間に合わなかった。

 大勢の同級生や後輩が「ひめゆり学徒」として、亡くなった。戦後、そのことは「ずっと、頭を離れることはなかった」という。

 多くの友人を亡くし、生き残った元特攻隊員の祝嶺正献さん(故人)と結婚。沖縄から密航で日本本土へ渡った後、五四年、厚生省に入省した。

 沖縄出身ということで「『沖縄のことをこれからやるからね、援護局につくられた沖縄班に来なさい』と上司に言われ、決まっていた配属先から異動させられた」。

 前年から、米軍統治下の沖縄でも、軍人軍属に対して、日本の援護法適用が始まっていた。祝嶺さんの異動は、援護法の適用拡大に向けた動きだったようだ

 「援護では最初に、軍人軍属の、その次に沖縄では学徒たちも戦ったらしいな、ということで、私が引っ張られたのだと思う」

 当時、沖縄班の人員は七、八人。祝嶺さん以外に、もう一人県出身で、後に国民年金課長を務めた比嘉新英さん(故人)がいた。

 沖縄の市町村が受け付け、琉球政府を経由して、厚生省に送られる援護の申請資料。防衛隊など軍人軍属への申請書類に目を通していた同僚が、祝嶺さんに、尋ねた。

 「普通のおじさんやおばさんも、軍のために働いたのか」

 沖縄戦では、一般住民が、武器らしい武器もなく、米軍への切り込みを命じられ、日本軍のために弾薬を運び、「集団自決」を強いられた。・・・ (社会部・謝花直美) >

                    ◇

「集団自決」は戦時中の特殊な状況の下で行われた事件であり、金城重明氏の例のように、たとえ他人の「自決」に手をかして、本人が生き残ったとしても現在の価値観や法律でこれを裁くことは出来ない。

同じように、実際には存在しない軍の命令を政府指導で捏造し、「援護金」と言う形の公金を横領したことも現在の価値観や法律で断罪できない。

ただ、これらの「犯罪」を事実上指導・誘導した当時の厚生省、そして現在の厚労省が先輩の行った「過誤」を認めるはずはない。

従って「捏造命令書付き申請書」の存在を認めるはずはない。

■石原昌家氏の二枚舌■

集団自決の軍命論争ではいろんな場面で沖縄の識者たちがカメレオンのようにくるくると自説を変えていく例が多い。これを一々論じていたら一冊の本が出来るくらいなので立ち入らないが、援護法の研究者を自認する石原昌家氏の立場は微妙である。

石原氏は「集団自決訴訟」では被告・大江、岩波側を支援し、軍命はあったと主張する一方、「集団自決」という述語は「強制集団死」と呼ぶべきだと主張し、述語の中に軍命を意味する「強制」を使うなどの徹底した「軍命派」である。

その一方で、沖縄靖国訴訟では原告の遺族側の証人に立ち、「軍命は政府側が住民を靖国に祭るためのに指導した方便」という意味の証言をして、結局は軍命が「政府によって偽造されたもの」といった自己矛盾の発言をしている。

つまり政府が援護法認定のために、実際は存在してない「軍命令」を、「軍命令があった」と申請するように示唆したというのだ。

もっと具体的に言えば、石原氏は自分の体験も含めて、援護法申請書に「実際はなかった軍命による自決」と書いて出せば、援護金をもらえたと証言しているのだ。

この人物、同じテーマの裁判に首を突っ込んでしまい原告と被告が逆の立場であることをうっかり失念して「オウン・ゴール」をかましたことになる。(爆)

参考: 茶番劇の靖国合祀訴訟 戦争加害者と同列視するなだって

 

【おまけ】

石原教授は、沖縄靖国訴訟の原告側証人として法廷に立ち、原告側にとって致命的ともいえる発言をしているが、これについては稿を改めて述べてみたい。

 

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お金の問題ではない!竹富町教育委

2012-01-27 07:25:30 | 八重山教科書採択問題

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久しぶりに沖縄タイムスの社会面左トップに八重山教科書問題の見出しが・・・。

<竹富、東京書籍版発注へ>

無償措置の要望継続

竹富教育委員会が26日、定例会を開いて4月1日までに生徒へ東京書籍版公民教科書を給付できるように準備するよう町教委事務局に指示したという記事。

同記事によると、給付対象となる新中学3年生はは21人で、総額約1万5千円だが、町予算からは支出はしないとのこと。

だが、この期に及んでいまだに、この1万5千円の捻出方法が決まっていないというのだから驚きだが、2月上旬に再度協議するという。(永久に協議してろ!(怒)))

出口のない袋小路に町民を追い込んだ責任者2人の嘆き節はこれ。

竹盛委員長「金額の問題ではないし、誰かが寄贈すればいい、という簡単な問題でもない。 全国的に注目される中で、簡単に決められない」

慶田盛教育長「4月1日までに、子どもたちに教科書を届ける責任がある。 持ち帰って学習を深め、結論を出したい。

これこそ、ごまめの歯軋りそのもの。 

そう、確かに金額の問題ではない。 

いまさら教育長と教育委員のポケットマネーで支払ったら、顔に泥を塗られたことになり、全国民の物笑いだ。

「持ちかえって学習を深め、結論を出したい」?

何度学習してもイデオロギーで硬直した脳ミソからは何もでてくるはずはない。

以前は「頭を抱えている」と報道された慶田盛教育長。今度は家に持ち帰って何を学習するつもりなのか。

 

そこで、当日記が、子どもたちにも迷惑をかけず、慶田盛、竹盛のお二方の面子を保つ妙案をご伝授して進ぜよう。

お2人のポケットマネーで7千5百円づつ出し合って、教科書代を一時「立て替えて」おく。 これでとりあえず子どもたちへの迷惑は回避できる。

そして、次の段階で文科省を相手取って総額1万5千円の損害賠償訴訟を起こし、めでたく勝訴して1万5千円を取り返したら、面子も保てるだろう。

それにしても竹富町教育委は、子どもたちに普通の授業では学ぶことの出来ない「公民」と「国語」の授業を実体験で教育したことになる。

公民⇒民主主義とは、法治国家とは

国語⇒因果応報、身から出たさび、自業自得

                          ■

■八重山教科書問題の復習

発狂新聞がすっかり沈黙してしまったので、八重山教科書問題の詳細を忘れてしまいがちだが、数あるサイトの中で比較的公平な立場で書かれた教育関連サイトを復習のため紹介する。

 教科書の採択権は誰にあるのか ~沖縄・八重山地区教科書問題をめぐって 
 わずか数十冊分の教科書をめぐって、教科書行政の在り方が大きく問われている。沖縄県八重山地区の中学校公民教科書採択で、一部自治体が採択地区協議会の答申と異なる教科書の採択を決めたことは、義務教育の教科書無償制度の根幹を揺るがしかねない問題にまで発展した。教科書を採択する権限は、いったい誰にあるのか。
中学校公民教科書で採択が対立
2012年4月から使用される中学校の教科書について石垣市、竹富町、与那国町から成る沖縄県八重山採択地区協議会は11年8月23日、A社発行の公民教科書を採択すると賛成多数が答申した。ところが、これに反発した竹富町教委は、それとは別に独自にB社発行の公民教科書の採択を決定する。これに対して沖縄県教委は、採択教科書の一本化を図るよう八重山地区の3教委に働き掛け、その結果、9月8日に3教委の全教育委員による臨時会議が開催され、先の答申を覆してB社教科書を採択することが賛成多数で決まった。しかし、今度はこの決定に対して、石垣市教委と与那国町教委の教育長が文部科学省に直接異議を申し立てたことから事態はさらに複雑化していくことになった。

一連の経緯について文科省は、A社教科書の採択を決めた八重山採択地区協議会の答申を有効とする立場を取り、国に対する教科書採択の報告期限である9月16日までに採択の一本化を図るよう沖縄県教委に通知したものの、A社教科書を拒否する竹富町教委の姿勢は変わらず、とうとう問題解決に至らないまま年を越してしまった。このままいけば1963年の教科書無償措置法の制定以降初めて、国による教科書の無償給付が受けられない自治体が出現する事態となる。

では、この問題の争点は何だろうか。報道でも周知の通り、対立の原因となったA社教科書はいわゆる保守系教科書としてさまざまな物議を醸してきた存在であるのだが、ここではその問題には触れない。また、採択地区協議会の答申と全教育委員による臨時会議の決定のどちらが手続き的に有効なのかということも争われているが、おそらくそれを検証してもあまり意味はないだろう。というのも、このような政治的要素が絡む問題は手続き的妥当性がじつは本当の争点ではないからだ。採択地区協議会答申の妥当性についてさまざまな人々が論じているが、例えば、答申がB社教科書を採択し、一部自治体の決定がA社教科書を採択するものだったとしたらどうだろう。このように政治的要素を除外していくと八重山地区採択問題の争点は意外とシンプルだ。それは、義務教育教科書の最終的採択権は誰が持っているのかという一点となる。

「特別法は一般法を破る」という原則
義務教育の教科書採択について法的に見ると、地方教育行政の根幹ともいえる地方教育行政法は、市町村教委に採択権があると規定している。一方、教科書無償給付の実務を定めた教科書無償措置法は、複数自治体による採択地区協議会の答申で決定すると定めている。このように二つの法律が別々な規定をしていることが問題を複雑化させたわけだが、実際には八重山地区の問題が起きるまで、この矛盾が表面化することはなかった。では、採択結果が対立した場合、いったいどちらの法律が優先することになるか。一見すると、教育行政の根幹となる地方教育行政法の方が、単なる事務手続きを定めた教科書無償措置法よりも上位に立つと思う人が多いだろう。

だが、現実はそれとは逆で、政府と文科省は、教科書無償措置法が優先するという見解を示している。これは「特別法は一般法を破る」という法理論による。さまざまな権限などを定めた一般法と、その具体化に向けた手続きを定めた特別法が対立する場合、例外規定なども盛り込まれている特別法の方が優先するというのが法律学の原則で、政府も八重山地区教科書採択をめぐる答弁書(9月7日付)の中で、地方教育行政法を一般法、教科書無償措置法を特別法と位置付けている。つまり、法的に見れば、採択地区協議会の答申が個別の市町村教委の決定よりも優先するという解釈になるのだ。

一部マスコミの間では、政府や文科省がA社教科書を推進しようとしているという観測もあるが、それは正しくないだろう。実際、中川正春文科相(当時)は、竹富町に教科書を無償給付できないと述べる一方、地方教育行政法と教科書無償措置法の間に矛盾があることを認め、法改正の検討に入る意向を表明した。竹富町に対する教科書採択の一本化期限についても、最初の9月16日を11月末まで延ばし、さらに12月末まで延長するという対応にも、できるだけ事態を穏便に収拾したいという文科省の意図がうかがえる。

現行法下では採択地区協議会の答申を尊重するしかないものの、それを押し通せば市町村教委の権限を規制することになりかねない。教育の地方分権という理念と現行法の適用の間で文科省が苦慮していることの表れともいえる。

教科書採択制度の改革へ
1月13日に発足した野田改造内閣で新たに就任した平野博文文科相も就任会見で、「共同採択制度のもとで教科書の無償給付をしており、理解してもらうしかない」と述べ、独自採択を貫くならば竹富町に教科書無償を適用しない方針を改めて示す一方、「竹富町の意見を踏まえて、採択の在り方がこのままでいいのか検討したい」と表明した。おそらく、複数の自治体で構成される採択地区協議会による教科書採択という大枠の制度は残しながらも、義務教育における教科書の最終的な採択決定権は市町村教委が持つというような形で制度改正される可能性が高そうだ。

考えてみれば、4月から使用する教科書を複数自治体で構成する採択地区協議会で決定し、教科書ごとの冊数を前年の9月16日までに文科省に報告するという現在の仕組みは、情報化や物流が未発達だった時代の産物にすぎない。その意味で、市町村ごとの教科書採択は時代の流れだろう。報道などによれば、竹富町で採択される中学校公民教科書の冊数は数十部程度にすぎないという。その数十部の教科書の行方が、教科書採択制度の改革を促そうとしている。

構成・文:斎藤剛史

             ■

■八重山日報の勇気を讃える!

八重山日報が「パンドラの箱掲載拒否訴訟」についての筆者の寄稿を2回連載で掲載してくれたことを報告したが、反響が大きいので寄稿としては珍しく、ウェブサイトにアップして良いかとのれんらくがあり、喜んで同意した。

県内紙が申し合わせたように、この裁判を矮小化し黙殺を続けている最中、事実上の琉球新報の告発とも言える拙文を掲載してくれた八重山日報の勇気には敬服するが、やはり狭い地域で同業者を実名を挙げて告発するのははばかれると言うことで、県内2紙を頭文字表記にさせてもらったが、オリジナル原稿は琉球新報と沖縄タイムスと実名表記していることは言うまでもない。

以下は八重山日報の記事の紹介です。


 ドキュメンタリー作家上原正稔の挑戦!

 R紙の言論封殺との戦い   江崎 孝 

来る2月24日(火)、「パンドラの箱掲載拒否訴訟」の第五回公判が那覇地裁で行われる。
 この訴訟はドキュメンタリ作家上原正稔氏が、R紙の「言論封殺」を訴えるという前代未聞の裁判であるにも関わらず、これを知る県民はほとんどいない。沖縄の2大紙、R紙とО紙が、自分たちにとって「不都合な真実」は、決して報道することはないからである。


 ■上原氏怒りの記者会見■
 ちょうど一年前の1月31日。県庁記者会見室でドキュメンタリー作家上原正稔氏が記者会見を行った。その日の午前中に、上原氏はR紙に対する損害賠償訴 訟を那覇地裁に起こし、それを受けての会見であった。代理人の徳永信一弁護士が訴訟の概略を説明した後、マイクに向かった上原氏は、開口一番沖縄戦時に慶 良間島で戦隊長を務めた赤松嘉次、梅沢裕両氏に対して「大変なご迷惑を掛けた。ごめんなさい。許してください。そして同時にありがとうと言いたい」と侘び の言葉を述べ、両隊長による「集団自決の命令がなかったことは火を見るより明らかだ」、「真実を伝えるのがマスコミの使命だ」と訴えた。


 さらに、会場の記者団に向かい「R紙の記者は来ているか」と問いかけた。若手の記者が「はい、来ています」と挙手で答えると、上原氏はその記者に向かっ て「君たち新聞記者は、都合の悪いことは報道しないが、この裁判で君の会社が訴えられたのだよ!」と一喝し、「これを明日の記事にしなかったら新聞社の恥 だよ」と釘を刺した。気の毒にも、まだ若いR紙の記者は、上原氏の気迫に押されたのか「ハイ」のひと言だけで返す言葉はなかった。上原氏は、2009年5 月、『うらそえ文藝』(第14号)で、異論を封殺するR紙を激しく糾弾したが、R紙はこれに反論どころか、一切これを報道せず黙殺で通したことをR紙の記 者に皮肉ったわけだ。 

 

■『うらそえ文藝』での告発■
 沖縄の文芸誌『うらそえ文藝』で上原氏は、県文化協会会長の星雅彦氏との対談で自分がR紙から受けたあからさまな言論封殺について詳しく話していた。少し長くなるが上原氏がR紙を訴えた経緯を知る上で参考になるので、関連部分を抜粋引用する。


 ≪星: そうですね。現在でもある意味では統制されているわけですからね。
 上原: もう完全に右も左も統制です。僕はR紙のM記者たちに「パンドラの箱…」の掲載をストップさせられた。怒鳴りつけてやった。「君らは表現の自由を知ってるか」ってね。しかし動じる様子もなかった。連載は二〇〇七年四月から四ケ月も中断した。
 星: 社の方針に反するということだろうね。それはまたその人たちも統制の枠の中にいるってことだが、意識してないかもしれない。
 上原: 彼らはまず沖縄の知識人、自分たちは文化人だと思い込んでいるんですよ。それで自分たちの発言や行動はすべて正しいと思っているわけです。
 星: 正しいかどうかは何十年か何百年か経たないと分からない。
 上原: いつも彼等は正しいと思ってる。だから、僕が本当のことを書こうとしたら、もう読みもしないうちからストップかけるわけです。これはR紙の編集 方針に反するからといってね。僕は二回にわたって四人組の記者から吊し上げられ、連載を申止させられた。一番腹が立ったのはM記者だったが、彼も新聞社を バックに空威張りしたのにすぎない。彼等も統制のオリの中にいるわけですよ。≫(2009年5月、『うらそえ文藝』(第14号)


 原告上原氏の挑発が効いたわけでもないだろうが、被告のR紙は記者会見の翌日2月1日の紙面で、盟友のО紙より小さなベタ記事ながら次のように報じた。


 ≪「連載掲載拒否」本紙を提訴
 表現の自由を侵害されたなどとして、那覇市のドキュメソタリー作家、上原正稔さん(68)が1月31日、R紙を相手に慰謝料など約1千万円の損害賠償を求める訴訟を那覇地裁に起こした。
 2007年5月からR紙タ刊で連載された「パンドラの箱を開く時」をめぐり、R紙から途中の原稿の掲載を拒否され、表現の自由侵害などで精神的苦痛を被ったと主張している。
 R紙は「連載を一方的に止めた事実はない。従って『表現の自由の侵害』には当たらないと認識している」としている。(R紙2011年2月1日)≫


 徳永弁護士によると、裁判の要点はこうだ。
 上原氏がR紙に長期連載中の沖縄戦記「パンドラの箱を開く時」の、慶良間の集団自決問題の真相に触れる部分が、「社の方針に相違する」との理由で掲載日 の直前になって突然中断に追い込まれ、大幅な原稿の改変を余儀なくされた。4カ月後に執筆を再開したが、最終章の原稿の掲載を拒否され、未完のまま終了し た。徳永信一氏は「R紙が、原稿の受け取りを拒否し連載を打ち切ったのは、契約違反である。事実に基づく真相の探求を封じたことは個入の表現の場を一方的 に奪ったものであり、公正で不偏不党な報道という社是に背反し編集権を逸脱する」と述べた。


 裁判の名目は「損害賠償の請求」と、民事訴訟では良くある訴因だが、裁判の根底に大きな争点が隠れていることは被告のR紙が一番承知している。それは日 頃言論の自由を標榜する新聞社としては最も恥ずべき行為とされる「言論封殺」をR紙自らが行った事に対する訴訟ということだ。そして新聞社による「言論封 殺」の裏には、沖縄戦で長年論議されてきた「集団自決における軍命の有無」が最大の争点として潜んでいるであることを、原告、被告の両陣営が強く意識して いることは言うまでもない。


 沖縄戦記を研究テーマにするドキュメンタリー作家上原氏とR紙の間に起きた裁判沙汰を振り返ってみる。両者の間に一体何があったのか。  (つづく)

                        ■

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続・「パンドラ・・訴訟」、第5回公判報告

2012-01-26 07:13:41 | ★パンドラの箱訴訟

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1月24日の「パンドラの箱掲載拒否訴訟」第5回口頭弁論に提出した上原正稔氏の陳述書の続きです。

文中、強調部分は引用者が施した。

(集団自決とその後の背景について一九九五年六月二十三、二十四、二十五日の宮城晴美がタイムスで発表した「母の遺言-きり取られた自決命令」の全文をここに紹介しよう。この衝撃的なコラムは集団自決の謎を解く鍵をぼくに提供し、ぼくはこれを基に翌年、「沖縄戦ショウダウン」の長い注「渡嘉敷島で何が起きたのか」を発表した。だが、なぜか誰もその後この最重要記事に触れることはなかった。)

母の遺言

1995年6月22日(木)沖縄タイムス
母の遺言<上> きり取られた“自決命令” ──宮城晴美
証言の独り歩きに苦悩 手記の書き直し託される

 その年、母は座間味島の「集団自決者」の名簿を取り出し、一人ひとりの屋号、亡くなった場所、使用した“武器”、遺体を収容したときの状況など、これから自分が話すことのすべて記録するよう、娘の私に指示してきた。座間味島の地図を広げ、「自決者」のマップをつくりながら、母は知りうる限りの情報を私に提供し、そして一冊のノートを託したのである。
元号は変わっても…
それから間もなく、元気よく一週間の旅行に出かけたものの、母は帰ってきてから体の不調を訴えるようになり、入院後、とうとう永遠に帰らぬ人となってしまった。一九九〇年(平成二年)十二月六日であった。
 母の死後、遺品を整理しているなかで、日記帳の中から一枚のメモ用紙を見つけた。前年の一月七日、つまり昭和天皇が亡くなったその日に書かれたものであった。
 「静かに更けて行く昭和の時代も、後三十分で終わりを告げようとしている。
 本当に激動の時代であった。たとえ元号が変わっても、戦争への思いは変わらないであろう。
 新元号『平成』、どんな時代になるのだろう。子や孫のために、平和な世の中になってほしい」
 戦後、座間味島の「集団自決」の語りべとして、戦前の皇民化教育と「集団自決」のかかわりを、戦争の聞き取り調整のため島を訪れた無数の人たちに説いてきた母。
 それだけに、私にも言い続けてきた「昭和=戦争=“集団自決”」という、戦前の天皇制をベースに繰り広げられた悲惨な戦争の図式を、母は「昭和」の時代の終わりとともに、何らかのかたちで、自身の“思い”として留めたかったのではないだろうか。
 “真実”を綴ったノート
 そして、私に託された一冊のノート。それは字数にして四百字詰め原稿用紙の約百枚におよぶもので、母の戦争体験を日を追って詳しく綴(つづ)ったものであった。母は「いずれ時機を見計らって発表しなさい。でも、これはあくまでも個人の体験なので、発表するときには誤解がないよう、必ず客観的な時代背景を加えるように」と言葉を添えて手渡したのである。
 ただ、母はこれまでに座間味島における自分の戦争体験を、宮城初枝の実名で二度発表している。まず、六三(昭和三十八年)発行の『家の光』四月号に、体験実話の懸賞で入選した作品「沖縄戦最後の日」が掲載されたこと。それから五年後の六八年に発行された『悲劇の座間味島-沖縄敗戦秘録』に「血ぬられた座間味島」と題して体験手記を載せたことである。
 ではなぜ、すでに発表した手記をあらためて書き直す必要があったのかということになるが、じつは、
母にとっては“不本意”な内容がこれまでの手記に含まれていたからである。
 「“不本意”な内容」、それこそが「集団自決」の隊長命令説の根拠となったものであった。
自責の念にかられる
 とくに、『悲劇の座間味島』に掲載された「住民は男女を問わず軍の戦闘に協力し、老人子供は村の忠魂碑前に集合、玉砕すべし」と梅澤部隊長からの命令が出されたというくだりが、『沖縄県史10 沖縄戦記録』をはじめとして、多くの書籍や記録の中で使われるようになり、その部分だけが切り取られて独り歩きをしだしたことに母の苦悩があった。
 あげくは、その隊長命令説を覆そうと躍起になるあまり、曽野綾子氏に代表される「自決者」を崇高な犠牲的精神の持ち主としてまつりあげる人々が出てきたとなると、母の気持ちは穏やかであるはずがなかった。
 そしてもう一つの“不本意”な理由、それは、自分の証言で「梅澤部隊長」個人を戦後、社会的に葬ってしまったという自責の念であった。これが最も大きい理由であったかもしれない。

1995年6月23日(金)沖縄タイムス
母の遺言<中> きり取られた“自決命令” ──宮城晴美
「玉砕」は島民の申し出 援護法意識した「軍命」証言
 母は、どうして座間味島の「集団自決」が隊長の命令だと書かなければならなかったのか、その真相について私に語りだしたのは、確か一九七七年(昭和五十二)だったと思う。戦没者の三十三回忌、いわゆる「ウワイスーコー」と呼ばれる死者のお祝いを意味した最後の法事があると私は聞き、「島の人は何を考えているのだろう」という気持ちから座間味島の取材に出かけたときのことである。
 「援護法」とのはざまで
 話は一九五六年(昭和三十一)にさかのぼった。
 沖縄への「援護法」(正確には戦傷病者戦没者等遺族援護法)の適用を受け、座間味村では一九五三年から戦没者遺家族の調査が着手されていたが、それから三年後、村当局は、戦争で数多く亡くなった一般住民に対しても補償を行うよう、厚生省から来た調査団に要望書を提出したという。
 この「援護法」は、軍人・軍属を対象に適用されるもので、一般住民には本来該当するものではなかった。それを村当局は、隊長の命令で「自決」が行われており、亡くなった人は「戦闘協力者」として、遺族に年金を支払うべきであると主張したというのである。
 つまり、国のシステムから考えれば、一般住民に対して「勝手に」死んだ者には補償がなされず、軍とのかかわりで死んだ者だけ補償されるという論理を、住民たちは逆手にとったことになろうか。
 その「隊長命令」の証人として、母は島の長老からの指示で国の役人の前に座らされ、それを認めたというのである。
 母はいったん、証言できないと断ったようだが、「人材、財産のほとんどが失われてしまった小さな島で、今後、自分たちはどう生きていけばよいのか。島の人たちを見殺しにするのか」という長老の怒りに屈してしまったようである。
 それ以来、座間味島における惨劇をより多くの人に正確に伝えたいと思いつつも、母は「集団自決」の個所にくると、いつも背中に「援護法」の“目”を意識せざるを得なかった。
 軍と運命を共に
 座間味島は一九〇一年(明治三十四)に沖縄ではじめてのカツオ漁業をスタートさせた島で、それが軌道に乗り出した明治末期から子どもたちをどんどん上級学校に送り出し、教育熱は県内でも旺盛な地域であった。それだけ、皇民化教育を受け入れる土壌が整えられていったといえるだろう。
 一九四四年(昭和十九)九月、この島に日本軍が駐屯するようになったころから、住民は兵隊たちと運命を共にすることになる。島は特攻艇(敵艦に体当たりするための爆弾を積んだ一人乗りのベニヤボート)の秘密基地と化し、漁のため小舟を出すにも軍の許可証を必要とした。
 日本軍の駐屯で、ほとんどの家が兵隊の宿舎となり、住民たちは裏座敷に住みながらも、兵隊との交流は欠かせないものになっていた。その交流の中から「戦陣訓」を学び、そして在郷軍人(退役した地元出身の軍人)からは、中国戦線で日本軍が中国人を相手に行った残虐な仕打ちが伝えられ、敵につかまったときの惨めさが語られた。
 忠魂碑の前に
 一九四五年(昭和二十)三月二十五日、三日前から続いた空襲に変わって、島は艦砲射撃の轟音(ごうおん)に包み込まれる。方々で火の手があがり、住民は壕の中に隠れていても、いつ砲弾が飛び込んでくるか、ただおびえているだけであった。
 そんな夜おそく、「住民は忠魂碑の前に集まれ」と伝令の声が届いたのである。
 伝令が各壕を回る前に、母はこの伝令を含めた島の有力者四人とともに、梅澤隊長に面会している。有力者の一人から一緒に来るように言われ、意味もわからないまま、四人についていったのである。
 有力者の一人が梅澤隊長に申し入れたことは、「もはや最期のときがきた。若者たちは軍に協力させ、老人と子どもたちは軍の足手まといにならぬよう忠魂碑の前で玉砕させたい」という内容であった。母は息も詰まらんばかりのショックを受けていた。

1995年6月24日(土)沖縄タイムス
母の遺言<下> きり取られた“自決命令” ──宮城晴美
「集団自決」時の社会背景 戦争は「終戦」で終わらない
 島の有力者たちがやってきたものの、いつ上陸してくるか知れない米軍を相手に、梅澤隊長は住民どころの騒ぎではなかった。隊長に「玉砕」の申し入れを断られた五人は、そのまま壕に引き返していったが、女子青年団長であった母は、どうせ助からないのだから、死ぬ前に仲間たちと軍の弾薬運びの手伝いをしようと、有力者たちとは別行動をとることになった。その直後、一緒に行った伝令が各壕を回って「忠魂碑前に集まるよう」呼びかけていたのである。
 軍国主義の象徴
 伝令の声を聞いたほとんどの住民が、具体的に「自決」とか「玉砕」という言葉を聞いていない。「忠魂碑」の名が出たことが、住民たちを「玉砕思想」へ導いたといってもいいだろう。
 海を一面に見下ろせる場所に建てられた忠魂碑は、紀元二六〇〇年(昭和十五年=神武天皇即位以来二千六百年にあたるという)を記念して、座間味村の在郷軍人会、青年団を中心に一九四二年(昭和十七)に建立されたものである。
 この忠魂碑というのは、「天皇に忠節・忠義を尽くして戦死した者の忠君愛国の魂を慰め、その事跡を顕影する」(『沖縄大百科事典』)ものといわれ、靖国神社と密接なつながりをもち、日本軍国主義思想のシンボルといわれたものであった。
 太平洋戦争の開戦日(一九四一年十二月八日)を記念して毎月八日に行われた「大詔奉戴日(たいしょうほうたいび)」の座間味島での儀式の場所であった。これは住民の戦意高揚をはかるのが目的で、儀式の内容は、宮城遥拝「君が代」「海ゆかば」斉唱、村の有力者や在郷軍人会による、戦勝にむけての訓話などであった。
 元隊長との再会
 この場所に集まれというのだから、住民としてはすぐさま「自決」と結び付けざるを得なかった。結果的には、住民は激しい艦砲射撃のため、忠魂碑に集まることができず、それぞれの壕で一夜を明かしたものの、翌日、上陸した米軍を見た住民がパニックを起こして、家族同士の殺し合いが始まったのである。
 それは「生きて捕虜になるよりは、死んだほうがいい」という戦陣訓と、「敵につかまると女は強姦され、男は八つ裂きにして殺される」という、皇民化教育や在郷軍人会の教えによるものであった。
 母とともに、梅澤隊長のもとを引き揚げた四人全員が「集団自決」で亡くなってしまったため、戦後、母が“証言台”に立たされたのもやむを得ないことであった。
 一九八〇年(昭和五十五)の暮れ、母は梅澤元隊長と那覇市内で再会した。本土の週刊誌に梅澤隊長が自決を命令したという記事が出て以来、彼の戦後の生活が惨憺(さんたん)たるものであるということを、島を訪れた元日本兵から聞かされていた母は、せめて自分が生きているうちに、本当のことを伝えたいと思っていたからである。
 皇民化教育の本質
 その後の彼の行動については、あえてここでは触れないことにしよう。しかし、一つだけ言わせていただくとしたら、梅澤元隊長が戦後なお、軍人の体質のまま持ち続けている人であることに変わりはない、ということである。
 母は私がモノ書きとして生活するようになってからは、いつも思い出したように言いつづけたことがあった。「いまは事実を書かなくてもいい。でもウソは絶対に書いてはいけない」ということ。そしてもう一つは「『集団自決』を論ずるとき、だれが命令したか個人を特定することにこだわっていると、皇民化教育の本質が見えなくなってしまう。当時の社会背景をしっかりおさえなさい」と。
 母は「事実」を元隊長に話したことで島の人との間に軋轢(あつれき)が生じ、悩み苦しんだあげくとうとう他界してしまった。母の死を通して、戦争というのが決して「終戦」で終わるものではないことをつくづく思い知らされている。

「母の遺言」の冒頭に述べられた「集団自決者」名簿の一人ひとりの屋号、亡くなった場所、使用した武器、遺体を収容したときの状況、自決者のマップなどの重要情報はその後の晴美さんの相矛盾する二冊の本のどこにも発表されていない。宮城晴美さんは2000年に「母の遺したもの」を出版し、梅澤さんは集団自決を命じていない、と記したが、2008年には改訂版「母の遺したもの」を出版し、そこでは梅澤さんは集団自決を命じた、と記している。

 乙2号書について若干述べる。ぼくはこの私的文書を興味深く読ませてもらった。この中で前泊博盛君は「沖縄の教育」という連載について述べているが、これは「沖縄の学力」が正しい。彼の前任者の後をついで途中からこれを担当することになったものだが、現に自分が担当しているコラムのタイトルを間違うというのはちょっとヒドすぎる。さらに被告弁護側はこの文書をぼくと琉球新報との連載合意文書として扱っているが、ぼくがこの文書を見るのは乙2号書として提出されたからのことである。前泊君の私的文書にすぎない。しかも前泊君はぼくの連載を決定する権限は全くない。これは既に決まっていたことだ。ぼくは前回(四回目)の陳述書の中で余りにも自明のことで指摘しなかったが、被告第2準備書面の中で150回から170回で合意したように記しているが、全50回~70回程度(15週間)と記し、裁判所に提出する前に50と70に1という文字を手書きで慌てて加え、150回~170回にしたものだ。15週間はそのままだ。週5回で計算してみれば明らかだ。これは裁判を愚弄するものであり、私文書偽造であることを指摘しておく。さらにぼくはいつも「初出の資料を使っている」。「初出の資料だけを使っている」のではないことを指摘しておく。
 
 最後に、ぼくは昨年十月中旬、兵庫県加古川市を赤松秀一さんと共に訪ね、赤松嘉次さんのお墓参りをした。ぼくは心から赤松嘉次さんに謝罪し、ご冥福を祈った。それまで、ぼくには神も仏も遠い存在であったがなんだか、ほっとし、心が軽くなった。一方、徳永信一弁護士は昨年十二月下旬、梅澤裕さんの九十五歳の誕生日会を催し、その写真を送ってくれた。その記念写真は僕の宝物になったことを記して筆をおく。

☆ 上原氏の陳述書終了  ☆

上原さんが引用した宮城晴美氏の手記を見れば、宮城氏は、母初江さんが援護法の適用のため島の長老の圧力に負けて心ならずも梅澤隊長が自決命令を出したと証言したが、これを悔やんで真相をノートに記し、これを娘の晴美氏が『母の遺したもの』を出版し、「梅澤軍命説」を否定したということになっている。 だが大江健三郎・岩波書店を被告にした「集団自決訴訟」が2005年に提訴されるや、『母の遺したもの』を読んで軍命説を否定していた地元の学者が次々と「軍命説」に転向していった。

集団自決に関する「転向学者」は枚挙に暇がないほどだが、1人だけ例を挙げる。

 ■二転三転の集団自決の「定説」■

座間味島の集団自決は「隊長命令による」という「定説」は、集団自決の生き残り宮城初江氏によってもたらされた。

初江氏は、その後それが「援護金」のために強制されたウソの証言であったことを娘晴美氏に書残した。

娘晴美氏が母の遺言である『母の遺したもの』(2000年12月)を出版することにより「定説」は逆転し、「隊長命令はなかった」が新たな「定説」となった。

「集団自決訴訟」提訴の5年前のことである。

沖縄戦研究者の吉浜忍沖国大助教授(当時)は、琉球新報に『母の遺した』の書評書いて「〔書評〕『母の遺したもの 沖縄・座間味島「集団自決」の新しい証言』宮城晴美著」 「定説」とは違う真相語る (隊長命令はなかった)吉浜忍(2000年12月24日・琉球新報)として、研究者の立場から新しい「定説」を補強した。 

「書評」で吉浜教授が、争点の「隊長命令」では「命令は無かった」と、従来の「定説」とは違う真相を解説している。

琉球新報 2000年12月24日

『読書』 『母の遺したもの』 宮城晴美著
 
「定説」とは違う真相語る
 
座間味島は、沖縄戦の前哨戦であり、悲劇の始まりでもあった。 悲劇の象徴が「集団自決」であり、今日まで「悲劇の物語」として語られてきた。 そして、物語の核心部分の「隊長命令による集団自決」には著者の母親の証言が有力な根拠となった。
当事者によるものであっただけにこの証言は大きな影響を与え、様々な出版物に引用されたり、粉飾されたりして。やがて「定説」化していった。 「隊長命令による集団自決」を一つの争点にした家永教科書沖縄出張裁判も記憶に新しい。
「定説」は時には善意によってつくられることもある。 座間味島「集団自決」の「定説」には、沖縄戦で戦死や負傷した一般住民に対する「援護法」適用問題が絡んでいた。 「集団自決」においては「軍との雇用関係」、すなわち隊長命令があったとすれば「援護法」が適用され、遺族は救済される。
この根拠として母親の言質がとられた。 母親の戦後苦悩はここから始まる。 さらに関係者との板ばさみで苦悩は助長する。
そして母親は死を前に、娘への遺言として、「定説」とは違う真相を語った。 隊長命令はなかったと。
本書は、戦後世代の娘が母親と真剣に向かい合い。 苦悩を共有しつつある、かつ執念をもって真相を究明し、「定説」を覆した。 戦後世代の沖縄戦継承が問われている今日、戦後世代が沖縄戦を二次体験として、体験証言を検証し次世代へ継承するという著書の姿勢は今後の指針になるであろう。(略)(吉浜忍・沖縄県文化振興会史料編集室主幹)

更に新しい「定説」に、沖縄タイムスがお墨付きを与えることになる。

『母の遺したもの』が沖縄タイムス出版文化賞を受賞するという栄誉と共に学術的にも社会的にも「隊長命令はなかった」が確固たる新「定説」となった。

 〔沖縄タイムス 12月12日〕
第22回沖縄タイムス出版文化賞受賞作品が決まる

2001年12月12日・沖縄タイムス・朝刊
 正賞:『アンヤタサー』山里将人著
、『母の遺したもの 沖縄・座間味島「集団自決」の新しい証言』宮城晴美著

■提訴後の変節■

座間味島の集団自決の「定説」がタイムス、新報によって認知されたわけだが、この「定説」は2005年の「集団自決訴訟」によって、再び揺らぎ「隊長命令はあった」と元の「定説」に逆戻りする。

それに従って研究者達の「定説」も次々と姿を変えてくる。

例えば沖縄タイムスの「書評」で『母の遺したもの』は「『定説』とは違う真相を語るー隊長命令はなかった」と書いた吉浜氏の変節ぶりはこの通り

沖縄タイムス2008年年11月18日 

[魚眼レンズ]吉浜忍さん
沖縄戦の事実しっかりと
 「集団自決」訴訟の控訴審で原告の訴えを退ける判決が出たことについて「一審判決を踏襲したもの。おそらく原告勝訴にはならないと考えていた」と話す沖縄国際大学教授の吉浜忍さん。「当然の判決」と強調する

 「カリキュラム上の問題で突っ込んで話はできなかった」と断りながら、自ら講義でも学生に対して同判決について触れ、説明したという。

 「沖縄戦の歴史的な事実関係をしっかり丹念に教えることが大事。学生は逆にスローガン的、感情的なものではなく、事実を踏まえた沖縄戦を学びたいという気持ちが強い」と指摘。

 「今後もこれまでの沖縄戦の証言を継続的に教えていきたい」と気を引き締めている。

沖縄では、新聞が作る「定説」には、たとえ研究者といえども逆らえないということが、吉浜氏の変節ぶりから垣間見える。

吉浜氏は以前書いた「書評」のことはすっかりお忘れになったようで、沖縄タイムス紙上で再度豹変した「定説」を激しく主張している。

2007年3月31日『沖縄タイムス』朝刊27面を転載。

沖縄戦 ゆがむ実相

 高校教科書に掲載された沖縄戦の「集団自決」の実態が国によって隠された。文部科学省は、今回の教科書検定で「軍命の有無は断定的ではない」との見解を示し、過去の検定で認めてきた「集団自決」に対する日本軍の関与を否定。関与を記述した部分の修正を教科書会社に求めた。同省が変更理由に挙げたのは「集団自決」をめぐる訴訟での日本軍の元戦隊長の軍命否定証言と近年の「学説状況の変化」。文科省の姿勢に、県内の関係者からは「沖縄戦の実相の歪曲」「殉国美談に仕立て上げている」と批判が出ている。
 沖縄戦研究者の吉浜忍沖国大助教は「検定意見で日本軍の『集団自決』への関与がぼかされたが、軍隊が誘導したのが実態だ」と沖縄戦の実相を指摘する。その上で「国によって沖縄戦が書き換えられた。これまでの研究や調査を逆転させようという政治的意図を感じる」。(略)

                    ◇

現在沖縄タイムスと琉球新報が捏造した「定説」に真っ向から異論を唱えている星雅彦氏と上原正稔氏が、事実上沖縄論壇から干された状態にある。

これを考えれば、沖縄の識者たちが、次々と沖縄二紙に追随し、変節していくのもむべなるかなで、同情の念を禁じえない。

沖縄の学者さんたちは変節しなきゃ生きていけない。お気の毒。(涙)

 

■宮城晴美氏の転向

『母の遺したもの』の出版により軍命という「定説」を否定した宮城晴美氏自身も「集団自決訴訟」以降は、左翼勢力に取り込まれていき、何と裁判に証人として出廷する僅か一週間になって、軍命説に転向したと証言し裁判長を愕かしている。

宮城晴美氏が提出した陳述書の抜粋を引用するが、梅澤隊長が「命令した」という根拠が驚天動地の噴飯ものである。

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陳  述  書
2007年6月27日

(略)

(2) 部隊長命令についての手記の書き改めについて


本書の手記では、母は、『家の光』掲載の手記(乙19)や『沖縄敗戦秘録―悲劇の座間味島』(下谷修久・乙6)掲載の手記に書いた「午後十時頃梅沢部隊長から次の軍命令がもたらされました。『住民は男女を問わず軍の戦闘に協力し、老人子供は村の忠魂碑前に集合、玉砕すべし』」との記述を削除し、本書38~40頁にあるように、3月25日夜に助役の宮里盛秀氏らに付いて梅澤部隊長のところに行ったときのことを書き加えました。


「老人と子供たちは軍の足手まといにならぬよう、忠魂碑の前で玉砕させようと思いますので弾薬をください」
との助役の申し出に対し、梅澤隊長はしばらく沈黙したのちに、沈痛な面持ちで
「今晩は一応お帰りください。お帰りください」
と、そのときは申し出に応じなかったもので、『家の光』(乙16)や下谷修久氏の本(乙6)に掲載した手記に書いたような梅澤部隊長の命令があったとはいえないというものです。


原告の梅澤氏は、3月25日夜の助役とのやりとりについて、
「決して自決するでない。生き延びて下さい」
と述べたと主張しているとのことですが、母は、1977年(昭和52年)3月26日の33回忌の日に私に経緯を告白して以来、本書に書いてあるとおり
「今晩は一応お帰りください。お帰りください」
と述べたと言っています。母は梅澤部隊長に申し訳ないという気持ちにかられて告白し、手記を書き改めたのですから、「決して自決するでない」と聞いたのなら、当然そのように私に話し、書いたはずです。


本書262頁に書きましたように、母は、1980年(昭和55年)12月中旬に那覇市のホテルのロビーで原告の梅澤氏に面会し、1945年(昭和20年)3月25日の夜の助役と梅澤氏とのやり取りについて詳しく話しましたが、梅澤氏は当夜の助役らとの面会そのものについて覚えていませんでした。「決して自決するでない」との梅澤氏の言い分は、記憶にないことを、自分の都合がいいように、あたかも鮮明に記憶しているかのように記述したものと思われます。もし記憶しておれば、梅澤氏はその時訪ねてきた助役・宮里盛秀氏の名前を、前述の「仕組まれた『詫び状』」(乙18)117頁で紹介しましたように「宮村盛秀」と、遺族の戦後改姓の苗字を書くはずはありません。


母は、少なくとも自分の目の前での部隊長の自決命令はなかったということでそのことを梅澤氏に告白し、手記を書き改めたのですが、確かに3月25日の助役とのやりとりの際に、梅澤部隊長は自決用の弾薬は渡していませんが、
「今晩は一応お帰りください。お帰りください」
といっただけで、自決をやめさせようとはしていません
住民が自決せざるをえないことを承知のうえで、ただ軍の貴重な武器である弾薬を梅澤氏自ら渡すことはしなかったというに過ぎなかったのではないかと思います。

             ☆    

梅澤隊長は米軍上陸を目前にして、貧弱な武器弾薬で圧倒的優勢な米軍に太刀打ち向かう準備で多忙な最中、村の住民の自決用手りゅう弾の支給を断って「帰るように」と言っている。

その後自決した住民たちと駆動を共にしたわけでもないのに「自決をやめさせようとしていない」という理由で、自決命令を出したと証言されてはたまったものではない。

これではヤクザの言いがかりよりも酷いではないか。

このようなデタラメな証言が大手を振ってまかり通り、学者たちがいとも簡単に自説を偏向し次々と転向していく。

これが「異論を許さぬ全体主義」と言われる所以である。

 

 

■カンパ協力のお願い■

 

 

これまで皆様のカンパにより戦いを継続してきましたが、沖縄のマスコミから村八分状況の上原氏は現在闘争資金に不足をきたしています。

担当弁護士の先生も手弁当で支援して下さっていますが、打ち合わせ等をするにも交通費・滞在費等の出費を無視できません。

沖縄の閉塞した言論空間に戦いを挑んでいる上原さんの訴訟に、三善会は皆様の支援金のご協力のお願いを致しております。

支援金は、裁判の支援・報告会・講演会等の開催や広報活動等に活用させて頂きます。
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なお次回の第6回公判時には、日頃お忙しいご支援者の皆様のため日曜日を利用して「沖縄の言論封殺と沖縄戦」をテーマにした講演会を計画しております。

詳細が決まり次第改めて御案内いたします。

 

【付記】

八重山日報に、上原正稔さんの「琉球新報に対する『言論封殺』の戦い」について小論を寄稿いたしました。

1月23日より2回に分けて掲載されました。

今後「パンドラのはこ掲載拒否訴訟」については続編を寄稿予定です。

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  琉球新報の言論封殺に対し、徒手空拳で戦いを挑んでいるドキュメンタリー作家上原正稔氏の「パンドラの箱掲載拒否訴訟」の第6回公判は3月13(火)10時30分の予定です。

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「パンドラ・・訴訟」、第5回公判の報告

2012-01-25 07:26:36 | ★パンドラの箱訴訟

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昨日那覇地裁で行われた「パンドラの箱掲載拒否訴訟」の第5回公判の報告です。

 

傍聴席は上原さんの支援者でほぼ満席。 地元2紙が一切報道しない裁判の割には多くの支援者が傍聴に駆けつけたのは、それだけ常日頃の沖縄紙の報道に怒りをもつ読者が多いことの表れである。

 

原告側は新たに上原さんの陳述書の読みあげを求めたが、被告側は、

(1)掲載拒否したのは、社の方針としての編集権の濫用ではない、

(2)以前と同じ内容なので掲載拒否した、

 

と同じ答弁を繰り返すだけで、すっかり戦意を失ったかのように防戦体勢を続け、これまで欠かさず出廷していた池宮城主任弁護士が欠席する有様であった。

 

被告側が同じ答弁を繰り返すだけなのに業を煮やしたのか、平田直人裁判長が原告側徳永弁護士に「連載が再開されてからも以前と同じ内容の引用は有りましたか」と問いただした。

 

被告の掲載拒否の理由が、慶良間島の集団自決の真相を封印したいという新報社の方針だったことを立証する証拠は山ほどあるが、掲載拒否以後再開された連載にも「以前と同じ記事」があれば、被告側の主張の根拠が崩れたことになる。 

勿論再開以後の連載にも「同じ記事」はあるので、この証拠一つを挙げただけでも勝負は付いたものと思われる。

 

ちなみに掲載拒否以前の掲載にも「以前と同じ記事」があり、これに対しては被告側は、見落としていたと苦しい答弁をしている。

 

だが、見落とし等と実務上の誤認で掲載拒否をされたと結論付けられては、例え勝訴しても上原さんが引き下がるはずはない。

 

琉球新報が掲載拒否した理由は、上原さんの記事に「慶良間島の集団自決は軍命ではなかった」と明確に記載され、琉球新報が当時キャンペーンを張っていた「軍命説」に真っ向から反旗を翻す内容だったからである。

 

「異論を許さぬ全体主義」を代弁する琉球新報社としては、編集権の濫用という禁じ手を犯してでも「言論封殺」しておきたかったのである。

 

公判では読み上げられなかったが、昨日法廷に提出した上原さんの陳述書(日付は1月20日)を全文紹介する。

 

例によって強調部分は引用者が施した。

 

                 

                         陳述書 

2012年1月20日 

上原正稔 

 

 ぼくはこれまで赤松嘉次さんと梅澤裕さんが住民の集団自決を命じたことは全くない、と証明してきたつもりだ。「住民の集団自決」の裏には戦後の援護法という本来、軍人と軍属だけに適用される法律の拡大適用があることを指摘した。

 昭和二十七年八月引揚援護局援護局援護課が編集した『戦傷病者・戦没者=遺族援護のしるべ』と題する本の沖縄県に関する要点を整理してみよう。この本に200の問答集があり、具体的に問題が理解できるようになっている。

 昭和二十七年四月三十日戦傷病者戦没者遺族等援護法(以下援護法)が制定公布された。援護法の第一条はこの法律が「軍人軍属の公務上の負傷もしくは疾病又は死亡に関し、国家補償の精神に基づき、軍人軍属であった者の遺族を援護することを目的とする」ものであることを明らかにしている。戦没者遺族の援護については、遺族年金と弔慰金の支給がある。遺族年金の支給については公務についている時期の死亡が要件であるが、弔慰金については太平洋戦争開始(昭和十六年十二月八日)後、敗戦調印日(昭和二十年九月二日)前に死亡し、政令に定めている戦地における戦時災害によるものでなければ、遺族年金も弔慰金も支給されない、とするものであった。(※引用者注1)「戦地」には内地は含まれず、満州、台湾、朝鮮も含まれないが南西諸島は含まれていた。従って沖縄県も最初から援護法の「戦地」に指定されていたことがわかる。

 そして、自殺した軍人軍属については、自殺が公務によるものと認められたときは、遺族年金が支給されるが、公務によるものであるかどうかは、具体的な事例に基づいて個々に判定する他はない、と問答集は述べている。一般邦人で軍隊と共に玉砕した者の遺族については軍の要請により戦闘に参加して玉砕したものであれば遺族年金と弔慰金が出されるが、戦闘により玉砕した者であるか否かは、種々の方面より調査され、決定される、と問答集は述べている。なお、遺族年金は、生活保障的な意味で支給される年金であるが、弔慰金は弔慰の意味で支給される一時金で国債であることを指摘しておこう。

 遺族年金にしろ、弔慰金にしろ、戦没者が軍人軍属であることが絶対不可欠の条件であった。

 援護法の軍人とは陸海軍の現役、予備役、召集され、あるいは志願によって軍に編入された者、予科士官学校、など軍と関係する各種学校の生徒であって軍人でない者も含まれる。また警察関係者も含まれる。

 援護法で軍属とは陸海軍から正規に給料、報酬を受けていた雇用人を言う。戦時中、軍属と呼ばれていても、軍から直接給料、報酬を受けていない者は軍属ではない。

 一方、一九五一年(昭和二十六年)九月八日サンフランシスコで国際連合国の対日平和条約が締結され、翌五二年四月二十八日条約は国会で批准された。(この二日後に援護法が発行されたことになる。)(※注2)この条約により沖縄は日本から完全に切り離され、公式にアメリカの統治下に置かれ琉球政府が生まれることになった。しかし援護法は沖縄にも適用されることになっていたから、翌一九五三年四月一日から琉球政府援護課に予算が下ろされ、照屋昇雄氏ら元軍人五人が各地に派遣され、調査が始まった。照屋氏は渡嘉敷村で戦没者の調査を行ない、次のように証言している。「村民は集団自決について語ってくれたが、赤松隊長が自決を命令した、と述べる者は一人もいなかった。」 援護法を厳格に適用すれば、渡嘉敷村では軍人、軍属を除いて集団自決者の遺族は遺族年金も弔慰金も受けることはできなくなる。そこで、照屋氏は上司の指示の下に村長と謀り、赤松隊長の命令で集団自決が行われた、とする調査報告書を提出した。

 二〇〇五年八月五日の産経新聞は照屋氏が涙ながらに文書偽造したことを認める記事を載せたのだ。その記事中で照屋氏は「赤松さんの名が出るたびに胸が痛んだ。赤松さんは立派な人だ。自決を命じておりません」との旨の証言をしている。新報、タイムスはこの重要記事を無視した。座間味村でも全く同様に事が進んだ。

 一方、野田隊長が直接指揮する阿嘉島では彼の厳格すぎるほどの指揮の下、集団自決はなかったが、隣の慶留間島では集団自決が行われた。ここでは詳しいことは省くが、野田隊長は八月下旬投降し、収容された屋嘉収容所で朝鮮人軍夫らに袋叩きのリンチに遭ったが、梅澤隊長は朝鮮人軍夫らをアメリカ軍が上陸する前夜に解放していたから朝鮮人軍夫らは全員生き延び、彼らから感謝されたことを記しておこう。しかし、座間味では住民の集団自決が行われたのだ。集団自決とその後の背景について一九九五年六月二十三、二十四、二十五日の宮城晴美がタイムスで発表した「母の遺言-きり取られた自決命令」の全文をここに紹介しよう。この衝撃的なコラムは集団自決の謎を解く鍵をぼくに提供し、ぼくはこれを基に翌年、「沖縄戦ショウダウン」の長い注「渡嘉敷島で何が起きたのか」を発表した。だが、なぜか誰もその後この最重要記事に触れることはなかった。(つづく)

 

(※注1)
沖縄だけが、軍属以外の民間人に特例として「援護法」が適用されたのは、大田実少将(自決後中将)の海軍事務次官宛ての次の電文(昭和20年6月6日)の影響が大きいと考える。

 「沖縄県民かく戦えり!」

「県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを!」

ちなみに大田少将の自決場所、海軍壕は何故か修学旅行の「平和学習」のコースから外されている。

(※注2)
米軍統治下ではあっても、法的には沖縄住民は「日本国籍のまま」(潜在主権)で、沖縄は長期リースの形にして欲しいと希望した昭和天皇の御配慮のおかげで、「援護法」という日本の法律が適用され、文部省教科書を使用し、教科書の「無償措置法」もいち早く沖縄に適用されていた。
 

(反日左複合体の論者は、この昭和天皇ご配慮を「自分の命乞いのため沖縄を米国に売り渡した」などと喧伝している)

             ☆

第5回公判終了後、支援者は護国神社の事務室に移動し、徳永弁護士、上原さんより裁判の経緯の解説と、今後の方針の説明が有り活発な質疑応答もあって傍聴者の関心の高さを物語った。

 なお次回第6回公判は3月13日(火)の午前10時30分より那覇地裁で行われる予定である。

昨日の公判は琉球新報の記者と総務部長が傍聴していたが、おそらく記事にはしないだろう。(笑)

 

 

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なお次回の第6回公判時には、日頃お忙しいご支援者の皆様のため日曜日を利用して「沖縄の言論封殺と沖縄戦」をテーマにした講演会を計画しております。

詳細が決まり次第改めて御案内いたします。

 

【付記】

八重山日報に、上原正稔さんの「琉球新報に対する『言論封殺』の戦い」について小論を寄稿いたしました。

1月23日より3回2回に分けて連載の予定です。

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言論封殺への挑戦!

2012-01-24 07:09:33 | ★パンドラの箱訴訟

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本日午前10時30分から「パンドラの箱掲載拒否訴訟」の第5回公判が那覇地裁で行われる。

11時30分から奥武山公園内・護国神社事務所で裁判の報告会を催しますので、どなたでもご自由にご参加下さい。

既に説明したように、この裁判は建前は上原正稔氏の琉球新報に対する損害賠償請求の体裁をとっているが、実質上の争点は琉球新報による「言論封殺の有無」であり、さらにその裏に潜む最大の争点が、慶良間島の集団自決における「軍命の有無」であることは言うまでもない。

現在被告側は、掲載拒否の理由は「軍命論争」のようなイデオロギーの問題ではなく、上原氏の原稿が以前発表したものと類似であるから掲載拒否した、と反論している。

上原氏のような沖縄戦のノンフィクション作家が沖縄戦に関して、書くたびに内容が違うほうがおかしいのであって、過去に書いた沖縄戦記と同じだから掲載拒否する、しかも読者が一番知りたがっている「慶良間で何が起きたか」の部分に限って掲載拒否したことは、その内容が琉球新報のイデオロギーと異なるから、と自ら吐露したようなものである。

当時上原氏の連載記事を読んでいた読者なら誰でも、琉球新報が社の方針として「異論は認めない」イデオロギーで軍命を否定した上原氏の原稿を掲載拒否した、と直感しただろう。

そう、上原正稔氏は今回の裁判で、沖縄のメディアに張り巡らされた「異論を許さぬ全体主義」に挑戦しているのである。

被告側は、上原氏が踏み込んだ「言論封殺」「慶良間島の集団自決」の論点から逃げるように、「同じお原稿だから掲載拒否した」とオウム返しの答弁をしているのがこれまでの経緯である。

琉球新報の苦し紛れの答弁を覆す証拠は山ほど有るが、これは公判が進むに連れて徐々に読者の皆様にも紹介していきたい。

本日は上原氏が第2回口頭弁論で読み上げた陳述書を前文紹介する。

強調部分は引用者が施した。

            ★

心ある友人の皆様へ

 梅澤裕様、赤松嘉次様そしてご家族の皆様、長いことご迷惑をかけてまいりました。これまで沖縄の血を引く者として皆様のご心痛に何の力にもなれず、心からお詫びいたします。他人ひとに同情することは容易なことですが、他人ひとの力になれることは難しいことです。しかし、今、ぼくは琉球新報を訴えることによって梅澤様そして赤松様の長年の汚名を完全に晴らす機会を得て梅澤様、赤松様の力になれることを心から喜んでおります。
 ご両家の方々はお二人のことを誰よりもよくご存知のことでしょう。梅澤裕様そして赤松嘉次様が立派な紳士であることは火を見るより明らかですが、なぜ、お二人が“極悪非道の軍人”のそしりを受けることになったのか、裁判の中で一点の曇りもなく明らかにする所存です。皆様もよくご存知のように、その裏には戦後の援護法というものが深く関わっております。沖縄は戦後、軍人の援護法を民間人にも拡大適用された唯一の県であり、民間人の中には“集団自殺”をした者も含まれております。そして家族を殺して生き残った者たちが援護金を受けるという実におぞましい悲劇を招いているのです。そのために“赤松隊長と梅澤隊長が集団自決を命令した”と嘘の報告をしなければならなかったのです赤松様、梅澤様はそれをよく承知しながらも、慶良間の住民に迷惑をかけまいと、そのことだけは口に出せなかったのです。赤松様と梅澤様が“極悪人”のレッテルを貼られていかに“耐え難きを耐え、忍び難きを忍ん”でこられたか、想像を絶するものがあります。
 その責任は真実を知る慶良間の人々だけでなく、沖縄県庁、政府の厚生省にあります。特に、真実を報道すべき新聞社や反戦平和を唱ずる偽善者の学者先生らの責任は大です。ぼくはひとりの沖縄人として、裁判の場でこのことを明らかにするつもりです。ぼくはひとりの小さな人間ですが、自分の歴史的に重大な役割は十分に認識しております。このことによって梅澤様、赤松様の汚名が完全に晴れ、ご家族の胸のつかえがなくなる時、ご両人とご両人のご家族の真の友人になれるものと考えております。
 梅澤裕様の奥様、ご主人をこれからも大事にして下さい。ご子息様もお父様をご自慢下さい。赤松秀一様、晴子様、お兄様の赤松嘉次様を誇りに思って下さい。ご息女の加代子様、お父様をいつまでも敬愛し続けて下さい。ここにおられる皆様も梅澤家、赤松家の人々をしっかり支え続けて下さい。ありがとうございました。

2011年7月2日
沖縄という不条理に満ちた島から敬意を込めて
上原正稔

            ★

 

琉球新報の言論封殺と捏造報道に敢然と戦いを挑んでいる上原正稔さんをご支援下さい。

■カンパ協力のお願い■

琉球新報の言論封殺に対し、徒手空拳で戦いを挑んでいるドキュメンタリー作家上原正稔氏の「パンドラの箱掲載拒否訴訟」の第5回公判は年が明けて1月24日(火)の予定です。

これまで皆様のカンパにより戦いを継続してきましたが、沖縄のマスコミから村八分状況の上原氏は現在闘争資金に不足をきたしています。

担当弁護士の先生も手弁当で支援して下さっていますが、打ち合わせ等をするにも交通費・滞在費等の出費を無視できません。

沖縄の閉塞した言論空間に戦いを挑んでいる上原さんの訴訟にカンパ協力をお願いしております。

三善会は、平成23年1月31日に上原正稔氏が琉球新報社を提訴した裁判「パンドラの箱掲載拒否訴訟」を支援する為、皆様の支援金のご協力のお願いを致しております。

支援金は、裁判の支援・報告会・講演会等の開催や広報活動等に活用させて頂きます。
振込手数料につきましては振込者にてご負担下さるようお願いします。

 

【付記】

八重山日報に、上原正稔さんの「琉球新報に対する『言論封殺』の戦い」について小論を寄稿いたしました。

本日(23日)より三回に分けて連載の予定です。

これを機会に八重山日報のご購読を「勝手に」お勧めいたします。

狼魔人

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 上原正稔を支援する三善会にご協力をお願いします。

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ゆうちょ銀行からの振込の場合
【金融機関】ゆうちょ銀行
【口座番号】記号:17010 口座番号:10347971
【名  義】サンゼンカイ.
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経過報告、パンドラの箱掲載拒否訴訟の

2012-01-23 20:00:56 | ★パンドラの箱訴訟

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    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

三善会事務局より、「パンドラの箱掲載拒否訴訟」の経過報告。

 厚いご支持ご支援を頂いております、狼魔人様並びに本日記の読者の皆様の御陰で上原正稔氏の裁判は、被告側の守備戦線を突破して、順調に進撃を進めております。既に狼魔人様のレポートによって裁判の経緯をご理解頂いておられる事と思いますが、争点となっている点を事務局よりご報告申し上げます。

琉球新報が上原正稔氏の「パンドラの箱を開ける時」の第二話「慶良間で何が起きたのか」(集団自決の真実)を掲載しなかった理由は、①過去に書いたものと同じ文章を出したからという事、②掲載を180回で打ち切ったのは、連載開始前に150回程度の契約だった事、③連載を締めくくる181回目の文章を掲載しなかったのは、①と同じ理由の三点としているが、この何れも全くの出鱈目、嘘、犯罪行為の隠蔽の為の作り言です。事実は、次の通りです。

ドキュメンタリー作家の上原正稔氏の作風は、事実を積み重ねながら、そこから真実を追求するという手法です。創作の小説ならいざ知らず、作品がドキュメントである限り、沖縄戦というジャンルで毎回新しいものが出せるはずもありません。ましてや、掲載を拒否された原稿は、当時渡嘉敷島に斥候上陸した元米軍人のグレンシアレス氏の手記「沖縄戦ショウダウン」からの抜粋文章です。

問題の文章は、1996年 6月から琉球新報に掲載したものとほぼ同じ内容の文章で2007年 6月の「パンドラの箱を開ける時」の第2話に掲載しょうとしたものです。しかしながら、新たに書き加えられた説明文によってその意味するところは全く違ってしまうものとなっています。

すなわち、グレンシアレス氏の手記に登場する渡嘉敷島の集団自決の現場で目撃されている日本軍人は、新たに加えかれた説明文では、後に彼らは、実は軍人ではなく、防衛隊員であった事が明らかになったという事実です。以前同じ文章を読んだ人も、新たに明らかとなった説明文の挿入で新たな真実を知る文章となっています。故に、琉球新報が掲載拒否する理由にはなり得ません。

第2の理由としている連載回数ですが、上原氏の連載は過去にも琉球新報と回数を取り決めした事も無ければ、「パンドラの箱を開ける時」を連載する時も連載の終了時期が事前に決められていたことはありません。事実は、上原氏に一任されていたのであり、その証拠に被告側の途中からの連載の責任者前泊氏の反論となる準備書面には、50回から70回程度(15週間)と記し、裁判所に提出する前に50と 70に 1という文字を手書きで慌てて加えて、150回 ~170回にしているが、15週はそのままになっている。悪い事はすぐばれるという良い例である。

第3の理由としている181回目の連載の終了を告げる文章では、慶良間の守備隊長だった赤松嘉次氏と梅澤裕氏は自決命令を出してはおらず、両守備隊長の汚名を晴らさなければ沖縄県民は人間としての尊厳性を失いと警鐘を鳴らすものとなっています。

2007年の歴史教科書問題で「軍命」があったという論陣を張っていた琉球新報にとって、上原正稔氏の「慶良間で何があったのか」(集団自決の真実)は、絶対に出したくない文章であった事は、明らかです。それが証拠には、2007年3月から2011年 9月の4箇月間に琉球新報に掲載された集団自決関連記事や社説の総数は、354もありながら、集団自決に「軍命」は無かったとする識者の論文や当事者の証言は、全く(0)掲載されていません。これだけでも、状況証拠は十分に琉球新報社が「軍命」があったという報道のみを行うという社の方針で、掲載を拒否した事を示してますが、更に致命的な状況証拠が実は後幾つもあるのです。

この致命的な状況証拠については、これからの口頭弁論で明らかにされます。

5回の口頭弁論は、明日(124日)午前1030分より、那覇地裁にて行われます。また、その後の報告会は、1130分より奥武山護国神社社務所2階会議室にて行いますので、ご都合の付く限り参席を賜りますようにお願い申し上げます。

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言論封殺との戦い!上原正稔の挑戦!

2012-01-23 07:55:41 | 県知事選

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明日2月24日(火)、午前10時30分より「パンドラの箱掲載拒否訴訟」の第五回公判が那覇地裁で行われる。

この訴訟はドキュメンタリ作家上原正稔氏が、琉球新報の「言論封殺」を訴えるという前代未聞の裁判であるにも関わらず、これを知る県民はほとんどいない。沖縄の2大紙、琉球新報と沖縄タイムスが、自分たちにとって「不都合な真実」は、決して報道することはないからである。

だが、いくら言論封殺が得意の琉球新報といえども、自分が言論封殺で訴えられた事実を報道しなかったら、それこそ言論封殺の証明になってしまう。

そこで、被告の琉球新報は翌2月1日、次のようなベタ記事でお茶を濁した。

≪「連載掲載拒否」本紙を提訴

表現の自由を侵害されたなどとして、那覇市のドキュメソタリー作家、上原正稔さん(68)が1月31日、琉球新報社を相手に慰謝料など約1千万円の損害賠償を求める訴訟を那覇地裁に起こした。
2007年5月から琉球新報タ刊で連載された「パンドラの箱を開く時」をめぐり、琉球新報社から途中の原稿の掲載を拒否され、表現の自由侵害などで精神的苦痛を被ったと主張している。
琉球新報社は「連載を一方的に止めた事実はない。従って『表現の自由の侵害』には当たらないと認識している」としている。 (琉球新報 2011年2月1日)
 ≫

この裁判は表面上は「連載掲載拒否」をめぐる損害賠償請求となっているが、原告側は被告側の掲載拒否を言論封殺と認識しており、その裏に潜むのは沖縄戦における慶良間島の集団自決の「軍命の有無」である。

上原氏は、通常は双方の弁護士による書類の確認で終わる初回口頭弁論で、いきなり隠れた争点である「軍命の有無」に切り込んできた。 裁判長に陳述の機会を得た上原氏は、「なぜ琉球新報を訴えたか」と題する文書を読み上げた。

「掲載拒否したのは、過去の上原氏の作品と重複したから」と主張し、争点を損害賠償責任の有無に逃げ込もうとする、琉球新報側に対し、上原氏は沖縄戦史の真実解明のための論争を真正面から挑んだのである。

上原氏が第一回会口頭弁論の冒頭で読み上げた陳述書を以下に全文紹介する。

          ☆

殺す時、癒やす時。

-上原正稔はなぜ琉球新報を訴えたか-

 一九六〇年代、ターン・ターン・ターンというロック音楽が一世を風靡した。その詩は旧約聖書の伝道の書の一節を使っていた。「天の下、神の創り給うたこと全てに季節があり、時がある。生まれる時、死ぬ時。種を植える時、実を収穫する時。殺す時、癒やす時。・・・」と始まっていた。その頃は「殺す時、癒やす時」という表現が奇異に思えたことを想い出す。人を殺して、癒されるのか、というのが率直な想いだった。
 あれから半世紀近い年月が経ち、今、梅澤裕氏と故赤松嘉次氏の弟秀一氏が「二人の命令で慶良間の集団自決が起きた」と決めつけている大江健三郎氏と岩波書店を名誉毀損罪で訴え、去る四月下旬最高裁の上告棄却で一応結着がつけられた。つまり「二人が“集団自決”を命令したという真実性の証明はないが、それが事実でないことが明白だとまでは言えず、出版当時の昭和四十年代には真実だと信じる相当な理由があった」という、実にあいまいな情けない結論で収まった。琉球新報も沖縄タイムスも「勝った、勝った」と騒ぎ立てているが、その理由は彼ら自身もこの問題に深く関わっているからだ。「赤松、梅澤は集団自決を命令した極悪人だ」と初めて発表したのは沖縄タイムスのロングセラー「鉄の暴風」であるし、琉球新報はいつもアッと驚く真実を発表しているドキュメンタリー作家上原正稔から集団自決に関わる著述で憲法上の表現の自由侵害と著作権侵害の罪で訴えられているからだ。上原正稔は既に1996年6月に琉球新報紙上で『沖縄戦ショウダウン』を発表し、その中で「赤松嘉次さん梅澤裕さんを集団自決を命令した極悪人」と書いた沖縄タイムスとそれを信じた沖縄の人々の罪は限りなく重い。我々は「二人にきちんと謝罪すべきだ」と糾弾しているのだ。その時は上原を非難する声は新報社にも皆無で、多くの人々は「よくぞ書いてくれた」と賞賛してくれたものだ。上原は2009年5月号の『うらそえ文藝』で前記裁判の原告弁護団は『鉄の暴風』を発行した沖縄タイムスを訴えるべきだった、と指摘したが、タイムス、新報とも『うらそえ文藝』を完全に黙殺した。上原は2007年6月連載中の「パンドラの箱を開ける時」の第2話「慶良間で何が起きたのか」でアメリカ軍の資料、アメリカ兵の目撃証言、そして海上挺進第三戦隊の陣中日誌、座間味、渡嘉敷の事件の本質を知る証人、そして集団自決が皆無だった阿嘉島の野田隊長の証言などを基に四、五十回にわたって慶良間の集団自決の実相についてこれまでで最も詳細な物語を伝える予定にしていたが、新報編集部の不当な介入でその執筆を中断され、赤松、梅澤両氏の汚名を完全に晴らすことができなくなった。
 そこで去る一月三十一日、上原は琉球新報を憲法の表現の自由侵害と著作権侵害による損害賠償請求の訴訟を那覇地方裁判所に出したわけである。まさか上原が訴訟に出るとは夢にも思っていなかった(つまり、傲り高ぶっていた)新報幹部は“黙殺”という最も低俗愚劣な手段でこの問題に対処しようとしている。しかし、法廷に出された以上、この事件は遅かれ早かれ一般大衆の知る所となるのは目に見えている。しかも、上原が相手にしているのは琉球新報だけでなく、“反戦平和”を隠れみのに言いたい放題、やりたい放題を続けているマスコミとそれに媚びている文化人という名の偽善者たちだ、ということだ。
 上原が今、行なおうとしていることは実は無視できることではなく、沖縄の新聞史上、文化史上、空前絶後のことだ、と言ってよい。ひとりの人間が沖縄の全メディアの顔に泥を塗ろうとしているからだ。“一体マスコミは何をしているのか”と問い、しっかりしろ、とマスコミの尻を叩いているのだ。
 さて、本題に戻ろう。沖縄戦の中で多くの住民が“集団自殺”をした。“集団自殺”とはありとあらゆる手段で親が子供を殺し、子が親を殺し、住民同士が殺し合ったことを指すが、ここでは『鉄の暴風』が使った“集団自決”という言葉を使うことにしよう。今、沖縄の人々に問われるのは、軍の関与があったかもしれないという理由で赤松さんと梅澤さんを極悪人扱いのままにすることが許されるのか、ということだ。裁判の中でも明らかにするが、赤松さんと梅澤さんは集団自決を命令するどころか、止めようとしたのである。野田隊長の第二戦隊が駐留する阿嘉島では集団自決は全く発生していないことを指摘する者はいない。軍人のいない前島では集団自決は発生していないが、同じく軍人のいない屋嘉比島では住民の集団自決が発生していることを知る者はほとんどいない。軍人がいたから集団自決が発生したのではない。この集団自決問題には実は、戦後の援護法が深く関わっているのだ。詳細は裁判の中で明らかにされるだろうが、集団自決した者、つまり殺された者の遺族(殺した者)は戦後、今に至るまで莫大な援護金を取得しているが、そのためには軍命令があったと厚生省に嘘の報告をする必要があった。これを隠すために赤松、梅澤両氏に集団自決を命令したとする汚名を着せる必要があったのだ。この簡単な事実を無視して、つまり、臭いものにフタをして赤松、梅澤両氏を極悪人に仕立てて、援護金を取り続けている者に癒やし、すなわち救いはあるのだろうか。また、その事実を無視し続ける琉球新報、沖縄タイムスを始めとするマスコミは許されるだろうか。今、マスコミだけでなく、沖縄そのものの良心が問われている。
 この訴訟で原告上原正稔には何の利益があるだろうか。利益は一切ない。彼は社会の不正義を許せないのだ。最後に一言、付け加えるとすれば、彼は一フィート運動の生みの親であり、平和の礎の生みの親である、ということだ。しかし、今、一フィート運動は事実上崩壊し、平和の礎は無制限に刻銘を増やし、戦前の人口をはるかに増やさねばならない、というとんでもない事態を招いていることを指摘しておこう。この二つの運動は上原がいなければ生まれなかったし、そのデタラメな設立と運営は別の裁きの場で明らかにされるだろう。

2011年5月吉日
上原正稔 記

                      ☆
 
明日で「この裁判も第5回公判を迎えるが、地元紙である琉球新報、沖縄タイムスは第1,2、3,4回の口頭弁論の時も裁判を傍聴し、公判終了後は上原正稔氏に取材をしている。

だが、集団自決論争では同じ穴の狢とも言える地元2紙は、2月1日のベタ記事以降、続報を一切発表していない。

極悪複合体(反日左翼複合体)の主要構成員である地元2紙は、八重山教科書騒動でも示したように「不都合な真実」は一切報道しない。

報道の自由を悪用した「報道しない自由」といったところだろう。 「報道しない自由」といえば聞こえはいいが、これは読者の知る権利の封殺であり、報道の自由を標榜する新聞が自ら「言論封殺」を実行したことに他ならない。

ということは琉球新報を上原氏の連載中の沖縄戦記「パンドラの箱が開く時」の目玉部分といえる「慶良間で何が起きたか」削除されたまま、連載を読んだ読者こそ一番の被害者といえるのではないか。

連載中の2007年当時、読者の一番知りたかったことは連日新聞を賑わしていた「慶良間の集団自決は軍命か否か」の一点であり、それを欠いた沖縄戦記など気の抜けたビールのようなもの。

言論封殺された記事を読まされた読者は、ぼったくりバーで高い金を払って気の抜けたビールを飲まされた「間抜けな客」のようなものである。

その意味では「パンドラの箱掲載拒否訴訟」は琉球新報の全読者と琉球新報の「言論封殺」の戦いということが出来るし、上原正稔氏は全読者を代表して琉球新報に言論封殺の戦いを挑んでいることになる。

■琉球新報の言論封殺との戦

歪曲・捏造報道だけではあき足らず、「言論封殺」を公然と行っても恥と考えない傲慢不遜の琉球新報に対して、ドキュメンタリー作家上原正稔さんが、言論封殺への戦いを挑んでいます。

琉球新報の言論封殺と捏造報道に敢然と戦いを挑んでいる上原正稔さんをご支援下さい。

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これまで皆様のカンパにより戦いを継続してきましたが、沖縄のマスコミから村八分状況の上原氏は現在闘争資金に不足をきたしています。

担当弁護士の先生も手弁当で支援して下さっていますが、打ち合わせ等をするにも交通費・滞在費等の出費を無視できません。

沖縄の閉塞した言論空間に戦いを挑んでいる上原さんの訴訟にカンパ協力をお願いしております。

三善会は、平成23年1月31日に上原正稔氏が琉球新報社を提訴した裁判「パンドラの箱掲載拒否訴訟」を支援する為、皆様の支援金のご協力のお願いを致しております。

支援金は、裁判の支援・報告会・講演会等の開催や広報活動等に活用させて頂きます。
振込手数料につきましては振込者にてご負担下さるようお願いします。

 

【付記】

八重山日報に、上原正稔さんの「琉球新報に対する『言論封殺』の戦い」について小論を寄稿いたしました。

本日(23日)より三回に分けて連載の予定です。

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負け犬の遠吠え!発狂新聞が

2012-01-22 07:22:39 | 八重山教科書採択問題

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昨日の琉球新報が八重山教科問題で大騒ぎしている記事を見た。

この時期にピント外れの大騒ぎしても負け犬の遠吠えか、ごまめの歯軋りにしか聞こえないが、ジョークとしては充分楽しめるので、無視しようかと思ったのだが・・・。

本日(22日)は沖縄タイムスが「玉津改革の根拠崩壊」などと騒ぎたてている。

沖縄タイムスは昨日はスルーしていたので、少しは正気に戻ったかと思われたが、見出しはこれ。

全図書順位付け資料存在

八重山教科書問題
玉津氏改革根拠崩れる資料

やはり一旦発狂した脳ミソが元に戻るには長期入院による加療が必要だし、マブイを落としている場合は龍神マブヤーに加持祈祷してもらう必要があるようだ。

【追記】1月23日
≪琉球新報に一日遅れで記事にした沖縄タイムスだが、さすがにウェブ記事では「玉津氏改革根拠崩れる」という恥ずかしい見出しは削除しているようだ。 本当に「改革根拠崩れる」だったら、一面トップで吼えまくっていたはずだが、目立たない記事にしたのは「負け犬の遠吠え」と自覚していたのだろう。(爆)≫

八重山教科書 順位付け資料が存在 採択協で廃止の根拠崩れる

琉球新報 2012年1月21日   

   【石垣】石垣市教育委員会は20日までに、2011年度から使用する小学校の教科書を調査し、全社を順位付けした「平成23年度使用小学校教科用図書採択について」と題する文書を市民の情報公開請求に対して公開した。市教委はこれまで全社を順位付けした資料は「不存在」で、1位のみ報告した資料などを基に「1種絞り込み」が行われていたと主張。12年度から中学校で使用する教科書を選定する教科用図書八重山採択地区協議会が順位付けを廃止した根拠にしていた。
 市教委によると、文書は昨年11月2日に文書整理をした際には出てこなかったが、その1~2週間後に教科書担当者の書庫で見つかったという。
 これまで市教委は市民の情報公開請求に各教科ごとに1位のみの報告書がつづられたファイルのみを開示。11年度使用の調査を担当した調査員から全社の報告書を出したと聞いていたが、報告書が見つからないと説明していた。
 全社を順位付けした資料が見つかったことについて、玉津博克石垣市教育長は「協議会と調査員が諮問、答申の関係だったことは変わらない。全社の報告書があったとしても、協議会には1位しか報告されていない」と話し、順位付け廃止の根拠は崩れていないとの考えを示した。
 情報公開を求めていた市民は「去年の文書がこれまで見つからなかったのは文書管理の面からしてもおかしい。順位付けを廃止するために意図的に隠していたのではないか」と指摘した。

          ☆

 調査員(教員)による1位指名で一種絞込みをしている他に、順位付けした資料が発見されたというのだが、これで琉球新報、沖縄タイムスが狂気乱舞する意味が理解できない。

発狂新聞から情報を得ている読者は、2紙の狂喜乱舞の記事を見て「玉津教育改革の根拠が崩壊した」と、印象操作されるだろうが、玉津氏は元々「絞込み」と「順位付け」を是正するために教育改革を目指したはずだ。

無いと思っていた「順位付け」の資料が見つかっただけではないか。

従来の違法な調査員(教員)の「順位付け」の資料が見つかったのなら、むしろ玉津改革の正しさの証明ではあり、間違っても「玉津改革の根拠が崩壊」ではない。

これくらいは小学生でもわかる理屈だ。

琉球新報と沖縄タイムスの「玉津氏改革の根拠が崩壊」という負け犬の遠吠えは、普通の読解力のある人なら次のエントリーを読めば一目瞭然である。

続・検証 玉津改革㊥ 

 

 ついでだからコピペしておくが、調査員(教員)が事実上教科書選定していたという「動かぬ証拠」を八重山日報が報じていた。

だが、発狂3紙はこれを「不都合な真実」として隠蔽した。 

従って発狂3紙の読者は、上記記事のようなごまめの歯軋りを見ても「玉津改革の根拠崩壊」などと誤誘導される可能性がある。

まことにお気の毒である。

以下は特ダネ!教師の越権行為を告発!八重山日報がの抜粋である。 

2011年8月17日付 八重山日報

小学校教科書

<規約違反の可能性も>

昨年は調査員が“選定”か

昨年行われた小学校教科書の選定作業で、教科図書八重山地区採択区協議会の調査員(教員)が、選定すべき教科書を一点に絞り込んで、協議会に答申していたことがわかった。 調査員が事実上、教科書を選んでいた実態をうかがわせている。 沖教組の山本隆司中央執行委員長は16日、今後事実確認するとした上で、「もしそうであれば、問題だと思う」との見解をしめした。 調査員には規約にない「採択調査員」という名称などが与えられるなど、昨年の教科書選定作業が規約を逸脱していた可能性も浮上した。 

沖教組委員長「事実なら問題」

玉津博克教育長は「現場の教員だけで教科書を決定するのは問題だ」として、調査員が各社の教科書を「順位付け」することを廃止。 昨年の教科書選定作業の実態は、教育長の主張を裏付けるものになりそうだ。 昨年の教科書選定作業では、9教科で3人ずつの教員が、教科書の調査員(当時は調査委員)として、協議会長から任命された。調査員は協議会の「諮問」を昨年6月24日に受け、教科書を調査研究して、同年7月14日に「答申」した。 協議会に提出された答申書には「平成23年度用小学校教科用図書採択について」というタイトルがついている。 しかし、当時の規約では、調査員に対する「諮問」「答申」という形式は規定されていない。 答申書は、「採択調査委員」3人の連名になっており、「採択教科署」の欄に絞り込んだ教科書一点を記入、その下には「採択理由」の欄があり、その教科書を選択した理由を記する書式になっている。
「採択調査委員」「採択教科書」「採択理由」という書式も規約にはなく、調査員に採択権採択権限を与えたような印象を持たれかねない。 
沖教組の山本委員長によると、他地域では調査員が教科書を2~3点に絞り込んだ上で、協議会に判断をゆだねている。 山本委員長は16日の記者会見で「教科書を一つに決める権限は現場の調査員にはない。 今後調べてみるが、もしそうであれば問題だと思う」と述べた

         ☆

心優しき八重山日報は「規約違反の可能性も」と婉曲に報じているが、これは明らかな規約違反、法令違反に間違いない。

この特ダネ記事には違法行為の証拠である一枚の書式の写真が添えられ、次のように説明されている。

昨年の小学校教科書選定作業で、調査員が提出した答申書の書式。

採択調査委員」「採択教科書」などの欄がある。

 八重山日報は教師の教科書採択に関する教師の違法行為の動かぬ証拠をバッチリ押さえた上での特ダネ報道のようである。

 他の地域でもやっている違法行為の証拠書類を石垣地区に限って残していた理由は、長期左翼政権の腐敗にある。

ペンギン前市長の息の掛かった教育関係者が、長年の極左政権に染まった結果、馴れ合いで気が緩んでいたからと推測できる。

 この件に関して他の教育区でも同じような違法行為が行われている、と玉津会長が8月13日付沖縄タイムスインタビュー記事で、次のように発言している。教科書の採択権は本来、教育委員会にあるが、昨年の小学校の選考時には、「採択調査員」が「採択教科書」「採択理由」を報告していた。 「採択」という冠が付けられ、協議会や教育委員会に対する拘束性を持っていた。教科書は協議会の権限と責任で選ばなくてはならない。 教員の専門性は順位のない複数推薦制度で吸い上げたい。≫(8月13日沖縄タイムス 【2教育長インタビュー】)

 教員がこれまで教科書の採択権限を行使していたという八重山日報の特ダネは、沖縄タイムスも認める紛れもない事実である。(17日社説)

 沖教組委員長は、沖縄県内ではそのような実態はないと言っているが、石垣市教育委員会の調査では、事実上調査員の順位付けがそのまま採択となっている。

 山本委員は、この件で質問した八重山日報の記者に対して、「事実なら問題」と答えている。  

笑わしてはいけない、山本さん。 八重山日報は証拠写真を載せての告発記事だ。 問題なのは当然だし、お仲間の沖縄タイムスも自白しているではないか。

八重山日報の取材に一応驚いて見せてはいるが、山本氏が驚いたのは「違法行為」そのものではなく、八重山地区の前協議会が証拠書類を几帳面に残していた事実なのだ。

 石垣市にまで指導に乗り込んだ県の教育委も、敵は本能寺ではなかったのか。
 
玉津会長に理不尽な言いがかりをつけるのは止めて、前教育長の関係者を芋づる式に洗うのが本来の職務ではないのか。

記事は、規約にない「採択調査員」などの文言を使った現場の教員が、教科書採択の権限を持っていた事実を指摘し、「規約違反」と報じている。

昨年の八重山地区の小学校教科書採択で、調査員(教員)が事実上教科書を選定していた。
 
これは教科書選定の規約を逸脱した明らかな違法行為である。
 
この事実は教育改革を目指す玉津石垣市教育長が再三述べてきたこと。
 
当日記にも複数の教育関係者からタレコミがあり、再三これに触れてきた。
 
だが、地方紙としての使命を完全に忘れ去った地元三紙は、沖教組ぐるみの教師の違法行為を黙殺し、相も変わらずの歪曲記事の連発で「全体主義」の護持に必死だ。
 
「不都合な事実」は報道しない。 
 
この合言葉で連帯する沖縄タイムス、琉球新報、八重山毎日新聞の三紙は、この事実を知っていながら知らない素振りのスルーを決め込んでいた。
 

        ☆

【拡散依頼】

沖縄タイムス、琉球新報、八重山毎日ら「発狂3紙」が「戦争賛美」「憲法無視」などと事実無根のデタラメ記事をたれながしているが、ほとんどの読者は育鵬社や東京書籍の教科書を自分の眼で確かめた人は極めて少ない。

そこで両教科書の問題の部分を読み比べてみるべく作成されたパンフレットの配布を八重山毎日に依頼したところ断られたという。  

「不都合な真実」を拡散されると困る、という簡単な理由だ。

同じく琉球新報や沖縄タイムスも拡散を恐れる「恐怖のパンフ」にはどのような事実が書かれているのか。

光と影さんがアップして下さいましたので、その一部を以下にコピペします。

コピペして拡散して下さいますようお願い申し上げます。

プリントアウトして配布のご協力も併せてお願いも仕上げます。

          ☆

 八重山の教育自治を守る会(鳩間昇代表)が作成したパンフレット(今月中に石垣市の全戸に配布予定)を入手できました。
石垣市の方はそのうちに配布されると思います。
待てない!という方や石垣市にすんでいないが読みたいと思われる方のために
勝手ながらスキャン画像を貼らせていただきます。



サムネール表示としていますのでクリックしていただければ拡大してお読みいただけると思います。

【追記】8:03

「オトシダレ見たか?ブログ」さんも拡散希望されています。

「八重山の教育自治を守る会」のパンフ、拡散!!

 

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