◆朝日新聞【社説】2007年03月31日(土曜日)付
集団自決―軍は無関係というのか
高校生が使う日本史教科書の検定で、沖縄戦の「集団自決」が軒並み修正を求められた。
「日本軍に強いられた」という趣旨の記述に対し、文部科学省が「軍が命令したかどうかは、明らかとは言えない」と待ったをかけたのだ。
教科書の内容は次のように変わった。
日本軍に「集団自決」を強いられた→追いつめられて「集団自決」した
日本軍に集団自決を強制された人もいた→集団自決に追い込まれた人々もいた
肉親が殺し合う集団自決が主に起きたのは、米軍が最初に上陸した慶良間諸島だ。犠牲者は数百人にのぼる。
軍の関与が削られた結果、住民にも捕虜になることを許さず、自決を強いた軍国主義の異常さが消えてしまう。それは歴史をゆがめることにならないか。
この検定には大きな疑問がある。
ひとつは、なぜ、今になって日本軍の関与を削らせたのか、ということだ。前回の05年度検定までは、同じような表現があったのに問題にしてこなかった。
文科省は検定基準を変えた理由として「状況の変化」を挙げる。だが、具体的な変化で目立つのは、自決を命じたとされてきた元守備隊長らが05年、命令していないとして起こした訴訟ぐらいだ。
その程度の変化をよりどころに、教科書を書きかえさせたとすれば、あまりにも乱暴ではないか。
そもそも教科書の執筆者らは「集団自決はすべて軍に強いられた」と言っているわけではない。そうした事例もある、と書いているにすぎない。
「沖縄県史」や「渡嘉敷村史」をひもとけば、自決用の手投げ弾を渡されるなど、自決を強いられたとしか読めない数々の住民の体験が紹介されている。その生々しい体験を文科省は否定するのか。それが二つ目の疑問だ。
当時、渡嘉敷村役場で兵事主任を務めていた富山真順さん(故人)は88年、朝日新聞に対し、自決命令の実態を次のように語っている。
富山さんは軍の命令で、非戦闘員の少年と役場職員の20人余りを集めた。下士官が1人に2個ずつ手投げ弾を配り、「敵に遭遇したら、1個で攻撃せよ。捕虜となる恐れがあるときは、残る1個で自決せよ」と命じた。集団自決が起きたのは、その1週間後だった。
沖縄キリスト教短大の学長を務めた金城重明さん(78)は生き証人だ。手投げ弾が配られる現場に居合わせた。金城さんまで手投げ弾は回ってこず、母と妹、弟に手をかけて命を奪った。「軍隊が非戦闘員に武器を手渡すのは、自決命令を現実化したものだ」と語る。
旧日本軍の慰安婦について、安倍政権には、軍とのかかわりを極力少なく見せようという動きがある。今回の文科省の検定方針も軌を一にしていないか。
国民にとってつらい歴史でも、目をそむけない。将来を担う子どもたちにきちんと教えるのが教育である。
◇
朝日新聞は沖縄の「集団自決」に関わる「岩波訴訟」のいわば被告側の当事者だ。
全ての発端となったのは沖縄タイムス社刊の「鉄の暴風」だが、
その初版は朝日新聞社から出版されており執筆者の一人牧港篤三(故人)さんも戦前は沖縄朝日新聞の記者だった。
「岩波訴訟」の被告の一人大江健三郎氏は「鉄の暴雨風」の記述を元に「沖縄ノート」(岩波書店)を出版したのだから、
大江被告よりは「鉄の暴風」」の記述内容にはより責任ある立場にある。
当然今回の教科書検定でも文部省の意見には反対の立場をとることは理解できる。
「軍命令あり派」の急先鋒沖縄タイムスとスクラム組んで「集団自決は軍の命令による」と煽り続けていたが、昨年辺りから論調が静かになってきた。
丁度「慰安婦問題」形勢不利と判断するや、これまでで愛用し続けていた「従軍慰安婦」の言葉を「いわゆる慰安婦」と言い換え始めた頃と時を同じにする。
「集団自決」問題でも形勢不利と判断したのか「軍命令があった」とは断定しなくなった。
今朝の社説のタイトル「集団自決―軍は無関係というのか 」でも最近の朝日の弱気が現れている。
「集団自決」は「鉄の暴風」を降らしたと言われる圧倒的物量に勝る米軍の総攻撃を直前にした村民があまりにも脆弱な日本軍の守備隊の状況にパニックになった結果だと当日記は推察する。
当然軍に無関係だとは言い切れない。
米軍の総攻撃を目前にパニックになって「集団自決」したとなると無関係とはいえないだろう。
朝日が言う「広義の関係」がここでも顔を出してくる。
「集団自決はすべて軍に強いられた」と言っているわけではない。
「自決を強いられたとしか読めない」
「軍隊が非戦闘員に武器を手渡すのは、自決命令を現実化したものだ」。
といった主張も裏返すと「軍命令は無くとも戦時中の行動は全て軍命令と同じ」だという理屈に支えられている。
だったら、貧弱な武器で島中を取り囲んだ米軍に決死で立ち向かおうとした梅沢、赤松の若き両司令官(座間味島と渡嘉敷島の)を「住民に集団自決の命令を下した極悪非道の男」として糾弾するいわれはないはずだ。
ましてや教科書に「集団自決」があった事はともかく「軍命令でやった」とは記載すべきではない。
この「直接の軍命令が無くとも命令と同じ」と言う理屈を最初に言い出したのは、安仁屋沖縄国際大学名誉教授である。
同氏は沖縄タイムス(2005年7月2日)の[戦後60年]/[「集団自決」を考える](18)
/識者に聞く(1)/安仁屋政昭沖国大名誉教授
・・・と言う特集記事http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu/jiketu
20050702.htmlで記者の質問に答えた次のように語っている。
-沖縄戦で起きた「集団自決」とは。
「天皇の軍隊と、それに追随する市町村役場の管理職や徴兵事務を扱う兵事係らの強制と誘導によって、肉親同士の殺し合いを強いられたのが『集団自決』の実態である」
「日本語で『自決』とは自らの意思で、責めを負って命を絶つこと。自殺の任意性や自発性が前提となるので、言葉本来の意味において、沖縄戦では『集団自決』はなかった」
-どのような状況下で起きたのか。
「『集団自決』は日本軍と住民が混在していた極限状態で起きている。沖縄戦は、南西諸島が米軍によって制海権も制空権も完全に握られ、民政の機能しない戒厳令に似た『合囲地境』だった。その状況下では、駐留する日本軍の上官が全権を握り、すべてが軍の統制下にあった。地域住民への命令や指示は、たとえ市町村職員が伝えたとしてもすべて『軍命』として住民が受け取るような状況があった」
「地域の指導者や住民たちは、日ごろから軍の命令は天皇の命令だと教えられてきた。皇民化教育によって魂まで身命を投げ打った。軍の足手まといになるなら、死を選ぶことが軍の手助けになるという考えが徹底的に植え付けられていた」
*
「地域住民への命令や指示は、たとえ市町村職員が伝えたとしてもすべて『軍命』」
と言ういわば「広義の軍命令」を言い出した安仁屋教授の理屈の根拠はどうやら『合囲地境』と言う聞きなれない言葉にあるらしい。
戦時中の沖縄を「戒厳令」状態と仮定しようとしたが2・26事件以来日本で戒厳令が引かれた例はない。
安仁屋教授はそこで日本の戒厳令においては、「臨戦地境 」と「合囲地境 」の2種類の戒厳地域区分が存在するということに着目した。
特に後者の「合囲地境 」 とは「敵に包囲されている、または攻撃を受けている地域で、一切の地方行政・司法事務が当該地域軍司令官の管掌となる」とあるのでこれを沖縄戦に適用しようと考えた。
だが、実際には日本では法制度上は存在してもこれが適用された例はない。
勿論「沖縄戦」にも「合囲地境」はしかれていない。
安仁屋教授個人が勝手に「合囲地境とみなした」に過ぎない。
この伝でいくと、沖縄だけではなく、1945年の日本列島全域、またソ連参戦後の樺太や千島列島は外形的には敵国に包囲され攻撃されているという合囲地境の条件を満たしており、樺太や千島で自決した住民も、いや日本国中で自決した人全てが日本軍の命令で死んだ事になる。
*
朝日は「軍命令はあった」と散々煽っていて自分は梯子を外して逃げの態勢に入った。
昨年のエントリー朝日の敵前逃亡 沖縄の「集団自決」 (2006年9月3日)で次のようなことを書いた。
同じ筆者ゆえ多少重複するが敢えて以下に引用する。
≪沈没船のネズミが事前に察知して船から脱出すると言う話と全く同じだ。
朝日社説は、慶良間諸島の集団自決に触れるが、あえて大江健三郎の名とその「沖縄ノート」の名を出して彼の言葉を引用するも、集団自決が日本軍(各島最上級官)の「命令」によるものだったかには巧妙に触れていない。
この時点で朝日は既にこれまで主張してきた「軍命令による集団自決論」が崩れ出していることをネズミの本能で嗅ぎ付けていた。
朝日お得意の「広義の解釈」で「軍命のあるなしは問題はでない」と論点すり替えのアリバイ作りのつもりなのだろう。
しかし、大江健三郎氏の「沖縄ノート」の引用で他人事のように逃げるのは卑怯と言うものだろう。
朝日新聞社は「集団自決」問題については第三者ではなく、当事者そのものなのだ。
ことの発端となった沖縄タイムス社刊行の「鉄の暴風」の初版は朝日新聞が出版している。
「鉄の暴風」の執筆者の一人牧港篤三さん(89)・元新聞記者は【沖縄タイムス<2002年6月12日>[戦への足音 6・23体験者が伝える「有事」](1)】で次のように語っている。
≪『鉄の暴風』で取材した体験者は二百人余り。初版は朝日新聞社で印刷され、二万部出版された。≫
沖縄タイムスの前身は「沖縄朝日新聞」であり「鉄の暴風」の執筆者牧港さんは沖縄朝日新聞の記者だったのだ。
その杜撰な記事を鵜呑みにして「軍命令があった」と声高に個人攻撃をしたのが「沖縄ノート」になるわけだから、朝日が社説で自社出版物を典拠した「沖縄ノート」をわざわざ引用に使うのは事情を知る者にとっては笑止千万な話だ。
ネズミは危機を察知した。
正に朝日の敵前逃亡だ。≫
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6月23日・朝日社説(1)
沖縄慰霊の日 悲劇と狂気を思い起こす
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
『沖縄の「慰霊の日」が今年も巡ってきた。太平洋戦争末期の沖縄戦で犠牲になった人々を悼み、平和を祈る日だ。80日余りの戦闘で亡くなったのは20万人を超える。狂気の世界というほかない。米軍に投降すればいいではないか。自殺することはない。いまの若い人たちはそう疑問を抱くだろう。 宮城さんは「皇民化教育は国のために死を惜しまないことを教えた。集団自決は敵を目前にした住民の必然的な行為で、国に死を強いられた」と語る。さらに住民は「米兵に捕まると、女性は辱めを受ける」などと、「鬼畜米英」の恐ろしさを信じこまされていた。米軍の上陸前、座間味島の住民は約600人だった。集団自決で命を絶った住民は135人にのぼり、その8割が女性や子供だった。慶良間諸島全体では犠牲者は700人になる。「鉄の暴風」と呼ばれた米軍の砲撃や空爆は、沖縄本島に上陸後も、さらに激しくなった。そこで米軍を迎え撃とうとする限り、おびただしい犠牲は避けられなかった。こうした沖縄戦の事実は沖縄では語り継がれているとはいえ、本土にとっては遠い土地の昔の話かもしれない。 慶良間諸島の集団自決について「沖縄ノート」に記した作家の大江健三郎さんは「沖縄戦がどんなに悲惨で、大きなことだったか。集団の自殺を頂点として、日本軍が沖縄の人々に大きな犠牲を強いたことを日本人の心の中に教育し直さなければならないと思う」と話す。すさまじい犠牲の末に、沖縄は米軍に占領された。それはいまもなお、広大な米軍基地というかたちで残る。沖縄戦の悲劇と狂気を絶えず思い起こす。それは日本の進む道を考えるうえで、苦い教訓となるに違いない。』 (朝日新聞)