狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

平和運動「家」がいる

2008-11-30 07:38:18 | 未分類

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「集団自決訴訟」では、思想的に反対の位置に立つグループがお互いに「歴史を捻じ曲げてはいけない」と批判しあっている。

沖縄では事実とは異なる作り話が、

あたかも真実のように語られる。

「平和を愛する琉球王国時代には殺人を意味する言葉は存在せず、戦争を好まない琉球には武器はなかった」

「命どぅ宝のように平和を象徴することわざが多い」

とりあえず、ざっと思いつくだけでもこの通りだが、いずれも真っ赤ななウソである。

「むかーし、むかーしの物語」として「日本昔話」のように語られるのなら罪もないが、

これが歴史事実としてイデオロギー塗れの太田昌秀元知事のような「識者」の口を通して、反日活動に利用されるとあっては、

「沖縄昔話」として看過するわけにいかない。

反戦平和ではメシは食えぬ 「命どぅ宝」では生きてはいけぬ!

何事にも例外はあるので、特殊な一部の人は除くが、世に平和を望まない人はいない。

言葉を変えれば、誰も自分の息子を戦場に送りたくないし、

誰も「教え子を戦場に送りたくない」。(日教組のスローガン)

ところが自分の都合のいいモノに「平和」の文字を冠して議論する勢力がいる。

あたかも対立するグループは「好戦勢力」であるかのように。

いわく「平和団体」「平和運動」「平和憲法」・・・・。

「平和の海」に「平和省」、・・そう、「平和船」があった!

沖縄・修学旅行における「平和教育」

 

最近では「平和」は、むしろそれを冠する団体や集会はうさんくさいと思うようになっている。

今朝の沖縄タイムスにも「沖縄の格言には平和を象徴するものが多い」といった記事があったようだが・・・。

一面の写真入見出しは次の通り。

平和の格言 脈々

市民劇「白銀堂」熱演

⇒ 平和の格言 脈々 市民劇「白銀堂」熱演【文化・芸能】 画像あり

一年前のメイル・マガジン「頂門の一針」が平和運動「家」に必殺一針の批判をしています。 

 

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平和運動「家」がいる
━━━━━━━━━━


          渡部亮次郎

まさかあるまいと思いながら引いたたら、あった、「平和運動」(広辞苑=岩波書店)。「戦争に反対し平和を擁護することを目標とした組織的大衆運動」とある。

子供の頃から、これを不思議に思っていた。戦争になることに反対しない人がいるだろうか、擁護すれば平和は守られるのだろうか。

武器や軍需物資を製造・販売しているごく一部の人は別にして、なんとか戦争にならないように願う事は人類共通だろう。

1954年に大学みたいなものに入って驚いた。教授の中に「平運動家」と呼ばれて嬉々としている人物がいた事である。平和は運動れば求められて、しかも「家」とつく職業になるのか。

戦争が無ければ平和、とは限るまい。現在、日中間に戦争は無いが、中国の日本に対する内政干渉の甚々だしさはとても平和状態とはいえないだろう。核を所持していればとっくに戦争になっていること間違いない。

核のない自衛隊では、まず軍ではないし、無能力男性に等しいから頭から馬鹿にされていても切歯扼腕するだけ。こういう状態を広辞苑ですら「舐められる」「みくびられる」状態と教えている。

それでも怒るな、我慢せよ、戦争を考えるなと運動する事が平和運動と言うなら、それは平和運動ではなく、我慢比べ修養団に過ぎない。

1945年8月15日に「大東亜戦争」が日本の無条件降伏に終わって停電や「灯火管制」が無くなり、戦争放棄の新しい憲法が制定された。日本のイン・ポテンツ化が図られた。戦争をしようにもできない国民と国を作ろうとする米国の陰謀だった。

このことは西 鋭夫著『国破れてマッカーサー』(中公文庫)に詳しい。本当はアメリカに2度と歯向かわない日本を作っただけだが、その後60年も経済的に繁栄したので、マッカーサー憲法さえあれば繁栄すると勘違いしてしまった日本人。

日本共産党や社民党は「憲法を守れば平和が守れる」と倒錯した主張をするようになった。憲法を守れば平和になるのではなく、平和だから憲法を守れるのだと言う事に気が付いてない。

日本では核兵器の廃絶を訴える平和運動である反核運動がある。初めは安井郁(かおる)法政大学教授の指導で統一されていたが、運動を支援していた複数の政党・団体(主体は日本社会党(当時)と日本共産党)の政治的対立から、運動そのものが分裂してしまって、現在に至っている

苦い経験だと指摘する向きがあるが、これこそ平和がイデオロギーによって目標も手段も異なる事を物語る。とすれば平和追求とは実に多面的なものであり、或る時は無意味に見えるときがあっても致し方ない。

「ウィキペディア」の「平和運動」についての筆者はそこのところをちゃんと書いている。

<平和運動は反共産主義運動の一部でもあり得るし、階級闘争の一環でもあり得る。ただ、現実には後者であるケースが歴史的に多い。

このように平和運動の概念自体が曖昧である為、完全に公正中立な平和運動はなかなか存在しにくいものである。

平和運動への批判あるいは懐疑

戦争とはさまざまな政治的、経済的、民族的な要因などが複雑に関係するので、軍事力の行使に反対するだけの現状維持的な主張の平和運動では本質的な紛争の原因(政治的対立、軍閥の台頭、飢餓、社会的差別、領土問題、民族的対立など)の解決にはならないという考えもある。

また戦争はその目的、内容は極めて多様であるので、その全てを単純に非難することは政治的な戦略や安全保障という面から考えても一方的であると言える

また後述のように政治的に利用される可能性も心理戦という側面において多大にあり、軍事戦略の一環としても行われうることがあるため、平和運動には博愛主義的な精神論だけではなく、その運動の本質的な効果を考えた社会学的な見地が求められる。

平和運動に対する典型的な批判として、「平和運動の従事者は、軍事・戦争に疎い者が多い」という指摘がある。

これに対する典型的な反論として、「軍事(軍隊)とは我々平和主義者の敵であり、従って我々が軍事に精通する必要はない。従って、われわれ平和運動家には軍事知識など不要であり、平和運動に従事するものは軍事に疎くて構わない。」との主張がみられる。

この主張は一見もっとものように聞こえるが、これはすなわち、中途半端な知識に基づいた批判しか行わないということであり、そのような批判は説得力が無いのは明らかである。

譬えて言うならば受験において、自分の受験校の過去問演習や問題傾向の分析などをせずに入試本番に挑むようなものである。

平和運動の従事者、特に左翼過激派には理論的な話が通じない(平和主義はもちろん大事な考え方だが、平和運動従事者たちは盲目的に平和を主張していることが多いため)・主張に矛盾があることが多い。

自衛隊が起こす行動に過敏に反応し、すぐに「戦争につながる」とデモ行進・運動を起こす。

批判の槍玉に上がるのは大抵、自衛隊とアメリカ軍、空対空ミサイルなどを製造する三菱重工で、中国軍や韓国軍、およびそれらによる日本の領土の侵犯はほとんど批判しない。

平和という思想は前述のように非常に幅広い考えを包括する表現なので、さまざまな宣伝スローガンや商業活動にも利用されているが、戦後以降の反戦運動は特定団体・政党の勢力拡大のための隠れ蓑に成り下がっているという批判がある。

けだし市民を対象にした反戦の拡大が国の正当な外交手段としての安全保障活動を制約するために、ともすれば政権を窮地に追い込み利敵行為をもたらす口実に利用されているという懸念である。

とりわけ冷戦崩壊後の旧ソビエト共産党公文書公開で国際的なベトナム反戦運動にソ連の資金援助及び人的援助が投入されていた内実が判明したため、かつての共産主義思想の人脈を受け継いだ反米・反日的な政党・団体の反戦活動を注視すべきだとしている。

1950~60年代のアメリカ中央情報局も同様に世界各地で日本の自由民主党をはじめとする親米政権や反共組織の活動を支援してはいるが、平和運動という概念上いわゆる「工作」と同列に論じるべきものではない。

また、「平和運動」を統率する団体の多くは左翼過激派に関っている場合が少なくない。また沖縄県において米軍基地の使用阻止のために呼びかけられた反戦一坪地主に本土から参加した活動家が多くいることも指摘されたことがある。>(メイル・マガジン「頂門の一針」 2007・11・29)

 

「沖縄集団自決ツアー」全国より続々と沖縄へ!真夏の悪夢だ

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田母神氏が沖縄反戦地主を批判

2008-11-29 08:56:26 | 未分類

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沖縄タイムス今日の朝刊の見出し。

◆一面トップ

薬物「誘われた」1800人 

大麻・覚せい剤 高校生調査

「使用をみた」700人

県教育長中学生も調査へ

 

◆社会面トップ

広がる薬物乱用 

県内高校生アンケート

進む低年齢化危惧

大人社会指摘する声も

社会面トップには、「学力全国最下位」に加えて新たな難問に苦慮する仲村教育長の写真も掲載されているが、

まさか上京して「何とかしてくれ。 予算をくれ」と文科省に泣きつくような恥さらしだけは勘弁して欲しい。

                   ◆

 

今朝の話題は「薬物乱用」ではなく、社会面左トップの次の見出し。

田母神前空幕長 一坪反戦地主を批判

現職時講話 「国邪魔している」

共産党が田母神氏の過去の発言を過去に遡って洗っているようだが、この発言も共産党が見つけ出した模様。

重箱の隅をつついているようだが、これも田母神氏のせいろんであり、突付けば突っつくほどブーメランになって知られたくない事実が明らかになってくるの皮肉だ。

田母神前空幕長、一坪反戦運動を批判/現職時講話「国邪魔している」【社会】

【東京】政府見解と異なる歴史認識の論文を発表し、更迭された田母神前空幕長(3日付定年退職)が今年1月、航空自衛隊熊谷基地(埼玉県)で行われた講話で、基地への土地提供を拒否する「一坪反戦地主」について、「これはただ、国がやることを邪魔しているだけ」と批判していたことが28日、分かった。共産党の井上哲士参院議員が入手した講話録で明らかになった。 
田母神氏は、空幕長在任中の今年1月31日、熊谷基地で「我が愛すべき日本」と題して講話。 南西航空混成団司令部幕僚長として航空自衛隊那覇基地に勤務していた1997年当時の反戦運動について言及していた。 当時「一坪反戦地主」が約く3000人いたが、半数は沖縄に住んだことのない人たちで、「いわゆる共産党員だ」と述べた。
土地を共有する一坪反戦地主一人当たりの平均面積は「テレホーンカード」と指摘。 その上で「これらの人たちの土地代は半年間で4円。4円を振り込むのに手数料が880円かかる。これはただ、国がやっていることを邪魔しているだけだ」と非難した。
同講話について帆船一坪地主会代表世話人の池宮城紀夫弁護士は「沖縄戦など過去の歴史を踏まえ、戦争に供する基地に土地を提供しないとの思いで土地提供を拒否し続けているが、こうした運動を侮辱する発言で許せない」と憤った
今月11日の参院外交外交防衛委員会に参考人として出席した田母神氏は、講話の内容を問われ、「しゃべっているのは多分(更迭の原因となった)論文と一緒だと思う」と述べていた。(沖縄タイムス2008年11月29日)

                   ◇

反戦一坪地主と称する「反日団体」が存在することは事実だが、その実態を地元紙が詳しく報じることはなかった。

報じられることはないが、沖縄県民なら公然のことである一坪反戦地主について、

田母神氏は事実をありのままにのべただけであり、それが何故「(一坪反戦)運動を侮辱する発言」になるのか。

「4円の土地代」の送金に「880円の送金手数料」を使わして反対運動することは妨害行為には当たらないのか。

沖縄では新聞が報じない「不都合な事実」を話すと、「侮辱発言」になり「許せない」のか。

「侮辱だ」と怒りをあらわにする弁護士や大学教授、それに地元新聞社の幹部まで「反戦一坪地主」に名を連ねているのだから、報じられたら困るのだろう。

やはり、沖縄は言論封殺の島なのか。

そういえば、沖縄紙には「言論封殺魔」が長期連載コラムを持っているし、

コメント欄の縁側さんも地元紙に「田母神論文」に関する投稿を行ったそうだが、

「掲載される可能性は限りなく0に近い」と「言論封殺新聞」に対して当初から諦め気味だ。

田母神氏が沖縄の「反戦一坪地主」について述べたことが、「侮辱」だというなら、

紙面を田母神氏に提供して堂々と地元紙お抱えの「識者」と論戦をしたらどうか。

ただ、その際小林よしのり氏を罠にかけた卑劣な「沖縄イニシアティブ方式」だけは勘弁して欲しい。

沖縄紙が反戦地主を報じるときは決まって「英雄物語」となる。

弾圧抵抗の半生 565ページ/反戦地主 知念さん【11月18日】

 

 関連リンク⇒沖縄・一坪反戦地主会 関東ブロック

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マッカーサーの罠と田母神氏の「やるせない気持ち」

2008-11-28 07:42:20 | 県知事選

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「結果やるせない」元空将論文寄稿 「集団自決」訴訟・「検定」問題【政治】
 【東京】航空自衛隊の元空将が防衛省技術研究本部技術開発官を務めていた今年五月、「日本人として、軍人として必要な、当たり前の教養を身につけ、戦闘集団としての組織のあり方を徹底追及するしかない」と記述した論文を隊内誌「鵬友」に寄稿していたことが二十七日、分かった。衆院安全保障委員会で赤嶺政賢氏(共産)が指摘した。

 元空将は論文の中で、日本史教育について「日本の素晴らしさを教えなければならないのに、今の教育にはこの観点が不足している」「バランスを著しく欠いている」と批判。沖縄戦「集団自決(強制集団死)」への日本軍の強制を削除した教科書検定問題や、「集団自決」訴訟を例示し、「それぞれの結果にはやるせない思いだ」としている。

 浜田靖一防衛相は「詳しく読んでおらず答えられない」と述べるにとどめた。

 元空将は今年八月に退職しているが、現職時代に寄稿したもので、自衛隊員の歴史認識や教育のあり方に批判が上がりそうだ。

 一方浜田防衛相は県などが求めている鳥島、久米島両射爆撃場の返還などについて、在日米軍が運用面で改善策を検討する意向であることを明らかにした。嘉数知賢氏(自民)への答弁。

                   ◇

沖縄戦「集団自決(強制集団死)」への日本軍の強制を削除した教科書検定問題や、「集団自決」訴訟を例示し、「それぞれの結果にはやるせない思いだ」としている。

自衛隊をデクの棒の無能集団にしておきたい勢力は、田母神氏の過去の言動のあら探しをし、遂に集団自決に言及した部分にたどり着いたようだが、ゴクロウサンなことだ。

「それぞれの結果」が何を意味するのかは不明だが、大阪地裁及び控訴審の原告敗訴の結果だとすれば、田母神氏の「やるせない」という気持ちは痛いほど理解できる。

ちなみに「やるせない」を辞書でひくと「遣る瀬ない⇒気晴らしの方法がなくてつらい」となっている。

両判決を見たとき、田母神氏と同じく「気晴らしの方法が見つからず」「やるせないおもい」をした人は数多くいたと思う。

裁判長はノーベル賞作家と岩波書店の権威の前に平伏して、原告が自決命令を下したという証拠は皆無であるにもかかわらず、被告を勝訴にした。

「論より証拠というより、証拠より論」、しかも詭弁に満ちた大江の論に軍配をあげたことになる。

常識ある者なら、ましてや自衛隊の最高責任者なら、このようにやるせない感想を持つのは極めて当然のことであり、

自衛隊幹部が常識人であったことを知り安堵したくらいだ。

田母神論文についての議論はまだくすぶっているようだが、もっともらしい保守陣営の論に次のようなものがある。

<自衛隊にも表現・信条の自由はあるが、田母神氏の立場を考えれば今回の論文発表はいかがなものか>

いかにも憲法の理解者のように表現・信条の自由を認めていながら、一方では自衛隊幹部だという理由で、その自由を否定するというジレンマに陥ったトンデモ論である。

逆説的に言わしてもらうと、自衛隊員は、一般隊員、幹部に関わらず、表現・信条の自由はない。

すると何処からともなく「憲法違反だ!」という神の声が飛んできそうだが、

元々「平和憲法」と自衛隊(軍隊)は並立しないように作られている。

日本を軍備を持たない弱体国家に改造するマッカーサーの当初の意図からすれば、自衛隊が存在することさえ不可能だった。

その意味で、自衛隊員が「表現・信条の自由」を叫ぶことは国家の弱体化に相応しい現象である。

もし、自衛隊に表現・信条の自由認めて、「反日」という信条を持った隊員・幹部が増殖したらどうなるか。

少なくとも国を護ることが職務の自衛隊は、表現・信条の自由は禁止して「愛国」、つまり素晴らしい祖国を護るという気概を持たなければ職務をまっとうできない。

その意味で、田母神氏が言った「日本を素晴らしい国だといったら、処分された」という「せつない」言葉が身にしみる。

共産党が見つけてきた田母神氏の次の発言もまっとうな意見である。

日本人として、軍人として必要な、当たり前の教養を身につけ、戦闘集団としての組織のあり方を徹底追及するしかない

現下の「平和憲法」の下では、自国を貶めるような自虐発言する幹部がもてはやされるような仕掛けになっている。

自国を貶めるような信条を持つ幹部や隊員がいる自衛隊なんて、有象無象の無能集団にすぎない、いや、場合によっては売国集団にも変化しかねない。

日本はマッカーサーの罠にかかったままであり、60数年間も「表現・信条の自由」を自衛隊認めるという愚を犯し続けている。

卑しくも国を護るべく自衛隊員になる者は、国に対する忠誠を誓っているはずで、これは表現・信条の自由とは相容れない。

「平和憲法」が存在していること自体がおかしいのであって、一刻も早い憲法改正が望まれる。

「平和憲法」はマッカーサーが日本に仕掛けた罠である。

 

「平和憲法」の下で去勢された国は「国防軍」の教育にも他国の指示を仰がねばならぬ。

「歪曲教科書による教育を中止せよ」=田母神論文問題で北朝鮮(11/18 14:33)

 

そして、他国の横車なんて無視すればよいものを、それに直ぐ平伏してしまう。

このざまだ⇒「歴史観」科目廃止も=統幕学校の幹部教育で防衛省

 

 独立国なら一日も早くマッカーサーの罠を脱出すべきである。

 

参考記事:【田母神前空幕長インタビュー】「自国を悪く言う外国人将校に会ったことはありません」

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金城氏は罪の巨塊か

2008-11-27 07:39:00 | ★集団自決

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 ◆「軍の命令」という思惑  

沖縄を占領していた米軍は、沖縄を日本から分断して、永久占領を目論んでいた。そのため沖縄人宣撫のために発刊されたのが『鉄の暴風』であり、同書は米軍のプロパガンダの役目を担っていた。『鉄の暴風』に山城氏の体験談が記載されなかったのは、太田氏と山城氏の夫々の思惑が合致したからではないか。その思惑は、更に次の三つの思惑に分けられる。    

〈米軍の思惑〉  
米軍にとって、山城氏の体験談を記載することは、「残虐な日本軍」の印象を県民に植え付けるのが目的の『鉄の暴風』の主旨にそぐわなかった。  

〈島の思惑〉  
戦後、村の助役として戦後補償に奔走したとされる山城氏は、「援護法」を集団自決の犠牲者全てに適用させたかったが、実際は軍命令ではなく村のリーダーのパニックによる誘導が原因だった。
 
〈加害者と被害者の思惑〉
集団自決といっても、座間味島の場合、手榴弾による自決者は暴発による犠牲者が数名だけで、他は農具等による殺し合いが主であり、自決を「手伝った人」も多くいた。そして生存者の中には、自らが被害者であり、また、加害者の立場に立たされた人が多くいた。  

この三つの思惑を見事に一致させる唯一のキーワードが「軍の命令」である。「軍の命令」さえあれば、自決の「手伝い」をした生存者は、贖罪意識のいくらかは救われる。そして現実的な問題として、「援護法」を自決した住民へ適用させるという思惑と、米軍の『鉄の暴風』発刊への強力な思惑が一致して、山城氏の体験証言は、以後、永久に闇に葬られることになる。  

山城氏はその後、島を出て、新聞社編集長を経て、テレビ会社に入社し、マスコミ業界を歩みつづけ、沖縄テレビの社長にまで上り詰めるが、大田記者とどのような約束があったのか、彼は一切自分の体験を語ることはなかった。  

ここに「残虐非道な日本軍の命令による集団自決」という神話が誕生する。「軍の命令」さえあれば、八方丸く納まったのだ。( 『証言を阻む南の島の呪縛』) 

                   ◇

そう、「軍の命令」さえあれば、すべてがうまくいっていた。

ある時期までは、二人の元隊長が、その(軍命)の汚名を甘んじて受けていたから。

高名なノーベル賞作家が、大手出版社を通じて全国的に、

元隊長を「ペテン師」「屠殺者」と罵倒するまでは。

 

ここに最も「軍の命令」が必要な男がいる。

親兄弟や他人を含む十数名以上の大量殺人を犯した男は、

「まず救いの道をキリスト教の信仰の道に求め、ついで責任を全面的に他者へ押し付ける方法を模索した。」(『現代史の虚実』)

責任を全面的に押し付ける相手として「悪逆非道の日本軍」ほど適したものはない。

集団自決の当事者で「軍の命令」が一人歩きをはじめる背景にはいろんな思惑が複雑に入り組んでおり、真相の解明を困難にしている。

自分の犯した罪の贖罪をキリスト教に、そして責任転嫁を軍に求めた金城重明氏の心の軌跡を、

現代史家・秦郁彦氏が『現代史の虚実』で詳述しているので、関連部分を抜粋して以下に引用します。(太字強調は引用者)

                    ◆

金城氏は1929年、渡嘉敷島の阿波連集落に生まれた。家族は両親、二つ違いの兄、妹と弟の6人で、うち4人を集団自決で失っている。
島の小学校高等科を終え、16歳1ヵ月だた重明少年は3月23日、阿波連の住民たちとともに7kmの山路を歩いて自決現場へ集まった。その後に起きた事態の詳細と解説は、彼が1970年マスコミに初登場していらい、そのつど微妙に食い違う。(略)

「軍からやっと自決命令が下った」ので、まず手榴弾を使った家族単位の自決が始まったが、数が少なく不発が多かったので棍棒、カマ、クワ、カミソリを使った殺し合いに移行する。本人も目の悪い兄と一緒になって母と妹をなぐり殺したあと号泣しているところへ、ある少年から「こんな犬死するより、米軍に切り込んで死のう」と誘われ、その気になった。だが途中で兵士や島民の生き残りに出会い、死ぬのをやめたというのが、あらましの筋書きである。(略)

しかし「集団自決」の生き残りとして内外マスコミ寵児となっていた金城牧師は、沖縄原理主義の運動家として進む以外に加害者責任から逃げる道はないと思い定めていたのだろうか
家永裁判で集団自決は「軍隊の存在と誘導」が原因で「直接的な命令は不必要」と宣言した金城氏は、07年6月2日の那覇シンポジウムでは「日本軍の強制・命令・抑圧」だとエスカレートさせていく。
それから三カ月後の9月10日、大江裁判の那覇出張法廷で金城牧師は支援デモ隊の先頭で気勢をあげてから出廷したが、松本・徳永両弁護士の鋭い反対尋問を浴びた。尋問記録は規則により11月に解禁されたので、要所を抜き出し質疑(QとA)の形で紹介しよう。

Q 軍の強制があった、という記述の削除を求めた文科省の検  定意見をどう思うか。

A 集団自決の体験者が軍の強制、命令があったと証言している。歴史教育の本質を否定してはならぬ。

Q 金城さん自身は、手榴弾を配布されたか。

A 私と同年輩の仲間は、誰ももらっていない

Q 自決命令は誰から聞いたか。

A 誰ということもなく噂が出た。村長が天皇陛下万歳と叫んだ。それが自決命令という認識なんですよ。

Q あなたは1995年の自伝で初めて万歳三唱のことを書いている。 なぜか。

A いや、とくに理由はない。

Q 村長の万歳を直接に聞いたのか。

A 聞いた。 強烈に残っている

Q 聞いているのに、書かなかったり、書いたりということか。

A そう言われたら否定できない。

Q 手榴弾での自決者は何人ぐらいか。

A 10人ぐらい。 死んだ人はいなかった。

このあたりまでは語り部として手慣れた応答ぶりを見せ、あやふやな部分も記憶にないとか後で知ったとか器用に切り抜けているが、核心部分に入ると空気は一変する。次に進もう。

Q 金城証人が手をかけたのは家族だけではありませんね

A はい。

Q (手記を読み上げ)これは証人がしたことに間違いありませんか。

A まあ、はっきりは覚えていませんが、まあ、事実だろうとおもいます。

Q あなたとお兄さんの重栄さんに米軍への切り込みを誘った少年は、山城盛治さんではありませんか。

A いえ、違います。

Q 村史に出ている山城さんの体験談はご存知ですよね。

A はい。

Q (読み上げて)ゴボウ剣で子供は背中から刺し殺し、子供は肉は薄いもので向こう側まで突き通るのです。 女の人は上半身裸にして左のおっぱいを自分で上げさして刺した。 私は後ろから支える役でしたと書かれているが、「三人一組で、一人は今大学の先生」というのは証人のことじゃないんですか。

A 間違いないと思います。

Q 間違いないと言われたんですよね。

A はい。

Q 殺したり、殺そうとした人の数は何人くらいになるんですか。

A ・・・・・

Q 覚えていないですか。

A わかりません。

Q 二人や三人じゃないですよね。

A はい。

ここで見かねたのか、裁判長が「この人の傷をそうえぐることを、必要以上にされるんであれば制限します」と口を挟む。 弁護人は不服そうだったが、証人から「私は自分の意志で殺したのではなく、軍の命令によって死を遂げ・・・」という弁明を引き出して尋問は終わった。

金城牧師は「罪の巨塊」か

長々と金城牧師の証言と尋問を紹介したのは、今や沖縄原理主義の象徴的存在に祭り上げられている彼の心の軌跡をたどることで、いつの間にか集団自決が政治的争点にシフトしていった契機をさぐりたいからである。(略)

彼はまず救いの道をキリスト教の信仰の道に求め、ついで責任を全面的に他者へ押し付ける方法を模索した。家永裁判の意見書で彼は「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか」というマタイ福音書の一節に出会い、それを「一人の人間の命は全世界より重い」と解釈して、それが「生きる原点」になったと述べている。
ところが曽野綾子氏から、聖書の命はギリシャ語のブシュケーだから「永遠の命」(魂)のことで「金城先生の聖書解釈は間違っている」と指摘されるや、「その通りであります」とあっさり屈してしまう。 ちなみに「全世界より重い」の名文句は、ハイジャック犯の脅しに屈した福田赳夫首相(当時)の造語らしく、金城牧師はそれを借用したのではないかと私は疑っている。 おそらく金城氏が最も悩んだのは、被害者十数名以上と噂されている「犯行」のあと、いちはやく米軍に投降し生きのびた事情の釈明であったろう。
牧師はいまだに真相のすべてを告白しておらず、大江裁判でも裁判長の温情で追及を免れた。
聖書の誤読はやむをえない動機からだとしても、数十年にわたり日曜礼拝で説教されてきた信者の被害はどうしたらよいのだろう。(『現代史の虚実』秦郁彦著 2007年)

                   ◆

「集団自決」の生き残りとして内外マスコミ寵児となっていた金城牧師は、沖縄原理主義の運動家として進む以外に加害者責任から逃げる道はないと思い定めていたのだろうか

戦争という特殊な状況下での金城氏の「犯罪」を戦後表立って咎めるものはいなかった

だが、左翼の先頭に立って「軍命令」を主張する活動家となり、講演会や出版活動にとどまらず、裁判の証人にもなって「軍命令」を主張するとなると、当然彼の言動は批判の目に晒される。

金城氏は法廷での証人尋問の後、講演会で次のように強弁している。

「原告側弁護団は『ああしただろう、こうしただろう』と犯罪を吐かせるような形だった。私は腹が立ったというより言葉を失った」と。

そして法廷では、「(自決命令は)だれというともなく噂」だったといっておきながら、

琉球新報記事では「軍隊なしに集団自決は起こり得なかった。命令がなかったという意見があること自体おかしい」と発言を翻している。(琉球新報 2008年2月6日)

そもそも、軍の命令の証拠とされる「手榴弾の配布」も法廷証言では、

「手榴弾で死んだ人は一人もいなかった」となっているではないか。

金城牧師の口から真実が語られることはないのだろうか。

 

関連エントリ⇒地獄を見た二人  雉も鳴かずば・・・

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現代史の虚実―沖縄大江裁判・靖国・慰安婦・南京・フェミニズム
秦 郁彦
文藝春秋

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集団自決の加害者と被害者、秦郁彦「現代史の虚実」より

2008-11-26 07:26:28 | ★集団自決

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■知っていながら、知らないそぶり■

佐藤優氏は沖縄の左翼主催の講演会で、「あの11万6千人という数字は、一つ一つカウントすればそこまではいかないなということは、集会の主催者や参加者がいちばんよく知ってますと、沖縄では言ってはいけないことを口走ってしまった。

沖縄左翼には、

知っていながら知らないそぶりをすべきことが多すぎる。

「集団自決で隊長命令があった」という主張は、

沖縄では一枚岩であるかのように、沖縄紙「は喧伝しているが

、肝心の沖縄タイムスや各出版物も「軍命あり」の主張が時の流れと共に微妙に揺れ動いていることは明らかである。

昨年の3月、高校歴史教科書の検定意見が公表されたとき、現代史家の秦郁彦氏は、

「(軍命が一人歩きしていることを)教科書執筆者も既に気付いており、今回の検定はいわば“渡りに船”だったのではないか」と皮肉に満ちたコメントをしていた。

そう、「11万人の神話」と同じように、「軍命の神話」も教科書執筆者は皆知っているはずなのだ。

そして、「軍命が一人歩きした」ことを一番承知しているのは、他ならぬ『鉄の暴風』の発刊者である沖縄タイムスなのかもしれない。

「集団自決に軍命はなかった」

この事実を、

知っていながら知らないそぶりをしているのは、

沖縄タイム中心にした「軍命あり派」の応援団であろう。

一年半前の産経抄を再掲する。

 

【産経抄】

 沖縄戦での住民の集団自決については、2年ほど前にも小欄でふれた。沖縄本島の南西、渡嘉敷島と座間味島という二つの小さな島で大戦末期、米軍の激しい攻撃にさらされた多くの住民が自ら命を絶った。何とも痛ましいできごとだった。

 ▼だが集団自決が両島に駐在していた日本軍の守備隊長の「命令」だったという説には早くから疑問の声があった。「命令」を証言した女性が後にそれをひるがえしていたことも分かった。軍の要請で戦闘に協力したのなら遺族年金がもらえるため、口裏合わせをしたというのだった。

 ▼その後も当の隊長らが、「命令はしていない」と訴えて裁判を起こすなどで、否定する説が一段と強まっている。それなのに今回、検定を受けた高校の日本史教科書は相変わらず、軍に強いられたように記述していた。それも7種の教科書がほぼ横並びだった。

 ▼だから文部科学省が「誤解を招く」として検定意見をつけ、修正させたのは当然のことだ。遅きに失したぐらいである。戦争の悲惨さを伝えるのは大事だが、あくまで真実に基づくのが教科書だからだ。逆に分からないのが教科書執筆者や出版社の態度である。

 ▼軍命令を否定する説は耳に入り、目にもしていたはずである。それなら自ら徹底的に検証して書くべきではなかったのか。そうせずに、過去の記述を踏襲、修正は文科省の検定のせいにする。そんな体質が慰安婦問題など「歴史誤認」の独り歩きを許してきたのだ。

 ▼秦郁彦氏は産経新聞(東京版)へのコメントで「軍の命令」が独り歩きした背景を探った上で、こう述べている。「教科書執筆者も既に気付いており、今回の検定はいわば“渡りに船”だったのではないか」と。痛烈な皮肉と受け取った。

(2007/04/01 05:06) 

「集団自決」 教科書検定が“渡りに船”とはね。

                  ◇

「軍命あり」を主張する出版物が「軍命の有無」で揺れ動く様を、

秦郁彦氏が、『現代史の虚実』(2007年文芸春秋社)で次のように書いている。(太字強調は引用者)

≪風向きが変わったのは『ある神話の背景』(1973年)出現してからである。著者の曽野氏は現地調査の過程で、『鉄の暴風』の執筆者たちが現地を訪れず、村長以下の当事者に取材もせず、伝聞や風説で書きあげたことを突きとめ、渡嘉敷については軍命令説を裏付ける証言は見つからなかったと結論づけた。
しかし、曽野説を受け入れ、あっさり転向する人がいないではなかったが、地元の沖縄では既定の政治路線にしがみついたり、1957年から始まった援護法の打ち切りを懸念してか、どっちつかずの書き方を工夫するなど対応ぶりは分かれた。(表2参照)

  肝心の沖縄タイムスは、ロングセラーとなった『鉄の暴風』の増刷を現在もつづけている。1980年代には曽野説に歩み寄る姿勢を見せ、「梅澤隊長のごときは、のちに朝鮮人慰安婦の二人と不明死を遂げた」という事実無根のくだりを削除(1980年)した。また社説に「集団自決の軍命か自発的なのかはさておきー戦争に責任」と書いたり、社の幹部が梅澤氏に「謝罪」(1985年)したりする動きもあった。
だが沖縄タイムス紙上での連載対談で太田良博氏が曽野氏から「素人のたわごとのようなことを言うべきではない」とたしなめられたのに反発したのか、「『鉄の暴風』の記述は改訂する必要はない」(85年4月)と開き直っていらい、以前の以前の原理主義的論調へ逆戻りしたまま現在に至る。
沖縄原理主義との兼ね合いでゆらぎを見せているかに見える県史や村史は、執筆者の信条もさることながら集団自決の死者を「戦闘協力者」とみなし、援護法が適用されて累計200億円以上と推算される年金が遺族と共同体の生活を支えてきた内情を反映していると見てよい。

          ------------

<表2> 軍命説への対応の変遷 ( )内はページ

家永三郎     1968年  赤松隊長は島民に食料を提供して
(太平洋戦争)         自決せよと命じ、・・・梅澤隊長は
                  ・・・・自決せよと命じ(213,299)

同(第2版)    1986 上記のうち赤松の部分は削除(299)

 

『沖縄戦史』第8巻 1971 赤松は自決を命じた

同10巻        1974 「どうして自決するような破目になっ                                                   (大城将保執筆)        たか知る者は居ないが」(690)

 

大城将保(嶋津余志)1983 曽野は(渡嘉敷で)自決命令がな『沖縄戦を考える』      かったことを立証した

大城将保       2007 曽野に「随分と甘い点をつけたもの『沖縄戦の真実と歪曲』  だと我ながら恥ずかしくなる(66)

 

『渡嘉敷村史ー資料編 1987 誰が自決を指示したかは不明(安仁屋政昭執筆)       (366)

『渡嘉敷村史ー通史 1990 米軍上陸前に村の兵事主任を通じ(同上)              て日本軍から自決命令(197)

 

家永裁判へ提出 1988(2月)  日本軍に仕組まれた計画で集した金城重明の意見書      団自決を強いられた

金城の那覇出張 2007(9月10日) 集団自決は赤松の命令      法廷における証言 
             ≫(『現代史の虚実』文芸春秋 2007年)

             ----------

『現代史の虚実』の冒頭の「大江健三郎『沖縄ノート』裁判の行方」と題する章で、

秦氏は、山本夏彦の

「論より証拠というより、証拠より論の時代である

という文章を引用して「大江裁判」を次のように皮肉っている。

ノーベル賞作家の“高踏”戦術に惑わされるな。史実を見据え、泥沼の論争に今こそ終止符を!」

大江氏の証人尋問を傍聴した秦氏は、罪の巨塊なる造語をラテン語の訳語から思いついたと強弁する大江氏を見て、次のように書いている。

ラテン語の衒学的詮索は無駄で、真の狙いは曽野氏や私のように「罪の巨塊」を赤松隊長の形容とみなすのは「誤読」と決めつけ、両者を切り離すことで名誉毀損のイメージをすこしでも薄めようとする“高踏”戦術ではあるまいかと。(同上)≫

 

そして集団自決の「加害者」と「被害者」に別れる当事者が、

現在でも狭い島で一緒に住んでおり、それに「援護金」受給という極めて現実的な理由が絡み合って、それが真実を語りにくくしている状況に鋭く切りこんでいることについて次のように述べている。

≪今や時効となり、援護年金を返済要求される心配はなくなったので、沖縄県民は赤松氏や梅澤氏を「恩人」として遇してもよさそうなものだが、むしろ逆行するような「公的記録」(パブリック・メモリー)が再生しつつあるのは、別の心理的要因があるとしか思えない。 そうした仮定に対し口の重い当事者たちがやっと教えてくれたのは、集団自決の場で仲間に手を下し自分は生き残った「加害者」と「被害者」の遺族が、戦後も同じ島や集落に共生している例が珍しくないという現実だ。 しかも狭い共同体だけに親族関係にある場合が多く、真相を確認するすべもないので、多くは風聞と疑惑の域にとどまったまま沈黙するしかないのだという。 
だが例外もあった。 あえて沈黙の路を選ばず、集団自決の語り部として論陣を張りつづける沖縄キリスト教界の長老、金城重明牧師である。(同上)≫

 (つづく)

 

現代史の虚実―沖縄大江裁判・靖国・慰安婦・南京・フェミニズム
秦 郁彦
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佐藤優の「沖縄独立論」

2008-11-25 08:03:50 | 県知事選

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佐藤優氏は琉球新報の長期連載コラム「ウチナー評論」<40>で、次のように「小林よしのりとその「仲間」を罵倒していた。

これは同氏の沖縄講演会の2週間前の記事である。

(前略)

現在の沖縄は、危機的な状況にある。それは日本全体に新自由主義が浸透し、個人がアトム(原子)化している状況で、多くの日本人に他者の気持ちを想像し、共感する力が衰えているからだ。そのような共感の衰退を背景に、沖縄戦の「集団自決(強制集団死)について、日本軍の責任を免罪する言説が内地では商売として流通している。さらに沖縄の異議申し立てに対して「全体主義の島」というレッテルを貼り商売している漫画かもいる。そして、この漫画家に協力し、「全体主義の島」キャンペーンの知恵袋となっている沖縄の大学教授もいる。このような輩に対抗する最大の武器が、沖縄に対する愛に基づく冷静さと没主観性であることを筆者は仲原から学んだのである。(琉球新報 2008年10月11日)

                     ◇

 

上記コラムで、佐藤氏に輩呼ばわりされた大学教授が,自分のブログで「困ったもんだ」と嘆いているようだが、

その一方で琉球新報は「輩」は差別用語だから使用は禁止だという。

例え差別用語でも「ラスプーチン言論封殺大魔王」が使うのならならお目こぼしなのだろう。

琉球新報の二重基準については次のエントリで触れてある。

「輩」は使用禁止用語?小林よしのり氏沖縄講演会

 

保守を標榜し、天皇を崇拝するというという佐藤優氏が沖縄紙に取り入って、連載コラムを持ったり講演会を頻繁に行うようになった理由の一つは、

去年辺りから当然騒ぎ出した沖縄の血だという。

だが、ほかにも沖縄マスコミとは「護憲」が接着剤であり、

決定的なのは、集団自決訴訟では「軍命あり派」だという氏の軸足にある。

「SAPIO」から「週刊金曜日」にいたる、不節操とも言われる広範な氏の論議には、

同じ外務省官僚経験者で評論活動をしている天木直人氏もついて行けないのか、こんな評価を下している。

なぜ佐藤氏が「マスコミの寵児」となりえたのか。それは勿論彼の作家、評論家としての非凡さの故である。そしてそれに目をつけたマスコミが彼を利用して売り上げを伸ばそうとしたのだ。マスコミの打算である。しかし同時に、「マスコミの寵児」となることは、佐藤氏の打算でもある。経済的基盤を強化すると言う事も勿論あるであろうが、「マスコミの寵児」となって露出度を高めることは国家権力の圧力から身を守るという事でもある。生き残りに必死な佐藤氏の利害がマスコミの利害と一致した結果である。
  しかし「マスコミの寵児」となる事は自分自身を失う危険をおかすことでもある。私は自らの体験を通じてそれを知っている。
   今月号(12月号)の文芸春秋に「沖縄集団自決」に関する佐藤氏とその母の対話が掲載されている。それを読んだ私は、「マスコミの寵児」であり続けるために実母までも利用しなければならない佐藤氏を気の毒に思うのである。同時にまた私はその文春の記事を読んであらためてキム・ガンサン氏の佐藤優論の正しさを思い知った。 
  佐藤氏は母親の経験談を引用しながら「軍の自決強制」があったことを間接的に認めて左派に取り入り、その一方で、歴史には「複数の真実がある」などとごまかして右派からの反発を避ける。マスコミの寵児であり続けなければならない佐藤氏の苦しさと卑怯さを見逃すわけには行かないのである。>「佐藤優という休職外務省員を私はどう評価するか」
http://www.amakiblog.com/archives/2007/11/14/#000586

思想的には左派である天木氏は、佐藤氏の胡散臭さは本能的に見破っているようだが、天皇を崇拝する佐藤氏が自分と同じ「護憲派」であるとは、気がつかなかったようだ。

 <国家より個人を優先し、憲法9条を世界に掲げて平和外交を唱える私と佐藤氏は、おそらくその思想において対極的なところに位置する。>

いや、いや外務省の先輩である天木氏も、

鵺(ぬえ)のように捉えどころのない佐藤氏の思想には、自分と対極的と判断したようだ。

「ゴー宣」で黒塗りのシルエットで描かれた佐藤氏(「言論封殺魔」)の漫画絵は、半眼の目と共に、

口が鳥のような形に白抜きされている。

きっと小林氏は「言論封殺魔」を鵺の化身であると暗示しているのだろう。

 

佐藤氏の「沖縄独立論」もマッチとポンプの繰り返しで、鵺のように捉えどころがない。

沖縄の講演会では必ず出てくる演題で、「(独立は)国との交渉で切り札として使え」と火をつけられた県民は、次の一言で水をかけられる。

「私は独立論には反対です」

これは、万が一独立運動が本格化した場合、その首謀者の一人にされることを避ける為の責任逃れの「アリバイ証言」ともとれる。

次に、「独立は三年もあれば可能である」と根拠を示さず言い切って再度火をつける。

そして、「それは居酒屋独立論」といわれても仕方がないと水をかけておいて、

またまた火をつける。

「ほとんどの国の独立は居酒屋の論議で始まっている」とマッチを擦る。

そして「独立論を叫ぶ県民は少数派だ」と、最後の水をぶっ掛けておいて、

世界の独立を勝ち取ったの国の例を挙げて、火をつけたままで佐藤優氏の独立論は終了する。

佐藤氏の講演会録からその部分を抜粋する。

さらにですね、住民の圧倒的大多数が賛成していないから独立ができないということは、ありません。1991年3月に、ソ連全体でソ連維持に関する国民投票というのをやったんですね。8割のソ連人が「ソ連維持」です。バルト諸国でも過半数が独立反対です。ところが、その年の終わりにソ連は崩壊してしまって、15の独立共和国ができたじゃないですか。過去3回、「ウチナー評論」という「琉球新報」の評論に、ルーマニア人とまったく同じモルドバ人という人たちがいるんですが、これがルーマニア人からモルドバ人となって別の国家を建てていくプロセスについて書きました。国家がどういうときに独立するかという興味深い実例だからです。簡単に言いますと、独立というのは県会議員が国会議員になりたいと本気で思って、県会議長が国会議長になりたいと思って、知事が大統領になりたいと思う、商工部長が商工大臣になりたいと思う、と。そう思うと瞬く間に実現するんです。住民全体にとっては非常に不利になってもそれでも実現するんです。この例は、東欧の崩壊の中でも、ソ連の崩壊の中でもよく見られる現象でした。ですから、去年、教科書検定に対する抗議行動として11万6千人という一つの物語なり神話ができたということがすごく重要なんですね。

佐藤氏は、ここまでで終わっておればよかったのだが、

大多数が左翼である沖縄の聴衆を前にして、「ホーム」の気安さからか、

沖縄では決して言ってはいけないことまで言ってしまっている。

「11万人の神話」について、佐藤氏はこういっている。

 あの11万6千人という数字は、一つ一つカウントすればそこまではいかないなということは、集会の主催者や参加者がいちばんよく知ってます他方、内地の沖縄に対する目つきのよくない連中が、「航空写真で数えてみたら1万数千人しかいない」などと言うと話が変わってきます。沖縄戦の意味が何かを理解しようとしていない人間がアヤをつける。そんなことになるんだったら断固11万6千でいこう、とこう思うんです。沖縄の人々の心理を考えた場合、こうなるのは当たり前なんです。>

今や沖縄の左翼、特に「集団自決訴訟の被告側」のカリスマ的存在になりつつある佐藤氏が、触れてはいけない「11万人の神話」についての秘密を暴露してしまった。

この発言は、保守の集会で言われるのなら特に珍しくないが、

沖縄の地で、しかも「11万人信者」の前で、

「軍命あり派」を標榜する佐藤氏が公言したことに、

大きな意味がある。

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最高裁に向けての「場外乱闘」 集団自決訴訟

2008-11-24 09:08:05 | ★集団自決

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最高裁での勝訴誓う/「集団自決」訴訟高裁判決報告会【11月23日】

 「集団自決」訴訟で十月三十一日の大阪高裁勝訴を受けた大江・岩波側の報告会が二十二日、那覇市古島の教育福祉会館で開かれた。原告の上告に対し、集会では「最高裁での勝訴」を誓うとともに、検定意見の撤回と高校歴史教科書で削除された軍の強制・命令の記述回復を求めるアピール文を全会一致で採択した。

 集会は「沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会」など三団体が主催した。

 弁護団主任弁護士の秋山幹男さんは「一般論として最高裁が弁論を開く場合は一、二年ほどかかる。地裁、高裁以上に気の抜けない裁判になる」と語り、これまで以上の支援を呼び掛けた。

 岩波書店訴訟担当の岡本厚さんは「沖縄戦の異様さが『集団自決』などに表れている」と指摘。「沖縄戦を語り継ぐ仕事を続けたい」と語った。

 大江・岩波沖縄戦裁判支援連絡会(大阪)の小牧薫事務局長は「どう天皇の軍隊の本質を広めていくか、そのことを追求することが教科書の中身をしっかりしたものに変えることにつながる」と指摘した。

 「すすめる会」の高嶋伸欣共同代表は文部科学省に対し、検定意見の撤回や教科書出版社に訂正申請を行う勧告をするよう求める要請書を提出したと報告。同会は上告棄却の署名を集め、最高裁に要請したいと提起した。

 同訴訟は沖縄戦時に慶良間諸島で起きた「集団自決(強制集団死)」をめぐり、慶良間諸島の元戦隊長と遺族が軍命の記述をめぐり、大江健三郎氏と岩波書店に対し出版差し止めなどを求めている。

                                                ◇

 弁護団主任弁護士の秋山幹男さんは「一般論として最高裁が弁論を開く場合は一、二年ほどかかる。地裁、高裁以上に気の抜けない裁判になる」と語り

最高裁が弁論を開く場合は、原判決を何らかの形で見直すことを事実上意味するという。

被告側弁護団は第一審でも、敗訴を想定していた事実があり、この秋山弁護士の発言は、当然上告審でも敗訴を想定しての発言であろう。

上告審では証拠審は行わず、法律審であるという最高裁の性格上、

上告棄却の場合は書面審査のみで、事実上高等弁論が行われることはないという。

 

最高裁判事が、法廷内の法律論以外の

「法廷外闘争」に影響されるとは思いたくないが、

神ならぬ身の裁判官が、その影響を受けることはないと誰が言い切れよう。

それを見越して、「場外乱闘」が得意の被告側は、

頻繁に集会を開いているようだが、どんな小さな集会でも沖縄紙が大きく取り上げるので、

いかにもそれが「沖縄の声」といった印象になって本土、そして裁判官へと伝わっていく。

原告側の応援集会も行われているが、地元紙が一切これを報じることはないので、

原告は「沖縄」を提訴したわけではないのに、

原告側が地元沖縄で集会を開くと、まるで「アウェイ」の敵地で秘密集会を受けるような扱いを受ける。

地元紙が報じないので、今月末の「原告側講演会」を文末にに告知します。

 

さる10月31日の大阪高裁は、次のような判決を下した。

「両隊長自身が直接住民に自決命令を出したと断定することは出来ず、証明できない」

ならば、大江健三郎が著書『沖縄ノート』で、渡嘉敷での集団自決は隊長命令によるものであると断定的に書き現在も出版継続中であるという事実でもって、明らかに元隊長に対する名誉毀損は成立する。

ところが判決は「原告の名誉毀損は我慢せよ。ノーベル賞作家の出版の自由を守るため、原告の名誉毀損は我慢せよ」という常識では考えられないもの。

裁判長は、「戦後民主主義」の象徴とも言うべきノーベル賞作家大江と岩波を勝たせるため、原告側の証言等を殆ど虚偽として退けている。

これは、理屈を曲げてでも被告側を勝訴に導きたいという思惑がミエミエの論理矛盾に満ちた判決である。

この奇妙な判決が最高裁で確定したら、公務員経験者にとっては恐ろしい人権蹂躙の判例を後世に残すことになる。

次のような例が合法となるのだ。

<昔公務員であった人物なら、ありもしないウソを書きたてられて名誉を毀損されても、自分でその事実がなかったことを証明できなければ出版の差し止めは出来ない>

昔々の「あった事実」の証明ならともかく、

「なかった事実」の証明するという「悪魔の証明」を、

名誉毀損された人物に求めた「悪魔の判決」だともいえる。

それを正当化する根拠が、

<本人が公務員であったので社会正義のための出版>だという。

ならば、大昔の、しかも証明も出来ないウソの事実で名誉毀損することが、「社会正義のための出版」であるということを、一体何で証明するというのだ!

ノーベル賞が証明するってか。

              ◆

沖縄県民斯ク戦ヘリの第24回沖縄と日本の未来を考える講演会



第24回

沖縄と日本の未来を考える講演会


演題−『「集団自決」訴訟・大阪高裁判決の真実』

講師●松本 藤一氏 (沖縄戦「集団自決」訴訟・原告側弁護士)

講師●徳永 信一氏 (沖縄戦「集団自決」訴訟・原告側弁護士)

【日時】 平成20年11月30日 (日曜日)

【日時】 午後1時30分開場 午後2時開演

【場所】 カルチャーリゾート フェストーネ(旧沖縄ハイツ)

【場所】 宜野湾市真志喜3-28-1 電話 098(898)1212

【会費】 1,000円

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伊舎堂大尉が見た沖縄の空と海

2008-11-23 07:41:50 | ★集団自決

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2006年8月17日

特攻隊の見た星

 石垣島に来ることになる前は、長野県の八ケ岳東麓、標高1350メートルの野辺山高原にいた。夏は避暑地、冬は一段と星空も美しいが、氷点下の日が続く厳寒の地である。
 27年前、ここにミリ波という波長の天体電波観測では、世界の群を抜く性能を誇る直径45メートルの電波望遠鏡を備える野辺山宇宙電波観測所が完成し、最先端の研究が続けられている。
 ある日突然、観測所の入り口に石碑が建った。表には「三重航空隊」「野辺山派遣隊」の文字が刻まれていた。建立のいわれを尋ねてみて驚いた。この観測所のある場所が、太平洋戦争最後の特攻隊の訓練地であったというのだ。
 昭和20年5月、いよいよ本土決戦を覚悟した軍は、B29爆撃機に体当たりし撃墜するためにわが国初のロケット型特攻機「秋水」を開発する一方、ひそかにこの野辺山高原に海軍飛行予科練習生である少年兵を全国から集め搭乗員とすべく訓練していたのだ。その数1196名。
 
そんなわけで、特攻隊にも関心を深くしていたが、石垣島に来てみるとなんと最初の特攻隊員は、石垣島出身で陸軍の伊舎堂用久中佐だと知らされた。天文台の仕事を通じて、最初と最後の特攻隊について知ることになった。
 何年か後に石垣市の平和祈念館で催された伊舎堂用久展で、ガラスケースに収められた遺品の中に、夜間に星の位置を測り飛行する天測航法のための手帳があった。そういえば、元予科練の方は「夜でも自分の機の位置が分かるように星の位置は正確に憶(おぼ)えていた」とよく自慢された。
 ゼロ戦で沖縄の空を何度も飛んでいたという方が石垣島を訪ねて来たことがある。地上から眺める星空の美しさに平和の尊さをも感じてもらえたと思っている。
(宮地竹史、石垣島天文台副所長)

                     ◇

「日本軍は住民を守らなかった」

「米軍より日本軍の方が怖かった」

これらは「集団自決訴訟」を通して、沖縄の新聞が大々的に繰り返してきた反日キャンペーンのスローガンである。

彼等の視点に欠落しているのは、島を取り囲んで軍民見境なく無差別攻撃をかける米戦艦に体当たり攻撃をかける特攻機の若い兵士や、沖縄救援に向かう途中撃沈された戦艦大和の兵士たちのことである。

沖縄救援のため若き命を散らした特攻隊や戦艦大和のことは、多くの記録や映画等で知る人も多いが、彼等の終着目的地地であった沖縄のマスコミが彼等の命をかけた救援劇を報じる事はない。

いや、それどころか、「戦艦大和は沖縄人虐殺のために沖縄に向かっていたのだから、撃沈されて良かった」といった「識者」のトンデモ論を掲載して反日感情を煽る新聞もあるくらいだ。

続・戦艦大和の特別任務★それは沖縄県民の虐殺であった!

 

昭和20年の3月下旬、慶良間諸島を取り巻いて、雨あられと無差別に艦砲射撃を加える米艦船に捨て身の特攻作戦で散った若者たちのことを報じる新聞はない。

本土から来島した石垣島天文台副所長の宮地さんが特攻隊員伊舎堂用久中佐のことをコラムで書いているが、沖縄人で伊舎堂中佐のことを知る人はいない。

沖縄戦では、第6航空軍(福岡)所属の振武隊と第8飛行師団(台湾)所属の誠飛行隊が次々と編成され、出撃していった。

知覧を飛び立って沖縄に向かった特攻隊の話しは、最近では映画等でよく知られるようになったが、沖縄戦では慶良間を取り囲む米艦船に、真っ先に戦いを挑んだ特攻隊は、実は北の知覧からではなく南の空から飛来していた。

台湾所属の誠飛行隊はその日(26日)、23日以来の米艦船の慶良間攻撃のため上陸も近いと察知して、八重山の白保特攻機地に待機していた。

座間味、昭和20年3月26日。

その日は沖縄戦にとって象徴的な日であった。 

米軍の沖縄上陸は、公式には翌月の4月1日となっており、戦後の米軍占領時代には4月1日は記念日として公休日になっていた。 

ところが米軍が座間味島に上陸したのはその6日前の3月26日、つまりその日の未明に座間味島民が集団自決を決行し始めた日である。

その日は、ブルース少将の率いる米第77歩兵師団が、慶良間諸島の阿嘉島、慶留間島、座間味島へ上陸を開始する日でもある。

米軍上陸開始の噂に、逃げ場を失いパニック状態に陥った座間味島の住民172人がその日の未明に集団自決をしている。
  
その日の米軍の動きは実にあわただしい。

先ず米合同遠征部隊第51機動部隊司令官ターナー海軍中将が、南西諸島海軍軍政府首席軍政官に任命され、

米第77歩兵師団により慶良間諸島に最初の軍政府(陸・海合同)が設置されている。

26日に慶良間諸島に上陸したアメリカ軍は、チェスター・ニミッツアメリカ海軍元帥の名で米国海軍軍政府布告第一号(いわゆるニミッツ布告)を公布した。

 

更に同じ26日には、「軍は住民を守らなかった」という戦後左翼のスローガンとは裏腹に、多くの若き特攻隊が及ばずと知りながら、米艦隊に決死の攻撃を敢行していた。 その中には石垣基地から飛び立った特攻隊機もあった。

同じ26日の未明、当時15歳の宮平秀幸少年は家族と共に艦砲射撃を避けながら壕から壕へと彷徨っていた。

そして自分の壕に向かう寸前遭遇した「参謀長」と呼ばれていた山城教頭に抜刀の上一家皆殺し寸前の身も凍る体験をしていた。

「眼前の敵」 座間味で何があったか

その同じ時刻の26日の未明、島を取り巻く米艦船に体当たり攻撃をかけて散った沖縄出身の特攻隊員のことを宮平一家が知る由もなかった。
 
その日の早朝午前4時,沖縄出身の特攻隊員伊是名用久大尉は、特別攻撃隊「誠第一七飛行隊」(四機編成)の隊長として「九九式襲撃機」に搭乗して石垣基地を出撃した。

座間味島を取り囲み島に「鉄の暴風」を降り注いでいた米艦隊に、果敢に《特攻》攻撃を加えた。

そして、午前5時50分頃には慶良間諸島西方洋上の敵空母群に突入したが多勢に無勢、雄図むなしく慶良間の洋上に散華した。

石垣市出身の伊是名用久大尉は陸軍士官学校第五十五期の満二十四歳、二階級特進で中佐となっている。

宮平一家は勿論、当時の座間味島の住民には、これらの事実を知る由はなく、ただ逃げ場を求めて島中を逃げ惑うのが精一杯であった。

誠17飛行隊 伊舎堂用久中佐の遺影と辞世の歌

伊舎堂中佐の遺言(辞世)がやけに明るいのは、部下を率いる特攻隊長として部下を勇気付けする意味もあったと思うが、もうひとつの大きな意味が含まれている。

遺されたか家族が、若くして先立つ身の不孝を思って悲嘆に暮れないよう、

精一杯の明るさを遺した武人の優しさ・・・これがが辞世の句に読み取れる。

 

「軍は日本を守らなかった」

「米軍より日本軍の方が怖かった」

沖縄マスコミと反日左翼が、いかに大声でこのスローガンを叫んでも、

及ばなかったとはいえ、多くの日本軍の若者が沖縄防衛のため、

尊い命を沖縄の海に散らしたことは、紛れもない歴史の事実である。

また、多くの米兵が沖縄住民に残虐行為を加えたことも紛れもない歴史の事実である。

昭和20年3月26日午前5時過ぎ。

島を取り囲む米艦船に体当たり突撃を敢行した伊舎堂大尉(当時)の目に、

沖縄の空と海そして座間味島、渡嘉敷島はどのように映ったのだろうか。

合掌。

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沖縄は「全体主義の島」だ

2008-11-22 07:29:42 | ★集団自決

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全国各都道府県の教育行政の最高責任者は、

その自治体の教育長である。

その教育長が、県下の全校長を集めて政治集会への参加を命じる県があるいえば驚くひとが多いだろう。

それが沖縄県である。

沖縄以外にこんな県があるとは寡聞にして知らない。

小林よしのり氏いわく。

「沖縄は『全体主義の島』」。

言い得て妙である。

仲村守和氏が沖縄県教育長だが、このお方二年連続で学力ワースト1県の不名誉な称号を受けるや、

急遽東京に飛んだ。

そして「学力向上の為金をくれ」と文部省に泣きついた。

学力向上の自助努力をする前に先ず、「金をくれ!」には驚くが、

その次に打った手が、今度は学力全国一の秋田県に飛んで、優秀な先生を派遣してくれという。

その見返りに沖縄のダメ先生を秋田に送って実地研修してもらうというから虫のいいはなしだ。

とにかくこの「教員交流計画」は合意に至ったようだ。

秋田県に学び学力最下位返上へ 教員人事交流に調印(2008.11.18)

「悪貨は良貨を駆逐する」

「朱に交わればくなる

秋田の優秀な先生がくなって帰任する羽目に陥らないように祈りたいものだ。

学力向上には他人任せの仲村教育長も「政治活動」には積極的だ。

昨年の「歴史教科書検定撤回要請」を叫んだ「11万人」集会では、

県下の学校長に「大会への動員」を呼びかけていた。

琉球新報 社説
教科書県民大会 断固譲れない検定意見撤回  (9/8 10:35)
< 「教科書検定意見撤回を求める県民大会」(同実行委員会主催)参加へのうねりが日に日に大きくなっている。
 7日開かれた
県立学校長研修会で仲村守和県教育長は、学校長の全員参加を呼び掛けた。>(9/8 10:35)

 
                                               ◇

上記は昨年の「11万人」集会(県民大会)直前の琉球新報社説だが、

主旨は、教科書検定意見は県民大会への大量動因で可能と説く。

そして同大会への参加状況を嬉々として羅列している。

①県立学校長研修会で仲村守和県教育長は、学校長の全員参加を呼び掛けた。

②全市町村で撤回を求める意見書を可決した。

③県議会では同一定例会中で初めて2度も可決された。

④琉球新報社の調査では全41市町村のうち39市町村の首長が参加意向を表明した。

どこの自治体に教育長自ら政治運動の集会に校長に対して参加指令をする県があろうか。

教育長だけではない。

県下の各議会が、新聞に煽られて一斉に同じような言動をするとは、まさにこれは全体主義の島ではないか。

 

小林よしのり氏が佐藤氏に問題提起した四つの論点のうち、

「沖縄は全体主義の島か?」に関しては、

県教育長が学校長を集めて「全体主義的指令」をする例を見れば、佐藤氏がこれに反論するのは苦しい。

それどころか、佐藤氏は沖縄は「政治闘争が足りない」と沖縄紙に媚びるような発言をして、

佐藤氏自身も「全体主義」を煽っているではないか。

佐藤優氏も沖縄タイムスの特集記事でこう述べている。

≪ 沖縄のメディアには「政治闘争」が足りない正義闘争だけでは勝てない。民主主義は、結局、多数決だから正面突破だけでは、少数派は勝てない。(3)佐藤優さん・起訴休職外務事務官(8月3日朝刊総合1面)

教科書は学術的検証・議論の結果記述されるべきだが、

これを「政治闘争」で勝ち取るべきとは、

愈々佐藤氏は「言論封殺魔」の正体を現し始めたのか。

数を頼んでの怒りで教科書を書き換えられてはたまったものじゃない。

教科書記述の問題と、民主主義の多数決は全く別の次元の問題だ。

それを故意に混同したのか、それとも本気でそう思っているのか、

政治闘争で教科書の記述に介入せよと扇動するとは県民愚弄もはなはだしいのではないか。

それにしても≪沖縄のメディアには「政治闘争」が足りないのくだりには驚くというより笑ってしまう。

このお方、政治プロパンガンダ化した沖縄のメディアの実態を本当にご存知ないのだろうか。

新聞が煽った昨年の「11万人」集会には、

元教員の知人も、各方面からの人脈をたどって参加を要請され、気は進まなかったがしぶしぶ参加したという。

 

                     *

事実の検証ではなく、政治闘争で歴史教科書を書き換えろと説く佐藤氏の主張は沖縄紙の主張に迎合する恥知らずの論だ。

琉球新報の社説と佐藤優氏の論旨はまさに「人民裁判」で教科書記述をせよと言うに等しい。

「人民裁判」は群集が多ければ多いほど熱狂しやすい。

そのために「県民大会」への大動員を地元マスコミが必死になるという構図だ。 

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小林よしのりが語る沖縄の「同調圧力」↓

【動画】小林よしのりは過去に、沖縄の同調圧力について、こう語っている。

 

以下に沖縄県民が扇動に乗り熱狂し易いという例を書いたエントリを再掲します。

「勝ち組、負け組」と「集団自決」の類似性

「勝ち組、負け組」というと、「格差社会」を連想する人が多いだろう。

六本木の高層ビルに居を構え、一夜にして巨万の金を動かす若者集団がいる一方、その日のねぐらを求めてネットカフェを渡り歩く若者集団が存在するのは事実だ。

だが、ここで言う「勝ち組、負け組」は日本の格差社会の問題ではなく、遠く離れたブラジルでの60数年前の「事件」のことである。

ブラジルというと日本人は何を連想するか。

サッカー、サンバ、最近では格闘技でブラジル柔術があるが、日本人が明治期に初めて本格的移民をした国がブラジルだということを知る人は少ない。

そして終戦後ブラジルの日系社会で起きた忌まわしい「勝ち組、負け組」のことを知る日本人が果たして何人いるか。

1945年8月15日。

天皇陛下の玉音放送はブラジルにも短波放送で伝わったが、その放送をほとんどの日系人が聞くことは出来なかった。

また、例え聞いた人の中でも、玉音放送が敗戦を告げる放送だと信じるものも少なく,日本のように「解説」してくれる人もいなかった。

それどころか逆に不確実な風評が飛び交い「日本が勝った」というデマは一夜のうちに日系人社会を駆け巡っていった。

英語のわかる一部日本人の中で、アメリカの放送も聞き、日本の戦況を良く理解する人もいたが、大多数の日系移民は「不都合な真実」を聴く耳は持たなかったようだ。

日本ではマッカーサーが日本占領開始した頃、ブラジルの各地の開拓地では、「日本が勝った、日本が勝った、」と戦勝記念日の祝賀会を開催するところまで現れた。

一方、状況判断の出切る良識派は「日本は負けたんだ」と主張し、日系社会は「勝ち組、負け組」に別れて不毛な争いを続けついには殺人事件にまで至ったという。
 
■「集団自決」と「勝ち組、負け組」の共通性■

9月9日に沖縄の宜野湾市で行われた講演会「沖縄戦『集団自決』の真実を探る」で、講演に先立って亀川正東琉球大学名誉教授の挨拶があったがその冒頭でブラジル日系人社会の「勝ち組、負け組」の話をされた。

「集団自決」と「勝ち組、負け組」とは何の関係が有るのかと思ったが、さすが日本エッセイスト協会員でもある亀川教授、現在の沖縄社会のマスコミによる「情報閉塞状態」が、当時のブラジル日系社会の「情報閉塞状態」と酷似しているとを見事に指摘してくれた。

しかも、驚くことに「勝ち組」の中でもっとも熱狂的で「不都合な情報」に耳を塞いで、勝ち組にあらずば「非国民」と騒ぎ立て、殺人まで犯したのは日系人の中でも沖縄出身者社会だったという。

現在の沖縄の新聞を見ているとブラジルの「勝ち組、負け組」を例に出して現在の沖縄の情報閉塞状態を批判した亀川教授の慧眼に改めて感心した。

亀川教授は、沖縄県民の民度の低さを嘆き「沖縄県民として恥ずかしい」とも述べた。
 
■情報閉塞が起きる理由■

勝ち組の中でも沖縄出身者は特に熱狂度が激しく、敗戦を認める「負け組」幹部らに非国民としてテロ行為を働き、数十人を暗殺し、百人余りの負傷者を出したという。

この事件はブラジルの日本移民社会においては現在でもタブーであり、半世紀以上もの間、日系社会では封印されてきた。

今では二世、三世の間でさえ知るものは少ないという。

では何故このような情報の閉塞状態が起きたのか。

その原因は主に日本語による情報入手の困難性にあった。

60数年前の、しかも日本から遠く離れたブラジルの地で、ポルトガル語が分からず日本語しか話せない日本人移民は、新聞にも雑誌にも見放された状態で戦時中をすごした。

つまり当時の日本人移民は日本語は読み書きができても移民先では一種の文盲状態にあった。

それだけではない。

自分で判断することを避け、自分の主張(日本が勝った)にそぐわない意見(日本は負けた)には耳を閉ざした。

つまりブラジルの「勝ち組」は自ら情報の門戸を閉ざしていたのだ。
 
■自ら情報の門戸を閉ざす沖縄メディア■

連日沖縄の新聞を賑わす「証言」は全て一方のグループの主張に偏った証言で、反対意見の「証言」はまるでデマの如く扱い、まともに紙面に載ることは無い。

ブラジルでは戦後かなり経過しても「戦勝○年記念祝勝日」と称して戦勝を祝っていたというから、現在のブラジル日系社会がこの話を封印したくなる気も理解できる。

現在の沖縄の狂乱振りが「県民大会」の狂乱に留まらず、教科書の書き換えにまでエスカレートしたとしたらら、沖縄県民の子孫は後の世に、これを「県民の恥」として歴史から抹消、封印せざるを得なくなるだろう。 ブラジル日系社会の忌まわしい「歴史」のように。

沖縄移民が60数年前にブラジルで犯した大愚を、情報社会と言われる21世紀で再び犯してはいけない。

【追記】

狂気は個人にあっては稀なことである。しかし集団・民族・時代にあっては常態である

一人は個、二人は対、三人以上になると集団性を帯びる

集団は時に人を変えてしまう

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沖縄タイムスの卑劣な印象操作! 沖国大生「集団自決」を演劇に

2008-11-21 08:17:05 | ★集団自決

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「集団自決訴訟の」原告側の上告が手続き終わって、愈々最高裁判事に対する「法廷外活動」が活発になり始めた。

沖縄タイムスは11月19日から「『集団自決訴訟』訴訟 控訴審判決を読む」というタイトルで三日連載の特集を掲載している。

この特集に関し、タイムスは二つの印象操作をしている。

先ず第一回目にこの特集の意味として次のように書いている。

<・・・沖縄戦の「集団自決」をいかに考えるか、あらためて識者に論じてもらった>

識者という曖昧な言葉で、いかにも学術的に中立的立場の人物の意見を聞くような体裁だが、

寄稿者の名前を見たら「識者」どころか、全てが「被告の応援団」ではないか。

「識者」という言葉を、新聞は自分の論調の代弁者としてよく利用するが、試しに辞書(大辞林 ー三省堂)で引いて見たら次のようであった。

【識者】⇒物事に対して正しい判断をくだす力のある人。学識・見識のある人。

なるほど、それで沖縄タイムスと反対意見の「識者」は紙上から抹殺されてしまうわけだ。 ブルブル。

「識者」については⇒学あるバカは恐ろしい!

 

三人の「識者」の背景を見るとこうなる。

第一回目(19日)の村上有慶氏は「沖縄平和ネットワーク」代表。

第二回(20日)の津多則光氏は沖縄国際大学非常勤講師(平和学)というが、やはり「沖縄平和ネットワーク」会員のプロ市民。

第三回(21日)の山口剛史氏は琉球大学准教授、県歴史教育者協議会事務局長となっているが、タイムスは重要な肩書きを隠している。

■重要肩書きを隠蔽■

山口氏は被告側支援団体沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会」の事務局長をしている。

更に山口氏は「大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会」の世話人もしている。

沖縄タイムスは、この連載特集に関する、山口氏の最も重要な肩書きを故意に隠蔽して読者を欺いている。

もう一つの印象操作は、連載企画のタイトルである。

これまでタイムスは「集団自決訴訟」のことを被告側の視点で「大江・岩波訴訟」という名前で統一してきた。

だが、「識者」の評論にこれではマズイとばかり、急遽タイトルを変えて印象操作をしているが、これは対読者というより対高裁判事向けか。

更に、時を同じくして「沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会」の行動部隊は上京して文科省に強談判をしている。

 撤回要請に回答せず 教科書検定問題/文科省 再訂正明言避ける【11月20日】
 【東京】沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」の教科書記述をめぐり、先月大阪高裁で判決があった「集団自決」訴訟の被告側を支援する市民団体は二十日午前、文部科学省を訪ね、日本軍の強制を削除した検定意見の撤回を求めた。応対した〓久治彦審議官は、撤回要請には回答しなかったという。

 市民団体によると、〓久審議官は「一般的には訂正申請を受け付ける立場にある」としたが、出版社から「集団自決」について再訂正申請が出された場合の対応は「仮定の話には答えられない」と明言を避けた。

 教科書検定審議会の作業部会が審議している検定制度見直しについては「スケジュールの点でいつ結論を出すということは言えないが、次の検定に合わせるために速やかにやっている」と述べたという。

 団体側の小牧薫事務局長は「(文科省の)基本的なとらえ方に私たちは不満がある。一律に軍の命令・強制が教科書に記述されないことは問題だ」と話した。

 要請したのは「沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会」、「大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会」、「大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会」の三団体。

 ※(注=〓は「徳」の旧字体)

                                               ◇

高裁判決では勝訴だったが、昨年の「11万人」集会のテーマである「歴史教科書検定撤回」は失敗に終わっているので、判決では勝訴でも勝負では負けたというのが彼等の認識。

「法廷外闘争」は大学の学園祭にも及んでいる。

創作劇通し 命問う/沖国大生140人 「集団自決」テーマ

22・23日 学園祭で上演


 「集団自決(強制集団死)」をめぐる昨年の教科書検定意見撤回県民大会に参加した沖縄国際大学日本文化学科の学生らが渡嘉敷村の民話を題材に「集団自決」を通して「命」について考える創作劇「鬼慶良間(ウニギラマ)」の上演準備を進めている。同県民大会で高校生代表として登壇した津嘉山拡大さん(一年)が演出を担当、二十二、二十三両日の学園祭で上演される。(宮城貴奈)

 「鬼慶良間」は故遠藤庄治沖縄国際大学名誉教授が脚本を手掛け、十年以上前から同大学園祭を中心に上演されている。今年は百四十人の学生が取り組む。

 渡嘉敷島で飢饉に備えたソテツ栽培などで島の偉人としてあがめられていた主人公の鬼慶良間。演劇は、鬼慶良間の「命どぅ宝を忘れないで」という言葉をきっかけに、島の北山で起きた「集団自決」で、住民が死を思いとどまる内容。鬼慶良間の言葉を紹介する女性は、「集団自決」体験者、吉川嘉勝さんの母・ウシさんがモデル。

 津嘉山さんによると、練習を重ねるうち、他の学生から「沖縄戦について勉強会を開きたい」と提案が出るなど沖縄戦への関心が高まっているという。平和学習に対する自身の興味、関心を「周りに押しつけたくない」という気持ちが強かっただけに、勉強会の提案は「本当にうれしかった」とほほえむ。

 総合演出担当の平良一登さん(一年)は、「劇は十年以上前から続くが、演出は時代背景を調べながら進めている。命の尊さを伝えることで、自分も学んでいる」と語った。

 同文化学科の講義を担当する沖国大非常勤講師の佐渡山美智子さん(フリーアナウンサー)は「(演劇を通して)沖縄であった事実を学生が自ら学び、どう受け止め、伝えていくか考えてほしい」と話した。

 上演は午後二時から同大厚生会館で。入場無料。

                                                 ◇

ウソでも言い続けると真実になる。

そのウソを演劇という手の込んだ手法で伝えればその「真実」はより伝わりやすい。

沖縄の学校では、小学校、中学校、高校に至るまで、まだ学術的に確定もしていない「軍命令による集団自決」を授業に取り入れていると書いた。⇒「集団自決」で創作劇/志真志小で来月上演 

 

そしたら今度は大学生かよ。

>「集団自決」体験者、吉川嘉勝さんの

このお方は元教師で島の「平和学習の語り部」として子供たちに「平和教育」をしており、「軍命あり派」の急先鋒として有名な沖縄タイムス謝花直美記者の恩師でもある。

この方の実兄の吉川勇助氏は伝聞の又伝聞の「耳打ち」を、軍命令だと証言した人物である。

その「耳打ち」も爆音で聞こえなかったというが、それが「軍命だった」とは、細木和子センセもビックリの証言者である。

(9)防衛隊員、耳打ち「それが軍命だった」

 

◆参考:小学校「創作劇」の内容

≪宜野湾市立志真志小学校(喜納裕子校長)で、慰霊の日(六月二十三日)に向けた特設授業で上演する創作劇「ヒルサキツキミソウ」の準備が進められている。沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」をテーマにした物語で、日本軍の命令で、家族に手をかけざるを得なかった史実を、児童や教諭らが演じる。上演は六月二十日午前十時から同校体育館で。(平良吉弥)≫

 
≪ 米軍の艦砲射撃が始まり、日本軍から手りゅう弾が渡され、軍命で家族が命を絶つ直前の場面などを子どもやその両親の霊を通し、現代の子どもたちが「集団自決」の実相に触れる。≫

  ≪六年生の平良佳大君(12)は「曾祖母が八歳の時に竹やりで訓練したり、一生懸命走って逃げた話を聞いた。命令さえなければたくさんの人が亡くならなかったと思う」と話した。≫「集団自決」で創作劇/志真志小で来月上演 

                       ◇

まだ判断力の無い12歳の子供たちに「集団自決」があったことを教えて戦争の悲惨さを教えることはよしとしよう。

だが、まだ確定もしていない「日本軍の命令」を強調して、

ことさら日本軍への憎悪を掻き立てる必要がどこにあるのだ。

これは中国が行っている反日教育と同じではないか。

少なくとも小学生にまでこのようなに自分のイデオロギーを押し付けることは止めて欲しいものだ。

小学生を授業で洗脳/沖縄県民を洗脳しているテレビ

                    ◆

 

不良女子中学生と不良米兵のナンパトラブルには「拉致」だと大騒ぎし、

「県民大会」の決起まだ扇動する、沖縄紙も、北朝鮮の拉致には冷淡だと書いたが、

遂に沖縄県民にも拉致被害者が出た。

だが、やはり、北朝鮮の拉致には、沖縄紙には及び腰だ。

「富川さん加藤さん拉致濃厚」2人追加 特定失踪者問題調査会

特定失踪者の富川久子(とみかわ・ひさこ)さん。「拉致濃厚」として1000番台リストに加えられた。昭和33年2月18日生。沖縄県石垣市在住だったが、平成6年2月14日、子供を預けて近くのスーパーに車で買い物に行ったまま行方不明になった。当時35歳(特定失踪者問題調査会提供)特定失踪者の富川久子(とみかわ・ひさこ)さん。「拉致濃厚」として1000番台リストに加えられた。昭和33年2月18日生。沖縄県石垣市在住だったが、平成6年2月14日、子供を預けて近くのスーパーに車で買い物に行ったまま行方不明になった。当時35歳(特定失踪者問題調査会提供)

 北朝鮮による拉致被害者を調べている「特定失踪(しっそう)者問題調査会」(荒木和博代表)は19日、すでに公表していた失踪者のうち、成6年に沖縄県石垣市で失跡した富川久子さん=失跡当時(35)=と、9年に神戸市で行方不明となった加藤小百合さん=同(33)=の2人について、「拉致濃厚」に加えたと発表した。「拉致濃厚」の失踪者は計70人になった

 調査会によると、富川さんは子供を友人に預けて車で買い物に行ったまま行方不明に。加藤さんは軽装で自宅を出たまま消息を絶った。

 富川さんについては脱北者から「北朝鮮で目撃した女性に似ている」との情報が寄せられ、加藤さんも「北朝鮮にいる」との情報があり、「拉致濃厚」とした。

                 ◆

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マスコミが逃げた田母神氏との討論

2008-11-20 08:31:46 | 県知事選

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【断 潮匡人】暴走する「文民統制」
2008.11.19 03:26
 
コラム・断
 もはや「良識の府」(参議院)と呼ぶに値しない。「招致」した田母神「参考人」の反論を封殺、与野党で「反省」を迫る。総理は元部下を呼び捨て、防衛大臣は目も合わさない。なんと冷淡な政治か。

 毀損(きそん)されたのは田母神氏の名誉と空幕長職の尊厳性だけではない。近代憲法上、最上位を占める精神的自由、その根幹をなす表現の自由すら侵害された。奪ったのは、他ならぬ「文民」である。

 テレビにも呆(あき)れた。投稿文同様、どこも中継せず、発言を切り貼(ば)り編集したあげく、非難の大合唱。当日昼には日テレで「みのもんた」キャスターが「懲戒免職」を主張、夕方の「スーパーJチャンネル」(テレ朝)では大谷昭宏コメンテーターが「単位が取れないような論文」「まさに稚拙そのもの」と罵倒(ばとう)し、こう述べた。

 「稚拙な方が、航空自衛隊のトップに立っている」「今回あんまりバカバカしいから中韓もあんまり反応してないんですね」「これ1回ですね(中略)締め直す、徹底的に締め上げる」「制服組をきちんと締め上げられるかどうかだと思いますね」

 隣の小宮悦子アナも「稚拙ですよね」「文民統制という言葉を勉強していただきたいですね、ぜひ」と追従。

 反応したくないが、放言にも程があろう。ここまで言うなら、自分で論文を書いてみろ。本来の文民統制に加え、法の支配や立憲主義、人権の不可侵性も基礎から勉強し直せ。彼らこそ1度、徹底的に締め上げてはどうか。(評論家)

                                                 ◇

筆者の潮氏は、11月16日のテレ朝「サンデープロジェクト」に出演して、自衛隊OBの志方俊之帝京大学教授とタッグを組んで朝日OBの軍事評論家・田岡俊次氏と「田母神論文」についてバトルをしている。

同番組のHPから引用すると、こうなっている。

これは「言論クーデター」か!?
田母神論文問題を斬る!

航空自衛隊の制服組のトップである幕僚長だった田母神俊雄氏が民間の懸賞論文で「我が国が侵略国家だったというのは濡れ衣」などと主張した問題が波紋を広げている。政府は、「現職の自衛隊幹部が政府見解と異なる意見を主張するのは問題」として田母神氏を降格、定年退職としたが、田母神氏は参考人として呼ばれた国会で「私の書いたものはいささかも間違っているとは思わない」と延べて、自説を撤回するつもりが無いことを強調した。
この田母神論文問題は、田母神氏一個人の問題にはとどまらない。田母神氏が最優秀賞を受賞した懸賞論文には97人もの自衛官が応募しており、田母神氏は国会で「私が呼びかけていれば1000を超える数が集まる」とうそぶいた。
田母神氏の論文や発言から読み取れるのは彼が日本という国家に抱いている「苛立ち」だ。田母神氏や田母神氏に共感する自衛官は、一体何に苛立っているのか?一体自衛隊の中で何が起きているのか?
今の状況を昭和一桁の時代に似ているという人がいる。当時、日本は不況が続いていたが、政財界は汚職にまみれ、現状を憂う軍人達がクーデターを起こす。5.15事件と2.26事件だ。

果たして今回の田母神問題は「言論クーデター」なのか?
平成ニッポンの自衛隊にクーデターの危険性は無いのか?

陸上自衛隊と航空自衛隊のOBである識者二人と軍事ジャーナリストを招いて、
歴史認識から自衛隊の現状まで、田母神論文問題の論点を語り尽くす!


≪出演≫
志方 俊之(帝京大学教授 元陸上自衛隊北部方面総監) 
潮 匡人(帝京大学准教授 元航空自衛隊三等空佐)
田岡 俊次(軍事ジャーナリスト)

                  ◇

タイトルの「言論クーデター」は司会の田原氏が、

11月11日の「筑紫哲也追悼番組」に出演したとき、田母神氏の国会招致に話題を振って、

「これは言論クーデターだ! 筑紫さんが生きていたら(田母神氏)をコテンパンにやっつけていたはず」と口走った言葉から取ったのだろう。

「サンプロ」放映当日の日曜日の朝、ブログネタにでもしようかと思って見ていたら、討論も何もあったものではなかった。

志方・潮の自衛隊OB連合軍の圧勝で番組は進行し、田岡氏の勝利を信じていた田原氏も形勢不利に狼狽して、

レギュラーコメンテーターで毛沢東崇拝者の高野某氏に援軍を求めたが、

このお方も「むにゃむにゃ」でナニを言っていたか意味不明で、内容は失念してしまった。(笑)

結局、討論らしい討論にはならなかったので、

当日記のブログネタとしてはボツにしてあったのだが、

潮氏のコラムを見て再度エントリを思い立った。

だが、田岡氏の反論に傾聴に値するものがなかったので、記憶もほとんど削除されていて、さー困った。(笑)

ただ、最後に田岡氏が、追い詰められたように早口で放った言葉には笑ってしまった。

あまりの早口とカツゼツ不明瞭のため、聞き取れなかった人が多かっただろうが、

田岡氏は紛れもなくこのように言った。

国家機密の漏洩だって。(爆)

これは重大な国家機密の漏洩だ! このような無能な人物がトップにいるということを、世界中に知らしめたことは、日本の自衛隊が無能であるという国家機密の漏洩であるから」。(要旨)

苦し紛れの屁理屈とはいえ、これには笑った。

田岡氏の理屈によれば、自衛隊のトップは「村山談話を信奉して、日本は悪い国だと、世界中に謝罪し続ける」デク棒のような人物であるほうが、有能な指揮官と見えるのだろうか。

世界の常識で言えば自分の国を貶める思想の人物が軍隊のトップにいる国より、

自分の国は素晴らしい国として誇りを持つ指揮官をトップに戴く国の方が強敵なのである。

田岡氏の「国家機密漏洩論」に従えば、田母神論文は、日本の自衛隊には「国を愛するサムライ」がトップにいるという機密を漏洩させたことにはならないか。

この機密漏洩は「核抑止力」と同じ理屈で、「愛国の志士」が自衛隊のトップにいるということが、日本の安全保障にとって大きな抑止力になっている。

だが、自虐主義者の田岡氏にには、これがまるで見えないのだ。

 

最近、潮が引くようにテレビの「田母神バッシング」が消えているのは、

下手にバッシングすると田母神氏から「反論させろ」と申し出られたら手が付けられなくなる、という思惑からだろう。

何しろ田母神氏は呼ばれたら何処へでも行って自論の正しさを述べると公言しているのだ。

卑劣なテレビコメンテーターたちは、黙して時間の経過を待つしか打つ手はないのだろう。

田母神氏の論文の些細な部分のあらさがしを して稚拙だと切り捨てている論者もいるが、田母神氏は歴史学者ではない。細部に間違いがあれば議論の結果正せばよいことだ。

田母神論文を、「空幕長の立場をわきまえない」という理由で、批判する論者もいるが、

むしろ大半の日本人が思っている本音と、「村山談話」という政府の公式見解が乖離しているということを、

自らの首と引き換えに世論に訴えたたという点で、田母神氏の功績は大きなものがある。

国会招致が生中継でなかった理由は、田母神氏がテレビで持論を展開した場合、

多くの国民が彼に共感してしまうということをマスコミが警戒したため・・・・今ではこれは周知の事実となっている。

卑劣なマスコミは、彼をマスコミに登場させればさせるほど、彼の意見が支持されていく結果になっていくということを察知して逃げをうっているのだ。

本人を呼ばなくとも「サンデープロジェクト」での田原・田岡連合軍の狼狽振りが他のマスコミに動揺を与えたのだろう。

これまで田母神氏を口汚く罵倒してきた各テレビ局及びコメンテーター諸君!

今度、ぜひとも田母神氏を番組に呼んで、議論を戦わせてほしい。

だが、卑劣なマスコミは議論を避けて、田母神氏が忘れ去られるまで「今後この話題には触れない作戦」を押し通すであろう。

マスコミも言論封殺魔だ!

【おまけ】【動画】

テレビが報じない「国籍法」

と「対馬問題」

そして「与謝野氏の反乱」

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現代史家秦郁彦の高裁判決批判

2008-11-19 10:03:02 | ★集団自決

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昨日(18日)の世界日報に、現代史家秦郁彦氏の「集団自決控訴審判決」に関する、インタビュー記事がありましたので、

同紙のご好意により全文参考資料として、掲載します。(強調部分は引用者)

 

沖縄戦集団自決控訴審判決
現代史家 秦 郁彦氏に聞く

 沖縄戦で住民に集団自決を命じたとする虚偽の記述で名誉を傷つけられたとして、元隊長・梅澤裕氏らが「沖縄ノート」の著者、大江健三郎さんらを相手に出版差し止めなどを求めた控訴審で、大阪高裁(小田耕治裁判長)は請求を退けた一審判決を支持、梅澤氏らの控訴を棄却した。判決の評価を、現代史家の秦郁彦氏に聞いた。
(聞き手=編集委員・鴨野 守)
--------------------------------------------------------------------------------

「判決は暴論で非常識」

 はた・いくひこ 昭和7年、山口県生まれ。東京大学法学部卒。ハーバード大学、コロンビア大学に留学。防衛研修所教官、大蔵省財政史室長、プリンストン大学客員教授、日本大学教授などを歴任。法学博士。平成5年度の菊池寛賞を受賞。著書に『現代史の争点』『昭和史の謎を追う』(上・下)『昭和史20の争点―日本人の常識』『南京事件増補版―「虐殺」の構造』『統帥権と帝国陸海軍の時代』『旧制高校物語』など。
 ――判決の内容をどう見るか。
 裁判の争点は隊長の自決命令があったか否かであるのに、「その有無を断定することはできない」としながら、「総体としての日本軍の強制ないし命令」を認めたもので、「逃げ」の判決だ。名誉毀損があったと認めているが、さまざまな理由で原告側を勝訴させるわけにはいかないという大前提があり、事実上の門前払いをした。

 原告側を勝たせることができない理由の第一は、もしノーベル文学賞作家の作品が出版差し止めとなれば、世界中に報じられ、大騒ぎとなる。これは、日本の国益にマイナスになるという判断だ。

 第二は、沖縄への特別の配慮。昨年九月の県民大会に象徴される、ただならぬ「反対」の気勢を見て、沖縄の世論を敵に回したくないという気持ちがあったのだろう。

 第三に、戦時中の古い話を論議するのは歴史家の仕事であって、これを裁判所に持ってくるな、という考え方。第四に、原告側弁護団のビヘイビア(振る舞い)が、裁判所の心証を悪くしたという面だ。

 ――判決文のどこからそのように判断したのか。

 例えば判決の中に、「このような歴史的事実の認定については……本来、歴史研究の課題であって……司法にこれを求め、仮にも『有権的な』判断を期待するとすれば、いささか、場違いなことであると言わざるを得ない」などという判示は、こんな訴訟をやるな、と言っているに等しい。また、「新しい資料の出現によりある記述の真実性が揺らいだからといって、直ちにそれだけで、当該記述を含む書籍の出版の継続が違法になると解するのは相当でない」という指摘は、ひどい暴論。

 新しい資料、新しい証言が出て、過去の通説に間違いがあると分かれば、そのたびごとに訂正し、修正するというのが常道であり、歴史に対する本来の姿というべきだ。小田判決は、非論理的で、非常識な判決と言わざるを得ない。

 ――原告、被告双方から多くの陳述書や証言が出たが、原告側のものが一審に続き、全くと言ってよいほど評価されなかったが。

 梅澤氏の主張は「到底採用できず」、ニセ命令書を捏造したという照屋昇雄氏の証言も「全く信用できず」、座間味島の宮平秀幸氏の新証言に至っては「明らかに虚言」などと、その信憑性を一切認めないという極端な判断を出したのは極めて珍しい。梅澤氏は原告だが、照屋氏も宮平氏も第三者の立場で全くの別人格なのに。裁判長が意地になっているとしか思えない。

 ――高裁が「明らかに虚言」とした、宮平秀幸氏の証言については、どう評価するか。


 これが単独で出てきたのであれば疑問も出よう。だが、すでに梅澤氏が命令を発しなかったという証言は、宮城初枝さんが語り、宮村幸延が詫び状まで書いており、その内容と宮平証言は符合するもので大筋で正確だと私は判断している。裁判長は、過去の発言とブレがあるから信用できない、と指摘するが、時間とともに証言に多少のブレが出てくるのは当然であり、その理由も「村幹部の圧力」に起因するというのは、宮城初枝証言と同様、理解できる。逆に、時間を隔てた証言が全く違わないとなれば、それこそおかしい。

 ――判決は、住民自決命令について「関与」という形で認めたわけだが。

 「関与」という範疇には、「関与しなかった」ということも含まれる曖昧な言葉だ。だが、当時の日本政府も第三二軍も、大方針は「非戦闘員を県内外の安全地帯に避難させる」というもので、これは住民自決とは正反対の指示である。だが、判決はこの流れに沿わない住民殺害など例外的な事件をことさら重視して、自決命令に「関与」したと決め付けており、変な判決と言わざるを得ない。(世界日報 2008年11月18日)

                   ◇

再三繰り返しているが、高裁判決を、狼魔人日記風に言わしてもらえば、

小田裁判長は、次のような判決を下したことになる。

原告の元軍人が、命令を出したといえないが、老い先短いことだし、今さら名誉毀損なんて我慢しなさい。 ノーベル賞作家と大出版社の表現の自由に比べたら、90歳余の老人の名誉なんてどうでも良いではないか、それにもう一人は死んでいるのでしょう。 我慢、我慢」

こんなデタラメな判決が通るなら、日本はとんでもない人権無視の国家であるということを司法が示したことになる。

原告側の証言を一切認めないという裁判長の判断は、被告側の「証言者は嘘つき」という被告側の主張を、そのまま鵜呑みにした恣意的判断である。

原告が軍命を下したという証拠がないので、

被告側は、本裁判とは関係ない別件の「住民虐殺」を持ち出してかく乱作戦を企てた。

裁判長は、この被告側の「印象操作」に取り込まれて、軍の「関与」を全て原告が不利になるようにムリヤリつじつま合わせの判断をした。

>第二は、沖縄への特別の配慮。昨年九月の県民大会に象徴される、ただならぬ「反対」の気勢を見て、沖縄の世論を敵に回したくないという気持ちがあったのだろう。

この点に関して、原告側はマスコミ等の「法廷外闘争」で徹底し、

原告側は沖縄を敵にしている」という印象操作で裁判官にプレッシャーを与える作戦を続けており、結果的に成功している。

今朝の沖縄タイムスは「『集団自決』訴訟 控訴審判決を読む」(村上有慶・沖縄平和ネットワーク代表)というタイトルで連載特集が始まっているが、

その記事の中でも

・・・『正論』や『WILL』などの雑誌上で展開される、沖縄側への口汚い攻撃を見れば明らかである

といったさりげない表現で、

卑劣にも、この裁判が「原告側vs沖縄」の裁判であるかのような印象操作をしている。

いうまでもないが「集団自決訴訟」の被告は大江健三郎と岩波書店であり、沖縄が被告ではない。

原告側が被告側を、口汚いかどうかはさておき,攻撃するのは当然のことであるが、

それがどうして「沖縄側への口汚い攻撃」に摩り替わるのだ。

沖縄タイムスに聞きたいのだが、

いつから沖縄県民が「大江健三郎・岩波書店=沖縄という等式を認めたというのだ!(怒)

こういうところでも勝手に「県民」と言うのは止めて欲しい。

岩波・大江訴訟 県民納得の妥当判決だ (琉球新報)

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高裁判決の論理矛盾 櫻井よしこの判決批判

2008-11-18 07:24:16 | ★集団自決

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週刊新潮掲載の櫻井よしこ氏「大阪高裁判決批判」を資料として全文引用、保存しておきます。(太字強調は引用者)

 

「沖縄集団自決、高裁判決を疑う」

2008年11月13日(櫻井よしこブログより)

『週刊新潮』’08年11月13日号
日本ルネッサンス 第337回


第二次世界大戦末期の沖縄、座間味島で、守備隊の梅澤裕隊長は住民に集団自決を命じたのか。大江健三郎氏は、著書『沖縄ノート』で、渡嘉敷・座間味両島での集団自決は日本軍、つまり隊長命令によるものだと断定的に書いたが、それは真実なのか。梅澤氏らが、事実は全く逆であり、大江氏の記述は真実ではないと訴えた裁判は、10月31日、大阪高裁でまたもや請求を棄却された。

大阪高裁は、梅澤隊長らが「直接住民に命令したという事実に限れば、その有無は断定できず、真実性の証明があるとはいえない」とする一方で、「集団自決が両隊長の命令によることは戦後間もないころから両島で言われてきた。書籍出版のころ、梅澤命令説、赤松命令説は学会の通説で、各記述は真実と信ずるに相当な理由があった」とも述べた。

判決はさらに、「その後、資料で両隊長の直接的な自決命令は真実性が揺らいだ。しかし、各記述や前提の事実が真実でないと明白になったとまではいえないとして、これからも内容を訂正することなく『沖縄ノート』の出版を継続することを認めた。

右の高裁判決に目立つのは深刻な論理矛盾である。裁判所では通じても、世の中に通用しない曲がった理屈である。常識的に考えて納得し難いのは、大阪高裁は、大江氏が断罪した梅澤隊長の集団自決命令は、真実性が証明されていないとしながら、では、一体、何が真実だったのかについて、真実を知る努力を、十分にしていないことだ。

昭和20年3月25日夜、座間味村の幹部5人が、壕のなかに梅澤隊長を訪ね、集団自決するから爆薬や手榴弾、毒薬を貰いたいと懇願した。対する梅澤隊長の対応について、大阪高裁は「玉砕方針自体を否定することなく、ただ帰したと認めるほかない」と断じた。

梅澤氏は、この点について繰り返し語っている。氏は住民らにこう言ったと主張する。
「馬鹿なことを言うな! 死ぬんじゃない。今まで何のために戦闘準備をしたのか。みんなあなた方を守り、日本を守るためじゃないか」「食糧も山中の壕に一杯蓄えてある。そこに避難しなさい。死ぬなど馬鹿な考えを起こしてはいけないよ」と。

無視された新証言

大阪高裁は判決で「直接的な自決命令は真実性が揺らいだ」と認めながらも、梅澤隊長が繰り返す「自決するでない」と命じたとの右の主張は採用出来ないというのだ。なぜ、採用出来ないのかは明らかではない。さらに控訴審に提出された、梅澤発言を補強する新たな住民の供述も「虚言」だとして切り捨てた。

何が真実かを知るためには、新証言にも耳を傾ける必要がある。しかも、控訴審に出されたこの新証言は、大江氏の主張や記述を根底から否定するほどの内容である。

証言者は宮平秀幸氏。当時15歳、日本軍の伝令だった。昭和20年3月25日、村人たちが梅澤隊長を訪ねた夜、彼は梅澤隊長のすぐ側で、一連のやりとりを聞いていた。宮平氏が語っている。

「(村の助役が)『明日はいよいよ米軍が上陸する。鬼畜米英にけだもののように扱われるより、日本軍の手によって死んだ方がいい』『すでに、住民は自決するため、忠魂碑前に集まっている』などと言って梅澤少佐に自決用の弾薬や手榴弾、毒薬などの提供を求めた

「梅澤少佐は『そんなものは渡せない。われわれの役目はあなた方を守ることだ。なぜ(住民を)自決させなければならないのか。ただちに、集まった住民を解散させ、避難させよ』と命じた」

宮平氏の記憶では、押し問答は約30分も続いた。最後に梅澤隊長が「おれの言うことが聞けないのか」と言って、弾薬類の提供を強く拒否したというのだ(『産経新聞』2008年2月23日)。

宮平氏の証言は前述した梅澤隊長の証言とほぼ重なる内容である。

自決するつもりで忠魂碑の前に集合した住民を、村長は已むなく解散させた。一夜明けた翌3月26日未明、宮平氏の家族7人は、梅澤隊長指揮下の整備中隊の壕に行き、自決出来なかったことを報告したという。すると中隊長の中尉は、「死に急ぐことはない。1人でも多く生き残るべきだ」と語り、保管していた玄米、乾パン、乾燥梅干しなどを宮平氏一家に与えたそうだ。

宮平氏は、「これらの事実を話す機会がなかったが、集団自決をめぐる教科書の記述が問題となり、真実を伝えておきたいと考えた」と語っている。

〝通説〟として逃げた司法

当夜の会話について残されているもうひとつの当事者の証言は宮城初枝氏の手記である。彼女は3月25日夜、梅澤隊長に会いに行った村の代表、5人の内の1人だった。彼女は手記で、その夜、梅澤隊長は「今晩は一応お帰りください。お帰りください」と言ったと記している。

実際に自決するから弾薬がほしいと、梅澤隊長に頼みに行った本人の証言である。ここで明らかなのは、少なくとも梅澤隊長は弾薬も毒薬も渡さなかった、無論、自決命令も出してはいなかったということだ。

宮城初枝氏は、戦後、国の恩給や援助を受けるために、村人たちと厚生省(当時)の話し合いで、沖縄の人々の自決は軍命によるものだ、とすることになった、自分も座間味での厚生省の調査で梅澤隊長が命令したと偽りの証言をしたと言って、梅澤氏に謝罪した人物である。

こうした証言に虚心坦懐に耳を傾けることによってのみ、真実は少しずつ明らかになってくる。真実に近づくための一連の努力もせずに、司法が十分にその機能を果たし、責任を全うし、社会正義を実現することは困難であろう。

この裁判が決定的におかしいのは、争点がぼけてしまったことだ。本来は、守備隊長が住民に集団自決を命じたか否かが争点だったはずだ。

各種証言は「ノー」と告げている。裁判所も「(命令の)有無は断定できない」「真実性の証明はあるとはいえない」、つまり「ない」とした。にも拘らず、大阪高裁は、隊長の命令だったというのは当時の通説だったとして逃げている。通説だから、梅澤隊長らの名誉は毀損されていないという論理だ。

ここで思い出すのは、かつて論争された、「従軍慰安婦」の強制連行問題である。一連の調査資料は、政府や軍による強制連行を否定していた。しかし、『朝日新聞』などは、問われているのは強制ではなく時代の「強制性」だとして、論理をスリ替えた。それと全く同じスリ替えが行われている。

このような裁判官に日本の司法を任せていてはならない。その想いが不完全で頼りない面もある裁判員制度に、私が賛成するゆえんである。

 

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欄外乱闘!よしりんvs言論封殺魔

2008-11-17 07:50:25 | 県知事選

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「SAPIO」11月26日号「ゴー宣」で「狼魔人日記」が紹介されていることを読者から教えてもらったが、

実を言うと、「ゴー宣」記事になることは事前に承知はしていた。

というのは、小学館の「ゴー宣」担当者から当日記の記事について事前に電話取材を受けていたから。

つまり雑誌記事にするのに正確を期すための確認の取材を受けていたわけ。

                     *

裁判でも法廷の中で争う法廷闘争の他に、法廷外の言論・集会等で争う「法廷外闘争」が盛んであるが、

言論が得意の有名漫画家とインテリジェンス評論家が同じ雑誌の、各々の連載記事の「欄外」で前代未聞の大バトルを始めた。

プロレスではリングの中の試合より、場外乱闘の方が面白いというマニアもいるが、この雑誌の「欄外乱闘」も興味深い。

◆先ず小林氏の「ゴー宣」欄外記事。

「言論封殺魔」は言論戦が怖いのだ。論理がないことがバレるから裏から謀略で批判を封じる。

沖縄においても、アイヌにおいても、そのインテリジェンスがデタラメであることを、『ゴー宣』で暴露されるのを恐れている。

堂々と正面から論理で戦えないのだ。

卑怯者の腰抜けめ! 

(「SAPIO」11月26日号「ゴー宣」欄外)

◆「言論封殺魔」こと佐藤優氏は,

同じ雑誌の『SAPIO intelligence database(世界を読むための情報羅針盤)』 の欄外で応酬。

本紙11月12日号の「ゴーマニズム宣言」の欄外に、<佐藤優が「サイゾー」でデマを流している。わしが「最初に撃ってきた」というが、先に佐藤が琉球新報で、「沖縄は全体主義の島」という有識者、つまりわしが悪人で、金銭や虚栄心目的で沖縄を語っていると示唆したのだ。論点を誤魔化しているのも、礼儀をわきまえていないのも佐藤だ。>との記事がありましたが事実関係は異なります。
本件に関するクロノロジーは次の通りです。
①「わしずむ」2008年春号(4月発売)の「ゴーマニズム宣言extra」の25頁に私の写真を2か所ににわたって掲げた上でそれぞれ「本土の知識人に馬鹿な奴がいて」、「猫なで声で沖縄マスコミに擦り寄る、偽善的な本土の知識人」という記述がなされていた。
②これについて7月12日琉球新報で私が言及した。
③7月31日、飯田昌宏編集長より①の「記載については、配慮が足りなかった。以後気をつける」との移管の意が表明された。④本誌8月20日・9月3日の「ゴーマニズム宣言」に私に関する言及があった。従って、最初に撃ったのは私ではありません。私に関する私の基本認識は「日刊サイゾー」(htt://www.cyzo.com)10月2日、23日付けで明らかにしています。              2008年11月4日 佐藤優

                    ◇

小林氏の場合は欄外記事とは言っても,

本編と連動した書き込みなのでそれほど違和感はないが、

佐藤氏の場合は、本編記事(ロシアのファシズム国家化)とは関係のないバトル記事を、

欄外に書いているので異様な印象を受けた。 

そして顔写真と漫画のシルエットが重なって思わず笑ってしまった。

お互いに「先に撃ってきたのは相手だ!」と盧溝橋の一発のようなことを言い合っているが、

ここまで話しがもつれたら「欄外闘争」なんて子供のケンカのようなことは止めて、

同じ「SAPIO」の別紙面で「よしりんvsラスプーチン大魔王大討論」でも企画して欲しいものだ。

売り上げ倍増は間違いなしだと思うのだが。

ここで注目すべきは、小林氏が相手の最も嫌がっているパンチを急所に打ち込んでいること。 

インテリジェンスが売りものの佐藤氏のインテリジェンスを関した連載記事のある同じ雑誌で

そのインテリジェンスがデタラメであることを、『ゴー宣』で暴露されるのを恐れている

と言い放っているのだ。

これでは佐藤氏がいうように「商売道具がデタラメ」だといわれたことになる。

この部分に関して、佐藤氏は日刊サイゾーでこういっている。

「小林さんは「SAPIO」誌上で、私の言説を「デタラメ」だと言っている。その私は、「SAPIO」に長期連載をもっている。ウソ記事を書くような人間の連載を放置しておくようであれば、「SAPIO」編集部の責任が問われます。しかも私が「SAPIO」で書いている連載は、デタラメやウソが混じっていてはいけない国際情勢分析です。「SAPIO」編集部は、読者との関係においてどう説明責任を取るのか。」(佐藤優氏、ロングインタビュー

佐藤氏は自分の「インテリジェンス」が同じ雑誌でデタラメだといわれることには直接反論せず,

「『SAPIO』編集部は、読者との関係においてどう説明責任を取るのか。」

と9月30日の時点で,

真綿で締め上げるように「SAPIO」編集部に圧力を加えていた。

だが、それを百も承知でよしりんは「SAPIO」の最新号で,

佐藤のインテリジェンスはデタラメだ!」と言い放ったのだ。

さぁ、どうする「言論封殺魔」殿。

再度編集部に圧力を加えますか。

それでもよしりんが今のパターン(シルエットと「言論封殺魔」)で続行するといったら・・・。

今度は「ゴー宣」を封殺しますか、

それとも自分が「SAPIO」を出て行きますか。

 

佐藤氏はこれまで「これは論点がないので論争にはならない」(日刊「サイゾー」)といっているが、小林氏は同じ欄外で次のように論点を絞ってきている。

わしと「言論封殺魔」との間の論点は明確である。 「言論封殺魔」発議の論点で議論するのを怖がって逃げている。

①集団自決は「軍命」か否か?

②独立論は沖縄の良心的な人々の意見といえるか?

③沖縄の新聞は偏向していないか?

④沖縄の言論空間は全体主義ではないか?

 

このように論点を絞って挑戦されたら、佐藤氏も、もはや「論点がない」という理由では逃げられないだろう。

上記四つの論点については、ここではコメントしないが、当日記は二年前の開設以来、

「偏向した沖縄の新聞」をネタにして本日まで続いているので、一番の証言者である。

従って、勿論ここで「沖縄の新聞は偏向している」と言っておく。

佐藤氏が知る沖縄は地元マスコミを通しての沖縄であり、沖縄紙の色眼鏡を通して見た沖縄である。

日刊「サイゾー」記事の

「沖縄は全体主義の島だ」という言説を出している沖縄の知識人がいます。彼らは沖縄での発言力もあるし、琉球新報で発言しようと思えばできるのに、その努力もしないで内地に行って発言してばかりで、リスクを負おうという姿勢が感じられません」

というくだりは沖縄の新聞の実情を全く知らないか、あえて知らない振りをしている「インテリジェンス作戦」なのかもしれない。

 私は琉球新報に「ウチナー評論」という連載を書いています。私が思想的に右寄りに位置する保守的な人間だとわかっていながら、琉球新報は私にコラムをもたせている。これも、沖縄と内地の溝を埋めたいと思っているからです。琉球新報の人たちはリスクを負っている。少しずつリスクを負いながら、どこかで共通の言葉を見出せないか努力しているわけです。一方で、「沖縄は全体主義の島だ」という言説を出している沖縄の知識人がいます。彼らは沖縄での発言力もあるし、琉球新報で発言しようと思えばできるのに、その努力もしないで内地に行って発言してばかりで、リスクを負おうという姿勢が感じられません。私はこのことを言いたくて、「ウチナー論評」でも書いた。それを見た小林さんは、「『沖縄は全体主義の島だ』という有識者」を自分のことだと決めつけて、今回私を攻撃してきたわけですが、はっきり言って小林さんは念頭に置いていない。内地に行って小林さんと連携する沖縄の有識者たちの行動様式を問いたかったわけです。(日刊「サイゾー」:)

                    ◆

有名漫画家と有名評論家のバトルゆえ、横やりを入れても興味をそぐと思うが、

小林氏が提示した四つの論点は、いずれも当日記のメインテーマでこれまで数多くエントリしてきたこと。

時々当日記のコメントも入れながらバトルを見守って生きたいと思う。

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「ノーベル賞作家」という虚構 最終章

2008-11-16 10:29:19 | 大江健三郎のいかがわしさ

 

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言論封殺魔こと佐藤優氏は、「沖縄には『同調圧力』もなければ、沖縄の新聞に偏向はない」と沖縄紙に擦り寄った意見を述べている。

佐藤氏には申し訳ないが、沖縄には「同調圧力」もあれば、新聞の偏向も存在する。

当日記のように「沖縄タイムス」「琉球新報」とは異なる意見を発信していると、

「沖縄人でこんな意見を吐くはずはない」とか

「沖縄人に成りすました移住者だ」とか

挙句の果ては「沖縄の敵だから、許さない」とか、そのた数多くの罵詈雑言の書き込みを受けた。

罵詈雑言の大部分が沖縄人を名乗っている。

地元紙と意見が違うだけで「沖縄の敵」と言われるのではたまったものではない。(笑)

まさか沖縄紙の記者がこのような下劣な書き込みをするとは思わないが、

とにかく、沖縄在住で地元紙と異なる意見を主張することは他県の人たちには想像できないほど疲れる!(ふ~!)

もっとも、それだけ痛いところをつれて脊髄反応しているのだと思えばかえってやる気も出てくるのだが・・。

何よりも、「同調圧力」や新聞の偏向が存在するという一番の証拠は、

当日記が沖縄タイムスや琉球新報に投稿しても決して掲載されることはないことである。

何?

掲載に耐える内容ではない?

こりゃ又失礼しました。(笑)

 

沖縄紙は言論封殺の外に印象操作も得意技とする。

「集団自決訴訟」についても、訴えられたのは大江健三郎と岩波書店の両被告のはずだが、

地元紙はあたかも「沖縄県民全員が訴えられた」かのような印象操作をして裁判官に場外から圧力をかける。

まるで「全沖縄県民が被告」といった論調で、関連記事には「県民の理解」や「県民感情」といった言葉を多用して、

「県民を敵に回したら怖いぞ!」と裁判官に威圧をかけている。

大阪高裁の控訴審判決にも地元紙は「県民納得」と、得意の述語を使用した。(笑)

⇒ 岩波・大江訴訟 県民納得の妥当判決だ (琉球新報)

これでは、被告側を沖縄県民ぐるみで応援しているように錯覚してしまうではないか。(それが狙いなのだが)

 

ところで、言論封殺魔こと佐藤優氏が長期連載コラムを掲載している琉球新報も言論封殺では人後に落ちない大魔王である。

これについては次のエントリで詳述してある。

再開された上原正稔氏の特集  パンドラの箱は開くか

 

以下は渡辺望氏の「大江批判」の最終章です。

                   ◆

 '08.10.18 ●渡辺 望氏 「ノーベル賞作家」という虚構 -大江健三郎への再批判- 

(承前)

『あいまいな日本の私』


 この『あいまいな日本の私』で大江は、自分の「営業」行為を物の見事に締めくくっている。

 大江は冒頭で、スウェーデンの国民文学作品の一つである『ニルスの不思議な旅』に手ばなしの賞賛をおくったのち、川端康成がかつておこなったノーベル賞受賞講演『美しい日本の私』に触れる。そこで大江は川端の講演内容には曖昧=「vague」さにみちたものだった、と指摘する。

 そう指摘した上で、「vague」では日本の文化や歴史を説明するには足りないもので、「ambiguous」という、両義的という意味での「曖昧」の方が、川端が説明した「日本」ということより、より「日本」を説明しやすいのだ、と大江はいう。そしてこの「両義的」という意味での「曖昧さ」がゆえに、近代の日本は「西欧化」と「アジア侵略」に分裂したのだ、ゆえに日本人は両義的な意味での「曖昧」があると論をすすめ、そののちに、大江は上記の二つの文章を決意表明的に語っているのである。

 この「曖昧」という言葉の引っくりかえしは、この大江の講演録を幾度読んでも文章上の脈絡がまったく認められない。日本人批評として「vague」と「ambiguous」の間にどんな関係があるのかが少しも文章上、説明されないまま、文章(講演)がどんどん進んでいってしまう。そしてそもそも、川端の「美しい日本の私」を読めば、大江が勝手に解釈しているような曖昧さ、「vague」というものはどこにも認められない。

 大江が川端の講演の何処に「vague」を感じたのか明確に記していないため、私達は独力で川端の講演録から大江が「vague」を感じた部分をさがさなければならない。大江の難解極まるこの『あいまいな日本の私』を幾度も精読すると、大江が川端のノーベル賞受賞講演内容で感じた「vague」の部分とは、どうやら次の二つの部分、川端が日本人の「無」を、禅宗的な概念に近いものだと説明するところであることが明らかになる。

a)禅宗に偶像崇拝はありません。禅寺にも仏像はありますけれども、修行の場、座禅して思索する堂には
 仏像、仏画はなく、経 文の備えもなく、瞑目して、長い時間、無言、不動で坐っているのです。そして、無念
 無想の境に入るのです。「我」なくして「無」になるのです。この「無」は西洋風の虚無ではなく、むしろその
 逆で、万有が自在に通う空、無涯無辺、無尽蔵の心の宇宙なのです。禅でも師に指導され、師と問答して
 啓発され、禅の古 典を習学するのは勿論ですが、思索の主はあくまで自己、さとりは自分ひとりの力でひ
 らかねばならないのです。そして、論理よりも直観です。

b)私の作品を虚無と言う評者がありますが、西洋流のニヒリズムという言葉はあてはまりません。心の根本
 がちがうと思っています。道元の四季の歌も『本来ノ面目』と題されておりますが、四季の美を歌いながら、
 実は強く禅に通じたものでしょう。

                                             
                                                          『美しい日本の私』
                                          

 川端が「美しい日本の私」で繰り返して苦心して説明しようとしているのは、日本文化における「無」というのは、ニヒリズムというような消極的概念でなく、ある種の肯定的な概念である、ということである。川端の説明は少しも「vague」なものではない。
 
 しかし言うまでもなく、キリスト教文明的な意味でのニヒリズムという概念に依存する限り、川端のいう「無」の説明は不明確でよくわからない、すなわち曖昧=「vague」としか思えない、と言える。現代の西欧ではよほどラディカルなヨーロッパ中華思想の持ち主でない限り、そんなふうに意地悪に日本文明をとらえる人間はいないはずであるが、大江は自身がそのようなラディカルなヨーロッパ中華思想に依存するという安全策をとる。

 すなわち、大江が川端に感じたという「vague」とは、西欧文明の基準からすれば川端の言っていることは「意味がよくわからない」ということ、西欧文明的な感性にまったく依存しきってみせて、川端の苦心を暗にからかっていることに他ならない。川端の言う「無」は、西欧のニヒリズムからすれば「vague」だ、ということなのである。このような「曖昧」という言葉のほとんど悪意的な操作をまず下地において、大江の「おべっか」が、スウェーデンから、西欧文明全体へと拡大していく。こうして、ノーベル賞を先んじて受賞した川端の言葉さえ巧みに利用し、大江はノーベル賞受賞に関しての営業行為を完成していくのである。

 たとえば1)の文章においてなぜ「西欧先進国・アフリカ・ラテンアメリカとの深い溝」と「アジアにおいて日本の軍隊が犯した非人間的行為」が、一つの文章内で大江は併記したのであろうか?あるいは2)の文章においてなぜ、日本国憲法の平和主義原理が、「それは、良心的徴兵拒否者の寛容において永い伝統をもつ、西欧において、もっともよく理解される思想ではないでしょうか」というふうな文章の付け加えを大江はしたのであろうか?
 
 大江が1)の文章で言っているのは単なる自虐史観ではない。大江の中での対アジアの自虐史観を、ヨーロッパとのかかわりにおいてまで、引き伸ばして自虐的に受け入れよ、と自虐史観よりも徹底的なことを主張しているのである。2)の文章で言っていることは、単なる日本国憲法万歳ではない。日本国憲法の平和主義原理は、アメリカの押し付け以前に、ヨーロッパ人の精神的伝統に由来したものである、日本人はそのことに西欧に感謝しているのである、と言いきっている。これは絶対平和主義よりもさらに徹底された平和主義であるというべきであろう。これらの決意表明を大江は、彼の基準からすれば、明らかに反民主主義的で、侵略主義的の権化のようなグスタフ3世の創設したスウェーデンアカデミーの諸氏にむかって語りかけているのである。
  
 ここに認められるのは、あえて喩えるならスウェーデンさらには西欧への大江自身のまことに身勝手な、「無条件降伏」であると言わなければならない。たとえば、大江はノーベル賞受賞の前年のニューヨークでの大きな講演会で、「三島由紀夫の自殺は、あの自殺のパフォーマンスの主張が、西欧やアメリカに対して閉じられていたことが問題なのです」(『回路を閉じた日本人でなく』)と驚くべき発言をしているが、これは『あいまいな日本の私』の先鞭をつけた言動であると言うべきだろう。つまり彼は川端や三島という先人の作家まで巻き込んで、「無条件降伏」への儀式を盛り上げようとしたのだ。大江のノーベル文学賞受賞、それは大江自身が仕組んだ狡猾きわまる「無条件降伏」行為に他ならないものだったのである。

 大江がここまでして「ノーベル賞作家」という肩書きを欲したのだ。賞を欲する作家としてのエゴイズムやナルシズムそのものを私は否定しようとはもちろん思わない。賞によって自分の作家的地位を高めようとするのは、作家の正しい職業的本能である。しかし、作家は自分を生かすために賞を欲するのであって、賞によって生かされているのではない。大江の内面ではこの図式がまったく逆転している。

 賞に異常に執着し、作家としての本能を顕わにしたという文学史上のエピソードとして、芥川賞を巡る太宰治の有名なエピソードを思い出すことができる。太宰はどうしても芥川賞が欲しかった。そのために選考委員の川端康成に幾度も懇願の手紙を書 いて送る。その手紙は執拗というより惚稽なほどのもので、つい苦笑したくなるほどの喜劇さえ感じられる。「・・・労作生涯いちど報いられてよしと客観数学的なる正確さ一点うたがひ申しませぬ。何卒私に与へてください。一点の駆引ございませぬ。深き敬意と秘めたる血族感とが右の懇願の言葉を右の懇願の言葉を発せしむ様でございます。困難の一年でございました。死なずに生きとほしたことだけでもほめて下さい・・・」 しかしこの執拗さが逆作用し、川端や同じく選考委員の佐藤春夫の反感を買い、太宰は受賞を逃してしまう。太宰がここまで受賞に執着したのは、名家である太宰の実家へのせめてもの示威を彼が欲したのだ、ということが定説になっている。

 しかしこの時期(昭和10年頃)、芥川賞は現在のようなネームバリューをまったくもっていなかったのである。芥川賞が文壇の権威的地位をもつようになったのは、実は昭和30年以降のことで、それまではこの賞を受賞しても、それが文壇人としての勲章になるということはまったくなかった。したがって、太宰が功名心から芥川賞を欲した、というのはおそらくあたっていない。比べて彼が当時、薬物(パピナール)中毒に苦しんでいて、その薬代あるいは中毒症状の治癒のために、芥川賞の賞金を欲していたという解釈はずっと信憑性が高いが、しかしそれでも太宰の足掻きのすべてを説明しつくしてはいないと思う。賞金ということならば、他の賞に足掻いてもいいわけだが、太宰はあくまで芥川賞に執着したのである。
 
 私としては、賞金目当てでという解釈のさらにもう一つの有力な解釈、太宰が芥川龍之介とその作品に心酔していて、それがゆえに芥川賞という名前の賞を欲した、ということを付け加えると、太宰の子供っぽい、しかし人間臭い面が説明しつくせるように思われる。賞を求める作家の気持ちというものは、自分の文学形成にかかわってくれた人間への感謝、しかしその感謝を自分の栄誉と結び付けたいという、一見すると矛盾した人間性の発露にこそある、と私は思う。芥川賞を欲するという太宰の行為は、それが実によくあらわれているように感じられる。

 この太宰のエピソードを踏まえて、もう一度、大江の『あいまいな日本の私』に戻ってみることにしよう。

 大江の論理的詐術と「おべっか」の本領の極みは、実はたいへん分かりにくい形で、この受賞講演の後半部分にあるのである。

 大江はこの講演の後半の部分を、彼の大学時代からの師匠でありフランス文学者の渡辺一夫からの影響とその思想についての解説に割いている。大江は渡辺から、フランスのユマニスムの思想の寛容の精神を継承した、と繰り返し説く。

 大江に果たして、フランス・ユマニスムの思想の寛容が存在するのかどうか自体、大いに疑問である。が、確かに渡辺は大江の大学時代の教え手であり、フランス文学のおもしろさを大江に教えた人物であるのは間違いない。だが大江は、渡辺一夫に加えてもう一人の彼の青春時代の彼の影響元について触れることをここでしていない。

 大江は確かに寛容の精神を渡辺から学んだのかもしれない。しかし、一文学青年であった大江を、60年安保をはじめ様々な「政治の季節」へと誘導する根源となり、大江という文学者の方向性を決定づけたのは社会参加の精神だったはずである。大江という作家を卒直にみれば、寛容の精神より社会参加の精神が遥かに勝っている。

 だいたいこの講演録で大江が退屈に狡猾に繰り返す左翼政治的な言動からして、大江が青年期 に身につけた社会参加の精神に由来するというべきなのである。

 大江文学に多少なりとも通じていれば、社会参加の精神についての精神の在り方を大江に与え、同時に初期の大江の小説の作風についても決定的な影響を与えたのがサルトルであることを知っているはずである。しかし大江はこの講演でサルトルについて触れることをまったく避けている。渡辺を通じて知ったとこの受賞講演でもっともらしくいうラブレーなど、大江に本質的な影響などほとんど与えていない。だいたい大江は渡辺の指導のもと、東京大学でサルトルを専攻したのである。サルトルなしで、大江文学を語ることは不可能であり、それは大江本人が一番よく自覚しているはずである。なぜ大江はサルトルについて語ることを避けたのであろうか?

 理由の推測は簡単である。サルトルは1964年にノーベル文学賞に選出された。が、スウェーデンアカデミーの受賞基準のあまりの不公平さ、政治的性格を厳しく批判して、受賞を辞退したのである。このノーベル賞受賞式で、そのようにノーベル文学賞を軽蔑したサルトルについて触れないという「不誠実」自体が大江の、ノーベル文学賞への「おべっか」なのである。

 この異様なほどに徹底された「おべっか」こそ、大江の作家としての根幹にかかわることだと言わなければならないであろう。太宰があれほどまでに足掻いて芥川賞を求めたことが、心の中の師を自分の功名心の中で求める、というような作家らしい人間味あるエゴイズム、ナルシズムが大江にはまったくみられないのである。

 ここに至れば、大江の文化勲章の辞退ということも、大江にとっては、ノーベル賞受賞という「無条件降伏」という儀礼への一部分を形成したものである、ということが明らかになるであろう。先人の作家も師匠格の作家も、そして文化勲章をはじめとする日本文化も全部巻き込んで、彼は「無条件降伏」というノーベル文学賞の受賞を、ついに完成させた。それがゆえに私は「ノーベル賞作家・大江健三郎」という肩書きは、大いなる虚構としてしか感じられず、それを言葉にすることを自らに禁じているのである。

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