狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

ヒラメの目を持つ裁判官

2009-01-31 07:23:07 | ★集団自決

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裁判官の目はヒラメの目だという。

世間の評価が気になり上役のことばかり目が向いているからだそうだ。

「集団自決訴訟の」大阪地裁深見裁判長や同高裁の小田裁判長は、「世間の風評」を気にしすぎて予断で判決を下したため、判決文が曖昧な表現にせざるを得なかった。

「世間の風評」とはノーベル小作家・大江健三郎氏は世界に日本が世界に誇れる良心的作家であり、それを支える岩波書店は日本の良心である、という彼らの妄信である。

今では過去の遺物となった「戦後民主主義」をかたくなに信じているのは、大江健三郎を筆頭にする一握りのゾンビの群れであることに両裁判長は気が付かなかったのだ。

「戦後民主主義」にどっぷり漬かってしまった両裁判長は、証拠のない裁判で被告側を勝たすためになり振り構わずあのような奇妙な判決を下したのだ。

両判決を要約すればこうなる。

「集団自決で軍の命令があったかどうかは、何の証拠もないのでワシらに分かるはずはない。 従ってワシらに白か黒を判決では決められない。 だが、大江と岩波の表現の自由と元軍人の名誉・人権を秤にかけたら、表現の自由の方が大事だ。 ゆえに原告側は大江という大作家の出版は我慢しろ!」

これが両裁判長の本音だろう。

ここで、高裁判決を回想してみる。

■大阪高裁判決の回想■

原告、被告が最大の争点にした「隊長命令」について判決はこう認定した。

≪両元隊長による自決命令について、昨年3月の1審判決に続いて「証拠上断定できず、真実性の証明があるとはいえない」と認定した。≫

自決命令は

①証拠上断定できない⇒断定する証拠はない

②真実性の証明があるとはいえない⇒真実であるという証明は出来ない

「(隊長命令に)真実の証明があるとはいえない」としながらも「真実相当性」はあるという。

だが、裁判長は「真実相当性」の解釈を誤った。

控訴から結審まで6ヶ月足らずの異例のスピードで判決を下したのは、高裁が始めから一審判決を鵜呑みにする予断があったのではないか。

裁判長が「(自決命令の)真実性の証明があるとはいえない」としながらも、

その「証明のない真実」を断定的に記述した『沖縄ノート』の著者大江健三郎と故家永三郎著『太平洋戦争』を出版した岩波書店を免責にしたのだ。

大阪高裁は「歴史事実の認定」では、自決命令を事実上否定しながらも、

「真実相当性」の解釈をねじ曲げて、

「表現の自由」という錦の御旗を盾にして、

ノーベル賞作家と岩波の権威の前に平伏したのだ。

最高裁では「歴史認定」はさておいて「真実相当性」という法律論で勝負すべきであろう。

60数年前の出来事を証言のみで争う「歴史認定」で、

「(自決命令の)真実性の証明があるとはいえない」という結論を高裁から引き出したが、

歴史事実の確認を法廷に求めるのは、この程度が限界なのだろう。

「証明があるとはいえない」とは「証明がない」と言うことで、普通の言葉で言えば、

「自決命令は真実とはいえない」ということ。

判決は敗訴だが「歴史認定」、つまり元隊長の命令の有無に関しては、一応の勝訴といえる。

 

■「真実相当性」■

高裁判決は、歴史認定では元隊長の命令を事実上否定しながらも、「真実相当性」に逃げ込んで、控訴を棄却した。

「元軍人らの直接的な自決命令の真実性は揺らいだが、命令を真実と信じる相当な理由があった」と。

高裁判決は、歴史認定では元隊長の命令を事実上否定しながらも、「真実相当性」に逃げ込んで、控訴を棄却した。

「元軍人らの直接的な自決命令の真実性は揺らいだが、命令を真実と信じる相当な理由があった」と。

 

歴史の専門家でも困難を伴う歴史的事実の確認を、法律が専門だと言うだけの裁判官が、

6ヶ月足らずという短期間で結審し結論付ける態度に、裁判長の驕りを感じざるを得ない。

一審判決をそのまま鵜呑みにする予断が当初からあったのではないか。

結局、被告側の言い分に対し、裁判長は次のように配慮した。

≪被告は、「太平洋戦争」や「沖縄ノート」を発刊した頃は、歴史的事実の確認は困難で、地元新聞社が発刊した「鉄の暴風」に準拠せざるを得なかった。 したがって「鉄の暴風」のずさんな記述に間違いがあってもやむを得ない。≫

そして、裁判長は被告の主張を鵜呑みにしただけでなく、「真実相当性」の解釈を誤った。

 ■沖縄タイムスのあせり■

「軍命の有無」という事実認定を争点にした地裁、高裁で両裁判長は「両隊長の命令は分からない」と判断した。

「分からない軍命」を教科書から削除した教科書検定意見はは当然の判断であり、今回の教科書会社の判断は最高裁判事にも大きな影響を与えるものと思われる。

何しろ、裁判官の目はヒラメの目なのだ!

ソレを百も承知で危機感を煽ったのが昨日の沖縄タイムス朝刊のオーバーな記事だ。

昨日のエントリーではアップが間に合わなかったタイムス記事を資料保存のためコピペ・リンクするがウェブ記事に掲載されていない「解説記事」に本音が見えて興味深かった。

沖縄タイムス  2009年01月30日【朝刊】 社会 

執筆者ら訂正申請断念 「集団自決」修正/教科書会社が拒否

 記述回復 交渉は継続

 【東京】沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」をめぐる教科書検定問題で、執筆者らでつくる社会科教科書懇談会は二十九日、文部科学省で会見し、高校日本史教科書で「日本軍の強制」の記述を復活させるため、教科書会社と協議してきた本年度の再訂正申請を断念したことを明らかにした。申請提出に否定的だった会社側の意向が変わらなかった。記述回復は、少なくとも来年度に使われる教科書で実現せず、今後も難しい状況になった。

 執筆者らは、声明を発表し「出版社がかたくなに申請提出を拒否し続け、本の作成のタイムリミットがあるため、ついに本年度の申請は不可能になった」と説明。「会社側の姿勢は、出版社としての良心と責任を投げ捨てたもので許し難い。県民の願いは不当に踏みにじられた」と批判した。

 ただ、継続的に記述の復活を求めていく考えは崩しておらず、来年度の再訂正申請について検討する方針を示した。

 前年度に訂正申請した六社八冊のうち、実教出版の「高校日本史B」と東京書籍の「高校日本史A」の二社二冊の執筆者が本年度も再び訂正申請をしようと会社側へ提案、協議を続けていた。ほか四社は執筆者からの提案がなかった。

 実教出版の執筆者は「強制的な状況のもとで、住民は、集団自害と殺しあいに追い込まれた」という記述を「住民は自害や肉親どうしの殺しあいなどによる集団死を強制された」への変更を提案。注釈に「集団自決」や「強制集団死」と呼ばれることを記した。

 東京書籍の執筆者は「日本軍によって『集団自決』においこまれたり、スパイ容疑で虐殺された一般住民もあった」という記述を「日本軍によって『集団自決』を強いられたり、スパイ容疑で虐殺された一般住民もあった」への変更を提案した。

 両社とも、新学説の出現といった「客観的事情の変化」や「学習上の支障がある」など訂正申請の条件は満たしていないとして、申請しない方針を決めた。

 文科省は二〇〇七年三月、「集団自決」についてこれまで認めてきた「日本軍が強制した」との記述を削除する教科書検定審議会の検定意見を公表。県内外の猛反発を受け、同年十二月「軍が関与」との表現で訂正を受け入れた。執筆者らは再訂正申請を求めてきたが、会社側は消極的な姿勢を崩さず、文科省も「学習上の支障は既に取り除かれた」としていた。

                     ◇

>六社八冊のうち、実教出版の「高校日本史B」と東京書籍の「高校日本史A」の二社二冊の執筆者が本年度も再び訂正申請をしようと会社側へ提案、協議を続けていた。ほか四社は執筆者からの提案がなかった。

沖縄タイムス紙上を連日騒がしている記事では、「教科書執筆者のすべてが検定意見撤回を要求している」といった印象だが、実際はたった二人の左翼執筆者が騒いでいるだけということがこの記事で分かる。

その二人が執筆する教科書会社も次のような判断で訂正申請を止めたわけだからまっとうな判断である。

 >両社とも、新学説の出現といった「客観的事情の変化」や「学習上の支障がある」など訂正申請の条件は満たしていないとして、申請しない方針を決めた。

(続く)

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地団太を踏む沖縄タイムス!教科書から軍命削除!うらそえ文藝の集団自決

2009-01-30 08:51:50 | 教科書

 

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何を今頃怒り狂っているのだ・・・といった今朝の沖縄タイムスの一面と社会面の大見出し。

例によって沖縄紙のウェブ記事のアップは遅いので、見出しのみを転載し、記事は毎日記事を掲げておく。

沖縄タイムス一面トップ

執筆者等訂正申請断念  「集団自決」修正

教科書会社が拒否

記述回復 交渉は継続

 

◆沖縄タイムス社会面トップ 26面、27面

文科省圧力に憤り  厚い壁「真実」遠く

訂正申請断念

執筆者 出版社を批判

「教科書の責任放棄」

軍強制復活へ決意 関係者

検定意見を崩せず

「もう一度団結し行動を」 仲里前県民大会実行委員長

軍の「主語」あいまい

 

沖縄タイムスは悔しさの余りに思いつくだけの単語を書き並べたような見出しの羅列だ。

だが、今頃タイムスがこのようにド派手に悲憤慷慨するのもおかしなもので、この問題は去年の暮れにほぼ決着していたはず。

落胆?怒り?沖縄タイムスの教科書検定記事

 

年が明けて教科書からの「軍命削除」がほぼ決定的になったが、そのときもタイムスはこのように派手なパフォーマンスをしていた。⇒教科書記述で集団自決の「軍強制」は削除!

ほぼ決着のついたニュースを事後報告するだけだったら毎日新聞の方がまともといえるが、沖縄タイムスのパフォーマンスには隠れた意図がある。

教科書検定:集団自決問題 高校日本史、再訂正申請を断念                                       ◇

 

今朝のタイムスのバカ騒ぎは同じニュースに対するパフォーマンスなので、当然当日記のコメントも同じようになる。

以下は「教科書記述で集団自決の「軍強制」は削除!」よりの引用です。

<「集団自決」問題には次の二つの側面がある。

①「大江・岩波に対する出版差し止め」訴訟。

②「教科書検定問題」。

①の訴訟は最高裁にもつれ込んで判決待ちの状態だが、②の教科書検定では「軍命なし派」の勝利となった。

裁判官はマスコミ報道や「世論」を気にするというが、最高裁裁判官にとってこのニュースは大きな判断材料になると思う。

最高裁勝訴に一歩近づいたと当日記は見る。

 

一部執筆者らが目指していた「日本軍が県民に強制した」との記述の復活は、2009年度から使う高校日本史教科書では困難となったことが8日、分かった。

教科書業界は会社側と執筆者側で分裂していると前に書いたが、

分裂した一方の執筆者側はさらに分裂し、共同記事が正直に報じているように、実際に騒いでいるのは「一部執筆者」であり、その中でも2名だけがいかにも教科書執筆者を代表しているようなパフォーマンスをしているに過ぎない。 それをマスコミが針小棒大に報じるから、いかにも執筆者全員が怒りを表しているような印象を与えるのだ。

文科省は07年3月末、「集団自決」についてこれまで認めてきた「日本軍が強制した」との記述を退ける教科書検定審議会の検定意見を公表した。 

その直後、教科書執筆者の実情に詳しい現代史の専門家秦郁彦氏は次のように語っている。

再三引用するが、多くの執筆者の心境を「渡りに船」という絶妙の比喩なので以下に引用する。

秦郁彦氏は産経新聞(東京版)へのコメントで「軍の命令」が独り歩きした背景を探った上で、こう述べている。「教科書執筆者も(軍命が無かったことに)既に気付いており、今回の検定はいわば“渡りに船”だったのではないか」と。痛烈な皮肉と受け取った。>(産経新聞2007/04/01 05:06)

沖縄県民の大誤解 教科書検定

その後、「9・29教科書検定意見撤回を求める県民大会」(「11万人集会」)を初めとする沖縄左翼の猛反発におびえた文科省は、「軍が関与」との表現で訂正受けたが、強制の記述は認めなかった。 

その一方、藤岡信勝拓大教授は、例え「関与」といえどもわざわざ教科書に記述すべきではないと文科省の妥協に反対していた。

曖昧な妥協は国を辱しめる 「軍の関与」も認めてはならない

ともかく教科書に「軍の命令、強制」が削除されることが決まったことは裁判にとっても大きな前進である。

>沖縄で07年9月、これに抗議する大規模な県民大会が開かれた。文科省は反発を考慮し、教科書会社側を促す形で訂正申請を受け入れたが、強制という表現ではなく「軍が関与」との表現で同年12月にいったん決着した。

結局、幻の「11万人」のバカ騒ぎは、運動そのものが幻となた。

あの大騒動は一体何だったのか。>

                  

「もう一度団結し行動を」と訴えているのは「11万人」集会の実行委員長だった仲里利信氏。

そう、あの「毒おむすび」の仲里県議である。

今は県議を引退して農業で過ごしているらしいが、後任の実行委員長がきまらないことに「心が痛い」という。

実行委員長のときは僅か数ヶ月の間に6回も東京に「教科書検定意見撤回」の要請のため6回も東京に赴いていたという。

最近は暇になったので、またぞろ「11万人」集会を開きたいらしい。

                  ◇

集団自決問題では「訴訟」と「教科書検定」の二つの点で論争があると再三述べてきた。

これで「教科書検定」の論争は「軍命、強制削除」で決着がついた。

沖縄の作家星雅彦氏は、大阪地裁の判決には疑問を呈したが、教科書問題に関しては「11万人」集会の熱気に押されたのか沖縄タイムスと同じ立ち位置で文科省検定意見に批判的であると書いた。

星雅彦氏の疑義!『鉄の暴風』と地裁判決へ

掲載された『うらそえ文藝が』が出版されたのは、例の「教科書検定意見撤回を求める県民大会」(「11万人」集会)の熱気も覚めやらぬ大会の約7ヶ月後だったためか、「編集後記」の後半部分では、文科省検定意見に対しては批判的な記述がみられる。

だが、前半部分の大阪地裁判決に関する記述では、終始判決に批判的で、当日記がこれまで記した疑問とほぼ同じような疑問を呈している。

 

上記引用の星氏の「編集後記」の後半部分を紹介して欲しいという意見があるので以下に前半部分と、前回省略した部分をあわせて全文引用する。

文字起こしは辛い!

 

 

 
集団自決(強制集団死)について
 
●「集団自決」訴訟の大阪地裁で3月23日に、深見敏正裁判長はによって判決が言い渡された。 その日は奇しくも渡嘉敷島で集団自決があった命日でもあり、合同慰霊祭の日でもあった。
●大江健三郎氏の「沖縄ノート」については、座間味島の元戦隊長梅澤裕氏と渡嘉敷島の元戦隊長赤松嘉次への名誉毀損の成立は認めず、軍の関与を認め、原告側の請求を全面的に棄却した。 
●この事件から、浮上した諸問題がある。 まず当初からの争点であった戦隊長の直接命令の有無であるが、その「伝達経路は判然とせず、自決命令を発したとはただちに判定できない」と判決し、その一方では、軍から自決用に手榴弾を渡された住民証言を根拠にして「隊長の関与も十分に推認できる」としている。
●問題は手榴弾である。 手榴弾は何個あったのだろうか?
証言者達の集計では信じ難い数になる。実際には不発弾を除いたら数発ほどの爆発ではなかったか。 多くの住民は棍棒、鍬、鉈、鎌、小刀、縄などを使用している。 他方、貴重な武器であるはずの手榴弾が厳重に管理されていず、防衛隊が任意に入手したふしもある。 少年兵が併記倉庫から手榴弾を盗み出してきたという証言もある。 
●「鉄の暴風」は援護法の適用が意識される前から発刊され存在していたという事実から、隊長命令説は援護法適用のための「ねつ造」だという主張は、認められないという判断だ。 しかし当時はまだ軍民一体の思想の余韻が通念としてあったはずだ。むしろ、死者数を水増しして、それを援護法に適用するために用いられたとは考えられないか。実際に集団自決の死者たちの人数は、実数と多少食い違いがあると言われている。
●「鉄の暴風」については、50年前の初版は誤謬が余りにも多い。例えば「(省略)梅澤少佐のごときは、のちに朝鮮人慰安婦らしきもの二人と不明死を遂げたことが判明した。」(41頁)というくだりは知る人ぞ知るで、明らかな誤りだ。 そのことを梅澤氏は20年ほど前に沖縄タイムス社に抗議している。 その後、版を重ねて決定版を刊行したが、誤謬はまだ幾つかあると言われている。 にも拘わらず裁判では「鉄の暴風」をかなり信頼して、判断基準にしたきらいがある。
●今一つ半信半疑な点は、日本軍の駐留したところに限って集団自決はおきており、その点から推察して、軍命は間違いなくあったという決定判断だ。
●日本軍の駐留地と集団自決の関係は、「密接」ではあるが、必ずしもすべて当てはまるとは限らない。 日本軍の駐留地の阿嘉島では集団自決が起きていないのに、日本軍がいなかった屋嘉島では少数の集団自決が起きている。 これに類した例は他にもある。(略)>
 
                  ◇
 
以下は上記引用の(略)の部分です。
 
●戦時中の「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すことを勿れ」という当時絶対化されていた『戦陣訓』を国民にも強要して「一億玉砕」を唱えていた「皇軍」のことを思えば、至る所に軍命があったという発想は成立する。
●文科省が「軍命ありき」を削除した行為は、かつての「軍民一体化」の精神とは、裏腹なものであり、自ら過去の思想を醜悪なものとして隠蔽しようとした行為にすぎない。
●反面、住民の集団自決が「戦陣訓」の洗脳による時代の犠牲であるならば、
逆に軍命の犠牲による死であることに固執する必要があるのかどうか。また殉死が良いはずはないが、無かったとは断言できないのである。
●従って、県民大会等を経た現時点において、軍命によって集団自決があったと解釈して、教科書から「集団自決(強制集団死ごを削除しようとした文科省に対し、県民が怒涛のごとき怒りの抗議をしたことは当然の帰結だが、政治的妥当性がある。しかしそれでもなお、先に挙げた諸疑間は残ったままだ。
●別な視点から大きな疑惑が他にもある。戦時中に起きたスパイ容疑への軍事処刑(中国・東南アジアでの一部の日本軍の残虐行為にそれは酷似している)と、また戦後、元戦隊長らがずっと生き延びてこれた現実があるということだ。
●実は今回の「うらそえ文藝」で「集団自決」問題を特集しようと考えたが、まだ究明の余地があるように思われ、時間も必要であることを痛感し、結局、特集を組むことを取り止めにした。
 
                  ◇
 
県民大会等を経た現時点において
 
わざわざこのように但し書きをしているところから判断して、星氏はこの文を書いた時点で、「11万人」集会の呪縛から解けておらず、歴史的事実より政治的な行動で教科書を記述すべきと考えているように推察できる。
 
元々星氏は実際に渡嘉敷島の聞き取り調査をしていった経験から赤松隊長がが直接命令したかどうかについては疑問を呈していた人物である。
 
従って沖縄タイムスの『鉄の暴風』の記述にも疑問を呈していた。
 
それがここ数年来の沖縄タイムスのキャンペーン報道に黙して語らなかったこと、は星氏のように沖縄で文筆活動する識者にとってはやむをえないことことなのだろう。
 
そして上記引用の後半部分で、「教科書検定意見」を「政治的妥当性がある」と述べざるを得なかった心の内は、「11万人」集会の呪縛との葛藤があったのであろうか。
同じく沖縄に在住するものとして言わせてもらうと、周囲の熱気に煽られて結論を急げば、どうしても疑問符が次々と出てくるのである。
 
だが、皮肉なことに星氏の検定意見批判にも関わらず教科書から「軍命」は削除されることで一件落着した。
 
やはり教科書記述は「政治的」にわい曲記述されてはいけない。
 
> 結局、特集を組むことを取り止めにした。
 
「県民大会の熱気覚めやらないあの時点では「政治的記述」と「真実の記述」の板ばさみで地元紙に袋叩きにあうことを恐れて特集を組むことを中止したと推察する。
 
星氏が今朝のタイムス記事のバカ騒ぎで「11万人」集会の呪縛から解放されることを念じたい。

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派遣・非正規は歴史の必然! 雇用機会の拡大のために

2009-01-29 08:13:29 | 県知事選

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 正義の味方が、実は悪魔の手先の場合がある。

一見優しく思える言動が、実は悪魔の囁きなのだ。

その一方、非情に思える箴言が、実は非情の裏に優しさを含む場合もある。

 

失業者の群れに「社会のくず」呼ばわりすることは決して優しさの表れだとは思わないが、

「企業が26歳未満の若者を雇用した場合に試用期間2年間は解雇理由を提示をすることなく解雇できる」

という法律は一見非情に見えても、失業者に雇用の機会を与える意味を含んでおり、既得権の上にあぐらをかく「正規雇用制度」の壁に穴を開ける試みであり、

失業者にとっては優しい法律のはずだったが・・・。

雇用機会の拡大を求める失業した若者に向かって、時の担当大臣が、

「ごろつき」だの「社会のくず」だの暴言を吐き、あげくの果てに雇用の機会均等のために発布した法案が初期雇用契約(CPE)で、その内容が、

「・・・解雇理由を提示をすることなく解雇できる」

というものだったら、その内閣はひっくり返るというのが日本の常識だろう。

だが、2005年当時のフランス内務相サルコジは、その後大統領になっているし、当時のフランス政府はこの初期雇用契約(CPE)で若者の「解雇が容易になり、企業は積極的に若年者を採用するようになる」効果があるものとマジメに考えていた。

2005年秋、パリの移民系若者によって起こされた暴動は3年後の日本が直面する「年越し派遣村騒動」を暗示していた。

当時の「燃えているパリ」の状況は 日本でも無関係ではないと思われたが、パリで騒動が起きると「革命」を期待する当時の「しんぶん赤旗」次のように報じていた。

 

2006年3月9日(木)「しんぶん赤旗」

労組・青年 一緒に行進

不安定雇用反対 フランス100万人行動

 【パリ=浅田信幸】青年の雇用不安定化につながる政府提案の「初採用契約(CPE)」に反対するフランスでの七日の百万人行動は、労働総同盟(CGT)ら八労組、仏全国学生連合(UNEF)、高校生連合(UNL)などが「CPE撤回」を統一スローガンに共同で呼びかけたもの。社会党や共産党など左翼諸党や学校父母会の全国連盟もこれに合流することを決め、約二十の大学で学生ストが実行されました。


写真

(写真)7日、不安定雇用の拡大に反対するパリのデモに参加した若者たち(浅田信幸撮影)

 労組、青年学生組織、左翼諸党らの指導者がそろってデモに参加したパリでは、大学生、高校生を先頭に、ホイッスルや太鼓、トランペットでにぎやかに行進。デモ開始後に降りだした小雨のもと、「みんなで一緒に、CPE撤回を」などのシュプレヒコールを繰り返しました。

 ティボーCGT書記長は「この行動を見て、首相がCPEへの態度を見直してくれることを期待したい。労組も学生たちも“解雇の自由”には反対で一致している。われわれはこのたたかいを緩めない」と語りました。

 またジュリヤール仏全学連委員長は「きょうは運動を広げる出発点になった。明日からの運動でこの力比べに勝つのは誰かを示すことになる」と発言。全国の学生に直ちに無期限ストに立ち上がるよう呼びかけました。

 CPEは、二十六歳以下の青年を対象に、採用から二年間を見習い期間とし、この間、経営者側による理由を提示しない自由な解雇を認める雇用契約。労組はこれが労働者の権利をはく奪するもので、労働法改悪と不安定雇用拡大の突破口になると、いち早く反対を表明。学生たちは「青年を使い捨て労働者にするものだ」と反発しています。

 政府はCPEを盛り込んだ機会均等法案の国会審議を急ぎ、上院での早期採択・成立をはかっていますが、労組や学生・高校生組織はあくまで「撤回」を要求して長期戦の構え。先週末に学校の冬季バカンスが終了したばかりで、たたかいはこれからが本番だと位置づけています。

                    ◇

公務員が何故人気があるか。

一旦採用されてたら、刑事事件でも起こさない限り、定年まで解雇されることはないという身分の安定にある。

労働者の敵は労働者と書いた。

労働者の敵は労働者 ワークシェアリング

既得権益を享受するグループは、その権益への新規参入に反対をする。 弁護士不足で弁護士資格のハードルを下げようとすると真っ先に反対するのは同じ弁護士であり、これは医師資格の場合にも当てはまる。

資格の伴う職業だけではない。 公務員は言うに及ばず民間の「正規社員」にも既得権益が生じている。

正規社員は限りなく公務員に近い既得権益があり、数ある権益の中でも特に「解雇できない」という権益が重要である。

沖縄タイムスが、「雇用」を特集で連載しているが、その中で企業側から見た「正規社員と非正規社員」について、沖縄県経営者協会の知念栄治会長は、

正規社員を採用してしまうと、簡単に人員整理をできない。特に沖縄の場合、ほとんどが第三次産業、サービス業。特別難しい技術がなくてもできる仕事に非正規雇用が増えると思う」と、企業にとっての利点を強調した。 

(非正規雇用が)コスト削減に役立つことは認めつつ、「子育て中の人など短時間で働きたいという労働者側のニーズもある。企業によっては待遇があがっているところもある」と働く側の事情に触れている。

そう、企業が右肩上がりで成長しているときは「正規雇用」も問題がなかった。

だが、昨今のように「100年に一度」の不況に見舞われる経済環境になると硬直した正規雇用では企業経営は維持できなくなってきた。 1950年代以来の雇用制度に疲労が見えてきたのだ。

 

今問題になっている「正規・非正規雇用」問題は、戦後日本経済を二人三脚で支えてきた終身雇用制度と年功序列制度を抜きにしては考えられない。

では、日本の企業は元々終身雇用や年功序列でやってきたのか。

いや、そうではない。

戦後1950年前後までに制作されて古い日本映画を見ると、「近く整理があるらしい」という社内のうわさにおびえるサラリーマンの姿が頻繁に出てくる。

整理とは現在でいうリストラと同じ意味で或る日突然社員に降って来ても誰も拒否できないといった風に描かれている。

つまり正規社員でも企業側の都合で容易に解雇できた。

それが1950年代以降、日本の企業は、大企業を中心に、欧米の企業とは異なる日本独自の雇用制度に移行していく。

経営学的に見れば、企業は生産の増減に応じて雇用調整をするのが企業の存続にとって一般的である。

 

それが1950年代になると、何ゆえ日本は雇用調整をせず終身雇用制度を実現することができるようになったのか。

①労働者側にシンパシーを持つ左傾裁判官の跋扈

左傾判事の作った判例法によって労働者の雇用が必要以上に保障され、労働者が企業から中途解雇されることはほとんど不可能になった。 その結果一旦就職したら一つの会社に残りやすいという事情があった。

②就職から就社への意識変換

年功序列賃金制度とは、労働者が一つの会社に長く勤めれば努めるほど、その地位や賃金が上昇していく制度であり、中途採用者は、労働者にとって著しく不利になる制度で、新卒採用者と中途採用者では昇進、待遇等に大きな格差を設けられた。

結果として企業への忠誠心が強くなり転職など考えないようになる。 その結果就職は人間一生の就社となった。

◆日本型雇用が成立するための必須条件

A:企業が安定的に右肩上がりで成長していくこと(上場会社が倒産するなんて神話だと思われていた)

サンウェーブや山陽特殊鋼の倒産は衝撃的だったが例外的だった。

B:社会全体の人口構成が常にピラミッド型になっていること(現在はピラミッドが変形し、雇用どころか年金も破綻しかかっている)

 

 

◆日本型雇用が崩壊した理由

バブルが崩壊した1990年代以降、長引く不況の結果企業の右肩上がりの成長神話が止まり、業務が縮小するに伴って、新規に従業員増やすことができなくなった。

一方人口構成も少子高齢化の進展によって若年労働力が中高年労働力に比べて豊富だとはいえなくなってきた。

もはや、年功序列賃金制度による中高年管理職の高い賃金を、低賃金の若年労働力で支えるスキームに作動しなくなった。

同じスキームの年金制度も年功序列賃金制度と運命を共にしている。

1990年代以降、人件費負担の重くなった企業は、賃金の高い中高年層を中心にリストラを積極的に行うようになるが、一方的に解雇はできないので、陰湿ないじめにより自主退社に追い詰める例が続出した。

⇒窓際の支店長(沖縄でも銀行の支店整理により、ソレまで花形だった支店長が「資料係り」として一室に集められ朝から晩まで新聞切り抜きをさせられたという話も良く聞いた)

そして、硬直した「正規雇用制度」の制度疲労に対処すべく登場した派遣社員制度は歴史の必然であった。(続く)

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「燃えるパリ」と正規vs非正規の戦い

2009-01-28 08:39:50 | 県知事選

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半年で派遣社員ら40万人失職も 厚労省予測の4倍  
 製造業の派遣・請負企業の業界団体、日本生産技能労務協会と日本製造アウトソーシング協会は27日、昨年秋から今年3月末までの約半年間に、製造業で約40万人の派遣、請負社員ら非正規労働者が失職するとの見通しを示した。厚生労働省がほぼ同じ期間に見込む失職者の約4・7倍の規模で、両協会は「(製造業への労働者)派遣・請負市場は壊滅状態」としている。

 同日の自民党労働者派遣問題研究会で示した。大規模な失職者発生は、不況に円高や金融機関の貸し渋りなどが重なり、製造業のさらなる業績悪化が予想されるため。

 厚労省が昨年12月に実施した調査では、製造業を中心に昨年10月から今年3月末までの間に、約8万5000人の非正規労働者が失職する見通し。

 一方で、両協会は製造業の派遣、請負社員として働く人は今回の不況前には100万人程度いたと説明。会員企業への聞き取り調査などから、このうち4割に当たる約40万人が失職する可能性があるとした。

2009/01/27 19:38   【共同通信】

                   

今から四年ほど前の2005年秋。

あのヒトラーの狂気でもってしても燃やすことのできなかったパリが燃えた。

パリのアラブ系若者を中心にした若者たちが職を求めてデモをし、それが飛び火して放火騒ぎにまで発展したのだ。

この騒動はフランスが抱える「硬直した正規社員制度」が若者の雇用機会を奪っているという現在の日本が抱える雇用問題のさきがけであった。

だが当時の日本の各紙はフランスが過去に行ってきた植民地政策のツケが廻ってきたのだとピンとはずれの論調で、

もっぱら民族問題、差別問題と捉え、アラブ系移民のジダンなども話題になった。

その当時治安を担当していたサルコジ内相は、暴動に参加する移民系若者のことを「ごろつきだし、社会のくずだ」と罵倒した。

日本の担当大臣が職を求める若者に向かって同じような発言をしたら、即時大臣辞任か政治家としての生命も立たれていただろう。

そのサルコジ元内相が現在のフランス大統領だから、日本では考えられないことだ。

名前:溜辞灼丸の国内ト⑯ス解説投稿日:2005/11/12(土) 05:13:53 ID:S5YRBgO9
フランスのサルコジ内相は10日、国営フランス2テレビに出演し、暴動に参加する移民出身者の
若者らについて「ごろつきだし、社会のくずだ。(呼び方を)変えるつもりはない」と明言した。
 内相は暴動発生当初に若者らを「社会のくず」と呼び、暴動が激化する要因となって野党から
批判されていたが、発言を撤回することを拒否、強硬姿勢を変えるつもりがないことを示した。

                   ◇

2005年のパリ発の移民系若者の暴動は年を越して、当時のドビルバン大統領は若者の雇用機会拡大を目的として現在の日本の「正規vs非正規雇用問題」に一石を投じるような新法案を発布した。

初期雇用契約(CPEと略される)というその新法案は若者の失業率の悪化への対応として次のような内容であった。

26歳未満の若者の雇用にあたり2年間の試用期間を設け、この期間中は雇用者側は理由を問わず解雇することを認めるという法案で、この内容を盛り込んだ機会平等法は、2006年4月2日に公布された。

一見、現在の日本が抱える派遣切りや非正規切りに通じるようで、若者にとっては不利な悪法ではと考える人も多いだろうが、これについて詳述はさておく。

日本のマスコミはパリで若者が騒ぐと情緒的な記事を書くのを得意とするが、2005年秋のパリの若者の暴動も当初は植民地問題、民族問題と捉えていた。

その当時まだブログ開設をしていなかった当日記は友人仲間のプライベートサイトにカキコしていた。

以下はその転載です。

                     ◇

Date:  2005年11月9日(水) 午前8時17分
Subject:  パリは燃えているか!

パリは燃えているか!
これは新聞の見出しではない。
約40年前のフランス映画のタイトルである。

第二次大戦の末期、ノルマンディ作戦の直後、連合軍によるパリ解放の2週間を描いたドキュメント風の名作のことだ。
映画のラストでパリ占領ドイツ軍司令官に対しベルリンのヒットラーが「パリは燃えているか」と何度も電話に向かって叫ぶ。
ヒットラーの狂気が画面に漂った。
しかしパリは燃えなかった。

この映画の翌年から2年後にかけて「パリが燃えた」。
1968年のパリ学生街カルチェラタンの5月革命である。

発端は単純な動機からだった。

大学の女子寮への男子学生の出入りを認めよと言うのである。
パリ大学の移民居住地近くの分校から学生デモがパリ各地に飛び火したのだ。
これに左翼学生が便乗した。
スローガンは当初の「男女交際の自由!」から「ベトナムに平和を!」と変わった。
学生デモは急速に過激化して当時のドゴール政権を揺るがすほどのうねりを見せ日本にも飛び火した。

更にその翌年の1969年3月30日。 
パリの暗い日曜日の朝。
1人の女学生が焼身自殺で衝撃的に命を絶った。
フランシーヌ・ルコントと言うその女学生はベトナム反戦やビアフラ飢餓児童救援をその衝撃的自殺で訴えたと1969年3月30日の朝日新聞夕刊は報じた。


朝日に続く各紙もこの少女の死をヒロイックに取り上げた。
そして日本で1人の女性歌手が学生運動のアイドルになった。

     フランシーヌの場合

  いまいずみあきら 作詞 郷 五郎 作曲
  新谷のり子 歌

 1. フランシーヌの場合は あまりにもおばかさん
  フランシーヌの場合は あまりにもさびしい
  三月三十日の日曜日
  パリの朝に燃えたいのちひとつ フランシーヌ



  Francine ne nous reviens plus
  Pauvre carriere l' enfant perdu
  Francine s'est abandonnee
  A la couleur de fraternite
  Au petit matin du 30 mars
  C'eat dimanche
  Une vie s'enflamme pour son eternite
  A Paris Francine


  ひとりぼっちの世界に 残された言葉が
  ひとりぼっちの世界に いつまでもささやく
  三月三十日の日曜日
  パリの朝に燃えたいのちひとつ フランシーヌ


  フランシーヌの場合は 私にもわかるわ
  フランシーヌの場合は あまりにもさびしい
  三月三十日の日曜日
  パリの朝に燃えたいのちひとつ フランシーヌ

反戦歌手新谷のり子がフランシーヌを熱っぽく歌いだして12年後、パリでフランシーヌの跡を辿った人がいた。
パリであのフランシーヌをしっている人は誰もいなかった。
そして彼女は心の病があって通院をしており、焼身自殺と反戦運動は直接の関係は無かったとの親類からの情報を得た

  ホントのことを云ったら オリコウになれない
  ホントのことを云ったら あまりにも悲しい
  三月三十日の日曜日
  パリの朝に燃えたいのちひとつ フランシーヌ


フランシーヌは故国のフランスでは当の昔に忘れ去られている。
しかし何故か遥か離れた日本で今でも反戦運動のシンボルとして往き続けている。

新谷のり子は今でも36年の歳月を超えて同じ歌を歌いつづけている。
反体制のヒロインとして。

日本のマスコミが作り上げた「フランシーヌの伝説」は日本の学生運動の「歴史」となった。

  ひとりぼっちの世界に 残された言葉が
  ひとりぼっちの世界に いつまでもささやく
  三月三十日の日曜日
  パリの朝に燃えたいのちひとつ フランシーヌ


  フランシーヌの場合は 私にもわかるわ
  フランシーヌの場合は あまりにもさびしい
  三月三十日の日曜日
  パリの朝に燃えたいのちひとつ フランシーヌ

ヒットラーの狂気でもってしても燃やす事が出来なかったパリが今燃えている!

                   ◇

「正規社員vs非正規社員」問題を書こうと思っていたら、思いっきり脱線してしまい、「フランシーヌの場合」で終わってしまった。

だが「フランシーヌの場合」は、マスコミぐるみでフランシーヌという只の精神を病む女を「反体制のカリスマ」に造り替えてしまった虚像である。

フランシーヌの正体は、マスコミにとって「不都合な真実」として「井伏鱒二現象」という真実隠し同じ状況に陥ってしまい誰もその真相に触れるものはいない。(続く)


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場外乱闘は静かに継続中!沖縄にこだわり50冊/高文研

2009-01-27 10:11:53 | ★集団自決

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 本日アップが遅れた弁解。

6時30分頃から9時30分までにアクセスした方はご承知でしょうが、その時間帯は「gooブログ」のメンテナンスのため使用できなかったためです。

                  ◆


先週の土曜日、テレ朝の松本清張の「疑惑」を見た。

25年前に野村芳太郎監督で映画化された作品だが、現代風に脚色されており、テーマが法廷逆転劇であったせいか少しも原作の古さを感じさせない作品に出来上がっていた。

裁判官がマスコミにミスリードされるというドラマのうテーマは係争中の「集団自決訴訟」とイメージがダブってしまい、改めて「法廷外闘争」を考えさせられた。

ストーリーは松本清張の「疑惑」をクリックすれば読めるが、概略を述べると年老いた資産家の料亭主が若い後妻と深夜ドライブ中に車ごと海に転落し、後妻だけが助かり老主人は溺死する。

事故後、主人には後妻を受取人にした多額の生命保険に入っていることが判明。 さらに後妻は主人が数ヶ月前に上京した際、接待を受けたクラブのホステスで財産目当ての結婚だったとの噂があり、おまけに前科もあり、その奇矯な言動から地方紙の女記者が「後妻犯人説」で連日大キャンペーンを張る。 それにつられて証言者達は法廷で容疑者に不利な証言を次々する。

そして判決は死刑!

古畑任三郎演ずる、もとい、田村正和演ずる佐野弁護士が新聞社のキャンペーン記事の裏を取っていく。 すると、取材記者は容疑者に不利になることなら、単なるウワサでもそのまま針小棒大に取り上げ、その一方容疑者に有利な証言は「不都合な真実」として徹底的にスルーしている事実を突き止める。

そして、控訴審で「ウワサの証言」次々論破して、逆転無罪を勝ち取る・・・「♪ウワサを信じちゃいけないよ~♪」といった内容。

ストーリーとは関係ないが主演の田村正和の「バカヤロ」というセリフがミョウに面白かった。

ドラマでは地方紙の花形記者を室井滋が好演していたが「集団自決問題」でウワサをそのまま書きなぐったどこかの新聞社の記者の名前が複数名脳裏に浮かんで興味深かい。

ドラマ「疑惑」の裁判と「集団自決訴訟」は刑事事件と民事事件の違いはあっても、物的証拠もないままマスコミが誇大に喧伝する状況証拠だけで裁判官が恣意的判決を下したという点では共通項を持つ。

裁判官は「世論」を気にするというが、「世論」はマスコミが作る。

となると、判決は新聞の見出しが作るといってもあながち間違いとはいえない。

 

判決は「見出し」が作る 「全知全能」と驕る記者と判事が日本を劣化させる

歴史は「見出し」が作る

改めて「場外乱闘」が最高裁判決に『与える影響を危惧するが、一昨日の日曜日、NHKは相も変わらずこのような援護射撃。

第257回 1月25日(日)
女たちの地上戦 ~沖縄 埋もれた録音テープ 150時間の証言~

内容はお決まりの「残虐非道な日本軍」の証言だが、番組最後のクレジット見れば、自ずとその内容は推してしれる。 

資料提供者として、悪名高い「沖縄県立歴史資料記念館」はともかく、

「那覇市歴史博物館と「宮城晴美」の名前が出てくるのを見ると改めてこの番組の偏向性がわかる。

ちなみに宮城晴美氏は那覇市歴史博物館の主査をしているはず。

 

「援護射撃」はNHKだけではない。

左翼出版社・高文研と沖縄タイムが連携すれば以下引用のような記事になる。

ちなみに高文研は宮城晴美著『母の遺したもの』の出版元。

2009年01月25日【朝刊】 社会 

沖縄にこだわり50冊/東京の出版社・高文研/梅田代表 「基地ある限り伝える」【01月25日】
 【東京】平和や戦争問題などの書籍を出版している高文研(東京都千代田区、梅田正己代表)が今月、新刊「写真証言・沖縄戦『集団自決』を生きる」を出版した。これで沖縄関連本は五十冊目となった。沖縄にこだわる視点を持ち続け、一九八三年発行で関連本第一号の「観光コースでない沖縄」から足かけ二十五年目の節目でもある。梅田代表は「これからも沖縄問題を伝え続けたい」と語った。(西江昭吾)

 関連本出版は、沖縄大学理事長の新崎盛暉さんとの出会いがきっかけ。共に二十代のころ。梅田代表が原稿執筆を依頼したことから意気投合し、地域に根差した市民講座をやろうと、八一年から沖大と同社が「沖縄セミナー」を始めた。

 セミナーでは本土からの参加者も含めて基地や戦跡をバスで巡った。「本土の人だけでなく、県内の教師らもきちんと実態を見ていないことに気付かされた。沖縄戦をきちんと伝える案内本がなかった」。この時の思いから「観光コースでない沖縄」が生まれた。

 九二年からは都立高校が修学旅行で飛行機を使えるようになり、沖縄に行く学校が増加。それに合わせて、青い空や美しい海だけでなく、歴史や文化に触れてほしいという願いを込めて「沖縄修学旅行」と題した入門書を出版した。以来、平和学習を行う学校にとって“修学旅行のバイブル”といえる存在になった。

 梅田代表は「食べ物やグルメの本だともっと売れるが、基地や戦跡などシビアなテーマは大変。五十冊のうち重版したのは二割ほど」とこれまでの歩みを振り返る。

 今後に向けては「戦後六十三年たっても、国の一部を米軍基地として提供していることは道義的に許されない。それが続く限り、沖縄問題を伝え続けていく」と決意を新たにした。

                                              ◇

それにしても「沖縄戦でメシ食う人々」が結果的に「法廷外闘争」の場外乱闘に貢献していることになる。

「真実の攻防シリーズ」で孤軍奮闘している鴨野守氏が『真実の攻防』の単行本をこの5月都内の書店で発売が決まり、その記念講演会が6月に沖縄で行われるとの嬉しいニュースが入った。

詳しい日程は決まり次第押し知らせしたいと思います。

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やっぱり朝青龍! チケットも視聴率も上昇

2009-01-26 08:09:38 | 県知事選

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大相撲初場所千秋楽で、朝青龍の優勝が決定した直後、

NHKテレビの北の富士と舞の海、両解説者が絶妙の掛け合い漫才をやって笑わしてくれた。

これまで散々「今場所の朝青龍は稽古不足なので、最悪引退だ!」といった予想をしていた両解説者にアナウンサーが感想を求めた。

北の富士:「うーん、困ったな。 舞の海さんからどうぞ」

舞の海:「いやいや、相手は横綱ですから、横綱経験者の北の富士さんからお先に」

北の富士:「うーん、まいったなの一言です」

まぁ、いさぎよく参ったと白旗を揚げた両解説者はご愛嬌だったが、横並び一斉に「引退勧告」をしていた自称相撲通の方々は見苦しかった。

朝青龍が初日に勝った時、やくみつる氏は「大番狂わせ」と横綱に対して、失礼な暴言を吐いていたし、12勝0敗で一人全勝街道を突っ走っていたときは、多少見直したようだがそれでも「優勝は絶対ない」と言い切っていた。

優勝後のコメントが聞きたいものだ。

同じ漫画家の黒鉄ヒロシ氏などは7連勝した時点でも、この後負け続けて7勝8敗もありうると、どうしても朝青龍に引退勧告をし続けていた。

何よりも面目を失ったのは横綱審議委員会

相撲好きではあっても相撲の素人集団が天下の横綱の稽古内容まで、いちゃもんをつけられたら朝青龍激怒!も当然だろう。

それにしても相撲のプロであった、舞の海が最後に言った一言が印象的だった。

「稽古しなくとも優勝できるのですね!」

そう、その通り。

稽古にも質と量があって、やたらに量を多くすればよいって者ではない。

筋肉の質が短距離型の朝青龍にとっては他人の目には稽古不足に見える程度の稽古でも優勝できる。

これまでもそうだったし、今後もそうだろう。

稽古量に口出しして「既に引退しているようなもの」と言った内館女史、顔に似合わず?心臓が悪いようだが、悔しさの余りに病状を悪化させないように養生して欲しいものだ。

一番の養生は、自分が横審を引退するのが一番なので、これを機に引退をお勧めする。

 

おっと、今しがた、テレ朝のワイドショーで、やくみつる氏のコメントがあったが、朝青龍のビデオを見る度「血圧があがる」とのこと。

でも、優勝はしても「品格の点では許せない」と負け惜しみを言って、朝青龍に敵意を漲らしていた。

やくみつる氏によれば「礼儀作法の先生」が横綱になれば勝負はどうあれ納得できるのだろうか。

バカバカしい。

見苦しいぞ!やくみつる。

 

大相撲初場所:やっぱり朝青龍 チケットも視聴率も上昇

 

【大相撲初場所千秋楽】優勝決定戦で白鵬を破って優勝し、観客の声援に応える朝青龍(中央)=東京・両国国技館で2009年1月25日、長谷川直亮撮影
【大相撲初場所千秋楽】優勝決定戦で白鵬を破って優勝し、観客の声援に応える朝青龍(中央)=東京・両国国技館で2009年1月25日、長谷川直亮撮影

 東京・両国国技館で25日に行われた大相撲初場所千秋楽。朝青龍が、白鵬との優勝決定戦の末に復活優勝を遂げた。3場所連続休場明けで場所前から動向に注目が集まり、チケット売り上げやテレビの視聴率も上昇。まさに「朝青龍場所」だった。

 千秋楽の当日券339枚を求めて、国技館前には徹夜組を含む長蛇の列ができた。午前8時半には、今場所5度目の満員札止め。15日間のチケットの残りは1日平均1700枚余りで、初場所では、横綱・貴乃花の引退後の04年以降最高の売れ行きとなった。平均視聴率は、中入り後後半の午後5時台に絞れば、朝青龍が2場所出場停止明けだった昨年初場所を上回り続けた。特に中日(18日)は、最高の21.5%を記録した(ビデオリサーチ・関東地区調べ)。

 日本相撲協会の武蔵川理事長(元横綱・三重ノ海)も「いろいろあるだろうが、存在の大きさは見ての通り」と、朝青龍の集客力を認めざるを得なかった。

 しかし、角界の常識から外れた朝青龍の行動も相変わらず。休場中ながら、場所前に清涼飲料水のテレビCMに出演。場所中も、自身の名を冠し、国技館正面のビルに構えるちゃんこ料理店の開店準備に余念がなかった。「師匠は何も言わないのかね」「下品極まりない」と嘆く親方衆は少なくなかった。

 横綱審議委員会の海老沢勝二委員長(元NHK会長)は「悪役も必要なんです。いろいろ役者がそろわないと」。朝青龍で始まり、朝青龍で終わった初場所だった。【武藤佳正】

                    ◇

「ヤメロ大臣とヤメロ横綱」が土俵の上で握手を、さすがの当日記も想定できなかった。

asou_asashoryu03.jpg

もちろんここでいう「ヤメロ」は両者とも「ヤメロ!」とバッシングを受けている側。

麻生ヤメロと朝青龍ヤメロ

マスコミが造り上げた「朝青龍ヤメロ」の「世論」は少なくとも国技館に通う本当の相撲ファンにとっては幻だったことがわかった。 それでも自説を「世論」と勘違いしているやくみつる氏はとんだ裸の王様だが。

マスコミは朝青龍優勝にあわせるように「麻生支持率20%を切る」との世論調査を発表して、相も変わらず「麻生ヤメロ」キャンペーンをしているが、「麻生ヤメロ」と「朝青龍ヤメロ」の共通点をマスコミは忘れている。

両者ともマスコミ誘導の強引な「世論」だということ。

マスコミはあげくの果てに重箱の隅をつついてこんなことまで「迷走」にしてしまう。

 
このようにして誘導された「世論」なんて一夜にしてひっくり返るもの。

両者が辞めるのは、バッシングや「マスコミ誘導の世論」ではなく、両者とも本人の最終決断だということ。

マスコミが何といおうが、横審が何と言おうが、

本人の決断以外に辞める理由はない。

 

【おまけ】

女性リポーターのインタビューににこやかに答えていた朝青龍、「今場所は本当のヒーローになりましたね」との問に、

「ん?ヒール?」とボケをかます余裕もあった。

やくみつるさん、このボケカマシも横綱の品格にそぐいませんかね。

 

本物の相撲ファンは朝青龍を必要としている。

朝青龍頑張れ!

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戦艦大和は悪鬼の軍艦?!

2009-01-25 07:46:58 | 未分類

 

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沖縄タイムスは、今年は「薩摩の琉球侵略」から400年、「琉球処分」から130年ということで、「沖縄は日本の植民地」という支店で特集を組んでいる。

多くの沖縄の「識者」が寄稿しているが沖縄紙に掲載されるには、一通り日本の侵略、差別に恨み節を述べた後、沖縄独立を扇動するのが沖縄紙で活躍する為の常道である。

識者の中でも特に反日思想の激しいお方が、いれいたかし氏である。 

しばらく紙上ではその名を見ないと思っていたが「植民地化を問う」とは、益々意気盛んなようで。

[魚眼レンズ]いれいたかしさん【01月13日】 (沖縄タイムス)
植民地化問う評論を脱稿


 「制度的には日本の一部になっているが、沖縄の内部精神は本来は独自のものを持っている。日本を突き上げるような立場からさまざまな発想をするべきだ」と強調する評論家のいれいたかしさん。

 新しい年を迎え、「ちゃーすがくぬ沖縄」(どうするこの沖縄)という約二百五十枚の評論を脱稿。復帰前後から現在の沖縄が歩んだ歴史を踏まえながら、自らの時局論、状況論を展開している。

 吉本隆明の「起源を見れば本質が分かる」という言葉を引き合いに出しながら、「今年は薩摩侵攻から四百年の節目の年。そこから始まる沖縄の植民地化の過程を問い詰めていくことが必要だ」と意気込む。

                     ◇

で、このいれいたかし氏って、どんなお方?

こんな顔のお方のようで(1935年生まれ)。↓

 ●『沖縄・うむいの風土』いれいたかし著・沖縄タイムス社刊・

 

当日記では過去に「続・戦艦大和の特別任務★それは沖縄県民の虐殺であった!」で取り上げたが、いれい氏は沖縄の数ある「反日識者」の中でも特に反日、いや憎日意識の強烈なお方で、彼の主張によると日本軍はすべて悪鬼の集団だったということになる。

以下は過去のエントリーに一部加筆したものです。

                   ◇

沖縄に住むに人にとって新聞購読に、選択する自由はない。
 
二つしかない地方紙の沖縄タイムスと琉球新報は双子の兄弟のように左に偏向しているのでどちらを読んでも同じだということだ。
 
沖縄タイムスを親の代から続けて購読していたが、十数前から琉球新報に変えた。
 
双子の兄弟なら何もわざわざ変える必要も無いとも思ったが、、同級生で琉球新報の記者だった友人の1人がその頃論説委員になり 購読を頼まれたことと、双子の兄弟でもまだ琉球新報の方がタイムスよりはいくらかはましだと思ったのが購読変更の理由であった。
 
従って沖縄タイムスのウェブ記事以外の記事に目を通す機会は少ない。
 
■戦艦大和の特別任務は沖縄県民の虐殺だった■
 
一昨日のエントリーで「戦艦大和の特別任務」として、沖縄戦の援護の他に「救援物資の輸送」もあったという記事を書いたら多くの反響があり、読者コメントのやり取りの中から去年の沖縄タイムスの戦艦大和記事を紹介して頂いた。
 
当日記は、沖縄タイムスの偏向ぶりや記事歪曲について、これまでも幾度となく指摘かつ糾弾してきた。
 
沖縄タイムスの異常なまでの偏向ぶりは充分承知しているつもりの筆者にして、紹介された記事のデタラメさには暫し言葉を失った。
 
しかも書いた人物は「有識者」として沖縄の新聞で頻繁にその名前を見る人物だ。
 
呆れて言葉を失った口からため息が漏れた。
 
何と言う無知蒙昧で恥知らずの記事だ!
 
 
 
沖縄タイムスの記事によると戦艦大和の「特別任務」は沖縄住民の虐殺であったというのだ
 
記事を書いた「いれいたかし」という人物は、その歳(1935年生)にしてこのような破廉恥な駄文を書くくらいだから今更批判しても蛙の面に小便だろう。
 
だが、それを承知で紙面を提供した沖縄タイムスは、もはや報道機関としての末期症状を呈してきたとしか思えない。
 
日本では言論・思想の自由を保障されているとはいえ、事実誤認を下敷きにこのようなこのような「反日」、いや、「嫌日・憎日」記事で県民を扇動するならくらいなら中国にでも亡命することを勧めたい。
 
沖縄県人として以下に地元紙の噴飯モノの記事を晒すの恥ずべきだが、以下にその一部を抜粋引用するので反吐をこらえて読んでいただきたい。
 
 
 まず、明治以来、日本国の琉球島嶼群に対する差別政策は、人頭税をはじめとする旧慣温存による苛斂誅求(かれんちょうきゅう)と、伝統文化や言語の廃絶強制など多岐にわたるが、そのいきつくところとして、太平洋戦争における皇土防衛の為の捨石とされた事もあるが、もっともあくどい仕打ちは、戦艦大和の沖縄海上特攻作戦だったのではないかと私は思う。
 
さて、そこへ大和が攻め込んできて、世界最大最強といわれたその主砲四十六㌢砲塔九門が一斉に火を吹くと沖縄はどうなっただろうか。想像しただけで瞑目するばかりであるおそらく、大和は偵察機による誘導もないので、沖縄中南部の平地に巨大な砲弾をところかまわずに打ち込んだであろう。その弾は日米軍ばかりではなく、住民をも打ち砕いたであろう。 住民の犠牲者は、更に多数に上り、三十万人(当時の人口の半分)にも達したのではないかと、恐れる。
 
だが、大和は、米空母群から発艦したヘルダイバー急降下爆撃機による空からの攻撃と潜水艦による魚雷攻撃で、沖縄本島には一発の砲弾も放つことなく、四月七日に、三千人の乗組員とともに撃沈された。
あっ、よかった。戦艦大和が、沖縄のはるか北方の海に沈められてよかった。そう言えば、日本国民の多くは激怒するだろうし、やはり琉球人は日本人ではないと、その従来の差別感の正当性を再認識するに違いない。
 
沖縄人が、戦艦大和によりさらに多数を殺され、島の集落のことごとくが破壊されたであろうことを思えば、それはまさに明治以来の差別のいきつくところであった
 
沖縄タイムス 2007年3月20日 特集記事
「復帰35年 揺れた島 揺れる島 19回 “踏みしだかれた島(上)” いれい たかし記」より抜粋>
 
いやはや、まことに畏れ入る珍説・チン論だ。
 
先ほどは事実誤認と遠慮がちに書いたが、読み返してみるとこれは事実誤認なんて生易しいものではない。
 
ひがみ根性と妄想をウソでで塗り固めた悪意あるデマゴギーそのものだ。
 
氏が「被差別意識」で凝り固まったひがみ根性丸出しの人物であることは、戦艦大和の沖縄派遣は「差別政策の象徴 大和特攻」という同記事の見出しに現れている。
 
沖縄援護の途中、雄図むなしく敵機の標的となり深海に沈んだ3000人の英霊を、まるで沖縄住民を虐殺に向かった悪鬼集団であるかのように貶め冒涜している。
 
沖縄タイムス発刊の『鉄の暴風』が「嘘の暴風」と呼ばれるほどウソまみれの記事に満ちた空想読み物だと言われて久しいが、
 
戦後63年経過してなおこのようなデタラメを平気で記事にする沖縄タイムスの事実歪曲体質は『鉄の暴風』出版当時と何ら変わっていない。
 
昨年来の「集団自決」にかかわる一連の歪曲記事、そして今年になってからの「米兵女史中学生暴行事件」の捏造報道。
 
一事が万事の例えどおりである。
  
全文をお読みになりたい方は以下のリンクで。
 
くれぐれも血圧の上がらないように・・・。
 
2007年04月20日
 
上記ブログに多くのコメントが書き込まれているが沖縄県人のSさんがタイムスの記事に憤慨して書き込んだコメントを以下に引用紹介します。
 
くっそ!!
言わせろ!!私は沖縄出身の沖縄在住沖縄人だ!
私は沖縄にずっと住んでる。
正直、大和の話も特攻隊の話授業でもならわなかったし、友達も家族や親戚近所もだれも話してない。
だから私はなんの先入観も無く、大和のことについて調べた(いや、十分に反戦教育を受けていたが)それでも私は、大和に感謝したいと思ってる。
結局は沖縄までこれなかったけど、でも、死ぬと分かっていても沖縄まで来てくれようとしてくれた大和と乗組員にすごく感謝してる。
沖縄で特攻隊と大和の慰霊祭をやるべきだとも思ってる。
沖縄タイムスも琉球新報も左翼新聞、そして、沖縄には左翼以外の報道機関が存在しない。
でも、私や、私の周りのように、ちゃんと知ってる人がいると言いたい。
沖縄人=左翼、ではない。沖縄の若い世代も気付き始めている。
こんな新聞で沖縄の意志を読み取らないでくれ。
ってか読み取ってる人もいないが^^;
とにかく、沖縄の報道を信じるな。
政治的な話は大体嘘だったり偏向報道だから。
沖縄人でも、大和に感謝してる。何度も言うけど、大和と大和の乗組員に私はとても感謝している。

Posted by S at 2007年04月21日 23:27:50
 
沖縄県民の中には、Sさんのようにタイムス記事に憤慨し、特攻隊や戦艦大和で戦死した若者達に感謝している人が多数いることを記しておく。
 
 
沖縄タイムスといれいたかし氏は戦艦大和と運命を共にした3000柱の英霊に己の犯した無礼を深く謝罪すべきである。
 
沖縄タイムスよ、恥を知りなさい!
と思う方、クリックお願いします。↓
 
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吉田 満
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愛国心を削除した共同通信 国旗を排除した民主党

2009-01-24 07:51:37 | 県知事選

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 ◆愛国心を削除した共同通信 国旗を排除した民主党

オバマ米大統領が就任挨拶をする日の直前、日本の自民党と民主党が同じ日に党大会を開いた。

自民党・民主党:党大会「同日対決」 自民、挙党一致を強調/民主、ニューディール(毎日新聞 2009年1月19日 東京朝刊)

ところがネットでは両党の大会内容より、両党に愛国心にあるかどうか話題になっている。

自民党の党大会の壇上には国旗が掲げられているが、民主党の党大会が日本国旗を掲げず大問題になっているのだ。http://www.mudaijp.com/wp/3909.html

 

1 名前:ぽこたん( ・∀・ )φ ★[] 投稿日:2009/01/21(水) 22:21:54 ID:???0
★自民党関連の動画など
【第76回党大会】麻生太郎総裁年頭演説(2009.1.18)
http://jp.youtube.com/watch?v=MfzoW9zBP4M
  
http://www.nicovideo.jp/watch/1232358117
  
http://ch.nicovideo.jp/channel/ch90


麻生太郎総裁が選挙に向け、不況克服に向け全力を挙げると決意 第76回定期党大会
http://www.jimin.jp/jimin/daily/09_01/18/210118b.shtml

・自民党大会の壇上画像(日の丸あり)
http://www.jimin.jp/jimin/daily/09_01/18/img/b_pic01.jpg
070.jpg

★民主党関連の動画など
<ビデオ>民主党大会ビデオ中継   
http://www.dpj.or.jp/news/?num=14994


2009年1月18日 小沢代表党大会後記者会見  
http://www.nicovideo.jp/watch/1232334910


【定期党大会】小沢一郎代表挨拶
http://www.dpj.or.jp/news/?num=14998


【定期党大会】2009年を歴史に記される年に 政権交代へ全党一丸で
http://www.dpj.or.jp/news/?num=14999


・民主党大会の壇上画像(日の丸なし)
http://www.dpj.or.jp/news/files/tai01182.jpg
071.jpg

http://www.dpj.or.jp/news/files/oza01182.jpg
072.jpg


4 名前:名無しさん@九周年[sage] 投稿日:2009/01/21(水) 22:23:29 ID:iwM0Ciid0
まあ、日教組が支持母体だからな

                    ◇

 

ここまでだったら、愛国心のない民主党のことだからカラスの勝手だが、同じ民主党でもオバマ米大統領の民主党は愛国心溢れ、国家に忠誠を誓うことを国民の責務と考える民主党。

オバマ大統領の就任演説を聞いた、日本民主党応援団の共同通信は、困ってしまった。

ん? 日本の民主党と米国民主党は似て非なるものだった!

 

そこで、一大決意をした。

全国の地方紙に配信された共同通信配信の訳文からは「寛容、好奇心、忠誠、愛国心」を削除してしまったのだ。

天漢日乗」さんより抜粋引用。


共同が配信した翻訳にいちゃもんが。

 <540 :名無しさん@九周年:2009/01/21(水) 17:22:11 ID:P/dCXjJw0
>>29
>われわれの試練は新しいものかもしれない。それに立ち向かう手段も新しいものになるだろう。
>しかし、われわれの成功は、勤勉、誠実さ、勇気、そしてフェアプレーにかかっている。
>昔から言われていることだが、その価値は本物だ。

原文だとこんな文章
http://www.nytimes.com/2009/01/20/us/politics/20text-obama.html?pagewanted=3

 Our challenges may be new, the instruments with which we meet them may be new,
 but those values upon which our success depends, honesty and hard work, courage
 and fair play, tolerance and curiosity, loyalty and patriotism -- these things are old.


全文和訳といいながら loyalty:忠誠 patriotism:愛国心 はスルーな共同通信 >

 

日本の民主党と共同通信は愛国心・国旗はタブーだと思っているらしい。

党大会から国旗を外すなんて・・・

大統領演説訳文から愛国心を削除するなんて・・・

やっちまったね!

関連ブログ:

 党大会に見る国旗の有無http://blogs.yahoo.co.jp:80/shiraty5027/47857298.html

 小沢一郎の苦悩 労組、日教組、外国人が表にですぎて、票伸びず

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タイムス夕刊廃止と不発弾被害補償

2009-01-23 07:57:08 | 未分類

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沖縄タイムスの夕刊廃止が話題をよんでいる。

記事内容では談合の琉球新報だが、この機会に読者を増やす絶好の機会だと思ったのだが。

やはりここでも談合体質丸出しで琉球新報も近く夕刊廃止とのこと。

友人の同志のプライベート・サイトに次のようなカキコミがあった。

  <3月2日をもってタイムスの夕刊が廃止される。夕刊廃刊による購読者の受益分はたったの170円。現在の月極購読料が、3,160円(朝夕刊で)から2,990円(朝刊だけで)に減額されると言う。このタイムスの夕刊廃刊は新報と共同歩調を取っているのだろうか。新報購読者に情報提供をお願いしたい。
 つい先日、新報の販売員がタイムスから新報への購読替えの勧誘に来ていた。その時、そろそろ新聞の購読をやめようかと考えているという話をした。新報に変える理由は特に無いからである。それがタイムスの夕刊廃止の報を呼んで、いよいよ実行に移すときが来たようである。
 沖縄では、新聞に死亡広告が載っているので、新聞購読は必要不可欠であるということがよく言われる。しかしそれは本当に必要で不可欠だろうか。
 戦前はいざ知らず、戦後になって葬儀が派手で大業になったのは、県民が、新聞社の営業戦略に嵌められたからではないのか。
 元々、葬儀告別式は、親族、地域社会を主体とし、全県的な広がりは無かったはずである。それが今はどうだ。葬儀、告別式関連事業は、一大産業と化し、沖縄社会にとって欠かせないもののように見られている。まさに禿げ鷹産業の隆盛である。  
 
 タイムスの夕刊廃止を機に、新聞購読を停止し、新聞と告別式の関係を再考するのも一興ではないか。その影響は如何に? Y.N.

なるほど、沖縄の特殊な共同体では、「死亡広告」を見るのは毎朝の欠くことのできない行事なので,死亡広告を見るためだけにやむを得ず新聞を取っているとは良く聞く話だ。

だが、自分を振り返って見ると、参列すべき告別式は「死亡広告」というより、友人知人の連絡によって知ったことがほとんどだ。

あまりにも死亡広告欄が多いので、肝心な時にはつい見落としいたというのが実情である。

だとしたら、上記Y君が指摘する「葬儀、告別式関連事業は、禿げ鷹産業」説も肯ける。

「葬儀が派手で大業になったのは、県民が、新聞社の営業戦略に嵌められたから」という説にも肯ける。

 「タイムスの夕刊廃止を機に、新聞購読を停止し、新聞と告別式の関係を再考するのも一興ではないか」

にも肯けるが・・・。

派遣社員やパート社員の首切りには声高に反対し、正義面するタイムス、新報は、

夕刊だけの配達で生計の足しにしている数千人の配達員の突然の失職にも「正義の味方」になってくれますかね。

                    ◇

一寸古い記事だが・・・。

2009年01月15日【朝刊】 社会 

岩盤理由に探査せず/不発弾爆発事故/糸満市、対象拡大【01月15日】

爆発の衝撃で割れた窓ガラスを片づける職員ら=14日午後2時40分、糸満市小波蔵・老人ホーム沖縄偕生園(山城響撮影)
米国製/信管を回収


 糸満市小波蔵の水道工事現場で十四日午前に起きた爆発事故で、現場から糸満署が金属片を回収し、陸上自衛隊が調べた結果、爆弾の信管であることが判明した。識別番号などから戦時中に使われた米国製爆弾だった。爆弾の種類などは不明。また、工事を発注した糸満市の上原裕常市長は同日午後、市役所内で会見し、事前に磁気探査を実施しなかったことについて、「工事地の70%が岩盤地帯で、不発弾が発見されることを想定していなかった」と説明した。

 陸自第一混成団渉外広報室によると、信管以外ほとんどが吹き飛んでいるため、爆弾の種類を詳細に絞り込むのは困難という。ただ、爆心地付近の被害状況などから、「百二十五キロから二百五十キロの爆弾ではないか」(自衛隊関係者)との見方もある。

 同工事は以前から使っている市道拡幅に伴うもので、これまで不発弾は発見されていないという。同市は今後、市道拡幅工事については事前探査を実施する方針に切り替える。

 上原市長は被害補償について、「原因が明らかになり次第、何らかの対応を検討したい」と述べた。また、「仮に不発弾だとしたら、国にも何らかの形で働きかける」との意向を示した。

 同市が岩盤を理由に事前探査を実施しなかったことについて、沖縄県磁気探査事業協同組合は「沖縄戦で激しい砲弾が飛び交った南部ではどんな工事でも磁気探査をすべきだ。岩盤下であっても不発弾が眠っている可能性もある」と指摘した。

 県防災危機管理課によると、工事前の磁気探査などを発注者に義務付ける条例などはなく、発注者が不発弾の発見状況などを基に判断する。今回の爆発事故を受け、同課は「事故原因が確認され次第、市町村を含めどういう対応ができるか検討したい」としている。

 国や県、県警、自治体代表などでつくる沖縄不発弾等対策協議会(会長・森田悦三沖縄総合事務局次長)は近日中に緊急の協議会を開く。

 県の上原昭知事公室長は同日、爆発現場と老人ホームを視察。「大勢の被害者が出た可能性もあり、大変遺憾。不発弾がある地域の工事は十分な対策をすべきであり、今後、関係部局に指導したい」と語った。

 糸満署によると、水道管敷設工事のためショベルカーが深さ約一メートルの穴を掘っていたところ、突然爆発。爆心地は直径約五メートル、深さ約一・五メートルにえぐれ、作業していた重機オペレーターの古波蔵純さん(25)が顔などに重傷を負った。命に別条はない。

                  

この事故に関しては、沖縄タイムス、琉球新報両紙ともまったく同じ論調で「国の責任」で歩調をあわせている。

 

◆沖縄タイムス社説 2009年01月18日
[不発弾事故]
被害補償は国の責任で

◆琉球新報社説 2009.1.15
不発弾爆発事故 国は責任認識するべきだ/民間処理費も全額負担を 

この工事は糸満市水道部の工事であり、担当者は「岩の中に不発弾があるとは想定していなかった。(危険物の有無を調べる)磁気探査は実施していない」と説明し、同調査は必須ではないという。

不発弾爆発 2人重軽傷/糸満・小波蔵水道工事で【01月14日】

沖縄戦といえば『鉄の暴風』と言われる砲弾が雨あられと打ち込まれたところであり、その中でも南部の糸満市といえば、激戦地で知られ慰霊碑が林立する摩文仁の丘や多くの戦跡がある場所。

これら戦跡を管轄するのが糸満市ではなかったのか。

その糸満市の岩盤を掘削する公共工事で不発弾の存在を「想定外」だったとの一言で済まされる問題だろうか。

公共工事でなくとも激戦地跡の掘削工事では磁気探査による事前調査が不可欠だと専門家はいう。 専門家でなくとも常識ではないのか。

糸満市は事故後即座に代表団を上京させ「補償しろ!」と国に迫っているようだが、その前に糸満市長は先ず被害者に自分の不明(想定していなかった)を詫びるべきではなかったか。

 

タイムス、新報が事故の原因に頬かぶりして、ひたすら国の責任のみを追及しているとおもったら、

今朝のタイムスによると、県警が「行政や請負業者が不発弾を予測できたかどうかを調べ、業務上過失傷害の適用も含めて捜査したい」と話したという。

「11万人」集会の動員人数については新聞や左翼団体の反発を恐れて「県警調べ人数」を発表しなかった沖縄県警が、

ここでもタイムス、新報と談合して糸満市の「想定外」発言に頬被りするのかと思っていたのだが。

これなで「想定外」を是として、糸満市の責任には一言も触れなかった両紙は大恥晒しをしたことになる。

記事内容の談合が進めば夕刊どころか朝刊を購読廃止する読者も増えてくるだろう。

タイムスは夕刊廃止をウェブ記事で補うというが、朝刊のアップが午前10時過ぎでは遅すぎはしないか。

今朝の朝刊もまだネットにはアップされていないので、社説全文をコピペしておく。

沖縄タイムス 2009年01月18日 社説 

[不発弾事故]
被害補償は国の責任で

 糸満市小波蔵で起きた不発弾爆発事故をめぐり、被害者や建物などの損害に対し国の補償を求める動きが活発になっている。

 糸満市議会は十六日に臨時会を開き、被害補償だけでなく国による不発弾の調査・処理を求める意見書を可決した。上原裕常市長や市議会代表らは二十日に上京し、国に直接要請する。

 豊見城市や与那原町、南風原町の各議会も近く同様の意見書を可決する見通しで、南部市町村会や南部振興会も週内に、理事会で要請文を決議する。

 議会などの動きが活発になったのは、不発弾事故の補償について法的な規定や制度がないからだ。

 しかし、復帰後、県内の不発弾爆発事故による人身への被害は、二〇〇一年までに十一件発生し、六人が死亡。四十七人が負傷している。過去の深刻な被害を振り返っても補償制度がないというのは、大いに疑問であり、それを放置してきたのは行政の怠慢と言わざるを得ない。

 一九九七年、嘉手納町で起きた爆発事故では、町議らが補償を求めたものの、政府は「前例がない」と拒否した。負傷した被害者にとっては、精神的にも重荷となり、泣き寝入りに等しい。

 補償を認めることが国の責任も認めることになるという意識が、国にはあるのか。

 さまざまな壁はあるだろうが、まずは補償、という前提に立って被害者救済の道を探るべきだ。

 不発弾にはまた、磁気探査の問題がある。

 法的な義務がないため、探査する、しないの判断は工事発注者の市町村に委ねられる。沖縄振興特別措置法に基づく公共事業では、自治体の出費もあり、「費用対効果を考えた場合、あるかどうか分からない不発弾探査に金を掛けられない」と明かす自治体の担当者もいる。

 今回の事故では、現場が岩盤地帯だということを理由に事前探査は見送られた。糸満市長は岩盤に不発弾があることは「想定外だった」と言っている。

 しかし、事故を教訓に、自治体や工事関係者は、県内の土中にはどこにでも不発弾がある、という意識を徹底してほしい。

 二〇〇九年度からは、公共工事などで見つかった不発弾の処理費は国の全額負担となる見込みだ。探査についても全面的な国のバックアップが望まれる。

 糸満市の事故は、かつての戦争の惨禍が現在の私たちの暮らしをも脅かす事実をあらためて見せつけた。

 太平洋戦争で、激しい地上戦が展開された沖縄は、未曾有の被害を被り焦土と化した。そして今なお、二千三百トンという大量の不発弾が埋もれ、県民は「負の遺産」に苦しめられている。

 六十年余り前の戦争で、いまの生命・財産が脅かされることは断じて受け入れられない。

 国は、本土とは違う沖縄の戦争体験に配慮して、県民の暮らしが守られるよう、被害補償や探査費用などに手厚い支援をすべきである。

                                           ◇

 

琉球新報社説

不発弾爆発事故 国は責任認識するべきだ/民間処理費も全額負担を(2009.1.15) 

 

【追記】 11:35

業過致傷容疑も視野 糸満不発弾事故/県警250キロ爆弾と断定【01月23日】

 <日高清晴刑事部長は「今後は火薬の鑑定を進めながら、行政や請負業者が不発弾を予測できたかどうかを調べ、業務上過失致傷容疑の適用も含めて捜査したい」と話した。一方、糸満市の上原裕常市長ら庁議メンバーで構成する市不発弾対策本部会議は同日、事故の物損被害について「早急な対応が必要」として、老人福祉施設などの復旧工事に伴う費用を一時的に立て替えるため補正予算を計上し対応することを決めた。

 >行政や請負業者が不発弾を予測できたかどうかを調べ

激戦のあった糸満市での公共工事であれば、糸満市が事前に不発弾の予測ができたと素人でも分かること。

例え地元紙がお目こぼししたとしても、糸満市長は先ず被害者に対して己の不明を詫びるのが先決ではないのか。

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『鉄の暴風』の取材背景 梅澤隊長“生死”の誤記 

2009-01-22 07:11:37 | ★集団自決

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沖縄タイムスが3月から夕刊を廃止するとのこと。

夕刊廃止後は月額購読料は値下げになるはずだが、現行の3260円からいくら値下げしたか。

①970円

②670円

③170円

答えは文末に。

                    ◇

一昨日のエントリーで『鉄の暴風』の執筆者・太田良博氏の「誤記」の弁明について書いた。

その弁明記事を全文紹介して欲しいとの要望があったので、沖縄タイムス記事より、該当部分を抜粋引用する。

 

沖縄タイムス 1986年8月15日「文化面」

『鉄の暴風』の取材背景

戦後四十一年にあたって

梅澤隊長“生死”の誤記 - 太田良博

「解せぬ真相表明の遅れ」

(略)

その慶良間の戦闘だが、『鉄の暴風』のなかの座間味の戦記で、同島の隊長であった梅澤少佐に関する部分には誤記があった。 「不明死を遂げたと記録された、その梅澤元少佐が、現に生存していることが、あとでわかったのである。 『鉄の暴風』のその部分(同書四十一ページ末尾)は、1980年7月15日刊行の第九版から削除してあるが、その誤記の責任者は、じつは、当時、沖縄タイムスの記者であった、この私である。 ここで、梅沢氏と沖縄タイムス社には深く詫びるほかはない。しかし、あの誤記は、故意によるもの、あるいはネツ造によるものではない。 そのことは、自分の良心にちかって言える。 あれは座間味の戦争体験者の座談会をそのまま記録したものであって、梅沢隊長の消息については、あの「誤記」のような説明を私はうけたのである。 正直なところ、梅沢隊長が降伏したことを島の人たちは知らなかったらしい。 ただ、「誤記」のようなウワサがあったようである。あの小さな島で、しかも、当時、一番重要であった人物が、その後どうなったかも知らないほど、島の人たちはすべての情報から遮断され、孤立した状況のなかにおかれていたことがわかる。 『鉄の暴風』執筆当時、私としては、島の人たちでさえ知りえなかった事実をさぐり出すほどの余裕は、当時の私にはなかったのである。「生きている」のに「死んだ」と報じられたことを梅沢氏は抗議しているようだが、「おれは死んではいない」「投降したのだ、そしてこの通り生きているではないか」という意味の抗議なのだろうか。
それにしても、と私は思う。 というのは『鉄の暴風』の初版が出されたのは1950年の6月15日である。 あれから三十余年間、タイムスが自主的に「誤記」の部分を削除するまで、梅沢氏は自分の所在さえ知らせていないようだし、「誤記」訂正の申し入れもしていないという。 
『鉄の暴風』の版元が自ら削除してから6年も過ぎて、なぜいまごろから「真相」を明かすのだろうか。 その辺の梅沢氏の心情は不可解というしかない。(略)(沖縄タイムス 1986年8月15日)

                    ◇

人の生死に関わる誤記をしておきながら、随分と逆切れした弁明ではないか。

何よりも「梅澤隊長“生死”の誤記」とカッコつきで「誤記」としているが、この弁明文には肝心の「誤記」の原文は書かかれていない。

『鉄の暴風』の原文にはこう「誤記」されている。

梅澤少佐のごときは、のちに朝鮮人慰安婦らしきもの二人と不明死を遂げたことが判明した

このデタラメ記事を書いたことを太田氏は次のように弁明している。

>あれは座間味の戦争体験者の座談会をそのまま記録したものであって、梅沢隊長の消息については、あの「誤記」のような説明を私はうけたのである。 

>正直なところ、梅沢隊長が降伏したことを島の人たちは知らなかったらしい。 ただ、「誤記」のようなウワサがあったようである。

それにしてもただのウワサだけをネタにして、「朝鮮人慰安婦と不明死」とよくも想像力たくましく書けたものだ。

それも新聞社が発刊するドキュメント戦記と銘打っているのだから呆れて言葉を失う。

さらに言わしてもらうと、単に「不明死」と誤記しただけならまだ単純ミスと譲歩もしよう。

だが、「梅澤少佐のごとき」とか、「朝鮮人慰安婦と・・」とか、悪意に満ちた不必要な表現は一体何だ。

これでは戦記というよりまるで個人攻撃の怪文書ではないか。

このようなウワサ話の集大成が『鉄の暴風』ではないのか。

>あの小さな島で、しかも、当時、一番重要であった人物が、その後どうなったかも知らないほど、島の人たちはすべての情報から遮断され、孤立した状況のなかにおかれていたことがわかる。

すべての情報から遮断された状態で『鉄の暴風』を書き上げたということは、その内容の真実性は筆者は責任を負わないということに他ならない。

ということは、『鉄の暴風』の内容は米軍が一方的に持ち込んだ情報やウワサ話の類がそのすべてであったということを証明している。

>『鉄の暴風』執筆当時、私としては、島の人たちでさえ知りえなかった事実をさぐり出すほどの余裕は、当時の私にはなかったのである。

まさに、語るに落ちるとはこのことだ。

太田記者が『鉄の暴風』を書いた姿勢がこの一文に現れているではないか。

執筆当時の太田記者は事実を探り出す余裕はなかったのだ。

それでは太田記者は一体何ゆえ事実を探り出す余裕がなかったのか。

豊平、牧港のベテラン両記者をさし置いて、ろくに記者としてのトレーニングも受けないままに『鉄の暴風』の執筆を委ねられた新米記者の太田氏には、事実を探り出す経験も素養もなく、記者としての基礎トレーニングさえ受けていないのだから、勿論余裕なんて持ち合わせていなかったのだ。

>「生きている」のに「死んだ」と報じられたことを梅沢氏は抗議しているようだが、「おれは死んではいない」「投降したのだ、そしてこの通り生きているではないか」という意味の抗議なのだろうか。

あのような侮辱的な「誤記」をされたら誰だって抗議をするのが当然でああろう。

「梅澤氏と沖縄タイムス社には深く詫びるほかはない」と、ふてくされたように一応侘びてはいるが、太田氏は梅澤氏に抗議されたこと自体が気に食わないようだ。

それに太田氏が沖縄タイムスに詫びるより、沖縄タイムスと太田氏が連名で梅澤氏に詫びるのが本筋ではないか。


>それにしても、と私は思う。 というのは『鉄の暴風』の初版が出されたのは1950年の6月15日である。 あれから三十余年間、タイムスが自主的に「誤記」の部分を削除するまで、梅沢氏は自分の所在さえ知らせていないようだし、「誤記」訂正の申し入れもしていないという。

太田氏が梅澤氏に取材していたのならともかく、自分の知らない間にウワサで記事を書かれ出版されているのだ。

梅澤氏が太田氏に自分の所在を知らせることがあるはずはないではないか。


>『鉄の暴風』の版元が自ら削除してから6年も過ぎて、なぜいまごろから「真相」を明かすのだろうか。 その辺の梅沢氏の心情は不可解というしかない。

梅澤氏が「真相」を明かすということに逆切れする太田氏の心境こそ不可解ではないか。

ということは、『鉄の暴風』では「真相」は明かされないまま放置されていると言いたいのか。

一々細部を取り上げるまでもなく、太田良博氏は逆切れした結果、「『鉄の暴風』の取材背景」について意外と正直に告白してしまっている。

「戦後四十一年にあたって」というタイトルで気が緩んだのか、取材というよりウワサ話をかき集めて書いた吐露しており、

事実をさぐり出すほどの余裕は、当時の私にはなかったのである」と完全に『鉄の暴風』がデタラメだったと著者自ら語っているではないか。

著者も認めるデタラメな『鉄の暴風』を、資料的価値があると認識して下した大阪地裁判決やその事実認定を引き継いだ高裁判決がいかに事実とかけ離れたものであるか自明である。

【付記】1:35

『鉄の暴風』から梅澤氏の「不明死」を削除した1980年7月15日発行の同書には「重版に際して」と題して、次のような沖縄タイムスの弁明が載っているが、梅澤氏に対する一言の謝罪も述べられていない。

・・・戦後三十年余年の歳月を経過するなかで、沖縄戦に関する新しい事実の発見や資料の発掘もすすんでおります。 しかし、第二版刊行の際に削除した数行の字句および、今回、明らかな事実の誤り訂正したほかは、すべて初版のとおりにしました。・・・1980年7月1日 沖縄タイムス

たったこれだけの「誤記」削除の告知で、三十余年も梅澤氏を侮辱した本を発売し続けた弁明に変えているのだ。

一行の謝罪もなく。

それはともかく、「今回、明らかな事実の誤り訂正したほかは、すべて初版のとおりにしました」というが、これが事実なら『鉄の暴風」の「不明死」を削除したほかの部分は、すべては初版のとおりの「ウワサ話の集大成」だということになる。

                   ◇

夕刊廃止による沖縄タイムス購読料(月額)の値下げ額。

答え⇒③170円

沖縄タイムス夕刊は月額で、たったの170円だったのか。

 

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続・行政ぐるみの脱法行為!? 宜野湾のラウンドワン問題

2009-01-21 18:00:02 | 未分類

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行政ぐるみの脱法行為!? 宜野湾のラウンドワン問題

の続編です。

                    ◇

同じゲーセン反対運動でもコザミュージックタウンのゲーセン反対運動とラウンドワンのそれでは、似て非なるものだと述べてきた。

勿論、社会問題としてより根深いと思われるのはラウンドワンの方。

だが沖縄タイムスは、コザMタウン問題は社会面で報道し、ラウンドワンワンは市町村面で報道し、ウェブ記事にもなっていない。

ゲーム施設出店 事実上受け入れ/コザMT きょう覚書締結【社会】

 

Mタウンとラウンドワンを同じレベルで見た読者は、Mタウンの記事を見て、いずれ企業側と反対派は円満和解すると思うだろう。

ウェブ記事は沖縄タイムスも琉球新報もスルーなので、しつこくタイムス記事を文字起こししてみた。

沖縄タイムス朝刊 2009年1月21日

娯楽施設 来月開業   宜野湾

ラウンドワン「用途、遊技場へ」

【宜野湾】複合型娯楽施設の運営会社ラウンドワン(大阪府)は、宜野湾市西海岸地区で建設中の「ラウンドワン宜野湾店」(仮称)について来月21日に開業することに決めた。また、昨年10月、建築主の天美開発(東京都)が遊技場から店舗へ用途変更したことについては「時期は未定だが、遊技場へ変更する方針」と話している。20日、沖縄タイムスの社の質問に答えた。(又吉健次)

収益考慮「変更時期は未定」

「ラウンドワンは「風俗営業が不要な営業形態(店舗)でオープンさせる」説明。しかし店舗では設置できるゲーム機の機種や面積が制限されることから収益面で厳しいといい、「(遊技場が設置できるよう)市建築基準法施行条例に基づいた手続きをしたい」と話している。 同条例によると、利害関係者への公開の意見聴取、市建築審査会の同意を得た上で、「市長が特別用途地区の利便を害するおそれがなく、公益上やむをえないと認めて許可した場合」は遊技場が建築できる。
同施設をめぐっては、一部市議が、用途を遊技場とすることは同条例に違反するとして市建築審査会に建築確認処分の取り消しを求めていたが、請求は今月13日、用途変更されたため「訴えの実態が」なくなったと棄却されている。

                       ◇

>建築主の天美開発(東京都)が遊技場から店舗へ用途変更したことについては「時期は未定だが、遊技場へ変更する方針」と話している。20日、沖縄タイムスの社の質問に答えた。

この辺はいかにも企業と行政がぐるになって、強引に建築する意図がミエミエだが、それにしても随分正直に本音を吐くものだ。

「(遊技場が設置できるよう)市建築基準法施行条例に基づいた手続きをしたい」と話している。 同条例によると、利害関係者への公開の意見聴取、市建築審査会の同意を得た上で、「市長が特別用途地区の利便を害するおそれがなく、公益上やむをえないと認めて許可した場合」は遊技場が建築できる

すべては市長の胸先三寸、当初から市長との建築許可の密約を取り付けてあったことが伺える。

建築許可までは、百歩譲って企業と行政の癒着を認めたとしよう。

だが、建物は何とか落成しても「営業許可」は県公安委員会の管轄で市長は管轄外のはず。

来月の21日に開業というが、本業が遊技場経営で「店舗」では採算が取れるはずはない。

ということは、県公安委員会とは既に密約ができているのか。

用途変更に去年から疑問を呈していた琉球新報は何故沈黙するのか。

遊技場から「店舗」 宜野湾市真志喜ラウンドワン2008年11月12日

沖縄のマスコミは死んだのか。

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行政ぐるみの脱法行為!? 宜野湾のラウンドワン問題

2009-01-21 08:40:08 | 未分類

 

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金儲けの為には条例も只の紙切れ。

行政ががその気になれば、違法行為でも実行できるということを伊波宜野湾市長は身をもって示した。

遊技場業者ラウンドワンと宜野湾市がコンベンションシティ地域に娯楽施設を建設するということで、地域住民らの反対運動を、過去に2度ほどエントリーした。

伊波市長宜野湾と巨大娯楽施設の癒着?! 地元紙の沈黙

今朝の沖縄タイムスは、行政と業者が結託して強行開業する巨大娯楽施設の開業を祝するような提灯記事を書いてはいるが、市長の脱法行為に批判の一言も書いていない。

記事は十分社会性のある問題だが、社会面ではなく市町村面でさりげなく報じている。

娯楽施設 来月開業

ラウンドワン「用途、遊技場へ」 宜野湾

収益考慮「変更時期は未定」

                      ◇

中学校の100メートル近くに、キャバクラなどの風俗営業が出店するとしたら、住民は反対するだろうし、風俗営業を営業目的とする建築申請をすれば当然建築許可は出ないだろう。 その地域が条例で風俗営業を禁止しているのならなお更のことである。

そこで、建築許可申請の営業目的を、風俗営業に属する「遊技場」から「店舗」に変更し、建築許可を得た後、建築用途を「店舗」で開業し「やっぱり採算が取れない」という理由で本業のキャバクラに変更して営業する。 

これがまかり通るなら、どんな規制地域でも風俗営業は自由に営業できることになる。

「おいおい、キャバクラと遊技場は別ものだろう」

という声が掛かりそうだが、キャバクラも遊技場も同じ「風俗営業法」の規制を受ける。⇒ 風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律

ラウンドワンと宜野湾市、そして建築審査会の三者が結託すれば、住民の反対も、条例違反も屁の河童なのだ。

本来、このような場合に騒ぎ立てるのが地元紙の役目のはずだが、革新市長が行う脱法行為には目をつぶるどころか、提灯記事を書くありさまだ。

沖縄は無法地帯になったのか。

問題の地域は国と県で埋め立てた土地をコンベンションシティにするという条件で宜野湾市に譲渡したいわくつきの土地。

そのために県の施設であるコンベンションホールやコンベンション劇場があり、ラウンドワンの近くには真志喜中学校や宜野湾高校もある文教地域である。

宜野湾市の国際コンベンションシティについてはHPで次のような紹介もされている。

そう、あの「11万人」集会の行われた宜野湾海浜公園広場は目と鼻の先。

 

国際コンベンションシティー ~未来に動き出す都市~

国際コンベンションシティとして整備が進められている宜野湾市。
中でも、リゾートコンベンションとしての施設が充実してきたコンベンションエリアは、国際・国内のコミュニケーションの場として、会議・集会・展示会・スポーツ・音楽・演劇活動等、沖縄の新しい文化の発信地として海外や県内外から注目されています。
沖縄コンベンションセンター




■イベントあり、スポーツありコンベンションは創造力発信地!

 県内初の本格的野外劇場は、5,000人収容可能でロック  コンサートや屋外でのイベント等に利用されています。
宜野湾市海浜公園野外劇場

沖縄コンベンションセンター全景


                       ◇

ラウンドワン(大阪府)が昨年十二月の公開口頭審査で、「遊技場への再度の用途変更もあり得る」としたことについて、宜野湾市建築審査会会長は「仮定の話であり審査対象にはならない」としている。(沖縄タイムス)

仮に業者と行政が結託して遊技場向けの建物は完成したとしても、営業するには風俗営業の営業許可が必要であり、これには県の公安委員会の許可が必要だ。

常識で考えれば条例で禁じられている地域への許可(第三条)は認められない筈だが伊波市長は公安委員会にまで既に手を打ってあるのか。

ラウンドワン問題は、大きな社会問題であり、「市町村面」で地域のニュースとして小さく紹介する問題ではない。

新聞が知らぬ顔を決め込んでも、

悪事は天知る地知る、読者知る

ということを肝に銘じて欲しい。

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星雅彦氏の疑義!『鉄の暴風』と地裁判決へ

2009-01-20 04:37:39 | ★集団自決

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終戦5年後の昭和25年に発行された沖縄タイムス刊『鉄の暴風』は、長い間沖縄戦記のバイブルといわれてきた。

ところが沖縄返還の翌年(昭和48年)に発行された曽野綾子著『ある神話の背景』は、これまで沖縄で言われてきた「軍命による集団自決」という神話に真っ向から異議を唱えた。

「赤松の暴状」を記述しその神話を流布させてていた『鉄の暴風』を初めて批判して、沖縄の言論界に大きな衝撃を与えた。

渡嘉敷島の「集団自決」は、赤松嘉次戦隊長の命令や強制によってなされたものという神話に異議を唱え、赤松隊長が「自決命令」を出したという『鉄の暴風』の記述には一つの証拠もなく、一人の証人も居なかったと主張したのだ。

それ以降、『鉄の暴風』をバイブルとしてきた沖縄の論壇にも変化の兆しが見え始める。

『ある神話の背景』(現在『集団自決の真相』と改題)が1973年に発刊された直後、沖縄の識者の中にも『鉄の暴風』のずさんさな記述を批判し、『ある神話の背景』を評価する学者が出てきたのだ。

仲程昌徳琉球大学助教授(当時)は、『ある神話の背景』を評価する一方、『鉄の暴風』を次のように批判した。

ルポルタージュ構成をとっている本書で曽野が書きたかったことは、いうまでもなく、赤松隊長によって、命令されたという集団自決神話をつきくずしていくことであった。そしてそれは、たしかに曽野の調査が進んでいくにしたがって疑わしくなっていくばかりでなく、ほとんど完膚なきまでにつき崩されて、「命令説」はよりどころを失ってしまう。すなわち、『鉄の暴風』の集団自決を記載した箇所は、重大な改定をせまられたのである(『沖縄の戦記』仲程昌徳著 朝日新聞社 1982)

その後、仲程氏は沖縄の左翼学者たちと論争をしたが、多勢に無勢。

行司役を務めるべき沖縄紙までも敵に回しては勝ち目はなく、最近では沖縄紙の論壇でその名を見ることはない。

 

                  *

『ある神話の背景』は、1973年に単行本として文芸春秋社から刊行された。

曽野綾子氏が同書を出版する2年前の1971年、沖縄在住の作家・星雅彦氏が、

慶良間島で集団自決体験者の聞き取り調査をし、渡嘉敷村の村長や駐在巡査や村民らの証言をまとめて雑誌「潮」(1971年11月号)に発表していた。

 
星氏は地元の雑誌「青い海」にもその結果を寄稿しており、その貴重な聞き取り文は多くの文献に引用されているので、「集団自決」を検証する者なら一度はその名を目にしたことあるだろう。
 
星雅彦氏は沖縄紙を基盤にして、詩歌や美術の評論を発表する他に沖縄将棋連盟の会長も努める沖縄では著名な文化人である。
 
星氏が、地元記者さえおろそかにしていた「集団自決」の聞き取り調査を沖縄返還の前年に行っていたことは、体験者が次々没していく現状を考えれば、その先駆的行動は、その後の「集団自決」の検証にとって極めて貴重な業績として賛辞に値する。
 
ところが、近年「集団自決」問題が訴訟と教科書検定という大きな問題で全国的に関心を持たれるようになると、沖縄の識者の中には連日といっていいほど地元紙で自論を展開する人が目につく。
 
その一方「集団自決」検証のさきがけともいえる星雅彦氏がこの議論に参加することはなかった。
 
『鉄の暴風』の太田良博記者が一度も現地に取材することなく伝聞取材のみで同書を書き上げたのに対し、現地聞き取り調査を行った星氏は『鉄の暴風』のずさんさを身をもって知る稀有な地元作家である。
 
 
だが、地元紙を活動の基盤にする星氏としては、地元では沖縄戦記のバイブルともされている『鉄の暴風』(沖縄タイムス刊)に少しでも異論を唱えることは神に背くに等しいことであり、沖縄在住の作家・評論家にとっては命取りにもなりかねない。
 
それでも時折沖縄紙の文化面などでその名を見ることあるがもっぱら専門の詩歌や美術に関するもので、やはり「集団自決」に関しては沈黙を守っているように思える。
 
星氏が「集団自決」に関しては沈黙を守らざるを得ないのも理解できる。
 
 
ちなみに、星雅彦氏の雑誌『潮』(71年11月号)掲載文はこのエントリーで引用してある。⇒沖縄紙が報じない金城重氏の闇の部分

                    *
 
「集団自決」に関して、マスコミでは沈黙を守っていた星氏が自分の主唱するミニコミ誌で「集団自決訴訟」の判決に絡んで『鉄の暴風』のずさんな記述に批判的な感想文を書いていた。
 
「集団自決訴訟」の大阪地裁判決が言い渡された一か月後に発行されたミニコミ同人誌『うらそえ文藝』13号で、自ら編集長を努める星雅彦氏は本文ではなく「編集後記」という形で大阪地裁判決に疑義を投げかけている。
 
例えミニコミ誌の「編集後記」という遠慮した場とはいえ、沖縄在住の文筆家でこのような意見を述べるのは極めて珍しいことである。
 
「編集後記」にしてはかなり長い記述の中から一部抜粋して引用する。
 
<集団自決(強制集団死)について
 
●「集団自決」訴訟の大阪地裁で3月23日に、深見敏正裁判長はによって判決が言い渡された。 その日は奇しくも渡嘉敷島で集団自決があった命日でもあり、合同慰霊祭の日でもあった。
●大江健三郎氏の「沖縄ノート」については、座間味島の元戦隊長梅澤裕氏と渡嘉敷島の元戦隊長赤松嘉次への名誉毀損の成立は認めず、軍の関与を認め、原告側の請求を全面的に棄却した。 
●この事件から、浮上した諸問題がある。 まず当初からの争点であった戦隊長の直接命令の有無であるが、その「伝達経路は判然とせず、自決命令を発したとはただちに判定できない」と判決し、その一方では、軍から自決用に手榴弾を渡された住民証言を根拠にして「隊長の関与も十分に推認できる」としている。
●問題は手榴弾である。 手榴弾は何個あったのだろうか?
証言者達の集計では信じ難い数になる。実際には不発弾を除いたら数発ほどの爆発ではなかったか。 多くの住民は棍棒、鍬、鉈、鎌、小刀、縄などを使用している。 他方、貴重な武器であるはずの手榴弾が厳重に管理されていず、防衛隊が任意に入手したふしもある。 少年兵が併記倉庫から手榴弾を盗み出してきたという証言もある。 
●「鉄の暴風」は援護法の適用が意識される前から発刊され存在していたという事実から、隊長命令説は援護法適用のための「ねつ造」だという主張は、認められないという判断だ。 しかし当時はまだ軍民一体の思想の余韻が通念としてあったはずだ。むしろ、死者数を水増しして、それを援護法に適用するために用いられたとは考えられないか。実際に集団自決の死者たちの人数は、実数と多少食い違いがあると言われている。
●「鉄の暴風」については、50年前の初版は誤謬が余りにも多い。例えば「(省略)梅澤少佐のごときは、のちに朝鮮人慰安婦らしきもの二人と不明死を遂げたことが判明した。」(41頁)というくだりは知る人ぞ知るで、明らかな誤りだ。 そのことを梅澤氏は20年ほど前に沖縄タイムス社に抗議している。 その後、版を重ねて決定版を刊行したが、誤謬はまだ幾つかあると言われている。 にも拘わらず裁判では「鉄の暴風」をかなり信頼して、判断基準にしたきらいがある。
●今一つ半信半疑な点は、日本軍の駐留したところに限って集団自決はおきており、その点から推察して、軍命は間違いなくあったという決定判断だ。
●日本軍の駐留地と集団自決の関係は、「密接」ではあるが、必ずしもすべて当てはまるとは限らない。 日本軍の駐留地の阿嘉島では集団自決が起きていないのに、日本軍がいなかった屋嘉島では少数の集団自決が起きている。 これに類した例は他にもある。(略)>
 
掲載された『うらそえ文藝が』が出版されたのは、例の「教科書検定意見撤回を求める県民大会」(「11万人」集会)の熱気も覚めやらぬ大会の約7ヶ月後だったためか、「編集後記」の後半部分では、文科省検定意見に対しては批判的な記述がみられる。
 
だが、前半部分の大阪地裁判決に関する記述では、終始判決に批判的で、当日記がこれまで記した疑問とほぼ同じような疑問を呈している。
 
参考リンク

星雅彦氏の『潮』71年11月号

                   ◇

当日記の読者なら周知のことだとは思うが、星氏が地裁判決に抱いた疑念は当日記でも同じように疑問を投げかけてきた。

星氏の疑問を整理すると次のようになる。

①「軍命令」はすべて伝聞。

②「手榴弾=軍命」説。多くの住民は棍棒、鍬、鉈、鎌、小刀、縄などを自決に使用している。

③「鉄の暴風」は援護法の適用が意識される前から発刊され存在していたという事実から、隊長命令説は援護法適用のための「ねつ造」だという主張は、認められないという判断。

④裁判では「鉄の暴風」をかなり信頼して、判断基準にしたきらいがある。

⇒鉄の暴風」については、50年前の初版は誤謬が余りにも多い。

⇒「(省略)梅澤少佐のごときは、のちに朝鮮人慰安婦らしきもの二人と不明死を遂げたことが判明した。」(41頁)というくだりは知る人ぞ知るで、明らかな誤りだ。

⑤日本軍の駐留したところに限って集団自決はおきており、その点から推察して、軍命は間違いなくあったという決定判断。

いずれも当日記ではしつこく疑義を呈していたことだが、筆者(狼魔人)が疑義を呈することと星雅彦氏が疑義を提示することでは、その重みに天と地の差がある。

何しろ星氏は曽野綾子氏が『ある神話の背景』を発刊する二年前に渡嘉敷島で集団自決の聞き取り調査をした人物なのだ。

しかも星氏は、沖縄県史の九巻(戦争記録編)の執筆担当者の一人でもある重要人物なのだ。

その頃の沖縄はまだ日本に返還されておらず、米軍統治下でドルが通貨として通用し、道路は車が右側を左ハンドルで(国産車も)で走っていた時代。

例えば④の「梅澤少佐のごときは、のちに朝鮮人慰安婦らしきもの二人と不明死を遂げたことが判明した。」というくだりは、最近では誰も触れる人はいない。

だが、沖縄タイムスは人の生死にかかわる記事をウワサのみで記述した『鉄の暴風』を、初版(1950年)以来実に30年もの間事実誤認のまま発刊し続けた。

それが「事実誤認」として削除されるのは、やっと1980年の改訂版になってからである。

この「誤記」をした『鉄の暴風』の執筆者の太田良博氏は、誤記をした理由を、「誤記削除」後の1986念8月15日付「沖縄タイムス」で次のように弁明している。

梅澤隊長の消息については、あの「誤記」のような説明を私はうけたのである。・・・・・「誤記」のようなウワサがあったようである

何と呆れる開き直りではないか。

『鉄の暴風』の執筆者は「(梅澤少佐のごときは・・・といった)ウワサがあった」ので、そのままウワサ話を記述したことになる。

太田良博氏の弁明は「(「鉄の暴風」のデタラメな記述は)ウワサだったが当時は仕方なかった」という論旨で開き直っている。

早い時期に、自ら現地の聞き取り調査をした星氏が指摘するまでもなく、『鉄の暴風』の記述は一事が万事で「噂話の収集本」であり、星氏のような実情を知る人にとって、裁判長が『鉄の暴風』に資料的価値を認める意味が不可解であろう。

もっとも深見裁判長にしても、判決前に『鉄の暴風』の初版本を読み、さらに執筆者の太田氏が「ウワサだったが仕方なかった」と弁明する記事を見ていたら『鉄の暴風』に対する評価も大きく違っていただろう。

今からでも遅くはない。

最高裁判事は、判決を下す前に『鉄の暴風』の初版本と、執筆者・太田良博氏の同書へ「ウワサ話」を記述した弁明文をあわせて是非とも読んで欲しいものである。

被告側弁護団が構築した論拠は、すべてこの『ウワサ話の収集本』から出発していることが分かるだろう。

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集団自決訴訟 手榴弾での死亡者はいなかった!

2009-01-19 06:13:15 | ★集団自決

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「集団自決」訴訟の特徴は、最大の争点である「軍命の有無」に関する物的証拠は皆無であり、事件の生き残りの証言のみを証拠にして争うということにあるが、その証言も60数年前の事であり証言者の記憶にも曖昧な点が多い。

そんな中で、被告側が唯一「物的証拠」らしき物として主張するのが手榴弾の存在である。

軍の管理が厳しく、貴重な兵器である手榴弾で自決したのだから、「軍命なくして手榴弾での自決はありえない」というのが被告側の理屈である。

ところが物的証拠と思われる手榴弾にしても、数ある曖昧な「証言」の一つであり、その入手経路は伝聞のみで判然としない。

「手榴弾軍命説」を唱えた富山眞順氏については、次のエントリーで書いた。

「手りゅう弾軍命説」の破綻!兵事主任富山真順の悲しい嘘

強制された富山証言 旧軍人との交流を記す手記発見!  

                   ◇

■手榴弾で「自決した」住民は皆無■

当日記でも再三指摘してきたことだが、集団自決というと「手榴弾による自決」と短絡的に報じられているが、

実際は座間味島の場合手榴弾で死亡した一人のみで、不発の手榴弾を投げた場所に偶然居あわせた教員が誤爆により死亡した一例だけだという。

それも他人が誤って投げた手榴弾の誤爆による死亡であり、厳密な意味でいえば「手榴弾による自決」と言うには無理がある。

渡嘉敷島での手榴弾による死亡者も、金城重明氏の法廷証言によると「一人もいなかった」という。

金城氏の法廷証言については「 金城氏は罪の巨塊か」で詳述してあるが、手榴弾関連部分を以下に抜粋引用する。

 

<現代史家・秦郁彦氏が『現代史の虚実』で詳述しているので、関連部分を抜粋して以下に引用します。(太字強調は引用者)

しかし「集団自決」の生き残りとして内外マスコミ寵児となっていた金城牧師は、沖縄原理主義の運動家として進む以外に加害者責任から逃げる道はないと思い定めていたのだろうか
家永裁判で集団自決は「軍隊の存在と誘導」が原因で「直接的な命令は不必要」と宣言した金城氏は、07年6月2日の那覇シンポジウムでは「日本軍の強制・命令・抑圧」だとエスカレートさせていく。
それから三カ月後の9月10日、大江裁判の那覇出張法廷で金城牧師は支援デモ隊の先頭で気勢をあげてから出廷したが、松本・徳永両弁護士の鋭い反対尋問を浴びた。尋問記録は規則により11月に解禁されたので、要所を抜き出し質疑(QとA)の形で紹介しよう。

Q 軍の強制があった、という記述の削除を求めた文科省の検  定意見をどう思うか。

A 集団自決の体験者が軍の強制、命令があったと証言している。歴史教育の本質を否定してはならぬ。

Q 金城さん自身は、手榴弾を配布されたか。

A 私と同年輩の仲間は、誰ももらっていない

Q 自決命令は誰から聞いたか。

A 誰ということもなく噂が出た。村長が天皇陛下万歳と叫んだ。それが自決命令という認識なんですよ。

Q あなたは1995年の自伝で初めて万歳三唱のことを書いている。 なぜか。

A いや、とくに理由はない。

Q 村長の万歳を直接に聞いたのか。

A 聞いた。 強烈に残っている

Q 聞いているのに、書かなかったり、書いたりということか。

A そう言われたら否定できない。

Q 手榴弾での自決者は何人ぐらいか。

A 10人ぐらい。 死んだ人はいなかった。

(『現代史の虚実』秦郁彦著 2007年)>

 

手榴弾の入手経路は曖昧なまま、法廷では、「(自決命令は)だれというともなく噂」だったと、無責任な証言が法廷ではまかり通っているのだ。

その一方、琉球新報記事では「軍隊なしに集団自決は起こり得なかった。命令がなかったという意見があること自体おかしい」と発言を翻している。(琉球新報 2008年2月6日)

 

つまり、軍命令の根拠とされている手榴弾で死亡した住民は一人もいなく、軍の命令も「だれということもなく噂」であり、「天皇陛下万歳」が命令だと言う主張は金城氏の後付による推量であり、自分が行った「大量殺人」の責任転嫁だといわれても仕方ないだろう。

「集団自決は、軍の管理下にあった手榴弾で自決したのだから軍の命令なしでは考えられない」という主張は、マスコミが作り下げた神話であり、厳密な意味で手榴弾で「自決した」(死亡した)住民は一人もいなかったのだ。

曽野綾子氏が『ある神話の背景』を出版する二年前、渡嘉敷島の集団自決体験者に取材をし、その聞き取り調査をまとめて雑誌に発表していた沖縄の識者が、長い沈黙を破った。

沖縄在住の作家が「手榴弾命令説」に疑問を投げかけ、大阪地裁が評価した『鉄の暴風』のずさんな記述にも疑問を投げかけ、その疑念を自分の主唱する同人誌に発表していたのだ。

「軍命派」にあらずんば沖縄人にあらず、といった風潮の沖縄論壇では信じられないことだ!

(明日に続く)

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続・綾小路きみまろも驚く沖縄語  老人尊敬の沖縄語!

2009-01-18 07:09:13 | 沖縄語講座

 

 

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沖縄語は候文

尊敬の為の接頭語と接尾語

「候文」という言葉があるが、現代ではほぼ死語になりかけており、筆者自身候文を書いたこともなければ受け取った事も無い。

「候文」とは、辞書の引用によると

≪文末に丁寧語の「候」を使う文語体の文章。書簡や公用文に用いられた。鎌倉時代に始まり、江戸時代にその書き方が定まった。≫ということになる。

ところが我が沖縄語では「候文」が鎌倉や江戸の時を超えて、現代でもごく普通に使われている。

「いらっしゃい」や「歓迎」を意味する言葉に「メンソーレー」という沖縄語は沖縄ブームに乗って今ではかなり認知度が高まっている。

だがその一方、「メンソーレー、メンソレータム」と言ったギャグに使われるように、沖縄語は日本語とは異質な方言として捉えられている。

この「メンソーレ」こそ、鎌倉時代に始まり江戸時代に完成した、古雅の趣溢れる「候文」そのものであり、

「メンソレータム」などの「イフー(異風)な」単語とは出自が全く異なるのだ。(イフーナとは沖縄方言で「奇妙な」の意)

その前に先ほどから「老人ハラスメント」の「たんめー、はーめー」はどうなった、と言う声が気になってしょうがない。

けして忘れ去ったわけではないので暫くこのまま我慢してお付き合いを願いたい。

 

相手に敬意を表す「接尾語・接頭語」に次のようなものがある。

前、御、主、・・・これらを全部まとめて使いオマケに「様」までサービスしたのが、午前さま、・・じゃない、御前様。

「ゴゼンサマ」の響きが懐かしいが、最近は専ら早寝早起きの「お前さん」になってしまった。

尊敬語も使い慣れると、御前様→おまえさん、と変化してグッと庶民的にもなる。 

で、メンソーレは?

ハイ、・・・尊敬語の「前」に「候」を付けて「前に候」→前にそうらえ→めーにそおらえ→めーにそーれー→メンソーレー

・・と、目出度く「候文」メンソーレの誕生となる。

■「老人ハラスメント語・その1・・・・ウスメーは薄命?」、おじいさん(平民)」

主(しゅ)という尊敬語の前後に御(お)と前(まえ)を付けて「御主前」これがおじいさんの尊敬語。

御主前が訛って行く過程: おしゅまえ→おすめー(→O→U)→うすめー

「うすめー」は決して「薄命」では無く老人を尊敬する「御主前」の沖縄訛りであった。

「うすめー」はやはり老人を尊敬する言葉を三つも重ねた老人尊敬語であった。

 

■「老人ハラスメント語・その2・・・・タンメー(短命?)」、おじいさん(士族)」

士族のおじいさんはプライドが高いので、おだてて「殿」と祭り上げよう。

そして尊敬の接尾語「前」を付けると「殿前」。

例によってこれが訛って行く過程は簡単だ。

殿前: とのまえ→とのめー→とんめー→たんめー

やはり「たんめー」も「短命」では無く「殿前」と言う尊敬語で一件落着。

 

■「老人ハラスメント語・その3
①「はーめー」→おばあさん、祖母(平民の) 
②「うんめー」→おばあさん、祖母(士族の)
③「はんしー」→おばあさん。那覇で士族の」→おばあさん、那覇で士族の祖母・老婆

残りは女性に対する「ハラスメント」なので特に慎重を期すべきだが、沖縄ではテーゲー(大概)・大雑把を尊ぶのでマトメテ説明しよう。

女性の場合は全て「」という言葉がキーワードになる。

以下の各々の「日本語由来」は、今までの類推で理解できるであろう。

◆「はーめー」→「母前」(ははまえ)→「はーめー」

◆「うんめー」→「母前」(おもまえ)ここでの母は「はは」とは発音せず、母屋(おもや)の母で「おも」と発音する。

「おも」→「うも」→「んも」→「んめー」→「うんめー」

◆「はんしー」→「母主」(ははぬし)→「ははんし」→「はんしー」

かくして老人苛めの沖縄語と思われ、綾小路きみまろを喜ばせたた沖縄語の老人を表す語は、

男性は「主」や「殿」と祭り上げ、

女性は「母」と尊敬するいかにも沖縄らしい老人思いの言葉であることがお判り頂けただろうか。

その昔(明治時代?)八重山に「風のウスメー(御主前)」と異名を持つ測候所の学者がいて島の人達に親しまれていた。

これをテレビドラマ化して高橋幸治主演で「風の御主前」と出して放映されたことがある。

最後に沖縄方言の事を方言では「島言葉・シマ・クトゥバ」とも「沖縄言葉・ウチナー・クトゥバ」とも言う。  

シマクトゥバはもはや説明不要だろうが、ウチナー・クトゥバは少し説明を要する。

おきなわ→OKINAWA→UCHINAWA→UCHINAA→「うちなー」

OがUに変わるの判るとしてK→CHと変わるのが子音の法則。

沖縄料理で「いなむどぅち」と言う豚肉を白味噌仕立ての豚汁のような料理がある。

この料理は元々猪の肉だったの豚肉で代用されるようになった。

豚肉は猪肉ではない。 そこで「猪もどき」となる。

「猪もどき」INAMODOKI→INAMUDUCHI→いなむどぅち

空手などの「手さばき」は勿論「ティサバチ」と言う。 ここまで来たらもう説明は不要だろう。

もう一つオマケに子音の法則: R→消音

例: 森→MORI→MU×I→「むい」は森の立派な方言

さー、貴方も今日から片言なら沖縄語がしゃべれる筈。

こうして見ると音声として耳に聞こえる沖縄語は県外の人達にとってはイフーナムン(異風な物→方言で奇妙な物)に思えても、ルーツを辿れば日本語の優雅な古語にたどり着く事が判る。

これを契機に沖縄語の世界へ「前に候」、・・・じゃない、「メンソーレー」。

狼魔人流解説でも納得できると思う方

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【追記】

「メンソーレー」は「前に候」ではなく、「参り候」から来たという説がある。

一方、沖縄語はあくまでも中国語由来であり、候文から来たのではないという説もある。

コメント欄でpakaさんが「味クーター」は中国語の「~過多」かた来ていると説明されているがこれは説得力がある。

だが、沖縄語が中国由来の単語を多く含むことは、日本語も同じであると書いた。

「胃酸過多」「水分過多」「人口過多」など、日本語にも例は多い。

沖縄語は「日本語由来か中国語由来か、それとも独立語」については稿を改めて書いてて見たい。


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