狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

早朝の密談!仲井真知事と鳩山首相 「首相は迷っている」

2009-11-30 07:11:50 | 未分類

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今日30日で11月も終わり、愈々明日から師走に突入する。

その11月の最終日の今日は、東京で二組の沖縄のグループが夫々、鳩山首相と川端文科大臣と別の目的で面談する予定がある。

そのうちの一つは、教科書検定意見を政治主導で撤回するように文科大臣に要請する「9・29県民大会を実現させる会」の玉寄哲永世話人らグループ。

29日付沖縄タイムスによると、高校歴史教科書の「集団自決」記述から軍強制を削除させた検定意見の撤回を求めた「9・29県民大会を実現させる会」の玉寄哲永世話人らが、30日、川端達夫文部科学大臣と面会するとのこと。 

同会の構成団体のうち4団体の代表が、30日。大臣と30分程度、政務官と30分程度面会する予定で、玉寄氏は、

「沖縄戦の実相を直接伝え、県民の思いを訴え、検定意見撤回につなげたい」としている。
 
同会は、政権交代を機に検定意見撤回を実現させるために川端大臣との直接面会を要請していた。

川端大臣との面談は、28日、民主党関係者から連絡があったとのことが、実はその前日の27日の早朝、

仲井真県知事が密かに首相官邸を訪問し「普天間移設」に関して密会していた。(新報報道)

仲井真知事と鳩山首相の公式面談は今日、30日の予定だったが、政権交代で民主党内閣にはパイプを持たないとされていた知事が公式面談の三日も前に密かに首相官邸を訪れ密談していたとは驚きである

当日記が以前から危惧していた、沖縄に関わる二つの問題点、「教科書検定撤回」、そして「普天間移設」という二つの点が今日、東京で、今まさに線で結ばれようとしようとしている。

そう、今鳩山首相が普天間移設で残された選択肢は、「辺野古」と「県外」しかない。

仲井真知事の従来からのスタンスは「県外がベストだが現実を見ると辺野古も容認」であり、これは現在も変わっていない。

27日の鳩山首相との密談では、琉球新報によると、米軍普天間飛行場移設問題で仲井真知事が従来の主張を繰り返したのに対し、鳩山首相は結論を迷っている様子だったとされる。

年内決着を焦る岡田、北沢の両関係大臣の意見を考慮すれば「迷える」鳩山首相には辺野古しか選択肢は無いはずだ。

一方、その同じ日に検定意見撤回を求める団体が、文科大臣に政治主導による決断を迫るということは何を意味するのか。

今政治主導という耳に心地よい言葉がマスコミを跋扈し、「事業仕分け人」が官僚を斬りつける場面に国民は喝采しているようだが、これは「首相の犯罪」を国民の目から逸らすための一種のガス抜きに過ぎず、

政治主導が一旦道を誤ると独裁の道に突っ走ることを歴史は物語っている。

仲井真知事と鳩山首相 密談 移設先「言っていない」県幹部
2009年11月29日       
 仲井真弘多知事と鳩山由紀夫首相の27日の初面談は、知事が秘書にも知らせず独自のパイプを通じて極秘で調整した。
知事周辺によると、米軍普天間飛行場移設問題で仲井真知事が従来の主張を繰り返したのに対し、鳩山首相は結論を迷っている様子だったとされる。
 30日に公式面談が予定される中での「密談」に、鳩山政権と連立を組み普天間飛行場の県外移設を求める社民党内には「名護市辺野古への現行案の沖合修正で合意する話し合いが整っているのではないか」と、県内移設で年内決着へのシナリオづくりに警戒感を募らせる。
 政権交代で民主党にパイプがないとされてきた仲井真県政。だが、今回の密会には、一人の人物がかかわった。鳩山首相の秘書官(政務担当)を務める佐野忠克氏(元経済産業審議官)。知事の古巣、通産省の後輩で、仲井真知事は秘書を通さず、数日前から直接秘書官と連絡を取りながら調整を進めた。
 初面談は、朝食を共にしながら行われた。知事は秘書も伴わず単身で首相公邸に入り、首相の動静を逐一取材する記者の目もすり抜けた。
 県幹部によると、知事は首相に対し、名護市辺野古への移設に向けた沖合移動の距離幅などについては話さず、「県外移設」を求める県民の声が大きくなっていると説明した。
 同幹部は「(県内移設など)どうこうしてほしいなど、こちら側の意思は言わない。仕上げ(政府と県の合意)に向けたプロセスでもない」と早期決着に向けた観測を否定する。
 30日の首相との面談で仲井真知事は要請書を手渡す予定だ。県庁の事務方は、「現実的には県内移設はやむなし」とするトーンを抑えつつ、「県外移設を求める声が大きくなっている」との状況を伝える方向で調整している。
 知事の首相密談の動きを受けて、社民党の照屋寛徳副代表(同党県連委員長)は「なぜ急に知事と首相の会談が入ったのか。防衛・外務の担当局長が訪米してきたところで、知事はルース駐日米大使とも30日に会うという環境にある」と指摘。
 その上で、27日の面談で「知事から首相に、(辺野古への移設案を)何メートル沖合へ移動させるように言わせて、首相が知事意見を尊重するという形で、米との交渉で少し沖合に移動させるという話し合いができたのではないか」と警戒感をあらわにした。(滝本匠)

                    ◇

沖縄の「県外派」に散々期待させた挙句、「国家間の合意は守らねばならぬ」と、最初から分かりきったセリフで歌舞伎劇の結末をつけるつもりなら、それ相応の「落とし前」が必要であろう。

当然「落とし前」は金だと相場は決まっているが、鳩山首相が普天間移設に関して沖縄県知事と面談している同じ日に教科書検定意見を政治主導で撤回せよと要請するグループは担当閣僚と面談していることにきな臭さが臭う。

かねてより文科大臣との面談を要請していた、検定意見撤回を求める団体の玉寄氏に大臣との面談の連絡が入ったのは、仲井真知事が鳩山首相と密会をした日の翌日である。

公式に首相との面談が予定されていながら、知事は何ゆえ予定日の三日も前に予定外の行為で人目を避けるように首相と密会したのか。

首相の残された選択肢「辺野古」に決定した後の県民に対する「落とし前」について密談していたのではないか。

だとしたら、記者団に追いかけられる公式の首相面談を避け、忍者のように密かに面談するしかないのだろう。

だが、鳩山内閣の「政治主導」も道を誤ると歴史に汚点を残すことになる。

予算の削減を迫るのならまだしも、歴史教科書の記述を「政治主導」で書き換えるような大愚を犯したら、国民は黙っていないだろうし、それこそ鳩山政権の終焉を意味することになる。
 

                     ◆

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【講師のご紹介】 山谷えり子先生 
昭和25年     東京都生まれ、福井県育ち。
昭和48年     聖心女子大学文学部卒業
 サンケイリビング新聞編集長、テレビキャスター、エッセイスト
平成12年  6月  衆議院議員初当選
平成16年  7月  参議院議員(全国比例区)初当選
平成17年 11月  内閣府大臣政務官<小泉内閣>
平成18年  9月   内閣総理大臣補佐官(教育再生担当)<安部内閣、福田内閣>
平成20年 10月  自民党女性局長
11月  自民党拉致問題対策特命委員会 事務局長
平成21年10月  参議院環境委員長
主な著書 『嫁姑合戦』(TVドラマ化)、「走りつづけて・父・山谷親平五千六百一回目の朝」、
       「はりきりママのかしこい子育て」など。
 
事務局 TEL098-889-1305、2023   FAX098-889-6496
※この「教育講演会」は、競艇の交付金による日本財団の助成金を受けて実施します。

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

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「人類館」のウソ演劇が国立劇場を占拠!

2009-11-29 08:15:52 | 未分類

 

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大田昌秀元県知事が琉球大学教授時代にばら撒いた「人類館」にまつわるウソの歴史が、沖縄紙に取り上げられると「情報ロンダリング」され、いつしかウソが定説となると書いた。

さらにこれが本土全国紙に記事として取り上げられるとウソが遂には「真実」となってくる。

レーニンが言ったという「ウソも百篇つけば真実となる」の正しさが、沖縄では容易に証明されることになる。

「人類館」のウソが日本一発行部数の多い新聞によって「情報ロンダリング」された例がこれ。

<19>沖縄差別(読売新聞記事)

写真:写真説明
沖縄だけに適用される駐留軍用地特別措置法(特措法)の改正案に反対する座り込みには「沖縄差別」と書かれた横断幕が掲げられた(那覇市内で、1997年4月10日)

【沖縄差別】明治以降、就職などで本土に渡った沖縄出身者は、言葉や生活習慣の違いから差別や偏見にさらされることが多かった。1903年、大阪で催された内国勧業博覧会場外の民間パビリオン「学術人類館」で沖縄の女性がアイヌや台湾の高砂族などと共に見せ物とされた。戦前には、出身者が多く住む阪神地区や京浜地区では家を貸す時、「琉球人お断り」の札が下げられたり、就職や給与で差別されたりすることもあった。沖縄県内では方言撲滅運動が推進され、小中学校で方言を使うと罰として木札「方言札」を首からかけさせられた。

             ◇        ◇

もっとも読売記事は、高倉倉吉琉球大学教授の意見として、時代を遡れば個人的な差別、偏見は別として、日本政府が沖縄に対して差別をした政策や制度は存在しない、と述べている。 

読売新聞より抜粋し以下に引用する。

歴史的に観察すれば、1879年(明治12年)春の琉球処分=沖縄県設置以降、確かに沖縄はヤマト(沖縄以外の日本)と制度上区別されたことがあった。琉球王国時代以来の旧制度を全国並みの制度に変革するまでの間、中央政府(明治政府)はいわゆる「旧慣温存」路線を敷いたが、その特別制度は大正期に終焉(しゅうえん)する。(略)

アメリカ軍基地が沖縄のみに偏在しているという不公平さを除くならば、わが国において沖縄県のみが区別され、「差別」を受けるような特別制度はない。2012年3月期限の、沖縄県のみを対象とする振興計画が推進されているが、それは沖縄側が望んだものである。(略)

 そのことをふまえても、日本国憲法体制下にあって、沖縄という地域のみが他と区別され、誰の眼にも明らかな「差別」的境遇を強いられ続けているという決定的事実は存しない。不公平の是正や、基地優先主義の是非などを問う論点は確実に存在するものの、制度をめぐる「差別」論を唱えうるような実態はないと私は思う。》

高倉教授は言葉を続けて、「沖縄の文化が、『差別』されるような状況は存在するだろうか」と疑問を投げかけているが、

沖縄紙の紙面を飾る識者達の文章を読む限り、「沖縄は差別され固有の文化や言語を奪われた」といった印象を植え付けられるし、さらには国連まで担ぎ出して「琉球民族は文化を奪われた先住民族」だから国は先住民族の認定をせよ、といったトンデモ意見まで出てくる始末である。

本当に沖縄が文化を奪われたのか。

とんでもない。

沖縄県が日本一芸能の盛んな県であり、琉球舞踊や琉球民謡の研究所の数が沖縄ほど多い県はないということは、彼ら識者達が一番知っているはずである。

沖縄の盆踊りとも言える「エイサー」などは沖縄県の地域を飛び出して、今では東京、大阪は勿論全国のお祭りを占拠しているではないか。

沖縄方言に関しても、沖縄の大学には「沖縄方言講座」があるくらいで、筆者も昨年、名桜大学の週一回の「方言講座」を社会人コースとして受講したくらいである。

さらには膨大な国費を投入し、沖縄伝統の組踊り保存のため、国立劇場まで創設しているが、そこで行われる演目不足で、遂には「人類館」まで上演される始末である。

国費を投じた国立劇場で、「日本政府が沖縄を差別した」というウソ塗れの「反日劇」を上演し、県民の反日感情を煽るとは、ウソの発信元である大田元県知事の高笑いが聞こえるようである。

11月21、22日、国立劇場おきなわで催された「人類館」上演に関する琉球新報コラムを引用するが、

ここでは大田元知事が垂れ流したウソがすっかり「歴史的事実」として書かれている。

国立劇場おきなわ 2009年11月23日
 今から106年前の1903年、生きた人間を標本のように展示する見せ物小屋が、大阪の博覧会会場周辺に出現した。アイヌや台湾の先住民らと共に琉球人の女性が陳列・展示された
▼人類館事件と呼ばれるこの出来事を題材にした朗読劇「人類館」(作・知念正真(せいしん))が先週末、国立劇場おきなわで上演された。一人三役をこなす俳優津嘉山正種(つかやままさね)さんの迫真の演技に引き込まれた
▼人類館事件は、「琉球処分」に反対した琉球士族らが琉球王国の存続を求めた救国運動を担い、志半ばで命を落とした後に発生した。「処分」によって琉球を領土に取り込んだ明治政府は、琉球独自の風俗習慣、文化を否定し、日本への同化を強要した
▼琉球をさげすむ風潮は当時の日本の論調にも表れている。演劇・花柳界新聞「かなよみ」は、日本に従わない琉球を飼い主の手を噛(か)む「愚犬」と表現。王国指導者を東京の焼き芋屋で働かせれば「少しく日本の風儀を染(そめ)、東京子の潔(いさぎよ)き魂(たまし)ひを飲込(のみこみ)て漸々(ぜんぜん)開花の気味に渉(わた)らん」(1879年4月17日付、琉球新報新聞博物館所蔵)と書いた
▼さて朗読劇「人類館」は方言札、沖縄戦、米国による異民族支配などを盛り込み、沖縄の近現代史を貫く差別の構造を風刺する。登場人物の滑稽(こっけい)さが笑いを誘う
▼この芝居は最後に振り出しに戻ってしまう。歴史は繰り返されるのだろうか。

                     ◇

「人類館」上演は沖縄出身の俳優津嘉山正種氏によって演じられているが、「明治政府の沖縄差別」を頭から信じ込んでいるようで、氏のこの演目に対する熱の入れようは並みのものではない。

津嘉山氏の言葉を「劇団「青年座」人類館沖縄公演」から抜粋したものを引用する。

 上演にあたって皆さん今晩は。本日は我が『人類館』へようこそおいでくださいました。史上初の、そして空前の規模で開かれます我が「人類館」は、世界中のいたる所で差別に遭い、抑圧に苦しみ、迫害に泣く人種、民族を、色とりどりに取り揃えてございます……」(戯曲『人類館』より)

知念正真作『人類館』は、1903年に大阪天王寺で開かれた内国勧業博覧会会場前に建てられた「学術人類館」において、琉球、朝鮮、アイヌ、台湾高砂族、インド、マレー、ジャワ、アフリカなどの人々を、民族衣装姿でそれぞれの住居に住まわせ、見世物として観覧させた事件、俗に言う「人類館事件」を題材に書かれたものです。この学術人類館を舞台に近現代の沖縄の歴史と文化、とくに戦中・戦後の沖縄の姿を赤裸々に再現しています。津嘉山正種は、戯曲のウチナーグチ(沖縄語)をそのままに、「陳列された男」「陳列された女」「調教師風な男」の3役を1人で朗読します。

昨年の沖縄公演(キジムナーフェスタに参加)、東京公演(青年座劇場)で大好評をいただき、今回、津嘉山正種後援会のご協力により沖縄公演が実現する運びとなりました。
津嘉山が万感の思いを込めて語る 沖縄の現実 歴史の事実 人間の真実。
ご期待ください。

                    

なお津嘉山氏の「人類館」公演に対する熱い思いは、琉球新報コラム「あしゃぎ」に「人類館にこめた思い」と題して次のようにも述べられている。

折しも沖縄を巡っては、教科書問題や米軍基地問題など、まさに「沖縄への差別」が根底にある・・・。」⇒津嘉山正種ひとり語り“人類館”の沖縄公演

100年以上前の一興行師が行った興行が、「明治政府が行った沖縄差別政策」とういう「反日デマ劇」となって、

国費を使った国立劇場で上演される・・・、こんな間抜けな国は世界中どこにも見当たらないだろう。

さらに付け加えると100年も前の「人類館」が、一世紀の時空を飛び越えて教科書問題や米軍基地問題に関する「沖縄差別」に結びつくとは、

「人類館」で一儲けを目論んだ吉田某なる興行師も今頃あの世で、くしゃみをしていることだろう。

もう一つ、大田元知事が垂れ流した「沖縄への差別政策」というウソをモロに受けた沖縄タイムス記事を引用しておく。

■戦艦大和は「日本の沖縄への差別政策」の表れ!

沖縄県人として地元紙の噴飯モノの記事を晒すの恥ではあるが、「ウソも百篇・・・」の例として、我慢して読んでいただきたい。
 
 
まず、明治以来、日本国の琉球島嶼群に対する差別政策は、人頭税をはじめとする旧慣温存による苛斂誅求(かれんちょうきゅう)と、伝統文化や言語の廃絶強制など多岐にわたるが、そのいきつくところとして、太平洋戦争における皇土防衛の為の捨石とされた事もあるが、もっともあくどい仕打ちは、戦艦大和の沖縄海上特攻作戦だったのではないかと私は思う。
 
さて、そこへ大和が攻め込んできて、世界最大最強といわれたその主砲四十六㌢砲塔九門が一斉に火を吹くと沖縄はどうなっただろうか。想像しただけで瞑目するばかりである。おそらく、大和は偵察機による誘導もないので、沖縄中南部の平地に巨大な砲弾をところかまわずに打ち込んだであろう。その弾は日米軍ばかりではなく、住民をも打ち砕いたであろう。 住民の犠牲者は、更に多数に上り、三十万人(当時の人口の半分)にも達したのではないかと、恐れる
 

だが、大和は、米空母群から発艦したヘルダイバー急降下爆撃機による空からの攻撃と潜水艦による魚雷攻撃で、沖縄本島には一発の砲弾も放つことなく、四月七日に、三千人の乗組員とともに撃沈された。
あっ、よかった。戦艦大和が、沖縄のはるか北方の海に沈められてよかったそう言えば、日本国民の多くは激怒するだろうし、やはり琉球人は日本人ではないと、
その従来の差別感の正当性を再認識するに違いない。
 
沖縄人が、戦艦大和によりさらに多数を殺され、島の集落のことごとくが破壊されたであろうことを思えば、
それはまさに明治以来の差別のいきつくところであった。
 
沖縄タイムス 2007年3月20日 特集記事
「復帰35年 揺れた島 揺れる島 19回 “踏みしだかれた島(上)” いれい たかし記」より抜粋

念のため書き添えるが、この記事は筆者の捏造でも何でもなく、正真正銘の沖縄タイムスの記事である。

それにしても随分と読者をバカにした記事ではないか。(怒)
 

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大田昌秀氏が撒いた「人類館」のウソ!「日本政府の沖縄差別政策」

2009-11-28 07:19:46 | 未分類

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今年は薩摩が1609年に琉球王国を侵略・支配してから400年、明治政府が琉球処分(廃藩置県)してから130年の節目の年ということで左翼反日団体や、沖縄二紙が「日本が沖縄に差別政策を取って来た」という主旨の大キャンペーンを行っている。

明治政府が沖縄に対して行ったとされる差別政策の象徴として「人類館」が幾度となく沖縄紙で取り上げられてきたが、これが真っ赤なウソの情報であることを昨日のエントリーで述べた。

「ウソも百遍くり返せば事実になってしまう」とはレーニンが言ったらしいが、沖縄紙が流布させたウソに「集団自決軍命説」があるが、「人類館」のウソは一体誰が流布させたのか。

その前に「人類館」のウソを復習するとこうなる。

1903年(明治36年)、大阪で行われた勧業博覧会で「人類館」と称して沖縄人を見世物にし、これを知った沖縄県人が怒りの抗議をし、取りやめになったといういわゆる「人類館事件」のことだが、次の二つの事実が伏せられたウソが流布しているのである。

(1)沖縄県人が怒ったのは、沖縄人がアイヌ人や台湾人のような「野蛮な人種」と同列に陳列されたこと。(沖縄も差別の加害者)

(2)「人類館」は明治政府の博覧会のプログラムには載っておらず、会場の外に設けられた一業者の企画であったこと。

これらの事実を故意に隠蔽し新聞が流布させウソとは、明治政府が博覧会という国営事業で「沖縄人を差別した」というウソの情報である。

では、この「人類館のウソ」を最初に流布させたのは一体誰だったのか。

その犯人が大田昌秀元沖縄県知事であることを知る者は少ないが、それを暴いた人物が同じ姓を持つ太田良博氏であることを知る者はさらに少ないであろう。

太田良博氏といえば、「デマの暴風」と皮肉られる『鉄の暴風』の著者であり、自身が「集団自決」のウソを流布された張本人であることは実に皮肉なめぐり合わせである。

昭和54年4月30日発行の雑誌『青い海』に、太田良博氏は「『人類館』の真相」と題する11ページにも及ぶ論文を寄稿し、そこで大田昌秀氏がねつ造した「人類館」のウソを赤裸々に暴いて見せている。

太田良博氏によれば、沖縄県民に「差別と偏見」の怨念を植え込んだ「人類館」のウソは大田昌秀著『醜い日本人』にその端を発し、他の人やメディアが「人類館」を取り上げる場合もほとんどが大田昌秀氏の著書を引用或いはその孫引きであるという。

「人類館」について報じている当時の琉球新報の記事を、太田良博氏の文から孫引きすると、『醜い日本人』は、次のように説明している。

大阪で第五回勧業博覧会が催されたさいのこと、学術人類館の会場には、映画のセットよろしく茅葺小屋がしつらえられ、中には二人の沖縄婦人が“陳列され”、説明者が「此奴は、此奴は」とムチでで指しながら動物の見世物さながらに沖縄の生活様式とかを説明していた。 これを見て憤慨した県人の一人が“琉球新報”に投書し、生活様式を紹介するというのなら他に良策もあろうに、娼妓を連れてきて、“琉球の貴婦人”だと言っている。 また人類学研究のためというならあらゆる人種を集めるべきはずなのにそうはしていない。 現に浪速にも歯を染め眉をそった婦人がいるのに陳列していないではないか、と怒りをぶちまけた。 同紙は、すぐ“同胞に対する侮辱”と題する社説をかかげ、学術人類館とは名ばかりで、世人の好奇心に投ずる見世物的陳列に他ならないと論難した。(明治36年4月27日付け)》

 

「人類館」事件は明治期の歴史として、事実あった出来事ではあったが、それが、国家的行事である「大阪勧業博覧会」とは何の関係もない一興行師が、金儲けのため行った興行であった。

この「人類館」事件に目をつけたのが、「沖縄は日本の差別と偏見の被害者である」という反日イデオロギーで凝り固まった思想の大田昌秀氏であり、「人類館」事件をウソで塗り固めて流布させたのが氏の著書『醜い日本人』だということができる。

沖縄で「沖縄が差別された」という類の本がが沖縄の学者により発表されると何の検証もなく地元紙が此れを大々的に取り上げ、一旦地元紙の活字となるとこれが「定説」となっていくのが通例である。

そして、いつしかウソも真実として「定説化」していく情報のロンダリングが行われることになる。

これも『鉄の暴風』のウソの「定説化」と同じ構図である。

大田昌秀氏の『醜い日本人』は、その紹介文に「偏見と無知、驕れる姿勢を告発した痛憤の書」とあるように、

全編に大田氏の屈折した被害者意識が滲む「反日」の書であるが、それを象徴するような次のようなくだりがある。

この事件はきわめて象徴的なものだが、こうした論評が通用するところに、日本人の陰湿な差別と偏見の問題の根深さがある。 すなわち、人間を見世物にして恥じない事態は、封建的残照が濃厚だった明治時代だけのことではなく、民主憲法下の戦後においても堂々と再現されたからである。》

このように大田氏は自分がでっち上げた「日本国家の沖縄差別」というウソに悲憤慷慨して見せている。 文はさらに「アナタハンの事件」にまで話を拡大しているが、これについてはここでは省略する。

大田昌秀氏は、当時の大きな催し物には必ず付いて回る興行師の見世物小屋の類である「人類館」を、明治政府が沖縄差別政策のため行った国家的事業であるかのようにすり替えて自分の「反日」イデオロギーに県民を巻き込んでいるのである。

この「人類館」という興行に対しては、当時の周辺の一般国民も顔をそむけ、批判している。

これを報じる当時の新聞の論調も、警察や一般の反応もこれを行った吉田某という興行師に対して批判しており、この興行自体は大失敗だったという。

このような特殊な事件をあたかも日本の沖縄に対して行った差別政策として、県人の「反日感情」を煽った太田氏の罪は限りなく深い。

また太田氏のウソの情報を何の検証もなく、「日本の沖縄差別」の象徴として現在でも平気で垂れ流している沖縄二紙の罪はさらに深い。

ちなみに「人類館」に琉球貴婦人として「出演した」二人の沖縄人は辻の遊女であり、「出演料」(日当)は一日一円で、前金として200円が興行師から渡されており、大阪では気ままに大阪市内見学もできるとのことであった。 

日当は当時の沖縄人にとっては破格の給金であり、現在と違って当時大都会である大阪に行けるということだけで、「人類館」への出演は遊女達にとっては夢のような出来事であったことは想像に難くない。

(続くー気が向いたら)

                    

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【講師のご紹介】 山谷えり子先生 
昭和25年     東京都生まれ、福井県育ち。
昭和48年     聖心女子大学文学部卒業
 サンケイリビング新聞編集長、テレビキャスター、エッセイスト
平成12年  6月  衆議院議員初当選
平成16年  7月  参議院議員(全国比例区)初当選
平成17年 11月  内閣府大臣政務官<小泉内閣>
平成18年  9月   内閣総理大臣補佐官(教育再生担当)<安部内閣、福田内閣>
平成20年 10月  自民党女性局長
11月  自民党拉致問題対策特命委員会 事務局長
平成21年10月  参議院環境委員長
主な著書 『嫁姑合戦』(TVドラマ化)、「走りつづけて・父・山谷親平五千六百一回目の朝」、
       「はりきりママのかしこい子育て」など。
 
事務局 TEL098-889-1305、2023   FAX098-889-6496
※この「教育講演会」は、競艇の交付金による日本財団の助成金を受けて実施します。

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

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「人類館」、恨み辛みの歴史観

2009-11-27 07:11:56 | 未分類

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昨夜、飲み会があった。

某全国紙の記者、沖縄の某大学教授、沖縄の某作家そして筆者の四人で、泡盛を酌み交わしながら夫々が持つ「沖縄への思い」を熱く語りあった。

時には声を荒げることもあったが、実に楽しく刺激的な秋の夜のひと時を過ごすことができた。

そのときの話題で最も熱が入ったのが「沖縄差別」であった。

今年が薩摩の琉球侵攻400年に当たるということで、沖縄タイムスが毎週月曜日に長期連載の特集記事を現在も継続中だが、ちなみに今週の月曜日(23日)の特集の見出しはこれ。

強いられた日本語転換

言語風俗の日本化

前回も書いたが特集に一貫して流れる論調は「平和な琉球王国が武力で日本に侵略された、無理やり日本化された」という侵略と差別の歴史観である。

その象徴として沖縄紙が頻繁に取り上げるのが「人類館」である。

琉球新報コラムが又しても恨み節のコラムを書いた。

金口木舌 2009年11月23日
 今から106年前の1903年、生きた人間を標本のように展示する見せ物小屋が、大阪の博覧会会場周辺に出現した。アイヌや台湾の先住民らと共に琉球人の女性が陳列・展示された
▼人類館事件と呼ばれるこの出来事を題材にした朗読劇「人類館」(作・知念正真(せいしん))が先週末、国立劇場おきなわで上演された。一人三役をこなす俳優津嘉山正種(つかやままさね)さんの迫真の演技に引き込まれた
▼人類館事件は、「琉球処分」に反対した琉球士族らが琉球王国の存続を求めた救国運動を担い、志半ばで命を落とした後に発生した。「処分」によって琉球を領土に取り込んだ明治政府は、琉球独自の風俗習慣、文化を否定し、日本への同化を強要した
▼琉球をさげすむ風潮は当時の日本の論調にも表れている。演劇・花柳界新聞「かなよみ」は、日本に従わない琉球を飼い主の手を噛(か)む「愚犬」と表現。王国指導者を東京の焼き芋屋で働かせれば「少しく日本の風儀を染(そめ)、東京子の潔(いさぎよ)き魂(たまし)ひを飲込(のみこみ)て漸々(ぜんぜん)開花の気味に渉(わた)らん」(1879年4月17日付、琉球新報新聞博物館所蔵)と書いた
▼さて朗読劇「人類館」は方言札、沖縄戦、米国による異民族支配などを盛り込み、沖縄の近現代史を貫く差別の構造を風刺する。登場人物の滑稽(こっけい)さが笑いを誘う
▼この芝居は最後に振り出しに戻ってしまう。歴史は繰り返されるのだろうか。

                                             ◇

「ニタカマンタ」という沖縄の方言が、「似たもの同志」を表すと知るものは、最近では沖縄人でも少ない。

狼魔人流・沖縄語講座 「ニタカマンタ」は「割れ鍋に綴じ蓋」

「類は友を呼ぶ」というように同種類のものが群れるのは人間の性(さが)だが、動物一般にこの本能はあり、それが種の絶滅を防いでいるともいえる。

同じ人間でありながら見た目や、言語、生活習慣の違いで同じ種である人間同士が差別しあうのは、人間が心の奥底に持つ業のようなものである。

人間の歴史をひも解くと、ある意味差別の歴史だといえなくもない。 

人間は学習による知恵により、この人間が持つ業を遅々ではあるが克服してきた。

日本でも明治期まで、士農工商と職業、出自による差別はあったが、それはまだしも、人間以下のエタ、非人と称する差別制度があったことは島崎藤村の『破戒』にも描かれている。

まったくいわれのない日本古来の差別の風習に、明治政府は先ず身分制度を廃し四民平等とし、

エタ、非人の差別呼称を禁じ、「新平民」として差別の解消をはかった。

ところが明治政府の差別解消策は「新平民」という新しい被差別民を作ったに過ぎなかった。

差別が真剣に取りざたされるようになるのは、皮肉にもマッカーサーが与えた新憲法に人権が重要な権利としてうたわれてからである。

これまで差別されたいわゆる「部落民」たちが、差別反対運動を起こし、それなりの成果をあげた。

その一方、一部の運動が行き過ぎて国民の中に差別意識が薄くなって来たにも関わらず、

ことさらに「差別だ!」と声高に叫び、「逆差別」の「既得権」享受し、

意図せず使った言葉の言葉尻を捉えて「言葉狩り」をする過激な「被差別者」の団体があることは周知の通り。

日露戦争の2年前、今から百年以上前のこと、大阪で行われた博覧会の出し物に「沖縄人差別があった」と現在も声高に叫ぶ勢力がいる。

差別を声高に叫ぶ人間が、実は差別主義者である場合が多い。
 
「差別された」と叫ぶ人間が実は「差別主義」という矛盾。
 
差別とはいわば己を映す合わせ鏡のようなものである。
 
沖縄で差別を叫ぶ人間は、その一方で離島出身者を差別したり本島内でも北部出身者をヤンバラーと差別したり、台湾人やフィリピン人をタイワナー、フィリピナーと差別的意味合いを込めて呼ぶ。
 
最近では見られないが、米軍占領時代は、奄美大島出身者をオオシマーと侮蔑の意味を込めて呼んでいた。
 
差別は離島や北部、南部に止まらず、沖縄の都市地域にもあった。
 
那覇出身の民俗学者・伊波普猷は琉球王府のある首里(現在は那覇の一部)にあった県立一中(現在の首里高校)に進学のため寮生活をしたが 、
 
そのとき衣服や言葉使いが「首里風」でなかったため差別を受け苦労したとその著書で書いている。
 
■「人類館」にまつわる沖縄紙のウソ

沖縄差別の歴史を風刺/「人類館」30年ぶり東京公演【12月17日】

 
 【東京】演劇集団「創造」による「人類館」(作・知念正真、演出・幸喜良秀)が16日夜、早稲田大学大隈記念講堂大講堂であった。同演劇集団の東京初演(1978年)からちょうど30年ぶり、一夜限りの公演に、学内外から1000人が詰め掛け、沖縄が差別を受け続けた歴史を風刺した劇に見入った。
 一九〇三年に大阪天王寺で開催された第五回内国勧業博覧会で沖縄、アイヌ、朝鮮、インドなどの人々が民族衣装姿で見せ物として陳列された、いわゆる「人類館事件」を題材にした喜劇。
 三人の役者が場面ごとに役を変え、沖縄戦で日本軍の迫害を受け、「集団自決(強制集団死)」に追い込まれたり、戦後の米軍占領下で抑圧されたりした沖縄の人々への差別の歴史、人間の中に潜む差別の意識を一つ一つ巧みに演じきった。(略)
         

                                                ◇
 
ラジオ、テレビもなく現在とは比べられないほど情報が少なかった100年以上前のこととはいえ、明治政府が実際にこの『人類館』が行ったような差別政策を取っていたとしたら、沖縄人として不愉快に感じる出来事である。
 
だが、明治政府は実際に沖縄人にこのような差別政策を取っていたのか。
 
否である。
 
この「人類館事件」が沖縄県民の間に知られるようになるのは、米軍占領下で「祖国復帰運動」が盛んだった頃ではなく、
 
復帰後沖縄左翼が「反日」に運動を変換し始めた頃である。
 
日本の左翼が沖縄に根付き始めた頃の1976年、沖縄生まれの知念正真氏が書いた戯曲「人類館」を契機に沖縄人の間にもこの「人類館事件」知られるようになる。
 
復帰4年後に沖縄人によって作られた戯曲「人類館」は、作者の日本に対する怨念が凝縮された作品であるが、
 
ここで注意すべきは「人類館事件」という歴史的事実と、沖縄紙が騒ぐ戯曲「人類館」には二つの大きな違いがある。
 
いや、もっと直裁にいえば、戯曲「人類館」も沖縄紙も「人類館事件」の「不都合な事実」には、決して触れてはいないということである。
 
沖縄紙は戯曲「人類館」に関して意識的に二つの事実を隠蔽している。
 
「人類館事件」で、当時の沖縄県民が怒ったのは、単に差別されたからではなく、

「人類館」にて、台湾の生蕃と北海のアイヌと同列に展示されたことが沖縄県人を侮辱したというのである。

当時の『琉球新報』(4月11日)では「我を生蕃アイヌ視したるものなり」という理由から、激しい抗議キャンペーンが展開されたのである。特に、沖縄県出身の言論人太田朝敷が

学術の美名を藉りて以て、利を貪らんとするの所為と云ふの外なきなり。我輩は日本帝国に斯る冷酷なる貪欲の国民あるを恥つるなり。彼等が他府県に於ける異様な風俗を展陳せずして、特に台湾の生蕃、北海のアイヌ等と共に本県人を撰みたるは、是れ我を生蕃アイヌ視したるものなり。我に対するの侮辱、豈これより大なるものあらんや(ウィキペディア)

このように悲憤慷慨して、沖縄県全体に非難の声が広がり、県出身者の展覧を止めさせた。

当時の沖縄の代表的知識人であり、琉球新報社長も勤めた太田朝敷の論説が、このように差別的要素を含んでいたのだ。

まさに沖縄人にとって「差別」とは己が持つ差別性を映しだす鏡であったのだ。

もう一つ、戯曲「人類館」と沖縄紙が隠蔽する事実は、「人類館」が、博覧会場の中に設置されたように報道されているが、実際はそうではなく、博覧会に便乗して会場外で開かれていたイベントの「場外パビリオン」で行われていた。(『沖縄文学選』)

あたかも当時の明治政府が沖縄差別政策を行うため、自ら「人類館」を設営したかのように報じられているが実際はそうではなかったのだ。

「人類館」が、政府行事への便乗商売をした業者の商行為だったことは「利を貪らんとするの所為と云ふの外なきなり」という怒りのこっとばでも伺える。

今年に入ってから急に「人類館」の話題が沖縄のマスコミを賑わすようになったが、いずれの論調も「日本が沖縄に行った差別政策」であるという反日の怨念に満ちており、
 
沖縄タイムスの記事などは
 
沖縄戦で日本軍の迫害を受け、「集団自決(強制集団死)」に追い込まれたり
 
と、100年以上も前に、便乗商売をもくろんだ一業者の行いを、強引に「悪逆非道の日本」、さらには「集団自決」にまでも結び付けている。
 
沖縄タイムスよ、いくらなんでも少し強引過ぎはしないか。
 
それとも誇大妄想の病にでも陥ったのか。
 
いやいや、来るべき「集団自決訴訟」の最高裁判決に備え、「悪逆非道の日本軍」の印象操作に「人類館」を利用しようと言うのだろう。
 
さもなくば、100年前の一業者が行った便乗商法が、明治政府の沖縄差別政策に繋がり、
 
遂には「集団自決」に結びつくはずもない。
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差別と被差別は合わせ鏡 奄美復帰55周年 

2009-11-26 06:37:54 | 未分類

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侵攻から親交へ 交流宣言書署名/沖縄・鹿児島県知事が握手【11月22日】

 【鹿児島で与儀武秀】薩摩の奄美・琉球侵攻から今年で400年の節目に当たることを受け、沖縄県の仲井真弘多知事と鹿児島県の伊藤祐一郎知事は21日、奄美市笠利町で、今後の両県の交流をより一層推進するとした交流拡大宣言書に署名した。県が歴史的節目を期に他府県と交流宣言を行うことは初めて。今後は両県で琉球弧の世界自然遺産の登録などを視野に相互の連携拡大を図る方針。

 宣言では両県が「琉球弧」と呼ばれる「黒潮文化圏」内にあり、多くの激動にさらされながら独自の個性を築いてきたと説明。400年の節目に「過去の出来事や成果をしっかり踏まえつつ、両県が真の隣人としての関係を新たに構築」し「相互の繁栄を目指して協力する」としている。

                  ◇

沖縄タイムスは、今年が「薩摩侵攻400年」に当たる年だということで、毎週月曜日には特集記事を組んでいるが、そこに横たわるのは「平和な琉球王国が薩摩を尖兵にした日本に侵略され、差別されてきた」という恨み辛みの歴史観である。

薩摩に侵略され差別されてきた琉球が、その薩摩と「交流宣言」をするというのが上記記事である。

「差別を声高に叫ぶ人に限って差別主義者である場合が多い」と書いたが、被差別を売りものにするような沖縄には実は差別主義者が多いとも書いてきた。

沖縄が奄美大島を差別してきた歴史を琉球新報のコラムがこのように書いている。

金口木舌 2009年11月20日
 泣きやまない子には「護佐丸が来るぞ」と脅していたと奄美市で聞いた。中城按司の護佐丸は県内では英雄だが、奄美では鬼のような認識だ。かつて奄美諸島は、琉球王府の領土だった
▼1609年の薩摩侵攻後は、薩摩藩の直轄地となった歴史がある。その奄美市であす、交流イベント「沖縄―奄美―鹿児島 連携交流2009」が開かれる。薩摩侵攻400年の節目に、共通の政策課題解決に向けて連携を深めることが目的だ。式典では、仲井真弘多知事と伊藤祐一郎鹿児島県知事が共同宣言に署名する
▼そのイベントに異を唱える動きがあった。南海日日新聞(奄美市)によると、
奄美関係者で結成した市民グループが18日、鹿児島県知事に宣言中止を求める要請書を提出した。「奄美の虐げられた歴史が総括されない中、奄美での宣言に違和感を覚える」という理由だ
▼琉球王国統治時代を奄美では「那覇世(なはんゆ)」ともいう。那覇世から薩摩藩統治の大和世、アメリカ世、そして鹿児島県と、翻弄(ほんろう)された奄美
▼奄美の市民グループの訴えは、衆院予算委員会の公聴会で「沖縄同胞の心情を人ごとと思わず、小指の痛みは全身の痛みと感じ取ってください」と発した祖国復帰協議会会長の喜屋武真栄さんの思いに通じるものがある
▼「奄美の痛み」にも思いが至る、あすの交流イベントに期待したい。

                     ◇

上記コラムでは「奄美の痛み」などとしおらしい言葉で結んでいるが、沖縄二紙は、沖縄二紙が薩摩に差別されたと声高に叫ぶことはあっても「奄美の痛み」について書いた記事は、筆者の記憶する限り上記コラムの一言以外にない。

以下は奄美復帰55周年 差別と被差別は合わせ鏡を補筆編集したものである。

「差別」を声高に叫び、それを商売道具のように扱う勢力がある。

沖縄左翼もこの言葉を、相手を黙らせる呪文のように唱え、百年前の一業者が行ったことを、今でもイデオロギーに利用していると書いた。

百年前の怨念「人類館事件」 沖縄差別の歴史だって

そのエントリーで、沖縄人が奄美大島出身者に対して行った差別について次のように書いた。

<差別を声高に叫ぶ人間が、本人は意識していなくとも、実は差別主義者である場合が多い。

 
「差別された」と叫ぶ人間が実は差別主義者であり、彼らがいう差別とは己を映す合わせ鏡のようなものである。
 
沖縄で差別を叫ぶ人間は、その一方で離島出身者を差別したり本島内でも北部出身者をヤンバラーと差別したり、台湾人やフィリピン人をタイワナー、フィリピナーと差別的意味合いを込めて呼ぶ。
 
最近では見られないが、米軍占領時代は、奄美大島出身者をオオシマーと侮蔑の意味を込めて呼んでいた。>
 
奄美大島は今は鹿児島県の一地方となっているが、戦後の一時期本土から分離され沖縄と同じく米軍統治下にあった事実を知る者は沖縄人でも少なくなった。
 
今年は奄美大島が日本復帰して55周年だという。
 

琉球新報社説 2008年12月27日

奄美復帰55周年 「琉球弧」連携強化の契機に

 奄美諸島が25日、本土復帰55周年を迎えた。戦後、1946年2月に米軍統治下に置かれた奄美が53年、沖縄より19年早く本土復帰を実現した。
 「民心の結集と血潮みなぎる情熱、行動力」で、主義主張や党派を超え、一滴の血も流さずに平和裏に本土復帰を実現したことが、いまでも奄美人(アマミンチュ)たちの誇りだ。
 25日に奄美市内で開かれた記念行事でも、復帰運動で示した奄美人の底力を「後世に語り継ぎ、力強い未来を建設しよう」と誓いを新たにしている。同じ“琉球弧”の一員としてエールを送りたい。
 「奄美の特徴は、自然と文化、長寿と子宝、亜熱帯の温暖の気候」と奄美市長の平田隆義さんは言う。
 奄美は、もともとは琉球王国の一員だった。1609年に薩摩藩による琉球侵攻で分断されたが、言語、民謡、食文化など共通点はいまなお多い。
 三線と島唄、8月踊り、亜熱帯性海洋気候を生かした観光、基幹作物のサトウキビ、黒糖をフレーバーに使った泡盛と同じ黒糖焼酎、大島紬(つむぎ)など織物文化などだ。
 沖縄より先に本土に復帰した奄美では「沖縄振興開発特別措置法」の源流ともいえる「奄美振興開発特別措置法」の下で政府のキャッチアップ政策が展開された。
 しかし沖縄同様、本土との所得格差や高失業、高い公共事業依存の第3次産業に特化したいびつな産業構造と、悩みや課題も重なる。
 異なるのは、奄美には広大な米軍基地がないこと。そして、人口が減少し続けている点だろう。奄美群島の人口は本土復帰時の半分の12万人にまで減っている。
 いま「健康長寿」「癒やしの島」を核に国際港湾の整備によるクルーズ船誘致など観光での地域振興を模索している。島しょ型観光では沖縄の経験が役に立つ。
 折しも来年は薩摩の琉球入りから400年の節目だ。戦後、別々の振興法下できた奄美と沖縄が「琉球弧」連携を強化し、新しい島しょ型振興策で相乗効果を発揮したい。

                                           ◇

きれい事を書き連ねたこの記事を読んでも、沖縄人が奄美出身者に行った差別に関しての記述は一言もない。

他人に対しては些細なことでも「差別」だと騒ぐ者は己が行った「差別」を語ることはない。

同じく「奄美復帰55年」を連続特集した沖縄タイムスはどうか。

米軍統治下の沖縄で生活した多くの奄美出身者に、当時の沖縄、そして故郷奄美大島の状況を取材しているが、

「大島差別」については連載三回目に

「強い反感、休職も厳しく」と題しては触れているが・・・。

加計呂麻島(鹿児島県瀬戸内町)出身で、現在も那覇市に在住の内山照雄さん(75)が当時の苦労話を語っている。

だが、タイムス記事には「差別」という言葉は一言もない。

該当部分を抜書きするとこうなる。

<(沖縄での就職で)面接票に「奄美大島」と書いた途端に門前払いされた。半年たっても仕事が見つからない。 なのに、「大阪」とごまかして書いたらすぐに採用された人もいた。

「事件があれば『大島か宮古』といわれた。 騒然とした時代、周辺の島々から食っていけない人がどっと、押し寄せていたから、反感もあったのでしょう」>

内山さんは、自分が受けた沖縄人の冷たい仕打ちに対して

「騒然とした時代、周辺の島々から食っていけない人がどっと、押し寄せていたから、反感もあったのでしょう」

と、恨み言を言うのでもなく「反感」という言葉を選んで、「差別」という言葉は使っていない。

だが、まぎれもなく、この仕打ちは差別以外の何物でもない。

これが逆の立場だったら沖縄タイムスは「沖縄人差別だ!」と、大見出しで騒ぎ、抗議集会でも煽っていただろう。

 

沖縄人の「奄美差別」に関しては、地元紙は黙して語ろうとしないが、

最近刊行された異色の沖縄レポート『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』(佐野真一著)でこれに触れた記述がある。

この沖縄現代史の恥部とも言うべき「奄美差別」について記した部分を同書から抜書きしておく。

1953(昭和28)年12月、奄美諸島は縄に先駆けて本土復帰を果たした。それから本格的な奄美差別がはじまった、と奥はいう。(・・・)問題は、彼らに対する沖縄人の露骨な差別と非人間的な扱いだった。この事実はほとんど知られていない。というより、沖縄の戦後史の暗部として、なかったことになっている。(・・・)

<「いま沖縄には奄美出身者が5万人いるといわれていますが、自分から奄美出身者だと名乗る人は、めったにいません」

本土から差別されたと拳を突き上げ絶叫する沖縄人は、その一方では奄美人を差別する。

那覇の国際通りの基礎を作ったのは、実は奄美出身者だったことは昔の国際通りを知る者には公然の秘密である。

「奄美差別」を知る沖縄人も今は少ない。

過去の沖縄人による差別を糾弾する奄美人の声を聞かない。

沖縄左翼もそろそろ被害者意識を商売道具に使うことを止めませんか。

「本土の沖縄差別」を声高に叫んだら、奄美出身者に笑われますよ。

「お前達だけには言われたくない」って。

 

◆参考ブログ⇒沖縄差別という神話の背景
http://itokazukeiko.ti-da.net/e2453436.html

 

教育講演会のお知らせ

◆【追記】⇒魔都見聞録】狙われる沖縄・琉球400年を歩く ...

朝日新聞夕刊の連載『琉球400年を歩く』は、まるで中国の海洋覇権志向に歩調を合わせるかのような論調である。相も変わらぬ「親中・反日」をベースとした ...
 

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究極のブーメラン!鳩山献金 喜納昌吉民主党県連代表の異常行動

2009-11-25 09:01:47 | 県知事選

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民主党に優しかったはずの沖縄タイムスも、かばい切れないと判断したのか、今朝の一面トップは、次の大見出し。

首相元秘書を在宅起訴へ

 ⇒元公設秘書、在宅起訴へ 首相聴取の可否、今後協議 

鳩山首相の虚偽献金疑惑はボロボロ出てくるようで毎日新聞は新たな疑惑を一面で大きく報じている。

⇒ 首相献金疑惑:実母から数千万円の資金 答弁と矛盾

同じく民主党には優しいはずのTBS「朝ズバッ!」の杉尾解説委員も、これだけボロが出てくると、さすがに庇いきれないのか、

「首相は法的責任はともかく政治的責任、同義的責任は重い」「説明責任を果たすべき」と、

庇っているつもりなのか批判しているつもりなのかよくわからない解説。

鳩山首相はかつて「秘書の罪は政治家も罪を受けるべきと発言していた。

ということは秘書が起訴されたら、首相が起訴されたことと同じことになる。

これこそ究極のブーメランではないか。 

応援団の杉尾氏も言うとおり、少なくとも政治的責任はあるわけだから、「首相が起訴された」のなら潔く辞任すべきではないのか。

◆犯罪を犯しても逮捕されない「鳩山システム」が話題になっています。

動画】⇒二分で分かる「鳩山システム」


                   ◆

小沢一郎幹事長が独裁の道を固めつつあるとヒトラーを例にして次のように書いた。

《ナチスドイツは最初から銃と戦車で国民を脅して独裁政権を獲得したのではない。

選挙という極めて民主的手段でドイツ国民はヒトラーを独裁者にしたのだ。

言葉を替えれば、ヒトラーの独裁政権はドイツ国民の民意であった。

 

衆議院選で圧倒的勝利を手にした「鳩山・一郎内閣」は来年の参院選で過半数を狙い、国民の委託による独裁政権の道を歩み出している。
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それぞれの「民意」、本日午後から県民大会

 

そして、これも小沢独裁の兆しであろうか。

小沢訪中団140人、民主・国会議員の3分の1(11/24読売)
 民主党の小沢幹事長の12月の訪中に、同党衆参国会議員のほぼ3分の1にあたる約140人が同行することが、24日の党役員会に報告された。
 党員や支持者らの参加も含めると、訪中団は総勢615人にのぼるという。訪中は小沢氏の権勢を見せつける旅となりそうだ。

                     ◆

 

■民主党沖縄県連の独裁者

小沢幹事長が独裁体制を築きつつあるその一方、沖縄の県選出国会議員の中でも独裁体制を引いている人物がいる。

野党に転落した自民党議員が衆議院に一人もいなくなった結果、連立を組む民主、社民、国民新3党と無所属の衆参議員7人が一つになり「うるの会」を再結成した。

2009年11月24日 政治 

県外・国外移設要請へ うるの会/きょう鳩山首相と面談【11月24日】

 米軍普天間飛行場の移設問題をめぐり、県選出・出身の国会議員でつくる「うるの会」の喜納昌吉参院議員は23日、那覇市内で記者会見し、24日に鳩山由紀夫首相と面談し、同飛行場を県外・国外への移設を要請すると発表した。同会メンバーと官房長官、外相、防衛相、沖縄担当相など関係閣僚で構成する「普天間移設に関する検証会議」(仮称)の設置などを求めるという。

 喜納氏は「普天間問題は、政府の方針が非常に混沌(こんとん)としており、県民が動揺している。地元の意向を無視した形で話が進んでいるのは許し難い」と政府の姿勢を批判。「鳩山首相も岡田外相も(政権交代以前に)県外・国外と言ってきた。その言葉は大事にしてほしい」と強調した。

 喜納氏は、県出身の赤嶺政賢衆院議員(共産)にも、うるの会への参加を求めていることを説明。県関係議員が一致して「県外・国外」移設を求めることの重要性を訴えた。

 赤嶺氏は沖縄タイムスの取材に、打診を受けたことを認めた上で「政策面で一致できる点は協力したい」と答えた。

                      ◇

「うるの会」の会長は民主党の喜納昌吉氏だが、あの「ハイサイおじさん」や「花」の作者として知られる人物で同時に民主党県連の代表でもある。

「うるの会」とは、 
民主党(喜納昌吉、玉城デニー、瑞慶覧長敏)
社民党(照屋寛徳、山内徳信)
国民新党(下地幹郎)
無所属(糸数慶子)
以上の県選出国会議員7氏で立ち上げた会。

喜納氏の政治家にあるまじき奇行はしばしば良識ある県民のひんしゅくを買っているが、本人が革新を標榜しているためか、地元紙でその奇行を批判することはない。

巷に流布する例を上げると、

(1)民主党県連の会議は会長の喜納氏の朝が遅いため、午前中に開かれることはなく、いつも午後遅くからである。

(2)会長に異論を唱える議決は無効になる。

いずれも地元マスコミには載らない話ではあるが、ご本人は深夜営業のライブつき居酒屋を経営しており、まんざら煙の立たない話ではない。

中城湾通信さんが、「喜納昌吉県連代表の異状」について詳細を述べているので以下にそれを紹介したい。

内紛に揺れる民主党県連

その民主党県連が今、内紛に揺れている。民主党中央に直訴された「民主党沖縄県連の組織実態に関する報告」を有志チームの理解を得て全文を本紙に掲載する。広く県民の議論と民主党県連との公開討論を行う機会になればと考え本紙も紙面を開放・協力した。

 
『民主党沖縄県連の組織実態に関する報告』

 連日のご奮闘に心から敬意を表します。
 さて、私たち「有志チーム」は10月2日付と同月9日の書面で県議選と衆院選に関する取り組みの進捗状況について報告させて頂きましたが、民主党本部には「何で県連ではなく有志チームか」という疑問を抱いておられるものと推察しております。組織を知る者であれば当然の疑問ですが、残念ながら「民主党沖縄県連」では常識が通用しないのが実態でございます。
 特に、最近の県連代表の発言や行動は背信行為としか思えず看過することは出来ません。党本部が沖縄県連の実態について正しく認識され、誤りなき判断をして頂くため標記の件について下記のとおりご報告申し上げます。

1.沖縄県連の政治的な異状

(略)
2.喜納昌吉県連代表の異状
(1)組織の体をなしていない党運営の実態と喜納代表の不適格性
 ①党の機関会議は実態として「喜納代表のご意向伺いの場」になっている。「意見・提言」は反論扱いされ反喜納としてたちまち排除される。現に、過去に少なくない民主党仲間が喜納代表によって排除されてきた事実がある。県連役員はそのことをよく知っているので本音を隠して発言する。必然的に会議は喜納代表との懇談会のような内容になる。
喜納代表は自ら認めているとおり麻薬不法所持により2回の服役経験を持っている。そのことを多くの県民が知っている。また、代表の長男が横浜で暴力団絡みの事件を起こしたことがマスコミで報道されたことで多くの県民に知られている。従って、沖縄県内における喜納代表に対する評価は、「民主党は何でこんな人を代表にしているのか?」、「あの人の発言はいつも何を言っているのか意味がわからない」、「民主党支持者として恥ずかしい」というのが偽らざる県民の認識である。
(2)喜納代表の背信行為
①今年6月1日、衆院選に向けた社大党決起集会(政治資金パーティー)で、喜納代表は「選挙区は糸数けいこ、比例代表は沖縄の山内徳信(社民党比例候補)を当選させなければならない。民主党は斉藤さんや多くの比例候補がいるけど労働組合でやっているので大丈夫」ということを挨拶で発言した。会場内では嘲笑する者が多く、全駐労も本人に抗議していた。
②5月の県連会議で喜納代表は「山内徳信を民主党として応援する方法はないか」と提案してきた。さすがに複数の役員から「社民党比例候補を民主党が応援出るわけがない」と言われ、表の出ることはなかったが、水面下では県連役員は山内氏を応援させられた。
③真実を一つ紹介する。喜納代表のモルビービル内に民主党選対本部が置かれ、電話20台設置されたが沖縄県連は電話行動が取り組めず長期間放置していた。このため、糸数選対の電話行動に使用させるという名目で提供し、この電話を使って「選挙区は糸数、比例区は山内」という電話行動が取り組まれたのである。明確な背信行為である。
④次期衆院選の人選について、喜納代表は社民党県連役員に対して「沖縄3区で新川秀清県議を出馬させよう」と持ちかけていた。理由は党本部から「3区と4区は候補者を差し替えろと言われているから」ということと、「玉城デニーは反喜納」だから排除していくことにあった。
 すでに、社民党沖縄県連は10月20日の県連大会において3区で新川秀清県議擁立を決定することが県内紙でも報道された。この立役者は喜納代表そのものであり重大な反党行為であるが、党本部はこの背信行為を黙認すべきではない。(略)

                      ◇

このような人物が民主党県連の代表として独裁権力を振るっていても、地元マスコミは一切これに触れることはない。

やはり沖縄では「反戦平和」は政治家にとって有効な免罪符になるのか。

                      ◆

FreeJapan.TV
緊急拡散


外国人への参政権で国滅ぶ

国籍法の緊急拡散、あれから一年の歳月が経ちました。

なんと民主党は 国籍法よりも更に酷い、不法滞在外国人に日本の選挙権をあげる(外国人参政権付与)法案を進めようとしています!

日本が外国人に乗っ取られかねない法案ですので、動画で緊急拡散しFAX・手紙にて意思表示し断固阻止しましょう!

詳しくは「FreeJapan.TV(リンク)」でご確認お願いします。

 

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正論

2009-11-25 07:45:02 | 資料保管庫

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                                            *

『正論』2009・12月号掲載

「鉄の暴風」はGHQの宣撫工作だった -沖縄集団自決の真実と謎
星 雅彦 (沖縄文化協会会長)


■米兵の犯罪王国
                                                                                                       一九四六年の沖縄。戦争の後遺症を引きずりながら、人々は大いなる開放感を抱いて元気を取り戻しつつあった。戦前からの指導者十五人が住民の福祉増進を図るために設立された沖縄諮絢会の委員として選定され、四月には執行機関として沖縄民政府が誕生した。その一年後には、県外疎開者や軍人の帰還が続き、沖縄はようやく活気を取り戻し始め、本当の意味での戦後生活が始まった。
 他方、米軍は行政面で秩序を保持しているように見えたものの、米軍兵士たちはキャンプの外に出るとやりたい放題。暴力犯罪と性犯罪が頻発した。そこで米軍政府は住民には自己防衛を強化するように呼びかけ、他方、米兵には住民の地域への立ち入りを禁止した。だがその効果はほどんどなかった。
 住民たちは自已防衛のために村落の入りロや街角のガジュマルの枝に、鉄のガスボンべの廃品筒を吊り下げた。それは緊急の場合に打ち鳴らす災難除けの鉦代わりなのだ。近年まであっちまっちで見かけることができた。

 四八年八月十九日の深夜にある夢件が起こった。白人と黒人の米兵二人が、民家をのぞき見しながらある村を徘徊していた。それを見つけた住民がガスボンべを打ち鳴らすと、自警団の青年たちが飛び出してきて米兵を追いかけ、逃げ遅れた一人ともみ合った挙句、相手が拳銃を取り出す直前にナイフで胸を突き刺して死亡させてしまったのだ。その後の軍事法廷で弁護人側は「正当防衛」を主張したが、受け入れられず戦時刑法を適用してその青年は絞首刑に処せられた。自警団には自衛心とある種の怨念が入り混じった闘争意識があっての事件であったが、この判決が正当だとは言い難い。逆に米兵が自警団員を射殺するという事件も何件か発生した。ほとんどの場合、犯人は本国へ強制送還という形で処理された。
 一九四九年九月までの六ヵ月間の警察調査では、米兵の強姦一八、殺人二九、強盗一六、傷害三三という犯罪数が計上されている。この状況に対して、県民が抗議したりデモ行進したりすることはなかったが、「ヤンキ一・ゴーホーム」という思いは日毎に強くなっていた。そこで米軍政府はあの手この手で懐柔政策を練り、宣撫工策班が動きはじめたという。
 日本本土でも戦後の混乱期には、同様な犯罪が頻発しており、GHQ(連合国軍総司令部)は、いち早く日本人をマインド・コントロ一ルする計画に着手した。

■マインド・トロール

 今次大戦の終戦直後、アメリカという産業と科学と軍事の発達した大国と対戦して、無残に敗北したという思いから、多くの日本人は絶望感と虚脱感に襲われたが、そこから立ち上がる過程で贖罪意識なるものはなかったようだ。ところが、アメリカは日本が二度ととアメリカには刃向かえないように、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画)を実施、あらゆるものに検閲という言論統制をしくなど「マインド・コントロ一ル」を巧妙に行い、日本人に贖罪意識を植えつけていった。その一例がGHQの民間情報教育局企画課のブラッドフォード・スミス課長が全国の新聞各紙に昭和二十年十二月八日から十日間にわたって連載した『太平洋戦争史』である。そして十二月十五日には、GHQが公文書において「大東亜戦争」や「八紘一宇」なる用語の使用を禁止するという指令を出した。
『太平洋戦争史』の主な内容は「戦争を開始した罪、それ以降日本人に対して歴史の真相を隠蔽した罪、日本人の残虐行為、とりわけ南京とマニラでの残虐行為に関する事実を強調したもの」であった。少し長文だが同書の序言の冒頭部分を引用したい。
「日本の軍国主義者が国民に対して犯した罪は枚挙に暇がないほどであるが、……次々に動かすことのできぬような明瞭な資料によって発表されていくことになろう。これによって初めて日本の戦争犯罪史は検閲の鋏を受けることもなく、また戦争犯罪者たちに気兼ねすることもなく詳細に、かつ完全に暴露されるであろう。これらの戦争犯罪の主なものは軍国主義の権力濫用、国民の自由剥奪、捕虜及び非戦闘員に対する国際慣習を無視した政府並びに軍部の非道なる取り扱い等であるが、これらのうち何といっても彼ちの非道なる行為で最も重大な結果をもたらしたものは『真実の隠蔽』であろう」
 同書の狙いは、国民と軍部を明確に分離してその対立を作り出し、東京裁判をサポートすることであった。そしてGHQの強力な宣撫工作を後押しするように、朝日新聞は「奪う『侵略』の基地―国民の対米憎悪を煽る」、読売報知新聞は「恥づべし南京の大悪逆暴行沙汰」などと、大々的に同書に追随する記事を掲戴した。

■米軍政府と沖縄タイムス社

 沖縄においても事情は同様だ。一九四八年七月一日にガリ版刷りの新聞が創刊された。沖縄タイムス社の「沖縄タイムス」である。その創刊号一面トップには沖縄軍政府副長官のW・H・クレイグ大佐と軍政府情報部長R・E・ハウトン大尉の短い祝辞が掲載されている。その間に「沖縄再建の重大使命 軍民両政府の命令政策を傳達 国際及地方の情報を報道せよ」という大きく力強い文字が躍っていた。このこと一つをとっても、同紙が沖縄の米軍政府のバックアップを受けていただろうことが分かる。
 そして四九年五月、同紙では常務の豊平良顕と常務の座安盛徳が中心になって沖縄戦記の編纂計画を立案する。そこで生まれたものこそ本稿で論じる『鉄の暴風』である。
 同社の歴史を回顧した高嶺朝光著『新聞五十年』を見ると、「市町村や一般にも協力を呼びかけて手記、日記類などの資料収集に三ヶ月を費やし、牧港篤三、太田良博の両君が取材、執筆に当たって同年十一月には脱稿した」「『鉄の暴風』のタイトルも豊平君らが考えた」とある。
 企画を立ててから取材三ヵ月、執筆三ヵ月。つまりわずか半年で『鉄の暴風』は誕生したのである。紙不足の時代である。協力を求めるガリ版刷りのチラシを作って配布するとしても限度があるし、交通機関や通信機器はないに等しい。そんな不便な時代によくぞと思う。
 それが可能になったのは、やはり米軍政府のバッグアップがあったからではないか。新聞発行の許認可は米軍政府情報部長のハウトン大尉が握っていた。彼は四八年六月二十八日に、沖縄夕イムス社に発行許可を出している。それは、「うるま新報」の瀬長亀次郎が政治運動を始めたのを警戒して対抗紙を育てようという意図からであった。

■出版の背後にちらつくGHQの影

『鉄の暴風』の執筆者は、記者で詩人の牧港篤三と記者で小説家の太田良博の二人。牧港は日本の戦記出版類は大抵読んだという戦争通で、太田は米国民政府(ユースカー)に勤めていた経験があった。太田は米国民政府から沖縄戦に関する資料を提供してもらっていたと思われるが、漏洩防止の密約をしていたのだろう、米軍資料について口外することはなかった。私は三十年ほど前に、米軍情報に関連したことを太田に訊いたことがあったが、彼は薄笑いを浮かべて「憶えてないなあ」と言うだけであった。ニ人は本島内に数回出かけた程度でほとんど現地取材をしておらず、伝聞や手記や日記、そして米軍資料をもとに戦記物語を書きまくったらしい。
 書き上がった原稿は豊平の監修をへて、翁長敏郎(のち琉球大学教授)が英訳を担当、十二月で作業は終了した。
 その頃、軍政長官としてJ・R・シーツ陸軍少将が着任した。シーツ長官は『鉄の暴風』の英文原稿を受け取ってはいたが、その内容については明確な説明は何も受けていなかったようだ。そうしているうちに五〇年三月二十九日、座安盛徳は『鉄の暴風』の原稿を抱えて上京する。沖縄に本の印刷機がなかったため、朝日新聞社に発行を依頼しようとしたのだ。ところが朝日新聞者は座安に対し、「戦記ものはもう流行遅れだ」といってけんもほろろに断る。戦記物の人気は峠を越していて、売れてもせいぜい二、三千部程度だったのだ。

 しかし、座安はある所からの頼もしい庄力を感じており、落胆することなく、東京に滞在してさまざまな案件をこなしていた。すると数日後、座安のもとに朝日新聞社から『鉄の暴風』の出版について「相談したい」と知らせてきた。朝日新聞社は座安に対し丁寧に出版への意欲を示し、いきなり発行部数はついて、朝日新聞社が一万部、沖縄タイムス社が一万部、両社折半ではどうかと切りだした。座安は驚きながらも快諾した。
 朝日新聞出版部長は『鉄の暴風』について、沖縄住民の苦しみを中核にしてこれだけ日本軍の残虐性を打ち出し、米軍のヒュ一マニズムを謳った本はどこにもない。と意気込むような感想をもらしたという。
 この東京滞在期間中、座安は北海タイムスからマリノ二式輪転機を購入するメドをつけ、さらにある朗報を待っていた。そしてその朗報は届く。それはマッカ一サ一元帥との面会である。座安は奄美大島の副知事らとともに、マッカーサー元帥への面会を申し込んでいた。どんな高官であろうと簡単には会えない元師が、座安たちの面会を受諾したのである。短い時間であったが、マッカーサー元帥は微笑みを浮かべながら沖縄の現状をたずねた。座安たちは握手を交わしていとまごいした。
 このとき一緒に撮った写真が後日、新聞に掲載されると沖縄の米軍政府は騒然となった。なぜならマッカーサーに何か告げ口でもされたのではないかと訝ったからだ。米軍政府はすぐさま沖縄タイムス社の社長を呼び出したが、たまたま印刷業の視察に行って運良くマ元帥との会見に恵まれたという社長の説明でこの騒ぎは収束したという。

■秘められたGHQの底意

 一九五〇年六月十五日、シーツ長官は『鉄の暴風』の発行を許可し、ニヵ月後の八月十五日、ついに朝日新聞社から刊行される。それは挿し絵の入った四百数十ぺージの大著であった。沖縄復興計画、いわゆるシ一ツ政策」の指揮人者であったシ一ツ長官は、にあたって推薦文を書いてはいるが、英訳を受け取って発行の許可を与えるのに半年もの時間をかけていた。その理由は、彼が発行を許可する数ヵ月も前に、印刷にかかっていたことや、豊平が「"鉄の暴風"と記録文学―沖縄戦記脱稿記」を沖縄タイムス社が発行する『月刊タイムス』一九五〇年一月号に発表していたことに不満を抱いていたからではなかろうか。豊平の論文の内容は『鉄の暴風』の紹介であるが、発刊に至るまでの説明や記録文学の意議などにもふれた四百字詰め原稿用紙十枚ほどのものだ。ここには「苛烈な戦争の実相を世の人々に報告すべき」「非戦闘員の動きに重点を置いた」「住民側から見た沖縄戦の全般的な様相を…」といった説明の中に「米軍の高いヒューマニズム」という言葉が五、六回も登場するなど、米軍礼賛に終始する内容であったのではあるが。

 また興味深いことに、豊平は論文の末尾に次のような一文をしたためているのである。「沖縄戦記の刊行をタイムス社が承ったことは、あるいは、最適任者を得たものではあるまいかと思う」
 タイムス社はいったい誰からこの仕事を「承った」のだろう。
 発行許可を与えたシーツ長官は同年七月二十七日、病気を理由に突然退任することになる。マッカーサーによって更迭されたという噂もあたなが、帰米にあたってシ一ツ長官は「世にシーツ政策なるものがあったといわれるが、それは私個人の政策ではなく、マッカーサ一元帥の政策である……」と挨拶した。
『鉄の暴風』は初めて書かれた沖縄戦の記録であり、その後の沖縄戦を描いた戦記の原点となっている。これまでに沖縄戦はついては夥しい数の著作が刊行されているが、一部を除いてほとんどが同書を種本にしているといっても過言ではない。一九六〇年代後半に初版を読んだ私は、引き込まれるように読んだ記憶がある。

 私が同書に疑問を持つようになったのは、県資料編集所が刊行する『沖縄県史第九巻 沖縄戦記録Ⅰ』の執筆のため、北谷村から中部。南部一帯の各集落を回って聞き取り調査をしたことがきっかけだった。あれは確か一九七〇年の暮れのことだった。私は県資料編集所職員のAとBの訪問を受けた。Aは私の書いた原稿について「なぜ日本兵の善行などを書き入れたのか」と詰問してきたのである。
 取材は、各区長の家に集まってもらった人たちに座談会形式で話をしてもらい、これを記録するという形で行った。取材は私一人ではなく資料編集所長の名嘉正八郎も一緒であった。この取材で日本兵が住民を助ける話も幾つか出たので、「そういうものも記録すべきだと思った」とだけ答えた。Aたちは私を糾弾する気配であった。因みにAはマルクス主議者で、一つのイデオロギーにすべての物事をはめて判断しようとする傾向があったのだ。
 この取材を通して私は『鉄の暴風』は、日本軍を『悪』とするために創作された、ノンフィクションを巧みに交えた推理小説風読み物ではないかと考えるようになった。そこには日本軍と国民、また日本軍と沖縄住民を二極に分離させ対立させる仕掛けが巧みに織り込まれているのである。まさしく江藤淳が『閉ざされた言語空間』で指摘したように、日本と米国との戦いを、日本の「軍国主義者」と「国民」との戦いにすり替えようとする米軍の底意が秘められていたのである。

■集団自決をめぐる虚偽記載

 最後に『鉄の暴風』の虚偽を「集団自決」に限定して指摘しておきたい。もちろんこれは最終的なものではなく、まだまだ研鑽の余地があることを断っておく。矢印の上が『鉄の暴風」の虚偽記載、下がこれを糺したものである。ちなみに虚偽を裏付ける証拠は実際には複数存在するのだが、代表的なものを記号で表すことにする。M=皆本義博中尉、T=谷本小次郎軍曹、C=知念朝睦少尉、J=陣中日誌、S=その他

【渡嘉敷島】
《海上特攻隊》一三〇人 → 一〇四人 ―J

《整備兵》一二〇人 → 隊長木林明中尉以下五五人(最多時八〇人) ―MとT

《防衛隊員》七〇人 → 屋比久孟祥以下六〇~七〇人 ―MとT

《朝鮮人軍夫》約二〇〇〇人 → 斉田童雄少尉以下一三人、軍夫二一〇人 ―M

《通信部隊》若干名 → 基地隊・西村市五郎大尉以下約六〇人、通信隊約二〇人(整備兵を合わせて最多時一六一人) ―MとT

《特攻艇》米軍の斥候がみとめられた日の朝まだき(三月十五日)赤松隊は渡嘉敷五〇隻、阿波連三〇隻にエンジンを取り付ける → 渡嘉敷に特攻艇は無い。渡嘉志久に六九雙、阿波連三〇隻が出撃準備を整えたが、エンジンは取り外しするものではなく、もともと設置されていた ―MとT

《赤松隊長》隊長は陣地の壕深く潜み動かず → 赤松隊長は第三二軍司令部から出撃許可を受けていたが、途中で大町大佐が海上から来島して出撃をめぐり議論となる。大町大佐は危険をかいくぐって座間味経由で来島、海上は封鎖されているから出撃は不可能と主張。舟艇の自沈を命じた ―S

《米軍上陸》三月二十六日午前六時頃、渡嘉志久、阿波連、渡嘉敷より米軍上陸 → 米軍は二十七日午前九時ごろ、渡嘉志久、阿波連、留利加波より上陸 ―MとT

《将校会議》三月二十七日地下壕において将校会議 → ニ十七日には舟艇用の壕以外には無く、二十八日から構築を開始した構築壕は横穴であり地下壕ではない。赤松隊の壕は全て個人用として掘ったもの。本部壕と呼べるものはない。一番大きい隊長の壕は幅が一・八メートル、高さ一・六メートル、奥行き四メートルほどである。(舟艇壕は高さ二メ一トル、幅三メートル、奥行き十二メ一トルである。舟艇の幅一・ハメ一トル、長さ六メ一トル) ―M

《知念少尉》悲憤のあまり慟哭 → 本人が全面否定している ―S

《自決命令》赤松隊長が自決命令を出す → 自決命令は赤松隊長からも、軍からも出ていない ―S

《手榴弾》用意された手榴弾三二発、追加二〇発、合計五二発 → すべて不明 ―S

《自決者人数》三二九人 → ①渡嘉敷村の慰霊碑の記録では三一五人 ―MとT ②渡嘉敷村役場の記録によると一般住民二八六人。防衛隊員二〇人、計三〇六人 ―S

《迫撃砲による死者》三二人 → 不明 ―S

《生存者》渡嘉敷部落民一二六人、阿波連部落民二〇三人、前島部落民七人(計三三六人) → ①渡嘉敷村役場にも記録無し ②一九七三年三月三十一円発行(手書き)沖縄戦被災者補慣期成連盟の沖縄生存者対する慰籍料要請調査資料によると四九四人 ③当時の戸籍では一三七七人あるものの。当時島に残っていた住民は半数前後で約七00人 ―S

《住民投降説得》古波蔵村長が米軍の指示で住民を投降させる → 郵便局長の徳平秀雄が米軍の指示で住民を投降させようとした。(八月十二日) ―S

《住民の集団投降》七月十三日、七〇人 → 住民の投降は八月十三日で、古波蔵村長以下約三〇〇人。

《ビラ散布》ポツダム宣言の要旨ビラで、米軍機により撒かれる(七月十五日) → ポツダム会談の合意は基づいて、アメリカ、中華民国および英国の首脳が昭和二〇年(一九四五年)七月二十六日に大日本帝国に対し発したもの。十五日のビラ無し。陣中日誌には、八月十五日に敵飛行機より散布とある ―S

《防衛隊員の投降》七月十七日 → 防衛隊員は住民と共に八月十三日投降 ―S 

《赤松隊の投降》七月十九日 → 八月十七日に木村中尉、知念少尉、吉田軍曹、白崎伍長が軍使として出発。八月十八日に赤松隊長以下十一人協定書を米軍に持参する。赤松隊長、知念少尉等が八月二十三日に米軍と協定、無条件降伏の調印。隊長と副官以下ニ名は、他の隊員らの降伏まで人質的な立場で止まる。全ての隊員が投降したのは八月二十六日、宇久校長と数人の教員、女子青年団、少年ら合わせて十数人の住民が共に投降する。

《日米会談》投降に関する日米の会談は国民学校で行われ、宇久校長が民間人で唯一参席 → 国民学校の校庭で行われた会議の参席者は、赤松隊長、知念少尉、太田軍曹(橘一等兵?)の四人であり、字久校長は参席していない ―CとT

【座間味島】
《特攻艇》座間味一二隻、阿嘉七~八隻 → 座間味一00隻、阿嘉一〇〇隻

《自決命令》忠魂碑前に住民を集めて玉砕を命じた → このような証言は村史にも、他の証言集にも無い ―S

《自決の手段》村長はじめ役場官吏、学校教員の一部は各自の壕で手榴弾によって自決した → 産業組合壕は原因不明とされているが、座間味村史の証言(宮里美恵子、宮里米子、長田一彦)から読み取れる状況証拠によれば、盛秀助役の放った銃弾により亡くなっているものと思われる。校長はじめ教員壕は内川の壕であり、手榴弾が一個だけだった ―S

《自決者人数》五ニ人。その他の犠牲者をあわせて約二〇〇人 → 『沖縄戦と平和教育』(一九七八年)と『観光コースでない沖縄』(一九八三年)には座間味島自決者一七一人、『座間味村史通史編』(一九八九年)には、産業組合壕五九人、座間味部落だけでも二〇〇人近い自決者とある。『秘録 沖縄戦記』(一九六九年)には、自決者二八三人、戦死者約五〇〇人とある。また、二〇〇八年三月二十七日『琉球新報』には約二五〇人とある。

《梅澤少尉》朝鮮人慰安婦らしき二人と不明死をとげた。 → 現在も健在。このくだりは、一九八〇年の九版からは削除されている。

■おわりに

 沖縄戦から六十四回目の夏が巡っていった。沖縄戦の体験者は次々と鬼籍に入り、活字として残された記録が検証されることなく真実として流布されていく。その代表が『鉄の暴風』である。
《恩納阿原に避難中の住民に対して、思い掛けぬ自決命令が赤松からもたらされた。「事、こゝに至っては、全島民、皇国の万歳と、日本の必勝を祈って自決せよ。軍は最後の一兵まで戦い、米軍に出血を強いてから、全員玉砕する」》
 こうした記述が、どのような状況の中で生み出されていったのかを、本稿では明らかにしていったつもりである。事実をないがしろにした議論ほど無益で虚しいものはない。それは混乱を生み出すだけだ。解釈はいろいろあってもよい。しかし、事実は一つなのだ。
 ところで、『鉄の暴風』は初版発行の二十年後、七〇年に再版された。内容はほとんど初版と同じだが、再版では「まえがき」の最後にあった「この動乱を通じ、われゝ沖縄人として、おそらく、終生忘れることができないことは、米軍の高いヒューマニズムであった。国境と国旗を超えた彼らの人類愛によって,生き残りの沖縄人は、生命を保護され、あらゆる支緩を与えられて、更生第一歩を踏みだすことができたことを、特筆しておきたい」という部分が削除されている。意地悪く勘繰れば、米軍の宣撫工作や同調圧力に洗脳され、米軍のヒューマニズムを過剰に賛美したことへの反省が働いたのかもしれない。 
                                               

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正論

2009-11-25 07:45:02 | 資料保管庫

 

『正論』2009・12月号掲載

「鉄の暴風」はGHQの宣撫工作だった -沖縄集団自決の真実と謎
星 雅彦 (沖縄文化協会会長)


■米兵の犯罪王国
                                                                                                       一九四六年の沖縄。戦争の後遺症を引きずりながら、人々は大いなる開放感を抱いて元気を取り戻しつつあった。戦前からの指導者十五人が住民の福祉増進を図るために設立された沖縄諮絢会の委員として選定され、四月には執行機関として沖縄民政府が誕生した。その一年後には、県外疎開者や軍人の帰還が続き、沖縄はようやく活気を取り戻し始め、本当の意味での戦後生活が始まった。
 他方、米軍は行政面で秩序を保持しているように見えたものの、米軍兵士たちはキャンプの外に出るとやりたい放題。暴力犯罪と性犯罪が頻発した。そこで米軍政府は住民には自己防衛を強化するように呼びかけ、他方、米兵には住民の地域への立ち入りを禁止した。だがその効果はほどんどなかった。
 住民たちは自已防衛のために村落の入りロや街角のガジュマルの枝に、鉄のガスボンべの廃品筒を吊り下げた。それは緊急の場合に打ち鳴らす災難除けの鉦代わりなのだ。近年まであっちまっちで見かけることができた。

 四八年八月十九日の深夜にある夢件が起こった。白人と黒人の米兵二人が、民家をのぞき見しながらある村を徘徊していた。それを見つけた住民がガスボンべを打ち鳴らすと、自警団の青年たちが飛び出してきて米兵を追いかけ、逃げ遅れた一人ともみ合った挙句、相手が拳銃を取り出す直前にナイフで胸を突き刺して死亡させてしまったのだ。その後の軍事法廷で弁護人側は「正当防衛」を主張したが、受け入れられず戦時刑法を適用してその青年は絞首刑に処せられた。自警団には自衛心とある種の怨念が入り混じった闘争意識があっての事件であったが、この判決が正当だとは言い難い。逆に米兵が自警団員を射殺するという事件も何件か発生した。ほとんどの場合、犯人は本国へ強制送還という形で処理された。
 一九四九年九月までの六ヵ月間の警察調査では、米兵の強姦一八、殺人二九、強盗一六、傷害三三という犯罪数が計上されている。この状況に対して、県民が抗議したりデモ行進したりすることはなかったが、「ヤンキ一・ゴーホーム」という思いは日毎に強くなっていた。そこで米軍政府はあの手この手で懐柔政策を練り、宣撫工策班が動きはじめたという。
 日本本土でも戦後の混乱期には、同様な犯罪が頻発しており、GHQ(連合国軍総司令部)は、いち早く日本人をマインド・コントロ一ルする計画に着手した。

■マインド・トロール

 今次大戦の終戦直後、アメリカという産業と科学と軍事の発達した大国と対戦して、無残に敗北したという思いから、多くの日本人は絶望感と虚脱感に襲われたが、そこから立ち上がる過程で贖罪意識なるものはなかったようだ。ところが、アメリカは日本が二度ととアメリカには刃向かえないように、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画)を実施、あらゆるものに検閲という言論統制をしくなど「マインド・コントロ一ル」を巧妙に行い、日本人に贖罪意識を植えつけていった。その一例がGHQの民間情報教育局企画課のブラッドフォード・スミス課長が全国の新聞各紙に昭和二十年十二月八日から十日間にわたって連載した『太平洋戦争史』である。そして十二月十五日には、GHQが公文書において「大東亜戦争」や「八紘一宇」なる用語の使用を禁止するという指令を出した。
『太平洋戦争史』の主な内容は「戦争を開始した罪、それ以降日本人に対して歴史の真相を隠蔽した罪、日本人の残虐行為、とりわけ南京とマニラでの残虐行為に関する事実を強調したもの」であった。少し長文だが同書の序言の冒頭部分を引用したい。
「日本の軍国主義者が国民に対して犯した罪は枚挙に暇がないほどであるが、……次々に動かすことのできぬような明瞭な資料によって発表されていくことになろう。これによって初めて日本の戦争犯罪史は検閲の鋏を受けることもなく、また戦争犯罪者たちに気兼ねすることもなく詳細に、かつ完全に暴露されるであろう。これらの戦争犯罪の主なものは軍国主義の権力濫用、国民の自由剥奪、捕虜及び非戦闘員に対する国際慣習を無視した政府並びに軍部の非道なる取り扱い等であるが、これらのうち何といっても彼ちの非道なる行為で最も重大な結果をもたらしたものは『真実の隠蔽』であろう」
 同書の狙いは、国民と軍部を明確に分離してその対立を作り出し、東京裁判をサポートすることであった。そしてGHQの強力な宣撫工作を後押しするように、朝日新聞は「奪う『侵略』の基地―国民の対米憎悪を煽る」、読売報知新聞は「恥づべし南京の大悪逆暴行沙汰」などと、大々的に同書に追随する記事を掲戴した。

■米軍政府と沖縄タイムス社

 沖縄においても事情は同様だ。一九四八年七月一日にガリ版刷りの新聞が創刊された。沖縄タイムス社の「沖縄タイムス」である。その創刊号一面トップには沖縄軍政府副長官のW・H・クレイグ大佐と軍政府情報部長R・E・ハウトン大尉の短い祝辞が掲載されている。その間に「沖縄再建の重大使命 軍民両政府の命令政策を傳達 国際及地方の情報を報道せよ」という大きく力強い文字が躍っていた。このこと一つをとっても、同紙が沖縄の米軍政府のバックアップを受けていただろうことが分かる。
 そして四九年五月、同紙では常務の豊平良顕と常務の座安盛徳が中心になって沖縄戦記の編纂計画を立案する。そこで生まれたものこそ本稿で論じる『鉄の暴風』である。
 同社の歴史を回顧した高嶺朝光著『新聞五十年』を見ると、「市町村や一般にも協力を呼びかけて手記、日記類などの資料収集に三ヶ月を費やし、牧港篤三、太田良博の両君が取材、執筆に当たって同年十一月には脱稿した」「『鉄の暴風』のタイトルも豊平君らが考えた」とある。
 企画を立ててから取材三ヵ月、執筆三ヵ月。つまりわずか半年で『鉄の暴風』は誕生したのである。紙不足の時代である。協力を求めるガリ版刷りのチラシを作って配布するとしても限度があるし、交通機関や通信機器はないに等しい。そんな不便な時代によくぞと思う。
 それが可能になったのは、やはり米軍政府のバッグアップがあったからではないか。新聞発行の許認可は米軍政府情報部長のハウトン大尉が握っていた。彼は四八年六月二十八日に、沖縄夕イムス社に発行許可を出している。それは、「うるま新報」の瀬長亀次郎が政治運動を始めたのを警戒して対抗紙を育てようという意図からであった。

■出版の背後にちらつくGHQの影

『鉄の暴風』の執筆者は、記者で詩人の牧港篤三と記者で小説家の太田良博の二人。牧港は日本の戦記出版類は大抵読んだという戦争通で、太田は米国民政府(ユースカー)に勤めていた経験があった。太田は米国民政府から沖縄戦に関する資料を提供してもらっていたと思われるが、漏洩防止の密約をしていたのだろう、米軍資料について口外することはなかった。私は三十年ほど前に、米軍情報に関連したことを太田に訊いたことがあったが、彼は薄笑いを浮かべて「憶えてないなあ」と言うだけであった。ニ人は本島内に数回出かけた程度でほとんど現地取材をしておらず、伝聞や手記や日記、そして米軍資料をもとに戦記物語を書きまくったらしい。
 書き上がった原稿は豊平の監修をへて、翁長敏郎(のち琉球大学教授)が英訳を担当、十二月で作業は終了した。
 その頃、軍政長官としてJ・R・シーツ陸軍少将が着任した。シーツ長官は『鉄の暴風』の英文原稿を受け取ってはいたが、その内容については明確な説明は何も受けていなかったようだ。そうしているうちに五〇年三月二十九日、座安盛徳は『鉄の暴風』の原稿を抱えて上京する。沖縄に本の印刷機がなかったため、朝日新聞社に発行を依頼しようとしたのだ。ところが朝日新聞者は座安に対し、「戦記ものはもう流行遅れだ」といってけんもほろろに断る。戦記物の人気は峠を越していて、売れてもせいぜい二、三千部程度だったのだ。

 しかし、座安はある所からの頼もしい庄力を感じており、落胆することなく、東京に滞在してさまざまな案件をこなしていた。すると数日後、座安のもとに朝日新聞社から『鉄の暴風』の出版について「相談したい」と知らせてきた。朝日新聞社は座安に対し丁寧に出版への意欲を示し、いきなり発行部数はついて、朝日新聞社が一万部、沖縄タイムス社が一万部、両社折半ではどうかと切りだした。座安は驚きながらも快諾した。
 朝日新聞出版部長は『鉄の暴風』について、沖縄住民の苦しみを中核にしてこれだけ日本軍の残虐性を打ち出し、米軍のヒュ一マニズムを謳った本はどこにもない。と意気込むような感想をもらしたという。
 この東京滞在期間中、座安は北海タイムスからマリノ二式輪転機を購入するメドをつけ、さらにある朗報を待っていた。そしてその朗報は届く。それはマッカ一サ一元帥との面会である。座安は奄美大島の副知事らとともに、マッカーサー元帥への面会を申し込んでいた。どんな高官であろうと簡単には会えない元師が、座安たちの面会を受諾したのである。短い時間であったが、マッカーサー元帥は微笑みを浮かべながら沖縄の現状をたずねた。座安たちは握手を交わしていとまごいした。
 このとき一緒に撮った写真が後日、新聞に掲載されると沖縄の米軍政府は騒然となった。なぜならマッカーサーに何か告げ口でもされたのではないかと訝ったからだ。米軍政府はすぐさま沖縄タイムス社の社長を呼び出したが、たまたま印刷業の視察に行って運良くマ元帥との会見に恵まれたという社長の説明でこの騒ぎは収束したという。

■秘められたGHQの底意

 一九五〇年六月十五日、シーツ長官は『鉄の暴風』の発行を許可し、ニヵ月後の八月十五日、ついに朝日新聞社から刊行される。それは挿し絵の入った四百数十ぺージの大著であった。沖縄復興計画、いわゆるシ一ツ政策」の指揮人者であったシ一ツ長官は、にあたって推薦文を書いてはいるが、英訳を受け取って発行の許可を与えるのに半年もの時間をかけていた。その理由は、彼が発行を許可する数ヵ月も前に、印刷にかかっていたことや、豊平が「"鉄の暴風"と記録文学―沖縄戦記脱稿記」を沖縄タイムス社が発行する『月刊タイムス』一九五〇年一月号に発表していたことに不満を抱いていたからではなかろうか。豊平の論文の内容は『鉄の暴風』の紹介であるが、発刊に至るまでの説明や記録文学の意議などにもふれた四百字詰め原稿用紙十枚ほどのものだ。ここには「苛烈な戦争の実相を世の人々に報告すべき」「非戦闘員の動きに重点を置いた」「住民側から見た沖縄戦の全般的な様相を…」といった説明の中に「米軍の高いヒューマニズム」という言葉が五、六回も登場するなど、米軍礼賛に終始する内容であったのではあるが。

 また興味深いことに、豊平は論文の末尾に次のような一文をしたためているのである。「沖縄戦記の刊行をタイムス社が承ったことは、あるいは、最適任者を得たものではあるまいかと思う」
 タイムス社はいったい誰からこの仕事を「承った」のだろう。
 発行許可を与えたシーツ長官は同年七月二十七日、病気を理由に突然退任することになる。マッカーサーによって更迭されたという噂もあたなが、帰米にあたってシ一ツ長官は「世にシーツ政策なるものがあったといわれるが、それは私個人の政策ではなく、マッカーサ一元帥の政策である……」と挨拶した。
『鉄の暴風』は初めて書かれた沖縄戦の記録であり、その後の沖縄戦を描いた戦記の原点となっている。これまでに沖縄戦はついては夥しい数の著作が刊行されているが、一部を除いてほとんどが同書を種本にしているといっても過言ではない。一九六〇年代後半に初版を読んだ私は、引き込まれるように読んだ記憶がある。

 私が同書に疑問を持つようになったのは、県資料編集所が刊行する『沖縄県史第九巻 沖縄戦記録Ⅰ』の執筆のため、北谷村から中部。南部一帯の各集落を回って聞き取り調査をしたことがきっかけだった。あれは確か一九七〇年の暮れのことだった。私は県資料編集所職員のAとBの訪問を受けた。Aは私の書いた原稿について「なぜ日本兵の善行などを書き入れたのか」と詰問してきたのである。
 取材は、各区長の家に集まってもらった人たちに座談会形式で話をしてもらい、これを記録するという形で行った。取材は私一人ではなく資料編集所長の名嘉正八郎も一緒であった。この取材で日本兵が住民を助ける話も幾つか出たので、「そういうものも記録すべきだと思った」とだけ答えた。Aたちは私を糾弾する気配であった。因みにAはマルクス主議者で、一つのイデオロギーにすべての物事をはめて判断しようとする傾向があったのだ。
 この取材を通して私は『鉄の暴風』は、日本軍を『悪』とするために創作された、ノンフィクションを巧みに交えた推理小説風読み物ではないかと考えるようになった。そこには日本軍と国民、また日本軍と沖縄住民を二極に分離させ対立させる仕掛けが巧みに織り込まれているのである。まさしく江藤淳が『閉ざされた言語空間』で指摘したように、日本と米国との戦いを、日本の「軍国主義者」と「国民」との戦いにすり替えようとする米軍の底意が秘められていたのである。

■集団自決をめぐる虚偽記載

 最後に『鉄の暴風』の虚偽を「集団自決」に限定して指摘しておきたい。もちろんこれは最終的なものではなく、まだまだ研鑽の余地があることを断っておく。矢印の上が『鉄の暴風」の虚偽記載、下がこれを糺したものである。ちなみに虚偽を裏付ける証拠は実際には複数存在するのだが、代表的なものを記号で表すことにする。M=皆本義博中尉、T=谷本小次郎軍曹、C=知念朝睦少尉、J=陣中日誌、S=その他

【渡嘉敷島】
《海上特攻隊》一三〇人 → 一〇四人 ―J

《整備兵》一二〇人 → 隊長木林明中尉以下五五人(最多時八〇人) ―MとT

《防衛隊員》七〇人 → 屋比久孟祥以下六〇~七〇人 ―MとT

《朝鮮人軍夫》約二〇〇〇人 → 斉田童雄少尉以下一三人、軍夫二一〇人 ―M

《通信部隊》若干名 → 基地隊・西村市五郎大尉以下約六〇人、通信隊約二〇人(整備兵を合わせて最多時一六一人) ―MとT

《特攻艇》米軍の斥候がみとめられた日の朝まだき(三月十五日)赤松隊は渡嘉敷五〇隻、阿波連三〇隻にエンジンを取り付ける → 渡嘉敷に特攻艇は無い。渡嘉志久に六九雙、阿波連三〇隻が出撃準備を整えたが、エンジンは取り外しするものではなく、もともと設置されていた ―MとT

《赤松隊長》隊長は陣地の壕深く潜み動かず → 赤松隊長は第三二軍司令部から出撃許可を受けていたが、途中で大町大佐が海上から来島して出撃をめぐり議論となる。大町大佐は危険をかいくぐって座間味経由で来島、海上は封鎖されているから出撃は不可能と主張。舟艇の自沈を命じた ―S

《米軍上陸》三月二十六日午前六時頃、渡嘉志久、阿波連、渡嘉敷より米軍上陸 → 米軍は二十七日午前九時ごろ、渡嘉志久、阿波連、留利加波より上陸 ―MとT

《将校会議》三月二十七日地下壕において将校会議 → ニ十七日には舟艇用の壕以外には無く、二十八日から構築を開始した構築壕は横穴であり地下壕ではない。赤松隊の壕は全て個人用として掘ったもの。本部壕と呼べるものはない。一番大きい隊長の壕は幅が一・八メートル、高さ一・六メートル、奥行き四メートルほどである。(舟艇壕は高さ二メ一トル、幅三メートル、奥行き十二メ一トルである。舟艇の幅一・ハメ一トル、長さ六メ一トル) ―M

《知念少尉》悲憤のあまり慟哭 → 本人が全面否定している ―S

《自決命令》赤松隊長が自決命令を出す → 自決命令は赤松隊長からも、軍からも出ていない ―S

《手榴弾》用意された手榴弾三二発、追加二〇発、合計五二発 → すべて不明 ―S

《自決者人数》三二九人 → ①渡嘉敷村の慰霊碑の記録では三一五人 ―MとT ②渡嘉敷村役場の記録によると一般住民二八六人。防衛隊員二〇人、計三〇六人 ―S

《迫撃砲による死者》三二人 → 不明 ―S

《生存者》渡嘉敷部落民一二六人、阿波連部落民二〇三人、前島部落民七人(計三三六人) → ①渡嘉敷村役場にも記録無し ②一九七三年三月三十一円発行(手書き)沖縄戦被災者補慣期成連盟の沖縄生存者対する慰籍料要請調査資料によると四九四人 ③当時の戸籍では一三七七人あるものの。当時島に残っていた住民は半数前後で約七00人 ―S

《住民投降説得》古波蔵村長が米軍の指示で住民を投降させる → 郵便局長の徳平秀雄が米軍の指示で住民を投降させようとした。(八月十二日) ―S

《住民の集団投降》七月十三日、七〇人 → 住民の投降は八月十三日で、古波蔵村長以下約三〇〇人。

《ビラ散布》ポツダム宣言の要旨ビラで、米軍機により撒かれる(七月十五日) → ポツダム会談の合意は基づいて、アメリカ、中華民国および英国の首脳が昭和二〇年(一九四五年)七月二十六日に大日本帝国に対し発したもの。十五日のビラ無し。陣中日誌には、八月十五日に敵飛行機より散布とある ―S

《防衛隊員の投降》七月十七日 → 防衛隊員は住民と共に八月十三日投降 ―S 

《赤松隊の投降》七月十九日 → 八月十七日に木村中尉、知念少尉、吉田軍曹、白崎伍長が軍使として出発。八月十八日に赤松隊長以下十一人協定書を米軍に持参する。赤松隊長、知念少尉等が八月二十三日に米軍と協定、無条件降伏の調印。隊長と副官以下ニ名は、他の隊員らの降伏まで人質的な立場で止まる。全ての隊員が投降したのは八月二十六日、宇久校長と数人の教員、女子青年団、少年ら合わせて十数人の住民が共に投降する。

《日米会談》投降に関する日米の会談は国民学校で行われ、宇久校長が民間人で唯一参席 → 国民学校の校庭で行われた会議の参席者は、赤松隊長、知念少尉、太田軍曹(橘一等兵?)の四人であり、字久校長は参席していない ―CとT

【座間味島】
《特攻艇》座間味一二隻、阿嘉七~八隻 → 座間味一00隻、阿嘉一〇〇隻

《自決命令》忠魂碑前に住民を集めて玉砕を命じた → このような証言は村史にも、他の証言集にも無い ―S

《自決の手段》村長はじめ役場官吏、学校教員の一部は各自の壕で手榴弾によって自決した → 産業組合壕は原因不明とされているが、座間味村史の証言(宮里美恵子、宮里米子、長田一彦)から読み取れる状況証拠によれば、盛秀助役の放った銃弾により亡くなっているものと思われる。校長はじめ教員壕は内川の壕であり、手榴弾が一個だけだった ―S

《自決者人数》五ニ人。その他の犠牲者をあわせて約二〇〇人 → 『沖縄戦と平和教育』(一九七八年)と『観光コースでない沖縄』(一九八三年)には座間味島自決者一七一人、『座間味村史通史編』(一九八九年)には、産業組合壕五九人、座間味部落だけでも二〇〇人近い自決者とある。『秘録 沖縄戦記』(一九六九年)には、自決者二八三人、戦死者約五〇〇人とある。また、二〇〇八年三月二十七日『琉球新報』には約二五〇人とある。

《梅澤少尉》朝鮮人慰安婦らしき二人と不明死をとげた。 → 現在も健在。このくだりは、一九八〇年の九版からは削除されている。

■おわりに

 沖縄戦から六十四回目の夏が巡っていった。沖縄戦の体験者は次々と鬼籍に入り、活字として残された記録が検証されることなく真実として流布されていく。その代表が『鉄の暴風』である。
《恩納阿原に避難中の住民に対して、思い掛けぬ自決命令が赤松からもたらされた。「事、こゝに至っては、全島民、皇国の万歳と、日本の必勝を祈って自決せよ。軍は最後の一兵まで戦い、米軍に出血を強いてから、全員玉砕する」》
 こうした記述が、どのような状況の中で生み出されていったのかを、本稿では明らかにしていったつもりである。事実をないがしろにした議論ほど無益で虚しいものはない。それは混乱を生み出すだけだ。解釈はいろいろあってもよい。しかし、事実は一つなのだ。
 ところで、『鉄の暴風』は初版発行の二十年後、七〇年に再版された。内容はほとんど初版と同じだが、再版では「まえがき」の最後にあった「この動乱を通じ、われゝ沖縄人として、おそらく、終生忘れることができないことは、米軍の高いヒューマニズムであった。国境と国旗を超えた彼らの人類愛によって,生き残りの沖縄人は、生命を保護され、あらゆる支緩を与えられて、更生第一歩を踏みだすことができたことを、特筆しておきたい」という部分が削除されている。意地悪く勘繰れば、米軍の宣撫工作や同調圧力に洗脳され、米軍のヒューマニズムを過剰に賛美したことへの反省が働いたのかもしれない。 
                                               

 

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絶対絶命!「鳩山・一郎疑惑」

2009-11-24 07:51:48 | 県知事選

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鳩山献金、元秘書を立件へ 総額2億円超の虚偽記載容疑
2009年11月24日4時30分 
 鳩山由紀夫首相の資金管理団体「友愛政経懇話会」をめぐる偽装献金問題で、東京地検特捜部が、小口の匿名献金の大半を含む総額2億円超を偽装と認定し、政治資金収支報告書の作成担当だった元公設第1秘書を政治資金規正法違反(虚偽記載)容疑で立件する方向で詰めの捜査に入ったことがわかった。臨時国会の閉会後、在宅起訴を視野に検討するとみられる。元公設秘書は任意の事情聴取で容疑を認めている模様だ。

 ほかに同法違反容疑で刑事告発された首相本人と、会計責任者だった元政策秘書については、虚偽記載への直接の関与を示す証拠はこれまでのところ浮上していないとされる。特捜部は引き続き捜査し、年内をめどに首相らについても最終判断する見通しだ。

 同法は、団体内部の会計帳簿には全収入の寄付者名や献金額を記載したうえで、5万円超は収支報告書に転載して寄付者名を公開するよう規定。5万円以下の小口献金は、収支報告書には匿名のまま総額だけを記載すればよい。

 特捜部が偽装献金と判断したのは、(1)05~08年分の同懇話会の収支報告書のうち、「寄付者」名の記載分で、故人ら約90人の名前を勝手に使ったとされる計約2177万円分(2)04~08年分の収支報告書で、匿名の小口献金として記載された各年約2600万~約4600万円、計約1億7717万円分の大半。(1)の「故人献金」はさらに04年分もあって増える見込みのため、(2)と合わせた偽装献金の総額は2億円超に上る。

 (2)の小口献金については、会計帳簿に実名が載っているのは毎年、数十万円分程度だけであることが判明。その他の大半については、複数の相手からの収入をまとめた「諸口」という勘定科目で、総額のみが記載されていた。この「諸口」扱いの匿名献金と故人らの名前が使われた献金の原資は、いずれも鳩山家の資産管理会社「六幸商会」の管理資金だったことがわかっている。

 元公設第1秘書は収支報告書を作成する際、六幸商会からの資金について、故人名義を使ったり、匿名分の総額欄に潜り込ませたりした疑いが持たれている。

 一方、首相は国会で、元秘書が六幸商会から「(個人的な使途も含めて)年平均5千万円」を引き出す際、自ら指示書に署名して了承していたと答弁。資金管理団体への献金上限は政治家本人が1千万円、一般個人は150万円だが、首相は「1千万円までは寄付、超えた部分は貸し出し(貸付金)」と説明した。

 六幸商会は首相や母親ら鳩山家全般の資産を管理している。特捜部は偽装献金の原資の詳細の解明をさらに進め、首相自身がどの程度事情を把握していたかについても調べるとみられる

                     ◇

鳩山献金については優しいテレビワイドショーも、朝日が一面トップで扱えばスルーするわけにもいかないのか。

今朝のTBSみのもんたの「朝ズバッ!」が珍しくこれに触れた。

民主党に優しい杉尾解説員が、

「金額が多いので(元秘書は)略式ではなく正式起訴もやむを得ないでしょう。問題は首相が関与しているかどうかです」と、

苦しそうに発言した。 

首相は自分の資金管理団体である六幸商会から「(個人的な使途も含めて)年平均5千万円」を引き出す際、自ら指示書に署名して了承していた、国会で答弁している。

引き出し指示書に自ら署名しておきながら、これが首相の「関与」でないというのなら、一体何をもって関与というのだろうか、杉尾さん。

杉尾氏のお隣の三谷氏(元女子バレー選手)の鳩山援護はもっと酷かった。

毎日新聞を観ながら、

「ここ(毎日)にあるアンケートによると鳩山献金を重要と見る人は43%なのに重要ではないと見る人が48%もいる」と、

いかにも鳩山献金なんてたいした問題ではないとでもいった態度。

つまり「金持ちの鳩山さんが自分の金をやりくりした」のが何が悪いのか、とでも言いたかったのか。

これに対するみのの締め言葉が、これ。

「鳩山さんは正直なお方だから、裕福な家庭に育ったため金銭感覚が大雑把だったと認めておられる」。

ん? 結局、批判なのか。

金持ちのお坊ちゃんだから大目に見てくれという意味なのか。

いずれにせよ民主党に優しい「朝ズバッ!」だった。

 

さて、内閣成立当初から首相と幹事長が重大な「献金疑惑」を抱えた珍しい内閣だと書いてきたが、

民主党に優しいはずの沖縄タイムスも今朝の朝刊は(共同通信配信)、社会面の三段を使った見出しで小沢氏に関する東京地検の動きを報じている。↓

小沢氏側、個人献金隠しか 東京地検特捜部が捜査
 小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」の2004~07年分の政治資金収支報告書に、都内の会社社長を務める支援者(48)が個人献金したとされる計230万円の寄付が記載されていないことが23日、関係者への取材で分かった。

 この献金が事実であれば、不記載などを禁じた政治資金規正法に抵触する可能性がある。東京地検特捜部は同様の内容を把握しており、陸山会の会計処理の実態についても調べているもようだ。

 小沢氏をめぐっては秘書が04~05年、重機土木大手「水谷建設」(三重県桑名市)から計1億円の裏献金を受け取ったとされる疑惑が明らかになったばかり。不透明な金の流れがあらためて浮き彫りになった形だ。

 関係者によると、支援者は04年3月~08年3月、ほぼ月1~2回のペースで2万~14万円で献金。陸山会は、各年分の収支報告書に32万~140万円の寄付として記載している。

 ところが、支援者は記載分以外にも04~07年、3回にわたって30万~100万円のまとまった現金を陸山会名義の口座に振り込むなどしたが、収支報告書には該当する寄付の記載はない。

2009/11/23 16:50   【共同通信】

                      ◇

「首相と幹事長が献金疑惑を抱える珍しい内閣」は、

遂に「首相と幹事長が起訴(あるいは逮捕?)される珍しい内閣」になりそうな気配である

総理の足元に火の手! 特捜の捜査開始は?

天声人語が「裏切り」?「首相の犯罪」小口献金も虚偽記載

 

自民党の棚橋議員が、検察を管轄する法務大臣は、「鳩山システム」により首相逮捕時には指揮権発動もあり得る、との千葉法務大臣大臣答弁を引き出した。

残念ながら棚橋議員の晴れ舞台はテレビでは放映されなかった。

だが、しっかりネットには残っている。↓

棚橋議員は、この「動画映像」で「鳩山システム」を称して罪を犯してもその罪を問われない「治外法権」と断じている。

 
 
千葉法務大臣の上には、鳩山首相がいて、「鳩山システム」で罪を免れる。 
 
「鳩山システム」が作動すれば、その鳩山首相の上で権力を操る小沢幹事長は当然「小沢システム」が作動することになる。
 
となると「鳩山・一郎内閣」は治外法権内閣ということになる。
 
これではヒトラーも真っ青ではないか。
 
今朝の沖縄タイムスは、さすがに危機感を感じたのか二面で、「小沢独裁」を危惧する共同記事を三段抜き見出しで報じている。

民主、幹事長室に権限集中 「小沢支配」を象徴  11/23 16:45  【共同通信】 

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『教育再生の動きを止めるな!!』

        教育講演会

講師 参議院議員 山谷えり子先生(元首相補佐官)

入場料 1000円


「日本の素晴らしい歴史と生命を守りたい。教育再生、拉致問題の解決、家族の絆、地域社会の再生にひたすら働いてまいります。」
この事を願い国会議員としてご活躍中の山谷えり子先生による教育講演会を開催します。
国政の現場で首相補佐官として教育基本法改正の為に働かれ、今も日教組問題究明議連事務局長や、日本のうたとおはなし伝承普及議員連盟幹事長等も務めておられます。
民主党政権下における教育行政の現状と課題についても、生の声を拝聴したいと思います。ふるってご参加下さい。


●とき:2009年 12月6日(日) 13:30開場  14:00開演

●ところ:カルチャーリゾート・フェストーネ(旧沖縄ハイツ)

●入場料:1000円


【講師のご紹介】 山谷えり子先生 
昭和25年     東京都生まれ、福井県育ち。
昭和48年     聖心女子大学文学部卒業
 サンケイリビング新聞編集長、テレビキャスター、エッセイスト
平成12年  6月  衆議院議員初当選
平成16年  7月  参議院議員(全国比例区)初当選
平成17年 11月  内閣府大臣政務官<小泉内閣>
平成18年  9月   内閣総理大臣補佐官(教育再生担当)<安部内閣、福田内閣>
平成20年 10月  自民党女性局長
11月  自民党拉致問題対策特命委員会 事務局長
平成21年10月  参議院環境委員長
主な著書 『嫁姑合戦』(TVドラマ化)、「走りつづけて・父・山谷親平五千六百一回目の朝」、
       「はりきりママのかしこい子育て」など。
 
事務局 TEL098-889-1305、2023   FAX098-889-6496
※この「教育講演会」は、競艇の交付金による日本財団の助成金を受けて実施します。

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下手な歌舞伎の間抜けな大見得、「私を信じて!」

2009-11-23 07:30:37 | 普天間移設

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普天間移設、閣内なお不一致 外相「年内に」首相は否定(日経)
 岡田克也外相は21日、三重県四日市市などでの講演で、沖縄の米軍普天間基地移設問題について「年内の予算要求などを考えると12月いっぱいで決着を付けなければいけない」と年内の結論を目指すと表明した。ただ鳩山由紀夫首相は同日夜、記者団に年内決着の状況にはないと表明。閣内不統一の状況が改めて浮き彫りになった。

 外相は鳩山内閣で足並みが乱れているとの指摘に「北沢俊美防衛相と私の間にほぼ認識の違いはない」と反論し、首相との意見の違いについては「お互い完全には一致していないが(政府方針を)決めていないから、そう違いはない」と述べた。

 首相は「年内決着」との見方について「まだまだそんな段階ではない。全くの推測でそういう話が出ているが、そういう状況ではまるでない」と不快感を示した。同時に「これから日米で協議をして日本の意志を伝えていくということだから、日本国民や沖縄県民の思いを反映できるよう努力しなくてはならない。そういう情報が流れると交渉というか、日米協議に影響を与えるので決して好ましくない」と語った。(21日 21:21)

                                        ◇

これだけ内閣不一致を曝していたら、自民党内閣だったら岡田外相と北沢防衛省の首は飛んでいたはずだが、民主党に優しいテレビメディアで大臣更迭の話が出ないのは不思議だ。

TVメデイアにとっては、日米関係や民主党幹部の不正献金疑惑、公約違反等よりも、前総理の漢字の読み間違えの方が重大事件だったようで、政策の「ブレ」も民主党の場合は意見の「調整」言いなおしてくれるから言葉とは便利なものである。

小沢・鳩山両幹部の献金疑惑についてはテレビはダンマリを決め込んでいるので特捜に期待をするのだが・・・棚橋議員の指摘する「鳩山システム」で在職中の本人起訴はできないとなると・・・。

「鳩山・一郎政権」も愈々ヒトラーの独裁政権の様相を示してきたようである。

少し古いがこの話題。

首相が大統領に「私を信じて」だって(爆)■

首相、普天間移設で米大統領に「私を信じてほしい」と嘆願?
 鳩山由紀夫首相が今月13日の日米首脳会談でオバマ米大統領に対し、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題に関し、「私を信じてほしい(Please trust me)」と述べたことが19日、分かった。大統領は「もちろん信じます」と応じた。首相はこのやり取りを同日配信の鳩山内閣メールマガジンで紹介した上で、「国民のみなさまにもぜひ信じていただきたい」と訴えた。

 大統領は14日に都内で行った演説で、「(普天間移設をはじめとする)日米合意の履行」に言及している。首相の発言をきっかけに、日本側が合意に基づく早期決着を容認したと受け止めた可能性がある。

 首相はメルマガで、首脳会談に関し、「大統領とのゆるぎない強い信頼関係を、心と心で通じ合う関係をつくることが最も重要と思ってきた」との認識を表明。「大きな成果があった」として、大統領とのやり取りを紹介した。

 19日朝には記者団に、「できるだけ早く結論を出したい。だから『トラストミー』と(言った)」と説明した。ただ、会談翌日の14日には、日米合意に基づく現行計画を前提とせずに日米間で協議する考えを表明するなど、大統領との間で食い違いを見せている。

                                             ◇

浮気の証拠を突きつけられた夫が、切羽詰まって発する言葉に「私を信じて」がある。(・・・らしい。)

自分の言動を理屈で説明できない場合に出る言葉だ(・・・らしい)。

対等な大人同士の会話で「私を信じて」(Trust me.)が出てくる場合は、その言葉を発する人間に、ある種のうさんくささがつきまとうものだ。

「私を信じて」と言わざるを得なくなったときというのは、こちらの不信感を買うような言動に相手が不信感をを抱いていることがわかったからにほかならない。

この会話の機微は、洋の東西を問わない。

だとすると、鳩山政権は、就任前の論文、普天間問題の迷走、インド洋給油中止、思いやり予算削減、核密約調査等、日米関係を壊すのが目的とも印象ずける言動が連続しているし、来月には100名の与党議員が大挙して中国に行くという。

オバマ大統領も「私を信じて」といわれても、「信じています」と本心でいえる筈はない。

もっともそこは外交辞令。

オバマ大統領は「信じています」と話をあわせたらしいが・・・。

「信じて欲しい」と「信じているよ」の応酬がいかに空疎なものか。若者に人気のラブソングの歌詞を調べたらすぐ分かる。

もう若者ともいえないが、あのラリッピーこと酒井法子も、この言葉を連発していたようだ。⇒酒井法子の「信じているよ」

 

話が少し脱線したが、鳩山首相の「信じて欲しい」には色んな解釈があるようで、読売コラムは「悪いようにはしない」、つまり「貴方の希望通りにする」と解釈したようだ。

11月20日付 編集手帳  11月20日付 編集手帳
 自分の言葉にウソ偽りがないことを神仏に誓う文書を「起(き)請文(しょうもん)」という。江戸の昔は男女が変わらぬ愛情を誓って取り交わした。熊野神社で出す厄よけの護符を用いるのが本式とされ、用紙にはカラスの絵が描かれていたという◆なかには、偽りの誓いを立てる者もいただろう。〈いやで起請を書くときは熊野で鴉(からす)が三羽死ぬ〉という俗謡も伝わっている。カラスこそいい迷惑である◆先の日米首脳会談で「普天間」問題をめぐり、鳩山首相がオバマ大統領に語った言葉「トラスト・ミー」(私を信じて)が憶測を呼んでいる◆「悪いようにはしませんよ」と、言外に響く。日米合意に基づく現行移設計画を容認する起請文と、大統領は受け止めたかも知れない。起請文であるならば、なぜ、現行計画以外の選択もあるかのような国内向けの発言で沖縄の人々を惑わせるのか。起請文でないならば、なぜ、米側がヌカ喜びする思わせぶりな発言をしたか。不可解である◆きのう、列島は真冬を思わせるほどに冷え込んだ。〈雪曇身の上を啼(な)く烏(からす)かな 内藤丈草〉。身の上を嘆いているのが熊野のカラスでなければいい。

(2009年11月20日01時33分  読売新聞)

                     ◆

関連コラム

11月18日付 よみうり寸評 
 〈同床異夢〉――起居をともにしながら、別々の事を考えていること。日米の首脳同士がそんなことでは信頼がゆらぐ。同盟も危うくなる。沖縄・普天間飛行場の移設問題にはそんな心配がある◆日米首脳会談で閣僚級作業部会を設け迅速に結論を出すと合意したが、鳩山首相とオバマ大統領の認識にズレがあるからだ◆会談後、オバマ大統領は「2国間合意(名護市キャンプ・シュワブ沿岸部への移設)履行のため作業部会を通じて迅速に動くことで合意した」と演説した◆一方、鳩山首相は「2国間合意が前提ではない」と白紙からの検討、来年へ先送りも示唆した。〈同床異夢〉といえば、日米間ばかりか、首相と外相、防衛相の閣内バラバラ発言も心配だ◆この展開に「首相は事の重大性に認識が甘い」の批判もある。作業部会がきのう始動。「現行案は15年検討した結果で唯一実現可能な案だ」と米側。見直すという日本側に代案は見えない◆米側の言いなりではないぞというパフォーマンスだけにも見えてしまう。

(2009年11月18日14時38分  読売新聞)

                     ◇

 

「勇気もらった」…首相、歌舞伎で息抜き11.21 18:30

このお方、自分が「歌舞伎」だと米側に皮肉られていることに気が付いていないのだろうか。

首相の普天間対応、米紙が「歌舞伎」と批判

 

下手な歌舞伎の「私を信じて」なんて間抜けな大見得は

見たくないと思う方,

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『教育再生の動きを止めるな!!』

        教育講演会

講師 参議院議員 山谷えり子先生(元首相補佐官)

入場料 1000円


「日本の素晴らしい歴史と生命を守りたい。教育再生、拉致問題の解決、家族の絆、地域社会の再生にひたすら働いてまいります。」
この事を願い国会議員としてご活躍中の山谷えり子先生による教育講演会を開催します。
国政の現場で首相補佐官として教育基本法改正の為に働かれ、今も日教組問題究明議連事務局長や、日本のうたとおはなし伝承普及議員連盟幹事長等も務めておられます。
民主党政権下における教育行政の現状と課題についても、生の声を拝聴したいと思います。ふるってご参加下さい。


●とき:2009年 12月6日(日) 13:30開場  14:00開演

●ところ:カルチャーリゾート・フェストーネ(旧沖縄ハイツ)

●入場料:1000円


【講師のご紹介】 山谷えり子先生 
昭和25年     東京都生まれ、福井県育ち。
昭和48年     聖心女子大学文学部卒業
 サンケイリビング新聞編集長、テレビキャスター、エッセイスト
平成12年  6月  衆議院議員初当選
平成16年  7月  参議院議員(全国比例区)初当選
平成17年 11月  内閣府大臣政務官<小泉内閣>
平成18年  9月   内閣総理大臣補佐官(教育再生担当)<安部内閣、福田内閣>
平成20年 10月  自民党女性局長
11月  自民党拉致問題対策特命委員会 事務局長
平成21年10月  参議院環境委員長
主な著書 『嫁姑合戦』(TVドラマ化)、「走りつづけて・父・山谷親平五千六百一回目の朝」、
       「はりきりママのかしこい子育て」など。
 
事務局 TEL098-889-1305、2023   FAX098-889-6496
※この「教育講演会」は、競艇の交付金による日本財団の助成金を受けて実施します。

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
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琉球新報の真っ赤なウソ、教科書検定意見で

2009-11-22 08:19:53 | 教科書

                   

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川崎文科大臣が18日、教科書検定意見について、担当大臣としてはごく真っ当な国会答弁をしたことに対して、翌19日の沖縄タイムスが「政権交代があったのだから政治主導で教科書を書き替えよ」と、恥知らずな主張をした。

同じ日の琉球新報は川端文科大臣の答弁のみを伝え、沖縄タイムスのように露骨に「政治主導で教科書を書き替えよ」といった恥知らずな記事は書いていない。

新報が辛うじ新聞としての矜持を保ったのはさすがだと思ったのだが、

一夜明けた20日の新報を見て驚いた。

前日のタイムス記事で刺激を受けたのか、頭に血が上ったような社説で恥の上塗りをしているではないか。

おまけに第二社会面では「追跡2009」という特集記事の二本立て。

琉球新報 社説  2009年11月20日       

教科書検定問題 歴史ゆがめる制度の改善を

 鳩山政権が、またも県民の期待を裏切った。今度は懸案の高校歴史教科書の検定問題だ。
 18日の衆院文部科学委員会で、川端達夫文部科学相は「日本軍の関与がなかったという意見ではない」と述べ、検定意見に問題はないとの見解を示した。
 軍関与が削除されたまま検定問題を封印する。鳩山政権の歴史認識を問う重大な問題だ。
 沖縄戦体験者らの証言も含め、必要ならば現地調査も実施し、
軍関与を削除させた検定意見の不当性を徹底的に検証すべきだ。
 そもそも自公政権下で鳩山由紀夫首相(当時民主党幹事長)は「日本軍による強制、誘導、関与なしに起こりえなかった」との見解を示していた。
 それが政権の座に就くや検定問題自体が存在しないとの見解に転じる。政権交代に検定意見の撤回を期待した多くの県民は、大いにがっかりしたことであろう。
 2007年の高校歴史教科書検定問題では、沖縄戦での「集団自決(強制集団死)」の記述をめぐり
日本軍が「強制した」との文言を削除・修正させた。
 軍関与を否定し沖縄戦の実相をゆがめる行為として県内外に大きな波紋を広げた。県内では検定意見の撤回を求め07年に「9・29県民大会」も開催された。
 集団自決をめぐる教科書検定問題では、1980年前半に強制集団死を「集団自決」の形で記述を求めた検定意見に対し、元東京教育大学教授の家永三郎さんが「集団自決も日本軍による犠牲であり、記述することで住民の自発的な行為と誤解される」として「違憲・違法」と訴えた。
 結果として家永さんの違憲・違法の主張は認められなかったが、集団自決について裁判所は日本軍の関与を認めた。以降、日本史教科書では「日本軍による集団自決」の記述が定着してきた。
 だが、なぜ国は軍の強制を否定するような新たな研究成果や学説がないにもかかわらず、
07年の検定では集団自決への「軍の関与」に関する表現の削除を求めたのか。
 教科書検定という形で、政治的思惑から国に都合の悪い歴史の改ざんが繰り返されていないか。
 この際、鳩山政権は歴史の真実を徹底検証し、特定の思惑による歴史改ざんを許さない教科書発行制度の確立を目指してほしい。

                      ◇

沖縄タイムスも琉球新報も、集団自決やこれに絡む教科書問題となると平気でウソを書くことは当日記でこれまで何度も指摘してきた。

二年まえの「11万人」集会前後の両紙のデタラメ記事を挙げれば枚挙に暇がないが、一つだけ例に挙げると、「教科書から集団自決が削除された」というウソである。 

事実、筆者の知人でもこのように信じ込んでいる人は多くその情報源は新聞だというから、沖縄紙の罪は重い。

丁度その頃、それまで沖縄には振り向いても見なかった佐藤優氏が突如沖縄紙に接近し始め、講演会などもするようになった。

少し古いが佐藤氏の講演会の模様を伝える当時の沖縄タイムス記事を引用する。

沖縄タイムス 2007年9月1日(土) 朝刊 31面  
 
保革超えた政治闘争必要/佐藤優氏、那覇で講演

 復帰三十五周年記念フォーラム「沖縄の現状と展望」(主催・同実行委)が三十一日、那覇市内のホテルで開かれた。起訴休職中の外務事務官の佐藤優氏が講演し、沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」が削除された教科書検定問題について「とんでもないこと。軍が存在しなければあの悲劇はない。それ以上の議論は必要ない」と主張した。(略)佐藤氏は、沖縄戦の実態を記した『鉄の暴風』を例に「沖縄戦とはこういうものだ、とつくりあげたことに、それ以外の人たちがアンチを言うのは世界でも珍しい。歴史認識の問題というより、レベルの低い話だ」と強調した。
 

                     ◇

>沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」が削除された教科書検定問題について「とんでもないこと。軍が存在しなければあの悲劇はない。それ以上の議論は必要ない」と主張した

当時の佐藤氏は、意図的なのか,無知なのか、沖縄タイムスのミスリードに完全に乗って講演を進めている。

地元紙のミスリードに一般読者が乗ってしまうのはある程度ややむをええないとしても、佐藤氏のような情報の専門家が易々とこのようなミスリードに乗ったままで講演をすることは、ある意味で一種の犯罪とも言える。

当然、「集団自決(強制集団死)」が削除された教科書」は真っ赤なウソであり、そのような教科書が存在するはずもない。

その、あるはずもない教科書のことを、当時休職中とはいえ外務事務官の肩書きで、「そのような教科書」がいかにも存在するかのように講演することはある種の犯罪だというのだ。

 

話を一昨日新報社説に戻そう。

当日記の前からの読者なら先刻ご承知の通り、冒頭からウソで始まっている。

ウソの部分はここ。

《軍関与が削除されたまま検定問題を封印する。》

《軍関与を削除させた検定意見の不当性を徹底的に検証すべきだ。》

《07年の検定では集団自決への「軍の関与」に関する表現の削除を求めたのか。》

二年まえの沖縄タイムスのウソ記事「集団自決の削除」より微妙ではあるが、「軍関与」を削除せよという検定意見はない。

削除の検定意見は「軍命令」と「軍の強制」である。

従って「軍関与」を記載した教科書は検定を合格しており、それを示す朝日記事がこれ。

「集団自決」に「軍の関与」復活 検定意見を実質修正http://www.asahi.com/politics/update/1226/TKY20071226
0329.html

2007年12月27日06時47分
 沖縄戦の「集団自決」をめぐり、来春から使われる高校日本史の教科書検定で「日本軍の強制」が削除された問題で、渡海文部科学相は26日、教科書会社6社から出されていた訂正申請を承認した。「日本軍が強制した」という直接的な記述は避けつつ、「軍の関与」や「戦中の軍の教育」などによって住民が自決に追い込まれたと記しており、「集団自決が起きたのは、日本軍の行為が主たる原因」と読める内容になった。

                     ◇

二年前の沖縄タイムスは教科書から「集団自決」が削除されたという、ウソを流布させた。

そして今年の琉球新報は「軍関与」が教科書から削除されたというウソ流布させつつある。

ウソを流布させているのは、沖縄紙だけではない。

今年の9月に行われた「9.29県民大会」で発表された「アピール」でも大きなウソを決議し県民を欺いているのだ。

「9.29県民大会決議」を実現させる県民集会アピール

 2007年3月、文部科学省は高校の歴史教科書検定に際し「沖縄戦の実態について誤解するおそれのある表現である」とし
、「集団自決(強制集団死)」の記述を削除させるための検定意見を付したことが明らかになった。
 その検定意見に対し県民は怒りの声を上げた。「沖縄戦の事実をゆがめてはならない」という思いは、復帰後最大規模といわれる11万6千人余の県民大会につながったのである。

《「集団自決(強制集団死)」の記述を削除させるための検定意見を付したことが明らかになった。》

今頃こんな大ウソを平気で決議するような「県民大会」がいかにいかがわしいものであるかは、このデタラメ「アピール」を見ただけで自明である。

ついでに言うと、この真っ赤なウソの「アピール」を平然と掲載し続けるのが、「沖縄版言論封殺魔」こと芥川賞作家目取真俊氏のブログである。

異論封殺の沖縄版・言論封殺魔

                    ◇

琉球新報の恥知らずな記事はまだ続くが、

「政治主導で歴史教科書を書き換える」という主張には、さすがに民主党内部にも異論があるというのが、僅かに救いではある。

川端文科相、教科書検定意見は「適正」との認識 

2009年11月20日       
 川端達夫文科相が18日、高校歴史教科書の沖縄戦「集団自決(強制集団死)」の記述で、日本軍強制の文言を削除・修正させた2007年の教科書検定意見について、問題がなく策定過程も適正との認識を示した発言が波紋を広げている。検定意見撤回と軍強制記述の回復を求めてきた「9・29県民大会決議を実現させる会」の関係者や教科書問題に詳しい有識者は疑問を投げ掛け、沖縄戦の実相と歴史教科書問題の経緯を理解した上で、対応するよう求めている。
 川端文科相は18日の衆院文部科学委員会で同検定意見について
「日本軍の関与がなかったという意見ではない」と問題がないとの認識を示し、その上で、検定意見が撤回されていない現況を含め「適正に経過していると認識している」と述べた。
 実現させる会の玉寄哲永世話人は「経過が適正でないからこそ沖縄側から要請を続けているのに、何を根拠に適正と言えるのか。座間味村や渡嘉敷村の集団自決の場にいた体験者で今まで発言してこなかった人も、軍強制があったと証言している。その声に耳を傾けてほしい」と訴えた。
 さらに同委員会では高井美穂政務官が文科省の対応に関して「どの資料を認めるか、認めないかという話は文科省としてかかわることができない。教科用図書検定調査審議会に任されている」とも発言した。これに対して、高嶋伸欣琉球大学名誉教授は「検定制度は文科省の職員である検定官が主導して、審議会が追認しているのが実態だ。文科省は関係ないと言うのは偽りだ」と指摘した。
 実現させる会は9月末に開いた県民集会を踏まえ、要求実現へ川端文科相との面談を求めているが、文科省側は「日程の都合上難しい」と返答しており、面談は宙に浮いた格好になっている。県選出衆院議員の瑞慶覧長敏氏(民主)は「大臣がいきなり会うと審議会に対する政治介入が大きすぎるという印象を与えてしまうことを恐れているのではないか」と話す。
 歴史教科書問題をめぐって、
同党は過去に国会へ教科書検定見直しを求める決議を出す準備を進めたが、党内の一部から歴史検定に踏み込むことを疑問視する意見があり不調に終わった。党内の議員間で歴史認識に開きがあるためだ。
 教科書問題で中心的な役割を担ってきた同党の川内博史衆院議員は、沖縄側から同問題の経過と沖縄戦の事実関係を大臣へ詳しく説明することが解決への第一歩と指摘する。「大臣は間違った検定をした事務方の説明をそのまま口にしたのではないか。きちんと説明すれば理解すると思う。誤解を解くために、早急に会ってわたしからまず説明したい。検定意見撤回と記述回復が解決の道だ」と話した。(高江洲洋子)

                     

沖縄タイムスも琉球新報も、これまでの大うそ記事で県民を誑かしたことに謝罪すべきだと思う方、

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普天間移設、結論ありきの猿芝居!辺野古は決まっていた

2009-11-21 07:31:13 | 普天間移設

 

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
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在日米軍再編:普天間移設 4閣僚名で合意文書 日米作業グループ、作成方針確認

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題をめぐる日米閣僚級作業グループで、年内をめどに外相、防衛相、米国務長官、米国防長官名で合意文書を作成する方針を確認していたことが19日、分かった。鳩山由紀夫首相は同日、作業グループに日本政府として案を示す考えを表明。作業グループの結論がそのまま事実上の新たな日米合意となる見通しとなった。

 首相は既に作業グループの結論に関し、「一番重い決断として受け止める」と述べている。一方、米側はキャンプ・シュワブ沿岸部(同県名護市辺野古)に移設する現行計画の履行を求め、岡田克也外相の提案する米軍嘉手納基地への統合案も拒否している。

 このため、合意文書には少なくとも両論併記で現行計画の容認が盛り込まれるとみられる。首相は19日、首相官邸で記者団に対し「論理的には(現行計画の)日米合意も一つだ。選択肢を検証している」と語った。これに関連し19日、首相、外相、北沢俊美防衛相は首相官邸で会談し、防衛相は作業グループで提案する、現行計画を前提とした沖縄の負担軽減策を説明した。これに対し首相は「私が案を作る」と述べ、政府として案をまとめる考えを表明した。【仙石恭、野口武則】

                                      ◇

日米作業グループで議論を戦わしているように見えるが、日本側の意味ありげな「模索」は、すべて米側が「歌舞伎」と冷笑する結論の見えたパーフォーマンスにすぎない。

米側のグレグソン国防次官補は「現行案は唯一実現可能な選択肢」と、先月来日したゲーツ国防長官を彷彿とさせる言説で日本側を押さえ込んでいるという。(2009年11月18日 東京新聞朝刊)

日本側が岡田外相の「嘉手納案」という実行不可能な対案しか持ち合わせず右往左往する一方で、米側は先月のゲーツ国防長官の恫喝以来、その主張に寸分の揺れも見られない。

10月20日に日本を訪れ岡田、北沢という素人大臣に「国家間の合意」がどんなに厳粛なものか恫喝とも取れる態度で迫った時、すでに「辺野古移設」は決定していた。

日本の素人大臣に「約束は守れ」と迫り、震え上がらせたゲーツとはどのような人物か。

ゲーツ国防長官は次の二つの点でオバマ新政権が頼りにするユニークな人物である。

(1)アメリカでは政権が変わると当然のように各部署の長官の首のすげ替えが行われるが、

ゲーツ国防長官はただ一人、前ブッシュ政権からそのまま引き継いだ長官である。 オバマ大統領は共和党政権が行ったからからといって「日米間の合意」を反故にすることなく、当時の国防長官を引き続き任用したのであり、普天間移設に関しては10月20日にゲーツが来日した時に全て決着がついたものとしていたのだ。

(2)ゲーツ国防長官がCIA長官であったことは知られているが、歴代CIA長官の中でも政治家からの横滑りではなく、CIA要員(正社員?)から長官までのし上がったのはゲーツただ一人だけという。(佐藤優氏談) だとしたら鳩山、岡田、北沢といった学級委員のような関係大臣が、ゲーツの恫喝で震え上がったのも仕方のないことだろう。

 

■「作業グループ」、結論ありきの猿芝居

日本側大臣のブレ発言で複雑そうに見える「普天間移設」も裏から見ると10月20日のゲーツの訪日時に既に幕は下りていたのである。

日本側のパーフォーマンスに米側が付き合っているといった日米作業グループの経緯はこうだ。

◆日本側⇒県外、国外は無理だが「嘉手納を検証」(岡田外相)

◆米側⇒辺野古で首尾一貫

米側が鳩山新政権の面子を立てて上記日米の両論併記で「新・日米合意書」を作成し、これを重く受け止めた鳩山首相が「私が政府案をまとめる」というのが「歌舞伎」の筋書きのようだ。

そして結論はこうなるであろう。

「県民の思いを勘案してあらゆる可能性を模索したが、現状では自民党が決めた辺野古案に苦渋の決断をせざるを得なかった」と。

三流役者の演じる歌舞伎は大体こんな粗筋だろうが、「県外」という寝た子を起こされた「県民の怒り」はどう落とし前をつけてくれるのか。

その最悪の場合が昨日のエントリーで危惧した「検定意見撤回」とのバーター取引である。

一昨日の沖縄タイムスが恥じもなく「政治主導による歴史の書き換え」を主張していたが、琉球新報は「政治で歴史を書き換える」といった歴代シナ王朝のような愚かな主張は避けているように思われた。

とかろが、タイムスに一日遅れの昨日の紙面は、社説まで動員してタイムスの応援記事。

これについては稿を改めて論評したい。

11月20日川端文科相、教科書検定意見は「適正」との認識  1

      
社説 11月20日 教科書検定問題 歴史ゆがめる制度の改善を

                     ◆

 

『教育再生の動きを止めるな!!』

        教育講演会

講師 参議院議員 山谷えり子先生(元首相補佐官)

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民主党政権下における教育行政の現状と課題についても、生の声を拝聴したいと思います。ふるってご参加下さい。


●とき:2009年 12月6日(日) 13:30開場  14:00開演

●ところ:カルチャーリゾート・フェストーネ(旧沖縄ハイツ)地図

●入場料:1000円


【講師のご紹介】 山谷えり子先生 
昭和25年     東京都生まれ、福井県育ち。
昭和48年     聖心女子大学文学部卒業
 サンケイリビング新聞編集長、テレビキャスター、エッセイスト
平成12年  6月  衆議院議員初当選
平成16年  7月  参議院議員(全国比例区)初当選
平成17年 11月  内閣府大臣政務官<小泉内閣>
平成18年  9月   内閣総理大臣補佐官(教育再生担当)<安部内閣、福田内閣>
平成20年 10月  自民党女性局長
11月  自民党拉致問題対策特命委員会 事務局長
平成21年10月  参議院環境委員長
主な著書 『嫁姑合戦』(TVドラマ化)、「走りつづけて・父・山谷親平五千六百一回目の朝」、
       「はりきりママのかしこい子育て」など。
 
事務局 TEL098-889-1305、2023   FAX098-889-6496
※この「教育講演会」は、競艇の交付金による日本財団の助成金を受けて実施します。

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
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普天間のバーターにされる教科書検定

2009-11-20 07:11:46 | ★集団自決

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■「教科書検定意見撤回」とバーターにされる普天間移設

「普天間基地移設」の焦点は次の二点である。

(1)迅速な結論と (2)日米間の合意(辺野古)。

そのうち(1)は17日の閣僚級作業グループの話し合いで煮詰まってきた。

迅速な結論で一致 普天間作業グループ初会合

鳩山由首相は同日夕、記者団に対し、作業グループの結論を「一番重い決断として受け止める」と表明しているので、残る懸案の移設先を辺野古と決めれば一件落着である。

辺野古決着の場合、期待を持たした「県民の怒り」を、鳩山首相はどのようになだめるか。 

どう落とし前をつけるのかが残された重大案件である。

当日記は早くから辺野古決着のバーターとして、「政治主導」が看板の鳩山政権は「教科書検定意見」の撤回を持ち出すのではないかと危惧していたが、いくら民主党でも「まさかそこまではやるまいとたかをくくっていた。

ところがらそのまさかの坂を越えそうな空気になってきたので驚きである。

■タイミングを見た国会質問

「普天間移設」が辺野古で煮詰まってきた頃合を見計らうように、沖縄選出の瑞慶覧長敏氏(民主)が国会の場で、集団自決における軍命の有無に関連する教科書検定意見の質問をした。

これに対する川端文科相の答弁に呼応するように沖縄タイムスが大騒ぎを始めた。

予定の行動であろう。

昨日のエントリーで、民小党政権はシナ王朝の「易姓革命」に倣って前政権の全否定に連日現を抜かしていると書いた。

だが、いくら政治主導を看板にする民主党でも、よもや客観体、学術的検証が不可欠の「歴史教科書の記述」に関しては政治主導の及ばぬ案件だと考えていたのだが・・・。

沖縄タイムス 2009年11月19日 政治 

文科相「経緯は適正」 教科書検定/「集団自決」で認識【政治】

 【東京】川端達夫文部科学相は18日の衆院文部科学委員会で、高校歴史教科書の沖縄戦「集団自決(強制集団死)」記述から日本軍の強制を削除させた検定意見について、「日本軍の関与がなかったことにしろ、という意見ではなく、誤解を招く可能性があるのではないかという有識者の判断として意見書が出された。適正な経過だと認識している」と述べ、検定意見の撤回には言及しなかった。瑞慶覧長敏氏(民主)への答弁。

 同省の高井美穂政務官は検定意見は「集団自決」の記述で日本軍の責任や関与を否定する趣旨ではないとした上で、「教科用図書検定調査審議会が最新の議論を踏まえ『軍の命令の有無は断定的な記述を避けることが適当』として検定意見を出し、発行者において(記述が)削除された」と経緯を説明した。

 検定撤回の検討を求める瑞慶覧氏の質問に対しては、検定は審議会が客観的、学術的に審議し欠陥を指摘することを説明し、「省としてどうこうする話ではない」との見解を示した。

 さらに、「日本軍の幼児殺害や、スパイ容疑を理由に住民が殺害されたことが多発したという事件については、検定意見は付されていない」と述べ、事実が確認される事象については削除などの検定意見はないことを強調した。

                     ◇

昨日の沖縄タイムスの一面を飾った上記記事で、川端文科相が述べた次のくだりは担当大臣としてはごく真っ当な発言であり、政治家の大臣が歴史教科書の記述に「どうこうする話」ではない。

《検定は審議会が客観的、学術的に審議し欠陥を指摘することを説明し、「省としてどうこうする話ではない」との見解を示した。》

文科大臣として非の打ち所のない立派な答弁である。

ところが同記事を受けた同じ日沖縄タイムス社会面の大見出しを見てビックリ仰天した。

官僚の言いなり■軍の責任は■不勉強だ

教科書検定・文科相発言

政権交代の意義どこへ

関係者から批判相次ぐ

2009年11月19日 政治 

政権交代の意義 どこへ/教科書検定・文科相発言 関係者から批判相次ぐ

官僚の言いなり・軍の責任は・不勉強だ

 「事実と異なる答弁で、官僚の言いなり。前政権と変わりない」「野党時代の民主党幹部発言はなんだったのか」。教科書の沖縄戦「集団自決(強制集団死)」記述から軍の強制を削除させた文部科学省の検定意見を「適正な経過」と評価した川端達夫文科相に対し、関係者からは批判が相次いだ。「直接、大臣に実相を訴えたい」。県民大会関係者は大臣が直接県民の声に耳を傾けることを切望している。

 「大臣も政務官も、官僚のごまかし説明をうのみにしている。まるで前政権と同じだ」。教科書問題に詳しい高嶋伸欣琉球大名誉教授は憤りを隠さない。

 1982年の教科書検定。高校日本史で「800人の県民が日本軍に殺害された」という記述が削除された経緯について高井美穂政務官は、「裏付け資料の提出を求めたが出ず、発行者が修正・削除した」と答弁。削除は教科書会社の意思との認識を示した。

 これに対し高嶋名誉教授は反論する。「記述が削除されたのは、著者らが提示した『沖縄県史』を『第1級資料でない』として検定官が退けたため。文科省の検定官側に責任があったことは明らか」とした。

 教科書執筆者の一人、坂本昇さん=東京都在住=は「『脱官僚』を掲げるわりに、官僚が作成した答弁書そのままを答えている」と批判する。教科書問題の解決に向け政権交代へ期待する声もあった。「国民目線の政治を言うなら、大臣は就任後、すぐにでも沖縄に足を運んで県民に謝罪すべき。それどころか大きく裏切られた」と怒りに震えた。

 「官僚の言いなりという点で前政権と変わりない」と指摘するのは「子どもと教科書全国ネット21」(東京)の俵義文事務局長。「検定意見は審議会に一任されており、文科省が関与していない」(高井政務官)との答弁に対し、「検定意見は省庁役人の調査官が作成し、局長らの印をもらって審議官に提出され、採択される。国会で堂々とうそをつくのは問題で、大臣や政務官は発言を撤回すべき」と厳しく語った。

 答弁を受け、「集団自決」の当事者からも落胆の声があがった。

 「政権が代わり期待していたが、これまでと同じ対応なのは残念」と話すのは、渡嘉敷村で「集団自決」を体験した吉川嘉勝さん(71)。「『軍の強制』という表現が誤解を招くというが、軍の責任をあいまいにすることこそ誤解を招く。11万人が集まった2年前の県民大会の重みを受け止めてほしい」と言う。

 県民大会実行委員会副委員長の玉寄哲永さん(75)は「大臣たちはあまりにも不勉強だ。もっと勉強してくれと言いたい」と苦言を呈する。「どうしても大臣に直接面会して、『集団自決』の真実や県民の思いを訴えなければいけない」と話し、実行委として大臣との面談を求めていく考えを示した。

                                             ◇

「政権交代の意義どこへ」だって?

いやはや、驚きを通り超してあきれ返る記事である。 沖縄タイムスは政権が変わったらシナ王朝の故事に倣って政治的権力を駆使し、

歴史を書き替えよとでも言うのだろうか。

さらに言葉を失うのは、署名入りの「解説」である。

ウェブ記事には載っていないが、「『脱官僚』なら検定撤回」という恥ずべき解説記事を参考資料として引用しておく。

県民の声に耳傾けよ

「脱官僚」なら検定撤回

【解説】

新政権発足から2ヶ月。川崎文科大臣はこの間、2007年の県民大会に表された県民意思や検定のやり直しなどを求めた民主党幹部の当時の発言をどう考えてきたのだろう。大臣答弁は、県民の目線や問題を精査した点が見当たらない。 うそを重ね検定制度を擁護する官僚の代弁に終始した前政権と同じでは、あまりにもお粗末だ。 
菅直人副総理(当時党代表代行)は「県民の思いを強く感じた」と延べ、政府や文科省に検定のやり直しを求める意向を示した。
鳩山由紀夫総理(当時党幹事長)は、談話で「集団自決(強制集団死)」は「日本軍による強制・誘導・関与等なしに、起こりえなかった」「(史実の歪曲は)県民にとって、到底容認できるものではない」とし。検定も「(文科省が)作成した原案を実質的・学問的審議もなく承認した」と指摘している。 これらの党幹部発言を受けて今夏の衆院選で民主党に一票を投じた県民も多かろう。 しかし今回の発言では基地問題同様、沖縄の期待がまた裏切られたという失望感を県民に抱かせた。 県民の望みは、沖縄戦の実相を正しく継承することだ。 政権が脱官僚を目指すなら、検定意見を撤回すべきだ。 川端大臣は県民の声に直接耳を傾け、歴史の実相を真摯に学び、なぜ国民は政権交代を望んだのか、真剣に考えたほうがいい。(社会部・安里真己)  

                                             ◇

>政権が脱官僚を目指すなら、検定意見を撤回すべきだ。

沖縄タイムスは政権が変わると前政権を権力で全否定する易姓革命に見習えと公言するのだから、「鉄の暴風」のウソを徹頭徹尾押し通すつもりなのだろう。

集団自決は隊長命令だったという神話を初めて活字でで流布させた『鉄の暴風』の出版社として、沖縄タイムスは自社が構築したウソの巨塊を必死に貫き通すため今や恥じも外聞もかなぐり捨て、「政治主導」で歴史を書き替えよと迫っているのである。

沖縄タイムスの日頃の印象操作記事を読むと、集団自決に関する「軍命の有無」に関しては、沖縄タイムスは現在四面楚歌の絶体絶命の状況にある。

先ず大阪高裁判決の判断では、原告敗訴でも事実上「軍命」は否定された。

教科書検定意見でも「軍命」が否定されたのは周知の通り。

そして、「政治主導」で「脱官僚」のはずの川端文科大臣の国会答弁も検定意見を支持している。

切羽詰まった沖縄タイムスの最後の頼りは鳩山首相の「政治判断」である。

「普天間移設」は辺野古でほぼ煮詰まった現在、タイムスによると鳩山首相は来月にも説明のため沖縄を訪問するという。

そのときの談話が注目されるが、おそらくは次のような言葉が予想される。

《県外移設を必死で模索したが自民党政権が合意した辺野古案を覆すことはできなかった。 県民の思いには別の形で答えたい。 一昨年の県民大会に集結した11万人の県民の思いを民主党は今でも忘れてはいない。》    

普天間基地の辺野古決着と「歴史教科書検定意見撤回」のバーター取引が宣言された瞬間である。

因みに一昨年の「9・29県民大会」(11万人集会)の正式大会名は、

「歴史教科書検定意見撤回を要請する県民大会」である。

           

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
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疑惑の総合商社は小沢一郎!

2009-11-19 07:54:40 | 県知事選

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自民党政権から民主党政権に変わったとき民主党応援団の中には、「これは血を流さない革命だ」と口走ったテレビ芸者もいた。

ある意味彼らの言う「革命」の意味は正しい。

古来シナ王朝が受け継いできた易姓革命とは、政権を樹立した瞬間先ず行うことは前政権の残滓の徹底的粛清である。

「悪い治世者を倒し、新しい王朝を開く=まず行うことは易姓革命」なのだからそうなるわけである。

今民主党政権が必死なって行っていることは自民党政権が行ったことの全否定だといっても過言ではない。

その無理やりな全否定がやがてブーメランとなって国民に戻ってくることにやっとテレビ芸者達も気が付き始めたようだが。

読者の涼太さんが以前から嘆いておられる嘆きのコメントを引用します。

民主党政権が発足して2ヶ月あまり。民主党は自民党時代の遺産を全て否定していますが、逆に自民党の偉大な壁にぶつかって、もがけばもがく程ど壷に嵌っていきます。マニフェストも何一つ守られていません。
1、無駄を削減して赤字国債縮小
赤字国債増発、必要な公共工事まで削減し、不況の到来間近、八ツ場ダム問題を始め国内は収拾がつかない。
2、インド洋への民生支援。
結局は5000億円の金のばら撒きだけ。
3、普天間県外移設。
結局辺野古で決着しそう。
4、天下り禁止。
事実上撤回。

他にも、外国人参政権付与、事実上不法滞在容認の外国人住民基本法などなど。

よくもまーこんな出鱈目なことが。やれやれ
。》

 

当初から「鳩山・一郎内閣」と揶揄されていた新政権は何もシナ王朝の易姓革命に従って自民党政権を否定するまでもなく、

自身に多くの疑惑を抱えた「疑惑のデパート」ともいえる危うい内閣であった。

鳩山首相は、「故人献金」にまつわる脱税疑惑や虚偽記載疑惑を追及されるのを恐れて、党首討論を逃げているようだが、

「陳情は全て幹事長を通してやれ」と、愈々独裁者の牙を見せ始めた小沢幹事長に、遂に検察の捜査が迫ってきた。

以前からくすぶっている「西松献金疑惑」に加えて新たに二つの疑惑が浮上してきた。

それが次の二つの疑惑。

国から税金を貰っている公設秘書が「強請り」だって?

国会議員秘書:「小沢氏秘書が寄付を強要」 経験者証言

 民主党の青木愛衆院議員(東京12区)の複数の公設秘書経験者が「小沢一郎幹事長の秘書から、秘書給与の一部を青木氏の政治団体へ寄付するよう強要された」と毎日新聞の取材に証言した。国会議員秘書給与法は、公設秘書への寄付の勧誘や要求を禁じている。続きを読む

                    ◇

そして二つ目の新疑惑がこれ。


「小沢幹事長側に1億円」 水谷建設の関係者供述


小沢一郎氏、石川知裕氏、大久保隆規被告


 民主党の小沢一郎幹事長側に、重機械土木大手「水谷建設」(三重県桑名市)の関係者が「2004~05年、計1億円の現金を渡した」と東京地検特捜部の調べに供述していることが18日、分かった。この関係者を含む複数が共同通信の取材に対し認めた。

 小沢氏関連政治団体の04、05年の政治資金収支報告書には、該当する寄付などの記載は見当たらず、供述通りなら、献金の不記載などを禁じた政治資金規正法に抵触する可能性が浮上。裏献金の疑いもあり、特捜部は慎重に捜査している。

 国会などであらためて小沢氏に説明を求める声が高まりそうだ。

 小沢氏関連政治団体をめぐっては、特捜部が3月、西松建設の巨額献金事件で小沢氏の公設第1秘書で資金管理団体「陸山会」の元会計責任者大久保隆規被告(48)=公判前整理手続き中=を起訴している。

 水谷建設関係者によると、小沢氏の地元、岩手県奥州市で国が建設を進める胆沢ダム工事の下請けに参入できるよう、県内の大型公共工事の業者選定に影響力があったとされる小沢氏側に現金を渡すことを決めた。小沢氏の秘書が現金を受け取った、としている。

 当時、小沢事務所でゼネコンの窓口だったのが大久保被告。献金の事務処理については、05年まで秘書を務めた石川知裕衆院議員(36)が主に担当していた。

2009/11/19 02:02   【共同通信】 

                     ◇

親分の小沢幹事長が「西松建設疑惑」「水谷建設疑惑」「公設秘書疑惑」と辻元議員もビックリの「疑惑のデパート」、いや「疑惑の総合商社」。

それに小沢一郎といえば付いて回るのが不動産に関わる疑惑。

                                             
土地取引巡る記載虚偽、小沢氏団体の深まる疑問

 

 民主党の小沢一郎幹事長の資金管理団体「陸山会」(東京都港区)が、実際には2004年に購入した都内の土地を、翌年に購入したように政治資金収支報告書に記載した問題で、小沢氏はこれまでの記者会見で「単純なミス」との認識を示し、2日現在で報告書の訂正は行われていない。

 しかし、土地取引を巡る資金移動と収支報告書の記載を照らし合わせると、説明のつかない点がいくつも浮かび上がってくる。

 ◆担保預金の原資は?◆

 今回の問題は、陸山会が04年10月、世田谷区深沢の476平方メートルの土地を約3億4000万円で不動産会社から購入したが、支払った代金を同年分の収支報告書に記載せず、05年分の収支報告書の事務所費に含めて支出計上したというもの。

 同会は土地代金について、4億円の定期預金を担保に、金融機関から小沢氏名義で借り入れた4億円を使ったと、読売新聞の取材に答えている。ところが、04年分の報告書の収入欄を見ると、総額は7億3000万円で、そのうち借入金が4億円。この借入金は定期預金を担保に借り入れたものだから、定期預金の原資にはなりえない。そうすると、残りは3億3000万円しかなく、そもそも4億円の定期預金を組むのは、収支報告書上は不可能だったことになる。

 一方、この定期預金は04年分の報告書の資産欄に、03年分にはなかった「定期預金 4億円」との記載が現れることから、04年中に組まれていた。定期預金の金はどこから持ってきたのか。この疑問に、同会は答えていない。

 ◆あえて借入金で購入?◆

 次に、なぜ土地を金融機関からの借入金で買ったのか。04年当時はいわゆる「ゼロ金利」時代。定期預金で銀行から受け取る利息よりも、借入金で銀行に支払う利子の額が上回ることは確実なため、金融機関から預金を担保に借金をして土地を買うのは、かえって高くつく方法だった。(略)

 ◆売買日ずらした理由?◆

(略)

2009年11月4日 読売新聞)
 
                    ◇
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『教育再生の動きを止めるな!!』

        教育講演会

講師 参議院議員 山谷えり子先生(元首相補佐官)

入場料 1000円


「日本の素晴らしい歴史と生命を守りたい。教育再生、拉致問題の解決、家族の絆、地域社会の再生にひたすら働いてまいります。」
この事を願い国会議員としてご活躍中の山谷えり子先生による教育講演会を開催します。
国政の現場で首相補佐官として教育基本法改正の為に働かれ、今も日教組問題究明議連事務局長や、日本のうたとおはなし伝承普及議員連盟幹事長等も務めておられます。
民主党政権下における教育行政の現状と課題についても、生の声を拝聴したいと思います。ふるってご参加下さい。


●とき:2009年 12月6日(日) 13:30開場  14:00開演

●ところ:カルチャーリゾート・フェストーネ(旧沖縄ハイツ)

●入場料:1000円


【講師のご紹介】 山谷えり子先生 
昭和25年     東京都生まれ、福井県育ち。
昭和48年     聖心女子大学文学部卒業
 サンケイリビング新聞編集長、テレビキャスター、エッセイスト
平成12年  6月  衆議院議員初当選
平成16年  7月  参議院議員(全国比例区)初当選
平成17年 11月  内閣府大臣政務官<小泉内閣>
平成18年  9月   内閣総理大臣補佐官(教育再生担当)<安部内閣、福田内閣>
平成20年 10月  自民党女性局長
11月  自民党拉致問題対策特命委員会 事務局長
平成21年10月  参議院環境委員長
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戦陣訓の神話完結編、軍人勅諭を全文暗記した沖縄人

2009-11-18 07:00:10 | ★集団自決

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所


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本稿は以下のエントリーの完結編です。

戦陣訓軍命説の神話

続・戦陣訓の神話

                     ◇

前にも書いたが、沖縄の某大学教授が授業の一環として集団自決の「軍命論争」についてアンケートをとったら、概ね次のような意見が大半を占めていたという。

集団自決訴訟の一審、二審で原告の軍人側が敗訴したので、「軍命があった」ことは裁判では確定した。

②だが、文科省の検定意見では「軍命を削除」なので、現在検定意見の撤回を求めている。

これは沖縄タイムス、琉球新報の印象操作に大学生までもが見事に洗脳されたことを物語っている。

 

■勝負あった「軍命論争」■

しつこいのを承知で敢えてくり返す。

「集団自決論争」の核心である「軍の命令」については、係争中の裁判では決着済である。

大阪高裁の判決で、軍命令は証明されず事実上「軍の命令による集団自決」は否定された。

同じように、文科省検定でも軍命による自決は否定され高校の歴史教科書から削除の意見である。

動画ニュース沖縄の集団自決歴史教科書問題で文部省軍強制の断定的資料は無し

そこで登場するのが、追い詰められた沖縄左翼やNHKが必死で捏造するす「戦陣訓軍命論」である。

だが、戦時中「戦陣訓」を厳しく教え込まれたという言説がウソであることは司馬遼太郎、山本七兵など軍隊の経験のある作家たちによって証言されている。

軍人でさえこの有様であるから、一般住民が「戦陣訓」の教えで自決したというのは、戦後の後付によるウソであると「続・戦陣訓の神話」で書いた。

作家の安岡章太郎は山本七兵を補足して、「戦陣訓」の教えが兵隊を束縛したという言説は、戦後マスコミが作り上げたウソだとして次のように解説している。

≪ 戦陣訓に戻っていえば、私自身も一年半の軍隊生活で戦陣訓を強制的に講義されたりしたことは一度もない。それは軍隊内で、いわば体よく無視されていたと言えるだろう。
 しかるに現代のマスコミは、なぜ戦陣訓を重視したがるのか?それは山本氏も言うように、戦陣訓は実は当時のマスコミにかつぎ上げられてマスコミの中だけで拡まっていたものであり、それは現代のマスコミにも体質的に通い合うものがあるからではないか。」≫

■五木寛之は軍人勅諭を暗記した

先日NHKラジオで聞いた作家の五木寛之のインタビュー番組で、戦時中の朝鮮の平壌の想い出話が出た。

その中で「小学校時代、教育勅語と軍人勅諭は必死になって暗記したので、今でも復唱できる」といった談話があったが、「戦陣訓」は話題にもならなかった。

当時の小学校には配属将校が軍事教育をしていたというが、軍人さえ良く知らないという「戦陣訓」が、教練の中にないのも当然だったのだろう。

戦時中の沖縄の学校で、将来軍人を目指す秀才達が必死になって「軍人勅諭」を暗記した逸話が県立ニ中(現在の那覇高校)の卒業生の文集に記録されている。

だが、ここでも戦陣訓の話は出てこない。

そもそも「教育勅語」も「軍人勅諭」も「勅」の字が付くのでも分かるとおり天皇陛下のお言葉(勅語)を文字化したものである。

従って当時の学生が「勅諭」や「勅語」を暗記しようと努力した気持ちは当時の時代背景から判断してもよく分かる。

ところが一方の「戦陣訓」は臣民である東条英機が発令したもので、軍人ならともかく、これを一般住民が必死に暗記したとは考え難い。

ましてや「戦陣訓」を自決命令と捉える「戦陣訓軍命説」は、戦後マスコミが作り上げた神話にすぎない。

沖縄の場合でも、当時のエリート高であった県立二中(現那覇高校)や県立一中の中でも当時の憧れであった士官学校への進学を希望する秀才達が競って暗記したのは「軍人勅諭」であった。

一般の小学校で「戦陣訓」を叩き込まれたという沖縄マスコミの論調は真っ赤なウソであることが分かる。

 

■那覇高校の大先輩も軍人勅諭を暗記した

以下の文は関東在住の「城岳同窓会(二中・那覇高同窓会)会報」よりの引用である。

城岳同窓会会報 第五号

座談会「素晴らしき青春―吾がニ中時代」を語る
日時:平成14年7月22日 場所:如水会館(東京・神田)

 
(略)

軍人勅諭を全文暗記したつわもの

北村:先生の話が出たところで、宮良(小宮)君関連のエピソードを一つ紹介しましょう。
 四年のとき教練の赤嶺先生(アカンミー)から「一週間以内に軍人勅諭を全文暗記して来い」との指示がありました。覚えてくる奴はまず居るまいと前文と忠節、礼儀の項だけを覚えて授業に臨みました。案の定、覚えきれた者はなくほぼ全員が失格。しかし、ここに居る宮良(小宮)君ただ一人が全文を正確に暗誦し遂げました。
 さすがのアカンミーもそこまでは期待して居なかったのでしょう、宮良君の熱意と頭の良さを口を極めて称賛していました。私は海軍に入ってからも軍人勅諭を全文暗記している人に出会ったことはありませんでした。

司会:皆さんの中には軍人学校に進学された方もおられますが、どう言う動機で受験されたのか。北村さんの場合はどうだったのですか。

北村:私の場合は、海軍の佐久間艇長殉職の記録に感銘を受け,どうしても潜水艦に乗りたいと思って、海軍兵学校を志望したのですが視力が0.3で駄目、結局は海軍経理学校を選択しました。入校して驚いたのは中学四年修了の"坊や"から3浪の"おじさん"までが混在しており、5歳の年齢差があったことです。訓育の標準は概ね一浪に合わせてあったので身体未成熟の四年修了や五年修了の連中は付いていけず随分苦労していました。幸い私は二中時代に柔道と「まちまー町廻い」で鍛えてあったので、カッター、陸戦、遠泳など、激しい訓練もそう辛いとは思いませんでした。
 
                     ◇

■教科書検定意見撤回と普天間移設の不思議な関係■

現在進行形の「普天間基地移設」問題で、結論は「辺野古」で決まっているのにも関わらず、鳩山首相が「県外」と、かなわぬ夢で県民を扇動している意味は何なのか。

「県外移設」というパンドラの箱を開けてしまった鳩山首相は、「辺野古決着」の後、巻き起こる沖縄の県民の「怒り」「恨み」を鎮めるために「教科書検定意見撤回」というバーター条件を出す公算が強くなってきた。

鳩山首相は自分が撒いた種(「対等の付き合い」というパーフォーマンス)のため、ここまで追い詰められたら、

もはや残る助け舟は「教科書検定意見撤回」以外には考えにくくなってきた。

昨日、日米閣僚級作業グループの初会合が行われた。

鳩山首相のコメントがこれだから呆れる。

結論がまとまれば一番重い決断として受け止める

当たり前だろうが。 結論は既に出ているではないか。

国家間の合意は重いということにまだ気が付いていないのか。 

グレグソン米国防次官補はこういっている。

「唯一実行可能な案は現行計画だ。これは米政府全体の考えだ」

この意見はゲーツ国防長官の恫喝以来、大統領演説まで終始一貫している。

国家間合意が重要である例え話に、TBS「朝ズバッ!」で片山元鳥取県知事が徳川幕府が米国と合意した「不平等条約」で説明したが、非常にわかりやすい。

明治新政府は前政権の徳川幕府が合意した「不平等条約」を政権が変わったからといって、これを白紙にすることなく時間をかけて苦労しながら「条約改正」に努力した。

現代の鳩山首相は、前自民党政府が合意した日米合意を白紙に戻すという。

鳩山首相は、明治政府の要人より外交の遵法精神に欠けていることになる。

とんだ人物を首相にしてしまったものだ。

                     ◇

 

チャンネル桜取材の「沖縄集団自決の真実」の動画をまとめた大和魂☆FOREVERさんを引用します。

●沖縄集団自決は軍命令ではない!PART1-渡嘉敷島・赤松隊長編

●沖縄集団自決は軍命令ではない!PART 2

●沖縄集団自決は軍命令ではない!PART 3-梅澤裕元少佐への独占インタビュー

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沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

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