狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

石垣市長選 絶対権力者は腐敗する!

2010-02-28 06:52:05 | 資料保管庫

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本日は石垣市長選。

長期独裁政権終焉の日である。

平和と福祉をオウムのように繰り返し、

米軍基地や自衛隊に罵声を浴びせれば当選する、

そんな時代は終わった。

同じような反省が長崎や町田でも起きた。

県知事選における長崎ショックである。

当日記は石垣市民の良識を信じて、

20年の独裁政権に本日終止符が打たれることを祈念する。

 

                   

大浜市長の長期政権を支えていた公明党が今回の市長選では長年の友好関係に決別して中山候補の支援に回った理由は「ブログ告発」だと書いた。

大浜市長への決別の直接の引き金は確かに「ブログ告発」に対する大浜市長の疑惑に満ちた対応だった。

だが、自分に長期政権を委ねた石垣市民への説明責任も果たさないままさらに5期20年を望むという傲慢な態度。

これこそ「絶対的権力は絶対的に腐敗する」という格言そのままの具現であった。

これには与党の公明党もあきれ返った。

公明党は「絶対的権力は絶対的に腐敗する」という信念のもとに、市長の多選自粛を主張し、大浜長照市長へ立候補の自粛を求めていた。

石垣市民、いや日本全国の疑惑を呼んだ「婦女暴行疑惑」をウヤムヤにしたまま20年の長期政権を狙うという。

これは大浜市長が石垣市民を愚弄し、石垣市政を私物化したとしか思い上がりの表れである。 

これこそ公明党が危惧する独裁体質の「絶対権力は絶対的に腐敗する」という格言の表れに他ならない。

国の中枢では独裁者小沢一郎氏が、市民団体から刑事告発を受けていながら、不起訴になったのを理由に国民への説明は一切逃避している。 しかし、国民の90%以上は小沢氏に説明責任を求めている。

翻って南の島の独裁者大浜市長は、検察の不起訴を期待するという立場で言えば告訴人の立場ではあっても小沢氏と軌を一つにするのではないか。

独裁者小沢氏の不起訴にも多くの疑惑は国民に説明されていないが、独裁者大浜市長の言動も数多くの疑惑は説明されないままである。

大浜市長が「ブログ発信者」に対する刑事告訴に踏み切るまで2ヶ月も要し、しかも東京の弁護士二人を含む3人の弁護士を立てての大掛かりな刑事告発というのは、結局は不起訴になるの可能性を検討した為ではないのか。

つまり、検察は起訴における99・98%の勝訴率を守るため、事件を受理してもめったなことでは起訴をしない、という情報を弁護士から得て、不起訴を想定の上で刑事告訴したのではないか。

「7年前の事件」ゆえ、場合によっては不起訴どころか事件として受理されない場合も想定される。 

那覇地検が刑事告訴の訴因である名誉毀損の有無の捜査を検察に依頼したとしても、八重山署には既に「被告人」であるサラさんの方から石垣市長による「婦女暴行」の被害届けは提出されている。

被害届けは刑事告訴のように捜査の義務は伴わない。

だが、一旦届けを出せば受理しなければならぬ。 

一方の刑事告訴は受理したら捜査の義務が生じる。

そこで検察は明確な証拠がない限り告訴不受理の場合が多いという。

大浜市長は、起訴の可能性の有無はともかく、とりあえず受理するように検察圧力を加えるため大勢を従えた仰々しい記者会見を開き、そのために3人の弁護士を立てたのではないか。

大浜市長にまつわる疑念はつきない。

 

【追記】

自衛隊や同盟国の米軍に憎悪むき出しの反対運動をする一方、中国艦船の領海侵犯には沈黙する大浜市長。

その平和ボケした「反戦平和運動」を容認すると、

国境の石垣島もチュオンサ諸島の二の舞になりかねない。

反戦平和を叫べば戦争は避けられると夢想する大浜市長とその支持者達に是非見て欲しい動画です。↓

中国海軍の犯罪の証拠 :チュオンサ諸島における惨殺

チュオンサ諸島(英語名:スプラトリー諸島)におけるシナ(中国)によるベトナム人の 惨殺( 1988年中国のドキュメンタリーフィルム)。スプラトリー諸島(シナ名:南沙諸島) の一部であるシントン島で1988年3月14日に起こったベトナム海兵隊とシナ(中国 )海軍の紛争、ベトナム領内に侵攻した中国海軍に対してベトナム海兵隊は3隻の輸送艦 で籠城したものの、無防備なベトナム軍輸送艦にたいして、重武装のシナ(中国)海軍艦 艇は集中攻撃、輸送艦を撃沈、また海兵隊の救出活動をシナ(中国)軍は妨害した。そし て今もなお、シントン島は中国の占領下にある。

日本人が考えるように、平和を叫んで攻撃しなければ、戦争はないという常識を覆す動画

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刑事告訴はアリバイ作り?婦女暴行疑惑

2010-02-27 09:32:59 | 資料保管庫

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■全体主義の島、沖縄■

沖縄は全体主義の島、言論封殺の島だといわれて久しい。 

沖縄二紙やそれに寄生する左翼知識人が構成する論壇は言論封殺の刑場である。 例えば「反戦平和」といったいわゆる左翼論調に少しでも逆らうと論者がおれば、マスコミの総攻撃を受けるか村八分にされ黙殺の洗礼を浴びることになる。

政治家も例外ではない。

「安全保障や国防を議論しよう」といっただけで「危険な元市議とレッテルを張られた人物がいる。

明日投票の石垣市長選に立候補した中山候補のことだが、これについては後述する。

 

一昨年の「十一万人集会」の時、仲井真県知事は集会への出席を請われ、「政治集会に県知事が出席するのはいかがなものか」として、当初は出席を拒否していた。

だが、度重なるマスコミの出席強要にしぶしぶ出席したことは周知のことであるが、沖縄二紙に「裏切り者」としてバッシングを受けたらたまらんとでも思ったのだろう。

最近の普天間移設にしても、県知事は「辺野古移設」に関して、「県外がベストだがベターもやむ得ない」として辺野古容認であった。

ところが最近ではマスコミのプレッシャーに押されて「県外は民意」によろめき始めたようだ。 今年は再選を狙う知事としてはマスコミは敵に回したくないのだ。

■言論封殺の島、石垣市■

明日市長選が行われる石垣市は、沖縄本島以上に全体主義で言論封殺の島である。 何しろ4期16年の長期政権を誇り、さらには5期を狙う大浜市長が島の隅々まで独裁権力の網の目を張っているからだ。

前にも書いたが、大浜市長は今回の立候補の弁でも「平和」を何度もくり返し、自衛隊を「殺人装置」と侮辱したり、休養のため寄港した同盟国アメリカの艦船の乗務員を「九条の会」等市民活動家の先頭に立って阻止したりする極左政治家である。

特に外交特権を持つ同盟国アメリカの外交官であるメア総領事に対する数時間に渡る乱暴狼藉は外交問題に発展してもおかしくない国辱である。

2009年4月3日

米軍艦石垣入港 反対する市民とにらみ合い

 

激しい睨み合いがおよそ5時間続きました。アメリカ軍の掃海艦2隻が3日に石垣港に入港し、港のゲートでは市街地に入ろうとする艦長の乗る車の...続きを見る

一地域の首長である大浜市長が反米活動家の先頭に立って米国の外交官に暴行を働くくらいだから、石垣市における市長の専横ぶりは推してて知るべしである。

その一方大浜市長は、中国の潜水艦が石垣近海で領海侵犯をしても抗議の一言も発しない。 これでは石垣市長はまるで中国の手先か工作員といわれても仕方がない。

■石垣島の平和は中国の自治区になることか■

さて、大浜市長が考える平和とは自衛隊も米軍も全て追い出して、尖閣諸島に迫った中国の脅威に対して丸腰で臨めというのだから言葉を失う。 これではまるで中国の自治区としての平和ではないか。

今回の対立候補の中山氏が講演会で挨拶した文言をねつ造し、「危険人物」と決め付けるデマ文書を配布していると書いたが、以下の文言はその時の挨拶である。 どの部分が危険なのか。

私達の郷土沖縄は戦争を経験した過去から、えてして安全保障や国防、軍事の議論を意識してを避ける傾向があります。 しかし日本が存在し続ける限り国防、安全保障の議論は決して避けて通ることのできない問題です。日本本土や沖縄本島以上に最近では先島(石垣市を含む)が (国防に関しては)話題の中心になりつつあります。そろそろ私たちも表に出て安全保障、国防のことを議論する時期がきていると思います。 皆さんがこれまでのサイレントマジョリティを脱却して地域でオピニオンリーダーとして国防、安全保障の問題をしっかり議論し、石垣市民、沖縄県民そして日本国民が堂々と議論できる世の中になればよいと思います。

上記発言の動画⇒ 2010年 石垣市長選

説明するまでもなく中山候補が述べているのは安全保障 、国防の問題を「議論しよう」ということにつきる。

「議論しよう」と呼びかけただけで「危険人物扱い」とは、言論封殺ではないか。

これを石垣市民が認めるはずはない。

■中山陣営が大浜陣営を告発!■

このデマ文書に関し中山候補は公開討論で謝罪と訂正を要求したが大浜候補はこれを無視している。 ネットの普及した昨今、いくら大浜氏が無視しても中山氏の挨拶はネット上でノーカットで全国に流されている。

この様な卑劣な行為を石垣市民が看過するとは思わないが、中山候補側は、2月19日付けで大浜候補の後援会を名誉毀損と公職選挙法違反で八重山署に告発したという。

告発を受けた八重山署には既にsさんの大浜市長による「婦女暴行」にたいする被害届けが出されているので、八重山署の刑事もさぞかし大忙しのことと思う。

「婦女暴行疑惑」については、大浜市長から那覇地検に刑事告訴しているというので、地検の検事が立件に至るには八重山署の協力が必要である。

大浜候補は八重山署を挟んであるときは告訴人になったり被告人になったりでこれもまた大忙し。

片手で降りかかる火の粉を払いながら、片手で相手を攻撃する立場の大浜氏には同情を申し上げたい。

■公明党が大浜候補に決別した理由■

これまで大浜市長が長期政権を維持出来たのは、大浜市長のきめ細かな地域政策というより、「反戦平和」といったそのイデオロギーと「反米、屈中」の左翼活動に沖縄二紙が共鳴し、支援した他に「自公vs民主、社民、共産」といった全国的な対立構図だったからではない。

公明党が強力に大浜候補を支援したため自民党が支援する候補者は孤立し、多勢に無勢の弱い支援体制であったため敗北が続いたのであった。

ところが、今回の選挙では公明党が、大浜市長に不信感を持ち対立候補支持に鞍替えした。 その理由は「婦女暴行疑惑」に対する市長の説明の曖昧さだという。

当日記の読者なら承知のとおり、市長は「事実無根」といいながら「詳細は法廷で」と説明責任を逃避している。

■刑事告訴はアリバイ作りか■

民事告訴ならともかく、刑事告訴が立件、起訴される確率はきわめて低い。 それは最近の小沢氏に対する市民団体の刑事告発が不起訴に終わった例でも充分理解できるところである。

起訴されなければ、当然裁判にもならないわけだから、大浜市長の言う「説明は法廷で」といっても、現実には法廷で説明する機会さえ逃避したことになる。

検察が刑事告訴の受理を渋る理由は、刑事裁判の検察の勝訴率が限りなく100%に近い90数%(99.98%?)であるため、この勝訴率を維持するために、よっぽどの証拠がない限り起訴はしないからだという。

その伝でいくと大浜市長の「刑事告訴」は、那覇地検による「告訴取り下げ勧告」も想定した一種のアリバイ作りではないかとの推測も成立する。

選挙が終わって、刑事告訴の経過を問われたらこ答えるのも想定済みだ。

「約束通り刑事告訴で身の潔白を証明しようとしたが不起訴になった。 精一杯やったが仕方がない」と。

「不起訴」或いは「告訴不受理」を残念がって見せ、説明責任をあいまいにする魂胆とも解釈できる。

■50万円の意味は今でも説明できる■

いずれにせよ、火のないところに煙は立たぬで。

市長が元女性職員と何の関係もない赤の他人のはずはない。 

大浜市長は、支払済みの50万円の意味を、法廷とは別個に石垣市民に説明するのが公人たる市長としての最低限の責務である。

2009年12月10日

公明2氏、説明責任を要求 市長のブログ問題

選挙戦への懸念表明
太陽光発電システム来夏から補助金

 石垣市議会(入嵩西整議長)の12月定例会一般質問3日目の9日は、平良秀之、宮良操、大石行英の3氏が当局の見解をただした。大浜長照市長の暴行未遂疑惑を書き込んだブログ問題をめぐり、これまで市長を支えてきた公明石垣の平良、大石両氏がそろって言及、真相が明らかにされないまま市長選に突入することへの懸念を表明したが、大浜市長は司直の手に委ねる考えを重ねて示した。

 平良氏は「ブログ問題が話題の中心となり、建設的な議論がないまま市長選が行われれば、これほど市民にとって不幸なことはない」、大石氏は「信頼のきずなが失われる時、いかなる事業も成功することは困難」と前置きした上で「大浜市政を支えてきた責任と責務と信頼から、出馬を本気で考えるなら市民に対する説明責任を自らの声で果たしてもらいたい」と要求した。

 大浜市長は「医者の良心に誓ってもできることではない」と疑惑を否定した上で具体的な説明については「市長選を控えているので、いくら公人として説明しても、政争に巻き込まれる。弁護士から発言を控えるよう言われている。そういう環境でなければいくらでも説明できる」と釈明、「法の場で真相を明らかにし、信頼を回復したい。来週あたりにでも告訴できる。受理されたら記者会見したい」と答弁した。(略)

2009年12月17日

公明2氏、市長に決別宣言 多選自粛で賛成討論

石垣の大石行英、平良秀之両氏は16日の自治基本条例審査特別委員会で、石垣亨氏が提出した多選自粛を追加する修正案に賛成した。「絶対的権力は絶対的に腐敗する」。大石氏は賛成討論で格言を引用しながら多選自粛論を展開、大浜長照市長への実質的な“決別宣言”を行った。

 公明石垣は4期16年の大浜市政を支えてきた与党の一員だが、先の衆院選では自民党石垣支部と今後の各種選挙でも信頼関係のもと選挙協力を約束した経緯がある。市長選では大浜市長、野党側が押す中山義隆氏の双方に懸念材料があるとして距離を置いており、対応が注目されていた。

 大石氏は賛成討論で「多選自粛は清潔、公平、公正の政治理念を実現する歴史的、画期的な第1歩」と修正案を強く支持。委員会終了後も「修正案はとっぴではない。多くの市民が多選には疑問を持っている。多選自粛は公明党の理念でもある。石垣亨氏の探求心に敬意を表す」と語った。
 来年の市長選の関連については「市長選を左右する条例ではない」と否定してみせたが、市長選を意識していることは明らかだった。賛成討論を自ら申し出、発言用のメモを準備するなど重大な決意をもって大浜市長に出馬自粛を促す内容だった。

 

                    ◇

【追記】 

読者のyaegaki姫さんのコメントを貼り付けます。

石垣に正しいふさわしい市長を! (yaegaki姫)2010-02-26 16:39:31すみませんが 石垣市長選が28日なので
石垣のメルアド出しています
メール応援お願いします↓です

http://politiceconomy.blog28.fc2.com/?no=282

勿論沖縄と周辺の島々への関心が高いのは婦女暴行ではなくて日本の安全保障です。沖縄の左翼もとても辛い存在です 日本を良くしたいぎりぎりの心境でみんなが注目していることを忘れないで下さい 日本中の目だけではなくて私のような外国からも心配しているわけです
石垣の皆さん、今の市長はいけません
あなたたちのためにならないです
日本のためにならないです
中国が離島を狙っているのは明らかなんです
こんな市長でいいわけがありませ

 

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焦点は「ブログ告発」 石垣市長選

2010-02-26 07:08:53 | 資料保管庫

中山・大浜氏の争い 石垣市長選

28日投開票 街頭で第一声

 【石垣】任期満了に伴う石垣市長選は21日告示され、新人で元市議の中山義隆氏(42)=無所属、自民、公明推薦=と、5期目を目指す現職の大浜長照氏(62)=無所属、社民、共産、社大、民主推薦=が立候補を届け出た。28日に投開票される。(略)

                     ◇

21日投票の長崎県知事選挙と町田市長選挙で民主党系候補が敗北した。やはり鳩山・小沢という与党の2トップの「政治と金」疑惑の影響なのだろうか。
 
三日後に迫った石垣市長選挙でも「長崎ショック」が直撃し、5選で20年の長期政権を狙う大浜現市長の命運が尽きるのか。
 
全国の熱い目が沖縄本島のはるか南の島、石垣市の市長選挙に注がれている。 
 
沖縄の一地域である石垣市長選挙に全国の注目が集まるとは少しオーバーだという向きもあるだろう。
 
なるほど、同じ市長選とはいっても、先日行われた名護市長選では普天間基地の移設先という争点で全国の注目を浴びたが、石垣市には全国の注目を浴びるような米軍基地の存在はない。
 
だが、当日記の読者なら今回の市長選の注目点が、通常選挙で争われる「ベテラン候補vs新人候補」でもなければ、「革新候補vs保守候補」という対立構図でもないということを先刻承知のこと。 
 
長期政権を誇る大浜市長が、八重山近海を警備している自衛隊艦船の休養のための石垣寄港に反対したり、既に使用許可済みの市民会館の使用を自衛隊の音楽会だという理由だけで拒否したりする極端な左翼思想の持ち主であるのに対し、一方の中山候補は自衛隊の石垣寄港を感謝の念をもって歓迎するという。この対立構図も一部には興味を引くだろう。 
 
だが、これも全国の熱い視線が注がれるというほどのものではない。
 
■市長選の注目点は「ブログ告発」(婦女暴行疑惑)■
 
では、南の島の市長選の注目点とは一体何か。
 
そう、昨年の10月から年末にかけてネット上を賑わした対する元石垣市職員であるサラさんの大浜市長に対する「ブログ告発(婦女暴行疑惑)」である。
 
この件に関しては昨年12月大浜市長が、弁護士同席で「ブログ発信者」を那覇地検に刑事告訴するとの記者会見を開いた。
 
これを報じる地元紙、八重山毎日新聞を引用するとこうなる。


大浜長照市長は19日、官公労職員会館で記者会見し、石垣市の元女性職員が市長から暴行(未遂)を受けたと書き込んだブログ問題について「弁護士が18日午後3時すぎ、那覇地検に告訴状を提出した」と述べ、名誉棄損事件として刑事告訴したことを明らかにした。

大浜市長は「時間的都合から来週早々に受理するということで検事が預かっている」と報告、「法廷の場で事実でないこと、身の潔白を示していきたい」と述べた。

ただ、告訴状の内容や告訴する相手など基本的な事項に関して質問が及ぶと「告訴状は今日の夕方届くことになっている」「今日は申し上げられない」「この場では差し控えたい」と言及を避けるなど、今週中に告訴、受理されると議会で答弁した約束を履行した、という事実を示すだけの会見内容となった。

会見には仲山忠亨後援会長、与党6人が同席した。那覇地検に告訴状を提出したと発表する大浜長照市長
 
 
あれから既に2ヶ月以上経過した現在、被告の「ブログ発信者」に対する那覇地検の事情聴取や参考人聴取の話は筆者の耳には聞こえてこない。
 
市長本人はブログ告発を「事実無根」だと主張し、詳細は法廷で明らかにするとしているが、一般市民ならともかく、選挙で選ばれた公人としての大浜市長にこの主張は許されない。 
 
市議会や市長会見という公的場で弁明、釈明の機会のある市長は、少なくとも「事実無根」なら、法廷とは別に石垣市民に対してきちんと説明をすることが市長としての責務ではないのか。
 
そもそも「事実無根」なら告発以来二ヶ月も経過してからの記者会見も不可解だが、上記写真でも分かるように仰々しく弁護士を3人も立てて多くの仲間を従えての会見も不可解である。
 
市長が言うように、「ブログ告発」が「心科に通院する女性」による事実無根の一方的中傷であるなら、あのような集団を従えての会見ではなくとも権力者の市長一人で対処しても充分ではなかったのか。
 
それに地元紙以外のマスコミは会場から閉め出しての会見も疑念を呼ぶ。
 
那覇地検への刑事告訴にしても市議会で「事実無根なら何故即刻告訴しないのか」と野党議員に詰め寄られた結果、アリバイ作りのためやむなく告訴に踏み切ったというのが実情ではないのか。
 
それを示すような映像がある。 大浜市長が「刑事告訴する」と言質をとられる石垣市議会のシーンを「動画」でご覧下さい。

石垣市長ブログ問題 市議会質問1

 
 
 
 
 
 
映像の中で、仲間議員が市長からサラさんに支払われた50万円の意味を問われた大浜市長は、「この点は裁判の重要部分なので弁護士に発言を止められている」(要旨)として説明を避けている。
 
だが、告発者への金銭の支払いがウソであるなら、「事実無根」と一言否定すれば済むことで、何も弁護士云々する問題ではない。
 
「弁護士から止めている云々」で説明しないのでは、「事件」に対する口止め料か何かの金だと疑われても仕方がない。 
 
そもそも50万円もの大金を市長が何の関係もない市職員に何の理由もなく支払うことが不可解なのだから。
 
今回の石垣市長選の注目点は「グログ告発」を石垣市民がどう受け取るかであるが、筆者の知る限り沖縄タイムス、琉球新報はあえてこの核心部分に触れようとしない。
 
そんな中で八重山毎日新聞が社説で「ブログ告発」に触れているので該当部分を抜粋し引用する。
  

2010年2月24日付 八重山毎日新聞社説

石垣市の未来、誰に託すか

市政の刷新か継承か、迫る選択のとき

■ラストスパート
 石垣市の最大の政治決戦である任期満了に伴う市長選挙は、前市議で新人の中山義隆氏(42)=自民、公明推薦=と、過去最多の5期目を目指す現職の大浜長照氏(62)=民主、共産、社民、社大推薦=の一騎打ちの争いとなり、両陣営は28日の投開票に向けて早くもラストスパートに入った。

(略)

■鮮明な対立軸
 今回の選挙では、中山氏が「日本一幸せあふれる石垣市」づくりをテーマに掲げ、長期政権によるスピード感のない市政のマンネリ化を批判しているのに対し、大浜氏は社会安定度日本一などの実績をアピールして市政継続で「市民協働のまちづくり」を強調。長期政権と多選をめぐる対立は鮮明だ。

 確かに長期政権のよしあしはそこの市民が評価するもの。しかしこの問題と元市女性職員のブログ問題が、かつて過去4期も支持してきた公明党離反の要因となっており、これに市民がどういう判断を示すか注目される。
 一方、中山氏は、自衛隊や米艦船の石垣寄港などへの対応で大浜陣営から批判されているが、これも両候補の対立軸の一つといえるだろう。(略)

                      

【おまけ】

市長選の注目点は「ブログ告発事件」だと書いたが、自衛隊に対する両候補の姿勢も興味を引く対立軸である。

大浜候補は沖縄タイムス記事で「争点は」と問われ、

「憲法を守る市長か、そうでないか」と答えているが、憲法で認められた自衛隊を「殺人装置」と罵倒し、それを議会で追及され「自衛隊は合憲である」としぶしぶ認めさせられている。 しかも議会での合憲発言を踏みにじるような「自衛隊反対」の言動をその後も示しているのは明らかなダブルスタンダードである。

その時の議会での質問者が奇しくも今回の対立候補の中山議員(当時)である。

自衛隊に対する両候補の姿勢を知る参考に【動画】をご覧下さい。 

【動画】⇒石垣市議会 中山義輝議員の質問と市長の応答

【動画2】⇒チャンネル桜の井上和彦キャスターによる中山議員のインタビュー

【おまけ2】
読者よりの情報ですが、大浜候補はウソをねつ造し中山候補を貶めるビラを撒いて泥仕合に持ち込む魂胆のようである。
 
【動画】⇒ 2010年 石垣市長選
 
 
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石垣市長の五選を阻止せよ!

2010-02-26 01:53:14 | 資料保管庫

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以下は過去エントリー 「自衛隊を「人殺し」、国境の島の市長が」に一部加筆編集した再掲です。

                    ◇

水が澱(よど)めば腐敗する

腐敗物はガスを放つ

四期にわたる長期政権

五期を狙えば20年にも及ぶ

独裁政権の誕生だ

驕り高ぶった大浜石垣市長が放った一言

それは腐敗ガスそのものだ

大浜市長が発した言葉はこれだ!

自衛隊は「殺人装置だ!」

己が放ったガスの恐ろしさに気がつき、慌てて取り消しはしたのだが・・・。

覆水盆に・・・いや、放ったオナラは元には戻らない。

 

沖縄タイムス 2008年12月19日【夕刊】 政治 

自衛隊「殺人装置」一転「命がけに敬意」/石垣市長が発言陳謝【政治】
 【石垣】大浜長照石垣市長は十九日の市議会(入嵩西整議長)十二月定例会の最終本会議で、前日の一般質問で自衛隊が「人を殺すための国家の物理的な装置」と発言したことについて、「全部撤回する。認識を新たにする」と語り、陳謝した。

 市長は十八日の仲間均議員の一般質問で、「自衛隊も米軍も基本的には軍隊」「人を殺すための国家の物理的な装置」などと答弁した。

 発言撤回の中で市長は「自衛隊は不発弾処理や救急患者の輸送をしているほか、多くの隊員が国を守るため、命がけで訓練しており、その情熱に敬意を表する」と釈明した。

 入嵩西議長は「議場での市長発言は重い。軽々しい発言、感情の赴くままの発言は慎んでもらいたい」と注意を促した。

 市長は議会終了後に記者会見し、「日米同盟の強化が進み、米軍と自衛隊の共同訓練が行われる中、米軍と混同して話してしまった。自衛隊は専守防衛の組織で、人殺しの訓練はやっていないと聞いている」と語り、あらためて関係者に謝罪した。

                    ◇

共産党、社民党、民主党といったアレな政党の強力な支持で、4期14年も勤め、これに公明党の組織票が絶大な長期の権力を生んだ。

さらに偏向マスコミに煽てられて気が緩んだ大浜市長は、何を言ってもマスコミがフォローしてくれると慢心した。

そこで常日頃の信条をつい吐露してしまったのだろう。

何よりも、「自衛隊『殺人装置』」発言には沖縄紙は及び腰だった。

だがマスコミがいくら偏向報道で擁護しても、ネット情報はマスコミ報道をすり抜けて全国のネット網で事実を伝える。

発言撤回の中で市長は「自衛隊は不発弾処理や救急患者の輸送をしているほか、多くの隊員が国を守るため、命がけで訓練しており、その情熱に敬意を表する」と釈明した。

多くの島で成り立つ沖縄県で、緊急時の自衛隊のヘリ移送が不可欠なのは、長年市長をやっておれば気がつかないはずはない。それに不発弾処理も自衛隊の仕事だ。

何が今さら取ってつけたように、「敬意を表する」だ!

寝言は寝て言え!

敬意を表するのなら市民会館の使用を拒否したのは何のまねだ!

>「自衛隊も米軍も基本的には軍隊」「人を殺すための国家の物理的な装置」などと答弁した。

中国が石垣市の行政地域(尖閣は石垣市に属する)を侵犯してもおとなしくしておいて、自国の自衛隊を「殺人装置」呼ばわりとは・・・

中国の工作員ではないのか。

>米軍と混同して話してしまった。

自国の自衛隊と米軍とを混同するとは、寝ぼけていたのか。

再度言おう。

寝言は寝てから言え!

 

 ★八重山日報 2006年4月15日

自衛隊の市民会館使用を不許可石垣市
 陸上自衛隊の第一混成団音楽隊が六月三日に石垣市民会館大ホールで演奏会を計画していた件で、大浜長照市長は市民会館の使用を許可しない方針を決定し、市教育委員会が十四日までに自衛隊側に伝えた。(略)

十一月十日の演奏会会場前では「自衛隊は違憲」と訴えるビラを配布した。

八重山毎日新聞
2005市民会館使用許可で抗議 自衛隊音楽会で九条の会

大浜市長は過去に自衛隊楽団の市民会館の使用を拒否した売国奴市長です。

大浜市長のメッセージ
沖縄戦研究家によりますと、当時の南西諸島は合囲地境(ごういちきょう:完全に敵に包囲されている状態)であり、民政は存在せず、全て軍の命令、強制であったとしています。このような状況のなかで、住民たちは進んで死を選んだわけではないと多くの沖縄戦研究ははっきり述べています。このことは従来の教科書には記されていましたが、戦後62年の今になって文部科学省は軍命があったとはいいきれない、現在係争中なので教科書から削除すべきと検定意見を申し入れ、出版社はそれに従ったのです。
 これは歴史の隠蔽であり、沖縄戦の証言に反しています。非常に大きな問題といわざるを得ません。>

こんな市長がもし、五期も勤め、中国に媚びて寝言を言い続けるようでは、

尖閣の次は「石垣島は中国の固有の領土」と言い出しかねない。

既に有志ブロガーの皆様が告知徹底しているとはおもいますが、当日記も石垣市長への抗議コピペに賛同します。

◆緊急のお願い(主権回復を目指す会より)

<自衛隊を「人殺し」と叫ぶ大濱長照・石垣市長へ猛抗議を>

  石垣市長が自衛隊を「人殺し」と議会で暴言を吐く
 自衛隊を貶め、尖閣諸島をシナへ売り渡す売国奴を許すな!


12月18日に開かれた石垣市議会で、仲間均議員の一般質問(米軍と自衛隊機に抱く市長の感情)に対し、大濱長照
市長は「(自利隊は)人を殺すための」「(人を)刺す訓練をしている」と一つの現象を言挙げして国土を護る自衛隊を誹謗
・中傷した。

◆東シナ海を蹂躙しては尖閣諸島の領有を公言するシナ・中共へ媚びへつらう売国を許すな!


【石垣市役所】
kirameki@city.ishigaki.okinawa.jp (メールアドレス)
電話0980-82-9911
FAX0980-83-1427

【石垣市議会】
mailto:gikai@city.ishigaki.okinawa.jp(メールアドレス)
Tel  0980(82)4054
Fax  0980(82)1570


【参考】
○仲間均 >市長にお伺いします。米軍機と自衛隊、日本を護る米軍機と自衛隊機、どうしてこうも感情がでるのでしょうか。
この市長の感情についてご答弁を賜りたいと思います。

○大濱長照・市長 >自衛隊も米軍も基本的には軍隊ですよね。軍事力を持っていたり、あるいは戦闘機を持っていたり、実体
軍隊なんです。人を殺すための様々な国家の物理的な装置であって、私自身は平和憲法をしっかり守って、世界の国々と平和
せ外交の中で生存していこうというふうな考え方を取っとります。従いまして、米軍であろうが自衛隊であろうが、今の実体に対して
は大変恐怖心を持っております(略)

○大濱長照・市長 >現在殺しているわけじゃありませんよ。だけど殺す訓練をしている。それを言ってるわけです。これは敵であろうが
同じ人間だということで人を人を殺すということを言っているわけです。

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援護法のからくり、田中軍曹の神話

2010-02-25 07:17:13 | ★集団自決

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「11万人集会」が開かれた2年前、沖縄タイムス、琉球新報には数多くの沖縄戦の証言が、連日のように大見出しとなって躍った。

その中には数多くの「集団自決」の悲惨な証言もあったが、軍が自決を命じたという証言はただの一つも無かった。

沖縄戦に関する証言は、戦後65年を経過した現在でも沖縄のいたる所で聞くことができる。

ただそれを活字にして公表してもよいかと聞くと、証言者達のそれまでの熱弁が急にトーンダウンし、活字にしたり個人名を公表すると個人に迷惑がかかるからと「今までの話はなかったことにしてくれ」としり込みをする人が多い。 

これを地元メディアは「証言者は多くを語ろうとしなかった」と意味ありげな文言で報道するのだが、その沈黙の意味は一体何を意味するのか。

語ることによって地域社会の親類、縁者に迷惑がかかるからである。

そして沈黙の理由は「援護金」の「不正受給」にからむ場合がほとんどである。

かなり以前のことだが、筆者のごく近しい80代の女性の話も、同じように相手に迷惑がかかるからという理由で、名前は伏して話を聞くことができた。

その女性の知人で戦争で日本軍に協力したとき目に負傷したため失明したと言う理由で「援護金」を受給している人がいた。 だが、実際はその人物は戦前から失明しており、失明の原因は戦争とは何の関係も無いことはその集落では公然の秘密だと言う。

勿論その事実を具体的に公表してよいかというと、その年金受給者に迷惑が及ぶからと固く口止めされた。

知人の某大学の教授の話によると、終戦直後は地域の有力者が率先して負傷者や死亡者は沖縄戦に関係なく援護金の申請を奨励し、証人の必要な人はその有力者が何処からか集めて準備してくれたと言う。

そのように多くの村人を援護金対象者に仕立て上げた「功績」でその後、地域の有力者は村会議員や市会議員に出世した人物も多いと聞く。 この場合援護金に申請に奔走した有力者と「偽装申請者」は共犯関係にあるので、お互いに秘密を共有しあっていたが、後になってその秘密を暴力団に嗅ぎ付けられ強請りたかりのドタバタ劇が各地で展開されたというが、本題から外れるのでここでは省略する。

ことほど左様に「援護法」に関する証言では数多くの証言者はいても、実名を公表できるものは自ずと限られてくる。

そんな中でルポライターの高橋秀美氏が援護法の「偽装申請者」に関する貴重な証言を聞き取りし、証言者の実名を記録したルポルタージュを発刊した。

しかもその証言者は金武町教育委員会町史編纂員といういわばこの種の戦記の証言蒐集には最も相応しい人物だけに実名を公表したうえでのその証言の信憑性は高く、地域住民に与える衝撃は大きい。

以下にその該当部分を抜粋引用する。

《 唯一の地上戦となった沖縄では、多くの住民が犠牲となった。
しかし、この金武町では、その実態がいまだ不明である。
理由は戦後施行された「戦傷病者、戦没者遺族等支援法」。

沖縄に限り一般住民でも、「戦闘協力者」と認定されれば
援護法の適用を受け、給付を受 けることができた。


もらえるものはもらいなさい、という役所の指導があって
病気や空襲で死んだ人たちの遺族も便乗して申請したんです。
申請書類には誰の命令で行動したか、を記入する欄があるんですがなぜかほとんどが"田中軍曹"でして調べてみるとそんな人は実在しないんです
聞き取り調査をしても、本で読んだ話を自分の体験のように語るし
何人かで集まってもらっても、『それ、言っちゃダメ』とかお互いに牽制しあう。結局丸くおさめるには『みんな日本軍にだまされて協力させられた』という話にするしかないわけです」(金武町教育委員会町史編纂室・奥間俊夫 》(『からくり民主主義』(高橋秀美著 146頁~147頁)


なお『からくり民主主義』には、いま最もホットな話題である沖縄の米軍基地に関して、地元メディアを通じては決して知ることのできない県民の本音が面白おかしく聞き取りされており、沖縄タイムスや琉球新報が伝える「島ぐるみで基地撤去を叫ぶ」といった「民意」が真っ赤なウソであることがよくわかる。

奥間俊夫氏の証言で注目すべきは「結局丸くおさめるには『みんな日本軍にだまされて協力させられた』という話にするしかないわけです」というくだりである。

「援護金」を受給するために“田中軍曹”という架空の日本兵をでっち上げた金武町の場合は八方まるく納まった。

だが、渡嘉敷、座間味両村の場合は、架空の”田中軍曹”の代わりに実在の梅澤少佐と赤松大尉を「残虐非道な日本兵」に仕立て上げたことがその後の「集団自決における軍命の有無」という大きな問題を残したのである。

金武町の場合と座間味、渡嘉敷両村の場合を比べると、細かい事情は夫々異なっていても「残虐非道な日本兵」のために住民が犠牲になったという「神話」を住民と役場がでっち上げをし、そのために多くの地域住民が「援護金」の恩恵を受けたという点では共通の問題を抱えていることになる。

それにしても、このように沖縄県民の本音を伝える報道が地元メディアや県出身ジャーナリストでなく、高橋氏のような本土出身者の聞き取り調査の結果である所に沖縄戦の真実を語る難しさがある。

地元出身者が「援護法」における「田中軍曹」のような公然の秘密を活字で暴露したら、地元「有識者」の猛烈なバッシングを受け裏切り者といった罵声を投げつけられ地域に住めなくなることは目に見えている。

「田中軍曹」の秘密が本土ジャーナリストによって暴露された事実は、沖縄の言論界が依然として全体主義に取り込まれ「不都合な真実」は言論封殺するという証左でもある。

そう、「不都合な事実」を暴露して沖縄でバッシングを受けた本土出身有名人では思いつくだけでも、曽野綾子、小林よしのり等の諸氏がいるが、最近では沖縄出身者でも星雅彦氏や上原正稔氏のように果敢に沖縄タイムス、琉球新報のウソを断罪する人達も出てきている。 

だがこれらの勇気ある識者達は沖縄の言論界から事実上の村八分状態にされているのが現状である。

その一方で、大江健三郎氏や筑紫哲也氏のようにことさら沖縄に同情心を示し、佐野眞一氏のいう「大文字言葉」で事実を捻じ曲げてまで沖縄に媚を売る有名人達のみが依然として歓迎されている。

 


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座間味にいた「うつろな目の少女」

2010-02-25 00:22:59 | オカッパの少年

 

 

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

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先日、座間味旅行をした知人の話を聞く機会があった。

偶然、神戸から来た20人ほどの教師グループと同行し、その「平和学習ツアー」の小型バスに便乗させてもらい壕巡りを体験したという。

そのときの写真を見せてもらっているうち、その一枚に写っている人物の顔を見て、思わず驚きの声を発した。

「オカッパの少女だ!」

写真に写っている70過ぎの老人を指して、「少女だ!」と呟く姿を人に見られたら、きっと「カニハンリた」と思われたであろう。

(⇒老人性ボケをカニハンリルという

写真の日付けは8月17日。

写真に写っている老人は紛れもなく「うつろな目の少女」として知られる大城盛俊氏、その人ではないか。

知人の話によると、その人物は夏休みを利用して神戸の教師グループを率いて、沖縄「平和学習ツアー」のコーディネーターとして戦跡案内をしていたのだという。

大城氏といえば、戦時中の日本兵から受けた暴力で、右目を失明し、足には歩行障害が残っているはずだ。 

大城氏は現在神戸に在住で、喉頭がんにより声を失ったたことと、80歳近いご高齢のため、長年続けていた「沖縄戦の語り部」を引退していたはずだ。

その大城氏が元気で「平和学習ツアー」を率いて座間味村の壕巡りをしている事は驚きであった。

いや、その驚きよりも、「うつろな目の少女」として数多くの沖縄戦記本に写真が掲載された話題の人物大城盛俊氏が、沖縄紙に一行の紹介もされていないのが大きな驚きであった。

沖縄紙が喧伝する「残虐非道の日本軍」を大城氏ほど見事に体験した人物も珍しい。

食料をリュックに背負って壕に避難中、突然やってきた日本兵に食料を強奪された上、暴行をうけ壕を追い出される。 さらに実母は日本兵にスパイ容疑で虐殺され、戦後は日本兵から受けた暴行の後遺症による右目失明と歩行障害で仕事にも困難を味わったという。

大城氏の受けた艱難辛苦はそれだけではなく、日本兵から受けた障害は「援護法」の適用を却下されたという。

大城氏ほど「残虐非道の日本兵」を声高に訴えてるのに相応しい人物を筆者は知らない。

それだけではない。

「日本兵に何をされるかわからない」という理由で、オカッパ頭にされた大城氏の「少女姿の写真」は、多くの戦記本に紹介され、一昨年の琉球新報で「少女は実は少年だった」と報じられ話題になった人物だ。

このような話題の人物が沖縄の「平和学習」で沖縄を案内しているのに、沖縄紙が一切これを報じないのはいかにも不自然ではないか。

大城氏に関しては、その報道に沖縄紙が揃って腰が引けているように感じる。

このような疑念を抱くのは筆者だけではないはずだ。

やはり「うつろな目の少女」にはまだ語っていない秘密があるのではないか。

 

参考:オカッパの少年の謎

 

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秦 郁彦
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老醜を曝す鳥越俊太郎、民主党敗北で

2010-02-24 07:50:15 | 県知事選

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自民党に愛想をつかした無党派層が「一度は民主党に」と民主党に投票した結果「小沢独裁政権」を作ってしまった。

そして独裁者に何も言えず沈黙を守る民主党のダラシナイ現状を見た彼ら無党派層は、己の愚かな投票行動に驚いて夫々の行動に移った。

前にも書いたが筆者の友人仲間で民主党支持の論客N君は「独裁者小沢を倒せ」と同じく民主党支持の友人達に説いている。大部分の良識ある国民はこのパターンだろう。 そして国民の怒りが徐々に現れてきたのが、民主党が応援する候補の圧勝と見られていた名護市長選の僅差の辛勝。 そして長崎知事選での民主党の完敗とつながっていく。

個人レベルだけでなく選挙前は強力に「民主党支持、自民党反対」のキャンペーンを張っていたマスコミにも、たまりかねたのか同じように民主党批判に批判の矢を民主党に放っている。 下記引用の沖縄タイムス社説がその好例である。

マスコミの中には民主党支援に熱を入れすぎたため、その余熱に判断力が麻痺したのか、いまだに未練たらしく、民主党を応援しているものがいる。 長崎知事選挙での民主党の大敗は党幹部の政治資金疑惑のせいではなく、あたかも検察とマスコミが「無実の小沢氏を黒であるかのような印象操作したせい」(要旨)と公共の電波を使って強弁する鳥越俊太郎氏などがこのパターンである。

[民主党敗北]新政権が漂流し始めた  沖縄タイムス社説 
2010年2月23日 09時51分

 「政治とカネ」の問題、そして米軍普天間飛行場の移設問題など主要政策をめぐる迷走ぶりは、政権交代への期待をしぼませている。

 与野党対決の構図となった長崎県知事選と東京都町田市長選で、与党推薦候補が敗れた。選挙結果が民意であり、決して軽んじるべきではない。そんな当たり前のことさえ指摘せずにはいられない情勢だ。

 長崎県知事選は予想以上の大差で敗れた。参院選前の注目の地方選挙だったが、民主党本部が繰り出した幹部、閣僚の応援にいくつか耳を疑いたくなる言動があった。

 小沢一郎幹事長は「(党推薦候補を)選んでいただければ自主財源となる交付金も皆さんの要望通り。高速道路も欲しいなら造ることができる」とあからさまに利益誘導をちらつかせた

 主要閣僚が次々と現地入り、市町村長らとの「意見交換」と称して面談し、地元の要望を聞いた。首長らが「(意見交換の)すぐそばで応援演説するやり方はおかしい」と反発したのは当然だ。

 小沢幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地取引をめぐる政治資金規正法違反事件後、初の与野党対決型の大型地方選だった。劣勢を挽回(ばんかい)しようとの焦りからか、権力をむやみに振りかざすやり方に違和感を覚えた有権者は多かっただろう。

 極め付きは石井一選挙対策委員長で、「時代に逆行するような選択を長崎の方がなされたのなら政権は長崎に対しそれなりの姿勢を示すだろう」と恫喝(どうかつ)したのにはもはやあきれてしまう。

 「コンクリートから人へ」という政権交代の理念を放棄したかのような手法は、族議員が幅を利かせた旧政権と変わらない。ましてや地方分権推進を標榜(ひょうぼう)しているだけに一層不快感を覚える。

 民主党は負けるはずはない、と言われていた。昨夏の衆院選は4小選挙区で民主候補が全勝したことで、4選に意欲を示していた金子原二郎知事(元自民党衆院議員)は戦意を失い、昨年11月に不出馬を表明した。

 大敗の背景に、鳩山由紀夫首相と小沢幹事長の「政治とカネ」の問題、民主衆院議員の陣営が北海道教職員組合から違法献金を受けたとされる事件があったのは明らかだ。

 トップ2人の政治資金疑惑に党として自浄能力を発揮できず、主要政策で関係閣僚の発言が食い違う。そんなひ弱な新政権に対する国民の戸惑いが、鳩山内閣の支持率急落に表れているのではないか。

 鳩山首相は「政治とカネの問題の影響を受けたというべきだ。真摯(しんし)に受け止める」と言うが、どう対処するのかが見えてこない。

 利権誘導の選挙戦術を見せられた有権者は、それが小沢氏らの政治手法に染みついていると受け止めるだろう。「政治とカネ」問題の根源部分にメスを入れることは果たして可能なのかとの疑いを抱いてしまう。

 沖縄基地問題への対応を含め、旧政権と変わらない対応ぶりを見るにつけ、新政権への不信が募る。

                      

昨日のエントリでも書いたが、最近の沖縄タイムスは、通常のタイムスらしくないまともな記事を書く。 その結果当日記の主張とダブってしまいコメントを書くのに苦労する。

上記引用社説も一々ごもっともな主張だが、民主党批判でも筆者と少し違うのは冒頭の「政権交代への期待をしぼませている」の部分でも分かるとおり、当日記は当初から民主党に期待するどころか危機感さえ抱いており、一方のタイムスは民主党を応援するがあまりに最近の迷走ぶりに「期待」がしぼんだ点である。

更には、沖縄タイムスは民主党に対して「可愛さあまって憎さ百倍」という心境なのであろう。 

民主党がダメだということは当日記は選挙前から想定していたことであり、何も沖縄タイムスが今さら「期待をしぼませる」という方がおかしいというもの。

沖縄タイムスが民主党を支持していたが、あまりの迷走ぶりにあきれ果てて批判の社説を書くのは理解できるとしても、

この期に及んでも頑なに民主党支援を続けネット上で失笑を買っているジャーナリストがいる。

鳥越俊太郎氏である。

【政治】 鳥越俊太郎 「長崎で民主敗北…小沢さん不起訴なのに、
真っ黒な人のように世論を形成されたのが敗因」★3


筆者はたまたま鳥越氏の発言の番組を見たが、鳥越氏は概ね次のような発言をした。

「長崎で民主党が敗北した原因は、特捜部が無実の小沢氏を事情聴取し、起訴できなかった。 検察は試合には負けたが、小沢氏が真っ黒な印象を国民に与えたので、勝負には勝った」

「長崎で民主党が大敗したのは検察とマスコミが小沢氏は黒だという印象を作ったせいである」

同テレビを見た人のほとんどはこのような印象を持っただろう。

特捜部では立件するだけの証拠がなかったので不起訴にはなったが、不起訴=無罪ではなく、小沢氏の場合は限りなく黒に近い灰色だと90%の国民は考えている。

四年前の『週刊現代』の告発!「小沢氏の不動産疑惑」■

さらに付け加えると、小沢氏の「政治資金疑惑」は、今回の市民団体の告発に対する不起訴の件だけではなく、四年も前から法廷で争われていた事件である。

小沢氏の「政治資金疑惑」について東京高裁が講談社との民事訴訟で小沢敗訴で黒の判決を下していることを、鳥越氏が知らないはずはない。

『週刊現代』が2006年6月3日号で、「小沢一郎の“隠し資産”6億円超を暴く」という記事を書いた。 

小沢氏名義の都内の10部屋のマンションは「陸山会」の所有であると主張しているが、実際は小沢氏の隠し資産ではないかという疑惑だ。

これに対し、小沢氏は同誌の発行元講談社を相手取って名誉毀損による損害賠償を請求する民事訴訟を起こした。 

だが、一審の東京地裁は「前提事実の重要部分は事実」として小沢氏の請求を却下した。

二審でも2008年6月4日、東京高裁は「記事は真実であり名誉毀損に当たらない」として原告小沢氏の控訴を却下している。

鳥越氏もジャーナリストなら、小沢氏の「政治資金疑惑」は四年も前から少なくとも東京高裁の判決では黒であることは百も承知のはずだ。

その上で、民主党に思いいれをするあまり、あたかも真っ白の小沢氏を検察とマスコミが黒にしたと発言したのなら鳥越氏のジャーナリスト生命はその瞬間死んでしまっている。

鳥越氏の民主党に対する盲目的友愛は日本の検察もマスコミも、「さらには高裁判決でさえも、愛する小沢氏を陥れんが為の陰謀に見えてくるのだろうか。

鳥越氏は数回の癌手術を克服しジャーナリストとして復活したことは、高齢者に勇気を与える素晴らしい出来事と賛辞を送りたい。

だが、鳥越氏のテレビでの言説はジャーナリストというより左翼アジテーターとしてしか国民の目には映らない。

見かけは年の割には若々しいが、これ以上の老醜を曝すことなく一日も早い引退をお勧めする。

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【最終章】オカッパの少年の正体

2010-02-24 00:20:31 | オカッパの少年
沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

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■失明は「援護法」の適用除外?■

大城氏の証言を以下に紹介する。  
<戦後、大城さんは右目失明と右足の障害のため良い仕事につけず、本当に苦労したという。沖縄戦から48年後の1993年10月、2815人の署名を携えて厚生省援護課を訪れた。その2年前に戦傷病者戦没者遺族等援護法にもとづく障害年金の適用を厚生省へ申請したが却下され、異議申し立てをしていたのだ。
「日本兵の暴行による障害は援護法の対象にならない」
席上、援護課長は従来からの見解をくり返した。援護法の対象は基本的に軍人・軍属・準軍属などの「戦闘参加者」に限られ、原爆や空襲などの「一般戦災」は除外されている。 しかし全島戦場と化した、「壕の提供」や伊江島・座間味・渡嘉敷の「集団自決」者なども「戦闘参加者」として援護法が適用されたのだ。
「アメリカ軍から障害を受けた場合は補償されるのに、日本軍から受けた場合はなぜ補償されないのか」
こういって大城さんは怒る。
「提訴したいが日数がかかるのであきらめました。もっと若ければ…。戦後補償は沖縄だけの問題ではない。日本が侵略したアジアの被害者に、まず補償しなければ。これからも、そんな実情を訴えていきます」>(『『母と子でみる44 ガマに刻まれた沖縄戦』)

ここらで「援護法」について概略を説明したい。

 ■「援護法」の概略■
「軍命の有無」が争われている集団自決論争で、「軍令であった」としたのは、「援護法」(戦傷病者戦没者遺族等援護法)による遺族年金の受給をするための方便だったと当時の琉球政府職員が証言している。

そもそも「援護法」とは、軍人が負傷、または疾病した場合、恩給法の規定に基づき軍人に恩給を支給する法律であり、支給対象は軍人とその遺族に限られる。

だが沖縄戦の場合、悲惨な地上戦で住民が塗炭の苦しみを経験した事情に鑑み、政府は政令を発布することにより、その適用範囲を拡大して民間人も準軍属として支給対象にした。

軍が関与した民間人への適用範囲も漸次拡大し、軍の命令、関与が理解できるとは思えない6歳未満の幼児にも適用、更に再度の政令改正により遂には0歳児にも適用対象の範囲を広げた。 
つまり、軍の関与で親兄弟や知人に殺害されたり、傷を負った住民は、0歳児に至るまで「援護法」の対象になったのである。援護を受けるには、申立人(遺族)と死亡または負傷の証言をしてくれる住民の証言を記した現認証明書があればよい。
日本兵に壕を追い出されたり、食料を強奪された場合でも、「壕提供」や「食料提供」という名目の現認証明書を知人らに書いてもらい、「援護法」の適用となったのである。

そのため実際には他の住民に追い出された場合でも、「日本兵に追い出された」と証言して援護法の対象になったと言う。

政府は「援護法」の沖縄住民への適用には比較的寛大で、「戦前から目の悪かった者が戦後援護法の適用を受けている」といった話は良く聞く公然の秘密である。

大城氏の場合、日本兵に食事・宿舎の提供などで実際に協力しており、日本兵の暴行を受けたとき壕を連れ出され食料を強奪されている。その結果失明したのなら現認証明書さえあれば「援護法」に適用されて、なんら不思議でない。

ところが大城氏が「援護法」による障害年金の適用を厚生省に申請したのは戦後半世紀も経ってからであり、厚生省はこれを却下している。1993年10月、2815人の署名を携えて厚生省援護課を訪れているが、何故その時に膨大な数の署名に代わり、たった一枚の現認証明書を準備できなかったのか。
 
暴行を受けたとき近くにいた(と思われる)住民の証明があれば済むことだ。しかも援護課は現認証明書に関しては比較的大目に見ていたではないか。大城氏は「アメリカ軍から障害を受けた場合は補償されるのに、日本軍から受けた場合はなぜ補償されないのか」と怒りを露わにしているが、「日本軍の命令」により命を絶たれた子供が補償されていることを考えれば、大城氏の受けた障害が補償されなかったのは他に理由があったのではないのか。

■戦後46年経ってから「援護法」を申請■
「援護法」の適用に関し、ここで二つの疑問が生じてくる。 

第一の疑問は、大城氏は1977年、沖縄戦の負傷者に「援護法」により障害年金が適用されることを知ったというが、その時は既に終戦後32年も経過しており大城氏のような重篤な障害者ににしては知った時期があまりにも遅すぎる。
戦後大阪に在住した時期があり、そのため知るのが遅かったとも考えられるが、大阪とはいえ大城氏が住んでいた大正区は沖縄出身者が多く住み、沖縄人の情報ネットワークが濃密なことで知られた地域。 大城氏は日本兵の暴行による右目失明と右足の障害のため良い仕事につけず苦労したというのが事実なら、何故自ら障害の補償に関する情報を求めなかったのか。 大城氏の場合は歩行障害と失明という他人が容易に識別出来る障害なので、仮に自ら情報を求めなくても、大阪の濃密な沖縄人コミュニティーの知人縁者や、沖縄の親戚から「援護法」の情報を知らされていてもおかしくはないはずだ。 重い身体的ハンディを抱えながら、何故、戦後半世紀も経過するまで「援護法」適用の申請をしなかったのか。 百歩譲ったとしても申請のための情報を得る努力をしなかったのか。

さらに不可解なのは、大城氏が「援護法」の適用を申請したのは、「援護法」の存在を知った年(1977年)から遅れること更に14年も経過した1991年になってからという事実である。(『母と子でみる44 ガマに刻まれた沖縄戦』)) 
したがって大城氏が実際に申請したのは、戦後というより沖縄が返還されてから既に19年も経過してからである。
このように仕事にも影響のある重大な障害を抱えながら、「援護法」の申請を長期にわたり放置していた理由は一体何であったのか。

■得られなかった現認証明書■
次の疑問は、大城氏は、「援護法」申請のために2815人の署名を持って厚生省を訪れているが、申請手続きには一枚の現認証明書があれば済むことであり、大人数の署名など必要ないはずだ。
「援護法」の申請手続きに必要なたった一枚の現認証明書が得られないので、本土各地で行った千回以上の講演会で得た署名で現認証明書に替えようとしたのではないか。   

署名を持って大城氏は日本兵の暴行による失明を「援護法」にもとづく障害年金の適用を求めて申請したが却下され、異議申し立てをしていたのだ。

■故郷沖縄で講演を避けたその訳は■
ここで、朝日新聞記事「75歳語り部 来年引退」を振り返ってみると、次のような記述がある。

<以来、講演は1230回を超えた。語り部は多くが沖縄在住で旅行客が相手だが、兵庫県在住の大城さんは主に本土で沖縄戦を語り続けてきた。>

沖縄は「平和教育」の盛んな地域であり、講演会やその他の手段で日本軍の住民に対する残虐行為がことさら誇張されてきた。その意味ではオカッパ頭で女装した少年が日本兵の暴行で失明し、手足に不自由をきたす障害を受けたのなら、こんな絶好の「平和教育」の題材はないはずだ。

だが、大城氏はまるで故郷沖縄での講演を避けるように、主に本土で講演会を行っている。
一方沖縄では一冊の出版物もなく、引退前の故郷での講演会も那覇市などの沖縄本島ではなく、石垣島だけの一回限りだということに疑念は更に深まる。
大城氏も地元新聞も一体何を恐れているのか。
まるで大城氏は何か写真の「少女」と現在の自分の関係で知られたくない秘密を持っており、そのため故郷での講演会や自伝等の出版物を避けているのではないのか。

■「悪逆非道の日本兵」ではなく「残酷な戦争」■
 冒頭に引用した2008年6月23日付「朝日新聞」夕刊の一面トップを飾った「残酷なのは戦争」という大見出し再度戻る。 

記事を見たときからこれが心にひっかかっていた。
 この見出しで係争中の裁判で行われた論点のすり替えが脳裏を過ぎったのだ。
 
「集団自決訴訟」で、当初は慶良間島の両戦隊長が「自決命令を下したかどうか」が争点だと思われたが、両隊長の「命令又は強制」の存在が証明されないと分かると、被告側は一転して戦隊長個人の問題から日本軍全体の責任に論点を摩り替えた。
 
大城氏の受けた日本兵による暴行に話をもどすが、人間はそんなに寛大になれるものだろうか。

  友軍のはずの日本兵に壕を追われ、食料を強奪され、更に失明と歩行障害を患うほどの暴行を受けているのだ。

それだけではない。 

大城氏の母親は身に覚えのないスパイ容疑で日本軍に虐殺されたという。大城氏が日本軍から受けたこのような理不尽な仕打ちに対して、せめて戦後の日本政府が「援護法」等の適用で報いてでもおればともかく、それさえも非情に却下されているではないか。

大城氏が日本軍に対して恨み骨髄に達したとしても不思議だとはいえまい。
 
ところが朝日記事には大城氏のまるで神か仏のように寛大なコメントが掲載されている。

「でも私が本当に訴えたいのは日本軍の残酷さではない。彼らにそうさせた戦争が、残酷なのです。ベトナムもイラクもそうです」と。

この大城氏の言葉は果たして大城氏の本心なのだろうか。
 「集団自決訴訟」の例と同じように、大城氏の場合も「事実として証明できないもの」の存在で、

やむを得ず恨みのターゲットを「悪逆非道の日本兵」から「残酷な戦争」にすり替えたのではないのか。

いや、論理は「集団自決訴訟」の場合より更に大幅にすり替わり、焦点は「日本兵」から「日本軍」を飛び越えて「戦争」へと拡散している。

そして論理のすり替えは、大城氏が被害を被った「沖縄戦」から、更にベトナム戦争、イラク戦争と「戦争一般」にすり替わっているではないか。
 大城氏は寛容にも、自分を失明させ足を骨折させ、さらには実母を虐殺した日本兵の残酷さを許し、戦争そのものの残酷さを訴えているのだろうか。 

■「うつろな目の少女」の真相を■
果たして「うつろな目の少女」は、間違いなく大城盛俊氏その人なのか。それにしては、あまりに当人の語った戦時中の証言に致命的とも言える矛盾が存在する。

これまでに全国で1230回を超える講演を行い、数十万の日本人に語りかけ、今年、その講演活動にピリオドを打つという大城氏には、「沖縄戦の語り部」として、「うつろな目の少女」にまつわる真相を語る責任がある。(完)

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

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米軍基地の現場から、ネット復活しました

2010-02-23 08:17:23 | 普天間移設
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昨日2月22日、約三週間振りに、やっとネットがつながりました。

長年利用していた某地元プロバイダーを当てにしてギリギリまで待ったのが徒となって、新規プロバイダーに切り替えたたら結局3週間のネット無し生活となった次第。

その間は時々ネットカフェ難民となって、一週間分程度まとめて時間差更新をしたことは前にお知らせしたとおりです。

そのため記事の鮮度が落ちて、皆様にご迷惑をおかけしたことをこの機会を借りてお詫びいたします。

また過去記事等の予約エントリーでお付き合い戴き、コメントまで頂戴した読者の皆様には深く御礼申し上げます。

長期間ネットを遠ざかっておりましたが、その分今後は張り切ってエントリーしたいと思って頑張りますので変わらぬ応援お願いいたします。

自公が応援した長崎県知事が圧勝し、国民の怒りが心頭という結果なのでしょう。

2月28日は、問題の石垣市長選ですが、これまで大浜市長を支持していた公明党が新人の中山候補の支持に鞍替えし、自民、公明vs民主、社民、共産、社大(ローカル党)という戦いになって、長崎県知事選と同じ構図になっています。

当日記は、ネット復活と同時に大浜市長5選を阻止するため、中山候補を応援して行きたいと思います。

                     ◇

ほかにも、今朝の沖縄タイムス社説は長崎県知事での民主党推薦候補の大敗を取り上げ、「[民主党敗北]新政権が漂流し始めた」というタイトルで民主党批判を展開している。 縁側さんのコメントにもあるように、最近の沖縄タイムスは一体どうしちゃったのだろうか。 

折角、ブログネタにするため琉球新報から切り替えたのに、当日記と同じ主張の社説を書かれたのでは困惑してしまう・・・。

                    ◇

さて、体勢を立て直して、沖縄タイムス2月15日付特集記事より、「辺野古反対」は「見返り金約1000億円の喰い逃げ」と言う話題を。

稲嶺新名護市長や「辺野古反対派」は、既に支払済みの国民の血税約800億円を国庫に払い戻してから反対すべきである。


安保改定 米軍基地の現場から

『基地とリンクしない振興策を考えていく

国内外から注目を集めた1月の名護市長選。 米軍普天間飛行場移設に反対の稲嶺進氏は、空き店舗が目立つ商店街での演説でそう訴え続け、勝利した。 

稲嶺氏が指摘する「基地とリンクした振興策」とは、1999年に政府が普天間飛行場を受け入れた名護市を含む本島北部一帯の自治体を対象にした「北部振興策」だ。過疎化が進み、中南部より振興が遅れているための経済基盤整備と政府は説明したが、実際は普天間受け入れの「見返り」であることは明白だった。 

当時は10年間で1000億円を拠出する予定であったが、実際は8割弱に止まった。 名護市には230億円が投入され、多くがハコ物建設に消えた。 

市の2005年度失業率は12・5%。2000年度より2・5%悪化した。市民一人当たりの年間所得は1999年度の202万円から2006年度には188万円と14万円も減った。現在、商店街の空き店舗率は20%近いとされる。

「振興策」の効果を実感する市民は少ない

普天間移設が浮上した1997年前後から市の基地関連収入が増加、2001年には90億円を超え、歳入全体の3割近くを占めた。国策の「アメ」が地方自治に染み込んだ。

「過去10年で大施設がどんどん完成するのを見て名護も発展していると信じていた。しかし、店の売り上げは落ちる一方で地域から人の姿も減った」

そう振り返る自営業の山城義和さん(55)。地域振興のための基地受け入れは仕方がないと考えていたが、今回の市長選で初めて基地反対の稲嶺氏に投票した。振興の効果を実感できなかったためだ。

中部の北谷町で1980年代に返還されたハンビー飛行場(約43㌶)やメイモス

カラー射撃場(約23㌶)は、若者が集まる人気の商業地に変身した。町の算出ではハンビー跡地は91~2002年の間に約1700億円、メイモスカラー跡地は1996年~2002年の間に400億円の経済効果を生んだ。

地域事情に違いがあるとはいえ、北谷町の例は基地経済からの脱却が夢物語ではないことを証明した。

基地に頼らない振興策をどう打ち出すかは容易ではないが、新生名護市にとって最大の課題といえる。

 

                     ◇

国民の生命と財産を護るため同盟国アメリカと交わした日米安保の基に設置された米軍基地。 

地域住民の反対があるからといって、米軍基地を産廃場や原発とを同じ土俵で論じる愚かさはさておいても、反対する住民に対して国ができる唯一の補償が「迷惑料」としての金銭補償であることは論を待たない。 

これは自治体の都市計画による立ち退き料に相通ずるものがあるが、国や自治体にとっては反対する住民の声が大きければお大きいほど補償額が大きくなるというジレンマがある。


普天間基地は住宅密集地に隣接しているという理由で、とにかく普天間住民を危険から緊急避難させるというのが、普天間移設の発端であった。 日米合意は14年にわたる日米の模索の結果辺野古決着をしたはずだった。

だが、当然のように起きてきた辺野古反対派の意見には当初の普天間住民の緊急避難の視点が完全に欠落している。


辺野古に決定した時名護市のある沖縄北部地域には10年間で1000億円が「迷惑料」として約束され、その80%以上は既に支払われているという。

上記引用の沖縄タイムス記事では名護市内のシャッター通りの写真を載せて、基地関連の収入があっても名護市の経済には何の貢献もしておらず、むしろ以前より雇用率等の経済指数は悪化しているとしているといった印象操作記事を書いている。

いやむしろ1000億円近くの収入があったため、それが住民に害毒を与えたかのような印象さえ与えている。

だが、駐車場のない旧市街地が、近隣の駐車場完備の大型店に客を奪われシャッター通り化していくのは何も名護市に限ったことではなく、全国いたる所で見られる現象である。

名護市の旧市街の凋落振りとは対照的に、名護市北部の為又(びーまた)界隈の国道沿いにはジャスコや地元の大型スーパーサンエーを筆頭に、ガストやマクドナルドといった大型外食産業が軒を連ね、旧名護市街の閑散とした風景とは対照的に別世界のような賑わいを呈している。

このような駐車場のない旧市街地に比べて近隣の駐車場つき新開地が賑わう例は、かつて殷賑を極めた沖縄市に対する、泡瀬地区やうるま市、或いは国際通り地区に対する新都心おもろ町といったように時代の流れを反映して地域の栄枯盛衰がありうる。 

名護市の旧市街地のシャッター通り化を専ら基地関連収入のせいにするのは見当違いであろう。

又上記タイムス記事では解放された米軍基地の成功例ととして茶谷町の例を挙げているが、

確かに北谷町のハンビー飛行場跡地の商店街はオープン当初地元の若者を始め観光客も含めて、大盛況の感があった。

だが、那覇の新都心が解放され、うるま市が積極的に大型店を誘致し始めた昨今では、日祭日には賑わうこともあっても、平日は人通りもなく閑散とし、転廃業する店も続出している。

結局、米軍基地を解放しても大型スーパーやコンビニ、居酒屋やファミリーレストランしか誘致できないようでは同じパイをよりり多くの競争者が奪い合うことになる。 米軍基地を解放すればするほど共食い状態になるのが目に見えている。

つまり基地の「迷惑料」をもらっても持続的経済効果を期待できないというのは、資金を運用する住民側の問題と、今日本全国を覆っている不況の影響であり、基地の見返り金であるが故に経済効果がないという主張はいいがかりといわれても仕方がない。金に印がついているわけではなくそれを使いこなす側の資質の問題なのである。

ちなみに上記記事にある「北部振興策」とは1999年12月、名護市の米軍普天間飛行場受け入れ表明を受けて閣議決定した基地の「迷惑料」であり、

10年間で総額1000億円投じる計画で、その80%は辺野古移設の前に、すでに支払い済みである。

2006年に同閣議決定は廃止されたが、北部振興策は地元の要請(沖縄の思い)で続行され、期限切れが迫った09年、鳩山政権は当面の継続を決め、今後も例え移設先が県外移設でも支払われるという。

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米国の国防戦略見直しQDR

2010-02-21 00:18:52 | 普天間移設
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米国防総省は1日、米国の安全保障戦略の指針となる「4年ごとの国防戦略見直し(QDR)」を発表した。

その内容を見て最も大きなショックを受けたのは、ほかならぬ我が鳩山首相であろうと書いた。 
日米と国は違っても、同じ名前の民主党のオバマ大統領が、就任以来リベラルな雰囲気を漂わせ、「チェンジ」を合言葉にしていただけに、鳩山首相は米国の従来の対中政策にも大きなチェンジを期待していた。 そのため、「対等な日米関係」の幻想に捉われ、米国一辺倒の日米安保の見直しを主張し、その一方で「東アジア共同体構想」をぶち上げて、普天間移設では迷走を繰り返してきた。
そしてオバマ大統領が、核軍縮を唱えノーベル賞を受賞した時点では、鳩山首相の友愛幻想が日米中の三国の間にも実現しそうな気配であった。

中国は米国の従来の対中政策では仮想敵国の扱いであり、2001年のQDR2001では「不安定の弧」、2006年のQDR2006では、「戦略的岐路にある国」として、中国を潜在的脅威とし
て軍事的抑止を行ってきた。

それに対して、オバマ政権は中国に急接近の態度を見せ、米中の共同覇権(G2体制)による米中安全保障の噂さえ流れるほどで、一部には「ジャパンパッシング」の懸念も持ち上がっていた。
鳩山首相の友愛幻想によれば、米中が友愛によって手を握ってくれれば台湾海峡の緊張も緩和され、普天間基地の米海兵隊が辺野古に移設する根拠は消滅してしまう。 
そうなれば普天間基地も晴れて県外の何処かに膨大な持参金を付けて移設すれば一件落着だと考えていたのだが、今回のGDR2010の内容は中台紛争を想定しており、鳩山首相が密かに期待していた友愛幻想を見事に打ち砕いてしまったのだ。

オバマ大統領がブッシュ前政権からゲーツ国防長官を引き受けた時から、米国の対中安全保障政策は前政権を基本的には引き継ぐものと思われたが、果たせるかな今回のGDRでも、中国は依然としてアメリカにとって潜在的脅意威として位置づけられている。
その根拠として、QDR2010は、中国の軍事力拡大の意図の不透明性、弾道・巡航ミサイルや潜水艦、サイバー戦、高性能戦闘機あるいは対衛星兵器等を挙げている。

GDR2010では中国の脅威に対して多くの対抗手段を表明しているが、普天移設に関連するものを抜書きすると、先ず中台紛争のシナリオを検討し、中国をいかに押さえ込むかが課題とされている。
ということは沖縄の米軍基地の位置付けは従来と「変化なし」ということになり、普天間を基地とする米海兵隊の重要性は従来と変わらないということになる。
従って、基地に隣接する普天間住民の危険除去を当面の最重要課題と考えるなら、「辺野古以外に選択肢がない」という米側の主張に繋がってくるのである。

2月9日の沖縄タイムス社説は、「稲嶺名護市長就任 政府は断念を明言せよ」という見出しで「辺野古移設」を断念せよと、力説している。

沖縄タイムスを筆頭に県外移設を主張する論者の中には、戦争の形態が変わってきたので、米軍基地はグアム、やハワイに引き払ってもらい沖縄に軍事基地の必要性はないと主張するものもある。

普天間基地には米海兵隊が駐屯しているが、海兵隊の機動性は有事の際、いち早く目的地に移動するその敏速性にあり、抑止目的の地域を遠く離れた地域に駐屯していてはその機動性が有効に働かない。
海兵隊が紛争想定地にいち早く駆けつけるためには駐屯する場所が問題なのである。 

台湾で紛争が起きた場合沖縄から台湾へは1日で展開できるが、県外といっても例えば富士へ移設した場合、3日はかかる。 これではいち早く現場に駆けつけると言う海兵隊の最大のミッションを果たすことはできないことになる。

いくらネット技術が発達しても、A地点からからB地点へ人間や物資を移動させる手段はヘリや艦船とという極めて原始的手段でしか実行できないということを県外移設論者は考慮に入れていない。 

ごく普通の家庭の主婦がキャッシュディスペンサーを使って沖縄から北海道の企業にオンラインで送金できる時代に、先端技術が集積する軍隊では物資や兵員の移動に艦船や航空機といった1世紀前の機器によらねばならず、IT技術の飛躍的発展にもかかわらず人類は「距離の克服」にまではいたっていない。

オンライン的に人間や物資が瞬間移動できるのは現在のところSF映画の世界だけだと言うことを、県外移設派の論者は認識すべきである。

オバマ政権の「対中国安全保障政策」は「チェンジ」ではなく、前政権を受け継いだ「アンチェンジ」であった。 これで「現行案以外の決着を5月末までに」と豪語した鳩山首相の選択肢はますます狭まってきた。

 

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幹事長という隠れ蓑

2010-02-20 00:05:29 | 県知事選

 

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幹事長という隠れ蓑

小沢民主党幹事長は「政治と金」の疑惑を巡り衆院政倫審への出席を拒否するという。

その理由が特捜部で「嫌疑不十分」で不起訴になったことで、「強制力をもった検察の捜査に勝るものはない。その結果、不正はないことはあきらかになったのだから、国民ははっきり理解していただける」と言うのだから呆れ返って言葉を失う。

何より第一に、以前はあれほど特捜部の捜査に異論を唱えていた小沢氏が不起訴となったとたん「検察の捜査に勝るものはない」と豹変するのはさておいても、

法律と証拠により立件する検察が今回「嫌疑不十分」としたのは、市民団体の告発に限っての確定的証拠が見つからなかっただけで不起訴になったわけであり、他の続出する疑惑について青天白日の元無罪放免になったとは国民は考えていない。


しかも告発者の市民団体は引き続き検察審査会に起訴を申し立て中であるので、本件が起訴されることは事実上確定している。

小沢氏は特捜部の不起訴を理由に「国民ははっきり理解していただける」と公言しているがアンケートによると90%の国民が「説明不足」と訴えている事実をどう捉えているのか。

自分の都合のよい時は「検察に勝るものは無い」とするが、そもそも国会議員たるもの民意で選ばれたわけであるから、検察の不起訴はともかく90%の国民の説明要求があれば国会で国民に説明するのが国民に対する最低の義務ではないのか。

国会討論を見ていて国民の多くは靴の上から足をかく苛立たしさを感じたであろう。

特捜部の不起訴処分にも関わらず次々と噴出する「小沢疑惑」について野党議員が追及してもこれに答えているのは小沢氏本人ではなく赤の他人の鳩山首相である。

首相本人の疑惑に対してさえノラリクラリとまともに答弁できない首相が他人である小沢氏の疑惑に答えても国民の理解を得られるはずは無い。

「小沢疑惑」に対する国民の苛立ちが益々増大するのは、国会で議員の質問に議員である小沢氏が直接答えないというこの不可思議なシーンのせいである。

小沢氏は与党の幹事長であり民主党最強の実力者ではあっても、鳩山内閣の閣僚でもなければ政府高官でもないため、国会法によれば小沢氏に関する質問をしても小沢氏に直接質問することはできないという。

なるほど、小沢氏が自民党時代から大臣や内閣の役員になるのに消極的で、どちらかというと表に出ない幹事長という党務の役職を好む理由がここにあった。

小沢氏の政治倫理によれば法に触れさえしなければ何をやってもよいわけで、疑惑があっても「嫌疑不十分」で立件されなければ、政治倫理や道徳的倫理を国会で追及されるいわれはないのである。

したがって今回の政倫審の出席要請や国会への参考人招致に応じる気はさらさらないのである。

勿論テレビの政治討論番組に小沢氏が出演するはずは無く、テレビでは小沢氏の腰巾着と化した細野副幹事長の必死の弁護に任せておけば済むことである。

記者会見で第四の権力と言われるマスコミが国民を代弁して疑惑を問い正せばよいという向きもあるが、

ぶら下がりの記者は新人が多いとのことで、「天皇の政治利用」のときでも自分の憲法解釈のデタラメさは棚に上げ「君達!憲法を読みなさい!」と記者たちを恫喝して沈黙させる有様である。

一般の人なら起訴されなれなければ一応推定無罪ということができるが、公人である国会議員は、たとえ不起訴になったとしても、国民の大多数が疑惑を持っておれば、これに対し説明する責任がある。

 
そのとき国民に代わって質問するのが国会議員のはずなのだが、小沢氏は幹事長と言う「鉄の隠れ蓑」で防護され国会質問や政倫審にも答えなくて済むし、参考人招致も多数与党の論理でこれを拒否できる。

では不起訴処分を受けた小沢氏をもはや追及する術はないのか。

いや、ある。

国民が民主党に投票した愚かさから覚醒し、民主党の支持率を下げることである。

民主主義という厄介なシステムは「国民はバカだ」と言う言葉を死語にしつつある。

何故なら政治家がこの言葉を口にした瞬間、図星を突かれたバカな有権者のバッシングを受け政治家としては命取りになる。 

マスコミも「国民はそれほどバカではない」とは言っても「国民はバカ」だと口に出す勇気は持ち合せていない。

だが、国民は時々、いや頻繁にバカな行為をするということを政治家もマスコミも心の中では織り込み済みなのが民主主義なのである。 

ドイツ国民は民意でヒットラーを育てた。 だが我が国がナチス政権の轍を踏まないためには、「小沢独裁」に一刻も早く終止符を打つことである。

ヒトラーは独裁者に上り詰めていく過程で「ドイツ国民はバカだ」と何度も心の中で繰り返したであろう。

 

■天皇の気持ちを勝手に忖度する小沢氏の不遜な天皇観

当日記で再三小沢民主党幹事長の専横はは鳩山政権をヒトラーのナチ政権並みの独裁体制にする危険があると書いてきた。

中国のナンバー6である習金平副主席の天皇拝謁に関わる「政治利用問題」が起きたとき、小沢氏の記者会見での記者たちへの恫喝するような発言は自分の天皇の国事行為についての憲法に対する無知と共におくが、その中で発せられた次の言葉は決して看過できるものではない。

天皇会見に関する「一か月ルール」を破ったことに関連して、小沢氏はこう言い放った。

「天皇陛下ご自身に聞いてみたら『それは手違いで遅れたかもしれないけれども会いましょう』と必ずそう仰ると思うよ」

戦前の軍部が勝手に「天皇ならこう考えるに違いない」と、天皇の気持ちを勝手に忖度し、暴走したことは記憶に新しい。

憲法も知らなければ歴史にも無知な小沢氏は戦前の「天皇の政治利用」の歴史も知らずに、畏れ多くも天皇の気持ちを忖度すると言う不遜な発言をしたのだ。

2・26事件の若手軍部は、「天皇の大御心はこうに違いない」と忖度して国家に反乱を起こしたが、その結果天皇の怒りをかった。 勝手に天皇の心を忖度し、それを政治利用する恐ろしさを小沢氏はどのように考えているのか。

この発言一つをとっても小沢氏が、天皇を自分の政治的道具としか見ない小沢氏の天皇観が良く分かる。

小沢氏が国民の圧倒的支持を受けた政権与党の実力者なら天皇を自在に自分の政治目的に利用できるものと言う不遜な考えを持っていることが明らかである。


このような人物が巨大与党で圧倒的権力を握っていることは日本の将来にとって真に不幸なことである。 一日も早く小沢氏を権力の座から引きずりおろすことに同意する方、


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続・沖縄タイムスの「声」、本土活動家らしいバカ左翼

2010-02-19 00:01:33 | 普天間移設
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昨日に続き沖縄タイムスオピニオン欄に掲載された「声」シリーズで、「沖縄の真実の声」と、その投稿者が怒りを露にする対照的な「左翼活動家の声」を紹介したい。

沖縄利用する活動家に怒り

大城司 38歳

沖縄に生まれると年がら年中基地問題で争いが絶えない。 これが地元だけかというと、県外の過激な活動家が移住し地元住民を統括している。今沖縄は、全国の活動家の反政府・反米闘争のシンボルとしても活用されている。 私はこのような沖縄を利用した平和運動という名の過激な闘争にうんざりするし怒りを覚える。
ある牧師は車の下にスライディングをし逮捕された。 不当逮捕だそうだ。 ネットで映像もあるので確かめてほしい。明らかに危険な行為でかなり暴力的だ。 
東村のヘリパッドでは、8歳の子が名指しされた住民が訴えられたと騒いでいるが、親ならこのような純粋な子を政治利用するなとあきれるばかりだ。 
スクラムを組み過激な罵倒と妨害行動である。どこが一般住民だろうか。明らかに百戦錬磨の過激な活動家によって指導を受け実践されている。綺麗な海と人情あふれる島でありながら、県外から恐れられかねない実態がそこにある。沖縄はいつまでもイオデオロギーの場として使われるのであろうか。(沖縄市))


引続き沖縄タイムスのオピニオン欄の読者の「声」の紹介だが、沖縄市の大城司さんが怒りを露にする本土活動家らしき人物の「声」を紹介する。

「危機」感じる反戦住民逮捕  K・Y(女性)  47歳

この国は変だ。 2003年に東京都杉並区の公園トイレに「戦争反対」「反戦」等を書いた一人の若者が、器物損壊容疑で逮捕された。トイレの落書きくらいで逮捕だなんて、考えられない。04年には反戦ビラ配布のため立川自衛隊官舎内に立ち入った3人が、住居侵入の容疑で逮捕・起訴され、有罪判決が確定。 住宅の郵便受けにビラが入っているのも、普通のことなのに。
県内でも06年、名護市教育委員会が普天間飛行場代替施設建設に伴う兵舎移転のための移転候補地の文化財調査を行おうとしたところ、調査の車を止めようとした市民が公務執行妨害容疑で逮捕された。 そして今度は、防衛省が東村高江のヘリパッド移設反対運動
を続ける住民を提訴した。 
戦争や戦争につながることに反対すれば、逮捕されたり裁判に訴えられる。 こんなこと、おかしい。この国は、どこに向かおうとしているのだろうか。(那覇市、会社員)

                    ◇
本土風の苗字のK氏は、さかんにこの国はおかしいと連発しているが、この国は法治国家であり、法律を犯したら逮捕されたり裁判にかけられるのは当たり前のことである。

それをおかしいというこの女性こそおかしいのではないか。

なによりこの女性、「平和」とか「反戦」を口走りさえすれば何をやっても許される、と錯覚している典型的な「プロ市民」のようだ。

本土左翼活動家を自称する「きゃすっち」さんのブログには、この様な本土活動家が次々と沖縄に移住して「バカな沖縄人」を扇動していると書いてあるが、この女性もきっとお仲間の左翼活動家なのだろう。

それにしてもこのレベルの左翼活動家に洗脳される沖縄左翼はよっぽどバカなのだろう。

さらにこれを掲載する沖縄タイムスは、このような「プロ活動家」の低レベルな「声」が返って沖縄左翼の評判を落とすことになることに気がついているのであろうか。

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沖縄タイムスの「声」欄より

2010-02-18 00:15:10 | 普天間移設
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ネットを遠ざかって何日だろう。

久しぶりのネットカフェよりのエントリです。

ネットの接続は23日の予定ですが、これも実現しなければ分からないとは情けない原状です。 引越しにトラブルは付き物とはいえ、今回の一ヶ月にも及ぶネットの不具合には又しても腹の虫が・・・・今日は止めておきましょう。

                        ◇

                      

最近の沖縄タイムスは民主党の迷走にあきれ果てたのか、それとも破れかぶれなのか、タイムスには珍しくオピニオン欄の読者の声にもまともな意見を採用し始めている。

2月14日の同紙に良識ある読者の声が掲載されているので紹介する。

小田原評定を危ぶむ普天間

崎浜秀治 74歳

もうみたくもない顔写真が連日紙面・テレビをにぎわしている。 いかにもニヒルな顔である。 「普天間飛行場問題ゼロベースで検討」「選択肢がなければ継続使用も」『与党三党の合意・地元の受け入れの合意・米国の合意」「あの辺野古の青い海・・・」いずれも一般論である。
喫緊に迫った危機感がない。 普天間問題は同地域の超危険をとりあえず除去するためにとった一種の「緊急非難的措置」として、日米両国で合意したのが名護市辺野古辺沿岸への移転であった。 単なる「案」なのではなく、決定し進ちょく中の事業であった。両国間の「合意事項」は国際条約に準じて尊重されるべきである。 これが国際外交のイロハであろう。
合意事項が杜撰(ずさん)なもので不備だらけ、更に代替案がそなわっていれば再考を申し入れてよかろう。時間をかけいろいろ検討した結果苦肉の選択であったはずだ。米軍基地の理想的ありようについては、日本国憲法を改正し真に独立国の体裁を整えてから考えてよい。小田原評定になってしまわねばよいが。(那覇市)

                     
投稿者の崎山さんが「もう見たくもない顔」というのは、おそらく爬虫類のように無表情な顔で連日迷走発言を続ける鳩山首相のことだろう。
鳩山政権が同盟国との13年にも渡る日米両国の模索の末に合意した結果をいとも簡単に反故にする理由は、その内容の是非を考慮することなく、前政権の踏襲はしないという単純な理由からであった。 否、踏襲どころか後先も考えず、前政権が決めたことはとにかく否定しておきたい、・・そうすれば国民は新政権をよりいっそう支持すると安易に考えたとしか思えない。

その子供じみた行為が結局ブーメランとなって鳩山政権を窮地に追い詰めているのだから皮肉なものである。

上記投稿者の崎浜さんがいみじくも指摘するように、日米合意での辺野古移設案が不備だらけの杜撰なものであり、更に代替案が備わっているのであれば米国新政権の「チェンジ」の旗印の下に普天間移設先を再検討しても良かった。

更に付け加えると、日米関係に対等な関係を望み米軍基地の撤廃を主張するのなら、改めて別の土俵で自主防衛を議論しアメリカの核の傘を離れて真の独立国としての体裁を整えてからでも遅くは無いはずだ。

2月15日の沖縄タイムスは「県外・国外を求める」ことが民意だとして「民意をぶつける時機だ」という社説を書いてているが、国防に関する決定事項は一地域の民意を最も反映し難い国の専管事項である。

一部に民意を無視して辺野古に決定したら、成田闘争の二の舞になるので事実上辺野古は不可能だという意見があるが、成田空港設置は国の交通問題ではあっても国防上の問題ではなかった。 

国民の命と安全に最も関わる国防問題と交通問題とを同じ次元で論ずるのは国民が平和ボケした証拠である。
それに沖縄で報じられている「民意」が一部本土活動家達の扇動であることは、沖縄では今や公然の秘密になっている。

辺野古に決まって、仮に成田闘争に倣って「辺野古闘争」が起きたとしても、過激派が陸路を利用して成田に集結した「成田闘争」と違って陸路は利用できず、空路と海路しかない沖縄の辺野古に全国の過激派が集結するには空港と港を封鎖されたら不可能に近い。

辺野古に決定しても国が本気で国防を考えるなら決して成田の二の舞を演じることはない。

 

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3・オカッパの少年の正体 沖縄タイムスがスルーした理由は?

2010-02-17 00:13:26 | オカッパの少年
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■却下された「援護法」適用■

大城少年が捕虜収容所の診療所で傷の手当てを受けた後、軍病院に一週間ほど入院させられ右肩の脱臼や眼の治療などを受け養父母との再会も果たすことになるが、その後大城氏が視力を失い歩行困難になる経緯が『沖縄戦を生きた子どもたち』(大田昌秀著 (株)クリエイティブ21 2007年)では、次のように記されている。

<こうして、約一か月後には眼帯も外せるほど回復したのですが、視力は二度と戻りませんでした。養父が二世の通訳兵を通して米軍の医者に訊いたところ、もはや眼は完治できないとの返事だったようです。しばらくして後頭部の傷もいくらか良くなったけれども、不自由になった右足の傷は完治せずに足を引きずって歩く始末でした。>

この記述が正しいとするならば、大城氏が右目の視力を失い、歩行障害を自覚したのは、戦後になってからではなく日本兵の暴行を受けたほぼ一か月直後のことになる。

さて、戦後の大城氏の居住地はめまぐるしく変わる。 

1951年、大城氏は大阪にいた実父に呼び寄せられ大阪での生活を始めるのだが、1970年に、米軍の爆撃で戦死と聞かされていた実母が、実はスパイ容疑で日本軍に斬殺されていたと聞かされる。

沖縄が返還された3年後の1975年、大城氏は沖縄に戻り与那原町でクリーニング業を始める。更に1991年、大城氏は沖縄の家を引き払って大阪の大正区に移転する。 ところが1995年の阪神大震災で自宅が全壊する災難に遭い、以後兵庫県伊丹市に転居する。


その間、沖縄に戻った二年後の1977年、沖縄戦の負傷者に「援護法」により障害年金が適用されることを知る。  だが大城氏は「援護法」の存在を知って直ちにその適用を申請したわけではない。 大城氏はそれから14年も経った1991年になって初めて自分が受けた障害の「援護法」適用を申請するが、その時は「右眼の失明が沖縄戦で被った障害であることを誰か証明する人がいなければ受け付けることは出来ない」と門前払いを受けている。大城氏が沖縄戦の講演会を始めたのは「援護法」適用を却下されたことが動機だというが、これが事実だとしたらこの頃から講演を始めたことになる。

<それ(却下)以後、大城さんは年金受給の対象資格を勝ち取る運動と同時並行して、沖縄戦について語り始めるようになりました。(『沖縄戦を生きた子どもたち』)>「

申請を却下された直後の1991年から講演を始めたとしても、2007年の琉球新報の取材を受けた時点では講演は16年間続けたことになり、新報記事の「(講演は)23年で1120回を数える」という記述と矛盾が生じる。 さらに『沖縄戦を生きた子どもたち』の別の記述によると、1988年に「まず最初に小中学校の生徒たちに語り始めた」とあり、講演は新報取材の時まで20年間続けたことになる。 大城氏の証言はこのように取材メディアによってまちまちで、同じ本の記述でも齟齬が多い。

<こうして、「沖縄の語り部」として大城さんの新しい人生が始まることになります。それ以後、大城さんは年金支給の対象資格を勝ち取る運動と同時並行して、沖縄戦について語り始めるようになりました。>(『沖縄戦を生きた子どもたち』)

■39年ぶりの自分の写真に遭遇■

1984年、大城氏は腎臓病で那覇の病院に入院中に、偶然に『これが沖縄だ』の表紙に掲載されているオカッパ頭の自分の写真に遭遇する。 『沖縄戦を生きた子どもたち』の記述によると、その4年後の1988年に「まず最初に小中学校の生徒たちに語り始めた」とある。従って大城氏の講演活動は沖縄でスタートしたことになる。

 

沖縄出身の筆者がこの「少女」が実はオカッパ頭の少年であったという事実を初めて知った2007年8月当時の沖縄は、「9・29教科書検定意見撤回を求める県民大会」(「11万人」集会)を目前にし、地元紙が沖縄戦の証言者を連日のように紹介し、「悪逆非道の日本兵」を喧伝するキャンペーンが真っ盛りの時期であった。

沖縄中が反日本軍キャンペーンに熱気を帯びている最中に、大城氏は地元紙の取材を受けるため伊丹市からわざわざ沖縄を訪れ驚愕すべき証言をしたのだ。にもかかわらず、「悪逆非道の日本兵」を印象操作に必死の沖縄地元紙が、その時大城氏に一回の講演もさせずに伊丹市に戻しているのはいかにも不自然だった。

60数年前に米軍によって撮影された有名な「少女」の写真が撮られた経緯を、そのときの琉球新報は次のように報道している。


<教科書の嘘許さず 大城さん、憤りで声震わせる

「うつろな目の少女」と題し、大田昌秀著「これが沖縄戦だ」(1977年出版)の表紙写真で紹介された兵庫県伊丹市の大城盛俊さん(75)=旧玉城村出身=が来県、高校歴史教科書検定で沖縄戦の「集団自決」に関する記述から日本軍の強制が修正・削除された問題で、「沖縄県民はもっと怒って立ち上がらなければ」と訴えている。……表紙の“少女”の正体が大城さん。当時12歳で、育ての父に「男の子は兵隊にやられるから女の子になりすましなさい」と言われ髪を伸ばした。……

 5月下旬、日本兵が入り込んできて「食料をよこせ」と銃を向けた。彼らは黒砂糖が入った大城さんのリュックサックを取り上げようとした。大城さんが「取らないで」とお願いすると、「生意気なやつだ」と壕の外に引きずりだし、激しく暴行。硬い革靴でけり飛ばされた大城さんは気を失った。殴られた右目は失明した。>


大城氏は1983年、喉頭がんで声帯を失ったが、人工声帯で沖縄戦の実相を全国各地で語り続け、講演は「23年で1120回を数える」と記事は結んでいる。

■疑惑の「少女」■

記事を見て「少女」の正体がオカッパをした少年であったことに驚いたが、驚愕と同時に幾つかの疑念が暗雲のように胸中に湧くのを抑えられず、素朴な疑問をブログに書いた。

その時の疑問を整理すると次のようになる。

①日本軍の残虐性を象徴するような、「少女」に暴行を加え失明までさせるという沖縄紙にとってオイシイ事件を、地元紙は何ゆえこれまで報じてこなかったのか。

②琉球新報は、このような悲劇の主人公とインタビューをしておきながら、何故大城氏に一回も沖縄で講演をさせず返しているのか。 

大城氏が講演経験のない人ならともかく、彼は沖縄以外の本土各県ではそれまで23年間に1120回の講演会をこなしており、鹿児島と北海道以外はすべての地域で講演したという。単純計算をしても1週間に1、2回の割で講演会を続けたことになり、大城氏はまさに、講演のプロである。日本軍の残虐性を訴えるのに「うつろな目の少女」の主人公の講演会ほど好適な企画はなかったはずだ。

ちなみに2007年8月25日付琉球新報の記事では「(取材時まで)23年間講演をしてきた」となっているが、大田昌秀著『沖縄戦を生きた子どもたち』によると大城氏が講演を開始したのは1988年からであり、新報の取材時には20年間講演を続けてきたことになる。

大城氏は他にも多くのメディアの取材を受けているが、「オカッパ頭にした理由」など重要な部分の多くの証言に矛盾が見られる。

③このドラマチックな記事が、何故この種の報道では常に先頭をきって大騒ぎする沖縄タイムスにはスルーされ、琉球新報の特ダネのように報じられたのか。(沖縄タイムスは新報より4日も遅れた8月29日になって初めて報道している。)

■沖縄タイムスが「特ダネ」をスルーした理由は?■

更に不可解なのは、沖縄タイムスは琉球新報のスクープ記事の二年前にも大城盛俊氏にインタビューしていながらその時はスクープ記事を書いていないことだ。

2005年のその記事には日本兵の暴行を避ける為オカッパの少女の姿をした大城少年のいたいけない女装については一行も触れていない。

記事はもっぱら残虐非道な日本兵の暴行により、右目失明や肩の脱臼の被害を受けたと言う記事と、それが援護法の対象にならなかった憤懣を記しているが、二年後に琉球新報のスクープとなる「オカッパの少年」については一言も触れていない。

長くなるが、二回にわたる2005年のタイムス記事を全文引用しておく。

◆沖縄タイムス<2005年3月13日 朝刊26面>

[戦闘参加者とは誰か](11)
適用拡大
日本兵が暴行 右目失明
43年目に障害年金申請

 

 大城盛俊さん(72)=兵庫県=は、沖縄戦の最中、日本兵による暴行で右目を失明した。母親もまた日本兵にスパイ容疑をかけられ、惨殺されている。

 戦争当時、十二歳。玉城国民学校に通う元気な少年の人生が、そのけがで一変した。

 右目が見えないため、米軍基地のハウスボーイや、土建業のお茶くみ、穴掘りといった単純な仕事しか就くことができなかった。

 敗戦六年目の一九五一年、大阪へ働きに出た。「いつか、日本兵を見つけて、敵討ちしたい」という憎しみを抱いて旅立った。

 大城さんが去った沖縄では、五三年に援護法適用、五九年には一般住民も「戦闘参加者」として、適用拡大。遺族年金や障害年金が支払われていった。

 四五年三月。十二歳の大城さんは、玉城村に養父母と住んでいた。三月二十三日に港川沖の水平線をびっしりと米艦隊が埋めた。翌日から激しい艦砲射撃が始まり、一家は同村親慶原にあるワチバル壕へ避難した。

 昼は攻撃を避け壕で過ごし、攻撃がやんだ夜に壕を出て、畑を耕した。

 そんな状態が二カ月続いた五月下旬。首里から撤退してきた石部隊の日本兵が、壕に来て「民間人はここを立ち退くように」と命令した。大城さんらは、家財道具や食糧を抱えて、玉城城跡にある壕に移らざるを得なかった。移った先で惨劇が起きた。

 六月上旬、球部隊の日本兵六人が壕にやってきて、食べ物があるか聞いた。大城さんが「ない」と否定しても持っていたリュックサックを奪い取ろうとした。

 リュックの中には、家族のための食糧が入っていた。日本兵は、「これは渡せない」と再び拒んだ大城さんの襟首をつかみ、近くの畑に引きずっていって、投げ飛ばした。意識がもうろうとする中を無理やり立たされ、顔を殴られた。倒れこむと今度は軍靴でけり飛ばされた。

 「こんな子どもに何をするのか」。追いかけて抗議した父親にも、兵隊は暴力を振るおうとした。だが、リュックをあさっていた兵隊が食糧を見つけると、暴行を加えた兵隊は用が済んだとばかりに、立ち去って行った。

 大城さんの右目は充血し腫れあがり、右肩は脱臼。体中に傷や打撲傷を負う瀕死の重傷だった。

 その後、捕虜になり、米軍の診療所で手当てを受け、傷は癒えた。しかし、その時、既に右目の視力回復は難しいといわれた。戦後に治療を受けたが回復しなかった。

 五一年、大阪に渡り、工場勤めをした。「日本兵に殴られんかったら、目も見えて、仕事もできた」。心の中では怒りを持ち続けた。沖縄を差別する同僚を懲らしめようとしたこともあった。

 七五年に転職で沖縄に帰郷。援護法の障害年金が一般住民にも支給されることを知った。

 大城さんが援護法適用を申請したのは八八年。戦後四十三年もたっていた。

                   ◇

<2005年3月17日 朝刊26面>

[戦闘参加者とは誰か](12)
審判
日本兵暴行は「規定外」
裁判できず泣き寝入り

 

 一九七五年、大城盛俊さん(72)=兵庫県=は、新しい仕事を得て二十四年ぶりに、沖縄へ帰郷した。その時初めて、沖縄戦で「戦闘参加者」と認定されれば、一般住民にも遺族年金や障害年金が支給されることを知った。

 県が実施した援護法の巡回相談を訪れた時のこと。大城さんは担当職員に、日本兵に暴行を受け失明した状況を説明した。

 「あなたを殴った兵隊はいるのか」。担当職員は、事務的に質問をした。

 いや応なしに沖縄戦に巻き込まれて、味方の日本兵に暴行された。十二歳だった大城さんが何一つ自分で選んだことではない。なのに、それを証明するのは自己の責任でと言われる。

 あまりに理不尽な問いに、大城さんは激怒した。「戦闘中だから、その日本兵が誰かは分からない。じゃあ、艦砲射撃でけがをした人は、撃った米兵を特定しないといけないのか」

 相談に訪れていた戦争体験者のお年寄りたちも「やんどー、やんどー(そうだ、そうだ)」と加勢してくれた。

 沖縄で援護法が適用されてから、すでに三十年たっていた。「できるだけ多くの人を救う」。初期の援護担当職員によって、そうやって運用されてきた援護法は、時の流れとともに、住民の戦争体験を審判するものに変わっていた。

 それでも、大城さんは、友人らの助けを借りながら当時の証言を集め、八八年に、申立書を申請した。

 しかし、厚生省は九二年、日本兵の暴行による障害は「援護法の規定外」として、申請を却下した。

 沖縄の一般住民が、援護法の「戦闘参加者」として認定されるためには、「日本軍への協力」が前提だ。住民が、戦争で受けた被害を補償するものではなかった。

 大城さんは、支援者らとともに、三万人余の署名を集め、厚生省に援護法適用を認めるよう要請した。却下に対して不服申し立てをしたが、九四年に再び却下された。

 後は裁判しか道は残されていなかった。「何年かかるかと弁護士に聞いたら、十年から十五年という。年も取るし、費用もかかる。結局やめてしまった」。大城さんは悔しそうに振り返った。

 九一年に娘らが育った本土へ移り、現在は伊丹市に住む。「沖縄のことをみんなが考えてくれたらありがたい」。そう思い、ボランティアで沖縄戦の語り部として、講演活動で訴える。「沖縄の戦後は終わっていない。私のように、泣き寝入りをさせられている人はたくさんいるはずだ。日本の国は、沖縄への戦後補償をしていない」

 「軍への協力」が前提となる援護法では、一般住民が沖縄戦で受けた被害は救えない。

 「住民を守る軍隊が、沖縄では、沖縄人に銃を向けた。沖縄の人一人ひとりが、沖縄戦が何だったのかもっと考えてほしい」

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2・オカッパの少年の正体

2010-02-15 00:07:08 | オカッパの少年

 

 

沖縄戦「集団自決」の謎と真実
秦 郁彦
PHP研究所

 

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■地元では知られていない「女装の少年」■

 朝日新聞のこの記事を読みながら、一年前に同じ「少女」を報じた琉球新報を思いだした。大城氏は、2007825日付琉球新報記事の取材に応じるため帰郷しているが、その時も取材のみで沖縄での講演は一度もせずに神戸に戻っている。

朝日新聞の二枚の写真付記事を見、さらに一年前の琉球新報記事を見なおして、滓のように胸中に残っていた疑惑が再び活性化してきた。                     

 

沖縄戦で米軍が撮影した膨大なフィルムが公開されてきたが、その中でも見る人の胸を打つ有名な二枚の写真がある。二枚の写真はそれぞれ大田昌秀著『写真記録「これが沖縄戦だ」改訂版』(琉球新報刊)の中に収録されているが、その一枚が「白旗の少女」として知られる一枚で、他の一枚が今回朝日が紹介した「うつろ目の少女」の写真である。

「うつろな目の少女」は同書の表紙に使用されているだけでなく、冒頭第1頁でも「傷つき血みどろになった少女」とキャプション付きで掲載。一冊の本で二度も大きく紹介されているので、同書を手にした者の目に必ず飛び込んでくる構成になっている。同書は40万部を売る大ベストセラーになったせいか、この「少女」の写真は沖縄では良く知られた写真である。だが、この少女が実は男の子であったということを、地元沖縄でも、知る人は少ない。

実際、筆者の知人友人ら二十数人に尋ねてみたが、「少女」の写真は見たことはあっても「少女」の正体が少年であると知る者は一人もいなかった。 

 

試しに沖縄戦の資料展示で「反軍姿勢」で知られる二つの歴史資料館を調べてみた。

激戦地のあった本島南部にある「具志頭村立歴史民俗資料館」の沖縄戦の資料展示コーナーは、ご多分にもれず日本軍の残忍さとアメリカ人の人間性溢れる行為を強調した展示構成になっている。 

同コーナーの「村内の仮収容所(米軍指定)に集められた人たち」と題した写真展示の中に「うつろな目の少女」の写真が展示されている。 だが説明文は「傷の手当てを待つ少女」の記述だけで、「少女」の数奇な体験については一言も触れていない。「反日本軍」を訴えるには絶好のテーマのはずの「少女」の正体も記されていなければ、「日本軍の暴行を避ける為のオカッパ頭の少年」とも記されていないのだ。   

たまたま隣で見ていた地元出身の青年に「この少女は実は少年だよ」と話したが、信じてもらえなかった。 

「もしそうなら、何故事実を掲示してないのか」と反論され、返答に窮した。

「具志頭村立歴史民俗資料館」からそう遠くない場所にある「沖縄県立平和祈念資料館」といえば徹底した反日思想の展示で有名だ。赤ん坊を抱く母親に銃剣を向ける人形まで展示して反軍思想を煽っているが、不思議なことに、ここには「うつろな目の少女」の写真展示はない。 

見落としたかと思い、念のため受付の係員に尋ねたが、そもそも「うつろな目の少女」を知らなかった。学芸員と称する専門家に聞いても、最初は「うつろな目の少女」が理解できず、大田元知事の著書の表紙に使われている写真だと説明してやっと理解してくれたが、「少女」の正体が少年だったと話してもよく飲み込めない様子だった。

このように沖縄戦の資料を専門的に展示してある沖縄の代表的資料館でも「うつろな目の少女」の正体は少年だったという話は認識されていない。筆者の友人、知人達が「少女」の写真は知ってはいるが、その正体をごく最近まで知らなくても無理はない。 

続く

  

【おまけ】

沖縄出身者の筆者が、初めて「うつろな目の少女」の正体はオカッパの少年であったという報道を見たのは、戦後62年も経って琉球新報がスクープした次の記事によってである。

「うつろな目の少女」に情報をお持ちの方、ご一報頂ければ幸いです。管理人

 

 

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2007年8月25日琉球新報

 <「うつろな目の少女」と題し、大田昌秀著「これが沖縄戦だ」(1977年出版)の表紙写真で紹介された兵庫県伊丹市の大城盛俊さん(75)=旧玉城村出身=が来県、高校歴史教科書検定で沖縄戦の「集団自決」に関する記述から日本軍の強制が修正・削除された問題で、「沖縄県民はもっと怒って立ち上がらなければ」と訴えている。・・・・ 表紙の“少女”の正体が大城さん。当時12歳で、育ての父に「男の子は兵隊にやられるから女の子になりすましなさい」と言われ髪を伸ばした。>

  

【お願い】

 

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