狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

海自撤退、超法規措置を命令せよ!

2007-10-31 20:07:40 | 県知事選

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2007/10/29-22:50 海自補給艦、最後の給油=テロ特措法期限切れ目前-来月2日撤収、3週間後日本に
 11月1日のテロ対策特別措置法の期限切れを目前に、インド洋に派遣されている海上自衛隊の補給艦「ときわ」(基準排水量8150トン)が29日、事実上最後となる給油をパキスタン艦に対して行った。与党が国会提出した新テロ特措法の期限までの成立は困難で、海自は2日午前零時以降、直ちにインド洋から撤収する。
 2001年の米同時多発テロを受けて成立したテロ特措法により、海自は同年12月以降、延べ57隻の補給艦と護衛艦を派遣。燃料を794回給油、相手国は米英仏、パキスタンなど計11カ国に上った。


                                            ◇


 きょう、福田首相の「リーダーシップ」が本当にあるか、どうか試される
    超法規措置を首相命令でだせるか、どうか。

 イラン特措法は明日期限切れである。
 「法律」に従えば、明日からインド洋上での海上自衛隊の燃料補給作戦は打ち止め、自衛隊は引き上げ準備に入る。

 法律を越えた超法規的措置により「延長」を首相は行政命令として、首相の権能で命令できる。
 父親はダッカのハイジャック事件を「超法規」で命令したではないか、という論理を衆議院議員の西村真悟氏が展開されている。

 のびた首相、と言われている福田首相。本物のリーダーシップを備えているのか、どうか。深夜24時までに分かる。

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
平成19年(2007年) 10月31日(水曜日) 貳
通巻 第1983号
△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△

以下は 10/30 眞悟の時事通信より引用。

 

晩秋にむかうときの決断
 
 国内政治の錯綜した動きで感じることは、本質的な課題ではなく、脇道の「道草の種」に熱中しているような気がする。そうしておれば、本質的な課題から目を逸らせることができるかのようである。
 例えば、「インド洋で給油した燃料が20万ガロンか80万ガロンか、どこで購入したのか」、「守屋前防衛省事務次官のゴルフは何回か」とか。
 これらは、関心を持って審議してよいのだが、これらを審議しなければ先に進めないという問題ではない。大きな道の横にある問題である。
 しかし、現実には横にある問題で29日の時点でも一日使い、本日の毎日新聞朝刊の一面には「最後の洋上給油」という見出しが踊り、29日にパキスタン艦船に洋上補給を行う「ときわ」の写真が掲載されている。

 現行法によるインド洋での給油活動は、11月1日に期限が切れる。また、新テロ特措法の成立の目処はついていない。従って、今朝、「最後の洋上補給」という見出しが出ることになる。そして、一旦給油が中断されれば、何時再開されるのか目処が立たない。
 そこで、インド洋での給油活動が、我が国の国益上、真に必要であるとするならば、この国会の状況に為す術なくお手上げで、このまま国益を放棄してしまう以外に道はないのであろうか。

 私は、次の方策があると思う。そして、これこそシビリアンコントロールの本質から導かれる方策である。
 即ち、憲法65条「行政権は内閣に属する」と自衛隊法7条「内閣総理大臣は内閣を代表して自衛隊の最高指揮監督権を有する」の原則により、内閣総理大臣は内閣を代表して自衛隊部隊に、インド洋での給油活動継続を命令することができるのだ。
 
 確かに11月1日を限りに、インド洋での給油活動の「法律的」根拠がなくなるが、なくなるのは「法律」だけで、以上二つの国家運用上の原則は存在しているのである。法律が無い場合に、内閣は、この原則により決断をすればよいのだ。
 昭和52年9月、ダッカハイジャック事件において、時の福田内閣は「超法規的措置」によって、受刑者9名を釈放してハイジャック犯人に引き渡した。
 福田内閣は「受刑者引き渡し特別措置法」があったから釈放したわけではない。法律に基づかず、内閣として決断したわけだ。そして、この福田内閣の言う「超法規的措置」こそ、憲法65条に基づく措置であった。この時の福田総理大臣の秘書官が今の福田総理大臣である。
 よって、福田総理は、親父さんのように「超法規的措置」とは言わずに、11月1日以降、「憲法65条に基づく措置」としてインド洋での給油継続を命令することが出来る。

 なお、シビリアンコントロールとは、このように総理大臣の決断が命令となり自衛隊を動かすシステムが機能することをいう(アメリカにおいては大統領)。
 しかるに、マスコミにも国会議員のなかにも、例えば守屋前事務次官がシビリアンコントロールの一翼を担っていたかの如き前提で、守屋氏の不祥事を非難している論調があるが、守屋氏は「文官」であってシビリアン(文民)ではない。その意味で、近頃テレビで守屋氏が自衛隊の栄誉礼を受けている映像が流れるが、これは間違いである。守屋氏は文官であり自衛隊に対する指揮命令系統(ライン)にはいないのであるから栄誉礼をうけるべき立場ではないのである。
 思うに、文官が栄誉礼を受けて部隊の上に君臨するのが当然とする今の防衛省内局の精神構造が慢心を増幅させ、この度の堕落を引き起こす温床となっているのではないか。
 

 さて、先日、拉致被害者家族会が福田総理大臣と面談した。
そこで、福田内閣も安倍内閣同様、全拉致被害者の現状回復がなければ日朝の国交は成立しない、という原則を堅持していることは判明したと思われる。
 しかしながら、政府は拉致被害者か否かをどういう基準で判断しているのであろうか。また、如何にして全拉致被害者を把握できるのか。これが問題である。
 そこで、政府の従来の考え方の再考を迫るために、寺越一家の悲劇に関する質問主意書を内閣に提出した。

 寺越昭二と寺越外雄の兄弟そして二人の甥である寺越武志(敬称略)の三人は、昭和38年5月11日、小さな木造の船で日本海に漁に出たまま帰らず、破損した船だけが発見されたので、家族らは遭難したと諦めて葬式もだした。
 ところが、24年後の昭和62年1月22日、突然外雄から姉に北朝鮮で暮らしているという手紙が届き、遭難当時13歳の武志も北朝鮮にいることが判明した。
 この事例を、日本政府は拉致とは認定しない。その理由は、北朝鮮在住の武志が拉致されたと言っていないからである。従って、日本政府の拉致認定基準は、被害者が拉致されたと言うか言わないかによることになる。
 しかし、記憶を辿って欲しい。
現在日本に帰国できた蓮池さんや地村さんまた曽我さんら5名においても、平壌では拉致されたとは言わなかった。お父さんお母さんこそ平壌にきてくださいと言って日本に帰りたいとも言わなかったのだ。従って、政府が寺越一家に適用した基準によると、彼ら5名も拉致被害者と認定できないことになる。
 それでは、仮に、北朝鮮がある時、全被害者を平壌に集めて記者会見して「私は拉致されてここにいるのではなく、首領様が好きだから北朝鮮にいる」などと発言させれば、その時、拉致被害者は存在せず北朝鮮の言うとおり「拉致問題は解決済み」ということになる。
 従って、言論の自由のない恐怖政治下の北朝鮮にいる者に関して、本人が拉致と言わないから拉致被害者ではないなどという日本政府の認定基準は、全拉致被害者の切り捨てにつながる危険な基準なのだ。
 よって、この度の寺越一家に関する質問主意書は、端的に、寺越さんらは拉致されたと認定するのか否か、あらためて文書で糺している。これも政府に一つの決断を促すものである。
 一週間後に回答があると思うが、「官僚的答弁」でないことを願う。 
   
  
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文科次官が不快感 教科書訂正申請内容公表

2007-10-31 12:58:50 | 未分類

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文科次官が不快感 教科書訂正申請内容公表  

 【東京】高校歴史教科書の「集団自決」検定問題をめぐり、執筆者が訂正申請前に記述内容の検討状況を報道機関に公表したことについて、銭谷眞美事務次官は29日午前の定例会見で「法令上は禁止されていないが、あまりないことだ。静謐(せいひつ)な環境を確保していくことを考えいただきたい。望ましいかなというと、必ずしもそうではない」と述べ、不快感を示した。
 訂正申請する記述内容の取り扱いについて「教科書出版社に対して今までも情報管理を徹底するようお願いしてきた。訂正申請の時点であらためてお願いしたい。調査審議が終了するまでは当該申請者以外に内容が知られないよう、適切に管理しなければならない」と述べた。
 教科書出版社から訂正申請が出された際の文科省の対応として「丁寧に対応したい。再度、専門的見地から教科用図書検定調査審議会の意見を聞く」と述べた。

(琉球新報 10/30 9:50)

                      ◇

マルクス史観で歴史を見るものにとって、それ以外の歴史観は全てが右傾化していると見えるもの。

教科書業界は左翼の巣窟だといわれるが、中でもマルクス史観の「歴史教育者協議会」に属する教科書執筆者にとって、「教科書検定調査審議会」の学者が全て右翼反動学者に見えても不思議はない。

その意味で、マルクス史観の教科書執筆者・坂本昇氏の「教科書訂正申請」はイデオロギーで日本の教科書に宣戦したことになる。
 

 文科省への訂正申請について、教科書を手に記者会見する執筆者の坂本昇さん=27日午後、東京都豊島区

教科書にイデオロギーを持ち込んではいけないと建前論を述べる者こそ、実は自分のイデオロギーを教科書に持ち込もうとする左翼の先鋒である。

都立駒場高校教師の坂本昇氏は勿論、左翼団体「歴史教育者協議会」メンバーである。http://www.jca.apc.org/rekkyo/data/data01/book/shoseki/21-26y/rekishi261030.html

政治家である関係大臣が「県民の意思を重く受け止める」とか、首相「県民の気持ち分かる」とか「県民感情に配慮して」という発言は、政治家の発言の「枕言葉」でありそれ自体にはあまり深い意味はない。

国民を一票を持つ選挙民と見る大臣にとって「県民の意思をを軽く受け流す」とも「県民感情を無視して」とはいえないだけの話だ。

ただ、マスコミはその「枕言葉」を過大に取り上げ読者をミスリードする。

その点官僚は「枕言葉」は最小限にして淡々と事実を語る。

教科書出版社から訂正申請が出された際の文科省の対応として、

専門的見地から教科用図書検定調査審議会の意見を聞く」

味も素っ気も無いがごく当たり前の発言で、当日記が以前から主張してきた通りの文科省の発言だ。

この通り「訂正申請」は粛々と「審議会」にかけられ、粛々と却下されるであろう。

何故なら日本は法治国家であり、法に基づいて検定意見書が付いた記述修正は「事実誤認」や決定的「新学説」でも出現しない限り検定意見書に従うのが法治国家の証であるからだ。

翻って坂本氏の「訂正申請」には従前と何ら変わる新学説も新証拠もないので、却下されるのが当然である。

目立たない記事だが、琉球新報は一ヶ月前に次のような文科省見解を報じている。

写真

「今回の場合なじまない」 文科省教科書課 

・・・文科省教科書課は28日・・・「訂正勧告の制度は市町村合併など客観的に見て明らかな事情の変化などがあったにもかかわらず、教科書発行者が記述訂正に応じない場合に行われるものだ。 今回の場合、制度上なじまない」と説明している。 同制度は1989年に創設。 「事情の変更」が発生した場合、通常は教科書出版社が自主的に訂正申請を行う。 同制度に基づく大臣勧告は一度も行われていない。(琉球新報 2007年9月29日ーウェブサイトには載っていない)

                                              

政治家の「枕言葉」を誇大に取り上げた新聞報道の例。

「文科省でしっかり検討」 参院代表質問に福田首相  (10/4 17:04)

声反映に「知恵絞る」 作業進めると文科相 カメラ  (10/3 16:02)

訂正応じる、答弁書明記 教科書検定で政府閣議決定  (10/2 16:03)

審議会で再検討も 渡海文科相、訂正申請「丁重に対応」 カメラ  (10/2 16:00)

 

政治家の「枕言葉」をそのまま信じると次のような社説になるという例。 

 

信濃毎日新聞・社説:

歴史教科書 こんな検定は要らない

10月30日(火)

 教科書検定は今のままでいいのか。沖縄戦の集団自決をめぐる記述の問題は、そんな疑問を抱かせる。

 時の政権の意向を反映したような検定意見を出したかと思えば、次には手のひらを返すように記述を変えようとする。こんなやり方は、教科書作りになじまない。検定制度自体を見直すことも考えたい。

 沖縄戦の集団自決で、日本軍の強制があったか、なかったか。高校の日本史教科書での記述をめぐり、文部科学省は迷走している。

 今回の教科書検定は、軍の関与を削除するよう求めた。それまでは強制があったとの記述は認められていたのに、突然の方針転換である。教科書会社は記述を修正し、検定に合格している。

 流れが変わったのは、9月に開いた沖縄県の抗議集会がきっかけだった。検定意見の撤回を求める声に、政府与党が反応した。文科相は「撤回」ではなく、記述の「訂正申請」には応じる考えを示している。

 教科書会社は、軍強制を明記する方向で、近く文科省に訂正を求める見通しだ。27日には、執筆者の1人が申請内容を明らかにする異例の記者会見を開いている。

 混乱を招いた責任は文科省と教科書検定審議会にある。なぜ今回の検定意見となったのか、説明すべきだ。軍の命令はなかったと元指揮官らが裁判で争っていることを理由に挙げているが、納得できない。復古調の色が強い安倍前政権の政治路線と、無縁だったとは思えない。

 結果的に記述削除が間違っていたとするならば、検定意見は撤回すべきだ。教科書会社が訂正を求めたので検討する、では責任をなすりつけたようなものだ。

 検定審議会の中立性もあやうい。検定意見のもととなる調査意見書は文科省の職員が作ったものだ。専門的な見地から十分に検討しての削除要請だったのか、疑問を抱かざるを得ない。

 教科書検定は、戦前の教育の反省から生まれたものである。政府の見解に沿って口を出すような検定ならば、廃止も含めて根本から見直した方がいい。

 歴史の教科書は、とりわけ慎重に扱うべきだ。歴史認識は本来、多様なものである。画一的な見方や考え方を押しつけるようでは困る。選ぶのは学校や生徒の側である。

 教科書検定は、執筆者や出版社の自主規制も生みかねない。従軍慰安婦の問題でも日本軍の関与に触れる記述は姿を消した。

 著者の創意工夫に期待するというなら、明らかな間違いを正すなど最小限にとどめるべきだ。

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証言者宮城晴美氏の苦悩

2007-10-31 06:03:28 | ★集団自決

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宮城晴美(2000)『母の遺言』高文研より

1945年3月25日、三日前から続いた空襲に代わって、座間味島は艦砲射撃された。方々で火の手があがり、住民は壕の中に穏れ、おびえていた。夜おそく「住民は忠魂碑の前に集まれ」という伝令の声が届いた。伝令が各壕を回る前に、母はこの伝令を含めた島の有力者四人とともに、梅澤隊長に面会している、有力著の一人から一緒に来るように言われ、四人についていった。

有力者の一人が梅澤隊長に申し入れたことは、「もはや最期のときがきた。若者たちは軍に協力させ、老人と子どもたちは軍の足手まといにならぬよう忠魂碑の前で玉砕させたい」という内容であった。母は息も詰まらんぱかりのショックを受けた。

いつ上陸してくるか知れない米軍を前に、梅澤隊長は住民どころの騒ぎではなかった。隊長に「玉砕」の申し入れを断られた五人は、そのまま壕に引き返したが、女子青年団長であった母は、どうせ助からないのだから、死ぬ前に仲間たちと軍の弾薬は運びの手伝いをしようと、有力者たちとは別行動をとることになった。その直後、一緒に行った伝令が各壕を回って「忠魂碑前に集まるよう」呼びかけたのである。

伝令の声を聞いたほとんどの住民が、具体的に「自決」とか「玉砕」という言葉を聞いていない。 「忠魂碑」の名が出たことが、住民たちを「玉砕思想」へと導いたようだ。海を一面に見下ろせる場所に建てられた忠魂碑は紀元2600年(1940年=神武天皇即位以来2600年にあたる)を記念して、座間味村の在郷軍人会、青年団によって1942年に建立されたものである。

太平洋戦争の開戦日(1941年12月8日)を記念して毎月八日に行れれた「大詔奉戴日(たいしようほうたいび)」の座間味島での儀式の場所であった。これは住民の戦意高揚をはかるのが目的で、儀式の内容は、宮城遥拝「君が代」「海ゆかば」斉唱、村の有力者や在郷軍人会による、戦勝にむけての訓話などであった。

この忠魂碑に集まれというのだから、住民としては「自決」ど結びつけざるをえなかった。結果的には、住民は激しい艦砲射撃のため、忠魂碑に集まることができず、それぞれの壕で一夜を明かしたものの、
翌日、上陸した米軍を見て住民がパニックを起こして家族同士の殺し合いが始まったのである。

住民の集団自決は「生きで捕虜になるよりは、死んだほうがいい」という戦陣訓と、「敵につかまると女は強姦され、男は八つ裂きにして殺される」という皇民化教育や在郷軍人会の教えによるものであった。

 

母の遺したもの―沖縄・座間味島「集団自決」の新しい証言
宮城 晴美
高文研

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                     ◇

この文章の何処を読んでも梅沢隊長が住民に「自決せよ」と命令した事は読み取れない。

『母の遺したもの』はここに登場する母初枝氏が書き残していたノートをもとに、戦後生まれの娘晴美氏が独自の取材も含めて著した本である。

この本を著すにあたり晴美氏は、「人生の師」である作家、澤地久枝さんに相談をしており、原稿に三度も目を通してアドバイスを受けていた。

澤地氏は本のタイトルまで付けてくれたという。

晴美氏は澤地氏のアドバイスを次のように記している。

 <澤地さんからは、言葉の使い方をはじめとして「証言」を鵜呑みにせずに事実を確認すること、一つの事象を記述するのに、どんなに些細なことでもそれに関連するあらゆるできごとをびっしりおさえることなど、多くのことを学びました>

『母が遺したもの』は宮城氏が母の証言を決め手として、ようやく書き上げた氏のライフワークともいえるものだった。

同書を書いた心構えを「座間味島の“戦争”を語りつづけ、“真実”を証言した母の勇気をムダにはしたくないという思いから原稿を書きはじめた」という一節が物語っている。

その母の遺言ともいえる『母の遺したもの』を法廷の証言台でいとも簡単に否定できるものだろうか。

証言に対する周囲の圧力に関しては彼女は、

沖縄タイムスの特集[座談会・戦争と記憶―戦後60年](5)集団自決で次のように語っている。

 宮城 隊長の命令がなかったと証言したために、母は島で攻撃を受けた。それから母はすごく落ち込んで、結局はがんで亡くなってしまうが。母は歴史を曲げてきたという思いがあって隊長が生きている間に、きちんとしたいという思いがあった。

 私は、隊長の命令はなかったと書いたが、その本には当時島がどういう状態であったかも具体的に書いてある。それを読めば、読者は、島の人たちが勝手に死んでいったとは思わないはず。「玉砕するから集まれ」と各壕を回る伝令の役場職員がいて、彼が来たことで、島の人は隊長命令だと思った。それまで陣地を構築するとか、食糧増産など島の人を集めるときはその伝令が来たから。激しい砲弾の中で伝令が来たことは、隊長の命令だと島人に理解された。しかし、命令があったかどうかというより、皇民化教育は国のためには「死」を惜しまないことを教えており、「集団自決」は敵を目前にした住民の必然的な行為だった、つまり国家によって殺されたといえる。

 命令しなかったという隊長はそれじゃ許されるのかというと、そうではない。彼の戦後の生き方が問題だ。自分の身の“潔白”を証明しようと、手段を選ばず、えげつない方法をとってきた。

 

自著に綴られた母の真実の声を「誤解された」「悪用された」の一言で簡単に否定した宮城晴美氏の苦悩を,

裁判を傍聴・取材したジャーナリストの鴨野守氏は、裁判の直前になって突然証言を翻した晴美氏の心境の変化について、次のように描写している。

  そんな母の勇気と、自らの長年の努力を、たった一人の証言で捨ててよいのか。今、明らかになっている陳述書などによれば、宮平春子さんは今年四月二十日、二十一日に座間味島で被告の秋山幹男弁護士に、当時の内容を証言し、五月十日付でその陳述書にサインをしている。

 普通なら、被告側の新しい情報や陳述書の中身を即座に細かく報道してきた沖縄タイムスが、この時ばかりは報道を控えている。タイムスが春子証言を大々的に扱ったのは七月に入ってからだ。その間に、宮城晴美氏が六月二十四日に春子さんに取材して、六月二十七日付で陳述書を提出している。

 被告側と宮城晴美氏、さらに地元関係者を巻き込み、春子証言を「決定的証言」に仕立て上げようというストーリーを作ったのは果たして誰なのか。

 宮城晴美氏は、母の遺言とも言えるノート、自身の著書の中心的な記述、そして人生の師さえも今回の証言で捨てたと原告側はみている。では、それと引き換えに宮城氏は何を獲得できたであろうか。

 彼女は今、著書を書き直す途中だというが、その内幕を書いた「本当の証言」を読んでみたい。(世界日報「宮城晴美氏の苦悩(4)-母の勇気も、人生の師も捨てて」)

母初枝氏が真実を語ろうとして周囲から受けたバッシングを、

<母の遺したもの>を伝えようとした娘の晴美氏も同じバッシングを受けそれに押しつぶされたのか。

親子に二代にわたって「不都合な真実」と「本当の真実」の狭間で葛藤する晴美氏の改訂版『母の遺したもの』には一体どのような真実が綴られているのか。

不謹慎ながら興味は尽きない。

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真珠湾攻撃以前に日本と戦った米兵

2007-10-30 18:51:16 | 歴史

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ワンフレーズ発言を繰り返すことで歴史は固定化されていく。

「リメンバー・アラモ」、「リメンバーパール・ハーバー」、

そして「リメンバー・911」は未だ記憶に新しい。

アメリカの歴史を「リメンバー~」で拾えばこれだけで一冊のアメリカ史の本ができるという。

「リメンバー・パールハーバー」と聞けば、「真珠湾攻撃」という日本語が出てくる。

だが、「真珠湾攻撃」に対応する英語を正確に知る日本人は少ない。

英語では「Sneak Atack on Pear Harbor」、

つまり「真珠湾の卑劣な攻撃」という。

攻撃前に日本が出した宣戦布告が在米日本大使館の不手際で攻撃後に伝えられた。

それで、「Sneak Atack on Pear Harbor」を甘んじて受け入れるという日本人もいる。

だが、「真珠湾」の4年前から日本と戦っていたアメリカ人少将の存在を知る日本人は少ない。

                      *

以下は「再掲」です。

「幻のAmerica’s Sneak Attack on Tokyo」

 1941年12月8日。

日本の「真珠湾攻撃」によって日米戦争が始まった。

だが、その四年前アメリカは既に日本と戦っていた。

卑怯にも(sneak)日本攻撃(attack)の準備をしていたのだ。

そのときアメリカ製戦闘機を駆って日本軍と戦っていたアメリカ人士官とアメリカ人戦闘機集団がいた。

                    *

アメリカでは軍戦没者は一兵卒でも英雄として扱われる。

最近のテレビ映像等でもイラクで戦死した兵士の棺を星条旗で包んで国に殉じた英雄として丁重に扱うシーンが記憶に新しい。

昨年の2005年5月28日、アーリントン墓地に約四百人の老いた退役軍人が終結した。
彼らはフライングタイガースの元隊員であった。 

フライングタイガースの元隊員といっても,大阪の道頓堀川に飛び込む熱狂的な阪神ファンのことではない。

日米開戦の四年前、既に日本と交戦状態にあった中国に航空部隊として参戦した「アメリカ合衆国義勇軍」の事をフライングタイガースと称していた。

この軍戦没者慰霊祭に参列している一人の年老いた東洋系婦人がいた。

元軍人集団の中心にいるこの老婦人はフライングタイガースの創設者シェンノート元少将の未亡人、陳香梅であった。

時は遡り今から16年前の1989年。

あるアメリカの航空貨物会社が消滅した。

航空貨物会社「フライングタイガース」が世界最大のアメリカ航空貨物社「フェデックス」に吸収されたのだ。

この会社は大戦終了の年1945年に設立の44年の歴史を誇っていた。
しかしその社名の由来は終戦の年から更に八年時代をさかのぼり故シェンノート少将に行き当たる。

この航空貨物会社「フライングタイガース」の名前は1937年誕生のアメリカ合衆国義勇軍(American Volunteer Group,AVG)に由来していた。

日本では天空を駆ける想像上の生き物として「天馬」がある。

だが中国には飛竜が一般的だが、空を飛ぶ虎は無敵であるという故事から「飛虎」という想像上の無敵の動物を敬う。

中国を愛したシェンノートはこの中国の故事に因んでフライングタイガースという名の航空義勇軍を創設した。

因みに写真で見るフライングタイガース戦闘機は頭部に歯をむき出して大口を開けているサメの絵が描かれている。

戦闘機の体形上虎よりサメの方が描きやすかったのだろうが、フライングシャークス、「飛鮫」では大陸国家中国の空を雄飛するには格好がつかない。

その代わり乗務員は翼の生えた虎のマークの入ったエンブレムを背中に貼り付けていたようだ。

フライングタイガースを創設した故シェンノート少将。

アーリントン墓地ではその夫人が約400名の退役軍人にエスコートされ、
「中国人の誰もが知っているアメリカ軍将軍」として今でも中国人に愛されている故シェンノート少将といったいどんな人物なのか。

シェンノートは1893年9月6日テキサス州に生まれた。
1937年7月、中日戦争が全面戦争に突入すると、シェンノート大佐は昆明に航空学校を設立して、積極的に中国空軍の対日作戦を支援した。

大佐はパイロットの養成だけでなく、自ら戦闘機に操縦し戦闘にも参加している。

日米戦争が勃発すると、アメリカ政府は積極的に中国を支援する方針を採った。

1942年7月、航空志願部隊は第10航空隊中国特別派遣部隊に編入され、准将に昇進したシェンノート氏がそのまま指揮に当った。

1943年3月、部隊はアメリカ陸軍航空隊第14航空隊に再編入され、シェンノート氏は少将に昇進する。

1941年7月に組織されたアメリカ志願部隊は23戦闘機大隊から第14航空隊に編入されるまで、シェンノート氏は一貫して志願部隊の指揮を執り、自身も退役将校から少将にまで昇進した。

シェンノートン少将の中国に対する思いは深く、中国人を夫人にし、昆明に家を建てて、生涯を中国で過ごすことを希望していた。

1945年7月、日中戦争勝利を目前に、シェンノート少将は8年間暮らした中国を離れ、アメリカに帰国した。

このとき、中国人の群集がシェンノート少将を見送りに集まっている。
人々は彼の乗用車を取り囲み、まるで駕篭を担ぐように乗用車を担ぎ上げ、数時間かけて中心広場まで運んだという。
広場のひな壇はフライングタイガースのエンブレムで飾られ、花束でアーチが築かれていた。
別れを惜しんで握手を求める人々の長蛇の列にシェンノート少将は、感激の涙を流した。

この情景はマッカーサーがに離日した時の日本人のマッカーサーに対する惜別の表現を髣髴とさせるものがある。

・・・・・で、そのフライングタイガースが一体どうしたのかって?

今までの話は単なる前書きであって本題は今から始まる。

日本人には馴染みの薄いシェンノートというアメリカ軍人がアメリカ人による「義勇航空隊フライングタイガース」を中国に創設した1937年という年度に注目して欲しい。

その年シェノートが義勇軍を創設して数ヵ月後に事実上の日中戦争の開始とも言うべき盧溝橋事件が起きている。

そのころの中国大陸は蒋介石率いる国民政府、毛沢東率いる共産政府が分裂し各地で内戦が行われていた。その間を掻い潜るように日本軍が右往左往していた。

シェンノートは中国空軍の訓練教官及びアドバイザーとして国民党政府に雇い入れられた。

当時48歳であった彼は健康上の理由により軍では退役寸前であったが蒋介石は空戦経験の豊富な彼を中国空軍の航空参謀長とし階級も大佐としての待遇を持って国民党政府に招き入れた。

着任したシェンノートはまず重慶の基地を見回り中国空軍内を視察してまわった。

そしてそれまで爆撃機を主軸に活動していた中国空軍に対しシェンノートは蒋介石に「日本軍航空隊に対し中国軍は優れた戦闘機100機とそれを操縦する優れたパイロットを持つことで、中国空軍はこの脅威を退けることが出来るでしょう」とのアドバイスを行っている。

この意見は蒋介石に承認され、アメリカ合衆国と協議の結果、承認された。

アメリカは当時中立政策をとっていたため表面だって中国を支援する事は国民の支持を得にくかった。

「リメンバーパールハーバー」より遡ること四年前の事である。

つまりアメリカは「真珠湾の卑劣な攻撃(sneak attack)」の実に4年も前から日本と交戦していたのである。

歴史に「もし」は許されない。

だが密かに計画されていた「1941年9月下旬のロッキード・ハドソン長距離爆撃機による東京、大阪の空爆計画」が実行されていたら

「東京空爆を忘れるな!」(リメンバー;・東京)

が日本の合言葉になっていただろう。

これ嘘のような本当の話。

1958年7月27日、シェンノート少将はアメリカで死去したが、中国系アメリカ人の陳香梅夫人は今も健在である。

                        ◇

「フライングタイガーズ」のパイロットは、蒋介石の軍事顧問クレア・シェンノート氏によって、当時の新米パイロットの5倍相当に当たる月給600ドルと日本軍機1機撃墜ごとに500ドルという破格の報酬で、全米各基地から集められた。全員は農民や伝道師、エンジニアなどを装ってビルマに集結。蒋介石政権が米国に借金する形で資金を負担、弱体の中国航空部隊を裏で支えた」
(読売新聞1991年7月8日)

 

驚くべきことに、フライングタイガーズが東京や大阪の奇襲攻撃を計画していた

作戦には350機のカーチス戦闘機と150機のロッキード・ハドソン長距離爆撃機が参加の予定で、うまくいけば(1941年)9月下旬には東京や大阪に大量の焼夷弾をばらまいて木と紙の日本の家屋を焼き尽くすはずだった。だが、「フライング・タイガース」が集結したビルマの英空軍基地には10月下旬になっても肝心の爆撃機は到着しなかったのである。(中略)需要の多い爆撃機はその年の暮れになっても届かず、41年12月7日の真珠湾攻撃で日米が開戦すると、中国大陸を経由した日本爆撃そのものがほごにされ、計画はやみに葬られた
(産経新聞2000年7月15日)


◆本稿は下記タイトル「飛虎」で今年1月7日、プライベイト・サイト「マックス」に掲載したものに一部加筆した記事の転載です。 

【Date:  2006年1月7日(土) 午前9時44分】
【Subject:  飛虎】

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二つの巨大ブーメラン 教員試験で杜撰な採点

2007-10-30 07:48:44 | 未分類

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 「5点」「6点」扱い198人 教員試験、誤答配点も7問に 

 2008年度の県内公立学校教員候補者選考試験の1次試験「教職教養」で採点ミスが判明した問題で、仲村守和県教育長は28日午後、記者会見を開いた。50―60点が5点、6点とされた受験者は計198人と判明。さらに5教科7問で誤答に配点するミスがあったことも分かり、試験ミスの影響はさらに拡大する見込みだ。いずれも担当職員の事務処理上の単純ミスが原因。一部教科では答案の電子データが保存されていないことも明らかになり、県教育委員会のずさんな点検や管理体制が浮き彫りになった。
 仲村教育長は担当職員を複数配置し、チェック体制を確立するほか、問題や解答の早期開示、情報管理を徹底するなどの再発防止策を示した。
 会見で仲村教育長は「教員を目指し、真剣に勉強している受験者を冒涜(ぼうとく)する重大なミス。心からおわび申し上げたい」と陳謝。198人のうち、1次試験が不合格だった190人とともに、誤答への配点で影響を受けた該当者数も割り出して採点をやり直し、30日の選考委員会で合否を判定。12月8日をめどに2次試験を再実施する方針を示した。既に合格している受験者は保証されるが、合格者数が当初の見込みを上回ることで来年度以降の採用枠に影響することも予想される。
 「教職教養」は計60問のマークシート方式。業者に採点を委託する際、担当職員が1問1点の配点を誤って2点と記入。そのため、本来の60点満点が120満点になり、得点設定の上限を2けたにしていたことから、電算処理で1の位が表示されず、例えば110点(本来の得点は55点)が11点となった。担当職員は採点処理されたデータを受け取った際に配点ミスに気付き、得点を2分の1処理。その際、11点も同様に2分の1処理したため「5・5点」となり、配点上あり得ない5・5点を独断で四捨五入し「6点」にしたという流れだ。
 誤答への配点は、教職教養と中学・高校保健体育のそれぞれ2問と小学校理科、高校農業、中学・高校家庭科のそれぞれ1問の計7問で、業者に渡す採点用のマークシートに解答を転記する際に誤った番号を記入した。中高家庭科と高校農業は、
電子データが保存されておらず、マークシートもすべて廃棄されていることから、全員に1点ずつ加点して対応する。
 2次試験をやむを得ない事情で今回受験できない場合は来年度に限り1次試験を免除する方針。

(琉球新報 10/29 9:37)

                       ◇

■沖縄教育界を襲った巨大ブーメラン■

会見で陳謝をした仲村教育長は、一ヶ月前沖縄県下の校長を前にして生徒を政治集会に参加させるよう訓示を垂れていた。

教育行政には「長」の付く役職が多くてややこしい。

もう人の「長」中山勲委員長が教育委員会の臨時会で、採点ミスの原因や経緯を説明し、謝罪した。

二人の「長」は、沖縄の教育界を狂乱の「11万人」集会に駆り立て、その怒りのターゲットは文科省だった。

渡海文科大臣からの叱責はないが、「学力最下位」と「採点ミス」は、結果的に二連の巨大ブーメランとなって沖縄の教育界を襲った。

沖縄の教育行政のトップはこの採点ミス報道の数日前、「学力最下位」について「衝撃を受けている」と発言し、

「教育をほったらかして、今更衝撃もないだろう。逆にこの発言に衝撃をうけた」という笑い話もおまけに付いた。

沖縄、全教科で最下位 全国学力テスト結果 カメラ  (10/25 9:36)

記者会見で全国学力テストの結果を説明する仲村県教育長=県教育庁

 >仲村教育長は「教員を目指し、真剣に勉強している受験者を冒涜(ぼうとく)する重大なミス。心からおわび申し上げたい」と陳謝

お詫びをすれば済むって問題ではない。 過去に採点ミスのため進路を誤った受験者が何人いるの。

彼らの人生をどうしてくれるのだ。

電子データが保存されておらず、マークシートもすべて廃棄されていることから、全員に1点ずつ加点して対応する」というが、

今更ながら県教育委員会のずさんな点検や管理体制には「衝撃を受ける」。

全員に1点追加してその結果一体どうなるというのだ。

受験者の声を沖縄タイムスから拾って見る。

≪八回目の教員採用に挑んだ沖縄市の女性(30)は、昨年五十三点だった「教職教養」が今年、五点になった。相次ぐ問題ミスに「一点で合否が決まる厳しい世界なのに」と怒りをあらわにする。試験のやり直しが決まったとはいえ複雑だ。「周りから、受かるのではと期待されるのも苦痛。来年に向け、気持ちを切り替えて勉強を始めたのにこのミスで踊らされるのが苦しい」と話した。

 小学校教諭を目指している女性(24)は「大勢の人の将来が懸かっているのに、得点を倍にしたり、四捨五入したりしていたとは…。『最終的には変わらないだろう』という感覚だったんですかね。機械的で悲しくなる」と嘆く。

 今回が最後の受験となった男性(35)は「自分より点数の低かった人が合格しているという思いがある」と本音を漏らす。「今回の合格者には申し訳ないが、合格通知者も白紙に戻して正規な点数で選考してほしい」と語った。≫(沖縄タイムス 10月29日)

これって、県に対して「人生を返せ!」と怒りの拳を突き出しても良いのでは・・・。

責任の明確化指示/教員試験採点ミス
≪中山委員長は「(教育庁サイドには)今回の重大な過ちについて責任の所在を明らかにするよう、重ねて求めた。≫(沖縄タイムス)

杜撰な管理体勢のまま教育界を「島ぐるみ」で政治活動に駆り立てた責任は仲村教育長、中山県教育委員長に在るはずだ。 

担当部署の職員の責任追及も当然だが、トップの二人が陳謝だけでお茶を濁すべきではない。 同じことは又起きる。

ここで貴方の出番ですよ、仲井真知事さん。

杜撰の教育界のトップを首にするのは貴方の仕事でしょう。

では、知事の責任は?

「島ぐるみ」の責任なんて言ったら、大迷惑の県民が多数いますよ!

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緊急!小林よしのり氏招き「沖縄論」緊急シンポ

2007-10-29 19:01:59 | 教科書

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20071027230059.jpg

 沖縄戦の集団自決をめぐる教科書検定で検定意見撤回の動きが問題になる中、教科書改善の会は、小林よしのり氏ら有識者を招き、緊急シンポジウム「沖縄戦を子供たちにどう伝えるか」を開催します。
 
▼日時
11月15日(木)午後6時半開会
▼場所
ベルサール神田3階会議室(東京都千代田区神田美土代町7、地下鉄淡路町、新御茶ノ水、小川町各駅のB6出口より2分)
▼パネリスト
小林よしのり(漫画家、ゴー宣スペシャル『沖縄論』著者)
伊藤  隆 (東大名誉教授、育鵬社歴史教科書編集会議座長)
中村  粲 (獨協大名誉教授、昭和史研究所代表)
勝岡 寛次 (明星大戦後教育史研究センター)
 ※その他交渉中
▼コーディネーター
八木 秀次 (日本教育再生機構理事長、高崎経済大教授)
▼参加費
1000円
▼申し込み(先着400人限定です)
住所・氏名・電話番号・FAX番号を明記の上、下記へ。
【電子メールの場合】office@kyoiku-saisei.jp
【はがきの場合】〒110-0005 東京都台東区上野1-17-1 大湖堂ビル4階 教科書改善の会
【FAXの場合】
03(3835)2436
▼お問い合わせ
☎03(3831)7620

                    ◇
 
教科書を守るため、日本の誇りを守るため、
 
遅まきながら、保守派の学者・ジャーナリストが立ち上がりました。
 
東京近郊の方、奮ってご参加下さい。
 
セミナーでコーディネーターをなさる八木教授の「正論」を以下にリンクします。
 
 
 
                                               ◇
 
以下は小林よしのり氏についてのエントリーの再掲です。

新ゴーマニズム宣言スペシャル・沖縄論

2005年8月14日、「小林よしのりを沖縄に呼ぶ会」(会長高里洋介)主催で著者の講演会が行われた。『SAPIO』2005年9月28日号によれば集まった観客は約1300人、沖縄タイムズによれば1200人が集まったとされる。那覇市で同時刻に行なわれた「日本の潮流と沖縄の戦後六十年」の参加者は100人と、明暗が分かれた(この規模の差が沖縄県民の意識の差と言えるかもしれない)。(ウィキペディア)

 

沖縄の新聞が煽る「民意」と、二つの性格の異なる講演会の動員数の差は一体何を物語るのか。

実は筆者も宜野湾コンベンションセンターで行われたこの講演会に参加していた。

小林よしのり氏に敵意むき出しの沖縄タイムスのカウントでは聴衆は1200名とあったが、

実際は会場には開場前から行列をなしており、筆者の目測では満席で2000人近い入場者と見た。

「日本の潮流と沖縄の戦後六十年」は沖縄のサヨク作家目取真俊 氏が小林氏に対抗して同日、同時刻にマスコミの後援を得ての講演会だったが、実際は100名も集まっていなかったと聞く。

目取真氏の敵意剥き出しの対抗意識にも関わらず講演会には閑古鳥が鳴き、一方小林氏の講演会には行列ができた事は事実である。

当日小林よしのり講演会では「糸数慶子VS小林よしのり討論」が予定されていたが、当日になって糸数氏からドタキャンになった話は≪幻の討論会 「小林よしのりvs糸数慶子(沖縄県知事候補)」≫で書いた。

同氏の『沖縄論』では沖縄戦については詳しく触れておらず、次回に書くようなことを言っていたが、あれから2年。

「集団自決」で沖縄マスコミがこれほど盛り上がっているのに沖縄戦を詳述した『沖縄論』はいまだに出版されていない。

講演では、現在の沖縄の同調圧力の強さをしきりに強調し、次回執筆の折には沖縄戦では日本兵が必ずしも住民を守らなかったということを認識した上で、「集団自決」を含む沖縄戦を書く予定だと言っていた。

だが、敵は米軍ではなく日本軍だったというほど日本軍の残虐さを信じる沖縄県民は、小林氏の取材に対しても「戦争を煽りに来た」といった敵意に満ちた接し方を受けたという。

たとえば、船内で眠っている小林がたたき起こされ、厳しく詰問されたり、取材協力者に圧力がかかり、名前を絶対に出さないで下さいと言われ、沖縄論に登場した人物にも圧力がかかるなど、の話が紹介された。

本人のみならず講演会を世話した高里洋介氏にも圧力がかかり、周囲からは名前を出すことに心配する声もあったという。

結局小林氏は沖縄に渦巻く、「日本軍は残虐だった」という「とてつもない」情熱の同調圧力に負けてしまったのだろう。

そのためなのか、「沖縄論」では妙に県民感情に擦り寄って、沖縄サヨクの英雄である共産党員 瀬長亀次郎 氏に多くのページを割いて沖縄の英雄として賛美している。

米占領下の沖縄では共産党は非合法であり、瀬長氏は人民党を名乗っていたが、復帰直後の国政選挙では正体を現して本来の共産党で立候補し当選を果たしている。

 

このように沖縄戦の実態、そして「集団自決の真相」といったおいしいテーマを書き残していながら、尚且つ続編が書きにくい理由を小林よしのり氏本人が動画で語っている。

流石の小林氏も沖縄に渦巻く「とてつもない」(本人の弁)同調圧力の情熱には打ち勝てないと悟ったのだとしたら、沖縄の言論空間はやはり異常だと言わざるを得ない。

【動画】小林よしのりが「沖縄論」で「集団自決」を書けない理由。http://www.youtube.com/watch?v=Sit4cNFxvNA

 

【おまけ動画】左翼の嘘に便乗する在日コリアンと沖縄サヨクhttp://www.youtube.com/v/9NA22FXZDcY

 
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新ゴーマニズム宣言SPECIAL 沖縄論
小林 よしのり
小学館

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「防衛省の闇」を暴けるか  守屋前次官の証人喚問

2007-10-29 08:15:57 | 未分類

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守屋氏、妻同伴でゴルフ 4月にも 発言を訂正
2007年10月26日13時48分 朝日新聞

 軍需専門商社「山田洋行」の元専務から度重なるゴルフ接待を受けていた守屋武昌・前防衛事務次官(63)が、今年4月末にも妻同伴でゴルフをしていたことがわかった。守屋氏はこれまでの防衛省の調査に、元専務とのゴルフは「昨年秋まで」と説明していたが、25日になって発言を訂正した。石破防衛相は25日付で防衛監察本部に対し、防衛省幹部約420人を対象に、自衛隊員倫理規程違反がないか、特別監察を命じた。

 石破防衛相が26日の閣議後の記者会見などで明らかにした。守屋氏は25日に「4月30日に配偶者同伴で日帰りで元専務とゴルフをした。家族の指摘で気づいた」と連絡してきたという。また衆院テロ対策特別委員会で、守屋氏が元専務に払ったプレー代は、妻同伴でも守屋氏1人の時と同じ1万円だったことも明らかになった。

 特別監察の対象は、課長級以上の事務官と将補以上の自衛官。倫理規程ができた00年以降に利害関係者とゴルフや飲食がなかったかどうかについて聞き取り調査する。石破氏は「早急に調査し、可能な範囲で結果を公表したい」と話した。

                                                   ◇

「防衛省の天皇」といわれた男が今日国会の証人喚問を受ける。

守屋前次官は今夏、小池百合子防衛相(当時)との間で次官を「辞めろ、辞めない」で騒ぎになったことはまだ記憶に新しい。

小泉改革で建設関係の公共事業予算が激減した現在、

防衛装備の購入に巨額の防衛予算が動く防衛省は、

関連業者にとってはよだれの出るような宝の山だと言われている。

防衛商社「山田洋行」の元専務と、自衛隊の規程が禁じるゴルフを計100回以上も繰り返していたというから非常識極まりない。

自衛隊の規程が自費であっても利害関係者とのゴルフを禁止しているのは、巨額に上る防衛装備契約の不正を防ぐためだ。

これを監督すべき事務方トップが自らその規則を破っていたのであり、防衛省全体の規律がどうなっているのかにも疑問が生じる。

山田洋行をめぐる疑惑が後を絶たず、検察が調べを進めている。

 

守屋前事務官は前例の無い長期在任にも拘らず後任ポストを自分の後輩のイエスマンに譲ろうとした。

「実力者」の異例の長期在任と周囲のイエスマンの存在で澱んだ空気に女の直感なのか小池新大臣は「実力者」の切り崩しを計った。

「実力者」は人事権者を飛び越えて官邸に直訴し、これが「防衛省の確執」としてマスコミに面白おかしく報じられた。

だが、当時のマスコミ論調は「女大臣のパフォーマンス」と冷笑した。

だが、小池氏が「防衛省の闇」を本能的に嗅ぎ付けていた推測させるのは、守屋氏の後任ポストに防衛省内からではなく警察庁から警察官僚を指名したことだ。

 

守屋前次官は退任後も「常任顧問」として個室を持ち省内に隠然たる影響力を持っていた矢先の今回の一連の疑惑だ。守屋防衛次官、退任後は事実上の常勤顧問に (8月30日 22:13)
守屋氏は退任後、防衛省顧問に就任する見通しだ。顧問は非常勤だが、幹部によると、守屋氏は個室を与えられ、毎日出勤する事実上の常勤になるという。(読売新聞)

防衛省に院政! 守屋次官、防衛省の天皇から上皇へ格上げ

「実力者」の影響力はF-X(次期主力戦闘機)から、

沖縄の「普天間基地移設」にも絡んで来る。

 

「普天間基地」が住宅密集地域に隣接しているから危険であり一刻も早い移設が望ましい、・・・ここまでは県民の総意といって良い。

だが、何処へ移設するかとなると夫々の民意が交差して一筋縄ではいかない。

辺野古への移設は「Ⅴ字滑走路」で合意を見たかに思えたが、名護市が翻意して県、市、地域が夫々の「民意」をかざし建設利権の思惑が入り乱れている。

一方、建前上はジュゴンとウミガメの命地をを守れと叫ぶ人々が問題をこじらしてくる。

知事、環境厳しく指摘へ 普天間代替アセス  (10/24 9:37)
移設案の沖合移動など従来要求に加え、ウミガメの産卵場や潮流への影響など環境面からも厳しく意見を述べる意向を示した。

「ジュゴンか国防か」 守屋次官の置き土産

「沖合い案はジュゴンに影響する」

「沿岸案はウミガメの産卵に影響する」

では、一体どうしたら良いのか、守屋さん。

守屋氏の胸先の計算はこうなる。

「沿岸案は土建業界の利権」、

「沖合い案は造船業界の利権」。

いずれにせよ防衛予算は宝の山、・・・

「実力者」はどちらの業界につながっているのか。

これで「普天間基地」の移設先は決まる。

石破防衛相は、今回の疑惑噴出を機に、普天間基地移設決定の過程を公表すると井ってはいるが。普天間移設決定過程の公表を検討 石破防衛相(10月28日)

防衛省については、一連の情報漏れ事件も含めて澱んだ空気に潜む膿を徹底的に出して欲しい。

結局、国を守るためには「スパイ防止報」の立法が必要だという結論になる。

 

【おまけ】

「普天間移設」の分かり難さ、について琉球新報が1/20の社説で面白い表現で説明していたので、下記に紹介します。

 

「普天間移設協議 危険性の除去を最優先に」

≪ らせん階段がある。ぐるりぐるりと回りながら一緒に上っているのは久間章生防衛相、仲井真弘多知事、島袋吉和名護市長だ。一方、上っていく3人を見上げているのは、普天間飛行場代替施設移設計画がある地元住民、そして県民である。下から見れば、3人の動きは右へ上ったり、左へ上ったり、どこへ行くのか、じっくり見ていないと分からない。ただはっきりしているのは、上へ上へ、最上階へと進んでいるということだ。

今、最も緊急な課題は、普天間飛行場の危険性を除去することだ。閉鎖を最優先してほしい。移設先は、県外の選択肢を再度、真剣に検討することを求めたい≫(琉球新報 2007年1月20日社説)

 

◆関連エントリー:

防衛庁騒動その2  沖縄の視点 「人命かジュゴンか」

小池百合子は全てを知っていた

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「マッカーサーの三年殺し」【再掲】

2007-10-29 06:36:38 | 県知事選

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沖縄空手の必殺技 「マッカーサーの三年殺し」の再掲です。

                    *

友人の一人А君は沖縄空手の達人で彼の師である故Y先生は沖縄でも伝説の武人であった。

毎月一度の酒席の話題で恩師の武勇伝に話が及んだ。

Y先生は晩年は殆ど弟子を教える事はなく、代わりにA君が代稽古をつけていた。

それでも年に一回、新年の稽古始めにはY先生自ら必殺の突き技を披露していたという。

世界中に散らばる高弟達がこの突き技を見る為年末から新年にかけて道場は外人の弟子で溢れたという。

但し伝説の「突き」は年にたった一回しか披露しない。

裂帛の気合と共に繰り出した拳の突きを、その瞬間クシャミでもして目をつぶってしまったら万事休す。

「もう一度お願いします」と言っても、

「又来年来なさい」と言ってアメリカからわざわざそのために来た高弟も来年又出直さざるを得なかったと言う。

伝説の突きをA君はボクシングのパンチに例えて次のように説明する。

同じパンチでもボクシングのパンチは誰の目にも明らかに相手は当たればその瞬間ダメージを受ける。

当然パンチを受けたらその表面は腫れあがる。

だが、Y先生のパンチ(突き)は受けた表面にはダメージを受けないが後になって内部の組織を徐々に破壊すると言う。

表面は傷つけず内部細胞を破壊する恐怖の必殺技を持っていたと言う。

つまりパンチを受けたときは何も感じないが三年もした頃内部に異常を来たし場合によっては死に至ることもあるという。

これを必殺「三年殺し」の技と言うらしい。

この技を使われたら現行犯を見つかっても殺人の完全犯罪が成立する。

もっともH君、酔ってロレツが回らない状態での話しなので何処までが本当なのかその信憑性は保証の限りではない。

           ◇


戦前の日本の軍部は意にそぐわぬ言論にはあからさまに弾圧した。

当然弾圧を受けた相手は弾圧のダメージを受けるし、弾圧された意識もある。

A君の解説に従うとこれはボクシングのパンチに相当する。

誰の目にも明らかに相手はその瞬間ダメージを受ける。

戦前の新聞等が軍部の意に添う記事を書きまくったのもある意味で理解出来る。

しかし戦後のマッカーサーの言論弾圧は誠に巧妙だった。

「自由と民主主義」のソフトな言葉に包んだ「マッカサーの言論弾圧」はまさに空手の達人「Y先生」の「三年殺し」の必殺技だった。

誰にも気付かれずに徐々にその効果を表す・・・。


現在では公表さた資料から「マッカーサーの言論弾圧」は周知の事実だと思っていたら、日本のマスコミはマッカーサーの呪縛から未だ解き放たれていない。

日本の新聞、特に朝日新聞は「マッカーサーの焚書」から抜けきっていない。

恐るべし「マッカーサーの3年殺し(いや60年殺し)」

その証拠として過去の朝日新聞、天声人語を転載。

【天声人語】2005年09月29日(木曜日)付

 一瞬を切りとった写真が、時代を語ることがある。60年前のきょう、9月29日の新聞各紙を飾った1枚がそうだ。

 両手を腰に当てた軍服姿の180センチと、モーニングを着て直立する約165センチ。朝日新聞の見出しは「天皇陛下、マツクアーサー元帥御訪問」だ。勝者の余裕と敗者の緊張が並ぶ構図は、人々に日本の敗戦を実感させた。

 撮られたのは掲載の2日前。昭和天皇が米大使館に元帥を訪ねた初会談の時だ。外務省の公式記録には「写真三葉ヲ謹写ス」とある。「元帥ハ極メテ自由ナル態度」で、天皇に「パチパチ撮リマスガ、一枚カ二枚シカ出テ来マセン」と説明した。

 未発表の2枚はいま、米国バージニア州のマッカーサー記念館にある。1枚は元帥が目を閉じている。別の1枚は天皇が口元をほころばせ、足も開いている。どちらも、発表されたものに比べて、天皇が自然体に構えている。そのぶん「敗者らしさ」が薄まって見える。

 あの写真は勝者を際立たせただけでなく、時代の歯車も回した。載せた新聞を、内閣情報局が発売禁止にすると、これに怒った連合国軍総司令部(GHQ)が「日本政府の新聞検閲の権限はすでにない」と処分の解除を命じた。同時に、戦時中の新聞や言論に対する制限の撤廃も即決したのだ。

 翌30日の新聞で、それを知った作家の高見順は『敗戦日記』(中公文庫)に書いた。「これでもう何でも自由に書ける……生れて初めての自由!」。こんな、はじける喜びの浮き浮きした感じにこそ、あの写真が語り継ぐ時代の重さの実感がこもっている。
【添付終了】

9月29日の「天声人語」でマッカーサーが戦前の言論弾圧を解放して、日本にも。「これでもう何でも自由に書ける……生れて初めての自由!」と有名作家の言葉を借りて「言論の自由の到来」を高らかに謳い上げた。

ところが、その舌の根の乾かないうちにとはこのことか。

半月後の「天声人語」は「新聞に対する検閲は、明治の初めから占領期まで約80年間続いた。」とある。

「天声人声」は戦後60年にしてやっと「マッカーサーの三年殺し」から解放されたのか。

同じ新聞の同じコラムの論調が半月ほどでこうも変わるとは。

 【天声人語】2005年10月16日(日曜日)付

第二次大戦後の占領期に実施された検閲には不可解な例がいくつもあった。「東北で疫病の恐れ」といった記事が削られる。馬追い祭りの写真も掲載できない。武者姿が復古的と見なされたようだが、恣意(しい)的である。新聞人は敗戦の悲哀をかみしめた。

 新聞の事前検閲が本格化したのは60年前の10月だった。各紙が連合国軍総司令部(GHQ)に日々大量の原稿を持参し、掲載可か否か保留か判定を待った。新聞統制に腕をふるったのは元記者でGHQ情報課長のドン・ブラウン氏である。検閲行政を進めたほか、印刷用紙の割り当ても差配した。

 ブラウン氏の足跡を紹介する企画展が30日まで横浜開港資料館で開かれている。彼が戦時中に手がけた対日宣伝ビラは巧妙だ。すし盛りのカラー写真や天皇の詠歌を載せ、日本兵を投降に誘う。占領終結後も日本にとどまり、80年に病没した。

 ブラウン氏が米国で生まれた1905年、日本は対露戦争のさなかで軍部が検閲に力を入れていた。元TBS記者竹山恭二氏の『報道電報検閲秘史』(朝日選書)を読むと、特報の数々が軍や警察でなく、地方の郵便局で気まぐれに没とされ、削られていたことがわかる。

 当時の報道合戦は電報頼みだった。「○○少佐昨夜旅順ヘ出発ス」。陸軍の拠点だった香川・丸亀の郵便局から記者たちが本社へ送った大量の電報の行方を竹山氏は克明に調べた。歴史に埋もれた電報検閲に光をあて、今年の日本エッセイスト・クラブ賞に輝いた。
 
 新聞に対する検閲は、明治の初めから占領期まで約80年間続いた。


 【付記】

戦後60数年経過しても、沖縄では言論の自由は無い

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自著を否定する宮城晴美氏  証言者の葛藤

2007-10-28 17:40:55 | ★集団自決

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当たり前のことではあるが、

「集団自決」の一番の被害者は「自決」した本人である。

「自決」が軍の命令や強制だったのか、それとも鬼畜と恐れた米兵の上陸直前のパニック状態での「自決」だったのか。

戦後60数年も経った今も集団自決をめぐる「軍命の有無」が争われている。

だが、「集団自決」を生き残った故宮城初枝氏と戦後生まれた娘の晴美氏親子もある意味で「集団自決」に翻弄された不幸な犠牲者だといえる。

≪初枝さんは島の長老から、「梅澤隊長から自決の命令があったと証言するように」と求められた。しかし、初枝さんは証言できないと断った。だが、「島の人たちを見殺しにするのか」という長老の怒りに屈して、自決命令があったと証言したのである。≫(世界日報)

これを契機に、「梅澤隊長自決命令」説が広まっていく。

いや、広まっていくというより、どうしても軍による「自決命令」がなければ困る人々が居たのだ。

「集団自決」を生き残った人たちは苦しい心の葛藤を負わされる。

ある人は「自決する」家族を見殺しにして生き残った。

生き残ったこと自体が心の葛藤になる。

軍の命令や強制だったら生き残ること自体が矛盾になる。

軍の命令や強制で「自決」を拒否して生き残ることは本来不可能なはずだから。

又自分の親兄弟の自決や他人の自決を「手伝った」生き残りは、

「軍の命令だった」と言い続けなければ戦後生きてはいけなかった。

又ある人は自分の軽薄な言動がパニックを引き起こし「自決」の引き金となった。

その責任を逃れるためにも「軍の命令だった」と言わねば戦後生きてはいけなかった。

敵艦に島を囲まれ艦砲射撃の嵐の中、袋のネズミ状態でパニック状態で起きた彼らの行動を責めることは出来ない。

だが、生き残ったものたちは自分で自分を責めた。

彼らを救うのは唯一つ。

「軍の命令だった」「強制だった」、と言い続けること。

「自決」は軍の責任でやむえなかったのだ。

これに「遺族年金」が絡むと問題は更に複雑になってくる。 

                   *

2007年11月9日。

係争中の裁判で注目の大江健三郎氏の証人喚問行われ、愈々この裁判のクライマックスを迎える。

これまで証人喚問に応じた被告側証人には金城重明氏、宮城晴美氏がいる。

皆本、知念、金城の三証人はいずれも「あの日、あの島」に居た証人で勿論三人とご高齢である。

証人の中でただ1人戦後生まれでまだ50代の宮城氏だけが「あの日、あの島」に居なかった。

だが実母である故宮城初枝氏書き残した「証言」を証言するという特異な証言者だった。

宮城氏が特異な証言者だというのはこれだけではない。

母初枝氏の「証言」を宮城氏がまとめて出版した『母の遺したもの』が、原告側の証拠として法廷に提出されていたのだ。

                     *

自著が敵対する原告側の証拠として提出され、

その一方本人は自著の内容の「母の証言」を否定するため被告側の証人として証言台に立つ。

これがドラマなら緊迫の法廷場面だろうが実際はどうだったのか。

原告と被告の間に立つ『母の遺したもの』について「世界日報」は次のように書いている。

沖縄戦の悲惨の極限『集団自決』の中を生き、『真実』を秘めたまま母は他界した。それから10年――いま娘は、母から託された『真実』を、『集団自決』の実相とともに明らかにする」
 第二十二回沖縄タイムス出版文化賞正賞を受賞した『母が遺したもの』(平成十二年十二月発行)の宣伝文句である。(世界日報25日付)

 

 宮城氏の法廷での証言はどうだったのか。


 「戦隊長による命令があったかどうかは分からない。しかし、住民の『集団自決』は軍の命令や指示によるもので、その最高責任者は部隊の指揮官である梅澤氏だ」。七月二十七日、大阪地裁で証人尋問に立った宮城晴美氏(57)は、それまで梅澤隊長の自決命令を否定する立場だったが、今年六月二十四日、座間味村の宮平春子さん(80)に取材して認識を変えたと語った。
 春子さんから、兄で兵事主任だった宮里盛秀助役(当時)が「軍からの命令で敵が上陸してきたら玉砕するように言われている」との発言を聞き、これを軍命令の「決定的な証言」と受け止めたという。
 だが、この証言は目新しいものでもなければ、決定的でもない。なぜなら宮城氏は、この証言を既に知っている。それは、宮里助役の父、宮村盛永氏の自叙伝(昭和三十一年十月起稿)にある。
(世界日報 10月26日付)

 

「母の遺言」を書き変える娘 揺れ動く「証言」より、その経緯を抜書きして以下に再掲する。

                   ◇


宮城さん、原告を批判/「集団自決」訴訟で報告会

自分のついたウソの証言に自責の念にかられた宮城初江氏は「真実」を綴ったノートを娘に託した。

娘はそれを『母の遺したもの』として出版した。

それが係争中の裁判の原告側の証拠として提出された。

娘は故人となった母の代わりに証人尋問の証人として出廷し証言した。

だが、「平和活動家」になっていた娘にとって「母の遺したもの」は「不都合な事実だった。

ちなみに証言者宮城晴美氏はサヨク学者安仁屋教授の教え子である。

証言者は、亡き母の証言を否定し『母の遺したもの』の内容を書き変えて改訂版を出版すると言う。

                    *

宮城氏の証人尋問で次のことが明らかになった。

①宮城氏が、軍による自決命令があったと見解を変えたのは、わずか1月前の本年6月だということ。

②そして宮城氏自身が今も、梅澤さんが自決命令を出したと主張しているわけではなく、

軍に責任があり、そうであるなら部隊長の梅澤さんに責任があると考えるようになったに過ぎない>と言うこと。

 

宮城氏は戦後生まれであり、本来なら「集団自決」の証言者の資格はない筈。

だが、母である初枝氏が座間味島「集団自決」の唯一の生き残証人でその証言を死ぬ前にノートに綴っており、

それを娘の宮城氏が『母の遺したもの』として出版した為、証言者となった。

従って、本人の証言というより「母の証言」についての証言者である。

証人尋問で唯一本人の意見としての証言は

「母が言及している時間帯における梅澤隊長の命令が無かったとしても、以外の時間で梅澤さんの命令があったかも知れず、梅澤さんの責任はあると思うし、そもそも軍としての命令はあったと思う」という証言。

「そもそも軍としての命令はあったと思う」と言うことはその場に居なかった者の推量であり証言とはいえない。

しかも、そう考える(推量する)ようになったのはわずか1ヶ月前の事。

『母の遺したもの』の中で実際に自決を命令したと記述のある村の助役の妹が一月前、自分の兄である助役を庇う証言をした。

それを聞いて宮城氏は自説(母の証言)をいとも簡単に変えたのである。

助役の妹の証言とは、県議会の現地調査の時に出てきた証言である。

これにについて、裁判長が「本当にその証言でよいのですか」と聞き返したことは「母の遺したもの」の母の証言を、裁判の僅か一ヶ月前に翻したことへの不信感の表れなのでしょう。

ちなみに宮城氏が証言を変えた助役の妹の証言の出た県議員団の「現地調査」が、

いかにデタラメな噴飯物だったかは次のエントリーに詳しい。

【新聞が報じない現地調査の実態!】 県議団調査団の醜態

この調査には沖縄タイムスの「ねつ造記事」に対する「お詫びと訂正」というオマケ迄付いたいわくつきの調査である。

 沖縄タイムスの「大きな捏造記事」と「小さな訂正記事」

又しても沖縄タイムスが捏造記事訂正 証言続出の「集団自決」

                     *

ところで宮城証言の根拠である『母の遺したもの』の母初江氏の証言はどうなっているのか。

時間をしばし巻き戻そう。
 
 「集団自決」から37年後の、昭和57年6月。

元座間味守備隊長梅澤さんが座間味島で宮城初枝氏(宮城晴美氏の母)に再会した。

その際、初枝氏は、長年一人で抱え続けて来た苦しい胸の内を一気に吐き出し次のように語った。

「隊長は、自決してはならん、弾薬は支給しないと明言しました。そのことを知っている唯一の生き証人です。」

そして初江氏は、梅澤さんに何度も謝罪した。


そして、その翌月の7月。

初枝氏から梅澤さんに、次のような手紙が送られた。

<真実の歴史を残すためには此れから私のやるべき事が残っております。
あの悪夢のような二十五日の晩のでき事は五人の中、私一人が生存しその内容を知り、語り伝えるための宿命だったかも知れません。
後、一人は生きていて欲しかったのでございます。
誰と話す事なく一人で悩んでいる訳でございます。
私の戦後は終っておりません。

今後、下谷さんが悲劇の座間味の本を再発行する事になりましたので好い機会ですので訂正させて頂き度いと思います。当時の島のふん囲気の軍命を出し、誰がも(誰もが)知れない真実を自分一人で知り乍ら、忠魂碑の前集合は住民にとっては軍命令と思いこんでいたのは事実でございます。

何時も私の心境は梅沢様に対して済まない気持でいっぱいでございました。しかし、村の方針に反する事はできませんでした。
お許し下さいませ すべてが戦争のでき事ですもの。>(沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会より)

その後、更に初枝氏から梅澤さんに、『とっておきの体験手記』と題する手記の写しも送られて来た。

それには、弾薬を渡すよう村の助役が申し出たことに対し、梅澤さんがはっきりと拒んだことが書き綴ってある。

又集団自決を命じた村の助役の実弟宮村幸延氏が、梅澤元隊長が命令したと証言したことに対して梅澤氏に詫びており、詫び状まで書いている。

                       ◆                 

 

母の証言をまとめて『母の遺したもの』を著した娘晴美氏は皮肉にも母の証言を否定する立場で証言台に立った。

彼女が選んだ選択は、自著の表現が未熟であり、関係者に誤解を与えてしまった、座間味島における「集団自決」は梅沢隊長の命令によると証言し、被告側を支援するという道である。

結果的に彼女は自著を否定することになった。

≪果たして彼女はその選択を、一体いつ決めたのだろうか。自らの主体的な意思で選んだのか。母初枝さんは昭和三十一年、村の長老の半ば脅迫じみた言辞に証言を拒めず、しぶしぶ、虚偽の証言をしてしまった。宮城晴美氏もまた、かつての母と同じように、関係者の「圧力」を受けたのだろうか。≫(世界日報より引用)

 

【追記】18:54

書きかけの原稿のまま、誤ってアップしてしまいました。

すみません。

それで文脈のおかしな部分を一部変更しました。

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母の遺したもの―沖縄・座間味島「集団自決」の新しい証言
宮城 晴美
高文研

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教科書執筆者が自爆テロ! 朝日も認める「軍命は伝聞」 

2007-10-28 07:30:25 | 教科書

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「集団自決」問題の当事者ともいえる沖縄タイムスと朝日新聞が「語るに落ちて」しまった。

何と、「集団自決」で論争のポイントである「軍の命令」が伝聞であると認めてしまったのだ。

しかも伝聞を承知でこれを教科書に載せろという執筆者が記者会見をした。

さらには、嘘まみれの「11万人県民大会」も教科書に載せろというから、何をか言わんやだ。

だが、嘘も繰り返せば」「真実」になる。

今朝のエントリーの冒頭部分を敢て繰り返す。

「嘘から出たまこと」という言葉がある。

嘘もつき通せば真実となる。

一度嘘を信じ込んでしまえば、それを崩すまでは真実のままとなる。

一度完成された嘘を壊すことは容易ではない。

「嘘」から転化した「事実」が教科書にも載ることもある。

50年後の教科書記述。

「沖縄県民の怒り、11万人の県民大会が教科書を変えた

                     *  

 主語に「日本軍」明記 執筆者が異例の表明、週内にも訂正申請  (10/28 9:42)

 【東京】高校歴史教科書の「集団自決」(強制集団死)検定問題をめぐり、教科書執筆者で高校教諭の坂本昇さん(51)は27日夕、都内で記者会見し、自ら執筆を担当した教科書で「日本軍によって『集団自決』を強いられた」と記述し、軍強制を明記する方針を明らかにした。31日に教科書出版社と最終調整し、11月1日か2日のいずれかの日に文部科学省に訂正申請する予定。申請前に執筆者が訂正内容を公表するのは極めて異例だ。9月29日の「9・29教科書検定意見撤回を求める県民大会」から1カ月が経過したが、執筆者から訂正申請の具体的な方向性が示されたことで、「集団自決」検定問題は新たな局面を迎えた。
 検定後の記述は「『集団自決』においこまれたり」と、日本軍の強制性が不明りょうになっていた。今回は「日本軍によって『集団自決』を強いられたり」との記述で調整している。
 坂本さんは、本文のほかにも4点の修正を行う方針。「集団自決」の文言に脚注を付け、「これを『強制集団死』と呼ぶことがある」と加える。引用史料として記載していた「集団自決」体験者の証言には、「軍から命令が出たとの知らせがあり、いよいよ手榴弾(しゅりゅうだん)による自決が始まりました(略)」との段落を追加し、分量を増やす。
 最近の情勢を伝える別のページには、2007年の出来事として教科書検定が問題になったことを取り上げる。
9月末に沖縄で、検定撤回を求める大規模な県民大会が開催されたことも注釈に盛り込む。
 文科省は、審査が終わるまで訂正内容を外部に公表することを禁じている。坂本さんは「あくまで一執筆者の個人責任として会見した」と話した。
 県民大会に参加した坂本さんは、軍強制を明確化した記述にする理由について「沖縄の人は安易な訂正ではなく、撤回を求めている。その気持ちを大事にしたい。検定意見に徹底して抗議せずに折れてしまった執筆者の責任もある。われわれも中途半端に訂正申請すべきではない」と話した。
 対象5社のうち、ほかの3社も検定前より「日本軍の強制」を明確化した記述に改める方針を示している。11月の第1週までには、他社の修正内容もほぼ出そろうとみられる。
 文科省は、教科書出版社から訂正申請が出た場合、教科用図書検定調査審議会を開き、審議にかける方針を示している。


(琉球新報 10/28 9:42)

                       ◇

新報の大見出し(1、27、28面のトップ)を見ると、教科書記述で鬼の首どころか文科大臣の首を取ったような大騒ぎだが・・・。

ちょっと待って欲しい。(朝日風?)

事態は10月初旬から何ら進展してはいない。

記事内容は1人の左翼教師の自爆行為とも取れるパフォーマンスに過ぎないのだ。

教科書執筆者と教科書課会社は必ずしも意見は一致していない。

10月5日の時点で、教科書会社の態度を、新報は次のように報じている。

「集団自決」軍強制 出版社、元の記述を困難視  (琉球新報 10/5 )

坂本氏の申請理由には説得力のある新証拠・学説は何一つ無く、無理を承知で自爆行為に打って出たとしか思えない。

>「軍から命令が出たとの知らせがあり、いよいよ手榴弾(しゅりゅうだん)による自決が始まりました(略)」との段落を追加し、分量を増やす・・・

本来なら坂本氏を後押しするはずの朝日も「軍の命令が・・・」のくだりを、何と「伝聞」と表現している。

「軍の強制」復活申請へ 教科書執筆者「新証言を追加」写真付き記事(朝日新聞10月28日)

≪ 訂正申請では、伝聞で日本軍の命令を聞いたという生存者の証言を追加し、集団自決は「強制集団死と言われることもある」という趣旨の脚注も入れる。さらに、07年のできごととして、検定が問題となり、沖縄で反対運動が起きたことにも触れるという。≫

流石の朝日も自爆教師には付き合っておれないと見たのだろう。

> 9月末に沖縄で、検定撤回を求める大規模な県民大会が開催されたことも注釈に盛り込む。

新報は「大規模な県民大会」としているが、中日新聞では「十一万人規模の県民大会」と表現している。

≪執筆者の高校教諭坂本昇さん(51)が二十七日に記者会見し明らかにした。「日本軍によって強いられた」を「日本軍によって追い込まれた」などの表現にする可能性もあるという。さらに、今年の教科書検定で、日本軍の強制に関する記述が消えたことや、九月に沖縄県で検定意見の撤回を求める十一万人規模の県民大会が開かれたことについても教科書に書き込む方向で調整が進められているという。(10月28日 共同ー中日新聞)≫

どうせ自爆して果てるつもりなら、毒を食らえば皿までと、

でかい嘘で申請するつもりなのだろうか。

                    *

教科書検定制度の当否はここでは問わない。

だが、日本には教科書検定制度が存在するのは紛れも無い事実。

その制度により、記述に「誤解のおそれがある」と意見書が付き、

それによって記述が変更になった。

その変更に対して、新しい「証拠」等による学術的検証が行われ、

その結果、元の記述或いはより踏み込んだ記述に戻ったとしても、

検定制度に何ら矛盾することはない。

だが、検定意見を覆すような新「証拠」、「学説」が無いのにも関わらず、数の暴力に負けて変更前の記述に戻るとしたら、

これは検定制度の否定であり、ひいては法治国家の否定にもなる。

東京都の高校教師である教科書執筆者・坂本昇氏の主張はまさに検定制度の否定であり国家の否定だ。

教科書検定制度について10月1日、町村官房長官は次のような談話を発表している。

≪教科書の中身というものがそのときどきの政治的な思惑によって動かされることがあって本当にいいんだろうか。我々自民党の立場からすると、マルクス・レーニン主義によって、あるいはマルクス・レーニン主義者を自ら認めているような教科書の執筆者によって書かれたものが率直に言って不満に思ったことはずいぶんあります。しかし、それでも自由民主党としては、これは教科書検定という制度の中で認められたものだから、ということでそれ以上のことはいいませんでした。≫(10月1日午後、町村官房長官記者会見)

今回の検定意見はこれらのマルクス主義史観の記述からバランスの取れた記述への変更であり、

ことの妥当性は実は執筆者自身が一番承知している筈なのだ。

今朝の琉球新報は、執筆者を煽る大見出しが踊る。

前進  背中押した 沖縄の声

実行委「勇気ある一歩」

<執筆者> 自責、苦悩、・・・覚悟を決める

 だが、マスコミが必死で背中を押しても執筆者と教科書会社の意見は必ずしも一致していない。

≪「教科書の執筆者を辞める」。

教科書出版社が申請見直しを求めてきた場合の対応を聞かれて、坂本さんは強い覚悟を見せた。≫(琉球新報 10月28日 社会面)

これではまるで沖縄を救う英雄のようではないか。

まぁ、この人にはそれなりの考えもあるのでしょう。

執筆者を辞めても定年後は、「元高校教師」の肩書より、

文科省に異議を唱えた「反逆の歴史家」の方が商品価値が大きいと見たのでしょう。

教科書執筆者は「集団自決」検定に批判的立場の人が多い

「集団自決」検定/執筆者「恣意的」と非難

当日記は「集団自決」に関して「市民運動で歴史を決めるのではなく、学者・専門家の議論・検証に委ねるべき」と主張してきた。

教科書執筆者も多いという「歴史教育者協議会」に検証を委ねよという意見が一部にある。

ところが、この一見研究者集団風の団体は、実はマルクスレーニン主義者の集まりだというから驚く。軍命削除撤回を決議 歴史教育者協議会

このきわめて左翼的組織はマルクス史観の歴史家松島栄一氏の創立したものと聞けば納得できる。

それに日教組の社会科の教師が集まったとなると、全ての歴史はマルクス史観の色眼鏡を通して判断される。

この集団は苔むした「マルクス史観」の研究団体ではあっても、まともな歴史研究団体ではない。

いや、むしろ「政治団体」といったほうがその名に相応しい。

上記記事の高校教師・坂本昇氏は、杉並区で採択された扶桑社歴史教科書への抗議に名を連ね政治活動に余念が無い
http://www.jca.apc.org/rekkyo/data/data01/book/shoseki
/21-26y/rekishi261030.html


坂本氏の本音は、史実の検証に基ずく歴史教科書ではなく、自分たちのイデオロギーに沿った教科書を数の暴力でゴリ押しすることだ。

                      ◇

■朝日新聞、沖縄タイムスが「軍命は伝聞」と認めた■

新報はあえて伝聞の文字を避けているが、沖縄タイムスの記事では「日本軍の命令」は伝聞と記述するという。

「集団自決」問題の当事者とも言える沖縄タイムスと朝日新聞が「日本軍の命令」を「伝聞」と認めるということはこの問題が既に決着が着いた事を意味するのではないか。

やはり、秦郁彦氏がいみじくも言うように、執筆者は皆知っていたし、検定意見書は「渡りに舟」だったのだ。

伝聞で、

「日本軍が集団自決を強制した」と教科書に記載?

冗談でしょう。

伝聞記事が検定を通るはずは無いし、教科書に載るはずも無い。 

「軍の強制」明記/執筆者坂本氏 申請へ  
(沖縄タイムス 10月28日)

 【東京】沖縄戦「集団自決(強制集団死)」への日本軍の強制を削除した教科書検定問題で、検定意見の対象になった五社のうち一社の執筆者を務める高校教諭の坂本昇さん(51)が二十七日、東京都内で記者会見し、自分が執筆する教科書に「日本軍によって『集団自決』を強いられた」との記述を明記して文部科学省に訂正申請する方向で準備していることを明らかにした。また、「集団自決」体験者による「軍から命令が出たとの知らせがあった」との証言を史料として掲載し、伝聞形式で「日本軍の命令」を明記することも検討している。

                      ◆

【保存資料】
朝日新聞  「日本軍の命令は伝聞」

「軍の強制」復活申請へ 教科書執筆者「新証言を追加」

2007年10月27日23時08分 朝日新聞

 沖縄戦での「集団自決」をめぐり、教科書検定で「日本軍の強制」が削除された高校日本史の執筆者で、高校教諭の坂本昇さん(51)が27日、日本軍による強制で集団自決が起こったという趣旨で、教科書会社が文部科学省に訂正申請する見通しを明らかにした。他の教科書会社も同様に、強制性を記した訂正申請を検討中という。

図

教科書検定の流れ

 坂本さんが執筆する教科書会社の編集者との打ち合わせは終わっており、会社が30日をめどに最終判断し来月初めにも申請する予定という。

 訂正申請では、伝聞で日本軍の命令を聞いたという生存者の証言を追加し、集団自決は「強制集団死と言われることもある」という趣旨の脚注も入れる。さらに、07年のできごととして、検定が問題となり、沖縄で反対運動が起きたことにも触れるという。

 坂本さんは、こうした記述を入れる理由として、検定で削除が明らかになって以降、新たな証言が出たなど状況の変化を挙げ、「『日本軍の関与』なら認められるだろうが、強制だったことをはっきりさせたかった」と説明した。

 検定の規則では、申請者は、検定が終わるまで内容を明らかにできない。坂本さんは「検定の密室性に一石を投じたい」と、教科書会社とは別に一執筆者として申請前に修正案を明らかにすることにしたという。

 

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「11万人」に拘る人  産経那覇支局がバッシング?

2007-10-28 06:38:57 | 教科書

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「嘘」も皆で騒げば「事実」となる。

「嘘から出たまこと」という言葉がある。

嘘も突き通せば真実となる。

一度嘘を信じ込んでしまえば、それを崩すまでは真実のままとなる。

一度完成された嘘を壊すことは容易ではない。

「嘘」から転化した「事実」が教科書にも載ることもある。

50年後の教科書記述。

「沖縄県民の怒りが11万人の県民大会で噴出した」

                  *

 

「11万人か1万数千人か」。

この論争もそろそろネット上の話題から消えかかっているが、

騒動の震源地沖縄では、地元メディアは「11万人」で押し通している。

「主催者発表」の五文字を記事では報じていないのだ。

全身逆風の状況下、沖縄でこれに異論を唱える全国紙の記者がいる。

産経新聞那覇支局長小山さんは自身のブログ今夜も、さ~ふ~ふ~で、「11万人」の数字にこだわり続けている。

簡単なことだという。

「主催者発表の五文字を入れてくれ」

ジャーナリストとして当然のことだという。

全国紙といっても朝日や毎日の那覇支局だったら論調は地元紙と同じなので仕事もやりやすいだろう。

だが、論調が真逆の産経は「11万人」でも朝日と論争をしたくらいだ。

四面楚歌の心境か。 

論争「朝日vs産経」

それに、那覇支局の事務所は琉球新報のビル内にあり、色々やりにくい点もあるとは思うのだが。

次のような地元紙の記事も産経新聞へのあてつけのように感じるらしい。

≪県民大会参加者数を少なく伝え、沖縄の地域問題に矮小化する一部メディア、沖縄戦の実相を歪める動きもある。≫(沖縄タイムス記事)

勿論、ここで言う「一部メディア」とは産経新聞のことだろう。

してみると震源地の那覇支局への風当たりが強いのは素人でも予測はつく。

以下今夜も、さ~ふ~ふ~から小山さんのつぶやきを拾ってみた。

同ブログは地元紙の「読者欄」(オピニオン面)にも徹底的に目を光らせている。

 

▼≪11万6000人が県内外から集まったことはすでに歴史になってます。≫

オピニオン面にデスクはいるのですか?

2007/10/21 16:55

▼今朝の新報、タイムスのオピニオン面を拾い読み。
まずはタイムスから。







次は新報から。





数字が入ってない投稿は他にもありましたが、
オピニオン面では、もはや検証の必要のない既成事実になっているようです。≫




▼ ≪聞くところによると、県民大会に関するわたしのエントリーが削除されているというデマが流れているそうです。
相手側からクレームがあったせいかなどすると憶測付きで。
ひょっとして何かの間違いで消えてしまったのかと思って確認したら、
ちゃんと掲載されてました。
なにしろ、いまだにわたしは当日、会場にいなかったという究極のデマまであるので、付き合いだすときりがないのですが、今回はこれくらいで。≫

▼≪タイムスの特集面で、もうふとつ気になる表現がありました。
こちらに赴任して悲しいことのひとつは、何らかの異議・疑問を呈すると
「沖縄戦、沖縄問題を矮小化しようと策動するやから」というレッテルが張られかねないことです。
「主催者発表」の5文字をつけるべきと主張することが、「反沖縄」なのでしょうか?≫

▼≪わたしは逆に「11万人」を導き出した手法に強い違和感を持ちました。

実行委員会幹事の平良長政県議は本紙の取材に対し、算出方法について、こう答えています。

「一人一人をカウンターで計算しているわけではない。同じ場所で開かれた12年前の米兵による少女暴行事件の集会参加者数8万5000人(主催者発表)を基本にした。当時に比べ、会場周辺への人の広がりは相当のものだった」と語り、主に日米地位協定の見直しを求めた平成7年の県民大会の写真と比べながら、算出したと明かした。

つまり12年前の写真との目分量の比較でしょうか。
この方法に違和感はありませんか?≫

 

▼≪ところで、昨日、沖縄県警の幹部による定例会見があったのですが、
驚いたのは県警側から「実行委員会はどのような方法で11万人という人数を算出したのですか」という質問が、われわれに出されたことです。
軽口ではなく、真剣な表情でした。
興味がない、なんてことはないでしょうね。

簡単にいえば12年前と今回の写真の比較から、そう判断したというのが取材に対する主催者側の回答です。≫


▼≪最近、会合や会見でなぜか隅っこにいる私にカメラをしつように向ける人がいつのですが、「行確」用の資料でしょうか?

本日、こんな記事が掲載されてます。
いろんな数字が出てくるものですね。

週刊新潮では

2007/10/25 13:19

 

▼≪実行委員会幹事の平良長政県議は本紙の取材に対し、算出方法について、こう答えています。

「一人一人をカウンターで計算しているわけではない。同じ場所で開かれた12年前の米兵による少女暴行事件の集会参加者数8万5000人(主催者発表)を基本にした。当時に比べ、会場周辺への人の広がりは相当のものだった」と語り、主に日米地位協定の見直しを求めた平成7年の県民大会の写真と比べながら、算出したと明かした。

つまり12年前の写真との目分量の比較でしょうか。
この方法に違和感はありませんか?≫

                     *

小山さん、逆風に負けずに頑張って欲しい。

「天網恢恢疎にして漏らさず、天知る、地知る、読者知る!」(後半は手塚治虫の言葉?)

                      ◇

もう一人「11万人」の数字にこだわる人がいた。

現代史家・秦郁彦先生は26日の産経新聞「正論」で本業の歴史はさて置いて、専ら「11万人」についての検証をしておられる。


【正論】集団自決と検定 現代史家・秦郁彦2007.10.26 03:07
 
 □沖縄集会「11万人」の怪

 ■「1・9万~2万人」の推定数も

 ≪産経と朝日の応酬に端緒≫

 福田首相の人柄もあってか、何となく堅苦しい気分が漂う昨今だが、久々に笑いを誘ったのが教科書検定に抗議する沖縄県民大会(9月29日)の参加者をめぐる産経新聞と朝日新聞の応酬であった。

 かいつまんで要点を紹介すると、まず10月3日の産経抄が「(県民大会で)沖縄11万人抗議」の大見出しで1面トップの大半を埋めた朝日の特大報道をとりあげる。そして11万人は主催者発表の数字で「関係者によると、参加者は最大で4万3000人だそうです」「規模を2・5倍も誇大に報道する姿勢は、戦時中に大本営発表を垂れ流し続けた貴紙の過去とだぶってしまいます」と切りつけた。

 朝日も黙ってはいない。翌日夕刊の「論説委員室から」というコラムで、産経も9月30日朝刊の第一報では「撤回求め11万人」と報じ、2日の産経抄でも「11万人が参加した」と書いているから「何だ、同じではないか」「やはり11万人(主催者発表)と書いた朝日をたたく。自己矛盾…」と切り返した。

 そのころ、ネット上では参加者の実数をめぐる論戦がヒートしていた。2万人とか3万5000人とかの数字が乱れ飛んだが、沖縄県警が当局側調べの数字を発表していたら、こんな論争は起きなかったろう。

 そもそも大型の集会やデモの参加者は主催者発表と警察発表の2種類があり、新聞は両方を併記するのが慣例になっている。たとえば戦後最大のデモとされる60年安保騒動の数字を朝日の縮刷版で調べると、「空前のデモ 国会を包む」の見出しがついた5月26日は17万5000(主催者)対6万人(警察)、6月19日は33万対13万人というぐあいで、2~3倍の開きがある。

 ≪県警が公表を拒んだ理由≫

 今回に限って沖縄県警が公表を拒んでいるのは「ある種のマグマが爆発寸前」(仲井真弘多知事)とされる県民の怒りを買えば、一般犯罪の捜査に差しつかえると判断したのかもしれない。

 それにしても、高速道路の通過車両をカウントするに似た調査法はないものかと思案していたら、やはりあった。テイケイという中堅の警備会社(高花豊会長)が、県民大会の拡大空中写真をタテ8コマ(A~H)、横13コマ(1~13)に分割して1Cは124人、10Eは620人というぐあいに1人ずつカウントして集計した視認可能の合計が1万8179人、別に建物、木陰、写真外などを推定で加えた総数を1・9万~2万人と算出したのである。

 区画ごとのカラー写真も添付してあり信頼性は高いと思うが、他にも熊本で似た手法を用い3日かけてほぼ同じ数字を算出した人がいると聞く。

 どうやら主催者発表は実数の5倍前後になるようだが、このうち無料バスまで出した官民合同の組織的動員や本土からかけつけた人がどのくらいいるのかは知るすべがない。

 しかし6月9日の県民大会とデモの参加者が3500人(主催者発表)とか、10月15日東京沖縄県人会などが開いた総決起集会に集まったのが650人(琉球新報、うち170人は沖縄から上京した要請団)のような規模からおよその見当はつく。もっとも10月14日、那覇市内での大綱引き大会には20万5000人(主催者発表)が集まったそうだから、県民のお祭り好きは理解できるというもの。

 ≪すりかえ闘争戦術が奏功≫

 では県民12人に1人の「11万人」を集めた県民大会は何をめざしたのか。朝日の報道によると、採択された決議は「“集団自決”が日本軍による関与なしに起こりえなかったことは紛れもない事実」だとして、文科省に検定意見の撤回を求めたのだという。また大会の最後に、2人の男女高校生が声をそろえて「教科書から軍の関与を消さないでください」(赤旗)と宣言したよし。

 ところが福田首相は10月4日の国会での代表質問で「(検定意見は)軍の関与を否定するものではない」と答弁した。念のため今年春の検定意見を読み直し、その通りであることを確認したので、筆者はキツネに化かされたような気分になった。

 察するに、なかった軍の命令、強制と、ありえた軍の黙認、制止を「関与」の一語に集約した沖縄の闘争戦術が、すれちがいを生んだのではあるまいか。このすりかえはそれなりに成功した。

 「沖縄11万人の抗議」の大合唱にたじろいだ政府は、教科書会社の訂正申請という姑息(こそく)な便法で切り抜けようとしているが、数のトリックに屈してはならない。(はた いくひこ)

                      *

上記論文中の「テイケイ」が行った参加人数の検証は次のリンクが決定版。テイケイが証明した沖縄集会のウソ



【おまけ】

仲井真県知事は「11万人」にこだわり過ぎて逆切れし、ついには「20万人」と言い出す始末。

【沖縄集団自決問題】 県民大会の群集はウッドストックフェスティバルを凌ぐ数だと仲井真沖縄県知事

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「沖縄戦」都内で講演会  作家と研究者二足の草鞋を履く男

2007-10-27 08:15:59 | ★集団自決

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沖縄タイムス  2007年10月26日(金) 夕刊 1・6面  
 
「検定意見の撤回が民意」/大城さん、都内で講演

 【東京】沖縄戦「集団自決(強制集団死)」訴訟の被告側支援や教科書検定問題に取り組む「沖縄戦首都圏の会」は二十五日、連続講座「沖縄戦の真実と歪曲」を都内で開き、沖縄戦研究者で沖縄平和ネットワーク代表世話人の大城将保さんが講演した。(略)
   

                    ◇

「11万人」か「2万人前後」かで、参加人数で議論を呼んでいるが、東京で行われた上記講演会の参加人数はタイムスも新報(ウェブサイトには記事自体が無い)も参加人数については何故か触れていない。

だが、実際に参加した人の情報によると「40名~50名」の小規模集会だった模様。

ウェブサイトに載せたタイムス記事には特に目新しい内容は無いが、ネットを避けた?新報には突っ込みどころが満載だった。

津堅島で住民が「集団自決」に」追いつめられたとき、女児が突然大声で泣きだしたため大人たちが我にかえり、死を思いとどまった事例を紹介し、「軍命から逃げられない。 隊長の一言が生死を分ける。 梅沢隊長は本当に『自決するな』と」言ったのか。自己弁護に過ぎない」と強調。 隊長が住民を制止していたら「集団自決」は起こらなかったと訴えた。≫(琉球新報 2007年 10月26日 夕刊 ウェブサイトには無い)

講演会は「集団自決」は軍の命令以外にはありえない、といった主旨で、

大城氏は独自の調査でそれを証明しているつもりのようだが、新報記事が正しいとすれば、

逆に「軍の命令は無かった」と証明したことになる。
 
>住民が「集団自決」に」追いつめられたとき、女児が突然大声で泣きだしたため大人たちが我にかえり、死を思いとどまった・・・

誰に追いつめられたかを具体的に書いていないが、文脈からいって「米軍の上陸、艦砲射撃によるパニック」追いつめられた、としか考えられない。

女児の泣き声で我に返るくらいだから「パニック」から我に返ったのだろう。

という事はこの事例は、命令が無くとも孤絶された島であのような状況になれば誰でもパニックに陥るということの証明になる。

「死を思いとどまった」ことは自分の意思で「自決」を中止したことになる。

ただ、大城氏がこの事例を「軍のいなかった島は自決はない」とする根拠にするのなら、これにも大きな矛盾が生じてくる。

たまたま女児が大声で泣くということが無かったら、

津堅島でも「集団自決」が起こりえたという証明になってしまうのだ。

>軍命から逃げられない。

これこそこの講演会の最大の矛盾発言である。

係争中の裁判の証人・金城重明氏を始め、軍命を主張する人は多数いるが、全て「軍命を逃れて」生きているではないか。

>隊長が住民を制止していたら「集団自決」は起こらなかった・・・

現場に居合わせていない隊長に対して「制止していたら・・」とは単なる言いがかりとしか取れない。

タイムス、新報両紙は大城氏の破綻した理屈の詳細は伝えていないが、参加者の情報によると、講演内容は「日本軍の悪行」の追求に終始したという。

≪「軍隊は国民を守らない、米軍より日本兵のほうが怖かった、命どぅ宝、」、この3つの言葉は集団自決体験者がみんな口をそろえて言った≫、これを特に強調していたとの事。

これら「日本軍糾弾」の言葉はこれまでもマスコミや左翼学者により喧伝されていたことで、これが左翼歴史家大城氏の口から出ても特に珍しいことではない。

だが、大城氏は講演の結びで次のように言ったと聞き、あきれ返ってしまった。

「慶良間諸島での軍命の有無についても、なかったとする隊長の証言を裏付けるものはまったくない」。

軍の命令で自決を強制したと糾弾する相手の隊長に「軍命が無かったする証言」に裏付けを要求するとは・・・。

これこそ「悪魔の証明 」を要求するに他ならない。

この大城氏は沖縄戦史の研究者という顔の他に嶋津与志のペンネームで、沖縄戦を描いた『かんからさんしん物語』(理論社)他多くの小説を書いている。

当日は講演の始めに、大城氏の小説を原作にし、アニメ映画『かんからさんしん』の最後の部分が上映されたとのこと。

講演会でも研究者、作家と二つの顔を交互に出して「暴虐非道の日本軍」を糾弾すれば、聴講者は虚実の境目が分からなくなる。

                     ◇

11月9日、ノーベル賞作家大江健三郎氏が証言台に立ち愈々裁判も大詰めを迎える。

不思議なことに被告側の証人はほとんどが「作家」である。

安仁屋沖国大名誉教授は数多くの沖縄戦関連本の著者だし、宮城晴美氏も有名な「母の遺したもの」その他の著者。

金城重明氏も「「集団自決」を心に刻んで―沖縄キリスト者の絶望からの精神史」を著している。

本職の作家でありながら「沖縄戦史の研究者」という二束のわらじを履く大城将保氏が主張する「軍命から逃げられない」は実は生き残り証言者の心の葛藤に深く突き刺さる言葉である。

「軍命」に逆らって「自決」から生き延びた金城重明氏。

沖縄県人なら誰でも密かに考えることだが口に出し難いことがある。

これまで当日記でもあえてそれには触れては来なかったが、「雑感だらけ」さんが解説してくれているので以下に引用する。(再引用)


≪このニュースを見ての最大の疑問 
「命令が存在し、自決を強制されたのならばなぜ金城重明氏は生きているのか?」 
「手榴弾が配られた」のになんで金城氏は「石を使って家族に手を掛けた」のか 
「軍命があったとしか考えれられない」というのは金城氏の推測であって、直接命令を聞いているわけではないのか 

・・・・・・・・・ 

すでに昔の雑誌で金城氏自身が明らかにしていることだが、金城氏はこの集団自決の際に家族を殺しています。 
そんなわけで「軍の命令があった」ということにしておかないと、一番困るのは金城氏です。 
あえてきついことを書くが、命令無ければただの殺人者になっちゃうからね。 
集団自決という事態に至ったことは眞に痛ましいことではあるが、その責任を全て日本軍に押し付けるということはやってはいけないことだろう。 

同じ金城姓でも金城武徳氏は軍命令を明確に否定する証言をしている。 
メディアはそちらのほうはまったく取上げていないけどね。 

あとこの問題については、教科書から集団自決そのものが削除されたと勘違いしている人が多すぎるのも困ったものだ。≫

 

そう、あえて言わしてもらうと16歳という多感な歳頃で親兄弟に手をかけて殺した金城氏の過酷な運命には同情の一言では済まないものを感じる。

だが「肉親殺し」の汚名から逃れるためには、何が何でも軍の命令でやったことにしなければならないという態度こそ歴史のわい曲ではないのか。

そのため汚名を被せられ、その人生を破壊されたまま無くなった隊長の赤松隊長の無念さはいかばかりだったのか。

誰だって「肉親殺し」の汚名を浴びたままの人生は過ごしたくない。

しかし、「軍の命令」に固執することは、彼の心の救いという文学的領域に立ち入る問題である。

その結果彼の証言には法廷で要求される「理」を避けてもっぱら推測等の「情」に訴えることになる。

作家である大城将保氏は「集団自決」の生き残りの心中に秘めた葛藤を忖度した上で、「軍命は逃げられない」と主張しているのだろうか。

 

【追記】

沖縄の教師はこんなことばかりやっているから生徒の学力が下がるのだ。 「沖縄」正しく教えて/教師向け副読本 2006年5月17日(水) 沖縄タイムズ

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宴の後の厳しいツケ  沖縄が学力全国最下位!

2007-10-26 08:20:10 | 教科書

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当日記を立ち上げた当初はエントリー記事内容が現在とはかなり違っていた。

スポーツをはじめ、いろんな分野で活躍する沖縄の若者へ声援を送ろうといったエントリーが多かった。

ある意味では「お国自慢ブログ」のような性格もあった。

地元高校の甲子園出場には熱が入った。

何時の頃から現在のように1人でムキなる記事内容に変ってきたのだろう。

回想にふけっている場合ではなかった。

昨日の琉球新報が宴の狂乱から醒めたように、1面と社会面のトップを「教育問題」の大見出しで飾った。

記事内容に思わずため息をついてしまった。

エントリー記事にしようと思ったが過去のボクシング記事でお茶を濁した。

想定外と言おうか、それとも案の定と言おうか、当日記が触れなかった「学力最下位」記事について二人の読者からコメントを頂いた。

 

Unknown (きんじょう)
 
2007-10-25 23:35:06
 
狼魔人さん
すみません  コメントがちがいますが、憤りが・・

沖縄タイムス

「一方、県には来年度以降、全国学力テストへの参加を見合わせるという選択肢もある。沖縄大学の加藤彰彦教授は「地域性を無視した全国一律の学力テスト自体に反対」とし、「地方分権で『教育』はつくられるべきで、沖縄と東京では子どもへの期待や状況は違う。各地方ごとに『こんな子を育てたい』と考えるべきで、地域の教育をつぶしてはいけない」と訴え、画一的な教育の在り方を批判した。」

恐ろしい。胸を張るどころか、完全に逆切れ状態。これが沖縄タイムスの本音とみた。

                      *
 
 きんじょうさんの憤り、痛いほどわかります。 (Mika Wilson)
 
2007-10-26 00:52:37
 
私は「ゆとり・左翼偏向・日教組」による学校教育の怠慢、指導力欠如の痴呆公務員教師に、烈しい怒りを持ち続けてきました。息子は公立小・中で集団リンチにあいました。学校は、校長以下、気付かなかった、で逃げまくり。薄っぺらなパンフレットまがいの教科書すら、まともに最後まで教えきらせず、やれ部活に、ボランティアに、体験学習。私は息子を登校回避させ、自分の私塾でこの5年間スパルタ教育で、育ててきました。先の世界日報のエントリーに、仮想質疑・討論のシュミレーションを重ねる原告側弁護士に、長い勉学の賜、高い知性を見ます。私事にて恐縮です。実は、息子に「マミ、レベルの高いブログは、過去ログもそれぞれのエントリーも、最初からきちんと読み取らなきゃ、駄目だろ。早とちりで、狼さんのブログ、もう読めなくなるの?!なんて、取り乱して、恥ずかしいぜ。俺は、ああ引用部分が、次回から読めないシステムなんだな。狼さんのブログ本文の事じゃあないんだと、わかったよ。」と馬鹿にされました。お恥ずかしい母親です。親が子に遺してやれるもののうち、教育は最重要だと思います。沖縄の将来は、知性の復権にかかっているはず。
 
                      ◇

宴が終わった。

その高いツケが沖縄の教育界に回ってきた。

狂気の渦に沖縄の教育を巻き込んだ「11万人」集会のツケは「学力全国最下位」という不名誉な勲章だった。

沖縄の教育界を政治活動に駆り立てた教育界の総責任者が、

「衝撃を受けている」(新報)と言っている。

だが、これは政治活動へのお遊びが過ぎた当然の報いではなかったか。

                     *

 

沖縄、全教科で最下位 全国学力テスト結果 カメラ  (10/25 9:36)

記者会見で全国学力テストの結果を説明する仲村県教育長=県教育庁

 文部科学省は24日、小学校6年と中学校3年を対象に学年全員対象の調査として43年ぶりに実施した全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の結果を公表した。沖縄県の公立校の平均正答率は国語、算数・数学の各教科で全国平均を約5―15ポイント下回り、すべての教科で全国最低の数値だった。基礎的知識を問うA問題の平均正答率57―77%に対し、活用を問うB問題は48―64%と約20ポイント程度低く、全国と同様、活用力に課題が残った。
 仲村守和県教育長は今回の結果について「
強い衝撃を受けている。厳粛に受け止め、県民総ぐるみの学力向上対策を強力に進めたい」と述べ、12月までに行政や有識者、教諭らで構成する県検証改善委員会を設置し、結果分析や対策を検討していく方針を示した。(略)
 
(琉球新報 10/25 9:36)

                     ◇

仲村守和県教育長は今回の結果について「強い衝撃を受けている。厳粛に受け止め、県民総ぐるみの学力向上対策を強力に進めたい」と述べ、

この教育長さん、「県民総ぐるみ」とは良く言ってくれる。

つい一ヶ月前には県下の校長を前にして「教科書検定意見撤回を求める県民大会」について、

校長先生方も全員、参加していただきたい。職員にも声を掛けていただきたい」と述べ、

大会参加にはっぱをかけていたのはこの教育長ではなかったのか。
教育長「県民大会 全校長参加を」

そのとき「県民総ぐるみ」でと言ったかどうかは定かではない。

だが、県の教育長が校長を前にこのような訓示を垂れたのなら、それは一種の業務命令とれても仕方がない。

その結果、各校長が各学校で生徒たちに大会参加を強制したといわれても仕方がない。

事実、学校内の運動に留まらず生徒が案内ビラを各家庭に配っていたという話しも聞く。

「県民総ぐるみ」の勢いで仲村教育長が県下の学校に「政治運動」への参加を業務命令したことは事実だ。

一時が万事という。

教育長自らこのような政治運動に走る言動をするということは、

常日頃の教師の政治活動や、生徒の「平和学習」を大目に見るどころか推奨した結果ではないのか。

今回の学力全国最下位はこのように、子供を政治活動に教育長自ら駆り立てるような沖縄の特殊な風土がもたらした結果である。

今朝の読売記事によると、文科省は記者会見で次のように言っている。

今回のテストには、知識を問うA問題と、知識の活用を問うB問題があり、結果は予想通り、論理的な思考力や表現力など、広い意味での読解力が必要なB問題に課題があった。ただ、「応用が弱い」「記述式が弱い」というだけで終わらせず、弱さの中身を吟味することが大事だろう。 ≫(読売新聞 10月25日)

学力低下の生徒を責めるのは酷だろう。

沖縄の教育界全体が基礎学力向上の努力を怠ったことこそ責められるべきであり、政治活動でウツツを抜かしている場合ではなかったはずだ。

こんな大学教授がいるから、基礎学力は何時まで経っても向上しない。

全国学力テストへの参加を見合わせるという選択肢もある。沖縄大学の加藤彰彦教授は「地域性を無視した全国一律の学力テスト自体に反対」とし、「地方分権で『教育』はつくられるべきで、・・・≫(沖縄タイムスーきんじょうさん)

歴史教科書は沖縄独自の左翼歴史観の教科書を作れ(沖縄条項)、

と叫んだと思ったら、この教授、基礎学力も「県民感情」に配慮して、

「沖縄条項」で作った特別の授業をしろって言うのだろうか。

勉強に「うちーなーんびけーん」(沖縄独特)を持ち込むのは、少なくとも基礎学力をつけてからでも遅くはないですか、加藤先生。

上記読売記事の論理的な思考力や表現力など、広い意味での読解力が必要なB問題に課題があった」は沖縄の学生・生徒がもっとも弱点とする部分。

藤原正彦お茶の水大学教授が言う「(小学校字は)一に読み書き、二に読み書き、三、四がなくて、五に算盤」は、まさに至言だと思う。

この藤原教授、専門は数学で、イギリスの大学でも教えたことが有るという。

数学と英語の達人が「読み書き」が全ての学力基礎だと言及したところに重みがある。

沖縄の学生・生徒には独自の歴史観や「地域性重視」の教育をする前に。

先ず「読み書き算盤」でしょうよ、加藤先生。

事情を飲み込めないような高校生に「教科書にウソを書いてはいけません」なんて言わせたのは、

間違った教育風土の結果ではないのですか。

教育の責任者である仲村教育長が焦っているようだが、

これは責任問題でしょう。

12月までに行政や有識者、教諭らで構成する県検証改善委員会を設置し、結果分析や対策を検討していく方針を示した。

「有識者」や「教諭」らは政治活動にうつつを抜かし、学力の向上をまじめに考える暇はないだろう。

何しろ「県民の10人に1人」が政治活動で狂乱しているのだ。

「有識者」や「教諭」はほぼ全員が狂乱していてもおかしくはないはずだ。

育長「県民大会 全校長参加を」 2007年9月7日(金) 
 二〇〇七年度第二回県立学校校長研修会が七日午前、県庁で開かれ、仲村守和県教育長は二十九日に宜野湾海浜公園で開催される「教科書検定意見撤回を求める県民大会」について、「校長先生方も全員、参加していただきたい。職員にも声を掛けていただきたい」と述べ、大会への参加を呼び掛けた。研修会には、高校や特別支援学校の校長ら七十六人が出席した。
 仲村教育長は「『集団自決(強制集団死)』は、住民に手りゅう弾が配られていることなどから、日本軍の関与はあったと認識している」とした上で、沖縄戦の実相を正しく後世に伝え、子どもたちが平和な国家や社会の形成者として育つためにも、県民とともに声を上げなければならない」と訴えた。(略)

                                               ◇

■他にも累積のツケの山■

「うちなーんびけーん」の生徒の、

夜遊び、飲酒、いじめ等々。

次のMika Wilsonさんのコメント部分に沖縄の教育が抱える問題が凝縮されている。 

仲村教育長も政治遊びにウツツを抜かす暇があったら目を通して欲しいけど・・・。

私は「ゆとり・左翼偏向・日教組」による学校教育の怠慢、指導力欠如の痴呆公務員教師に、烈しい怒りを持ち続けてきました。息子は公立小・中で集団リンチにあいました。学校は、校長以下、気付かなかった、で逃げまくり。薄っぺらなパンフレットまがいの教科書すら、まともに最後まで教えきらせず、やれ部活に、ボランティアに、体験学習。(Mika Wilson)

教育長が「県民総ぐるみ」になるのは学力向上だけではない。

集団自決だけではなく、中高生ら集団飲酒 那覇署補導

たまりかねて沖縄県議会がこれを決議したと言うから沖縄県議会は決議がよっぽど好きなのだろう。 県議会 未成年飲酒防止を決議  (10/15 16:03)

未成年の飲酒防止を議会決議するのこそ「うちなんびけーん」ジャ内ですか。

でも議員の先生方、未成年の飲酒防止を県議会で決議して解決できると本気で考えているのだろうか。

そういえば「教科書検定意見書撤回決議」も確か二度行っていた。

沖縄の県議会はよっぽど暇なのだろうか。

仲村教育長さん、学力向上の簡単な施策は教師や生徒を「政治活動」の狂乱から遠ざけることだと思いますがね。

勉強はそっちのけのこの馬鹿騒ぎ。

反省すべきでしょう。

 高校生は授業前10分 教科書検定問題学ぶ/南風原高

大学生は教科書問題を議論 あす学生沖縄サミット

大学学長は5私大学長 撤回要求

 

教育長さん、「基礎学力がないから、2万人前後と11万人を間違えるのだ!」なんていわれないように頑張って下さい。

琉球新報は昨日から「集団自決」に代わる連載特集として「『学び』再考 全国テストの波紋」を掲載開始し、今日はその二回目。

やはり宴の後のツケは厳しかった。

 

【追記】

仲村教育長、まだ懲りていないのですかね。

「中学」への波及危惧 「集団自決」検定で教育長  (10/26 9:47)

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具志堅用高の「正論」

2007-10-25 17:27:25 | 県知事選

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みんな横並びで「正論」を述べることは誰でも出来る。

だが、逆風に向かって一人「正論」を吐くのは勇気がいる。

具志堅用高の「正論」が今光を放っている。

 

人相からして悪役のはずの協栄ジム金平会長が、連日正義漢のような発言をしている。

先日の亀田親子の謝罪会見では納得できないという。

それに反則行為をやっておりながら指示を否定したことがけしからんとも言っている。

この人、何時から正義の人に宗旨替えしたのだろう。

亀田パパが悪の権化にされているが、それを承知で一家を大阪から呼び寄せ、トレーナーライセンスがないのを知りながら自宅練習場を黙認してきたのは金平会長ではなかったのか。

まだ商品価値のある亀田兄弟は協栄ジムが引き取り、全ての「悪」を亀田パパ1人に押し付けて追い出そうという魂胆らしい。

亀田ブーム真っ盛りの1年半ほど前、亀田一家に擦り寄っておべんちゃらしか言わない元チャンピオンが多い中、

ただ1人、具志堅用高氏が亀田親子の出鱈目な試合や見苦しいパーフォーマンスに苦言を呈した。

これに怒りを顕にして具志堅氏に絶縁まで言い出したのは金平会長ではなかったのか。

彼が突然悪役から善玉に宗旨変えした理由は簡単だ。

「親亀こけたら皆こけた」では困るのだ。

この際親亀だけにこけてもらい、小亀は自分のジムで引き取る構想だ。

悪を1人で被った親亀を追放すれば、まだ商品価値の充分ある小亀でたっぷり稼げると見たのだ。

その為には親亀の「反則指示否定」は金平会長として撤回してもらわなければならない重要ポイントである。

小亀達は親亀の指示通りに行動しただけの無邪気な小亀で居てもらわなければ商品価値が下がるからだ。

「悪玉親亀」と切り離した小亀達は金の成る木だ。

来年早々、同ジム対決で「坂田vs小亀1号」をマッチメイクすれば「内藤vs小亀2号」より数段人気の出る試合になる。

それに両者とも金平ジムなので稼ぎも大きい。

金がヒラヒラひらつくのも理解できる。

それには「悪役」は切り捨て自分は分別のある「善玉」に変身しておかなければならない。

そのために去年激しい場外バトルをした具志堅氏にはちゃっかり謝罪をして「善玉」のアリバイ作りをしてあるというから流石に打つ手に抜かりはない。

それにしても、亀田ブーム真っ盛りの時期に「正論」を堂々と述べた具志堅用高さん、

あんたは偉い!

具志堅 亀田の場外バトル

 

本当の「悪玉」は親亀ではなく、やはり金ヒラ会長ではないの?

だって、あの顔で正義の人は似合わないでしょう。

                  ◇

亀田パパに手紙を書いていたことを想いだして古いエントリーを再掲した。(亀田家の崩壊

 

物好きにも亀田興毅にも手紙を書いていた。

「以下は再掲です」

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                    *

亀田興毅への手紙 

格闘技ブームである。

その昔、同世代を生きたファイティング原田や海老原博幸に声援を送った青春の日々。

当時は最軽量級がフライ級でその次の軽量級はバンタム級であった。

そういえばもう一人の同世代のボクサー、記録より記憶に残るボクサーがいた。

原田、海老原と並び「軽量三羽烏」と言われた青木勝利だ。

強打で知られ「練習しなくても強い」と言われた青木が当時「黄金のバンタム」と言われたバンタム級世界王者にジョフレ挑戦した時の事を昨日のように覚えている。

40年以上も前の東京。

その時私は代々木上原駅近くにある友人のボロアパートの一室で友人数名とともに酒盛りをしながらラジオの実況に耳を傾けていた。 勿論テレビが今のように普及する前のことだ。

一ラウンド開始から青木の強打が炸裂した。

実況を伝える上ずったアナウンサーの絶叫。

「青木の左右の連打にジョフレ、ロープ際に追い詰められました!」

「青木、 チャンスです! 世界王者は防戦一方です!」。

≪青木のノックアウトシーンを見たい!≫

ラジオはそのままにして、一同部屋をいっせいに飛び出した。 靴を履くのももどかしく。

目指すは後楽園のボクシング会場、・・では勿論無かった。

目指すは決戦高田の馬場でもなく、アパート近くの食堂であった。

その頃は客寄せのためにテレビを置いてある食堂が我々にとっては、見たいテレビ番組の観賞の場であったのだ。

満席の食堂に飛び込んで見たテレビ画面に映っていたのは、リング上で大の字になって伸びているジョフレ、・・ではなくて、練習しなくても強い(筈だった)青木勝利だった。

因みに原田も海老原も世界チャンピオンになったが青木はその後酒におぼれて身を持ち崩した。 それでも東洋バンタム級チャンピオンだったが・・。

皮肉にも青木が華やかなフットライトを浴びて試合がテレビ放映されたのはジョフレに一ラウンドノックアウトされたあの試合が最後であった。 

その後、地元の英雄具志堅用興に興奮し、ホープと期待した名護明彦の後援会にまで入った事のある古くからのボクシングファンとしては最近の亀田兄弟を中心のボクシングブームは嬉しい事だ。

・・・が、一寸待って欲しい。

確かに亀田兄弟の登場でボクシング人気が沸騰、テレビでもボクシング関連のニュースを多く流すようになった。

亀田兄弟の挑発的なパフォーマンスにメディアは大喜びで二人のテレビ露出度はボクサーの仲でも飛びぬけている。

試合以外のパフォーマンスでファンを弾きつけるの事は基本的には是としたい。

是はプロ野球における新庄のパフォーマンスをファンが支持しているのと同じ事だ。

しかし、新庄は敵のチームの選手や監督を侮辱するパフォーマンスは決してやらない。

そのド派手なパーフォーマンスにも自ずと節度とユーモアがある。

節度と品位を失ったパフォーマンスは野良犬の喧嘩と変わらない。 

たとえそれが格闘技でも結局そのスポーツを下品なガキ共のスポーツに陥れる。

昨日の「亀田興毅 世界前哨戦・最終章 」と銘打つ共同記者会見はパフォーマンスを通り越して見るものに不快感を与えた。(尤もそう思うのは私だけ?)

ランキング30位の外人選手を探してきて(自分はランキング4位)、散々相手をを待たした挙句、チキンをムシャムシャ食べながら現れ減量に苦しむ相手を徹底的に愚弄した。

いわく「お? なんや、オレの相手の頬、めっちゃコケてるやん。3日かけて日本に来たんやって? 疲れた顔してるし、かわいそうや。もう帰らしたりぃや。そんな頬コケて、コケコッコーやな(笑)」

メディアは揃ってこのパフォーマンス男に「ヨイショ ヨイショ」。

≪。体調はもちろん、口もますます絶好調の興毅が、あす、そして試合本番のあさってと“亀田劇場”盛り上げる!≫(スポーツナビ)

                        *

亀田興毅君!

明日の試合では相手の減量苦、ランキング、長旅の疲れ等々から、きっと君は勝つだろう。

そして世界チャンピオンになる日も遠からず来るだろう。

だがボクシングを下品なガキのスポーツにしたくなかったら、計量で苦しむ相手を威嚇や侮辱したりするのはパフォーマンスも度を越して下品だ。

試合後悪童風の受けを狙いで独特のパフォーマンスは大受けの半面、「やりすぎ」と眉をひそめる、昔からのボクシングファンが多いのも事実だ。

世界の頂点にたったときは、強さ・品格ともに備わったボクシング界の「真の王者」になってほしい。

少なくとも日本のサムライは強さと共に品格を求めた。 

上杉謙信が敵に塩を送った故事を学んで欲しい。

 

                     ◇

 これも「再掲」です。

                    *

のんびりとした日曜日の朝。

関口宏の「サンデーモーニング」のスポーツコーナーを見ていた。

大沢親分と張本コンビの「渇!」と「アッパレ!」がオモシロイ。

一昨日の亀田兄弟の試合で大沢親分が特大の「アッパレ!」を放ったところで、

隣で見ていた大学2年の息子と久し振りに会話の花が咲いた。

                  ◇

A:「減量に苦しむ相手を前に、チキンをクシャクシャ食い散らかしながらの共同記者会見。下品だし、第一相手に対しても失礼だよ」

B:「相手にメンチをきって威嚇して、自分を奮い立たせるのが作戦なんだよ」

B:「格闘技では良くあることなんだよ」

A:「それは良く判る、・・・だがそれも程度問題だよ」

B:「結局、本人が強いから誰も文句言えないよ」

A:「でも強ければ何をやってもいいという訳ではないだろう」

B:「上品な弱いボクサーより多少下品でも強いボクサーをファンは求めている」

B:「亀田兄弟が出て来て、ボクシングファンが増えたし今ボクシングブームだよ」

A:「それで亀田兄弟は本当に強いの」

B:「当たり前でしょう。 今まで二人とも負け知らずだよ」

B:「それもKО勝ちが当たり前。 弟の大毅などは先月の試合でKO出来なかった悔しさでたった18日後にはKOでリベンジしている」

A:「リベンジって? 同じ相手じゃないんだろ? 大体たった18日の準備期間で探し出せる相手なんてまともなボクサーじゃないだろう。 いわゆる小使欲しさのKO要員だろ。 そういうのをかませ犬だよ」

B:「でも興毅の相手は世界4位だよ。 世界ランカーを2ラウンドでKОするんだからやはり強さは本物だよ」

A:「いやそれは間違いだ。 相手は興毅より格下のボクサーだよ、世界ランクは32位というから。 それにIBF4位と言うがこの団体はいい加減でJBCつまり日本ボクシングコミッショナーは認めていない団体だよ」

B:「それでも2ラウンドでのKO勝ちは強い証拠だ」

A:「強いと言っても弱いもの苛めて強いのか、強い相手に強いかの問題だろ」

A:「3月8日の興毅のKO勝ちは明らかにローブローの反則だよ」

B:「興毅は、レフリーが何も言わないから問題ないと言っている」

A:「それが問題なんだ。 テレビ局が大々的に支援する亀田親子に逆らえるものは誰もいない。 レフリーだって八百長試合の当事者だよ」

B:「それを言ってはお終いだよ。 兎に角ボクシング人気を盛り返したのは亀田親子の功績だよ」

A:「その点だけは認める。 だがそのやり方にも程度の問題がある。ボクシングは野良犬の喧嘩ではない」

B:「話が堂々巡りになって来た」

A:「目的の為には手段を選ばないと言うのではホリエモンと同じだよ。 テレビや芸能人を巻き込むところなんか」

B:「亀田兄弟には若い女の子のファンも増えている!」

A:「そんなのはボクシングファンではない!」


「昼ご飯ですよ!」の妻の一声でしばし水入り。

このバトル、水入り後はどうなるのやら・・・・・・。

 

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曖昧な妥協は国を辱しめる 「軍の関与」も認めてはならない 

2007-10-25 06:09:38 | 教科書

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現在の感覚を、過去にそのまま当てはめ、評価を下す史家は、常に歴史を過つ」

曖昧な言葉で妥協をした歴史記述は結果的に国の名誉貶める。

                                                *

歴史は「理」をもって検証すべきであり、これを度外視して「情」をからめると歴史の真実を見誤ってしまう

沖縄戦を語る時に枕詞のように付いて来る「沖縄の心」。

これがやがては「県民感情への配慮」という「情」の土俵に歴史を引きずり込む。

終戦記念日に関する各紙の論調を現代史家秦郁彦氏は次のように評した。

これまでは「沖縄の心」という目に見えぬ壁への配慮が働き、マスコミも識者もハレものにさわるような扱いをしてきたが、今年も同じトーンで生き残りの体験談を軸に情緒過剰な詠嘆調の記事が並んだ。今や生き残りといっても、当時は10歳前後だった人たちが主だから、要領をえないあやふやな証言ばかりになってしまった。

 たとえば、県の意見書のまとめ役になった当時8歳だった議員の体験談は「200人ほどの住民と壕に隠れていたところ、3人の日本兵が来て、泣き続けていた3歳の妹といとこに毒入りのおむすびを食べさせるよう迫った。敵に気づかれるのを恐れたため」(6月23日付朝日)というのだが、記者は不自然さに気づかなかったのだろうか。

 激戦のさなかに毒入りおむすびを作る余裕があるのか、毒と告げて親が食べさせるものか、食べたとしても、苦悶(くもん)の泣き声に変わるだけではないのか、そんなことをしなくても、200人も入っている広い洞穴なら奥へ移ればすむのではないか、と疑問の種はつきない。問題はそうした検証をいっさい放棄して、記事に仕立てた記者の資質にある。≫(【正論】2007.7.6 )

 

当日記はこれまで「集団自決」には軍の命令も、強制もなかったという立場を取ってきた。

ただ、戦争中の出来事であるから何らかの軍の関与があったと言われれば、敢て強くこれを否定する理由もないとしてきた。

だが、話し言葉で「関与があった」と言うのと、これが文字化されて教科書に記述されることとは、ことの重大さが自ずと違ってくる。

日本語の「関与」の意味は多義に渡っており、結果的には意味が曖昧になる。

教科書のお得意様である日教組の教師が教科書に記述された「関与」を説明する時、「関与あり」が教師の解釈で「命令」や「強制」に変化することは容易に想像できる。

その意味で、昨日の「正論」で藤岡信勝拓大教授が主張する「関与」のくだりには説得力がある。

≪そもそも「関与」という定義曖昧(あいまい)・伸縮自在の概念の導入は事態を紛糾・悪化させるだけである。「従軍慰安婦」問題で「軍の関与」がいかに国益を損なう混乱をもたらしたかを一考すればその危険は明らかだ。なぜ政治家は同じ轍(てつ)を踏むのか≫

 

「11万人」集会の発端ともなった沖縄県議会の「検定意見書撤回決議」に当初は反対していた自民党会派が、

政治的妥協の結果意見書は「日本軍による関与なしに起こり得なかった」という争点を外した表現におちついた。

結局この自民党会派による「関与あり」への安易な妥協が「11万人」集会への出発点になってしまった。

「関与あり」を、言葉の定義が日本語より厳密な英語に置き換え、再び日本語に戻すと安易な妥協の恐ろしさが分かる。


関与する⇒ participate ((in)); take part ((in)); have a share ((in)).

participateには参加するという意味が強く、「日本軍が集団自決に関与した」が「日本軍が集団自決に参加した」となり、

「命令、強制」と近い意味になる。

以下に引用する藤岡信勝拓大教授が主張する≪「軍の関与」も認めてはならない≫を改めて考えて見たい。

やはり安易な「情」への妥協は歴史を過つ。

「知恵と工夫と努力」で政治的妥協を目論む町村官房長官や渡海文科大臣に是非読んで欲しい論文だ。 

文科相「訂正申請に対応」 検定修正検討を指示  
町村信孝官房長官も同日午後の定例会見で「(記述を)訂正できるのか、修正できるのかには、関係者の工夫と努力と知恵があり得るのかもしれない」と述べ・・・(琉球新報 10/2 9:35)

結論を述べよう。

例え、軍が絡む戦時中の事だとしても、教科書にわざわざ「軍の関与」と記述する理由にはならない。

高校教科書には「集団自決」の事実を記述すれば必要にして充分である。

これ以上立ち入って勉強したければ大学や更に大学院へ進んで専門的に研究すれば済むことである。

今までのように教科書を左翼思想のプロパガンダにしてはいけない。

                     ◆

【正論】集団自決と検定 拓殖大学教授・藤岡信勝 “トリック報道”で世論誘導2007.10.24 04:06
 
 ■「軍の関与」も認めてはならない

 ≪一点の瑕疵もない検定≫

 高校日本史の教科書検定で「沖縄集団自決」に日本軍の「命令」「強制」があったとの記述を修正させた問題で、政府・文科省は修正前の記述の趣旨の復活を認める方針に大転換した。検定意見の撤回はしないが、もとの記述を何らかの表現で回復しようとする教科書会社の訂正申請があればこれを「真摯(しんし)に検討」するというのである。今ごろは10月末の申請をめどに教科書執筆者と文科省の間で水面下のすりあわせが行われているはずである。重大な局面にあたり改めて問題の原点から考えたい。

 従来、「軍命令説」の根拠とされてきたのは、座間味島と渡嘉敷島のケースだった。しかし、どちらのケースについても、当時島に駐留していた日本陸軍海上挺進(ていしん)隊の隊長は、住民に集団自決を命令していなかった。それどころか、集団自決のための武器・弾薬を求めに来た住民に対し、隊長は「決して自決するでない」と押しとどめ(座間味島)、集団自決が起こったことを知ったあとは「何という早まったことをしてくれたのか」と嘆き悲しんだ(渡嘉敷島)。

 こうした事実が明らかになった近年の動向を反映して検定意見がつけられ、例えば「日本軍の配った手榴弾(しゅりゅうだん)で集団自決と殺し合いをさせ」という「命令」「強制」を含意する表現を改め、「日本軍の配った手榴弾で集団自決と殺し合いがおこった」(実教出版・日本史B)と修正された。文部科学省の今回の検定は、国会の定めた法律に基づく法秩序と手続きに従って、実証された史実を根拠に適切に行われたものであり、その内容を見ても少しも行き過ぎたところはなく、一点の瑕疵(かし)もない。これをひっくり返すいかなる道理も存在しない。

 ≪防衛隊と日本軍の混同≫

 日本軍が無辜(むこ)の住民に自決を強要するほどの悪逆非道な存在であったことにしたい一部マスコミは、正面から「命令」「強制」を論証できないので、住民の証言を持ち出して世論誘導を図っている。その際、トリックの材料として用いられているのが防衛隊の存在である。

 米軍来襲時、島には(1)陸軍の正規部隊たる将兵(2)防衛隊(3)一般住民-の3種類の人々がいた。防衛隊とは昭和19年7月に帝国在郷軍人会沖縄支部が市町村の集落単位で中隊を編成したもので、法令的な根拠はなく、住民の義勇隊という性格のものだ。中国戦線から帰還した、村長など村の顔役が隊長を兼ねて行政と一体化し、日常の生活は家族と起居をともにしていた。

 手榴弾は防衛隊に米軍上陸の際の戦闘用に支給したものであり、自決用に一般住民に配布したのではない。集団自決を主導したのは防衛隊で、時には手榴弾を軍陣地から持ち出して住民に配布した。「兵隊さんから手榴弾を渡された」という住民の証言は、防衛隊を日本軍と混同しているのだが、マスコミはこの事実をよく知りながらイメージ操作のため確信犯的にこの混乱を利用しているのである。

 ≪「軍命令説」と同じ虚構≫

 もう一つのトリックは、「軍の関与」という言葉である。これはマスコミの世論操作であると同時に、政府の「落としどころ」として喧伝(けんでん)された経過がある。すでに8月段階で伊吹文科相(当時)は、「『軍の関与』という表現であれば、次回の検定で問題とはならないだろう。出版会社にお願いしてはどうか」と沖縄選出の自民党議員に水を向けていた

 しかし、プレゼントに送った果物ナイフが殺人に使われたからといって送り主が殺人に「関与」したとはいえないという事例を分析すればわかるように、集団自決への「軍の関与」を認める必要はない。「軍の関与のもとに集団自決が起こった」という文を作ってみればわかるように、これは結局「軍命令説」や「軍の強制」と同じ虚構を教えることになる。

 集団自決は悲しい出来事だが、当時の日本人の心理状態では米軍が上陸すれば日本中どこでも起こった可能性がある。現に沖縄で日本軍不在の地でも集団自決は起こっている。

 そもそも「関与」という定義曖昧(あいまい)・伸縮自在の概念の導入は事態を紛糾・悪化させるだけである。「従軍慰安婦」問題で「軍の関与」がいかに国益を損なう混乱をもたらしたかを一考すればその危険は明らかだ。なぜ政治家は同じ轍(てつ)を踏むのか。

 あの戦争で国と国民のために命をかけて戦った軍や軍人を虚偽に基づいてはずかしめるようなことをする国は滅びる。沖縄の県民感情を利用した反軍反国家反体制運動に屈して教科書検定制度を崩壊させてはならない。(ふじおか のぶかつ)

                     ◆

 

教科書に「集団自決には軍の関与があった」と記述することは、政治的妥協の産物だ!
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