ブログ 「ごまめの歯軋り」

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アリストテレス 著 「ニコマコス倫理学」

2021年05月04日 | 書評
京都市東山区東大路五条南 「河井寛次郎記念館」

高田三郎訳 アリストテレス 「ニコマコス倫理学」 

岩波文庫 

始めに(本書の位置づけ)(その1)

『ニコマコス倫理学』とは、古代ギリシアの哲学者アリストテレスの著書を、息子のニコマコスらが編集した倫理学の古典的な研究である。 アリストテレスは、様々な研究領域で業績を残しており、倫理学に関しても多くの草案や講義ノートなどを残した。後にニコマコスがそれらを編纂したものが『ニコマコス倫理学』である。総じて10巻から成り立ち、倫理学の基本的な問題である「正しい生き方」を検討している。そこで概論に入る前に本書の10巻の目次を書いておこう。
全体の構成は、
第1巻にて、「善」の「序論」、「幸福」、「徳」(卓越性)
第2巻-第4巻では「倫理的卓越性」
第5巻では「正義」
第6巻では「知性的卓越性」
第7巻では「抑制」と「快楽」
第8巻-第9巻では「愛」
第10巻にて「幸福」についての総括、実践的・国家社会的観点が提示され、「政治学」へつながる。

アリストテレス(紀元前384-前322年)の倫理学に関する著書としては次の3つがある。1)「大倫理学」、2)「エウデモス倫理学」、3)「ニコマコス倫理学」である。「ファイ倫理学」はアリストテレスの著作というより、アリストテレスのアカデミアにおける彼の祖述を、起源前2世紀後半のぺリパトス学派によって書かれたと思われる。むしろ注解といってよい。2)「エウデモス倫理学」および3)「ニコマコス倫理学」は厳密な意味においてアリストテレスの著作と呼ばれうるものである。リストテレスの講義の手稿が、彼の没後に編集され公刊されたと考えられる。エウデモス、ニコマコスは編集者の名前である。エウデモスはアリストテレス門下の俊英で数学史、天文学史、神学史で貢献があった人である。ニコマコスはアリストテレスの子息である。2冊の倫理学書は異なったアリストテレスの思想的発展の段階に対応しているので、同一には律せられない内容からなっている。アリストテレスの思想発展史解釈にくわしいイエーガーによると、ニコマコス倫理学はアテナイに戻ってから書かれ、エウデモス倫理学書よりも少なくとも十年後の倫理思想を内容としている。考証学的には、「エウデモス倫理学」は第4巻、第5巻、第6巻が省略されて、「ニコマコス倫理学」の第5巻、第6巻、第7巻と同じではなかったかという説がある。つまり「ニコマコス倫理学」には二つの快楽論(第7巻快楽論A稿と第10巻快楽論B稿のことで、矛盾する点もある)が存在している。アソス時代の快楽論A稿は後期アテナイ時代の快楽論B稿に書き改め、アリストテレスは廃棄するつもりであったのでないか。こうした重複章節をどれ一つ捨てなかった編者の態度は貴重なものである。「ニコマコス倫理学」そのものの編輯税率の時期はだいたい紀元前300年の直前であったと推定される。アリストテレスが書いた著作ではないのでその複雑な構成は当然であり(パスカルの「パンセ」も同じ)これについて煩わされて理解が困難ということは無い。一応通読は可能であるという。本書の内容がトマス・アクィナスからマルクスに至るまで興味が尽きない話題を提供しているのも事実である。「ニコマコス倫理学」という本の構造上の特異性について面白いことがいろいろある。
a)書物の章の区分は内容によって長短が異なるのは当然であるが、本書はパピルスの巻子本の形をとるため、できる限り巻の大きさが均一であるように制約される。章の切り方が内容に即しない不自然さを持っていることである。これは編者ニコマコスの性格による機械的なやり方で、内容が章末でぷつんと切られ物足らず、次章への連絡が不十分で有機的な構造の円滑な理解には障害となっている。
b)快楽論の章節重複の問題がある。快楽論Aはアンティヘドニスへの反論であるが、快楽論Bはアリストテレス自身の持論の展開である。したがってAはBの前論ともいえるが連絡が悪い。飛ばして読んでも可である。
c)章節の配列が必ずしも自然ではないが、自然な恰好に是正して読むことは困難ではない。

(つづく)





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