ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 広河隆一著 「福島 原発と人々」 岩波新書

2011年09月07日 | 書評
福島第1原発事故はチェルノブイリ級、日本政府のいう事を信じてはいけない 第5回

1)福島第1原発事故発生、避難 (2)

 住民の安全に関係する事項を整理する。3月11日午後3時14分政府に緊急災害対策本部は設置され、菅首相が「原子力緊急事態宣言」を出したのが午後7時3分であった。この時点で枝野官房長官は「放射能が現に漏れているとか漏れ湯ような状況にはなっていない」といった。午後8時50分福島県は第1原発から2Km以内の住民に避難指示を出した。午後9時23分政府は原発から3Km以内に避難指示を出し、10Km以内に屋内退避指示をだした。この時点及び午後10時50分で枝野官房長官は「念のための避難指示です。放射能は炉の外には漏れていません」といった。3月12日午前4時原発から放射能が漏れ出した。原発正門前で4.9マイクロシーベルトになった。政府派午前5時44分避難指示を10Km件に拡大した。午前10時17分格納器の圧力を逃がすため放射性蒸気のベント(放出)が行なわれた。午後3時36分1号機が水素爆発を起こして建屋が吹き飛んだ。午後6時25分避難区域は20Kmに拡大された。避難指示を受けた人は午後10時前には避難を終了した。放射線量計を持った取材班三人は郡山には入り宿泊所がないので隣の須賀川市のホテルに入った。3月13日午前5時10分3号機の冷却機能が停止しベントが放出された。取材班は双葉町の常磐線近くで6マイクロシーベルト/hを計測し、県立双葉高校で60マイクロシーベルト/hに跳ね上がった。通常の1000倍である。そしてこの事を連絡しなければと思い双葉町役場についたが無人であった。そこでは最大の計測幅1000マイクロシーベルト/hを振り切ってしまった。この1mSv/年の値は一般の人の年間許容量を1時間で超す値である。双葉構成病院にも誰もいなかった。川内村の避難所について副村長に会い測定結果を告げて、妊婦と子供をさらに遠くまで避難するようにと伝えた。川内村1200人は16日に郡山へ向けて避難したという。3月14日に南相馬市に向かった。午前11時3号機が水素爆破をした。午後1時25分には2号機の冷却機能が停止した。午後9時枝野官房長官は「炉心溶融は1,2,3号機との可能性は高い」と発言、原発正門前で3.13ミリシーベルト/hを観測し、プルームにのって放射性物質は北西へ拡散した。ここで東電は「全員退去したい」と告げたが、枝野長官と海江田経産相は認めず対応に当たるように指示した。3月15日午前0時2号機のベントを実施した。午前4時、40Km離れたいわき市でも23.7マイクロシーベルト/hを示した。事故対策本部を東電内に設け,菅首相は清水社長に「東電撤退は認めない」と申し入れた。午前6時4号機の使用済み核燃料プールで爆発が起り、屋根が吹き飛んだ。そして2号機のサプレッサープール付近で爆発が起きた。午前9時の正門付近では11930マイクロ(11.93ミリ)シーベルト/hが測定された。午後9時40分4号機で再び火災が発生した。枝野長官は「10時22分3号機周辺で400ミリシーベルト/h、4号機周辺で100ミリシーベルト/hが測定された」と発表した。
(つづく)

環境書評 大島秀利著 「アスベストー広がる被害」 岩波新書

2011年09月07日 | 書評
中皮腫の40年のタイムラグが、アスベスト対策を甘く見た原因 第5回

1)アスベスト公害の発見 (4)

 同日夕方新聞が出回った午後6時にクボタは記者会見を開いた。こうして6月29日から30日にかけて「クボタショック」、「アスベストショック」といわれる社会への警報が鳴らされた。2ヵ月後の8月24日には、「患者と家族の会」、「尼崎労働者安全衛生センター」はクボタに対し、新たに21名(内18名は既に死亡)の見舞金を支払うよう要求した事を発表した。2011年3月時点でのクボタが救済金の支払いを認めた患者数は212名を超え、クボタ社内の従業員の患者数は176名となった。クボタの謝罪と補償問題について裁判の方向も考えられたが、2005年12月25日クボタ社長と幹部5名は周辺住民の中皮腫患者70名と面談し、「周辺住民に迷惑をかけた可能性は否定できない」とし「事業者の道義的責任を感じ、お詫びと弔意を表します」といった。そして「問題を裁判の場に持ち込んで長引かせることはできない。見舞金制度に変わりさらに踏み込んだ対策をします」といった。クボタでは社員の中皮腫死亡者には労災補償に加え一人2500万ー3200万円の上乗せを行い、社外の患者に対しても、ひとり2500万ー4300万円を救済金という名目で支払う補償を発表し、患者側と合意した。この時点で患者数は88名(死亡者71名)で支払い金合計は32億円であった。不服申し立てを検討する「救済金運営協議会」を患者と会社から構成した。これが契機となりニチアス、エーアンドエーマテリアル、東洋、旧日本エタニットパイプにもアスベスト被害者救済が始まった。環境省は2007年-09年度に3648人の健康リスク調査を行い、アスベストによる胸膜プラークが診断された人は905人にのぼった。
(つづく)

読書ノート ニコラ・ブルバキ著 「数学史」上下  ちくま学芸文庫

2011年09月07日 | 書評
ユウクリッド「原論」からブルバキ「数学原論」にいたる構造主義的アプローチ 第4回

 「構造主義」とは、狭義には1960年代に登場して発展していった20世紀の現代思想のひとつであり、広義には、現代思想から拡張されて、あらゆる現象に対して、その現象に潜在する構造を抽出し、その構造によって現象を理解し、場合によっては制御するための方法論を指す言葉である。構造とはその要素間の関係性を示すものである。今日では、方法論として普及・定着し、数学、言語学、精神分析学、文芸批評、生物学、文化人類学などの分野で構造主義が応用されている。数学において、ブルバキというグループが公理主義的な数学の体系化を進めているが、その中心人物であるアンドレ・ヴェイユは言語学者エミール・バンヴェニストからの影響を認めている。文化人類学において婚姻体系の「構造」を数学の群論で説明した。群論は代数学(抽象代数学)の一分野で、クロード・レヴィ=ストロースによるムルンギン族の婚姻体系の研究を聞いたアンドレ・ヴェイユが群論を活用して体系を解明した話は有名である。現代思想としての構造主義は原則として要素還元主義を批判し、関係論的構造理解が特徴である。ロラン・バルト(文芸批評)、ジュリア・クリステヴァ(文芸批評、言語学)、ジャック・ラカン(精神分析)、ミシェル・フーコー(哲学)、ルイ・アルチュセール(構造主義的マルクス主義社会学)など人文系の諸分野でその発想を受け継ぐ者が多い。ユングのアーキタイバル・イメージ(元型)を手がかりとしたアプローチも構造主義といえる。
(つづく)

筑波子 月次絶句集 「京都初秋」

2011年09月07日 | 漢詩・自由詩
梧桐落盡雨初乾     梧桐落ち盡して 雨初めて乾き
 
橘柚半黄秋較寒     橘柚半ば黄に 秋較や寒し

山越清飄吹鴨水     山越の清飄 鴨水に吹き

蒼天爽気満長安     蒼天の爽気 長安に満つ


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(韻:十四寒 七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)