ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 富永茂樹著 「トクヴィルー現代へのまなざし」 岩波新書

2011年09月21日 | 書評
フランス革命時の民主思想の憂鬱とは 第4回

 そしてトクヴィルには憂鬱の概念が色濃く付きまとう。トクヴィルは16歳のとき精神病理学でいうメランコリー型欝病に罹ったようである。そしてトクヴィルの政治理論の手法は社会心理学かもしれない。政治的行動が「憂鬱」、「焦燥」などの個人の情念や情緒用語を用いて説明される。これは丸山真男氏の論法と同じで、丸山氏の明治維新、天皇制国家の情念論は妙に真実性を帯びているので人気があった。個人の心理から歴史を説明されると、納得する人は多いようだ。無味乾燥なイデオロギー論や唯物論よりは迫力がある。

 本書の内容に立ち入る前に、トクヴィルの人と時代を概観しておこう。本書の副題となっている「現代へのまなざし」という言葉は、トクヴィルの肖像画からきている。目が澄んで遠くを見つめているようだということであるが、これを言っては身も蓋もないが「近眼のまなざし」なのである。コンタクトレンズが行き渡った今日では、近眼の女性が視力矯正をしないことはないが、この眼鏡をかけていない美しい近眼の女性のまなざしがトクヴィルのまなざしなのである。「ピント外れの見解」という悪い意味で言っているのではない。ただ遠くをみているまなざしなのである。トクヴィルの分りやすい特徴とは、近眼と鬱病である。どこか人間と社会の深い部分を見てしまったトクヴィルの悲しみに近い感情を著者はそう表現したかったのであろう。
(つづく)

環境書評 西岡秀三著 「低炭素社会のデザインーゼロ排出は可能か」 岩波新書

2011年09月21日 | 書評
日本低炭素社会 脱石油・脱原発のシナリオ 第8回

2)達成するにはどのような技術が必要か (3)

 エネルギー供給側の日本の技術開発力は優れている。2008年の1次総供給量は5500兆Kcal、石油換算で5億5000万トンである。これらが電力に変えられたり,ガソリン、ガス、重油となって2次側の石油会社、電力会社、ガス会社に供給されている。第1にやるべきことは需要者と協力してエネルギー使用量を減らすことである。第2にエネルギー転換(電力)を上げることである。最先端技術によって火力発電の効率は42%と世界一であるが、さらなる技術開発が必要だ。第3に発熱量あたりの炭素含有量の少ない天然ガスへの転換を進めることである。そして炭酸ガス固定化技術CCSを発電所に設けることである。第4に自然エネルギーに転換することである。日本では原発は化石燃料枯渇に備えた最終兵器とみなされて国策として推進された。確かに燃焼がないため炭酸ガスは出さないが、出力調整が出来ず(出力を絞る実験でチェルノブイリ事故が起った)、かつ固定費(設備費)が高く、核廃棄物処理がない(トイレのない高級マンション)点で原子力発電を切り札とすることは出来ない。原発はなるべく一定出力運転が原則で、電力需要の時間変動に追随するために100%原発に頼ることは出来ず、調整しろとして火力発電とか夜間電力用の揚水型水力発電所の併設が必要である。したがって原発が炭酸ガスを全く排出しないとはいいがたい。またウラン鉱石の埋蔵量に限界があり、原発も今世紀末までの過渡的発電でしかない。太陽ネルギー、地熱発電、海洋発電、バイオマスエネルギーといった自然ネルギーはまだ日本のエネルギーの1.4%を占めるに過ぎない。太陽電池発電を制度として促進するために「固定価格買取制度FIT」が始められた。水力発電は3.3%である。日本では工事費が高いが水力発電も見直されてしかるべきである。今世紀中には石油もウラン鉱もなくなると人類には自然ネルギーしか残っていない。今こそ自然ネルギー開発に本格的に取り組むべきである。自然エネルギーの分散的発電を取り込むためにスマートグリッドという共同体的エネルギーインフラを構築しなければならない。
(つづく)

読書ノート 竹内 啓著 「偶然とは何かーその積極的意味」 岩波新書

2011年09月21日 | 書評
生物進化や人間の歴史のおける偶然の積極的意味とは 第8回 最終回

4) 偶然と人間 (2)

 偶然を神の手から開放した「確率統計論」は18世紀の近代科学的世界観の開始と同時に確立された。しかしながら確率論的解釈には過ちが目立つ。ケトレーは人間の特性(身長、知能IQなど)はすべて正規分布になっているという「社会物理学」を唱えた。ケトレーのドグマは変化する人間の捉え方としてはあまりに固定的過ぎていた。19世紀は社会現象を人間集団の作り出す集団現象として捉えた時代であり、それは20世紀の社会科学諸分野の出発点でもあった。20世紀はフォードの自動車産業に見られるように大量生産の時代であった。そして品質の均一化が強く求められたので、このような社会ではすべての分野で重要なのは数であり平均でありばらつきが少ないことであった。これは大数の法則が支配する世界で、正に確率統計の対象となった。ところが20世紀晩期からは技術の中核はコンピュータと情報通信技術となり、マスの時代の象徴であった「重厚長大」から世の中は質の時代の象徴である「軽薄短小」へ動き出した。飛行機事故や原子力発電所の事故は悲惨な結果を招いたことから、安全性神話は崩れ技術向上による徹底した事故確率ゼロの信頼性が要求されている。といっても「人類絶滅の確率はゼロではない」といって杞憂していても始まらないのと同様に、確率が十分小さいとされるなら、それは起らないと見なす事を意味する。それが人間の行動原理なのである。河川の防災工事のレベルを、水天文学の降雨量を100年に1度の確率以上に引き上げれば、途轍もないほど金のかかる工事となる。高度経済成長期のように財源が豊富であった時代はともかく、セメント漬けの河川の時代から環境保全の観点からも、妥当なレベルはいかほどか財布と相談しながら決めてゆかなければならない。1980-1990年代はアメリカで開発された金融工学的リスクヘッジ手法により、明らかにリスクがあると見られた金融商品を証券化して細分化し世界中にばら撒いた。それが2007年のサブプライムローン破綻から世界金融危機を招いた。後で分ったことだが、実に手の込んだシステムであった。信用格付け会社の大盤振る舞いで、危険な金融商品が3Aにランクされた。それにレバレッジという梃子原理を働かせて一挙にダイナミックな賭けが行なわれたのだ。サブプライムのリスクヘッジの手法については春山昇華著 「サブプライム問題とは何か」に明らかにされている。アメリカの金融工学手法はやはり本質的には大数の法則や中心極限定理が成立するかのように思われるが、株式市場や資産市場では、要因を数倍にして相互作用することが行なわれダイナミックな変動が引き起こされたのである。
(完)

筑波子 月次絶句集 「江城遠出」

2011年09月21日 | 漢詩・自由詩
遊出江城一径斜     江城を遊出し 一径斜めに

山邊僻巷野人家     山邊の僻巷に 野人の家

愁雲白菊両三株     愁雲白菊 両三株

妬雨東籬四五花     妬雨東籬に 四五の花


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(韻:六麻 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)