フランス革命時の民主思想の憂鬱とは 第6回
トクヴィルに直接的な影響を及ぼしたのは、両親の体験したフランス革命とその後の歴史である。民主制デモクラシーと貴族制アリストクラシーのどちらにも適切な距離をおいてながめ、過去と未来の間で均衡をとっているのがトクヴィルの視点である。晩年の「アンシャンレジームとフランス革命」の冒頭で、フランス革命を遠くで感じることも、参加した人の情念を近くで感じることも出来るといっている。トクヴィルの革命に対する距離のとり方は「アメリカのデモクラシー」への視線と相通じるものがある。「アメリカのデモクラシー」の出版で成功したトクヴィルは1839年下院議員に当選し政治家の道を歩む。こうして政治と現実と深い関係を持ったが、1830年7月革命後の立憲君主制は必ずしも安定しなかった。工業化とブルジョワジーの支配が明確になって、1848年2月革命によって王制は打破され、トクヴィルは新憲法の制定作業に関わり、1849年には大統領ルイ・ナポレオンのもとで短期間であるが外務大臣に就任した。1851年ルイ・ナポレオンがクーデターによって第二帝政を開始すると、トクヴィルは逮捕され、釈放後は政界を離れて著述業に専念することになった。その結果1856年に「アンシャンレジームとフランス革命」が執筆された。フランスの現実は何回も革命を起こしながら,なぜいつも帝政に戻るのか。ひょっとすると民主制と帝政はどこかで通じているのだろうかという疑問が湧くのである。「民主的な専制」という主題がいつもトクヴィルの頭の中にあった。平等と民主化が進むにつれ、民衆はより専制に支配されやすくなってきたという現象を発見したのである。フランス革命が帝政につながり、デモクラシーから専制が生まれるプロセスを考察するのが、「アンシャンレジームとフランス革命」執筆の目的であった。アンシャンレジーム期の社会とはトクヴィルによると、絶対君主制のもとで中央集権化と平等化が極度に進行した社会であった。アンシャンレジームとフランス革命は断続するのではなく、連続するのである。その結果ナポレオンの登場を促す契機となった。フランスにおいて社会の平準化を進めたのはほかならぬ中央集権絶対君主であった。
(つづく)
トクヴィルに直接的な影響を及ぼしたのは、両親の体験したフランス革命とその後の歴史である。民主制デモクラシーと貴族制アリストクラシーのどちらにも適切な距離をおいてながめ、過去と未来の間で均衡をとっているのがトクヴィルの視点である。晩年の「アンシャンレジームとフランス革命」の冒頭で、フランス革命を遠くで感じることも、参加した人の情念を近くで感じることも出来るといっている。トクヴィルの革命に対する距離のとり方は「アメリカのデモクラシー」への視線と相通じるものがある。「アメリカのデモクラシー」の出版で成功したトクヴィルは1839年下院議員に当選し政治家の道を歩む。こうして政治と現実と深い関係を持ったが、1830年7月革命後の立憲君主制は必ずしも安定しなかった。工業化とブルジョワジーの支配が明確になって、1848年2月革命によって王制は打破され、トクヴィルは新憲法の制定作業に関わり、1849年には大統領ルイ・ナポレオンのもとで短期間であるが外務大臣に就任した。1851年ルイ・ナポレオンがクーデターによって第二帝政を開始すると、トクヴィルは逮捕され、釈放後は政界を離れて著述業に専念することになった。その結果1856年に「アンシャンレジームとフランス革命」が執筆された。フランスの現実は何回も革命を起こしながら,なぜいつも帝政に戻るのか。ひょっとすると民主制と帝政はどこかで通じているのだろうかという疑問が湧くのである。「民主的な専制」という主題がいつもトクヴィルの頭の中にあった。平等と民主化が進むにつれ、民衆はより専制に支配されやすくなってきたという現象を発見したのである。フランス革命が帝政につながり、デモクラシーから専制が生まれるプロセスを考察するのが、「アンシャンレジームとフランス革命」執筆の目的であった。アンシャンレジーム期の社会とはトクヴィルによると、絶対君主制のもとで中央集権化と平等化が極度に進行した社会であった。アンシャンレジームとフランス革命は断続するのではなく、連続するのである。その結果ナポレオンの登場を促す契機となった。フランスにおいて社会の平準化を進めたのはほかならぬ中央集権絶対君主であった。
(つづく)