【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

ロナルド・ドーア『誰のための会社にするか』岩波新書

2012-08-30 00:16:39 | 経済/経営

        

             
 著者は「はじめに」で、本書の狙いを明確に述べている。すなわち、本書の問いは、企業、会社が誰のものかではなく、誰のための企業、会社にするかである、とのこと。

 企業、会社のあるべき姿などはなく、これらの組織のコーポレント・ガバナンスはそれぞれの歴史、文化によって形成されているので、それぞれの国ごとに共有されている「一般常識」の上に、国内のさまざまな集団の利害関係の葛藤、妥協が積み重ねられ、その答えを多様な利害関係や理想の均衡点で選んでいくのだと書かれている。

 コーポレント・ガバナンスをめぐる状況は、「グローバル(すなわち米国の)・スタンダードへの適用」とナショナリスティクな「日本的な良さの保存」という対立軸、また「株主の所有権絶対論」対「さまざまなステークホルダーに対する責任を持つ社会公器論」という対立軸によって整理できるようである。2つの次元の対立軸はこのようだが、いずれの次元でも前者は新古典派的、自由主義的経済学者の考え方、後者は新制度派、進化派、ポスト・ケインズ派など、総じて社会重視派のそれである。

 著者は、いずれについても後者の立場に理解を示し、その方向で問題を整理し、将来展望しているが、ある種の懸念をもっていて、それは日本では政府の政策発表や日経新聞の記事を読んでいると、ますます”正当派”の論調が蔓延しつつあることであり、「株主所有物企業」が一般形態になりつつあることだそうだ。

 今日の格差社会は実はこうした風潮の結果でもあるわけであるが、この本のいいところはそれに切歯扼腕することなく、ステークホルダー企業の逆転の可能性について問題提起していることである。

 文章はやや分りにくい箇所がある。

川上二郎『いまなぜ白洲正子なのか』東京書籍、2008年

2012-08-29 00:07:32 | 評論/評伝/自伝

              

  白洲正子は、1980年頃から俄かに脚光をあびる存在となった。「いまなぜ白洲正子なのか」。この問いに対する答は、本書を読むかぎり、正子の生き方そのものが日本人が生きるための「羅針盤」、そしてもう少しひらたく言えば日本人の「モデル」であり、その存在と生き方が時代閉塞の状況のなかで「一陣の涼風」「精神安定剤」となったということにつきる。


   正子(1910-1998)の出自はは伯爵家(樺山家)、4歳にして能の世界にふれ(梅宮三郎・六郎兄弟の「猩々」)、二世梅若実に弟子入り、大正時代も末、14歳になった大正13年にアメリカに留学、白洲二郎という伴侶を得て、昭和、平成を生きぬいた。多彩な世界に遊び、それは能、骨董、着物、花、職人芸、和歌などに及ぶ。

  交友関係は広い。本書の「青山学院にて」の章で書かれているように、青山二郎、河上徹太郎、小林秀雄、永井龍雄、大岡昇平がその中心で、酒を交わして談論風発、そこから佳きものを汲み取った。近衛文麿、吉田茂、健一、西園寺公一(公望の孫)、細川護貞(細川家第17代当主)、北大路魯山人、大野晋、三宅一生、多田富雄などともみな知り合いの関係にあった。

   「いかにすべきわが心」(西行)をテーマに、自らが掘り当てるべき井戸をさがし(夢中になれるものを探すの意)、模索の青春を送って、たどりついたのが日本人のアイデンティティを極め、書き記し、「日本の美の定点観測者」となることであった。お嬢様でありながら、破天荒に、思うがままに生き、その生き方そのものが、1990年以後の先が見えない日本の進路にとって新たな道標として採りあげられたということだろう。白洲二郎・正子に焦点があたったのが、まさにそういう日本のそういう時期にあたっていた。

   『能面』(求龍堂)、『かくれ里』(新潮社)、『きもの美-選ぶ眼・着る心』(徳間書店)、『心に残る人々』(講談社)、『花と幽玄の世界-世阿弥』(宝文館出版)、白洲正子著作集』(全7巻・青土社)、『梅若実実聞書』は、その成果、結晶である。本書は著者(「週刊朝日」編集長、朝日新聞編集委員を経て文筆家)が晩年の正子に直接取材することでなった作品。

  正子を「拝金主義にまみれる前の時代の日本を知る数少ない生き証人」「日本女性の古典」と讃えている。

 *明日からフランス・パリに行きます。その間、過去のブログ記事を再掲します。自動予約処理です。


奥村宏『東電解体-巨大株式会社の終焉』東洋経済新報社、2012年

2012-08-28 00:03:18 | 評論/評伝/自伝

               

  東京電力の解体に賛成の人も、反対の人も、読んでいただきたい本である。

   昨年3・11の東日本大震災は、福島原発に甚大な被害をもたらし、いまなお放射線被害は拡大している。汚染された土壌の廃棄、1号機から4号機までの完全な廃炉までに要する時間は数十年、半世紀以上かかるのではなかろうか。


   「安全神話」を単純に信仰していた人々、あるいは危険性を故意に隠蔽してきた人々は論外であるが、懸念されていた事態は目の当たりの現実となった。事後処理は途方もない規模のものである。

   筆者はこれまでの研究で、現代の法人資本主義、会社本位主義の在り方に警鐘をならしてきた人であるが、3・11の事態に直面し、意を強くして大規模化した企業の解体、法人資本主義からの脱却を主張している。「東電たたき」が重要なのではない。今回の福島原発問題に、東京電力という大独占株式会社に現代の法人資本主義、会社本位主義の矛盾が象徴的にあらわれているので、東電の過去・現在・未来を議論し、その解体の方向を模索して、現代資本主義、大独占企業の帰趨に決着をつけ、そのための知恵を出し合いましょう、と言うのが全体の論旨である。

   日本の原子力政策の問題点、電力産業成長の経緯、東京電力の果たしてきた役割な重要な論点が随所に出されているのでそれはそれとして押さえておくべきであるが、問題を散漫にすることなく今回の問題に限定すれば、問題の所在は多くの人命を失わしめた東電の刑事責任が問われていないこと、東電があまりにも大きすぎてつぶせないとの認識が蔓延していること、原子力損害賠償支援機構をたちあげ銀行救済のために巨額の血税を投入したこと、などである。

   巨大独占企業の存在そのものが、日本の政治・経済・社会の御荷物になってきている。東電の国有化には、展望がない。採るべき方向は、電力会社の地域独占の廃止、発電部門、送電部門、配電部門の分離、そして発電部門に関しては水力、火力、原子力のいずれの発電所ごとに独立した会社にすること、さらに関係会社はすべて独立させ、小さな組織に改編していく、原子力発電は止める方向でエネルギー問題を展望していくことである。

   東電が株式会社形態をとっている限り、その自己変革は期待できない。政府の命令で進めるしかなく、政府が先頭にたって企業改革を推進するしかない。既存勢力には即刻退場してもらい、御用学者、お抱え記者にも退陣勧告。法人資本主義にかわる新しいシステムを構築できる人々、彼らによって遂行される政治がいま必要であり、いまがそのための絶好の機会というわけである。


バッハ「ゴルトベルク変奏曲」(by イリーナ・メジューヴァ)

2012-08-27 00:51:49 | 音楽/CDの紹介

             

 朝日カルチャーセンター(新宿)[住友生命ビル]で、イリーナ・メジューヴァさんを講師に、バッハの「ゴルトベルク変奏曲」を受講する。音楽ジャーナリストの伊熊よし子さんがイリーナさんに25分ほどこの曲の魅力、ロシアでの受け止め方、バッハ音楽における位置などを聞き、それにイリーナさんが答える形式のあとに、イリーナさんがこの曲を生でとおして演奏してくれた。


 この曲は、バッハが弟子だったチェンバリスト・ゴルトベルクのためにかいた作品。カイザリング伯爵が不眠だったときに、それを癒す曲の演奏をゴルトベルクにもとめ、バッハがそのために作ったと言われているが、諸説があるようだ。

 この曲はがグレングールドがかつて演奏し、センセーショナルな熱狂があった。ロシア(旧ソ連)でもグレングールドは演奏し、影響力があったようである。イリーナさんの師であるトロップ先生は直に聴いたそうで、イリーナさんはそのことを語ってくれた。イリーナさん自身もかつてはグレングールドの演奏をレコードなどをとおして聴いて感動したそうだが、いまは少し距離をおいているという。その理由は、グールドの感動までを計算した演奏になじめなくなったからだという。

 ピアニストというものは、ある曲の演奏をするとすると、いくつかあるヴァージョンを比較し、学び、そういう作業をとおして初めて実際の演奏になるそうである。イリーナさんは、この日はゴルトベルク変奏曲のヘンデ版による演奏をしたようだが、他にもブゾーニ版などたくさんあるという。

 この曲はもともとはチェンバロ用に書かれたので、ピアノ演奏は難しいとのこと。イリーナさんによれば、チェンバロは鍵盤が2段になっているが、ピアノはそうではないので、運指で指がぶつかりあうことがでてくるので、その回避が難しいとのことであった。あとは曲が長く、肉体的、精神的集中力、また基本の基本がしかkりできていないとぐじゃぐじゃになりかねないので、そこが大変というニュアンスのことも解説していた。

 イリーナさんの演奏は圧巻。自身で語られていた難しさもなんなく解決していた。バッハ音楽の魅力を演奏をとおして伝えてたいという、彼女の思いは十分に伝わってきた。いずれは、CD録音も計画されているようである。応援したい。


渡邊啓貴『フランス現代史』中公新書、1998年

2012-08-26 00:03:47 | 歴史

              

    フランスといえば、芸術、絵画、ワインなどを通して、この国のことを知ったつもりになっているが、その現代の政治、社会のことをどれだけの人が知っているだろうか。余程のフランスびいきの人でもない限り、知られていない、というのが現実だろう。専門家の世界でもそうらしく、著者はこの新書をまとめるにあたって、戦後のフランス史をたどることは、(その種の書物は邦語でも大部のものがいくつかあるだろうから)それほど難しい作業ではないと思っていたが、邦語の通史はおおざっぱすぎ、個別研究の数はあまりにも希少で、難渋したと述懐している(p.324)。

    本書は、第二次世界大戦のフランス解放から、シラク大統領の選出(1995年)、ミッテランの死(1996年)頃まで。ドゴール、ポンピドー、ジスカール・デスタン、ミッテラン、シラクと連なる大統領下の政治、経済、社会が淡々と綴られている。叙述は詳しいが、単調(しごく)。フランスの政治状況を時系列的にたどっていく手法で、几帳面にノートをとりながら読み進めることでもしないかぎり、頭に入らない。わたしの受け皿(フランス政治史の基礎知識)が貧しいので、こういうことになる。

   ポイントはいくつかある。第一は良くも悪くもドゴール主義がいまなお生きているということ。それは理想と現実主義との巧みな使い分けに象徴される。ドゴール主義はことに外交分野で顕著で、著者はそのことを「複雑なヨーロッパ国家関係の歴史の渦の中で生き抜いてきたフランスの知恵である。その意味では、核抑止力をついに放棄しなかったミッテランもその例外ではなかった。これをドゴール主義と呼ぶとすれば、左右の区別なく、フランス外交はつねにドゴール主義を堅持する」と要約している。

   第二はコアビタシオン(保革並存)。戦後は右翼、中道、左翼の力関係がつねに拮抗し、政権交代がたびたびであった。左翼(社会党、共産党)の影響力は無視できず、この点は日本の政治バランスをものさしとしているかぎり分りにくい。首相は大統領によって指名されること、歴史的なアルジェリア紛争、58年5月の学生紛争、われわれには想像しにくい事情がこの国にはある。

   本書執筆の基本姿勢が述べられている箇所があるので、少し長いがその個所を引用しておきたい、「戦後の復興期から高度成長期へと急速に拡大した国民経済は技術の急速な発展をともなって経済社会を安定させた。この産業社会は生活水準の向上と生活様式の大きな変化をもたらし、フランス社会の伝統的価値観を次第に崩壊させていった。そうしたなかで新旧の交代をドラスチックなは形で表現したのが68年5月革命であった。そして、それはまさに70年代の高度成長の限界=脱産業社会化の前兆でもあった。/今日のフランス社会は依然としてその延長にある。大きな流れとしては、イデオロギー収斂化の傾向のなかで、ネオリベラリズムへの傾斜が趨勢であるが、幾多の問題を内包するフランス社会は決定的な突破口を見出しているとは言い難い。しかし、ジスカール・デスタン時代、ミッテラン時代、シラク時代、さらに三度におよぶコアビタシオンの時代の経験は、苦衷からの脱出のためのフランス国民の倦むことのない試行錯誤でもある。そして、その内外政策の在り方がまさにフランスという社会の態様を明らかにしているのではないか」と(pp.323-324)。


スワローズ VS. ジャイアンツ17回戦(神宮球場)

2012-08-25 00:41:15 | スポーツ/登山/将棋

               

 7日のスワローズ対ベイスターズ戦に次いで、昨日(23日)スワローズ対ジャイアンツ17回戦を観戦した。スワローズ主催で、神宮球場で、である。入手したチケットは何と、バックネット裏。この場所での観戦を前々から夢見ていたので、望外の幸運、感激の一言。薄暮の6時、試合開始。ビールを飲みながら、青いシートに身を沈める。


 わたしは、どちらかというとアンチ巨人(と書くと、ジャイアンツファンに睨まれそう)。よく言われるように、ジャイアンツは金銭にものを言わせて、他球団の四番打者をひっぱってくる、主戦投手を引き抜く。本年度で言えば、昨年、日本一になったホークスの杉内投手、ホールトン投手を引き抜いた。また、ベイスターズの4番者、村田選手をとった。そういうことが過去からずっとあり、思いつくだけでも落合選手、清原選手、小久保選手、小笠原選手、ラミレス選手、クルーン投手など枚挙にいとまない。野球はチーム競技なので、強打者がいても、必ずしも勝てないし、現にジャイアンツは、最近ペナントレースの覇者になっていない。そうは言っても、他チームの強打者、有力投手で固めるやり方は近年、ことにつよまっていて、そんな阿漕なことをしているせいか、ジャイアンツファンは、減ってきていると言われる。誰もかれもがジャイアンツとは言わなくなった。
 わたしのアンチ巨人は、上記のこともあるが、もっと年季が入っている。昭和33年、日本シリーズででジャイアンツが3連勝し、あと1勝で日本一といところまできていたが、その後、ライオンズが4連勝して逆転優勝日本一。このときのライオンズは、稲尾、中西、高倉、豊田、仰木の活きのいい若手選手がいて、見事逆転優勝した。当時、わたしは札幌にいて、テレビはなく、それほど野球好きでもなかった母が家事をしながら一生懸命、聴きながらライオンズに声援をおくってて、それでわたしも母に追随。それ以来、ライオンズファン(現在はそれほどライオンズ贔屓ではない)、アンチ・ジャイアンツになった。子どもだったから、単純なことから、そうなったのである。

 前置きが長くなったが、ジャイアンツがあまり好きではなく、スワローズファンでもないが、バックネット裏で、野球の醍醐味を堪能し、愉しめた。

 野球は、神宮球場のように、屋根付きでないほうがいい。本当の野球は屋外でやるものだ。流れる風が心地よい。選手にとっては、風のせいで、打球をとれなかたったり、と不運にみまわれることもあるので、ドームを推奨するむきもあるが、まただんだんそうなってきているが、外でゲームをするのが野球なのだ。

 試合内容もよかった。前半は投手の調子ももよく、両軍、0行進、スワローズが3回、スレッジのレフトスタンドへのホームランなどで2点を先取したが、4回にジャイアンツが打者一巡の猛攻、高橋由伸選手、古城選手のタイムリーなどで4点をとって逆転、その後は再び、しまった展開となり、結局4対2でジャイアンツが勝った。スワローズは2つの押し出し四球をだしたロマン投手の出来が誤算だった。ピッチャーの換えどきも悪かった。試合時間、3時間と少し。他球場で、ドラゴンズが敗れたので、ジャイアンツに優勝マジック30が点灯した。

 上記のアンチジャイアンツの理由云々を棚上げすれば、このチームには、人材を集めただけのことはあり、抜群の野球センスをもった選手がいる。たとえば阿部選手、坂本選手、村田選手などはみるからに野球選手の体格で、オーラがある。身体は小さいが松本選手はすばしこそう、かつ器用そうで、2番打者にぴったりだ。そして、彼らは期待にもこたえてくれる。阿部選手はかなり好調のようだし、松本選手はいい働きをしていた。見応えがあった。

 こういう細かい野球評ができるのもバックネット裏の席をとれたからである。翌日の新聞で確認すると、観衆2万5千。スワローズの主催試合だったが、6対4でジャイアンツファンが多かった模様。


長辻象平『忠臣蔵釣客伝』講談社、2003年

2012-08-24 01:05:52 | 歴史

            

   赤穂浪士討ち入り事件は、吉良上野介の屋敷に大石内蔵助を含め47士が赤穂藩主君の浅野内匠頭の仇を討つために襲撃した騒動であるが、津軽采女は上野介を義父としていた(上野介の娘あぐりと成婚していた)ので、この事件とも深く関わった。


   この小説は、津軽采女の視点から、赤穂浪士討ち入り事件およびその前後の江戸での権力確執(柳沢芳明と僧正隆光)の模様を描いたもの。刀剣にまつわる数奇な命運が随所で顔を出し、興味つきない。

   後者については、読み始めてすぐのところで、上野介が将軍から下賜された脇差の描写が細かいことに気付いたのだが、読み進むうちにその脇差と浅野内匠頭が勅使供応に使ったひと振りの刀との関係が説かれ、この小説に流れるひとつの筋になっていることがわかった、という次第である。

   上記の脇差しの描写は、こうなっている。「錦繍の刀袋から出てきた脇差は、印籠刻みの黒の蝋色鞘。ふっくらとした栗形には金の縁金の鵐目が嵌め込まれている。白糸で巻かれた柄には金無垢の獅子の目貫が使われている。鐔は深みのある黒の鳥金魚子地(しゃくどうななこじ)で、金象嵌の牡丹と獅子が山吹色に輝いている。鞘の両面に収められている小柄と笄も目貫と揃いの意匠であり、金の高彫りの獅子と鳥金魚子地の対比が美しい。いわゆる三所物である。将軍家の御用をつとめる後藤家の作であろう」(p.23)。

   このように刀の意匠を細かく記述した小説に出会ったことがないが、振り返れば、刀に対する著者の深い思い入れがすでにここにでているのである。次いで、采女はやはり吉良邸で人振りの別の脇差しを拝聴する場面がある。浅野内匠頭による勅使饗応の追加の礼物で、銘は村正入魂の刀であった。上野介のもちには、先の将軍から賜った脇差とともに、内匠頭から正宗銘の脇差、それも村正の由来を隠した脇差のあわせてふた振りの雌雄の吹毛剣がもちこまれたというわけである。このふた振りの吹毛剣がそろったあたりから、伝説に沿う形で殿中の刃傷事件が起こり、遺臣による仇打ち騒動が進んでいくと言う筋立てである。

  この小説の前に、夢枕獏の『大江戸釣客伝』を読んでいたのだが、いたるところで、異なった史実に遭遇して面喰った。作家の想像力でつくりあげた世界が双方にかなりあるようである。また、仇討事件そのものも通説とかなり異なる。仰天するようなことも書かれていた。


阿刀田高『日本語えとせとら(文庫)』角川書店、2012年

2012-08-23 00:18:31 | 言語/日本語

             

  日本語にまつわる事柄を、著者がつれづれに書いてきたものを編集してできあがった本。


  「ことばは深い」「ことばと遊ぶ」「ことばの道草」「ことばの知恵」とグループ分けされているものの、全体をながれるコンセプトがいまひとつはっきりしない。

  読者はこのような本に出会うと、いくつか初めて分った事柄(「転失気」「二豎(にじゅ)」の意味、「狼狽」の語源など)、曖昧だったことをすっきりとさせてくれた事柄(大乗仏教と小乗仏教の区別)、もうすでに知っている事柄、というふうに仕分けしながら読み進めることになる。すでに知っている事柄でも、こういうふうに書くとより理解が深まるものか(句読点の付け方)、と感心させられることもあった。

  ひとつの事項が2ページほどでまとめられているので、電車のなかで、あるいはちょっとした開いた時間に読むにはまことに都合がよい。

  最後に「小説家の眼」として松本清張の「黒地の絵」を分析し、この小説のテーマ、モチーフを浮き彫りにしている。この分析は面白く、こういう分析をもっとやってくれれば、読者としては有難い。


LONDONオリンピック・メダリスト凱旋パレード

2012-08-22 00:09:03 | スポーツ/登山/将棋
             

 昨日は、銀座でオリンピックのメダリストの凱旋パレードが、午前11時から20分間ほどあった。パレード前からのTV放送、そしてパレードの最中、パレードのあとのワイドショー、ニュース、スポーツニュースと一日中、この映像が放映された。


 この試みは急に決まったようである。2020年の夏季オリンピックに東京が立候補しているが、選考基準のなかに市民の支持率があり、東京はその率が低く、JOCも東京都もやっきになっていた。パレードは、オリンピック人気を確実に掘り起こし、盛り上げるチャンスになる。そうふんだのだろう。かくして、初めての試みは、実行に移された。(この予算はどこからでたのかと、年齢のいったわたしなどはすぐに反応してしまう)。

 この日は朝から暑かった。炎天下の11時ちょうどに、パレードは始まった。先頭を走るオープンカーに開会式の入場行進で旗手だった吉田選手(レスリングの金メダリスト)と、主将をつとめた村上選手(やり投げ)。後続の5台のバスに選手たち。懐かしい顔がみな見えたた、三宅選手(重量挙げ)、なでしこジャパンの選手たち、の北島選手(水泳)、内村選手(体操男子総合金メダル)、福原選手、石川選手(卓球)、木村選手(バレーボール)、太田選手(フェンシンク)、ひときわ大きい、室伏選手(ハンマー投げ)・・・・。みな、いい顔だ。

 沿道の観客が凄い数になっている。そこには50万人がいたという。ビルディングの窓から手をふったり、プラカードを示したりしている人がたくさん。歓喜と声援。なかには、朝5時ころから場所を確保していた人、前日から近くのホテルに泊まっていた人がいた。茨城、仙台からかけつけた人もいた。みな思い思いに生活を融通させてかけつけていた。

 この企画はよかったと思う。何よりも選手にとって。オリンピックで活躍して、帰ってきた選手に「みんな応援したいたよ」と声をかけても、彼らにはなかなかその実感がわかないのではないだろうか。「TVの視聴率がものすごくはねあがっていたよ」と告げても、何かしらピンとこないのではなかろうか? 50万人が歓喜の拍手を目の前でしてくれれば、実感できる。この実感は大切だ。選手は身体能力で競技を勝ちえた人、そのために厳しい練習をしてきた人であるから、実感、体感はなによりうれしいにちがいなく、次の自信になると思う。

 わたしは実は当初、パレードを観に行こうとおもったひとりである。自宅から無理な距離ではない(1時間ほど)。活躍したあの選手たちをまとめて全員、見ることができる。
 ネットで調べると、10万人くらいの観客になりそうだと書かれていた。迷いに迷ったが、結果として、あきらめた。残念ではあるが、暑さと待ち時間、場所の確保などを考えると、年齢的に最後の気力がでなかった。
あの混みようでは、ふらっと出かけても、パレードを観ることはできなかっただろう。

太田堯・尾山宏・永原慶二『家永三郎の残したもの引き継ぐもの』日本評論社、2003年

2012-08-21 00:00:15 | 評論/評伝/自伝

           

  教科書裁判闘争で偉大な役割を果たした家永三郎先生の人と業績を回顧し、さらにその運動を継承した実践を展望した好著。 編集者は太田堯さん、尾山宏さん、永原慶二さんだが、編者を含め40人が原稿を寄せている。


   通読して、家永三郎先生の精神的遺産の巨大さ、教科書裁判の歴史的意義の深さ、その後の運動の広がりの多様さと広範さに驚嘆する。

  家永教科書裁判は1965年、家永三郎(1913-2002)が一学者、一国民として現行教科書検定制度が違憲違法であるとして、国(文部省)を相手取って起こした裁判である。以降、第二次訴訟提訴(1967年)、第三次訴訟提訴(1984年)を経て、1997年8月29日の最高裁第三小法廷判決をもって終結した。

  三度の提訴を通じて、地裁から上下級10カ所の担当裁判所から10件の判決を出させた。中身としては検定制度の適用違憲をいうもの(杉本判決)、検定制度の恣意的な運用を批判するもの(畔上判決)、検定制度は合憲とするが、個々の検定処分の行き過ぎをとがめるもの4件などがある。

  この裁判が歴史的に大きな意義をもったのは、検定制度の合憲性を問うにとどまらなかったこと、換言すればそれを教育をめぐる闘い、憲法問題にまで高めたことにあった。

  全体は2部3グループ構成であ。第Ⅰ部「家永三郎先生の精神と学問の今日的意義」で主に理論的な側面を記録した文章が、第Ⅱ部「自由・平和・民主主義を求めて-家永三郎先生の遺志と活動の継承」で実践的な側面からの文章が並んでいる。全体がとても重視していてどの文章にも感銘を受けたが、家永史学について論じた「家永史学を支えるもの(江村栄一)」、家永先生が勤務していた東京教育大学での闘いについて書かれた「東京教育大学闘争における家永先生(大江志乃夫)」、家永先生の憲法論の意義をあつかった「家永憲法論の業績と特質(小林直樹)」、杉本判決の積極的な意味を浮き彫りにした「家永先生の『高尚な生涯』と教科書裁判の意義(太田堯)」「家永教科書裁判と教育学(堀尾輝久)」「家永教科書裁判の今日的意義(尾山宏)」から多くのことを学んだ。

   国家と教育の関係を問い直し、精神の自由を前提する子どもの学習権[文化的生存権]とそれを中核とした国民の教育権と教育の自由論を展開し、国家は教育内容や教科書記述に立ち入ってはならないことを明示的に述べた杉本判決の意義は、教育にたずさわるものとして忘れてはならないものである。

  他に2・3の論稿には検定内容の具体的やりとりが紹介されているが、検定内容のあまりのお粗末さにあきれてしまった。教育の反動化は強まっている。教育現場の一部にみられる荒廃には目に余るものがある。両者は無関係でない。家永先生が残された遺産の継承しそれを深化させることは、わたしたち国民一人ひとりの課題である。


「ベルリン国立美術館展-学べるヨーロッパ美術の400年-」(国立西洋美術館)

2012-08-20 00:10:43 | 美術(絵画)/写真

            

 「ベルリン国立美術館展-学べるヨーロッパ美術の400年-」が、上野の国立西洋美術館で開催されている。フェルメールの「真珠の首飾りの少女」が目玉であり、注目されている。近くの都美術館では「マウリッツハイス美術館展」があり、ここには2枚フェルメールが来ているので、上野にはいま3枚のフェルメールがあることになる。

 
 「ベルリン国立美術館展」ということであるが、この名称は「ベルリン国立美術館彫刻コレクション」「「ベルリン国立絵画館」「ベルリン国立素描版画館」の総称である。

 構成は下記のとおり。 

Ⅰ部 絵画/彫刻
第一章 15世紀:宗教と日常生活
第二章 15-16世紀:魅惑の肖像画
第三章 16世紀:マニエリスムの身体
第四章 17世紀:絵画の黄金時代
第五章 18世紀:啓蒙の近代へ

Ⅱ部 絵画/彫刻
第六章 魅惑のイタリア・ルネサンス素描

 フェルメール「真珠の首飾りの少女」の他では、「黄金の兜の男」(レンブラント派)、「死んだ鳥のいる静物」などが目をひいたが、全体として15世紀から18世紀までのヨーロッパ美術を、イタリアと北方の美術を比較しながら観ることのできるようになっているのが特色である。

 他にも 15~16世紀のドイツを代表するリーメンシュナイダーの木彫やベルリン素描版画館の誇るボッティチェッリの素描など、優れた作品が出品されていた。

           


佐野眞一『新忘れられた日本人』毎日新聞社、2009年

2012-08-18 00:01:49 | ノンフィクション/ルポルタージュ

            

  書名の『新忘れられた日本人』は、民俗学者宮本常一が著した『忘れられた日本人』を意識しているという。常一に敬服している著者は、この本の冒頭で、「土佐源氏」のモデルになった山本槌造の孫、梶田富五郎の息子の嫁を取材した体験を語っている。


  ノンフィクション作家の著者は、すでに『旅する巨人』『てっぺん野郎』『遠い「やまびこ」無着成恭と教え子たちの40年』『巨怪伝 正力松太郎と影武者たちの一世紀』『カリスマ 中内功とダイエーの「戦後」』『東電OL殺人事件』『阿片王 満州の夜と霧』『枢密院議長の日記』『甘粕正彦 乱心の廣野』『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』などを著している。それらを書きあげるためには、膨大かつ綿密な取材を行っているが、本書はその過程で出会ったり、遭遇したバイプレイヤーに関心をもって書きあげたものである(最初は「サンデー毎日」で連載)。

  著者にはいくつかテーマがあり、それらは「企業」「高度成長」「沖縄と満州」である。実に多くの「忘れられた日本人」が登場する。日本マクドナルドを旗揚げした藤田田(でん)、中内ダイエーの盟友(畜肉商)・上田照雄、ファミレスの草分け・江頭匡一、沖縄の家畜商・多和田真利、蒟蒻新聞社長・村上貞一、残飯屋・弥勒久、「山びこ学校」の関連者、日本のプロ野球の草分けとして尽力した人々(日本初の女子プロ野球を含む)、滋賀県特殊浴場協会会長・田守屋四郎、滋賀プラスティック代表・西四辻公敬、そして日本の高度経済成長の下敷き的要因となった「満州」「沖縄」に関わった人々。

  個人的には、日本の映画産業のルーツともいえる満映の人脈(甘粕、内田吐夢、西本正、岡田桑三、根岸寛一)、石原慎太郎、裕次郎の父親石原潔、大杉事件で大杉栄、伊藤野枝、橘宗一少年を検死解剖した田中軍医の話に興味をもった。著者は若かった頃、『原色怪獣怪人大百科』を書き、これはかなり売れたという。それで著者は自分のことを「昔怪獣」「今怪人」のノンフィクション作家と自称している。


第30回夏季オリンピック・LONDON大会

2012-08-17 00:07:16 | スポーツ/登山/将棋

 オリンピックが終わった。日本選手が次々に成田空港に帰ってきて、一昨日は解団式もあった。20日の月曜日には、銀座で凱旋パレードがあるという。

 わたしは熱心な視聴者では必ずしもなかったが、数種目の競技は観たし、体操(男子)や、水泳などでは日本の選手を応援した。しっかりリアルタイムで観たのものは、アーチェリー(男子)、男女のマラソンである。重量挙げ(女子)、柔道(男女)、フェンシンク(男子)、卓球(女子)、陸上(男子)なども部分的に視聴した。6日のNHK7時からのオリンピック特集も録画して、通して観ることができた。


 いくつか感じたことを記したい。まず、普段あまり見ることのできない競技が面白かった。アーチェリーは単調そうな試合だ。それでも競技場には、観客がたくさんいた。TVで観戦していると、見かけは単調だが、緊張感が伝わってくる。この緊張感がたまらない。
 70メートル先の的にむかって矢を放つのだが、100点の的の直径は12.2センチである。よく命中するものだ。難しいのは、絶えず風があるなか、屋外での戦いなので、運もある。あるいは風の方向、強さを読んで、弓をしぼるのであろうか。

 フェンシンクもあまり見る機会はない。男子の団体戦では銀メダルをとったが、準決勝でスコアで負けていた試合、最後の2秒で太田選手が逆転した。一気呵成に剣をつくのだが、一か八かかもしれないが、最後まであきらめない執念を、そこに感じた。思わず拍手。

 他にも女子重量挙げ(48キロ級)での三宅選手には、心からおめでとう、と言いたい。スナッチでは最初から日本記録の85キロに挑戦し、これを見事に持ち上げた(最終結果はスナッチ85キロ、ジャーク110キロ)。重量挙げは、ただ重いものをあげる競技ではなく、脚と腰が強くないとうまくいかないし、タイミングの取り方が重要と言う。そうは言っても85キロ、110キロといえば、男性でも普通の人はつり下げてもつことはもちろん、床の上で押して動かすこともできない。女子力、恐るべし。

          


 オリンピックの競技ではかねてから体操が好きだったので、これはかなり熱心に見た。団体で内村選手がくずれ、鉄棒、あん馬で落下したのには驚いた。ありえないことが起こった。個人総合まであとをひかないように願ったが、金メダルをとれてよかったし、演技には見とれた。体操の難しい技には、それを開発した人の名前がついている。トカチェフとか、コールマンとか。日本人の名前も鉄棒にモリスエというのがあるし、跳馬でヤマシタ跳びというのがある。ウチムラというのはないのだろうか?
          
 
  報道で気になったのはボクシングの日本の清水聡選手とアゼルバイジャンの選手との対戦に関する判定で、誤審が強調されたシーンがあった。第三ラウンドで最後の一分間ほどで、アゼルバイジャンの選手が再三前のめりにダウンしていたにもかかわらず、判定でこの選手が勝ちとなったのが、会場のブーイングでこの判定が覆り、清水選手に凱歌があがったという件である。清水選手が勝ったというのは事実だろうし、誤った判定が正しいものとなったという点はよい。

 問題はこの判定がひどいということを強調したいあまり、アマチュアボクシングのルールに何も言及しないで、最初に結論ありきの映像がながされていたことである(NHKの特集も同様)。
 プロのボクシングとアマチュアボクシングとではルールもジャッジの方法もまるでちがう。プロレスとアマチュアのレスリングがまるで違うのと同じだ。
 アマチュアボクシングは有効打で加点される。相手がダウンしようが、ダウンしまいが、それは関係ない。あたった有効打の数が多い方が勝ちである。有効打があたったか、そうでないかは、審判(5人?)が判定する。そして、ラウンドは通常3回(プロボクシングは12回)。

 清水聡選手とアゼルバイジャンの選手との対戦で、第一ラウンド、第二ラウンドは上記の判定ルールで有効打の数でせりあっていたらしい。が、この部分の映像は、なかった。第三ランドの最後の1分ほどで清水選手が一気呵成に攻めた。報道では、何度も前のめりに倒れこんでいるのに・・・、といった表現はあったが、これは上記のようにダウンしているかどうかは判定には関係ない。

 審判の誤審という観点からの視点からのみ映像をまとめた報道の仕方には、疑問がのこった。(清水選手の銅メダルの快挙には、心底喜びました)

 メダル数が強調されすぎの過熱感があったが、ともあれオリンピックは終わった。人間の限界に挑戦する姿には、何度も感動した。スポーツ文化が、この4年に一度のオリンピックの時だけでなく、日々の生活のなかに定着し、妥当な予算と環境が与えられて、ますます進化していくのを応援したい。


夢枕獏『大江戸釣客伝(下)』講談社、2011年

2012-08-16 00:38:32 | 歴史

            

   下巻は、上巻最後の個所で采女らが議論していた投竿翁が誰で、どのような人であったか、がわかる。釣りの名人、『釣秘伝百箇條』という指南書を著した人物。どうやらその人物は朝湖と其角が鉄砲州の沖で釣りをしているときに、釣り上げた土左衛門であったらしいことがわかる。さらに、投竿翁という謎の人物、その人が書いた指南書、この書をとある女性が大黒屋という古本屋にもちこんだのを朝湖が入手し、そのことをめぐってのやりとりが興味深く展開されてる。


   この巻では、有名な江戸城松の廊下での刃傷沙汰、赤穂浪士討ち入りの話がでてくる。というのも主人公の采女の義理の父親が吉良義央で、浅野内匠頭長矩に斬りつけられ、一命をとりとめ養生した義央を采女が見舞うという設定になっている。そして、采女は討ち入り後も現場まで行っている。

  家綱の生類憐みの令の執行は余程厳しかったようで、「本朝牛馬合戦記」で生類憐みの令を茶化し、吉原の女郎を将軍綱吉の生母桂昌院の甥にあたる本庄安芸守資俊に身請けさせたかどで捕縛された朝湖らが、次いで阿久沢弥太夫は釣りと関わって島流しにあっている。苦節数年を経て、家綱が急死し、時代が家宣の時代となり、憐みの令は実質的に廃止となる。朝湖(英一蝶と改名)も弥太夫も恩赦で江戸に戻ってくる。其角は既に亡くなっていた(アル中?)。

  采女らの仲間は、再び釣り三昧の生活に。采女は「何羨録」を著し、釣客人生を全うする。「結の巻」というのが巻末にあり、ここで采女の波乱万丈の人生が再び紹介される。驚きである。子ども、孫が次々亡くなっている。また、自宅の数度の火事に遭遇している。「何羨録」の意義も確認している。「たいへんな名著」とのことである。中国、日本の古今の釣り話から始まって、江戸のさまざまな情報が記されているとのこと。竿の作り方、鍼の作り方、江戸浦の天候の見方、各魚の釣れるポイント、餌の紹介。竿にしても、鍼にしても図解入りという。

  また、日本の鍼の種類の多さににも言及している。他の国にはないことだという。世界中をまたにかけ釣りを楽しんでいる著者が語っているのだから本当であろう


KIRIN CITY 新宿東口店(新宿区新宿3-25-9、新宿モアビル1・2F;03-3350-8935)

2012-08-15 00:10:13 | 居酒屋&BAR/お酒

             

  新宿東南口の近くに「KIRIN CITY」がある。KIRINが経営しているビアホールである。駅に近いので大変便利である。芝居、映画、ショッピング等で新宿にでかけることはしばしばあるが、一休みするのに都合がよい。

 
 KIRINのお店なのでビールがおいしい。最近、「フローズン生」という新製品が発売され、話題をよんでいるが、もちろんここにある。名前のとおり、ぐっと冷えているし、泡の部分がなかば凍っているので若干ジャリジャリする。その感覚がよい。冷たいビールを飲んでいるのだという現実感がある。くわえて、ソフトクリームのてっぺんのように、小さく角がたっている。これが可愛い。
               

 そろっている食べ物のメニューもおいしい。ビールはもとよりカクテル、ウィスキーにあうものがたくさん並んでいる。キリンシティ名物(ソーセージ盛りあわせ4種、牛フィレのおつまみ焼の香味ソース、こがね鶏のチキンバスケット、CITYポテト)、ベジタブル、ソーセージ・生ハム、魚介料理、肉料理、ピザ・パスタ、などなど。 

 若い人が多い。そして、混んでいることが多く、待たなければならないことはしばししば。それだけは我慢しなければなるまい。