【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

三國隆三『木下恵介伝-日本中を泣かせた映画監督-』展望社、1999年

2008-05-31 01:06:32 | 映画
三國隆三『木下恵介伝-日本中を泣かせた映画監督-』展望社、1999年

             木下恵介伝―日本中を泣かせた映画監督

 日本人のキメ細やかな感情を織り込んだ作品を多数製作,一時日本映画界では黒澤明と並び称された木下恵介の伝記と作品を解説しています。

 黒澤との対比で論じている点,また木下が何故,現在忘れ去られた存在になってしまったかのかに着目している点がユニークです。彼の作品の特徴はかつての日本人の独自な情感を描くことにありましたが,それらが現実の家族,地域から消失していくとともに,彼の作品も理解されなくなっていきました。

 テレビドラマへの転向で生き延びをはかりましたが,そこでも存在の根拠をなくしていった,というのが結論になっています。

 木下恵介監督の作品で「陸軍」「野菊の如き君なりき」「お嬢さんに乾杯」「善魔」「二十四の瞳」「日本の悲劇」「女の園」「喜びも悲しみも幾歳月」などは観ましたが,この本を読んで「香華」「永遠の人」なども観たいと思いました。

 「木下学校」と言われるほど監督や俳優を育てた貢献は大きいとの指摘には大いに納得です。

 表紙の絵(上記画像)は、著者のものです。

国語審議会の活動は何だったのか?

2008-05-30 00:50:27 | 言語/日本語
安田俊朗『国語審議会』講談社新書、2007年

           国語審議会 迷走の60年 / 安田敏朗/著


 「国語審議会」。今はありません。2001年省庁再編とともに「国語審議会」は廃止となり、「文化審議会国語分科会」となりました。

 日本の国語国字問題検討の歴史は長く、文部省国語調査委員会(1902年-13年)、臨時国語調査会{1921年-34年)、国語審議会{1934-)[国語協会というものもあった]などで審議され、これまで数々の建議が示され、答申が出されました。その経緯と論点を整理したのが本書です。

 著者は本書の柱は2本と書いています。ひとつは国語審議会の歴史を「要点をおさえつつ、現在派と歴史派の対峙から一体化、さらには倫理化を、『時流のあと追い』をキーワードにしてえがく」こと、ふたつめは「国語審議会答申やそれに関わった人物の主張から言語観、とりわけ国語観・敬語観の変遷をみること」だそうです(p.276)。しかし結論的には国語審議会の活動は「空回り感が強い」と書いています。

 換言すれば、この本には縦糸と横糸とがあり、縦糸は歴史派(伝統を重んじ、安易な漢字の簡略化、表音化に反対する立場)と現在派(誰にも分かりやすい国語を目指し、漢字の字数制限、簡略化を推進する立場)の対立、せめぎあいであり、横糸には当用漢字、常用漢字の制定、戦後の民主化のなかで一時、話題となった国語のローマ字化、敬語表現などの歴史的トピックスです。

 副題にあるように、この書を読む限りでは国語審議会は「迷走の60年」でした。とは言っても、日本に住む外国人が増えたり、ワープロ化が進行したり、国語、日本語の規範づくりといっても一筋縄ではいかないです。

 著者によれば、国語審議会の歴史に「違和感をもってもらうことが本書の最終的な目標である。しかし、その違和感にどう対処すればよいのかを具体的には論じていない」と言っています(p.276)。確かに何となく読後感がすっきりしないのは、後者の主張がないからかもしれません。

「怒る富士」公演(国立劇場)

2008-05-29 00:03:31 | 演劇/バレエ/ミュージカル

「怒る富士」[前進座]公演(国立劇場)

         怒る富士チラシ1

 半蔵門の国立劇場で公演されていた前進座の「怒る富士」が終わりました(5月11日-
24日)。原作は新田次郎です。原作を読んでいたので、理解は容易で、楽しめました。

 楽しめたといってもそれは芸術の演劇としてということで、内容は宝永
4年(1707年)の富士山の爆発とそれにともなう駿東郡59ヶ村の惨憺たる降灰、農作の壊滅、幕府による「亡所」の指定、棄民ですから、理不尽さと惨さとが伝わってきます。

 
 時の将軍は綱吉。農民は救済をもとめ小田原藩主、江戸幕府に陳情しますが無視同然の仕打ちです。関東郡代の関東郡代伊奈半兵衛忠順(嵐圭史)が努力して、飢餓状態にある農民のために幕府を説得、米の調達をはかりますが、その試みもうまくは進みません。幕府が各藩から集めた救済金もその大方が大奥のために使われてしまう有様。背景に幕府内の権力争い、武田家の旧臣である柳沢吉保のグループ、その反対勢力である小田原藩主で老中である大久保忠増のグループの政争がありました。

 
 五代将軍綱吉が死去、将軍が家宣に替わりますが、権力者は誰一人として飢餓農民救済に目をむけませんでした。半左衛門は己の生命と伊奈家の命運を懸け、幕府に抵抗することを決意。彼の義心を受けた駿府代官・能勢権兵衛(藤川矢之輔)は「掟」を破り幕府の米倉を開きますが……。忠順は最後、このことの責任をとって切腹します。


 「つる(今村文美)」「こと(小林祥子)」という2人の魅力的な女性が登場します。水呑百姓の娘つるは佐太郎(嵐広也)と駆け落ちしようとしたところで、富士の爆発に現地で遭遇し、離れ離れになります。その後、伊奈半左衛門が「つる」を養女にもらい、佐太郎と夫婦となります。他方、「こと」は田沢村の名主のもとで働く娘でしたが、伊奈半左衛門の口添書を手に、農民たちの先頭にたって駿府に就職探しにでかけます。しかし、文吉(高橋祐一郎)という男に騙され、さいごは自刃(原作では縊死)します。


 公演時間、
3時間があっという間の緊張感ある舞台でした。


財界とは何か?

2008-05-28 00:20:58 | 政治/社会
菊池信輝『財界とは何か』平凡社、2005年

           財界とは何か

 本書の目的,「『財界』がいかに日本の政治や経済に強い影響を与えているかについて知ってもらうために書かれた」(p.9)とあります。

 その財界の定義は,「『財界』とは個別企業の意思をまとめ,政治や経済を動かすために企業が形成している経済団体や経営者のグループ」(p.9)。のことです。「あらゆる日本の政策決定には『財界』が深く関わっているので,『財界』の意向や『財界』が置かれている経済環境についての考察がなければ,今日の日本,そしてこれからの日本の行く末を予想することはできない」(p.10)とも言っています。

 財界の見取り図(p.20)によれば,経団連,日経連が合体して,現在「日本経済団体連合会」が,「経済同友会」とともにあります。

 「戦後経済団体の成り立ち」「『財界』の政治的影響力形成過程」「財界は何を目指しているか」の3章から成り,各章には概要が付されわかりやすいし,表題はチャーミングです。

 財界はあらゆる規制の撤廃,革新政党の粉砕,保守政党の二分化を目指したのですが,それが日本企業の屋台骨を揺るがし,日本経済を衰退に向かって加速化させるにいたってしまったと,著者は分析しています。

 「財界」が政治に深く関与したとしても政治を思い通りに動かすことと直結しないという主張(p.260)と,戦後の財界は政府の介入を嫌ってきた(p.319)という主張とが交錯して展開されています。

島田晴雄『行政評価』東洋経済新報社、1999年

2008-05-27 00:20:38 | 政治/社会

島田晴雄『行政評価』東洋経済新報社、1999年

      行政評価―スマート・ローカル・ガバメント

 三菱総合研究所・研究調査部の島田晴雄、田中啓、田渕雪子、小野達也各氏による「行政評価」論。著者のおひとりに先日、「勉強会」で話を聞く機会がありました。

 内容はやや旧いですが、「行政評価」なるものが地方自治体でスタートし始めた頃の状況がよくわかります。「総論」「理念編」「現状編」「実践編」から成ります。三重県から始まった「行政評価」、当初の「事務事業評価」中心のものが、その後「総合計画」との連携が意識されるようになり、さらに「行政管理」→「行政経営」の方向へ進展しています。

 「政策」「施策」「事務事業」の3層構造からなる自治体の総合計画に、PLANDOCHECKのマネジメントサイクルを導入し、数値目標を設定して計画の進行管理を行い、必要とあらば予算と連携させつつ、無駄をはぶき、効率的な行政をめざし、その内容を県民、住民に開示していくという10年ほど前の自治体改革の息吹が聞こえてくるかのようです。

 また、理論ベースの新公共経営(
NPM)やアメリカ、イギリスの諸外国の経験も参考になります。実践編では、評価指標の設定の仕方、評価シートの仕組み、事務事業導入初年度の作業の流れ、職員の負担などについても詳しい説明があります。

 

目次を紹介すると、本書の魅力がわかります。

序章 総論 -行政評価が変える日本の地方自治

1章 地方自治体と行政評価

2章 諸外国に学ぶ行政評価

3章 日本の行政評価事情

4章 行政評価のかんどころ

5章 行政評価の実践テクニック

 行政評価については、総務省のサイトで現状(主として国レベルのものですが)が詳しくわかります。地方自治体の「行政評価」の中味にもアクセスできるようになっています。  

 http://www.soumu.go.jp/hyouka/seisaku_n/index.html


男はつらいよ・夕焼け小焼け

2008-05-26 00:11:01 | 映画

山田洋次監督『男はつらいよ・夕焼け小焼け』

        男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け

 過日、久しぶりに山田洋次監督『男はつらいよ』をビデオで観ました。「男はつらいよ」についてみなが言うこと。話の筋に決まった型があり、マンネリ化の要素がないわけではない。しかし、見始めるとついつい笑い泣きしながら最後までみてしまう。


 この17作目は、シリーズの最高傑作のひとつです。寅さんがマドンナに振られない唯一のバージョンです。大地喜和子演じるマドンナで芸者の「ぼたん」の明るさ、その彼女が苦労して貯めた200万円。彼女はその大金を悪人に騙し取られてしまいました。それを知った寅さんは俺が何とかしてやると「ぼたん」の味方となり、一念発起します。やることは破天荒ですが、それは寅さんその生き方そのものです。

 そんな寅さんの心意気に心を打たれた「ぼたん」は「私、初めてや!男の人のあんな気持ち知ったの!」と言って、寅さんの優しさに惚れてしまいます。


 話の前半の部分、飲み屋のシーンで寅さんが偶然、出会った老いた画家との交流、いつもながらですが寅屋でのおいちゃん、おばちゃん、妹さくらと亭主の博との垣根のないやりとり。寅さんシリーズに欠かせないお隣の印刷屋(朝日印刷)のタコ社長との会話の楽しさ。全てが面白くて可笑しくて、切ないです。

 この作品はラストは、素晴らしいです。寅さんが老画家に依頼して「ぼたん」宛てに送った絵を見て、「先生!ごめんよ!」と一言。寅さんは東京に向って手を合わせます。寅さんは惚れた女(マドンナ)のためなら自分はどうなっても・・・・。寅さん映画の素晴らしさが詰まった傑作です!


帯津良一『がんになったとき真っ先に読む本』草思社、1996年

2008-05-25 12:00:59 | 医療/健康/料理/食文化
帯津良一『がんになったとき真っ先に読む本』草思社、1996年

            がんになったとき真っ先に読む本

 4つのことを学びました。

  第1に癌を克服することを建物に例えて,心(土台),一階(気孔,食事)を堅固に,そして二階(西洋医学,東洋医学,代替医学)という考え方にたって問題に対処すべきということ。

 第2にホリスティック(全体的)医学,場(生命場)の医学という発想です。身体の実相は「場」のなかに浮かぶ臓器であり,この「場」を解明するのがホリスティック医学です。

 第3は,自然治癒力に信頼をおき,それを働かせる(気孔などで)ことが癌の克服,予防に重要であるということ。

 第4に食事療法,幕内式「食事生活改善法」の意義です。ご飯をキチンと食べ,未精製の穀類,野菜中心の副食,発酵食品を食し,肉類,揚げ物,白砂糖をひかえ,添加物のない安全食品をとり,食事はゆっくりかむこと,だそうです。

松野迅ヴァイオリン・リサイタル

2008-05-24 01:08:58 | 音楽/CDの紹介

 松野迅さんのヴァイオリン・リサイタルが文京シビック・ホールでありました(22日)。演奏曲は、以下のとおりです。
       

     モーツアルト「ソナタヘ長調」

     カウフマン「イーディッシュ組曲」

     メンデルスゾーン「歌のつばさに」

     グラズノフ「アラブのメロディ」

     ストラヴィンスキー「ロシアの乙女の歌」

     瀬越憲=松野迅編「すみれ」

     ヴィニアウスキー「ファンタジー・オリエンタル」

 トークを挟みながらの、演奏でした。モーツァルトの曲にはふつう、ケッヘル番号が付いています。ケッヘルという人がモーツアルトの曲を整理し、番号をふっていったもので、もともとはついていません。モーツアルトの曲に最初に番号をケッヘルがふったあとに、発見された曲もいくつかあり、ケッヘル番号もそれによって微妙に変わりました。松野さんはその番号を示さないで、モーツァルトの当時の感じを出すために、あえてケッヘル番号をプログラムに書きこまないようにしたとのことです。

 今回のプログラムは、ユダヤ系の色をだし、アラブの香りも取り入れています。「イーディッシュ組曲」の「イーディッシュ」というのは「ユダヤの」という意味です。ユダヤの音楽は平均律ではありません。独特です。

 メンデルスゾーンもユダヤ人です。ユダヤ人だからといって、みなユダヤ教ではありません。メンデルスゾーンもユダヤ教徒ではありませんでした。ユダヤの人たちは子どもが生まれるとヴァイオリンをもたせます。そのなかで、天才的な力をもった人があらわれ、周囲のユダヤ人はその人をみなで支援します。そういう、倣いがあるようです。スターン、パールマンなどそういう天才肌のソリストです。ストラヴィンスキーもユダヤ系です。「ロシアの乙女の歌」はある物語が背景にあります。

 
 アンコール曲はチャイコフスキーの「感傷的なワルツ」とカリンニコフの「哀しい歌」でした。

 ピアノ伴奏は曽我尚江さんでした。

 
 松野迅さんは、優しいユニークな語り口で、独特です。愉しい演奏会でした。この日の曲目をおさめたCDを現在録音中とかで、
7
月に発売予定です。予約して帰ってきました。

http://www.m-jin.com/  ← 松野迅さんのホームページ


近藤富枝『田端文士村』中公文庫、1983年

2008-05-23 00:57:38 | 評論/評伝/自伝
近藤富枝『田端文士村』中公文庫、1983年

          田端文士村 (中公文庫)

 山手線沿線の田端。この界隈はかつて芸術家たちが住む村でした。明治の末には一面の畑でしたが、大正の初めにかけて陶芸家として有名になった板谷波山がここに住み、大正3年に芥川龍之介が引っ越してきて以後(彼の人間的魅力もあったのかもしれませんが)、続々と若い文士が集うようになりました。

 室生犀星、萩原朔太郎、瀧井孝作、久保田万太郎、堀辰雄、中野重治、佐多稲子、菊池寛、、等々。数えあげればきりがありません。

 「この田端の風土と人脈は、近代文学史に一線を画す芥川文学の背景であり、かつ大正から昭和への文学的胎動も、この地に一典型を認められることに気づくのである」(pp.8-9)と著者は書いています。

 本書は芥川龍之介を中心におきながら、文学者、芸術家の集団を丹念な調査と聞き取りでまとめたものです。

 その芥川について著者は次のように書いています、「芥川は田端の王様であった。眩い存在であった。誰もが彼を愛さずにはいられないほど彼は才学に秀で、誰にも優しく、下町人特有の世話好きの面もあり、懐かしい人だった。その代わり、彼の前にでると、何時の間にか自分は吸いとられ、新しい人間に生きかえされている。しかしそうした結末を当人は喜び、新しい衣服を喜ぶ心理で、いっそう芥川を愛したというのが、芥川家に集った大方の文学志望者や芸術家たちではあるまいか。となれば、そうした人たちは互いに自分と芥川の距離をいつも他人と比較し、親疎をひそかに競っていたにちがいない」(p.172)と。

 幼い頃からここに住んでいた著者の経験が何とも強みで、本書の全体からは田端の文学的香り、匂いがたちのぼってくるかのようです。

 巻末の地図(文人・芸術家の住居がプロットしてある)は、貴重(pp.280-281)です。

 数年前に、ここを歩きました。芥川の家も見ました。この地図をもって再訪したいものです。

近藤誠『患者よ、がんと闘うな』文藝春秋、1966年

2008-05-22 10:23:32 | 医療/健康/料理/食文化

近藤誠『患者よ、がんと闘うな』文藝春秋、1996年

         患者よ、がんと闘うな (文春文庫)


 誤解を与えかねないタイトルですが,このタイトルは内容とピタリと一致しています。癌の本質,治療に関する常識を180度覆しています。

 まず,抗癌剤は9割がた効果がなく,それは逆に副作用,後遺症による血液凝固,敗血症などの症状をもたらし,命を縮めるとのこと。生存期間を長くする科学的裏づけは,全くないのだそうです。

 手術も効果はありません。体に負担をかけるだけです。癌検診は拒否すべきで,受診による「被爆
」のリスクが大きいのだそうです。「早期発見が有効」というのは神話です。

 本物の癌であれば,早期発見前に転移しています。731部隊なみの臨床試験がまかりとおっています。

 著者は漢方による治療,非証明医療にも批判のメスを入れています。

 それでは何故,抗癌剤,手術,癌検診に期待がかけられるのでしょうか。結論はそれで食べ,研究している医者,医療関係者がいるからです(患者は弱い立場にあるので,医者の説得,主張には抗し得ないのが普通)。

 「がんの本質は老化」(p.235)だそうです。この世界で「異端」的理論をもつ著者との専門家の対談企画は,相手方の拒否にあって、ことごとくつぶれているとか(p.242)。

 本書の内容は、傾聴に値する主張と思いました。

 この本は文庫になりましたが(上記画像)、単行本版で読みました。


松本清張『小説東京帝国大学』ちくま文庫、1975年

2008-05-20 21:36:51 | 小説
松本清張『小説東京帝国大学』筑摩書房(わたしは新潮文庫版で読みました。下記のページは新潮文庫版のそれです)。
           
 「『国家ノ須要ナル』人材を養成する目的の東京帝国大学の性格を明治後半期から小説にしてみよう」(「あとがき」p.584)とした作品です。

 ムイアヘッドの倫理学をめぐる哲学館(東洋大学の前身)と文部省の対立、戸水教授をはじめとする七博士の対露強硬論に端を発した大学と桂内閣との確執、国定歴史教科書改訂で浮上した南北朝正閏論争での官僚と在野とのやりとり、これらを3本柱として、東京帝国大学の体質を解明しています。

 天皇問題での保守的性格、大学自治とは名ばかりの「文部省との馴れ合い」、「私学に対する冷淡な態度」など東京大学草創期の状況がリアルに描かれています。隠田の行者飯野吉三郎、謎めいた怪人奥宮健之、哲学館学生工藤雄三が舞台回しで登場します。

 著者は、「欧米先進国に早く追い付け主義の帝国大学の教育に科学性は、それが濃厚になってくるにつれて天皇制と衝突した。そのたびに『学問』は萎縮し、帝国大学は当初の溌剌性を失い、次第に蒼古たる殿堂と化して」いった(「あとがき」p.584)と書いています。まことに正鵠を射た結論です。

 著者は、「勝手な書き方をしてきた小説である」(「あとがき」p.584)と書いています。どういう意味でしょうか??

高階秀爾『本の遠近法』新書館、2006年

2008-05-20 00:09:15 | 読書/大学/教育

高階秀爾『本の遠近法』新書館、2006年

          本の遠近法  

 著者は「国立西洋美術館」館長、「大原美術館」館長をつとめたこともあり、西洋美術評論家としては今の日本の第一人者です。

 本書は「本をめぐる気儘な随想」とありますが、「一冊の本だけで話を終わらせるのではなく、著者自身の、あるいはその他の関連する書物をもあわせて取り上げて、比較・対比を通じて話を拡げ」ることを心がけたとのことです(「あとがき」pp.228-229)。

 その本書を通読すると、著者は優れた西洋美術評論家であるととともに、日本文化、ひいては文化一般に造詣が深いことがよくわかりました。

 内容は・・・・
 ①岡倉天心の『茶の本』に出てくる「処世術(art of being in the world)」がハイデガーの「世界内存在(In-der-Welt-sein)」概念に影響を与えた可能性の指摘(今井友信の指摘が先にあるようですが)
 ②クーシュー『明治日本の詩と戦争』での「ハイク(俳句)」論を通じた日本文化理解の深さ
 ③「郊外」という日本語のもつ意味の拡がり
 ④建築用語である「照り起り(てりむくり)」に示された日本人の感性、美意識
 ⑤分裂状態を何度も経験した日本の求心力であった「文化」としての「歌」
 ⑥江戸文化を理解するキーワードとしての「狂」と「漫」
 ⑦伊勢神宮の式年造替(20年ごとの建替え)の含意
 ⑧記憶の継承の日本的方法、チェスと将棋の差異に込められた西洋人と日本人の思考様式の違い
 ⑨絵巻・襖絵の世界認識
  ⑩文化と文明との相違
 ⑪日本人のアイデンティティとしての「やまとうた」
 ⑫ジャンケン文化論
                              ・・・・等々。

 まことに広角的、複眼的な博覧強記ぶりです。

 文化という人間の営みの奥底に潜む意味を掘り当て、精神の遺産として洗い出していく力量はただものではありません(・・・とわたしが書くのもおこがましいですが)。

 カバー表紙の絵はフェルメールの「画家のアトリエ」の一部(ウィーン「美術史美術館蔵」)。


北斎の謎を解く

2008-05-19 00:18:30 | 美術(絵画)/写真
諏訪春雄『北斎の謎を解く-生活・芸術・信仰』吉川弘文館、2001年

           北斎の謎を解く―生活・芸術・信仰 (歴史文化ライブラリー)

 北斎は長寿で、引越しの達人で、実に不可解な画家でした。彼の6つの謎を解く形でストーリー展開をしています。

①83才になった北斎は悪魔払いとして毎日,獅子の絵を書いた。なぜそれ
が悪魔払いになるのか。
②妙見信仰の対象は北極星か北斗七星か。
③日蓮宗と妙見信仰との関係は?
④法華経の陀羅尼を唱えながら歩く過度の信仰と通常の日蓮宗信仰との
関係は?
⑤93回の転居は北斎の習癖か?
⑥彼の多くの画号の由来は?

 著者の回答は以下のとおりです。
①画題の獅子は悪魔払いの呪術力をもつと信じ,技術の鍛錬は道に通じ
ると思っていた。
②北斎の信じた妙見菩薩の本体は北斗七星。
③妙見信仰は7世紀に日本に入り,日本の仏教各派,とくに日蓮宗と関係
をもった,その契機は文久7年の「星下り」伝説。
④法華経の安楽=極楽が道教のいう安楽と相似であったこと,また北斎
対する深い関心のゆえ。
⑤老荘哲学の無為自然によって説明がつくが,彼が自身を中天を巡行す
る北斗に比定していた。
⑥8種の主画号,24種の従画号を解説。道教こそが北斎の信仰と生と芸
術の全てをつながりのあるものとして把握し,彼を一個の人格として理解する道をしめしてくれる(p.181)。

  2年半ほど前に上野の東京都博物館で開催の「北斎展」を見た後,同所で買い求めた本です。

田村高広『剣戟王 阪妻の素顔』ワイズ出版、2001年

2008-05-16 10:02:32 | 映画
田村高広『剣戟王 阪妻の素顔』ワイズ出版、2001年

            剣戟王阪妻の素顔―家ではこんなお父さんでした

 阪妻(ばんつま)こと「阪東妻三郎(本名:田村傳吉」生誕100年を記念して長男で俳優の田村高広が書いた父の素顔です。阪妻は、今の若い人はあまり知らないかも・・・・。わたしも実像は知りませんが、木下恵介の映画などで、その名演ぶりは多く見たことがあります。

 この本の著者、田村高広、またテレビドラマ『古畑任三郎』で有名な田村高広のお父さんです。

 意外にも(?)、阪妻は人とコミュニケーションをとることが苦手で、高広とも妻(母)を介して意思疎通していたと書かれています。

 プロレタリア文学に関心があったらしく、風呂敷包みに本を隠しもっていたという逸話が書かれていますPP.37-40)。

 同志社大学を出て、俳優になるつもりはなく、東京の商社マンだった高広に、父は自分と同じ道に進んでもらいたいらしかったようです。しかし、そのことを子にうまく伝えられない。

 高血圧からくる持病もあって、51歳で死去。「俳優になって欲しい」というほとんど遺言のような父の意向を、番頭の河村さんに伝えられ、著者はそれを受け入れます。モノ言わぬ父の優しさと温もり。

 阪妻のたくさんのスチール写真が掲載。「剣戟」をファンに期待されながら、そこから脱皮して「剣戟ぬきでも世の中に通用する所謂『演技派』になりたいと思っていた」(p.48)父の所望と悩み、そんなものも本書は短い文章のなかに丁寧に書き込まれていました。

丸谷才一『笹まくら』新潮文庫、1974年

2008-05-15 09:09:12 | 小説
丸谷才一『笹まくら』新潮文庫、1974年

           笹まくら (新潮文庫)
 不思議な小説(長編、文庫で419ページ)です。

 テーマは戦争中、徴兵忌避をした男の物語です。

 東京・青山の町医者の息子として育った主人公の浜田庄吾は旧制の官立高等工業学校の無線工学科を卒業し、無線会社に入りました。戦中、20歳のときに徴兵から逃れるために家出、杉浦健次という偽名で日本中、北は北海道から九州、朝鮮まで、官憲の眼をかいくぐって逃亡生活を送ります。

 その間の生活は、ラジオの修理、砂絵師でなんとか食っていくというもの。彼は鳥取県の皆生温泉で、宇和島から家出したきた質屋の娘、阿喜子と出会い、心をかよわせ、同棲生活をします。

 ところで浜田は東京のある私立大学の理事長の口利きで職員として就職。しかし、戦前の徴兵忌避をひきずっていて、昇進問題で何かと差別的な扱いを受けます。さらに、「新聞会」による彼の経歴の暴露(匿名だが歴然と彼のこととわかる文面)などもあって、地方(高岡)の高校に飛ばされそうになり、私大職員をやめざるをえないかのような状況に陥ります。

 冒頭に不思議な小説と書いたのはテーマそのものもさることながら、叙述が現在形の大学職員との生活と戦前の放浪生活、阿喜子との生活が何の説明も、形式的な区切りもなく、混然一体となっていることです。

 過去と現在とが溶け合い、ないまぜになっているのです。こんな小説は初めてです。この事実を指して「解説」で川本三郎氏はジェイムス・ジョイスの「意識の流れ」の影響を受けた作者の企みであり、また日本の戦後社会が昭和20年8月15日を契機に別の新しい社会に生まれ変わったのではないという作者の意図の反映であろう、と記しています(p.423)。

 表題の「笹まくら」は鎌倉時代の歌人の「これもまたかりそめ臥しのささまくら一夜の夢の契りばかりに」から。「笹まくら」は「旅枕」の意味でしょうか。