【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

軽井沢再び②

2010-11-30 00:14:25 | 旅行/温泉
 本ブログ11月19日付で止まってしまった「軽井沢再び」を再開します。カメラで撮った写真を格納したはずのフォルダの所在がわからなくなり、あわてましたが、見つかったので10日ぶりにこのテーマで書き込んでいます。画像はすべて本ブログの管理者撮影です。

 見晴台のすぐ近くに熊野皇大神社があります。日本三大熊野のひとつです。本宮、新宮、那智の3社からなります。本宮が上信国境に、上州側に新宮、信州側に那智社がまつられています。

          

 境内に並ぶ社殿は古く、創立由緒記よると日本武尊(やまとたけるのみこと)の勧請と伝えられています。かつて東征の後にこの地を訪問した尊が相模灘を渡るときに海があれ、身代わりとなって身を投じたのが弟橘媛(おとたちばなひめ)で、彼女を偲んで嘆いたのはこの境内からといいわれもあります。

 元禄元年(1688年)に築造された巨大な一対の石の風車や鎌倉・室町期の梵鐘(重要文化財)、狛犬も置いてあり、古くから中山道を歩いた旅人の名所としてにぎわったそうです。

 さらに境内には、巨大なシナノキ(県指定文化財)があります。推定樹齢八百余年といわれています。この大木にパワーをもらいにくる観光客も多いと聞きます。

               

RUSSIAN FOLK SONGS by DIMITER PETKOV

2010-11-28 00:32:48 | 音楽/CDの紹介

                    トロイカ(ロシア民謡集)
 若いころ、ロシア民謡が流行っていた時期がありました。ボニー・ジャックスが歌っていました。わたしは、ロシア民謡をロシア語で覚えようとし、そしてかなり歌えるようにようになり、そのとき覚えた歌は、いまでも忘れていません。

 ちょうどそのころ、アルトゥール・エイゼンという男性のロシア人歌手が札幌にきてステージをもち、わたしは学生でまだ貧しかったので、なけなしの財布をたたいて聴きにいった思い出があります。いい席ではなかったので、アルトゥール・エイゼンは小さくしか見えませんでした。

 その懐かしいロシア民謡がいっぱいつまったCDです。「カチューシャ」「ボルガの舟歌」「ステンカ・ラージン」「黒い瞳」「モスクワ郊外の夕べ」「トロイカ」「カリンカ」「仕事の歌」などなど。

 とくに好きなのは「道」「バイカル湖のほとり」です(このCDには入っていませんが、「2つのギター」が一番好きでしたが)。

 このCDで歌っているディミテール・ペトコフのことはよく知りませんが、すばらしい声量でろうろうと歌っています。広い、懐の深い、ロシアの大地。澄んだ空気が感じられます。

 二曲ブルガリア民謡が入っています。「彼らは森を通って行った」「闘争者の歌」です。これらはブルガリア語なので、さっぱりわか
りません。


奥村宏『株式会社に社会的責任はあるか』岩波書店、2006年

2010-11-27 00:16:44 | 経済/経営
               
                 
                

 ライブドアによるニッポン放送株の買い占め、村上ファンドによる阪神電鉄株の買い占め、楽天によるTBS株の買い占めなど、株式会社の存在基盤とその威信をおびやかす事件が相次ぎました。このなかで企業の社会的責任(CSR:Corporate Social Responsibility)が何かしら価値のあるもののように声高に叫ばれ、またそうした動きを歓迎する向きがあります。

 それでは、企業の社会的責任というとき、その企業には株式会社以外のものが想定されているのか、そもそも企業とは、株式会社とは何なのか、また法人とは自然人とどこが異なるのか、あるいはまた社会的責任とは何なのか、それらの問いにまともに答えるものはほとんど無いに等しいのが現状です。振り返ってみれば、株式会社の研究者は意外と少ないのだそうです。この企業形態がまともに研究対象になったことがないのです。

 著者はかかる疑問から出発して、企業の社会的責任という物言い、流行語の欺瞞性を明らかにし、批判していきます。

 株式会社はそもそも出資者の有限責任からなりたっているので、彼らは経営に対しての責任が乏しく、その意味で言ってみれば無責任会社です。

 企業運営の責任者は、経営者です。問題を起こしたならば、経営者が責任をとらなければならないのは当たり前でしょう。しかし、日本ではそこが曖昧になっています。ために、社会に反する問題を企業が起こしても、企業はなくなることなく、存続しています。

 企業が果たす責任とは利潤の確保であり、株主が期待しているのは配当、あるいは株価の値上がりです。企業が社会的責任が果たすというのは欺瞞であり、企業弁護の宣伝、カモフラージュでしかない、と著者は厳しく指摘しています。

 労働組合もそこに巻き込まれているのが現状です。労働組合が「企業がはたすべき社会的責任」について言うのはおかしな話で、それを言うのであれば「法律を遵守せよ」だと著者は言います。

 経済の重化学工業化で、大規模な資金が必要になり社会的遊休資本の調達が容易な株式会社は企業の代表的存在とのコンセンサスが定着していますが、企業の形態は株式会社だけではないのですから、今後はさまざま企業形態の模索があるであろう、というのが著者の展望です。

  アダム・スミス、J.S.ミル、バーリ、ミーンズ、ラテナウなども出てきて、企業論の学説史も俯瞰できます。

阿部なを『小鉢の心意気』ちくま文庫、2007年

2010-11-26 00:49:55 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談
                            
                   



 人の邪魔をしないで、生きる。それが料理研究家であった著者、阿部なをさん(1911-1996)のモットーでした。

 人形製作者であった著者がふとしたきっかけで始めた料理、松坂屋デパートにお店をだすまでになりましたが、ここでも人目につかない小鉢に目が向いています。「中心になる料理でなく、派手な主役になれないもの、いちばん先に箸のゆかないもの、声を出さずひっそりとしていて、それがあれば他の料理もなごんでくるような小鉢ものが、私をよんでいるような、ふるさとの風のなかのおもい」(p.204)、この気持ちが本書の標題になっています。

 「わたしの歳時記」「味覚歳時記」が秀逸です。
 前者では「むつき(1月)」から「しわす(12月)」までの著者の生活の視点からみつめた日本のうつりゆく季節がつづられています。9月を「ながつき」とではなく、「きくつき」と呼んでいるのが新鮮です。
 後者では「だいこん(1月)」「ねぎ(2月)」「菜の花・つくし(3月)」「アスパラガス(4月)」「山うど・わらび(5月)」「さやいんげん(6月)」「かぼちゃ(7月)」「なす(8月)」「れんこん(9月)」「さといも(10月)」「ほうれん草(11月)」「白菜(12月)」というように野菜、山菜を愛で、それらを食材に使った簡単な工夫のレシピが示されています。

 棟方志功、太宰治、田中英光との親交の記述があり、面白かったです。

 北国の風土、こまやかな手仕事、離婚の経験から得たもの、蘇る日本のお膳、ひとつひとつの語りが珠玉のようです。


五味太郎「わにさんどきっ はいしゃさんどきっ」偕成社

2010-11-23 00:28:17 | 詩/絵本/童話/児童文学

                               
  こどもは歯医者がきらいです(おとなもそうですが・・・)。歯をけずられたり、消毒されたり、虫歯をつつかれたり、抜かれたり。そのための器具がならんでいますが、不気味にみえます。

 この絵本はこどものそのこころをつかんで、虫歯で歯医者に行きたくないワニと、ワニを治療しなければならないのにワニが怖い歯医者さんの微妙な心理を題材にしたもの。

 歯医者さんとワニとの思いが全く同じで、シンクロしているのがユニークです。両者が出会って、両者とも「どきっ」。両者とも「どうしよう・・・」「こわいなあ・・・・」「でも がんばるぞ」「かくごは できた」。

 両者は格闘するようにして、治療はやっと終わります。「だから はみがき はみがき」というわけです。

  小さなこどもにはインパクトがおおきいだろう、と想像できます。

  五味太郎さんの絵は、ほんとうに楽しく、リアルな世界をみせてくれます。

                                                                            

イリーナ・メジューエワ「ショパン VS. シューマン」(第3回 ロマン主義の彼方へ~晩年のヴィジョン)

2010-11-22 00:05:01 | 音楽/CDの紹介

                              ショパン:ノクターン集 (21曲)WAKA-4143-44 イリーナ・メジューエワ
 イリーナ・メジューエワさんのレクチャーコンサート「ショパン VS. シューマン」(第3回 ロマン主義の彼方へ~晩年のヴィジョン)がありました。参加者は35人ほどでした。シリーズの3回目で、次回が最後、来年の3月です。解説は、真嶋雄大さんでした。

 メインテーマは、シューマンとショパンの晩年の作曲の傾向です。と言ってもふたりとも比較的若くして亡くなっているので(シューマンは46歳、ショパンは39歳)、「晩年」の意味合いは微妙です。

 簡単にまとめると、シューマンは若いころの作曲では音の数が多く、物語性、寓話性が色彩としてあり、ピアノ曲は文字通りピアニスティックでしたが、晩年ではそこから離れ、音色そのものよりもオーケストラ的発想がでてきます。
 今回演奏された曲は下記のとおりですが、このなかで「暁の歌 Op.133」などは人間の気持ちが全く感じられず、痛みだけの世界、暁というよりは黄昏のイメージが強いようです。1853年の作品(シューマンは1856年没)です。妻であったクララは「まったく独創的だが、理解するのは難しい」と語っていたようです。

 ショパンは初期にはポリフォニー、対位法で美しい数々のピアノ曲を作曲しました。メロディーと伴奏の関係は単純明快で、そこから紡ぎだされる和音は明晰です。しかし、晩年になるにつれ、ピアノの鍵盤とそれを弾く手、そして和音が混然一体となり、和音の変化は細かくなります。旋律が和音をつくっていくような構造が感じれるとのことです。
 「舟歌」は1845年秋から46年夏にかけて作曲され、すでにサンドとの関係は破局寸前でした。生活が疲弊し、心身とともに疲れていたショパンでしたが、この「舟歌」はこのうえなくゆったりとした落ち着きが垣間見える一方で、窮地にたった孤高の寂寥感も感じられます。印象的な序奏風ではじまり、揺れるような左手の伴奏にのって甘美で艶麗な主旋律が現れます。
 この主旋律が変奏を繰り返し、ひらめきにみちあふれながら展開されます。ショパンの作品のなかでも完成度の高い作品と言われています。

◆シューマン
 「3つの幻想小曲集」 Op.111
   ・第1曲 きわめて速く、、情熱的に演奏すること ハ短調 4/4拍子
   ・第2曲 かなりゆっくりと  変イ長調 3/4拍子
   ・第3曲 力強く、くっきりと ハ短調 
 「暁の歌」 Op.133
◆ショパン
・「マズルカ」     Op.68-4
・「3つのマズルカ」 Op.59-1 イ短調
              Op.59-2 変イ長調
             Op.59-3 嬰ヘ短調
・「ノクターン」 ロ長調 Op.62-1 イ短調 アンダンテ 4/4拍子
          ホ長調 Op.62-2 ホ長調 レント 4/4拍子
・「舟歌」        Op.60


さいたま演劇集団「YOU」第20回公演「吾輩はまねきである」(於:さいたま市文化センターホール)

2010-11-20 00:29:04 | 演劇/バレエ/ミュージカル

                

 知人が出演するということで、さいたま演劇集団「YOU」第20回公演「吾輩はまねきである」を観劇しました。[原案・寺森一矢]、[脚本・藤井かつ子+寺森一矢]です。

 原田家が骨董品をめぐるトラブルのなかで、この家の伝統をしり、幾多のトラブルはあるのですが、家族の絆が深まっていくという話です。


 舞台は原田家。夫の草介は骨董を集めるのが趣味で、いいものか悪いもかはわからないのですが、少しづつ買っては押し入れに蒐集しています。妻の花江はそんな趣味にあきれ、ふたりはしばしばそれがもとで口論になります。

 そこへ竹林堂の根津が招き猫の骨とう品を売り込みにきます。根津は実は根津は父親の富樫とグルで、価値のない招き猫を売ることをもくろんでいたのです。

 原田家には郁子という娘がいました。根津は郁子にうまく取り入って原田に招き猫を200万で売りつけることにまんまと成功しますが、このことが後日、BARで飲んでいて、根津のインチキ販売の顛末を盗み聞きしていた郁子によって発覚。

 他方、富樫はこの招き猫が1000万円の価値があるにもかかわらず、それを根津が200万円で売ったことを知って怒り狂います。ふたりは招き猫を取り戻すために、原田家に忍び込みます。さて・・・ことの次第は? そして、この招き猫には、原田家とかかわる意外な事実が・・・。

 合間に骨董品たちである、まねき、信楽、青磁、公家の踊りとコント
があります。夜中になると押し入れから出てきて、不平を言ったり、噂話をしたりと言う設定です。

 知り合いに券を買ってほしいと依頼され、このようなアマチュア劇団を励ます意味で出かけたのですが、結構楽しめました。

 舞台装飾もよくできていました、やや力みすぎの俳優もいれば、うまく演じている俳優もいてさまざまです。みな一所懸命練習した成果をだそうという意欲がうかがえました。


軽井沢再び①

2010-11-19 01:14:27 | 旅行/温泉
 秋の休日、夏に続いて再び軽井沢を訪れました。秋の軽井沢はどんな表情をしているのでしょう。

 そして、夏には行けなかったところ。今度は、レンタカーを借りての周遊です。ひとことで言えば、ひんやりとした気候。幸い晴れていたので、しかも車のなかにいることが多かったので、寒いということはありませんでしたが、夜になるとぐっと冷え込んできます。

 そんな気候のなかで、まず赴いたのが、旧碓氷峠見晴台。ここは距離的にはかなりあります。

            

 旧軽銀座をこえ、二手橋(にてはし)をわたり、坂道をのぼっていくと旧碓氷峠にさしかかります。標高は約1200メートル。

  そして、見晴台へ。天気がよかったおかげで絶景を楽しめました。南アルプス、八ヶ岳、浅間山、妙義山を一望できます。ここには長野県と群馬県の県境を示す標識があります。両脚でまたぐと、まさに2つの県をまたにかけるショットがとれました。

 素晴らしい眺望の中、夏には新緑、秋には紅葉を楽しむことができます。 ここまで来るのには少々苦労しましたが、来てみてよかったとつくづく思いました。

 韓国の方だと思うのですが、雑誌の撮影なのか、若い男女が移動しながらカメラにおさまっていました。また、アメリカ人でしょうか、家族連れが賑やかでした。

 近くにインドの詩人でノーベル文学賞を受賞したタゴールの碑があります。

ご冥福をお祈りいたします(黒岩比佐子さんご逝去)

2010-11-18 13:17:32 | その他

 本日の新聞で、黒岩比佐子さんのご逝去(17日)を知りました。心からお悔やみ申し上げます。

 本ブログでは、本年の8月31日に『明治のお譲さま』、9月1日に『日露戦争・勝利の誤算』、9月28日に『歴史のかげにグルメあり』を紹介しました。

 取材力のすごさ、最後まで徹底的に調べぬく強靭な力、達意の文章で、どの本も魅力的でした。わたしはテーマ設定の新鮮さにも、かねてから共感をもっていました。

 近著で「堺利彦」のことを書いているようなので、読んでみようと思います。

 52歳は若すぎます。合掌。

 なお、黒岩さんは生前、下記の「古書の森日記-古書中毒患者の身辺日記」というブログを公開されていました。
 http://blog.livedoor.jp/hisako9618/archives/2010-11.html#20101117


藻谷浩介『デフレの正体-経済は「人口の波」で動く』角川書店、2010年

2010-11-17 00:16:44 | 経済/経営
                                          デフレの正体 

 著者の認識による、現下の経済の負のスパイラルは、次のようです。

 団塊世代の一次退職→彼らの年収の現象→彼らの消費の減退→内需対応産業の一層の供給過剰感→内需対応産業の商品・サービスの値崩れ→内需対応産業の採算悪化→内需対応産業の採用抑制・人件費抑制→内需の一層の減退。

 この現状は容易に乗りこえられるものではありません。経済学者の発想がおかしいので、見通しは暗いのです。

 著者は本書でマクロ経済学の「常識的理論」に異議をとなえ、今日の日本経済が直面している2000年に1度の人口現象(減少)の危機を浮き彫りにしています。

 冒頭から、よく使われる経済指標、GDPの対前年増加率、失業、有効求人倍率の過大評価をいさめ、これらの指標の改善を意図した短期的景気対策がほとんど意味がないと、主張しています。

 重要なのは新車販売台数、貨物総輸送量、自家用旅客輸送量、酒類販売量、小売販売額、雑誌書籍販売量の絶対額の傾向的現象であると、言います。つまり、この種の統計の絶対量の低下の背景にあるのは、これらを購入し、消費する人口集団の著しい現象があって、それは内需の縮小を意味するから、景気の建て直しにには近視眼的な景気高揚政策はほとんど効果薄せあるというのです。

 「生産年齢人口(15歳~64歳)[これを著者は「消費年齢人口」と呼びたいようである(p.93)]」が今後どんどん減少していきます。その人口変動の動向をおさえることが経済活性化の要というわけです。

 この視点から「人口減少は生産上昇で補え」「経済成長率をあげろ」「公共投資を景気対策として増やせ」「インフレ誘導をしろ」「エコ対応の技術開発でモノづくりのトップランナーとしての立場を守れ」といった通説が実効性に欠けることを示しています。

 それでは、どうすればよいのでしょうか。著者が挙げているのは、第一に高齢者富裕層から若者への所得移転、第二に女性の就労と経営参加をあたりまえの状態にすること、第三に労働者ではなく、外国人観光客・短期定住者の受け入れ、です。

 今後、高齢者は激増します。そのための船中八策が最後に掲げられています。いわく、高齢化社会における安心・安全の確保は生活保護の充実で、年金から「生年別共済」への切り替えを、戦後の住宅供給と同じ考え方で進める医療福祉分野の供給増加、です。

鮨の「やまあい」(神楽坂、近江屋ビル3階)

2010-11-16 00:41:27 | グルメ

                 鮨 やまあい@神楽坂  その1
 鮨の「やまあい」(新宿区神楽坂4-3 〒3269-7595)。神楽坂どおりを上がっていて、左手に毘沙門天がみえる少し手前の小路を右に入って、近江屋ビル3Fです。綺麗なお店で、カウンター(10席)とテーブルが一卓ですが、このカウンターが一枚もののヒノキで、光沢があり、落ち着きます。

 数あるお寿司屋のなかでもひかるお店です。

 もちろん、寿しネタ(ウニ、イクラ、ヒラメ、中トロなど)、刺身のいきのよさは抜群で、どうしてこんなに他と違うのでしょうか? 

 タラバ蟹を焼いたもの、たいら貝の磯辺焼き、珍しいイカの塩辛のルイベ・・・。つきだしから始まって、美味しい、新鮮な料理が並びます。

 お店の壁にかかった2枚の大きな版画、小さな額縁入りの絵も趣味がよく、作者を聞いたのですが残念ながら忘れていまいました。次回にメモしてきます。BGMはジャズです。

 大将と女将さんが上手に話の輪に入ってきてくれました。お酒は「獺祭」で、これが最近のわたしの決まりパターンになってきます。

 お酒の冷やというのは常温のお酒のことで、ゆきびえ(-5度)、はなびえ(ー10度)、だ、ひとはだ、冷や、日向燗(33度)、ぬる燗(40度)、人肌燗(37度)、上燗、あつ燗(50度)、とびきり燗と、日本酒の温度のレベルを表現する言葉について、わたしのなまわかりの知識を披歴したところ、女将さんはそのことを知っていました。当たり前ですね。


隠れ房・池袋店(豊島区東池袋1-41-4 池袋とうきゅうビル6F)

2010-11-13 00:24:30 | 居酒屋&BAR/お酒

                                        

                 
 世の中、「隠れ家」とか、この「隠れ房」などのように、「隠れ**」という名称の居酒屋が増えてきたように感じます。知人、友人、恋人、家族など、親しい仲間たちだけで過ごす時間、誰にもじゃまされない時間を望む人が増えていて、それにお店の側がこたえようとしているのでしょうか?

 くわえて、そういうお店に入ると中は全部個室というところが目立ちます。このお店もそうです。洞穴のようなところに入る個室です。北国の「かまくら」をイメージした個室も魅力です。個室に入るとまわりの喧騒は聞こえません。

 東池袋にあるのがこの「隠れ房・池袋店」(03-5957-7110)です。住所は「〒170-0013 東京都豊島区東池袋1-41-4 池袋とうきゅうビル6F」です。店員に「何年目になるのか」と聞くと「ちょうど3年目です」という回答が返ってきました。

 メニューの料理(以下はその数例です)は豊富です。もちろん、日本酒も・・・。
◆お造り 三種盛り(毎日変わる新鮮なお造りの盛り合わせ)
◆鴨そぼろの出汁巻き玉子(鴨ロースを粗引きにして甘辛く味付け)
◆揚げ茄子の鶏味噌焼き(旨味の強いせせり肉を使った田楽味噌と厚切り茄子)
◆銀鱈の柚庵焼き・西京焼き(柚子が香る柚庵焼き、味噌の風味ほんのり西京焼き)
◆胡桃を練り合わせた鴨の松風焼き(パン粉をまぶして、柔らかく香ばしく焼き上げた鴨の挽肉)
            大人気のかまくら個室7部屋と円卓ソファー席が3席!!


阿刀田高『私のギリシャ神話』NHK出版、2000年

2010-11-12 00:05:26 | 評論/評伝/自伝
阿刀田高『私のギリシャ神話』NHK出版、2000年
              私のギリシャ神話 

 多くの神々が出てきて名前を覚えられませんが、子どもの頃に読んだ易しい「ギリシャ神話」で記憶のある名前は身近に感じます。

 「12神」は頭に叩き込まなければなりません。ゼウス、ヘラ、ポセイドン、アプロディテ、アテナ、アレス、アルテミス、ヘルメス、ヘスティア、ヘパイストス、アポロン、デメテル。これにハデス、エロス、ディオニッソス。

 ギリシャ神話にテキストはないそうです。エーゲ海あたりのいろいろな伝説を集大成したものです。矛盾もたくさんあるとか。

 ホメロスの叙事詩、ヘシオドスの歴史書に伝承されたものをアイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスが芸術作品に仕立てました。

 もともと神々は信仰の対象ではなかったのです。畏敬、畏怖、敬愛の拠り所なのです。そして、何より想像力の賜物です。

 ゼウスは絶対的な力をもち女神を犯し子どもをつくりますが、この行為は許されたのです。子孫が英雄となってその地の守り手(加護)となるからです。

 たくさんの絵画が挿入されています、ルーベンス、ティツィアーノ、カラバッチョ、モロー、ドラクロア、ボッティチェリ、ベラスケス。ギリシャ神話は西洋絵画の格好の素材だったのです。

 「NHK人間講座」の内容に加筆された本です。

高島俊男『本が好き、悪口言うのはもっと好き』文春文庫、1998年

2010-11-10 00:30:38 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談
               本が好き、悪口言うのはもっと好き (文春文庫)
 第11回講談社エッセイ賞受賞の評論集です。著者は、本書編集にたずさわった小宮久美子さんの力が甚大で、いいエッセイ集になったというようなことを書いています。

 それはともあれ、著者は中国文学者で、1938年生まれ。本書からいろいろなことを学びました。

 「欠伸」「呆然(茫然)」「専家」「降灰(コウカイ)」「子息」「指摘」「母語」などの蘊蓄。徹底的な字義詮索、コダワリを見せています。

 書評も痛快で面白いです。(『狐の書評』本の雑誌社、みなもと太郎『風雲児たち①~⑳』潮出版社、奥本大三郎『虫のゐどころ』新潮社、若桑みどり『絵画を読む』日本出版協会、久保忠夫『三十五のことばに関する七つの章』大修館書店、長谷川真理子『オスとメス=性の不思議』講談社現代新書、高橋秀美『TOKYO外国人裁判』平凡社、石川英輔『泉光院江戸旅日記』講談社、向井敏『表現とは何か』文藝春秋)

 「湖辺萬筆」の「つかまったのが何より証拠」は怖い話です。電車の切符を買うときのふとした出来事で、個室に連れ込まれ、尋問された状況が詳しく説明され、自白にともなう「冤罪」というのもこういうことで成立してしまうのかと戦慄を覚えます。

 「ネアカ李白とナクラ杜甫」も両者の対照的な育ち、人格、生き方、しかしお互いに尊重しあっていたということが分り易く解説されていました。

 「回やその楽を改めず」では碩学の狩野享吉の話ですが、露伴、漱石などとの人間関係が詳らかにされていて興味尽きません。

 本書の白眉は、今では使われなくなってしまった「支那」という言葉がもともとは差別用語ではないことを論じた「『支那』は悪いことばだろうか」です。差別用語でないどころか、魯迅も、日本の代表的中国研究者であった吉川幸次郎も好んで使っていたことが明らかにされ、しかしある時からこの言葉に差別観が刷り込まれ、以来不幸な成行きに身をまかせ、死語になってしまったことが追跡されています。あわせて中国という言葉の曖昧さにも言及があります。

 著者のように自由闊達に、権威から遠いところで仕事ができる人は羨ましいですね。

馬場錬成『ノーベル賞の100年-自然科学三賞でたどる科学史-』中央公論新書、2002年

2010-11-09 00:20:56 | 自然科学/数学
                               
                            


 本年、鈴木章、根岸栄一両氏がパラジウムを触媒とする有機化合物のクロス・カップリングの業績でノーベル化学賞を受賞しました。このところ日本の科学者の受賞が目立ちます。そのことに刺激されて本書をひもときました。

 表題どおり、1901年に設置されたノーベル賞の一世紀の歴史です。ノーベル賞が設置された理由、物理学賞、化学賞、生理学・医学賞の流れ、候補者の選び方、日本の受賞者の業績の解説が要領よく、分り易く説明されています。

 ノーベル賞がよき伝統を保ってきた理由として、選考プロセスが公平、厳密で、秘密が厳しく守られていること、賞金の額が高いこと、外部資金のもちこみなどを原則的に断ってきたことなどがあげられています。

  第一回の生理学・医学賞の受賞者に北里柴三郎が最も近いところにいたにもかかわらず、結果的に受賞できなかったこと、野口英世が何度も候補者にあがったこと、湯川秀樹、朝永振一郎の業績の意義の大きさ、また本書が書かれたのは2002年であすが小柴教授、小林・益川教授の受賞が予測されていることなど、興味深い記述が随所にあります。

 物理学賞の系譜にみられる量子力学、素粒子論の発展、化学賞で近年では分子生物学(遺伝子とDNA)が隆盛をきわめていること、生理学・医学賞では人類の病気との闘いを追跡できることなど、普段触れることができない自然科学領域の動きが新鮮に感じられました(さらに、自然科学三賞の流れは、ドイツが科学者を輩出した時期からそれがアメリカに移っていく傾向、賞が原理・原則と真理の発見に与えられ方向から応用科学の方向へ移ってきていることなども)。

 経済学賞が特別な位置にあるとの指摘、時々奇妙な受賞が話題になる平和賞への著者の見解も参考になります。