【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

「世界遺産 ヴェネツィア展」(江戸東京博物館)

2011-10-30 22:26:00 | イベント(祭り・展示会・催事)


 江戸東京博物館で「世界遺産 ヴェネツィア展」(9月23日~12月11日)が開催されています。

 かつて強大な海軍力と交易による富を背景に栄えていたヴェネツィア共和国は、13世紀に黄金時代を迎えました。16世紀ルネサンス期はその爛熟期、ナポレオンの侵攻にあうまで世界中の富裕階級に愛され栄華を誇りました。

 その栄光はサン・マルコ広場やドゥカーレ宮殿など、街の至る所にその痕跡をみることができます。

 今回の展示会では、黄金期に宮殿や人々の生活を彩った品々、ヴィットーレ・カルパッチョやジョヴァンニ・ベッリーニ、ティントレットなどヴェネツィア派芸術家の作品など約140点がヴェネツィアからもってこられました。なかでもコッレール武術館からの出展がダントツです。世界遺産ヴェネツィアがいかに文化的成熟度が高く栄耀栄華を誇っていた都市だったのかを、知ることができます。

 展示会の全体は3章構成になっています。
 第1章「黄金期」・・・ヴェネツィアの独自性はその立地です。水上に生まれたこの都市は、ラグーナ(潟)の泥の中に基礎をおき、そこに建築を積み重ねてつくられました。類なき都市です。常に水に囲まれながらも、それが外敵からの最大の防御になりました。この章では、都市の構造、国家期間、そして海運王国として経済的、文化的に発展したこの都市の黄金期が紹介されています。

 第2章「華麗なる貴族」・・・黄金期のなかのヴェネツィア人の生活が紹介されています。カナル・グランテ(大運河)の両岸に並ぶ豪奢なパラッツォ(邸館)。そこで繰り広げられた貴族的生活の様子はロンギなどの画家によって描かれています。織物、香水、レース編み、ヴェニツィアンガラスなどの工芸品は、洗練され、輝かしく、いまに伝えられています。

 第3章「美の殿堂」・・・ヴェネツィアの建築はルネサンスバロック(16-18世紀)の様式が特徴的です。15世紀末からベッリーニの一族が、そして16世紀にはティツィアーノ、ティントレットなどのヴェネツィア派絵画が隆盛をきわめました。この章ではヴェネツィア派絵画の創始者であるベッリーニから景観画家として成功したカナレットなど、ヴェネツィアが誇る絵画芸術の粋を堪能できます。


 ヴェネツィアには過去、一度訪れたことがあります。サンマルコ広場、デュカーレ宮殿の広さ、賑わいが印象にのこっています。
           


沢木耕太郎『凍』(文庫)、2008年

2011-10-29 00:39:12 | ノンフィクション/ルポルタージュ

       
 登山家にして冒険家である山野井康史さんは山岳での想像を絶する厳しい体験を身内にも語らなかったようです。ノンフィクション作家である著者は山野井さんと付き合うなかで信頼関係を構築し、徹底的な取材と実際に現場近くまで山野井さんに同行したりして本書をまとめました。

 その内容は山野井康史さんと妙さん夫妻のチャジュンカン登攀の実録です。ヒマラヤの高峰チャジュンカンは標高7952メートル、二人は北壁をアルパイン・スタイルで一気に登り、康史さんが単独で頂上に達し、クライム・ダウンで一時遭難状態になったものの、奇跡の生還を遂げました。

 時は2002年10月。ベースキャンプからスタートして9日間の壮絶としかいいようのない山との、自然との闘いでした。2日目に7000メートル地点に達しビバーク、当初は二人で登頂の予定だったが妙子さんが力尽き、4日目に康史さんが無酸素で単独登頂。登りもさることながら下降こそ命がけです。

 頻繁に大小の雪崩に遭遇し、猛吹雪に巻き込まれました。6日目に下降の途中で妙子さんが滑落、かろうじてロープで確保。絶体絶命の状況下で二人は全知全能をかけ、下山に成功しました。

 瀕死の状態でベースキャンプに到達。この間、予定した日数を越えたため、遭難の情報が関係者の間にかけめぐりました。

 康史さんの気力、体力、冷徹な判断力もさることながら、高所でほとんど食事をとることのできない体質の妙子さんは男勝りの登山力を示しました。

 下山後は、ふたりとも手足に蒙った重い凍傷のため、指を切断する手術を受けざるをえなかったようです。

 以上の一部始終が余分な形容を削いだ文章で正確に行程が綴られています。ギャチュンカン登頂は驚異的な偉業ですが、常人で凡人のわたしはなぜそこまで、と思ってしまいます。

 本書は最初、2005年8月号の「新潮」に全文掲載されました。その時のタイトルは「百の谷、雪の嶺」。チャジュンカンの意味がそうらしいです。その後、書籍にするに際して「凍」と改題。「凍」には「闘」の意味も込めているといいます。

 指を失くした康史さんは2005年7月19日にポタラ峰北壁に初登頂に成功しました。


「がんび」(豊島区西池袋3-19-14、TEL03-3986-5856)

2011-10-28 00:28:36 | グルメ

            
 このところご無沙汰しているお店ですが、絶対お奨めのお店です。「がんび」というのは北海道でよくみられる白樺の木の皮です。白樺はその名のとおり幹が白っぽい樹ですが、その表皮は簡単に剥ぐことができ、かつ火がつきやすい、燃えやすいことに特徴があります。マスターが札幌出身で、その名をつけたということを聞きました。

 大きい店ではありません。それからわかりにくい場所です。初めてですと迷うでしょう。立教大学の裏手のほうの入り組んだ道を入っていくとあるのです。

 暖簾をくぐるとカウンターがあり、ここに8席ほど、奥にやや広い座敷があり寛げます。混んでいることが多いので、予約してでかけるのがよいかもしれません。

 ここを奨めるのはマスターの仕事が丁寧で、もちろん出てくる品はみなおいしいからです。今からの時期ですと、「あんこう鍋」が絶品です。刺身、各種焼魚、さつまあげ、めばるの煮付け、煮込み豆腐、きゃらぶき、鶏の唐揚げ、北海道料理などメニューは豊富です。

 このお店はいつ行っても、帰りにママさんがドアの外まで出てきて「ありがとうございました」と言って見送ってくれました、いまどき得がたいです。

 と、ここまで書いてきて、懐かしさがこみあげてきました。近々、久しぶりに出かけてみようかなと思います。

        


山野井孝有『いのち五分五分-息子山野井泰史と向き合って』山と渓谷社、2011年

2011-10-27 00:09:37 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

           いのち五分五分息子・山野井泰史と向き合って

 著者は世界的登山家である山野井泰史さんの父親です。

 本書で山野井孝有さんは、息子である山野井泰史さんとその妻妙子さんの人生との関わりを語っています。登山家を息子にもつことの不安、苦しみ、そして生きがいが率直に書かれています。

 表題の「いのち五分五分」は、自身が高齢になってきてこの世を去ることと息子さんが登山で亡くなること、どちらが先に亡くなるかの確率が五分五分でるということでつけたそうです。本書の前に「五分五分」という自費出版の本があるようです。

 泰史さんは、登攀で何度も死にそうになっています。とくに2002年10月の極限のギャチュンカン登攀では悪天候のため泰史、妙子夫妻は行方不明になり、生還はほぼ絶望の状況だったとか。死力を尽くして二人は「奇跡の生還」をしました。このあたりの事情は「第6章:ギャチュンカンからの生還」に詳しいです。

 しかし、夫妻は足と手の指が凍傷となり、帰還後の治療のすえ泰史さんは右足の全指を切除することになり、妙子さんは両手の指のすべてを第二関節まで失うことになりまし(「第7章:凍傷治療から再起へ」)。

 泰史さんはその後も山を諦めず、2005年に7月にはポタラ峰北壁に単独登頂に成功しました。

 泰史さんが登山家になったのは、著者の妻の叔父が小学生だった泰史さんをよく山に連れていったからとのことです(南アルプスの北岳など)。中高校生のときは山に夢中で、それ以外のことには全く関心がなかったようです。

 高校就学時よりアルパイン・クライミングに傾倒します。卒業後はアメリカ合衆国のヨセミテなどでフリークライミングに没頭しました。

 父親の孝有さんは泰史さんに登山家になってもらっては困ると思い、彼を説得し、大喧嘩になりましたが、泰史さんの強い意志に山登りになることをやめさせることを断念しました(奥さん[本書のなかでは「かみさん」と書かれている]は意外と早く泰史さんが自分の望むとおりに生きることに同意していたようです)。

 以後、泰史さんは全て自力で計画をたて、登攀を成し遂げていきます(もっとも泰史さんは何度も大怪我をして両親を心配させています)。

 著者は父親の眼でその成長に目を細めつつ、しかしいつ事故に遭うかもしれないギリギリの人生につきあうことになります。

 植村直己冒険賞受賞の経緯、伴侶である妙子さんのこと(泰史さんより9歳年上、既に結婚前にブロードピーク[8047メートル、1991年]、マカルー[8463メートル、1991年]、ガッシャブルム峰[8035メートル、1993年]、チョー・オユー[8201メートル、1994年]の四座を制覇していました)、泰史・妙子夫妻の奥多摩での生活、女優市毛良枝さんはじめ多くの人々との付き合い、NHKの特別番組「夫婦で挑んだ白夜の大岩壁」(2007年11月放映)のこと、老年になってからの著者の息子夫妻との山行(富士山など)-父親の視点から世界の登山家の生き方を見続けた証がここにあります。


廣宮文鷹『TPPが日本を壊す』扶桑社新書、2011年

2011-10-25 00:09:42 | 政治/社会

             TPPが日本を壊す

 菅直人前総理は2010年10月8日、新成長戦略の中で、突然TPPへの参加を検討すると発表、11月10日のAPEC閣僚会議の場で前原前外務大臣はTPPへの参加検討を正式表明しました。

 事前の国会論議もなく、世論への問いかけもなく、民主党議員の多くも寝耳に水であったといいます。

 本書はこうした手続き論の異常さに疑義を呈しつつ、問題の核心はTPPが日本の国益にならず、アメリカの輸出増強戦略におもねるだけのものと断罪しています。

 著者はTPPが締結された場合のメリット、デメリットを大手製造業、商社、大手小売業、地域経済、政府や地方自治体との取引企業、地方自治体、農業、労働者(国民)のそれぞれについて点検した後に、TPPでメリットを享受できるのはグローバル企業であること、デメリットを被るのは大多数の国民であると結論付けています。

 TPPは例外なき100%の市場開放が大前提であるので、関税は完全撤廃であり、手続きの簡素化は至上命令であり、それはTPP加盟国貿易の事実上の内国化に結果します。

 農業が大打撃を受けるのはもとより、地方公共事業に関しても政府調達開放となるので海外企業が参加してくることが予想されます。100%の市場開放に抵触することは禁じ手となるので、外国人雇用は自由化せざるをえず、海外企業の流入で生活の質、安全の低下は必至です。

 日本はTPP加盟に走らなくとも、FTA/EPAを拡充していけばよいのです。そこに利害対立があれば相手国と時間をかけて交渉しすればよく、個別交渉であれば農業や地方自治体への影響は最小限に抑えることが可能である、というわけです。

 著者は関西圏に住んでいるので、TPP加盟がなった場合の影響を大阪、関西圏でどうなるかをシミュレートしています。実際に大阪の橋下知事が代表する大阪維新の会ではホームページで「大阪都構想について」という記事を公にしているので、著者はその内容を検討しています。TPPと大阪都構想は一卵性双生児というのが、検討結果です。

 「平成の開国」とのスローガンでTPPの推進ばかりが先走りしているが、内容をもっと慎重に検討し、議論を深め、アメリカの思惑に安易にのってはいけないということだけは確かです。


山本作兵衛『炭鉱に生きる-地の底の人生記録』講談社、2011年新版

2011-10-24 00:15:52 | ノンフィクション/ルポルタージュ

          
 山本作兵衛(1892-1984)による筑豊炭田の鉱山(ヤマ)での労働、生活を映画いた585点の絵画、6点の日記などが「世界記憶遺産」として2011年5月に日本国内から初めて登録されました。

 「世界記憶遺産」はUNESCOが主催する三大遺産事業のひとつで、これまでに「アンネの日記」「ベートーヴェン第9の直筆楽譜」「グーテンベルクの聖書」「ゲーテの直筆文学作品」「東医宝鑑」「キルケゴールの手稿」などが登録されています。山本作兵衛の絵画と日記が、これらに仲間入りしました。

 本書は1967年に一度出版されたものが、今回の登録を記念して装丁を変えて新版されたものです。多くの画が挟まれ、作兵衛の文章「ヤマの生活」「ヤマの米騒動」「ヤマの労働」が綴られています。

 作兵衛は福岡県嘉穂郡の生まれ。7歳ころから抗内にさがり、50余年一筋にヤマの仕事に従事しました。その実際を孫に伝えようと60歳を過ぎて絵画に記憶を刷り込み、明治、大正、昭和のヤマの姿を克明に活写しました。

 画になった対象はおよそ明治30年代の後半から米騒動あたりまで(1918年)です。子どものころから画を描くことは好きだったようですが、正統な教育は受けていません。しかし、一連の画には、ヤマの過酷な生活にふさわしい描き方がなされ、誰も真似ができません。

 画で描ききれない部分は、文字で補足されています。画の内容のリアルさには驚かされます。入坑の様子、切羽での夫婦一体の労働、座り堀り、見せしめのリンチ、入浴(混浴)など。

 納屋制度(会社からの請負で労働者の雇い入れから労務管理の一切をとりしきり、会社から歩合を、労働者からは賃金をピンハネする中間搾取の機構)のもとで労働の実態は悲惨そのもの、生活は極貧でした。納屋頭は顔役的なヤクザまがいの男が担い、人繰りと呼ばれる監督や会計役の勘場を配下におき、暴力で怠業を監督し、私生活の細部にまで目を光らせていました。
 逃亡はかなわず、発覚すると徹底的なリンチに遭います。労働の対価は切符。ピンハネは日常茶飯事でした。

 こうした実態は作兵衛の画と文章がなければ永遠に歴史の闇に消えてしまったかもしれなかったのです。素晴らしいの貢献のひとことにつきます。

 ご本人はこれらの画で全国的に有名になっても、いたって質素で清らかな身すぎぶりだったといいます(菊畑茂久馬「不世出の千両役者に似て暗闇を突き抜けた清冽さ」)。


「鮨 あじ」 軽井沢町東6-1;TEL0267-31-0688

2011-10-23 00:37:20 | グルメ

       

 先週軽井沢にでかけたおりに、寄ったお鮨屋さん「鮨あじ」を紹介します。軽井沢駅北口を出て左手のほうに進み、迷わなければ3分以内に着きます。

 比較的新しいお店です。マスターに聞いたところ3年目とのことでした。「(3年目で)ずいぶん綺麗ですね」と言うと、「毎日、掃除してますからネ」と応えがありました。ユーモアのあるマスターです。
 マスターは38歳ぐらい。若いので威勢がよいです。もうひとり女性が立ち働いていますが、高校の同級生とのことでした。ご夫妻かと思いましたが、違いました。

 お店はカウンター8席。テーブル席もありますが、あまり使わないようです。地元の方、おなじみの方が断然多い雰囲気でした。みな、マスターと顔なじみのように会話がはずんでいました。われわれは最初こそおとなしくしていましたが、途中から話に参加させてもらい、画の話(千住博美術館の存在を教えてもらったのはここにいた女性のお客さんからです)、映画の話、軽井沢の魅力、つきることなく10時半ごろまで。若干、酩酊気味で帰還。

 軽井沢は洋食の店、蕎麦屋が多く、海からは遠いので、わざわざわ鮨屋に入ることもないかと思っていたのですが、ここはなかなかいい店です。

 シャリは小さく、ネタは新鮮。極上の信州の日本酒(真澄、水尾など)がよくあいました。
                 


橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』講談社新書、2011年

2011-10-22 00:09:04 | 科学論/哲学/思想/宗教

                            ふしぎなキリスト教

 本書はキリスト教についての対談集ですが、通読してキリスト教について体系的に理解することができました。大澤さんがいろいろな疑問(素朴な質問、専門的な質問)を橋爪さんに向けるという形をとっています。質問が的確だし、回答が丁寧、比喩もつかってわかりやすいです。

 学んだことをいくつか箇条書きします。ユダヤ教とキリスト教との違いはない(一神教)、ほとんど同じ、違うところはキリストがいるかどうか(預言者がいらなくなった)、だけとのこと。
 Godと人間は「契約」(「条約」のようなもの)で結びつくよそよそしい関係、しかしキリストは「愛」をのべて大転換が起こったそうです。
 原罪とは「人間の存在自体が間違った存在」だということ、行為に先立つ存在の性質を言います。神の契約を守れない人間は、キリストを救い主だと受け入れることで特別に赦されたのです。
 この世が不完全なのは楽園でないからであり、それが人間に与えられた罰です、そのような不完全な世界で神の意志に反しないようにつとめていくのが彼らの役目、信仰とは不合理なことをあくまでも合理的に、つまりGodとの関係によって解釈していくこと、試練とは現在を将来の理想的な状態への過渡的なプロセスと受け止め、言葉で認識し、それを引き受けて生きること。
 偶像崇拝が禁じられているのは、それをつくったのが人間だからです。また、イエスが処刑されたのは神の子となって神を冒瀆したからですが、罪状の認定はかなり微妙らしいです。というのはイエス自身は自分を神の子とはおもっていなかったからです(正当な裁判があったかどうかも怪しいところである)。
 他にとくに興味を引いたのは、キリスト教には神の法(その一部が自然法)を認めており、これは宇宙をつくった設計図で、人間はこれを理性によって発見できる(数学、論理学として)ことになっている点です。
 また東方教会(ギリシャ正教)と正方教会(ローマ・カトリック)への分裂でキリスト教の役割が大きく異なることになり、前者では世俗の権威(皇帝)と宗教的権威(教皇)とが一元化されたようですが、後者では分裂しました。
 また前者では聖書(旧約聖書はヘブライ語で、新約聖書はギリシャ語で書かれていた)の翻訳が認められましたが、後者ではそれが認められなかったことも、キリスト教のふたつの流れに大きな影響を与えたようです。

 本書を読んでキリスト教への大きな疑問のいくつかが氷解しました。

 付言すると、Amazonのレビュー欄では本書に対する読者の反響が大きく、低い評価を与えている人もかなりいます。それらに耳を傾けると、本書にはキリスト教に対する誤った理解、間違いがあるようです。わたしは聖書をまともに読んだことがないし、クリスチャンでもないので、著者たちが聖書やキリスト教について一部誤解しているとの見解については、その当否を見極めれません。ただ、上記でわたしが本書から学んだこととして書いた点にかかわる否定的コメントはなかったようです。


志賀浩二『数学が歩いてきた道(新書)』PHP研究所、2009年

2011-10-21 00:09:35 | 自然科学/数学

                  数学が歩いてきた道

 数学の遠大な歴史系譜の基軸をおさえた啓蒙書です。それは以下の目次を一瞥するだけで分ります。

・序章:聞いてみたいこと
・第1章:深い森へ(1.円周率、2.ピタゴラスの定理、3.平行線の公理、4.ツェノンの逆理)
・第2章:近世に向けての旅立ち(1.中世から近世へ、2.火薬と大砲、3.コンパス、4.活版印刷、5.時計)
・第3章:ヨーロッパ数学の出発(1.デカルトの方法、2.ニュートンの「プリンキピア」、3.ライプニッツの無限小量)
・第4章:数学の展開(1.開かれた社会へ、2.バーゼル問題の解と「無限解析」、3.オイラー無限のなかの算術、4.無限小量の批判)
・第5章:関数概念の登場(1.変化するもの、2.関数・グラフ・極限)、3.微分ー関数への作用、4.積分-関数のひろがり、5.微分と積分-数学の2つの方向)
・第6章:解析学の展開(1.テイラーの展開と因果律、2.複素数、3.正則性、4.波立つ変化)。

 円は完全な図形と考えられるのに、円を数の世界にうつしだした円周率πはどこまでも規則性のない数の列が続いていく、そこに暗示されるのは数の無限性と神秘性であるという話から始まり、数学が「線分計算」と「比を用いた数の計算」とは切り離して考えなければならないことの認識を「ピタゴラスの定理」によって取り込んだことが確認されています。古代ギリシャ数学は、このとき数の神秘の扉を開いたのでした。

 思惟の世界に淵源をもつ数学はその後、イスラム世界で代数学を誕生(9世紀)させ、近世に入ってデカルトを経て微分・積分学が形成され(変化のなかに時間を見、後者を数学のなかに取り入れたニュートン力学と変化のモナド[単子]の存在を見たライプニッツの数学)、両者の数学を統一させた関数と変数概念によって解析学へと展開されていきます。

 さらにガウス、アーベル、ガロア、リーマンなどの天才の業績を経て、概念がさらに純化され実数から複素数に移行します。
 
 ここに至って数学は、時間のない抽象の中で因果律が成立する世界に到達します。20世紀の数学は抽象数学として再びイデアの世界に回帰することになるのです。

 2000年有余の数学の歴史逍遥の旅がここにあります。

 数学的展開、古典からの引用があり、内容は決して易しくはありません。


浅見倶楽部・クラブハウス(北佐久群長倉504;0267-45-8971)

2011-10-20 00:10:46 | イベント(祭り・展示会・催事)

      

 この夏、集中的に内田康夫さんの小説を読みました。まわりの人のひとりには「なぜ、内田ミステリーにはまっているの?」と聞かれたこともありましたが、とくに理由はありません。単純に面白かったからです。読書は精神の食べ物と思っていますが、しっかりした栄養食を食べることもあれば、軽くスイーツということもあれば、滋養のためにということもあります。

 内田康夫さんの小説には浅見光彦シリーズがあり、この光彦が素人探偵ながら個性的で、いい推理をし、事件を解決します。ファンが多いようです。

 ファンクラブの名称は「浅見光彦倶楽部」というのですが、その倶楽部ハウスが軽井沢にあることを知りました。浅見光彦倶楽部会員の入会者数が多いことに共感した内田さんが、会員の集いの場所として、1994年8月に軽井沢に建設したそうです。

 好奇心が強いわたしは、この倶楽部ハウスに行ってきました。月曜日に紹介した、千住博美術館の近くにありますが、ややわかりにくく(軽井沢駅の駅舎内にある観光センターに聞くとすぐ教えてくれましたが)、レンタカーで狭い入り組んだ道を探しながら走行すると、ありました。

 2階建のハウスです。一階の入口を入ると突き当りに受付があります。当然ですが、内田さんの書いた本が並べてあります。単行本には、サインが入って売られています。文庫版が日本各地の地域ごとに分類されて置かれていました。

 内田さんは世界一周クルーズをされたようで、そのときのアルバムがあり、またビデオが流され、先客が数名、それを観ていました。

 2階には浅見光彦のコーナーで、不思議なことに、浅見光彦とネームの入った(小学校時代のものと思われる)習字、通信簿がありました。

 受付で会員に勧誘されましたが、それは丁寧にことわり、一時、内田ワールドを楽しんできました。


軽井沢レイクガーデン(北佐久郡軽井沢町レイクニュータウン内:0267-48-1608)

2011-10-19 00:20:08 | 旅行/温泉

         
 軽井沢駅から南へ南へプリンスロードを下っていくと、軽井沢レイクガーデンがあります。今回は自転車を借りて、走行しました。せっせとこいで、およそ30分ほどで着きます。

 ここはかつては、広い俗称レマン湖と呼ばれる湖があったそうですが、5年前ほどからがらりと趣をかえ、現在のレイク・ガーデンに生まれ変わりました。

 敷地内には湖を囲んで(湖は埋め立て小さくなったようです)、花の庭がいくつかあり、それらを繋ぐように散歩道が続き、さながら一つの花の楽園、別世界になっています。

 実は地図をみていて、急に思いたって出かけたので、今の季節では花がもう終わり気味でした。このガーデン自体が11月の第一週ぐらいで閉園です。というわけで、秋の雰囲気が円全体をおおい、木々は紅葉をみせ、間もなく来ようとしている冬の準備に勤しんでいる風情です。

 園の人に聞くと、いい時期は7月の第一週とのことでした。このレイクガーデンは、素晴らしいホームページをもっていますので、以下を参照してください。
         
        http://www.karuizawa-lakegarden.jp/

 


軽井沢プリンスホテル(〒389-0103北佐久郡軽井沢町軽井沢1016)

2011-10-18 00:16:52 | 旅行/温泉

         

 今回の軽井沢での宿泊施設は、軽井沢プリンスホテルにしました。初めてです。

 南口からシャトルバスで5分ほど。周囲にはゴルフ場がたくさんあるようですが、わたしは関心がありませんが、ただ、グリーンが綺麗な一帯です。レンタサイクル、卓球、ダーツ、遊びの用具もそろっています。お客さんに家族づれが多いのはそのせいかもしれません。

 イーストとウエストと2つの施設があり、温泉施設SPAをもっています。魅力的なのはコテージがたくさんあることです。数えてはいませんが、相当数あります。

 コテージは4人用。部屋の数は3つ、台所がありますが、炊事はできません。今の時期なので床暖房が完備され、なかは清潔です。

 それにしても、ここの敷地の広さには驚かされます。それで、カーコートでの移動が便利です。定期的に巡回している小型バスがありますが、移動したいときには電話をするとカーコートがコテージまで迎えにきてくれます。だんだん慣れてくると、カーコートを呼ぶのも従業員に悪いし、それに散歩がてら歩いたほうが気持ちいいので、そうしました。

 


軽井沢千住博美術館(軽井沢町長倉815)

2011-10-17 00:09:18 | 美術(絵画)/写真

 秋の軽井沢に行ってきました。いくつか目当てがありましたが、現地に入って、ある寿司屋で耳にした「軽井沢千住博美術館」は、想定外のいい出会いでした。(*下記画像はHPからです。館内撮影は禁止されています。 
       

 というのも、この美術館は、この10月10日に開館されたばかりです。国道18号線沿いにあり、千住さんらしいモダンな建物です。建物は西沢立衛さんの作品で、贅沢な空間、自然の傾斜を上手につかった建造物です。燦々と降り注ぐ太陽の光が、効率よく美術館のなかに注がれ、得がたい空間がそこにありました。

 館内には千住さんの作品が並んでいます。現在は、四季の滝をテーマにした作品、「星の降る夜に」の様子をイメージした作品が展示されていました。

 自然のなかの美術館ということが意識的に追及され、壁面には外の樹木が絵のように透かされて移っていて、それ自体がひとうのアートのようです。

 大変多くの植物、樹木が配置され、軽井沢ならではの美術館になっています。150種60000株の植物が植えられているそうです。

 千住博さんは現在、京都造形大学の学長、これまでに、1995年にはヴェチア・ビエンナーレで優秀賞を受賞したほか、京都の大徳寺の襖絵、2010年のAPECでの作品展示をてがけ、この分野では第一人者です。ニューヨークに拠点をおいて活躍中です。

 お鮨屋さんには、今回展示の作品のひとつのコピーが壁に掲げれ、その画は誰の作品かということで話が盛り上がり、この美術館の存在を知った次第です。

   


”GULDA NON-STOP” by FRIEDRICH GULDA(SONY SICC1030)

2011-10-15 00:38:12 | 音楽/CDの紹介

         
 たのしいライブ録音です。

 最初のイントロの曲がややジャズっぽく演奏され、違和感がありましたが、よく聴いていると、まことに音楽の楽しさが伝わってくるCDです。演奏されている曲は以下のとおりですが、順番なども工夫がされているようで、グルダらしい好調さでつながっています。

 モーツアルトの幻想曲を自身の作品ではさみ、ドビュシーにショパン、シューベルト、そしてヨハン・シュトラウスの編曲、そして民謡でしめるあたり、多彩なグルダが横溢しています。

 ライブ録音なので、一曲が終わると拍手が響きます。次の曲への移行、拍手を抑えるかのように曲がつながれ、演奏者と観客が一体になってドラマが展開されている様子が伝わってきます。臨場感あふれる一瞬です。
 

  ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」、シューベルトの「即興曲」が胸にしみとおるようなメロディーです。

1. グルダ:フォー・リコ  
2. グルダ:メヌエット~チェロ協奏曲より  
3. モーツァルト:幻想曲ニ短調K.397  
4. グルダ:アリア(ソロ・ヴァージョン)  
5. グルダ:プレリュードとフーガ  
6. ドビュッシー:ビーニョの門~前奏曲集第2巻 第3曲  
7. ドビュッシー:亜麻色の髪の乙女~前奏曲集第1巻 第8曲  
8. ショパン:練習曲 嬰ハ短調 作品25-7  
9. ショパン:舟歌 嬰ヘ長調 作品60  
10. ショパン:夜想曲 嬰ヘ長調 作品15-2  
11. シューベルト:即興曲 変ト長調 D.899 作品90-3  
12. ヨハン・シュトラウスII世:お客を呼ぶのは私の趣味で~喜歌劇「こうもり」より  
13. ヨハン・シュトラウスII世:親しい仲間よ~喜歌劇「こうもり」より  
14. 民謡(グルダ編):辻馬車の歌

 グルダは1930年、ウィーン生まれ。7歳で国民音楽院に入学し、12歳からウィーン音楽アカデミーでピアノをブルーノ・ザイドルフォファーに、理論をヨーゼフ・マルクスに学びました。
 1946年、ジュネーブ国際コンクールで優勝、注目されました。グルダのレパートリーは非常に幅広く、バロックから現代まで網羅しています。モーツアルト、ヴェートーヴェンが得意ですが、ラベル、ドビュッシーでもいい演奏を残しています。2000年1月にオーストリアのヴァイセンバッハで亡くなりました。


IZAKAYA VIN (渋谷区道玄坂1-5-7;03-3496-2467)

2011-10-14 00:09:51 | 居酒屋&BAR/お酒

         
 昨日はNHKホールでの音楽会のあと、渋谷まででて、1時間半ほどワインBARで腰を落ち着けました。渋谷駅から近い、「IZAKAYA VIN]というお店です。IZAKAYAとありますが、いわゆる「居酒屋」風ではなく、店の様子も出てkたメニューもビストロといった雰囲気です。

 音楽会の熱気をスパーリングワインでぬぐい、カベルネ、ピノ・ノワール・メルローのブドウを使った赤ワインを注文しました。夕食は演奏会前におにぎりを買って食べた程度なので、生ハム、茸のオムレツ、温野菜、チーズ盛り合わせを選びました。

 生ハムの画像は下記のとおりです。温野菜には、白かぶ、ズッキーニ、人参、玉ねぎ、芽キャベツなど色彩が綺麗でした。どれもこれも、空いたお腹には、美味しいものばかりでした。メニューは豊富です。
                     
 3階まであり、1,2階ともサラリーマンなどで混んでいましたので、3階まであがりました。女性の姿が目立ちました。ワインを飲んで、おしゃれな会話を楽しんでいました。

 店長の加藤さんは、1978年生まれ。1999年にブルゴーニュに遊学されたとか。フランス産の銘醸ワイン提供がコンセプトのようです。