写真は帰路、横川サービス・エリアでとった写真。きれいだったのでカメラに収めました。これで、小布施紀行を終わります。天候にめぐまれた小旅行でした。
小林農園(小布施)では、リンゴと栗の収穫ができました。リンゴの種類はいろいろです。
農園のなかでは無料でいくつでも食べられますが、そんなに何個も食べられるものではありません。持ち帰りは、秤ではかってもらい、所定の料金をはらいます。
栗は配布された容器に、トングで拾って、満杯まで無料です。
農園のなかでは無料でいくつでも食べられますが、そんなに何個も食べられるものではありません。持ち帰りは、秤ではかってもらい、所定の料金をはらいます。
栗は配布された容器に、トングで拾って、満杯まで無料です。
小林農園(小布施)では、リンゴと栗の収穫ができました。リンゴの種類はいろいろです。農園のなかでは無料でいくつでも食べられますが、そんなに食べられるものではありません。持ち帰りは、秤ではかってもらい、既定の料金をはらいます。栗は配布された容器に、トングで拾って、満杯まで無料です。
浅間牧場から戻り、ブレストンコート・ホテル、高原の教会あたりを散策、そしてハルニレテラスで昼食をとったのち、近くのトンボ湯で温泉につかりました。町民は500円とかで、軽井沢在住の弟はもちろん、兄弟もこの料金で入浴できるとのことでした。「一般」で入浴すると、1300円なので、嬉しいサービスです。
いい温泉です。久しぶりです。
いい温泉です。久しぶりです。
浅間牧場、木下恵介監督「カルメン故郷に帰る」のロケ地です。当時とはだいぶ様子が違ってきているとはいえ、広大な牧場は健在です。観光客はここでは少なく、大自然がいっぱいに広がっていました。この時ばかりは快晴にめぐまれたことに感謝しました。
着いたときには牛さえいなかったのですが、帰り際に数頭出てきました。
着いたときには牛さえいなかったのですが、帰り際に数頭出てきました。
北軽井沢は群馬県に属します。
かつての草軽電鉄のひとつの駅、北軽井沢駅がいまも残っています。この鉄道は軽井沢町の新軽井沢駅から群馬の草津温泉駅までの間に敷設されていました。
かつての草軽電鉄のひとつの駅、北軽井沢駅がいまも残っています。この鉄道は軽井沢町の新軽井沢駅から群馬の草津温泉駅までの間に敷設されていました。
猛暑の夏でもここばかりは、異次元の涼しさです。水流の音だけが、こだましています。あたりは深い緑の木立が、滝をつつむようにしげっています。
昨日の浅間大滝から徒歩で3-5分、階段をおりていくと、この滝に遭遇します。魚がここまではあがってきても、これ以上は無理、それで魚止めの名前がついたようです。袋田の滝というのがありますが、作りがそれに少し似ています。冬の間は凍結するのでしょうか?
昨日の浅間大滝から徒歩で3-5分、階段をおりていくと、この滝に遭遇します。魚がここまではあがってきても、これ以上は無理、それで魚止めの名前がついたようです。袋田の滝というのがありますが、作りがそれに少し似ています。冬の間は凍結するのでしょうか?
弟が車で案内をしてくれ、北軽井沢のほうに向かいました。そのあたりは群馬県とのことでした。
写真は浅間大滝です。軽井沢には白糸の滝というのがあり,その名のとおり長い横幅の岩盤から白糸のように水がおちていて女性的ですが、浅間大滝は勇壮で、ダイナミックに水がほとばしっています。緑に囲まれ涼しいです。
明日はこの滝のすぐ近くにある、魚止めの滝を紹介します。
写真は浅間大滝です。軽井沢には白糸の滝というのがあり,その名のとおり長い横幅の岩盤から白糸のように水がおちていて女性的ですが、浅間大滝は勇壮で、ダイナミックに水がほとばしっています。緑に囲まれ涼しいです。
明日はこの滝のすぐ近くにある、魚止めの滝を紹介します。
暑い関東を飛び出して軽井沢に行ってきました。東京よりは4-5度低く、最高気温は28、29度、夜になると長袖でのシャツでも十分です。避暑地として、最高です。
軽井沢は標高1000㍍で、気候、そして四季の移り変わりは、札幌のようです。冬にはしっかり雪が降ります。そんなわけで、夏でも最高気温は30度前後でとまります。今年は札幌は暑いようで昨日、今日などは33度くらいになっていますから、軽井沢のほうが涼しいのではないでしょうか?
軽井沢在住の弟に車で案内してもらい、最初に赴いたのはタリアセンです。塩沢湖を一周しました。緑に囲まれた湖は清澄で趣があります。カモなどの鳥たちが自由に自然にとけこんで生活をしています。近くの文学館では、加賀乙彦展が開催されているようでした。
軽井沢は標高1000㍍で、気候、そして四季の移り変わりは、札幌のようです。冬にはしっかり雪が降ります。そんなわけで、夏でも最高気温は30度前後でとまります。今年は札幌は暑いようで昨日、今日などは33度くらいになっていますから、軽井沢のほうが涼しいのではないでしょうか?
軽井沢在住の弟に車で案内してもらい、最初に赴いたのはタリアセンです。塩沢湖を一周しました。緑に囲まれた湖は清澄で趣があります。カモなどの鳥たちが自由に自然にとけこんで生活をしています。近くの文学館では、加賀乙彦展が開催されているようでした。
2年ぶりに熱海に行ってきました。ジャカランタ祭りが開催中です。風光明媚なところで、何度でも行きたいですが、日帰りではやや遠いです。それでも蓮田駅からは湘南新宿ラインで乗り換えなしで一本でいけます。片道、2時間半ぐらいかかりますが。
ジャカランタの話は明日にして、この日はいい天気で、海の香りを楽しみましんだことだけお伝えします。仲見世街の「こばやし」で海鮮丼を昼食にとりました。観光客が並んでいて、40分ほど待ちました。
坂がきつかったです。とくに海岸に出ての駅への帰り道は、心臓破りです。
ジャカランタの話は明日にして、この日はいい天気で、海の香りを楽しみましんだことだけお伝えします。仲見世街の「こばやし」で海鮮丼を昼食にとりました。観光客が並んでいて、40分ほど待ちました。
坂がきつかったです。とくに海岸に出ての駅への帰り道は、心臓破りです。
もう一か所、大内宿に立ち寄りました。
大内宿は、江戸時代の会津西街道(別称:下野街道)の「半農半宿」の宿場です。かつて江戸からの参勤交代が通った街道、周囲は山深くここまで来るにも大変だったろうと、往時をしのびました。
茅葺屋根の民家が街道沿いに建ち並び、異次元空間です。古民家では地元の産品が売られ、お蕎麦屋さん、喫茶店があります。
明治期の鉄道開通で宿場ではなくなりましたが、現在は観光地として有名です。1981年(昭和56年)に重要伝統的建造物群保存地区として選定されました。
大内宿は、江戸時代の会津西街道(別称:下野街道)の「半農半宿」の宿場です。かつて江戸からの参勤交代が通った街道、周囲は山深くここまで来るにも大変だったろうと、往時をしのびました。
茅葺屋根の民家が街道沿いに建ち並び、異次元空間です。古民家では地元の産品が売られ、お蕎麦屋さん、喫茶店があります。
明治期の鉄道開通で宿場ではなくなりましたが、現在は観光地として有名です。1981年(昭和56年)に重要伝統的建造物群保存地区として選定されました。
鶴ヶ城の敷地内を歩いていたところ、土井(つちい)晩翠作詞「荒城の月」の歌碑がありました。いくつかの城を頭のなかに思い描いて作詞したのでしょうか? 同じ歌碑は、宮城県の仙台城にもあるようです。
東北絆まつりin福島が6月1-2日、福島市で開催されました。東北の祭りが一堂に会し、福島を盛り上げます。
そこに向かう途中、会津若松により、鶴ヶ城に赴きました。戊辰戦争の最後の砦として、しばしば歴史に出てくるので、一度は訪れたいとかねがね思っていたことが実現しました。
そこに向かう途中、会津若松により、鶴ヶ城に赴きました。戊辰戦争の最後の砦として、しばしば歴史に出てくるので、一度は訪れたいとかねがね思っていたことが実現しました。
南伊豆の田牛(とうじ)には龍宮窟(りゅうぐうくつ)があります。これは海食洞(かいしょくどう)で、波が海岸の波にうちつけ崖の弱い部分が削られてできます。
龍宮窟はおおきな海食洞の天井が一部崩れ、直径50メートルほどの天窓なくなって出来上がりました。道路沿いの入口から洞窟を通って天窓の下に立つこともできます。洞窟の壁には、海底火山から噴出した黄褐色の火山れきが美しく層をなし、天窓の底を満たす青い海水と神秘的なコントラストになっています。
龍宮窟はおおきな海食洞の天井が一部崩れ、直径50メートルほどの天窓なくなって出来上がりました。道路沿いの入口から洞窟を通って天窓の下に立つこともできます。洞窟の壁には、海底火山から噴出した黄褐色の火山れきが美しく層をなし、天窓の底を満たす青い海水と神秘的なコントラストになっています。