【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

貞永方久監督「海嶺」(日本、1983年、96分)

2017-02-19 19:51:11 | 映画

       

 モリソン号事件に題材をとった三浦綾子の小説「海嶺」が映画化されたもの。

 天保3年1011日。大阪で米を満載して江戸へ向かっていた小野浦の千石船「宝順丸」は、遠州灘を抜けようとしていたおり、疾て雲に遭遇。嵐の中で船員たちは、緊急事態と判断して、帆柱を切り倒した。黒潮に乗って、「宝順丸」は東へと流され、岩吉以下音吉、久吉の三人が生き残って(11人が途中で死亡)アメリカに漂着した。
 
  インディアンに捕えられた三人は、奴隷として扱われたが、ハドソン湾会社の支配人マクラフリン博士の手によって救出される。博士の好意で、3人は日本に送還されることになった。

  船を待ちながら、彼らは英語を習得する。しかし、日本に帰りキリシタンになっていたことがわかれば殺されてしまうと、福音にだけは心を閉ざした。

  マクラフリン博士は日本の国情を考え、3人にハワイ→ロンドン→マカオ→日本という航路をとらせた。

  マカオに到着した3人は、英国商務府の首席通訳官で宣教師でもあるギュツラフのもとに身をよせる。そこでギュツラフとともに、聖書の和訳に取り組むことになる。日本のお上に知れたらと恐怖をおぼえるが、ギュツラフ他、多くのクリスチャンに世話になっていることを考え、聖書和訳に協力した。

  米国船モリソン号は彼らと、新たにマカオで合流した日本人漂流民4人を乗せ、浦賀港めざした。船は進み、行く手に日本の美しい島々が姿を現した。しかし、非情にも幕府は砲撃をもって彼らを迎えた。

・キャスト
西郷輝彦/竹下景子/井上純一/あおい輝彦/火野正平/米倉斉加年/田村高広/東野栄次郎



ルキノ・ヴィスコンティ監督「夏の嵐」(イタリア、121分、1954年)

2017-02-18 22:08:03 | 映画

                    
 
   舞台は1866年,オーストリア占領下のヴェネツィア。フェニーチェ歌劇場でオーストリア軍のフランツ・マーラー中尉(ファーリー・グレンジャー)と反占領軍運動の指導者ロベルト・ウッソーニ侯爵(マッシモ・ジロッティ)が対立、決闘騒ぎになる。リヴィア(アリダ・バリ)は従兄のロベルトに、決闘の申し出を断ることを勧める。決闘は回避できたものの、フランツの密告でロベルトは逮捕され、流刑となる。リヴィアは夫のセルピエーリ伯爵に助けを求めたが、拒否される。夫婦仲は冷え切っていた。 

  その夜、フランツと再会したリヴィアは甘言で言い寄られ、恋に落ちる。秘密の部屋を借りて逢瀬を重ねる2人。ところがある日、約束の時間にフランツが現れない。リヴィアは彼の宿舎に行くが、フランツの姿はなく、仲間の将校から彼の遊び癖を聞かされる。やがて開戦。リディアはフランツに会えないまま、夫とアルデーノへ行くことになった。 

  そこへ突然フランツが現れる。リヴィアの愛が燃えあがる。リヴィアはフランツ愛しさのあまり、ロベルトから預かった義援金を医者の賠償費用のために渡し、除隊を願う。リヴィアは彼を追ってヴェローナへ行くと、フランツは変わり果てていた。あろうことか、彼は娼婦のクララを彼女の前に立ちあわせ、口汚く罵る。ショックを受けたリヴィアは怒りから軍に除隊の秘密を伝え、フランツは銃殺刑となる。リディアンの狂気ともいえるすさまじい怒りが伝わってくる。

 全体の主要な箇所では、マーラーの交響曲7番が流れている。

         


フランク・ボーサージ監督「戦場よさらば」(1932年、アメリカ、78分)

2017-02-17 19:56:27 | 映画

               

 1932年の作品。原作は、ヘミングウェイの「武器よさらば」。

 イタリア軍の衛生部隊所属のフレデリック・ヘンリー中尉(ゲーリー・クーパー)と看護婦キャサリン(ヘレン・ヘイズ)の愛情物語。中尉フレデリックは軍医リナルディ少佐(アドルフ・マシュー)の意中の看護婦だったキャサリンに一目ぼれ。キャザリンは少佐の嫉妬のためミラノの病院へ転勤させられる。ミラノに送られた中尉は戦場で頭と脚に重傷を負う。軍医である少佐は中尉を手当し、自分の軍人らしくない嫉妬を後悔し中尉をミラノの病院へ送った。そこで中尉はキャサリン看護で完治した。

 しかし、完治した時に、2人は別れざるをえない状況に追い込まれる。中尉をスイスの戦線へ見送った彼女は、秘やかにそこへ赴く。彼女との恋は、ヘンリー中尉の性格を一変させた。中尉は酒席を顧みなくなる。少佐はこのことを喜ばなかった。キャサリンから中尉への手紙をことごとく返送した。中尉は彼女からの手紙を待ったが、これでは届くはずはない。身も世もあらぬ思いで、ミラノへ彼女を探しに赴く。しかし、中尉とキャサリンの仲を嫉妬する看護婦たちはキャサリンの居所を教えない。彼が知り得たのはキャサリンが妊娠しているということだけだった。

 リナルディ少佐は、中尉が真剣にキャサリンを愛していることを知ると、手紙で知った彼女の居所を教える。中尉は闇の夜、雨をいとわず一人コモ湖を漕ぎ渡り、ブリッサゴの病院を訪れる。キャサリンは病の床に伏していた。キャザリンは流産し、手術の結果が思わしくなく、愛人の手を執りながらこの世を去る。


ルネ・クレマン監督「居酒屋」(1956年、フランス、112分)

2017-02-16 21:47:34 | 映画

 ルネ・クレマン監督「居酒屋」を観る。骨太の映画で、満足度が高かった。映画はこうであるべきというお手本のような作品。原作はエミール・ゾラ。

  

 あらすじは次のようです。

 1800年代後半。パリの裏町。洗濯女のジェルヴェーズ(マリア・シェル)は14歳で、ランチェ(アルマン・メストラル)と一緒に生活するようになる。これが失敗のはじまりであった。怠け者で好色家のランチェは、彼女が貯えた金を使い果し、働く気はまるでない。8歳と5歳の子供がいるのに、結婚して籍をいれるふうでもない。

 そのランチェは、突然、真向いの家の女と家出する。洗濯場でその女の妹ヴィルジニイの態度が気に入らず、ジェルヴェーズは彼女と大喧嘩になる。このシーンが凄い。女の喧嘩はこうもなるのかと思うほど、である。

 ジェルヴェーズはやがて屋根職人のクポー(フランソワ・ペリエ)と正式に結婚する。口うるさい姉夫婦はいたが、彼女は幸せだった。二人は一生懸命に働き、ナナも生れた。600フランの貯えが出来、彼女の長年の夢だった洗濯屋を開けるまでになった。しかし、夢が泡と消える。クポーが屋根から落下し、治療のために貯えは使い果した。

 ところが彼女に好意を寄せる鍛治工のグジェ(ジャック・アルダン)は、洗濯屋の店のためのお金を用立ててくれた。洗濯屋は繁昌した。しかしクポーは仕事をする気力を失い、近くの居酒屋へ入りびたりになる。グジェに返すはずの金まで使って、飲んでしまう始末。

 ジェルヴェーズは、自分の誕生会を思いつく。客の中にはあのヴィルジニイもまぎれこんできた。ヴィルジニイは、仲直りを装い復讐を企てていたのだ。宴会の半ば、昔の男ランチェが入りこんできたが、それはヴィルジニイの企てだった。ジェルヴェーズは彼の姿に驚くが、クポーは彼を招き入れ、こともあろうか自分達の隣室を彼に提供する。

 唯一人彼女が信頼するグジェは、ストライキ運動にくわわったかどで一年の刑を受ける。支柱を失った彼女は仕事もおろそかになってくる。何もかも投げやりだった。ある夜ランチェに夜の営みに誘い込まれても、抵抗する気力すらなかった。

 グジェが出獄してきた。彼女は自らの醜い有様を隠そうとするが、心の片隅に残る純真さが嘘をつくことを許さなかった。絶望したグジェは彼女の上の男の子を連れて旅立つ。ランチェがヴィルジニイと関係のある事を知ると、それでも彼女は最後の気力をふるってがんばった。彼等の思惑にはまって、店を手放したくなかった。だがアルコール中毒にかかっていたクポーは発作で、店を滅茶滅茶に壊してしまった。この大立ち回りがまたすごい。

 やがて彼女の店の跡に、ヴィルジニイは菓子屋を開いた。お人好しの巡査の夫と、彼女にまとわりつくランチェ。落ちぶれたジェルヴェーズは、かつての居酒屋で、酒に酔った頭でグジェを思い起すのでした。健気で働き者のジェルヴェーズの姿はそこにはありませんでした。


 


熱海(糸川遊歩道「熱海サクラ」、起雲閣、梅園)

2017-02-08 00:06:24 | 旅行/温泉

 熱海に二泊してきました。わたしの記憶では、以前、ややさびれた感じをもっていましたたが、10年ほどのうちに蘇生した感じがあります。駅のお土産売り場が広がって綺麗になっていました。また新しいホテルがいくつも建ったように思えます。熱海は豊富な温泉と景観があり保養地としてのインフラは潤沢なはずなので、努力すればいい温泉地になるはずです。ただ、以上の指摘はわたしの主観的な感じで、実際どうなのかは検証してみる必要があります。
              ←露天風呂から初島を臨む 

 ホテルは「ミクラス」(スぺイン語の単語を組み合わせた造語で「わたしの癒し」という意味とか)にしました。海沿いでオーシャンビューの部屋でした。遠くに初島が見え、連絡船が定期的に通っています。碧い初春の海が印象的でした。


            


 まず、糸川遊歩道まで歩き、そこで「熱海サクラ」を観ました。満開に近いです。「熱海サクラ」は一番最初に開く桜だそうです。

 そこから歩いて7-8分ほどのところに、起雲閣(熱海市指定有形文化財
)があります。ここはかつて別荘であり、その後、宿泊施設になったりしたところです。建物に名前がついていて「麒麟」は政・財界で名をなした「海運王」内田信也によって1919年に建てられたものです。「金剛」は1929年に根津嘉一郎によって建てられた洋館です。「玉渓」「玉姫」も根津が1932年に建てたものです。戦後これらは旅館として生まれ変り、谷崎潤一郎、志賀直哉、山本有三、舟橋聖一、武田泰淳、太宰治、三島由紀夫などに愛され。利用されました。

 来宮駅近くの梅園にも行きました。来宮神社から30分ほど歩きました。梅は5分咲きくらいでしょうか。熱海はわたしの住んでいる埼玉よりだいぶあたたかなようです。熱海サクラという一番早く咲く桜は満開がまじかでした。

 ホテルの温泉は男性用が13階にあり、海をながめながらの入浴になり、見事な展望です。夏は花火大会があるようで、そんなときは大いににぎわうのではないでしょうか。