満鉄調査部が設置されたのは、満鉄創設の直後、1907年4月です。
初代総裁、後藤新平はかつて台湾の民政長官でしたが、彼は当地の基本は旧慣調査と考えていた節があり、治安不安定で、日本の統治権がおぼつかなかった満州でも土地所有権を含む全般的調査活動が重要と考え、調査部の設置を考えたようです。
創立直後の調査部は経済調査、旧慣調査、ロシア調査の三班に分かれ、それ以外に監査班と統計班で構成されていました。当初、その活動は低迷していましたがロシア革命による社会主義国家ソ連の誕生とともに息を吹き返しました。新しい国家ソ連の調査研究が重要となったからです。
ソ連の動向を知るべく、文献の購入と調査結果の出版が精力的に行われました。
その後、山本条太郎が満鉄社長(1927年7月就任)とともに満鉄の活動は活発化し、臨時経済調査委員会が設置され(32年2月ー36年9月)、鉄道問題、大豆輸出問題の取り組み、満州物産調査などが大々的に遂行されました。
満州事変以降状況は一変します。傀儡政権である満州国が立国されると、関東軍が満鉄調査部に民政面の協力者としての役割をふりあて、内部に満鉄経済調査会をおいて満州の経済統制策の立案にあたらせました。混乱を極めていた通貨制度の一体化、5カ年計画の立案、策定、「満州産業永年計画案」の具体化がそれです。
本書の最後の部分では満鉄マルクス主義者の動向が細かく記載されています。満鉄調査部の仕事の拡充とともに、かなり多くのマルクス研究者がここに参入し、マルクス主義の立場から(といってもかなりいろいろなマルク主義)現状分析が行われました。しかし、こうした活動は国際情勢が緊迫化する中で関東憲兵隊に狙われ、いわゆる満鉄調査部事件が生起し、42年9月に第一次、43年7月に第二次と2度にわたる一斉検挙の手が入り、ここに事実上、満鉄調査部の活動は終焉しました。
本書は、当時の一級のシンクタンクであった満鉄調査部がいったいどういう組織だったのか、いかなる活動をおこなったのか、調査部の人々は戦後どのように生きたのかを、新しい史料をもとにその事実関係を炙りだした読み物です。満鉄調査部のことはあまり知られていない今日、一読に値する著作です。