【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

小林英夫『満鉄調査部』(新書)平凡社、2005年

2010-03-31 01:03:55 | 歴史
                
              


 満鉄調査部が設置されたのは、満鉄創設の直後、1907年4月です。

 初代総裁、後藤新平はかつて台湾の民政長官でしたが、彼は当地の基本は旧慣調査と考えていた節があり、治安不安定で、日本の統治権がおぼつかなかった満州でも土地所有権を含む全般的調査活動が重要と考え、調査部の設置を考えたようです。

 創立直後の調査部は経済調査、旧慣調査、ロシア調査の三班に分かれ、それ以外に監査班と統計班で構成されていました。当初、その活動は低迷していましたがロシア革命による社会主義国家ソ連の誕生とともに息を吹き返しました。新しい国家ソ連の調査研究が重要となったからです。

 ソ連の動向を知るべく、文献の購入と調査結果の出版が精力的に行われました。

 その後、山本条太郎が満鉄社長(1927年7月就任)とともに満鉄の活動は活発化し、臨時経済調査委員会が設置され(32年2月ー36年9月)、鉄道問題、大豆輸出問題の取り組み、満州物産調査などが大々的に遂行されました。

 満州事変以降状況は一変します。傀儡政権である満州国が立国されると、関東軍が満鉄調査部に民政面の協力者としての役割をふりあて、内部に満鉄経済調査会をおいて満州の経済統制策の立案にあたらせました。混乱を極めていた通貨制度の一体化、5カ年計画の立案、策定、「満州産業永年計画案」の具体化がそれです。

 本書の最後の部分では満鉄マルクス主義者の動向が細かく記載されています。満鉄調査部の仕事の拡充とともに、かなり多くのマルクス研究者がここに参入し、マルクス主義の立場から(といってもかなりいろいろなマルク主義)現状分析が行われました。しかし、こうした活動は国際情勢が緊迫化する中で関東憲兵隊に狙われ、いわゆる満鉄調査部事件が生起し、42年9月に第一次、43年7月に第二次と2度にわたる一斉検挙の手が入り、ここに事実上、満鉄調査部の活動は終焉しました。

 本書は、当時の一級のシンクタンクであった満鉄調査部がいったいどういう組織だったのか、いかなる活動をおこなったのか、調査部の人々は戦後どのように生きたのかを、新しい史料をもとにその事実関係を炙りだした読み物です。満鉄調査部のことはあまり知られていない今日、一読に値する著作です。

『週刊20世紀シネマ館 1966(No.6)』講談社

2010-03-27 00:43:28 | 映画

                                  

  1966年に日本で公開された映画が掲載されています。大きく取り扱われている映画は、次の5作品です。
 ・「ドクトル・ジパゴ」(デビット・リーン監督、オマー・シャリフ、ジュリー・クリスティ主演)
 ・「市民ケーン」(オーソン・ウェルズ監督、オーソン・ウェルズ、ジョゼフ・コットン主演)
 ・「男と女」(クロード・ルルーシュ監督、アヌーク・エーメ、ジャン=ルイ・トランティニャン主演)
 ・「おしゃれ泥棒」(ウィリアム・ワイラー監督、オードリー・ヘップバーン、ピーター・オトゥール主演)
 ・「幸福」(アニェス・ヴァルダ監督、ジャン=クロード・ドルオー主演)
 これらのうち、「幸福」以外は観ました。いずれも記憶に残る名画です。

 「ドクトル・ジパゴ」は大作です。パステルナークの原作、彼はこの作品でノーベル文学賞を受けましたが、本人は受賞すれば故国ロシアを離れざるをえなくなり、それは死を意味するというようなとを語って、受賞を辞退しました。旧ソ連でこの本は発禁状態でした。ロシア革命の動乱のなかで翻弄されていく、ジパゴとラーラの愛がテーマです。

 「市民ケーン」はアメリカで長く愛され、かつ高く評価されている映画です。実在したアメリカの新聞王をモデルにアメリカ資本主義の裏側をえぐった作品です。

  「男と女」はフランシス・レイのボサノバ風の音楽で有名です。港町ドーヴィルにある寄宿舎に息子を預けているカーレーサーのジャン=ルイがそこで同じ学校に娘を通わせている映画撮影の記録係アンヌと出会い、恋に落ちます。ふたりにはそれぞれ亡き妻、亡き夫の思い出がありました。ふたりは愛し合ってはいるももの、アンヌは事故死したスタントマンの夫のことが忘れられません。この結末は・・・。

 「おしゃれ泥棒」は粋でおしゃれな2人の”泥棒”がパリで幸せを盗み出す物語です。と書いてもよくわかりませんね。たぶん。映画はいくらそのあらすじを本で読んだり、人から聞いても、実際にみるとまるで違ったものとして心に入ってきます。映画の凄いところです。自分で観る体験をしないと、まったく意味がないのです。

 このほか、1966年公開の映画がたくさん紹介されています。わたしが観たものは「奇跡の丘」「戦争と平和」「大地のうた」「パリは燃えているか」「野生のエルザ」「小間使いの日記」です。 


中野京子『怖い絵』朝日出版社、2007年

2010-03-26 00:04:16 | 美術(絵画)/写真
                           
                          


 絵は観るものではなく、読むものという考え方が一般的になってきています。この本もそういうスタンスでできあがっています。それぞれの絵が含意する内容を読み込むというわけです。

 「怖い絵」というのは描かれた絵そのものが怖いというだけでなく、鑑賞眼がそれぞれの背後にある人間社会やその歴史の怖さにまで透徹したところで感ずるそれです。

 筆者はこの本を書こうと思い立ったきっかけのひとつがダヴィットのデッサン、マリーアントワネットだったと言います(p.6)。荷車に乗せられて断頭台にひかれていくアントワネット。何の変哲もないように書かれていますが、想いをめぐらせるならば戦慄が伝わってきます。

 明らかに怖い絵もあります。ゴヤの「我が子を喰らうサトゥルヌス」。またキャンバスに描かれた人間の恐怖がモチーフになった作品もあります。レーピンの「イワン雷帝とその息子」、ブリューゲル「絞首台の上のかささぎ」。

 しかし、本書で選ばれた作品は、そのように直接的な恐怖から遠いところにあるものが少なくありません。ドガの「エトワール、または舞台の踊り子」、ホルバイン「ヘンリー8世像」、ラ・トゥール「いかさま師」。ホガース「グラハム家の子どもたち」では、「絵そのものに怖いところはないのです。ただ、この絵は、たまたま予知夢ならぬ予知絵になってしまった」ということがあるのだそうです(描かれた子どものひとりトーマス君は絵の完成後にあっけなく病死してしまった)。怖くなるのは著者の案内にしたがって作品の読み込みが始まってからです。

 かつて絵画がもった力に現代人は鈍感になってしまいました。「ふつうの人が絵を見る機会などほとんどなかった時代、優れた絵画が心に及ぼす影響がいかに大きかったか、眼の刺激に慣れすぎた現代人にはとうてい想像もつかない」(p.183)、「(グリューネヴァルトは)約4年をかけ、これまでのどんな磔刑図より酷い、見る者に直接肉体の苦痛を感じさせるような、心底恐ろしい作品(グリューネヴァルト「イーゼンハイムの祭壇画)」)に仕上げた。仄暗い聖所でこの絵は物凄まじい吸引力を発揮し、病人たちは思わず絵の前に跪き、手を合わせて祈らずにはいられなかったという」(p.184)。

アナトール・リトヴィック監督「追想」(Anastasia)、アメリカ、1957年

2010-03-25 00:16:13 | 映画

アナトール・リトヴィック監督「追想」(Anastasia)、米、1957年、102分                                                                          97af8336.jpg     

  開巻。復活祭のミサが行われています。精神病院から出てきたとおぼしきアンナ・コレフ(イングリット・バーグマン)が教会の前からセーヌ河にむかい、投身自殺をはかろうとします。これをボーニン(ユル・ブリンアー)が助け、そこから物語が始まります。

 実はこの男ボーニンは、ニコライ2世についていたもと将軍です。彼を首謀者とする白系ロシア人たちはアンナをアナスタシアにして、イギリスのイングランド銀行にニコライ皇帝が皇女のために預けていた莫大な財産をもらいうけようとしていました。

 アンナは自分が普通の人間なのか、失踪したアナスタシア皇女なのかがわからなくなるほど錯綜しています。ボーニンがこれを利用して、彼女をアナスタシアと思いこませ、立ち居振る舞いも皇女にふさわしくみえるように指導します。

 ボーニンはアンナをデンマークで甥のポール公と暮らしているアナスタシアの大后妃(ヘレン・ヘイズ)と対面させることに成功します。その目的は、アンナをアナスタシア皇女と認めれば証明になるし、本人自身にも自覚がでてくるはずというもくろみでした。

 ポール公は革命前、アナスタシアの許嫁でした。ポール公はアンアの美しさに惹かれますが、彼女をアナスタシアとは認めません。ボーニンはそんなポールに目当てはお金だけだと勧誘し、財政的に困っていたポール公はボーニンの提案にのることにします。

 他方アンナも自分を偽物のアナスタシアとしてではなく、普通の女性として扱ってほしいとポール公に頼みます。

 アンナに逢った大后妃は、最初こそ彼女をいぶかしげにみていましたが、アンナが少女時代からのくせであった小さな咳を時々することに気づき、彼女をアナスタシア本人と認めるようになり、結局ふたりは再会を喜びあって抱擁します。 

 数週間後、ポール公はアンナとめでたく婚約披露することに漕ぎつけます。だが、この時点で、アンナはそれまで親しく面倒をみてきてくれたボーニンと深く愛し合っていることを知ります。

 さて、この結末は??

 全体が舞台したてのように見えました。原作が戯曲のようです。 


皇女アナスタシア

2010-03-24 13:19:56 | 歴史
『皇女アナスタシアとロマノフ王朝』人物往来社、2003年 
                         
                        
 衛星第二放送で、「追想」という映画番組がありました。ロシア革命で打倒された、ロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ二世とその家族は、全員、殺害されましたが、アナスタシアという皇女は、そのご奇跡的に逃げおうせたという伝説があり、それをテーマにした映画です。アナスタシア役は、イングリット・バーグマンがつとめています。その映画のことは後日にまわして、それと関連した本を簡単が本書です。

 ロマノフ王朝とその時代にまつわる話がテーマです。とりわけ皇女アナスタシア伝説に焦点がしぼられています。写真が豊富で、興味がわきます。

 ニコライⅡ世、マルチダ・クシェシンスカヤ、アレクサンドラ、アレクサンドル三世、マリア・フョードロブナ、ラスプーチン、エカチェリーナ二世、アリザヴェータ、アンナ・イワノブナ、エカテリーナ一世、ソフィア・アレクセーヴナ、ピョートル一世、アレクサンドル一世、ニコライ一世、アレクサンドル二世、さらにこの時代の文化人、チャイコフスキー、プーシキン、ドストエフスキー、トルストイ、チェーホフ、レーピン、スリコフ、ムソルグスキーがオン・パレード。

 簡潔な伝記、エピソードがよく書けています。名前を列挙するだけでその時代の空気が伝わってくるのです。

宇沢弘文『地球温暖化を考える』岩波新書、1995年

2010-03-23 00:45:53 | 政治/社会

               

             
 著者は岩波書店から『地球温暖化の経済学』という書物を上梓していますが、それを一般向けに平易に書いてはどうかという示唆を編集者から得て書き下ろしたものが本書です。

 地球温暖化は、化石燃料の大量消費と熱帯雨林の破壊による温室効果ガスの蓄積によってもたらされたという考え方をベースに、全体は地球温暖化が20世紀の文明を象徴するものであるという基調で書かれています。後者の内容は工業化と都市化、高度の発達した近代技術の存在が人類に大きな進歩をもたらしたものの、その対極での自然環境の破壊、先進資本主義国と発展途上国との経済格差の拡大、環境難民の増大です。

 第6章の「炭素税の考え方」では、著者の得意とする「自動車の社会的費用」の考察から社会的共通資本概念の重要性を強調し、地球温暖化の対策に炭素税導入(種々の経済活動によって放出される二酸化炭素のなかに含まれる炭素の量に応じて税を徴収する)を支持しつつ、一歩進んで「大気安定化国際飢饉」構想をという形で具体化しています(p.154-)。

 また第7章の「20世紀文明に対する反省」では、ローマ法王の「レールム・ノヴァルム」を評価しつつ制度主義の経済学(一つの国のおかれている歴史的、社会的、文化的、自然的な条件を考慮して、すべての国民が、人間的尊厳を保ち、市民的自由を守ることができるような制度をつくることをめざす。社会的共通資本がどのように具体的に用意されているか、またどのように管理、維持されているかによって特徴づけられる)の可能性を論じています(pp.183-184)。
 この章ではまた農業基本法を推進した東畑精一の学問的良心に触れている箇所(pp.191-192)、また「むつ小川原の悲劇」を要約している箇所が印象的でした(pp.192-196)。

 第8章の「新しい展望を求めて」では、千葉県成田市の国際空港反対同盟との対話についての叙述(pp.199-201)が意外でもあり、余韻として残りました。

山中貞雄監督「河内山宗俊」1936年

2010-03-21 21:10:26 | 映画
 テレビはあまり見ないうえ、つい最近までBS放送を受信することができないでいました。しかし、地上波放送への切り替えを契機にBS放送受信が可能なように契約をしました。
              
 そのBS放送で、山中貞雄監督「河内山宗俊」が放映されました。こういうなかなか観る機会を得にくい映画を観ることができるのは、うれしいことです。

 「河内山宗俊」は28才の若さで戦死した映画監督、山中貞雄の現存する数少ない監督作品のひとつです。また、16歳の原節子が登場しています。

 歌舞伎の演目でもとりあげられる実在の人物、河内山宗俊(こうちやまそうしゅん)を四代目河原崎長十郎が演じています。

 夜店で甘茶を売っている美人のお浪(原節子)には、広太郎という不良っぽい弟がいました。この弟は少しばかり人生を斜めにみています。広太郎はあるとき、お侍の小刀を盗んだうえ、それを売り払ってしまいました。この小刀はお侍が殿様からもらいうけた由緒ある物でした。お侍はお浪のところに押し掛け、小刀を返さないと御奉行所に訴え出るぞ!と脅します。

 お浪は必死になって弟を探し、ほとほと困っていたところでやくざ者の河内山宗俊(河原崎長十郎)にお伺いを立てましたが、宗俊は広太郎を知りません。

 弟を隠しているものと早合点したお浪は宗俊を咎めているところに、お浪に惚れ込んでいた金子市之丞(中村鴈次郎)という浪人が現れました。宗俊と金子との関係はいっとき険悪になりますが、二人は最後に意気投合します。

 そうこうしている最中、広太郎の野郎がまた騒ぎを起こしました。広太郎は、吉原でねんごろだった花魁を連れ出したまではいいのですが、あろう事か世をはかなんで心中を図りますが自分だけ助かり、生きて帰ってきました、女の方は憐れも死んでしまいます・・・。

 やくざ者がのりこんできて、お浪に三百両を支払え、払えないなら身売りせよと迫ります。そんな大金をお浪が工面できるはずはありません・・・。さてお浪はどうなるのか??

 かなり古い映画なので、音声が聞き取りにくく、その点は残念ですが、今から70年以上も前の作品と思って観ると、面白いです。

『週刊 20世紀シネマ館 No.5』講談社

2010-03-20 00:50:30 | 映画

             
 
 表紙は「禁じられた遊び」(ルネ・クレマン監督)です。わたしはナルシソ・イエペスによるギター演奏で、まずこの映画を知りました。実際にこの映画を観たのはだいぶたってから。子供の目をとして戦争の悲劇を描いた映画とは知りませんでした。

 映画がはじまってすぐに、南仏の田園地帯を進む避難民の列が突然、ドイツ軍の戦闘機からの襲撃を受けるシーンがあります。女の子、ポレットの両親は被弾して死んでしまいます。このシーンはショックでした。

 避難民の荷馬車のせてもらったポレットですが、村の少年ミシェルと知りあいます。ポレットはミシェルの家で大変かわいがられ、家族に溶け込んでいきます。ポレットは、ミシェルに愛犬の墓を作ってもらったことをきっかけに、いろいろな動物や虫たちの墓を作ります。ミシェルはポレットを喜ばせるために十字架を作り、さらに教会から霊柩車や十字架を盗んでいきます。やがて悲しい結末が・・・。

 この 「禁じられた遊び」の他に、「ライムライト」(チャールズ・チャップリン監督)、「シェーン」(ジョージ・スティーヴンス監督)、「紳士は金髪がお好き」(ハワード・ホークス監督)、「赤い風車」(ジョン・ヒューストン監督)に関する記事が載っています。

  シネマの神話では「『ライムライト』のチャップリンは、ハイティーンがお好き」、「『紳士は金髪がお好き』での、モンローの歌の才能は本物?」などの読み物記事があります。


極上串焼き 銀座「匠」

2010-03-19 00:53:15 | グルメ
極上串焼 銀座「匠」交詢ビル(中央区銀座6-8-7、tel03-5537-7702)

                            

 カテゴリー「グルメ」の記事が最近なく、さびしいという声があったので、ひとつ銀座のお店を紹介します。

 「匠」というお店が交詢ビルの4階にあります。極上串焼とあります。厳選された極上肉、新鮮な魚介類、とれたての産地直送有機野菜・・・、素材の力強い美味しさを上手に引き出しています。

 焼き物としては、たとえば・・・
 地鶏笹身変わり焼き、合鴨南蛮焼き、イベリ肩ロース焼、ファアグラ生ハム包み焼、宮崎牛リブロース焼、ホタテガイ磯辺焼、アスパラ塩胡椒焼、旬の茄子二食田楽焼、などがメニューに並んでいます。

 要するに串に刺した旬の逸品を凝った味噌、各種の塩、故障などをつけて食するというわけです。素材とこれらのいろいろな味噌、塩との相性がいいことに感心します。

 焼き物以外では、宮崎牛ユッケ、無農薬野菜盛り合わせ、フルーツトマト、生湯葉と新鮮野菜のサラダなどもあります。

 コース料理として、「吟」「匠」がありますが、これらは上記のものが組み合わされてでてきます。プラスうどんと和菓子などがあります。

 一度、ぜひお試しください。ちなみにこの交詢ビル4階には他にも美味しそうなお店が並んでいます。銀座にはあまりいかないのですが、ひとつづつ10年くらいかけて尋ねてみましょうか??

                                

村井吉敬『エビと日本人』岩波新書、1988年

2010-03-18 00:37:12 | 政治/社会

                          

                           

 
  かつてこの本が出版された頃に、目をとおし、鮮烈な読後感をもちました。今回、あらためて再読しました。

 資料的には古くなっていますが、問題意識は正確です。とくに第5章の「エビを売る人、食べる人」での社会科学的分析は頼もしいかぎりです。

 日本人はエビ好きのように言われるけれども、そして確かにエビのひとりあたり消費量、海外からの輸入量は多いけれども、こうした事態はせいぜい1961年のエビの輸入自由化後のことであり、低温流通機構の定着、商社、外食産業一体となった戦略であったことが明るみにされています。

 この結果、エビの生産地は「南」の第三世界(とくに1986年時点では台湾、インド、インドネシア、中国などのアジア)、消費地は日本、アメリカを中心とした「北」の先進国という構図が固まってしまいました。

 5章に連なる1章から4章までは、「エビを獲る人びと」「エビという生き物」「エビを育てる人々」「エビを加工する人」となっていて、主として消費地日本までにいたるエビの生産地と加工地の実態調査の記述と分析です。

 現地ではトロール船での底引き網による資源乱獲が問題になっていること、エビの生息の場であるマングローブが破壊されていること、養殖によるエビ成り金が生まれていること、加工地での女子労働者の低賃金構造が生々しく紹介されています。

 本書には続編があると知りました。Amazonで早速注文しましたので、後日また読後観を掲載します。


生命の起源はいったい何?

2010-03-17 00:31:31 | 自然科学/数学

柳川弘志『生命の起源を探る』岩波新書、1989年
                 

 文字通りに生命の起源を論じた本です。

 学生時代、生命の起源に関しては、オパーリンのコアセルベートを記憶していますが、その後、この分野の科学の発展はどうなっているのでしょうか?

 その前に「生命」とはいったい何なのでしょうか?本書の第2章で、著者は「生命」の特性を4点にまとめられています(pp.24-27)。第1は、外界と境界線がある入れ物をもっていること、その最小単位は細胞です。第2に自己複製、自己増殖できるということです。これらの機能はすべてDNAの配列に保存されているとのこと。第3は自己維持機能をもっていることです。この機能はタンパク質の触媒作用によっておこなわれるそうです。第4は、進化する機能をもっていることです。

 これらの特性を確認しつつ、本書の特徴は「宇宙生物学」とでもいうべき視点からの解説であるという点です。

 要するに、宇宙の天の川銀河の片隅で太陽系が生まれ、その中の第三惑星である地球で生命が生まれ、育まれてきた。そして、地球の環境の変遷は生命活動と関連している。最初の生命が誕生したころ、原始大気は二酸化炭素と窒素を主成分としていたが、ラン藻のような光合成生物が発生し、繁殖するようになり、酸素が増え、その放出された酸素は原始の海の中の二価鉄イオンと反応し、酸化鉄を形成し、その酸化鉄は海に沈殿、堆積した、というのです(p.218)。

 無生物的条件のもとで、生命の構成物質が合成されることは化学進化の模擬実験、隕石中の有機物の分析、彗星や宇宙空間の有機物の観測から明らかにされているようです。著者はそれを原始スープからRNAワールド、PNPワールド、DNAワールドの発展という図にわかりやすく示しています(p.165)。

 第1章のこれまでの生命の起源の認識に関する諸説は面白いです。他方、第6章、第7章の生命の初期段階でのRNAワールドの出現にスポットをあててRNAワールドからDNAワールドに至るまでの道筋の解明は専門的すぎて難解でした。


満鉄の歴史

2010-03-15 02:07:35 | 歴史
原田勝正『満鉄』岩波新書、1981年
                          

 
この間に、満鉄に関する本を2冊、読みました。今日と明日、連載します。今日は、岩波新書の原田勝正『満鉄』(1981年)です。

 満鉄は、その調査部の人材の豊富さをかねてから知っています。ソ連研究者もたくさんいました。その全体像を知りたく思い、本書を市の図書館から借り出しました。本書を読んで詳しく、わかりました。

 日露戦争後、野戦鉄道提理部がロシアから引き継いだ北清鉄道は、満鉄として1906年に設立しました。初代総裁は、後藤新平です。

 鉄道、港湾、炭鉱など一大コンツェルンを築き、満州国の「繁栄」(?)に貢献しました。しかし、満鉄の歴史は政友会の画策、関東軍の介入など平坦ではなく、とくに満州事変以降の中国への軍事的侵攻が顕著になるに及んで、侵略の拠点として位置づけられることになります。

 本書のねらいは、「中国東北の歴史における満鉄の果たした役割を明らかにするというより、むしろ日本帝国主義の体制におけるその役割をみることに重点をおいた」(著者「あとがき」、p.215)とあります。全体として、緻密な歴史分析になっています。満足。
 

太陽がいっぱい

2010-03-14 01:03:39 | 映画
「週刊:20世紀シネマ館 No.4」1960年① 講談社
 
              

「20世紀シネマ館」のNo.4に掲載の主な映画は、以下のとおりです。
 ①「太陽がいっぱい」(ルネ・クレマン監督、アラン・ドロン主演)
 ②「ベン・ハー」(ウィリアム・ワオラー監督、チャールトン・ヘストン主演)
 ③「勝手にしやがれ」(ジャン=リュック・ゴダール監督、ジャン・=ポール・ベルモント、ジーン・セバーク主演)
 ④「アパートの鍵貸します」(ビリー・ワイルダー監督、ジャク・レモン、シャーリー・マクレーン主演)
 ⑤「甘い生活」(フェデリコ・フェリーニ監督、マルチェロ・マストロヤンニ主演)

 これらはすべて観ましたが、「ベン・ハー」と「アパートの鍵貸します」が印象に残っています。「ベン・ハー」は古代ローマに題材をとった大スペクタル映画。19世紀の作家ルー・ウォーレスの小説の映画化です。  エルサレムの富豪の息子ベン・ハー(チャールトン・ヘストン)は、帰郷した旧友の幼友達メッサラ[スティーヴン・ボイド](ローマ帝国軍の駐留軍司令官)と再会。しかし、傲慢不遜になっていたメッサラはベン・ハーを煙たがっていました。ベン・ハー一族が無実の罪に問われてもメッサラは素知らぬ顔です。ベン・ハーは反逆罪に問われ、奴隷として軍船(ガレー船)に送り込まれてしまいます。しかし、航海中に偶然にぶつかった海賊船との激戦の中で手柄をたてます(ローマ艦隊提督アリウスの命を救った)。ベン・ハーはその後ローマ屈指の剣闘士に成長し、提督の養子になります。生き別れた母と妹の仇を討つため、ベン・ハーは宿敵メッサラと大戦車競争に挑みます。このシーンが圧巻です。

 「アパートの鍵貸します」はジャック・レモンとシャーリー・マクレーンが好演でした。大手保険会社の平社員であるバクスター(ジャック・レモン)は上司たちの浮気用にアパートの自室を提供する羽目におちいります。見返りに昇格を喜んだのもつかの間、彼が想いをよせるエレベーター・ガールのフラン(シャーリー・マクレーン)が部長の浮気相手と知って落胆します。しかし、彼が自室に戻ると、離婚の気がない部長に失望したフランガ自殺を図って倒れていました。バクスターはフランと結婚して一緒に暮らそうとするのですが、妻に浮気が知れて追い出された部長がフランと寄りを戻そうとします。再び部屋を貸せという部長の要求をバクスターは拒否。管理職の地位を捨てて退職するのですが・・・。

 そのほか、「勝手にしやがれ」も「甘い生活」はアメリカ映画にない香りが楽しめますが、人によってはかなり不道徳と受け取られかねません。事実、映画公開時には、その内容をめぐってひと騒ぎがありました。

 読み物としては、下記の記事があります。
 ・映画の出演料が電話代に消えたドロンとロミー・シュナイダーの遠距離恋愛
 ・『甘い生活』を巡るフェリーニのシナリオ騒動/ほか
  ・名画の舞台 『太陽がいっぱい』ナポリ湾
 ・銀幕の主人公たち アラン・ドロン
 ・社会ニュース この年の日本 1960年[昭和35年]1~6月
 ・昭和35年の日本映画 青春残酷物語
 ・名画を観る、読む、聴く<DVD/ビデオ・原作・音楽>

ロマンティックな偉大なカナダのコンポーザー Andre Gagnion

2010-03-13 00:20:13 | 音楽/CDの紹介
Andre Gagnion "Le temps du zephyr"
(そよ風の頃~アンドレ・ギャニオンのすべて)    

                そよ風の頃~アンドレ・ギャニオンのすべて

  カナダの作曲家アンドレ・ギャニオンの名前は数年前に知りました。朝日新聞の連載小説を担当した乙川優三郎さんがその連載を始めるにあたっての記事のなかで、アンドレ・ギャニオンのCDを一日中聴いているようなことを語っていたのを目にしました。

 何度、聴いてもあきることなく、心にしみとおってきます。このCDに収められているのは2002年の秋に来日するに際しての記念のようです。

 テレビドラマに「Age,35 恋しくて」(フジテレビ系)という番組があったようで、その主題歌に使われた曲(めぐり逢い)や挿入曲(愛につつまれて)が入っています。

 そのほか、バンドネオンが使われている曲(踊りにつかれて)、オーボエが加わっている曲(星の眠り)などもあります。

<曲目リスト>
1. めぐり逢い
2. 踊りつかれて 
3. 静かな出逢い
4. セピア色の写
5. 風に誘われて
6. 溢れる愛のなかでも
7. 静かな生活
8. 星の眠り
9. 潮騒
1
0. 小さな願い
11. 風の道
12. 小さな春
13. 愛につつまれて
14. 初秋 
15. 北国の夕暮れ

 VICP-61887


大学を取り巻く状況の激変のなかで、どうすればよいのかを提言

2010-03-12 11:30:13 | 読書/大学/教育
海老原嗣生『学歴の耐えられない軽さ』朝日新聞社出版、2009年
                       
                              

 「1980年代後半から今に至る20年あまりの間に、雇用・労働問題は、ここまで行くか、というほどの誤解と曲解の連続により、誤った方向へと進んできた」(p.172)という理解のもとに、学歴偏重と誤解にもとづく就職活動を批判的に論じ、かつ前向きの提言を行った本です。

 背景にあるのは、大学生の増加(とくに女子学生)、生産年齢人口の増加から減少への逆転。さらに高卒就職者の大幅な減少、自営業の急減です。
 結果として出現したのが、男子大卒の無業者の増加、彼らの受け皿になる職域の狭隘化です。

 こうした状況のなかで大学は一体何をしてきたのでしょうか? そのひとつは欠陥の多い試験制度(推薦、一芸、AO、帰国子女、留学生)の浸透です。

 それではこのように歪んでしまった大学教育と就職への対応の現状に手をこまねいているだけでなく、打開していくにはどうしたらよいのでしょうか?

 著者は応えています。それは、即戦力社会人を育てるカリキュラムを用意して学生レベルを向上させること、中堅・中小企業群への新卒就職の道づくり、「組織風土」を基本にした会社選び、すなわち「就職より就社」運動である、と。

 多くのエピソードを盛り込み(偏差値のトリック、高校の未履修科目問題、偏差値競争と受験科目の減少、人気企業に重きをおくことの無意味さ、インターンシップの虚飾、「総合職」という蜜の味など)、常識化したウソ、誤りを完膚なきまでにたたき、積極的な意識改革を提言しています。