【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

「稀書自慢 西洋経済古書収集-あわせてインターネットによる洋古書収集のすすめ-」のURL

2014-04-29 22:30:59 | その他

  興味深いサイトを見つけました。このサイトは題して「稀書自慢 西洋経済古書収集-あわせてインターネットによる洋古書収集のすすめ-」

 ↓  これです
  http://www.eonet.ne.jp/~bookman/index.htm

 ここにはいくつかの棚があります。
■ 古典派以前の棚
■ 19世紀本の棚
■  限界主義の棚
■  稀覯書棚
■ 書簡集
■ サイン集
 ・経済学者伝記
 ・所蔵初版リスト

 ざっと見ると個人の蒐集としては、すごいものです。ベンサム『高利の擁護』、ペティ『政治算術』、ケネー『経済表』、スミス『道徳感情論』『国富論』などは一例で、他にバベッジ、フラートン、エッジワース、カウツキー、マルクス、ミル、ケトレー、シーニア、ヴィクセル、パレート、ワルラス・・・・実際に見ていただくほうがよいです。写真、解説、それに入手の経緯なども書き込まれています。

 私自身は蔵書や稀覯本収集の趣味はありませんが、こういうものを目の当たりに見ると、賞賛したくなります。どこのどなたかはわかりませんが、いろいろ話をお聞きしたいものです。


「鳳凰祭四月大歌舞伎(歌舞伎座新開場一周年記念)」(歌舞伎座)

2014-04-28 23:56:58 | 古典芸能

    
 「鳳凰祭四月大歌舞伎」(歌舞伎座)を観てきました。歌舞伎座新開場一周年記念の公演で、千秋楽でした。チケットは結構高価なのに、いつも満席に近いのは驚きです。今回は、15列の21番で、ちょうど真ん中、舞台全体が均等に見渡せました。


「壽春鳳凰祭(いわうはるこびきのにぎわい)」(時蔵、扇雀、橋之助、錦之介、梅枝、新悟、萬太郎、隼人、進之介、我當)
  今年は第五期歌舞伎座の開場一周年。松竹が歌舞伎座を経営して100年また歌舞伎の発展に尽力した先人の功績を顕彰する「先人の碑」建立1年にもあたっています。「鳳凰祭」という座紋の趣旨に想いを込めて作られた舞踊がこの「壽春鳳凰祭」です。舞台は「九重」と呼ばれる宮中の庭園という設定です。長唄をバックに帝に仕える女御たちの登場始まり、天下泰平とさらなる歌舞伎の発展を願って帝と大臣、そして華やかな女御のそろっての舞で終わる、優雅で華やかな平安朝の雰囲気があふれた舞台です。

「鎌倉三代記-絹川村閑居の場-」(幸四郎、魁春、歌江、歌女之丞、桂三、梅玉)
 歌舞伎らしい趣向がもりこまれた重厚な一幕。徳川家康と豊臣秀頼の間に起こった大阪冬の陣と夏の陣に取材した「近江源氏先陣館」と「太平頭の飾」が明和7年に初演されましたが、その後、幕府によって上演を禁止されました。一部を改めて作られたのがこの「鎌倉三代記」で原作の7段目にあたる「絹川村閑居の場」が繰り返し上演されています(天明元年)。登場人物にはそれぞれモデルがあります。佐々木信綱は真田幸村、三浦之助村は木村重成、時姫は豊臣秀頼の正室であった千姫、北条時政は徳川家康です。重厚な義太夫狂言の名作です。

「壽靭猿-鳴滝八幡宮の場-」(三津五郎、巳之助、又五郎、)
  鳴滝八幡宮にやってきた女大名・三芳野と奴橘平が、靭(うつぼ・弓を入れる道具)にするための猿の皮を探しているところへ、一匹の小猿と猿曳があらわれます。三芳野は猿を売ってくれ、猿曳に迫りますが、猿曳はことわります。そこで三芳野は、小猿を弓で射ようとします。猿曳は自ら小猿を打ち殺そうとしますが、どうしてもできません。小猿は健気にも習い覚えた芸をみせます。三芳野はそれを観て小猿を見逃します。華やかで愁嘆を織り込んだ舞台です。小猿の子役がかわいいです。
  
「曾根崎心中」(藤十郎、翫雀、橋之助、東蔵、左團次)
 近松門左衛門の名作をもとに宇野信夫が脚色。大阪平野屋の手代徳兵衛は、天満屋のお抱えの遊女お初と将来を約束しあう仲です。徳兵衛は伯父久右衛門に返さなければならない持参金を、油屋九平次に騙しとられます。お初が徳兵衛に身の潔白を証明するために死ぬ覚悟を問うと、徳兵衛は死の決意を明かします。心中を決意し、白無垢に着替えたお初は徳兵衛の手をとり曾根崎の森に向かいます。25歳の徳兵衛と19歳のお初の儚い運命がつむぎだす名作です。、


「大利(だいとし)」(蓮田市東6-2-3 佐々木ビル101 tel:048-797-6917)

2014-04-25 22:59:13 | グルメ

        
             お刺身盛り合わせ         「大とし」のロゴ

 このお店は、四季を大事にして、その時々の旬の食材を使った料理に気をくばっています。


 いまは、たけのこ、です。「四季彩」のコースを注文しました。前菜から始まって、お造り、揚げ物、焼き物、季節の御飯、香の物、デザートと続きます。みな、いまの時期の、食材です。単品でも甘鯛(ぐじ)塩焼、アナゴの白焼き、有機野菜のおひたし、などがメニューにあり、これらは次回です。

 カウンターが8席、テーブルが10席ほどのこじんまりしたつくりです。家庭的な雰囲気。

 このお店のマスターのご両親は、同じ場所で以前はお魚屋さんでした。新鮮な魚が豊富で、お店の前で焼いて売ってくれたりもして、にぎやかでした。もともとがそのようにお魚屋さんだったこともあって、刺身が自慢のようで、その自信をくつがえさない美味しさです。

 加齢のゆえでしょうか、いつの頃からか店をたたんだので、どうしたのだろうと思っていたら、この割烹料理屋になって、息子さんが継いだようです。

 この日はサラリーマン風のふたり、カップルの二人、そしてなじみのお客さんでしょうか、ひとりできていた男性が、夕食とお酒を楽しんでいました。

 わたしはコップサイズのビールと、お酒を2合、神亀と田酒を一合づつ、たしなみました。神亀は地元蓮田市にある酒蔵で、わたしの家から2-300メートルほどの場所にあります。独特の個性のあるお酒で、人気があります。


ジョン・フォード監督「長い灰色の線(The Long Gray Line)」(アメリカ、1954年)

2014-04-24 23:03:43 | 映画

                       
 BSで「長い灰色の線」(監督ジョン・フォード 脚色エドワード・ホープ)という映画を観ました。1954年の作品です。キャストにタイロン・パワー、モーリン・オハラが出演しています。ストーリは、およそ以下のようです。

 主人公はマーティ ・マーというウェスト・ポイント陸軍士官学校の体育助教。そのマーティ ・マー軍曹(タイロン・パワー)は50年間勤めてきたのですが、辞職命令が出ます。彼はその命令に納得がいかず、その撤回を旧友の大統領のところへ頼みに行き、昔の思い出話をします。それが映画の内容になっています。

 1903年、アイルランドからやって来たマーティ青年は、ウェスト・ポイント陸軍士官学校の給仕に雇われました。当初は、失敗ばかり。やがて、兵に志願して士官学校の勤務隊に配属され、体育主任ハーマン・ケーラー大尉に見出され、体育助教となります。縁あってケーラー家の女中のアイルランド娘メアリー・オドンネル(モーリン・オハラ)と結婚します。

 マーティはいずれアイルランドへ帰るつもりでした。しかし、妻メアリーはマーティには内緒で、彼の父と弟をアイルランドから呼び寄せます。

 ふたりの間に、男子が生れます。それもつかの間、子どもは死んでしまいます。自暴自棄になったマーティは酒に溺れます。それでも、候補生たちの温かいサポートで、マーティは自分をとり戻します。

 ウェスト・ポイントにレッド・サンドストロムという候補生がいました。マーティはレッドが成績不良で苦しんでいたのを、やさしく慰め、学校の先生であるキティ・カーターを相談相手に抜擢します。第一次大戦が始まります。レッドは優秀な成績で卒業し、キティと結婚し、出征。大戦は勝利しましたが、レッドは戦死し、キティは幼児を抱えて未亡人となってしまいました。レッド・ジュニアはマーティ夫妻の下で成長し、1938年、士官学校に入学しました。しかし、卒業間際、間違いを起こし、退学。折からの第二次大戦に一兵卒として参加しました。

 メアリーは安らかに生涯を終え、寂寥のさなかのマーティの周囲には若い候補生たちの勇姿がありました。

 マーティの話が終わると、大統領はドットスン中将に善処を依頼しました。中将とマーティが士官学校へ帰ると、マーティを待っていたのは彼へのはなむけの士官学校生による大分列式でした。


竹村公太郎『日本史の謎は「地形」で解ける』PHP研究所、2014年

2014-04-14 22:48:00 | 歴史

              
  著者の経歴は、日本史の執筆者としては、いっぷう変わっている。土木工学関係の専門家で、建設省仕事をし、とくにダム・河川関係に詳しいようである。地形、気象にも造詣が深い、とある。歴史をその視点から分析、解明しようというわけである。いろいろな問いを掲げて、インフラの視点で論じている。


 いわく「なぜ日本は欧米諸国の植民地にならなかったか」「日本人の平均寿命をV字回復させたbのは誰か」「なぜ家康は『利根川』を東に曲げたか」「なぜ江戸は世界最大の都市になれたか」「貧しい横浜村がなぜ、近代日本の表玄関になれたか」「『弥生時代』のない北海道でいかにして稲作が可能になったか」「上野の西郷隆盛はなぜ『あの場所』に建てられたか」「信長が天下統一目前までいけた本当の理由とはなにか」「『小型化』が日本人の得意技になったのはなぜか」「日本の将棋はなぜ『持駒』を使えるようになったか」「なぜ日本の国旗は『太陽』の図柄になったか」「なぜ日本人は『もったいない』と思うか」「日本文明は生き残れるか」。番外編として「ピラミッドはなぜ建設されたか」がある。

 これらの問いに対する回答、またその回答が正当化どうかは、この本を読んで考えてもらうしかないが、随所に面白い指摘がある。
 いくつか例をひくと、日本人の平均寿命は世界でも有数であることはしられているが、平均寿命とはゼロ歳児の平均余命であるから、乳児死亡率の低下のもつ意味が大きい。日本の乳児死亡率は大正10年以降、激減した。なぜか? 水道の塩素殺気が、東京市で、この年から始まったのである。そして、その塩素殺菌はどのような契機で始まったのか。意外な事実が明らかにされている。他にも、鷹狩が好きだった家康は、それを遊興で行っていたのではなく、地形を観察することの一環でそれを行っていた。関東防衛にその知見を活用していたのである。といったように、従来の歴史の本でお目にかからなかった視点に、目からウロコがおちる。

 このような調子で、謎が解明されているので、最後まで興味がなえることなく、読み通すことができた。


西谷裕子『勘違い言葉の辞典』東京堂出版、2006年

2014-04-13 21:43:21 | 言語/日本語

                      

 最初から読み進めていく本ではなく、座右において間違った言葉の使い方をしないように、時々たちかえって読む本ではなかろうか。

 どういうものが出ているかというと、例えば「綺羅星の如く」。これは「綺羅、星の如く」と読まなければならない。「綺羅星」という星はない。「綺羅」とは、綾織の絹と薄絹の意で、美しい衣服のこと。転じて衣服の美しい華やかさを言う。「綺羅」がきらきら輝くの「きら」と勘違いされることがよくあるようだ。

 もうひとつ「夭逝」は「ようせつ」ではなく「ようせい」。「夭折」という別の言葉と同じく、若くして死ぬことだが、後者が「ようせつ」で、「夭逝」も同じ読み方にしてしまう人が多いらしい。

 このような勘違いの例が、ぎっしり詰め込まれている。この本のいいところは、勘違いを指摘すると同時に、どうしてそういう勘違いが生まれるのか、その理由が明記されていることである。

 「一章:意味・ニュアンスの取り違えとことばの誤用」「二章:慣用表現の言い間違い」「三章:故事・ことわざの勘違い」「四章:語法の間違い・勘違い」「五章:避けたい重ね言葉」「六章:漢字の読み間違い」「七章:漢字の書き間違い」の七章構成。


古河(茨城県)散策②[篆刻美術館、古河文学館、古賀歴史博物館、鷹見泉石記念館]

2014-04-09 21:55:46 | 旅行/温泉

 古河総合公園での花見のあとは、篆刻(てんこく)美術館、古河文学館、古賀歴史博物館、鷹見泉石記念館、旧永井路子宅、と精力的に(?)回りました。

 篆刻美術館は、大正9年に建造された石蔵改修し、篆刻の美術館として再生、保存されているところです。そもそも篆刻とは、印材に彫られた印章のようなものですが、印章から分岐して独自のものになっているようです。姓名雅号の他、「論語」を初め、その他の漢詩などから自己の心情を表す詩・語句を選んで、篆書という書体の文字を刻していくようです。朱色の印泥をつけ、紙に押したものを鑑賞します。展示室には、古河出身の篆刻家、生井子華の遺作が展示されていました。また丁度、古河市内の中学生の作品展が開催されていました。

 古河文学館、古賀歴史博物館、鷹見泉石記念館は、かたまってあります。古河文学館には、古河ゆかりの作家の生原稿、書籍、手紙などが展示されていました。名前を知らない人が多かったですが、なんといっても古河は作家永井路子さんを生んでいます。画家の武井武雄さんもこの地出身とわかりました。

  鷹見泉石記念館は武家屋敷の跡です。古河藩家老で洋学に関心の高かった鷹見泉石が、最晩年を送った住居です。建物は寛永10年(1633)古賀城主土井利勝が、古河城の三階櫓を造ったときの残りの財を使って建てたと伝えられ、もとの建坪は現在の2倍以上の100坪あったと伝えられています。土井家の家中では、奥氏、潮田氏、鷹見氏など、もと家老が入った屋敷のようです。いくつもの座敷のある長屋門もあり、元治元年(1864)には、天狗党の乱に巻き込まれ、幕府に降った水戸藩士を収容した屋敷でもありました。お雛様、人形などが飾られていたので、写真に納めてきました。

        

                <篆刻美術館>                                     <鷹見泉石記念館>


古河(茨城県)散策①[古河総合公園]

2014-04-08 21:48:11 | 旅行/温泉

             

 休日を利用して、古河にお花見目的で出かけました。古河は日光街道沿いにある旧い街です(現在人口14万2千人)。広大な総合公園(25万㎡)が、JR古河駅から3キロほどの地点にあり、ここに時期によっていろいろな花が咲き誇ります。春先は、まず梅、桃、そして桜です。今の時期は桃が最後の力をふりしぼって咲き、それに桜が満開です。

 今回は自宅(蓮田市)から車ででかけたのですが、およそ1時間半ほどでつきました。途中の渋滞がなければ1時間少々で着くはずでした。総合公園に入ってすぐのところにある休憩所で昼食。前日の夕飯でのこったものを持参しました。休憩所にはほかにも、昼食をとる方がちらほら。他に古代ハスの池があります。

 おなかを整えてから、園内を散策。梅がまだきれいに咲いていました。ピンク、赤、白、さまざま表情です。梅林には梅の木が2000本とか。かつての藩主土井利勝が薪に利用するのに、成長の早い梅を植林したのが最初とか。

 桜はどちらかというと、日光街道からこの公園に入ってくる道路の両面で並木になっていたのが見事でした。園内には、きれいな水が流れ、コイなどが泳いでいました。

 桃林に囲まれた一角には古河公方ゆかりの寺院跡(徳源院跡)が。寺名は第5代足利義氏の娘である氏(氏女)の法号によるそうです。大小2つの石塔があり、大きな方が氏姫の子、足利義親のものです。石囲いがある小さな方は足利義氏のものです。

 天候に恵まれました。18度前後だっだでしょうか。快晴で、風がなく、格好の散歩日和。誘い出されたかのように、春の日和と桜を楽しむ人々の姿がめだちました。

      


森崎東監督「ペコロスの母に会いに行く」(2013年、113分)於:埼玉会館(浦和市)小ホール

2014-04-02 21:04:40 | 映画

             

 「ペコロスの母に会いに行く」を観ました。認知症の母みつえとバツイチ・ハゲ親父ゆういちが繰り広げる切ない介護生活がテーマですが、ユーモアがあるストーリーで、人間的な温かさを感じさせる作品になっています。


 原作は長崎在住の漫画家である岡野雄一さんの同名のエッセイ漫画です。ペコロスというのは、小さな玉ねぎのことで、岡野さんの禿頭の象徴です。

 ストーリーは、ゆういちの母みつえに、夫のさとるの死後あたりから、認知症の症状があらわれ、日常生活に支障があらわれてきます。悪徳業者にだまされたり、駐車場であやうく轢かれそうになったり、箪笥の引き出しから大量の汚れた下着が出てきたり。ゆういちは仕方なくケア・マエージャーと相談のうえ、みつえを介護施設に入所させることにします。孫のまさきもつそいで協力します。
 
 みつえは10人兄弟(妹)の長女として育ちました。畑仕事に精をだし、弟や妹の服を繕うことが日課でした。親しい女友達ちえことの交遊がわずかの楽しみでしたが、その彼女とも別れ別れになります。結婚後も幸せとはいえず、夫のさとるは給料日になると、それを全部、酒に使ってしまうような人で、苦労の連続でした。

 現実のゆういちの介護生活と、みつえの過去の生活とが往還し、映画は人間味あふれる内容になっています。上記ポスターの絵で、みつえ役の赤木さんが、ペコロスことゆういちの岩松さんのハゲ頭をなでているところは、みつえが、ゆういちに会っても自分の息子と認識できなくなっていたので、ハゲあたまをなでさせて、わからせよう(実際にわかるのですが)としているシーンです。

 ペコロスことゆういち役に岩松了さん、みつえ役に赤木春恵さん、若いころのみつえ役に原田貴和子さん、夫のさとる役に加瀬亮さん、まさき役に大和田健介さん、です。赤木さんは89歳で、初めての主役ということで話題になっています。他に、竹中直人さん、宇崎竜童さん、原田知世さんなど、個性的な名優が登場するのも楽しめるところです。作家の志茂田景樹さんも出ていてびっくりしました。