【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

森まゆみ『深夜怪読』筑摩書房、1998年

2018-03-09 21:09:35 | 読書/大学/教育
森まゆみ『深夜怪読』筑摩書房、1998年。
 
 「3つのときから読書病に罹ってい」て(p.268)、「家事が片づき、子どもたちが寝しずまる。さあこれからが私の時間、とワクワクしながら本を読んできた」(p.269)大変な読書家です。

 自立した女性の視点から、そして「結婚⇒3人の子ども⇒離婚」の人生を歩んできたことに裏打ちされた人間の深い洞察をもって、選ばれたお薦め書がずらりと紹介されています。

 そこからは、東京(江戸)の土地の臭いも漂ってきます。愛情についての自分のスタンス、男女の恋愛の機微にも鋭い示唆があります。

 「私はいかに苦しみ傷つこうとも恋に対して果敢であるが、その後の日常の中で恋を愛に作り替えていくのはじつに下手である」(p.21)、「男と女が共に住むのは何も性愛のためだけではない。要するに位置さえ決めればいいのだ。安定感や人恋しさや、才能への尊敬や、姉弟的感情や、いろいろあっていいんだろう」(p.53)。

 『評伝長谷川時雨』(筑摩書房)、『トリエステの坂道』(みすず書房)、『明治百話』(岩波書店)、『ガリバン文化史を歩く』(新宿書房)、『落語の言語学』(平凡社)、『ロミーシュナイダー事件』(集英社)、『月の塵』(講談社)、『石上露子集』(中央公論社)、『人間・野上弥生子』(思想の科学社)などは、読んでみたい気持ちにかられました。

 幸田文さん(文豪:幸田露伴の娘で作家)に傾倒しているようで、わたしも高校生時代からのファンなので親しく思いました。

岡崎武志『蔵書の苦しみ』光文社新書、2013年

2013-09-17 22:08:38 | 読書/大学/教育

                       
               
  世の中にはもの凄い蔵書家がいるものだ。蔵書の数が数万冊という人も少なくない。古くさかのぼれば、数十万冊という大家もいるようだ。


  著者もそのひとりだったが、年齢を重ねるうちに溜まった本を、古書販売し、蔵書をスリム化する気持ちになったようで、国立での「一人古本市」の経験をこの本の最終章「蔵書処分の最終手段」で書いている。数千冊売れたというが、それでも全蔵書の5-7%くらいと言う。本書では自らの体験をベースに、蔵書にまつわる悲喜劇をエッセイ風に考察している。蔵書が家を崩壊させる、古本買取のドラマ、蔵書することは読書にとっていいことなのか、どうしたら蔵書とつきあっていけるのか、適切な蔵書量というのはあるのか(あるらしく500冊と書いてある)、蔵書(なかばコレクター)するのは男性に多いようだが、その理由は、などいろいろな側面からの考察が面白い。

  戦時中に空襲で、蔵書をまるごと喪失した話、神戸の大震災で蔵書を失った話もでてくる。まことに、話題豊富な本である。「整理術」として役立つ部分もあるが、単なる「ぼやき」「自己満足」「自慢話」の部分も少なくない。

  わたし自身、ここ数年で本をかなり処分した。この本に出てくる蔵書の大家にくらべればわたしの蔵書数など知れたものだが、しかし放っておけば1万冊くらいにはなりそうで、置き場もないし、もう絶対に読まない本も多いので、現在進行形でドンドン処分している。

  この本には、各章の末尾に「教訓」」が書かれ、蔵書に悲鳴をあげている人、蔵書によって他人(家人)に迷惑をかけている人には参考になる。

  古書の世界のことを知ることができたのも、この本のご利益だった。たとえが作家・小沼丹の小説はなかなか入手できないようで、高値がついているようである。また、古本は安値で買いたたかれ場合が多いが、良心的なところもあり、紹介されている。頭に「ぶ」のつく、新古書店はダメだそうである。


ブログコンセプトの変化+読書マラソン

2013-09-12 23:37:04 | 読書/大学/教育

  7月上旬から、本ブログの投稿内容が、説明抜きで、だいぶ変わりました。統計学関係で、とくにそれを学説史的アプローチしたもの、また物価統計関係の記事を突然書き始めました。

 そうした理由はまず、書くことがだんだんなくなってきたので、わたしが一番書きやすいもので、さらに記録に残しておくと都合がよいものをUPし始めたというこです。また、本ブログを見ている人にわりとそういうことに興味をもっている人がいる(らしい)ので、思い立ったというわけです。この間、以上のように、ブログコンセプトに、若干の変化があったので、報告します。

 しばらく報告していなかった読書マラソンはいまのところ、80番台をいったりきたりしています。

<参考>
・2012年5月4日(1567位)
・2012年6月16日(933位)
・2012年8月19日(498位)
・2012年9月21日(390位)
・2012年11月22日(232位)
・2013年3月3日(197位) 
・2013年4月3日(125位)
・2013年9月10日(84位)    


木村誠『危ない私立大学 残る私立大学』朝日新書,2012年

2013-06-24 01:10:35 | 読書/大学/教育

            

  減少する18歳人口、私立大学は生き残りをかけて、さまざまな努力をしている。それでも、著者によれば、10年後には100校を超える大学が消えると予想している。2007年の調査でも、定員充足率、貴族収支差額比率でマイナスの大学が127校、私立大学全体の23%に達しているという。


   本書は、著者独自のサバイバル度と偏差値で、私立大学の現状にメスを入れようというもの。サバイバル度ランキングはその大学の体力測定、偏差値ランキングはその大学の人気度で、受験生の人気投票である。後者は必ずしもうわついたものではなく、その大学の卒業生の就職状況や国家試験合格率などを検討したうえでの選択という中身をもった尺度と念がおされている。

   サバイバル度では、学生数、教員一人当たり学生数(学生数/教員数)、学生一人当たり蔵書数(蔵書数/学生数)、学生一人当たりの校舎面積(校舎面積/学生数)、就職率、志願者数、志願者増減率(5年間)の諸指標で測定され、これに「教育費/帰属収入」、帰属収入差額比率が参考資料とされている。サバイバル度ランキングでは100番までが並んでいる(pp.38-43)。医学部をもっている大学、理工系学部のある大学が上位に位置している。危ない大学も16校、名称は伏せてあるが、並んでいる(p.51)。2011年5月現在で、定員充足率80%をわっている大学である。

   難易度ランキングでは、「法・経済・経営・商系統」「人文・外国語系統」「社会・国際系統」「教育・体育系統」「学際・複合系統」「理・工・理工系統」「農・水産系統」「医療系統」に分けて、この10年間の偏差値の変動が追跡されている。個別大学の多彩な試みも興味深い(慶応大学、日本大学、明治大学、中央大学、早稲田大学、法政大学、同志社大学、立命館大学、関西大学、近畿大学、関西外国語大学、上智大学、青山学院大学、立教大学、東北学院大学、南山大学、関西学院大学、西南学院大学)。

  さらに地方で必死の努力をしている比較的小規模の大学が紹介されてる(北海道医療大学、千歳科学技術大学、東北学術工科大学など)。上記の100校ほどの大学が10年間に消滅するとの予測の根拠は、18歳人口の減少、経済状況の低迷のほかに、「公私協力方式」の行き詰まり、すなわち自治体が建設用地を提供し、運営は私立大学学校法人が行うという方式が自治体財政の悪化、また法人自体が自治支援にあぐらをかいていたこと(大学の設立理念の軽視)によって、運営が立ち行かなくなってきていることがあげられている。

  巻末に、高校の進路指導の教員に対するアンケートで、「生徒に進めたい私立大学」が一覧されている。


国立国会図書館(千代田区永田町1-10-1)

2013-05-29 00:01:35 | 読書/大学/教育

         

 先日、国立国会図書館に行ってきました。地下鉄で永田町で降りて、徒歩10分ほどです。このあたり、国会図書館があり、いわば政治の中枢部です。東京のど真ん中とは思えないほど、のんびりした感じで、空気もよく、植物も多いです。しかし、青磁の中枢部らしく、機動隊員が要所にたって見張っています。


 国立国会図書館に入るには、利用者カードを作らなければなりません。無料ですが、そのことを知らなかったの、直接、本館に向かうと、カードの作成を職員に要請されました。隣の新館の1Fでその手続きをします。わりと簡単ですが、本人と確認できるものが必要です。たまたま運転免許証をもっていたので、ことなきを得ましたが、そのようなものがないと仮の登録しか発行してくれません。これは図書館に入るためだけにやくだつだけで、本は借り出せません。わたしは免許証があったので、登録カードを作ってもらえました、手続きに約10分ほどです。この日は、あまり混んでいなかったのでよかったです。老若男女、いろいろな人がきています。

 駅の改札のように、カードでタッチして本館に入ります。本はほとんど見ることはできません。わずかに事典、統計書のようなものがある程度。本は基本的に、書庫にあり、必要な本をカウンターで請求して借り出します。さきほどのカードで、検索できるテーブルは広めにとってあります。機器の使い方がわからない人のために、アルバイトなのでしょうか、職員が歩き回って、相談に答えてくれるようになっています。

 本を借りて、外にもとだすことはできない。関内閲覧に限られていて、それも3冊まです。普通の本を読むには、便利とはいえません。調べ物、古い図書などを利用したい場合には、必ず蔵書されているので、それをコピーできます。インターネットをとおして、一部、電子化されたものを読むことができます。

  国会図書館が出来たのは、1948年6月5日です。旧赤坂離宮に構えました。現在は、東京本館、関西館、国際子ども図書館の3館体制からなります。
 モットーは「心理がわれらを自由にする」。「知識の泉」となることが目的。本を集めることを専門としています。そのために納本制度があります。
 本、雑誌、楽譜、地図、映画フィルム、CDなど、発行者は納本の義務が法的に定められています。納本点数は、昨年度だと約100万点だそうです。


読書マラソンの現在(5月23日)

2013-05-23 22:58:00 | 読書/大学/教育

 読書マラソン(Amazon)でのわたしの全国順位が、100位以内に入ってきました。4月3日に125位で、一進一退が続き、5月8日に110位、19日に104位、そして21日にちょうど100位、今日現在96位です。(約130万人前後が走っていると推定しています。)

 参考までに、これまでの、経過をまとめます。

・2012年5月4日(1567位)
・2012年6月16日(933位)
・2012年8月19日(498位)
・2012年9月21日(390位)
・2012年11月22日(232位)
・2013年3月3日(197位) 
・2013年4月3日(125位)
・2013年5月21日(100位)
・2013年5月23日(96位)    


辻太一朗『なぜ日本の大学生は、世界でいちばん勉強しないのか?』東洋経済新報社、2013年

2013-04-29 23:50:45 | 読書/大学/教育

                 

  日本の大学生が勉強しないことは、いくつかの統計から明らかである(統計に頼らなくとも、そうだ)。何が原因なのだろうか。


  著者はその原因を、学生、教員、企業の採用担当者の3スクミによる負のスパイラルにもとめている。詳しくは本書にあたってもらうしかないが、まず学生は単位さえとれればよい、そのための手立てに汲々としている、教員はまじめに授業を行えばそれだえけ時間も労力もかかるが、学生からはウザイとみなされ、また研究時間が減る、企業の採用担当者は大学での学生の成績を信用していない、いきおい就活での学生の面接ではバイト、サークルくらいしか話題にならない、といった調子なのだ。

  誰が悪いのでもない。そうした悪循環が制度化され、そこから逃れようがなくなっている、というわけである。このままでは、日本の学生は欧米の、あるいはアジアの学生に能力的に差をつけられ、じり貧が必至である。

  著者は、この負のスパイラルを脱却するには、学生に「考える力」をつけるしかなく、そのような授業展開を行うしかない、と考える。そして、実際に調査を行って、大学の授業の実態を浮き彫りにした。この調査は2011年、首都圏の有名9大学、28学部に在籍している4年生2000人に対する大規模調査だった。その結果、いくつかの大学のいくつかの学部の授業のなかには、そういう授業があるようだが、おしなべて学生に「考える力」をつける授業を行っている授業は少なく、また学生の「考える力」をしっかり評価している授業も数えるほどしかないことがわかった、という。

  もっとも、学生に「考える力」をつける授業を行っている授業、また学生の「考える力」をしっかり評価している授業はないわけはなく、著者はそのいくつかの代表例をあげて、範とすべきと提唱している。

  いまこそ必要なのは、学生にとって授業と課外活動の双方にメリットがあり、教員にとって教育と研究にとってメリットがあり、採用担当者にとって面接に加えて成績を参考にすることにメリットがある、「正のスパイラル」を大学という教育と研究の場に根づかせることだと結論づけている。


読書マラソンの現在(4月3日)

2013-04-04 00:37:48 | 読書/大学/教育

 読書マラソン(Amazon)でのわたしの全国順位が、125位まできました。ちょうど一か月前、3月3日に197位でしたので一気に72番ほど順位をあげました。もうすぐ目標の100番以内に入れます。(約100万人前後が走っていると推定しています。)

 この読書マラソンとわたしが言っているのは、Amazon が通信販売しているすべての商品へのコメントによるものです。Amazonは大量のアイテムを販売しています。ですから、ある人はCDに、またある人はトマトジュースに、さらにある人は化粧品にコメントしているわけで、厳密に言えば純粋の「読書マラソン」ではありません。しかし、そうは言っても書籍に関するものが圧倒的に多いのも事実です。
 このことは、実はわたしはある時点で気付いたのですが、いまは自分で「読書マラソン」と勝手に読んでいます。

 参考までに、これまでの、経過をまとめます。

・2012年5月4日(1567位)
・2012年6月16日(933位)
・2012年8月19日(498位)
・2012年9月21日(390位)
・2012年11月22日(232位)
・2013年3月3日(197位) 
・2013年4月3日(125位)    


読書マラソンの現在(3月3日)

2013-03-03 18:54:43 | 読書/大学/教育

 読書マラソン(Amazon)でのわたしの全国順位が、今日初めて100番台にのりました。197位です。昨年11月22日に232位でしたが、35番ほど順位をあげるのに2か月半もかかりました。この間、210位から220位あたりで一進一退でした。全国で30万人ほど(全くの推定ですが、およそこれぐらいではないでしょうか)走っているのですが、上位にいけばいくほど、一番順位をあげるのにも一苦労です。

 参考までにこれまでの、経過をまとめます。

・2012年5月4日(1567位)
・2012年6月16日(933位)
・2012年8月19日(498位)
・2012年9月21日(390位)
・2012年11月22日(232位)
・2013年3月3日(197位) 
         


喜多村和之『大学は生まれ変われるか-国際化する大学評価のなかで』中公新書、2002年

2013-03-01 00:09:52 | 読書/大学/教育

          

  1990年に出版された、著者による『大学淘汰の時代』の続編。しかし、わたしは、この『大学淘汰の時代』は未読。


  世紀の交替の時期に前後して、大学を取り巻く環境は激変した。大学の自己点検・評価の努力義務、その実施の義務化、その公表の義務化、外部評価の義務化、第三者評価機関の創設と評価の実施、いわゆる「大学の質の評価」の時代に入ったのである。決定打が2001年のいわゆる「遠山プラン」で、これは国立大学の再編・統合を大幅な経費削減を行いながら、「国公私トップ30」の大学を「世界最高水準」に育成するという内容のものである。

  大学評価とは一体何なのか。その背景は何か。大学は今後どのように自らの道を開拓していくべきなのか。本書は「評価」という切り口から、現代の大学の存在意義とこれからの方向性を吟味することにある。大学といえども公の教育機関であり、そこには限られた資源が投入されている以上、そこでどのような研究と教育が行われているのか、それは本来、公表されてしかるべきである。、また、国内の学生サイドからみても、また国際化の時代、海外の留学生のサイドからみても、大学に関する細かな情報を得、自身の進路を決める材料としたいのは当然である。「評価」は必要な情報の源泉である。問題はこの「評価」が果たして客観的で、科学的なものなのか、それが独り歩きして民間業者の大学格付けランキングに恣意的に利用されたり、政府による大学教育の財政誘導などが行われたりすることはないのかなど、さまざまである。

  筆者は海外での、とりわけアメリカでの大学評価の実践も取り入れて、「大学評価」の功罪を明らかにしている。大学をとりまく環境は、今後とも厳しくなっていくことが予想される。18歳人口のさらなる現象、IT化にともなう対面授業の相対化、大学淘汰の時代のなかでのその法人的地位の変更(コンソーシアム、連合化、系列化、私立の擬似公立化、合併、譲渡、売却、倒産、解散・再編、閉校)が取りざたされている。多元化するこの時代は、危機の時代であるが、見方を変えれば新たな繁栄の可能性を模索できる時代でもある。大学の一元的評価だけはもはや無理であることは、共通認識としてある。
  必要なのは、大学自身による自立的評価、新しい時代に対応した自治の概念の確立であり、その根底にあるものとして鍛えなければならないのは現代における大学は何なのかという問いに応えるに足る大学論と、高等教育システム全体を緩やかに包む新しいグランドデザインであると、著者は結んでいる。
  「第1章:ランキングという妖怪」「第2章:評価をめぐる大学・市場・政府」「第3章:大学主導の評価方式-アメリカ型基準認定方式」「第4章:自己評価と第三者評価-信頼と挫折」「第5章:グローバル時代の日本の大学」「第6章:大学淘汰の時代から連携・統合の時代へ」「第7章:これからの大学像をもとめて」「終章:大学の再生へ」


2012年の読書(ベスト30)

2013-01-04 23:21:01 | 読書/大学/教育

 昨年は123冊の本を完読した。そのうちベスト30は以下のとおり。「え、この本も入るわけ?」というものもあるかも知れないが、それなりの背景があって選んだものもあるので(ここにはその理由をかきませんが)、ご寛容のほど。

<AAA+>
太田堯他編『家永三郎の残したもの 引き継ぐもの』日本評論社,2003年
ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン(上)』岩波書店,2010年
松本清張『私論 青木繁と坂本繁二郎』新潮社,1982年
スーザン・ジョージ他『世界銀行は地球を救えるか』朝日新聞社,1996年 

<AAA>
笹沢 信『ひさし伝』新潮社,2012年
蓮池 薫『拉致と決断』新潮社,2012年
原田マハ『楽園のカンヴァス』新潮社,2012年
小松成美『勘三郎,荒ぶる』幻冬舎,2010年
乙川優三郎『麗しき果実』朝日新聞出版,2010年
津村節子『流星雨』岩波書店,1990年
中村桃子『女ことばと日本語』岩波書店,2012年

<AAA->
片野 優『フクシマは世界を変えたか』,河出書房新社,2012年
高島俊男『漢字と日本人』文藝春秋,1991年
トレシー・シュバリエ『貴婦人と一角獣』白水社,2012年
佐野眞一『てっぺん野郎-本人も知らなかった石原慎太郎-』講談社,1979年
笹原宏之『日本の漢字』岩波書店,2006年
中野剛志『TPP亡国論』集英社,2011年
村木厚子『あきらめない』日経BP社,2011年
宮尾登美子『伽羅の香』中央公論社,1984年
川本恵子『魅惑という名の衣裳(新装版)』キネマ旬報,2009年
山本周五郎『五瓣の椿』講談社,2004年
栗原哲也『神保町の窓から』影書房,2012
長辻象平『忠臣蔵釣客伝』講談社,2003年
奥村宏『東電解体-巨大株式会社の終焉-』東洋経済新報社,2011年
川北隆雄『日本国はいくら借金できるのか』文藝春秋,2012年
ロバート・ホワイティング『野茂英雄』PHP研究所  2011年
丸谷才一『星のあひびき』集英社,2012年
佐々木隆治『マルクスの物象化論』社会評論社,2011年
ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』筑摩書房,2008年    
湯山玲子『女ひとり寿司』幻冬舎,2009年


読書マラソンの現在

2012-11-22 00:43:53 | 読書/大学/教育

  読書マラソンで、わたしは今日現在232番の位置につけている。順位をあげるのはかなりしんどくなっている。一進一退である。
 200番台に入ったのが10月16日(291位)だから、200番台で一か月以上になった。ちなみに300番台になったのが9月21日(390位)、400番台になったのが8月19日(498位)、500番台になったのが8月5日(569位)である。

 8月下旬から9月上旬にかけて海外にでかけていたので、この間、一切の投稿ができなかった。8月27日の時点で454位だった順位は、帰国した9月7日には505位になっていた。何もしないでほうっておくと、順位はあやうくなる。もっともこの間でも、わたしの過去の投稿に「参考になった」と反応してくれた人がかなりいれば、順位はあがるはずであるが、そのような「奇跡?」は起こらなかった。


 500番以内に入ると、「ベスト500レヴュアー」というマークがつく。わたしが日々投稿しているAmazonへの記事には、このマーク(称号?、勲章?)入りである。

  本ブログでは、この「読書マラソン」関係の記事は6月16日のそれが最後になっている。この時点では933位であった。記事の末尾に次のように書いてあった、「次の目標は500位。そしてこれをクリアすれば100位をめざそう」と。前者は予定よりも早くクリアしたわけである。後者がまだまだ。見通しはたたない。

 繰り返しだが、次の目標は、なんとしてでも100番以内に入ること。息切れしながらも、目標があるから走れる。


福田和也『悪の読書術』講談社現代新書、2003年

2012-07-14 00:01:38 | 読書/大学/教育

福田和也『悪の読書術』講談社現代新書、2003年
            
            
 本書は社交的に(!)読書を考えようとうのが目的です。「いうなれば読書に関する既成概念の成り立ちを、もっと概念的にいえば読書にかかわるイデオロギーを分解し、その成り立ちを・・・示してみせた上で、書物といかなる姿勢で対するべきかを論じるもの」(p.131)だそうである。簡単に言えば、個々の読書がどう見えるのか、見られるのかを意識せよ、ということだそうだ。

 読書論としてはやや魅力に欠ける。ただ、押さえるところは押さえているので何とかものになっている。

 若い女性向けの本。例えば、女性の執筆者としては、犬養道子さん、須賀敦子さん、白州和子さん、石井桃子さん、塩野七生さんの流れを王道として捉えている。次いで、どういうわけか同性に嫉妬されない林真理子さん、天才的な感性をもつ江國香織さん(この作家は男性には分かりにくいと書かれていて、この部分には溜飲をさげました)、エンターテイメントの双璧でありながら大人のあるいは悪の匂いがなく安全本を量産している宮部みゆきさん、高村薫さんなどに対する、あるいはそういう本の読者の「社交的」ポジションが書かれている。

 時代小説、漫画、絵本の読者、文学賞、新書の評価、映画と原作との関係などについて、著者のユニークな視点はつまらないわけではない(あたらずともはずれてはいません)。しかし、「読書は読者の自由にまかせて好きなように」と考えるわたしにとって、「その本を読んでいること、その作家が好きだということにいつも配慮しながら読書せよ」という著者の姿勢にはやや無理があるように思った。


ピエール・バイヤール/大浦庸介訳『読んでいない本について堂々と語る方法』筑摩書房、2008年

2012-07-05 00:18:11 | 読書/大学/教育

           

  わたしの読書方法と真っ向から対立する考え方が示されている。ごく簡単に言うと、話題とする本、批評する本は、読む必要がないということ、完読しなくとも、読まなくとも当該の本については十分に批評し、コメントすることができる。否、むしろ当該の本を読むということは害になるという。

 確かに、毎日、毎年、ゴマンと本が出版され、購入される。本を読むことはいいことだという観念が、依然として社会を支配している。
本書ではそのような状況のなかで、ぜんぜん読んだことのない本にであっても読んだようにふるまえるし、ふるまうべきだと書かれている。

  未読の本と言っても、それにはいろいろあり、本当に読んでない場合、ざっと流して目をとおした場合、人から聞いたことがある程度の場合、読んだことがあっても忘れてしまった場合で、それぞれに対処の仕方が指南されている。また、ある本にコメントしなければならないとしても、それが「大勢の人の前なのか」「教師の前なのか」「作家を前にしてなのか」「愛する人の前でなのか」で事情はことなるので、これらについても細かな分析(?)を加えている。


  興味深い読書論、テキスト論、批評論(想像行為としての「批評」)が「遮蔽幕としての書物」「内なる書物」「ヴァーチャル図書館」「共有図書館」という用語を駆使して論じられている。「心がまえ」として、「気後れしない」「自分の考えを押しつける」「本をでっちあげる」「自分自身について語る」をモットーとすべきことが強調されている。

   面白いのは、念には念を入れて、あちこちに注がうってあり、それらに<未><流><聞><忘>などの記号が、また<◎><○><×><××>の記号で「とても良いと思った」「良いと思った」「ダメだと思った」「ぜんぜんダメだと思った」と評価が付されていることである。

  そういう工夫や意義もさることながら、未読のさまざまなケースについて、小説にでてくる事例を示していることで、そこには「第三の男」「吾輩は猫である」(夏目漱石)が登場するところも興味深い。

  巻頭にオスカー・ワイルドの箴言が載っている、「私は批評しないといけない本は読まないことにしている。読んだら影響を受けてしまうからだ」と。本書の原作は、Comment parler des livres que l'on n'a pas lus? で「読んでいない本についてコメントする方法は?」の意。


岩波文庫編集部編『読書のとびら』岩波書店、2011年

2012-06-27 00:14:16 | 読書/大学/教育

           

  32人が語る自らの読書論。ひとそれぞれで興味深いが、この本にはあと2つほど利点がある。


  ひとつは登場している書き手が岩波の書籍、文庫のことに言及しているので、わたしがあまり気づいていなかった岩波本の特徴がいくつかわかったこと(「読書のすすめ」という冊子に掲載)。もうひとつは、執筆者はそれなりに読書人なので、知らない、いい本の紹介があったこと、である。もっとも後者は余滴で、本題は、執筆者の読書経歴、読書に関する物言い、読書作法である。

  「読書のすすめ」というおお括りのテーマで書かれたので、自由な発想の横溢がある。「万葉集」「古今集」はじめシェークスピア、アリストテレス、エピクロス、ベルグソン、ケインズ、ゴーゴリ、チェーホフ、カフカ、夏目漱石、折口信夫、とにかくいろいろな名著、人が出てくるので、それだけでも愉しい。

  「読者は人生の予防注射になる」と考えてきた人、文章を書くことが苦手だという旺盛な執筆者、読むことの意義など考えず「とにかく読め」一点張りの人、読書環境が全くなかった芥川賞作家の言、読書、それも小説が好きで小さいころから読み続けている人、岩波文庫全巻読破をめざしている人、岩波文庫の経済学関係の本はマルクス関係ばかりで近代経済学のそれがほとんどないと書く経済学者、電車のなかでの20分間の読書がその後の人生に大きな影響を与えたと書く仏文学者、それぞれに面白い。

  「論語」の話がいくつか(かなり)出てくること、チエーホフ翻訳の難しさを説いた文章、江戸時代から日本にあった「努力」という考え方に目をむけた外国人の文章には啓発された。ヴィスコンティが作った映画「山猫」がわりと最近、岩波文庫に入ったという情報をえたこと、『読んでいない本について堂々と語る方法』という本がでているのを知ったことも収穫だった。