【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

アステア、ロジャースの全盛時代の「トップ・ハット」

2009-05-31 21:45:15 | 映画

マーク・サンドリッチ監督
「トップ・ハット」(米、1935年),99分

                    トップ・ハット

 アメリカ・ブロードウェイからロンドンの興行師ホレース・ハードウィックの招きでロンドンやってきた伊達で粋なダンサー,ジェリー・トラバース(フレッド・アステア)は,ホレースの勧めでホテルで彼と同居します。ヴェニスに滞在しているホレースの妻マッチからジェリーとホレースに逢わせたい友人がいると言ってきました。

 ジェリーは嬉しくなって、ホテルの部屋で踊って大はしゃぎします。
階下に滞在するアメリカ人モデルのデイル(ジンジャー・ロジャース)は、この騒音に憤慨しホテルの支配人に苦情を言います。それでも効き目がないので、怒ったデールは直談判。

 ところがジェリーは彼女に人目惚れしてしまいました。涙ぐましい努力の末,彼は気の強いテイルの心をとらえることに成功します。

 その後、ある誤解からデイルは彼が既婚者であると思い込み、だまされたと怒り出します。当て付けに衣装屋のアルベルトと結婚してしまいます。誤解が誤解をよんで、ストーリは本人たちも予想外の方向に進んでいきます。この結末は??

 アステアとジンジャーのコンビによるミュージカルのなかでも,充実した時期の作品のひとつです。

 前半でのアステアのシルク・ハット(トップ・ハット)と燕尾服姿は,アステアにぴったりの出で立ちです。同じ服装の男性ダンサーを従えステッキという小道具を使ったマシンガン・ナンバーは,魅力的です。タップの音をマシンガンの音に見立てているところがユニークなところ。

 ジンジャーとのダンスはロンドンの公園とイタリアのレストランとふたつありますが,どちらも優雅です。

 洒落たストーリィに加え,アステアらしい独特のタップとジンジャーとの優雅なダンスとが盛りだくさん。しかも音楽と歌も素晴らしいですです。アステアとロジャースのふたりの作品のなかでも出来栄えのよい傑作です。


「洗心酒洞」そのままに大人の雰囲気あふれる日本家屋を利用したお店

2009-05-30 00:36:11 | 居酒屋&BAR/お酒

「伊勢藤」   新宿区神楽坂4-2 TEL 03-3260-6363         

 「AMUSE」という雑誌の1999年2月24日号は、路地裏にあるこのお店「伊勢藤」の紹介を次のようにしています。「大勢でにぎやかに飲みたい人や、酔って仕事のグチをこぼしたい人は、決して、この店ののれんをくぐってはいけない。つい声高になって話せば、『お静かに』と低い声で主人にたしなめられる。とりあえずビールを飲みたい人も入ってはならない。なにせ置いてあるのは日本酒の『白鷹』のみである。しかし、日本酒を愛し、心底自分の時間を持ちたいと願うのならば、ぜひとも行くべきだ」と(13ページ)。

 かくいうこのお店は、神楽坂通りをのぼっていくと4分ほどで左手に毘沙門天がありますが、それを見ながら逆方向の右手に折れて細い道を入っていくとこの「伊勢藤」があります。

 創業は昭和12年とのこと。古い伝統的な日本家屋で、なかは薄暗く、ひとりで一見さんで入るには勇気がいります。

 お店に入ると、鍵の字のカウンター(6席ほど)、それから6畳ほどの小さい畳敷きの部屋に席が設けられています。BGM、クーラーなどはありません。風通しを味わいます(夏はどうなのかな・・・)。

 みな小さな声で話をしています。大声をだすと、マスターから叱責を受けます。そのマスターの座る前に「いろり」があり、鈴のちろりを炭火で暖めて、燗にしてくれます。

 お通しとして並のは、おひたし、塩辛などの簡単なつまみです。単品で、豆菜、納豆、丸干し、くさや、エイひれ、タタミイワシなどです。

 壁には扁額がかかっていて、「洗心酒洞」とあります。大人の雰囲気がただよう、よいお店です。


サティ(Erik Satie)を高橋アキさんのピアノで聴く

2009-05-28 00:45:47 | 音楽/CDの紹介

「高橋アキが語り弾くサティ(Erik Satie)」

                
サムネイル

 ピアニストの高橋アキさんがサティのピアノ作品を解説しながら、演奏する集いです。曲目は、下記のとおりで、サティの初期の作品でした。27-28人ほどの聴衆で、ゼミナール風でした。今回は、サティの楽譜をもって受講しているひとが何人か目につきました。

 ①アレグロ
 ②ワルツ=バレエ
 ③幻想ワルツ
 ④4つのオジーヴ
 ⑤3つのサラバンド
  *おまけで「3つのジムノペティ」

 サティ(1866-1925)は、フランスのオンフルール生まれです。ドビュッシーが4歳上です。またラベルは9歳下です。父は船舶仲介業、母はスコットランド人でした。幼児に生地でオルガニストのヴィノにピアノとグレゴリオ聖歌の手ほどきをうけ、音楽的感性が芽生えました。

 後にパリ音楽院に入学しますが、アカデミックな教育に反発し、ほとんど学校には行かず、読書に没頭していたようです。

 今回は若い20歳前後から20歳後半の若いころに作曲されたピアノ曲を、高橋アキさんが弾いてくれました。最初の「アレグロ」はわずか9小節の小品です。「4つのオジーヴ」は完全和音が使われ、なんと楽譜には小節を区切る線がありません。ちなみにオジーヴとは、ゴシック式の尖塔です。ただし、それをイメージして作曲したということではないようです。

 サラバンドは印象派風で、明らかにドビュッシーにも影響を与えました。サティはドビュッシーとは強い交友関係がありました。ドビュッシーはサティのことを「心優しい中世の音楽家」と評しています。

 サティの曲は、装飾音がなく、純粋です。それで「白い音楽」とも言われます。純粋なだけに楽譜が少しでも読めれば曲の音はだせるようですが、全体のニュアンスはそれだけにかえって難しいのだそうです。高橋さんはもう数えきれないほどこれらの曲を弾いているのですが、弾くたびに新しい発見があるそうです。

 演奏家の高橋さんのことは、青柳いづみこさんの本で知りました。鎌倉生まれで、芸大を卒業、芸大大学院でゲオルグ・ヴァシャーヘーリに師事。1972年ヨーロッパに渡り、ベルリン、パリでリサイタルを行いました。1980年以降はアメリカに数多く招かれ、1994年にはカリフォルニア芸術大学の客員教授も務めています。

 公式サイトは、下記のとおりです。
             
http://members.jcom.home.ne.jp/akitakahashi/


差別される者たちの閉塞状況のなかに膨らむ愛と連帯、そして裏切りと挫折

2009-05-27 00:24:53 | 小説
大江健三郎『芽むしり仔撃ち』新潮社、1965年  
           
         

 やはり高校生時代に、大江健三郎氏のこの小説を読みました。筋の詳細は、完璧に忘れていました。

 ただ、冒頭の「夜更けに仲間の少年が脱走したので、夜明けになっても僕らは出発しなかった。」だけは覚えています。当時、いろいろな小説の書き出しの部分を暗唱することをしていたからです。

 話(筋)は、以下のとおりです。戦争末期、感化院の15人の少年が山奥の陸の孤島とでもいうべき村に疎開することになります。ところが、疫病が流行するとの判断で村人たちは少年たちを置き去りして村を脱出してしまいます。取り残された少年たちは、村人の家、村長の土蔵などに侵入して食糧などを盗み、したい放題の生活をします。いわば、感化院の少年たちがひとときこの村を占領し、王国をうちたてるのです。

 王国では、主人公の「僕」の他に、感化院にいたわけではないが疎開のおりに父親に連れられて疎開にくわわった弟、南という感化院脱走経験者、李という朝鮮人、疎開者の娘たちが登場し、暴力沙汰をおこしたり、愛がうまれたり、小鳥などの捕獲をし、祭りをくりひろげたりします。

 しかし、娘が疫病で倒れ、それを伝染させた犬(弟がかわいがっていた)が撲殺されたり、暗雲が襲ってきます。

 ついに村人たちが帰村し、子どもたちは窃盗などの罪で糾弾され、王国は崩壊。子どもたちは懐柔され、主人公の「僕」だけが村からの脱走を試みます。

 山村の強制された監禁状態のなかでの、自由の空間、そこでの連帯と愛。その行き着く先の死、裏切り、連帯の瓦解。著者の得意の状況設定と新鮮な想像力が独特の文体で展開されます。

 表題の「芽むしり仔撃ち」は、村に取り残された子どもたちは脱出を試みても、病気の仔牛が殺されるときのように「半殺し」の目にあうだけだという南の言葉(p.78)、あるいは村長が子どもたちを罵る言葉(「・・・お前のような奴は、子供の時分に締め殺したほうがいいんだ。出来ぞこないは小さいときにひねりつぶす。・・・悪い芽は始めにむしりとってしまう」(p.206)によります。

 高校生の頃にはこの小説が最高と思っていましたが、もちろん今はそうは思わないのですが、類(たぐい)稀な、日本文学の系譜のなかで新基軸を打ち出した小説であることは間違いありません。

相撲博士になるためのショートカット

2009-05-26 01:51:53 | スポーツ/登山/将棋
銅谷志朗『相撲アナが語りつくす 大相撲の魅力』心交社、2009年

            大相撲の魅力 相撲アナが語りつくす

  5月場所は、大関の日馬富士が優勝決定戦で横綱白鵬を破り、幕を閉じました。千秋楽本割、日馬富士と琴欧州戦での日馬富士の一か八かの首投げの奇襲には、相当昔の栃錦対大内山(栃錦が放った捨て身の首投げで勝つ)の一番を思い出してしまいました。決定戦での白鵬に対しては、完全に気迫勝ちでした。

 この本は、出版されたばかりの本です。著者はテレビ朝日で「大相撲ダイジェスト」を担当していた記者です。テレビではよくお顔を拝見したことがあります。

 新聞の広告に出ていたのでAmazonで購入しました。ほとんど知っていることばかりでしたが、最新のデータが入っているので便利です。

 相撲はスポーツのようですが、その視点だけでは楽しめない独特の空気があります。相撲情緒と言うものです。

 江戸時代の情緒が色濃くのこっています。江戸文化の香りということからいうと、歌舞伎がそれに匹敵しますが、今となってはある意味では歌舞伎以上に江戸の風物が感じられます。

 まず、本物のちょん髷です(歌舞伎役者は本物ではない)。また、早朝から通しで興業があります。そして、夕方には必ず終わります(現在の歌舞伎は夜もやっています)。茶屋制度が残っています(歌舞伎には今はない)。

 本書には歌舞伎との対比までは書かれていませんが、実際の取り組みとしての相撲よりも周辺のことが詳しく書かれています。懸賞金の袋の中身、手形をきる順序、年寄名跡、複雑な力士の収入。土俵の広さ、作り方、行司、呼び出し、若者頭、世話人、床山、呼び出しのそれぞれの仕事、役割。褌、化粧回しの値段、横綱の綱の作り方。要するに普段あまり目にしえない、聞くことのできない話がいっぱい詰まっているのです。

 もちろん、力士、相撲の情報もたくさんありますし、最後にはさまざま記録の一覧表もついています。

 本書に書かれている知識をマスターすれば相撲博士になること請け合いです。

 若者の愛,性,モラルについて真摯な問題提起をしている名作-「草原の輝き」

2009-05-25 00:09:58 | 映画

エリア・カザン監督『草原の輝きSplendor in The Grass』米、1961年、121分
                 

 
タイトルは,イギリスの詩人ワーズワースの詩句からとったものです。映画のなかでも主人公がこの詩を朗読する場面があります。

 Though  nothing  can  bring  back  the  hour  of  splendor  in  the grass, of  glory  in  the  flower,  we  will   grieve  not.  Rather find strength in what remains behind.

 草の輝くとき 花美しく咲くとき/再びそれは還らずとも 嘆くなかれ/ その奥に秘められた力を見出すべし

 カンザス州南部の高校3年生のバッド(ウォーレン・ビーティー)はフットボールのキャプテンで女性徒の人気の的です。彼は町の食料品店の娘ディーニー(ナタリー・ウッド)と心から愛し合っていました。

 バッドは結婚を前提にディーニーの全てをもとめていたのですが,彼女は母親から性を不浄なものとする厳格な教育を受けていたので,最後の一線をバッドに許しません。

 石油成金で現実主義者のバッドの父は,息子をエール大学に入学させようとしていて,ディーニーとの恋愛に否定的です。

 バッドはむしゃくしゃする気持ちをスポーツに向けて抑えていましたが,肺炎で入院中したおりに知り合った女子高校生のファニタと肉体関係を結んでしまいます。

 その噂はディーニーの耳に入り,彼女は学校でワーズワースの詩の朗読中に突然、感きわまって泣きだし,以来家にひきこもってしまいます。

 そのうえ,森を散歩中,別の男の子に襲われ錯乱状態になり,精神病院に入ります。

 病気が治癒し精神的にゆとりを取り戻したディーニーは,エール大学を卒業しイタリア女性と結婚し,一児の父親になっていたバッドを訪ね,寂しく思います。

 しかし,彼女は今ではひとまわり成長し,これからが自分の人生だとも思うのでした。

 青年の愛,性,モラルについて真摯な問題提起をしている名作です。


「ベニイ・グッドマン物語」

2009-05-23 01:02:10 | 映画

バレンタイン・デーヴィス監督「ベニイ・グッドマン物語」米、1955年、117分

          ベニイ・グッドマン物語ベニイ・グッドマン物語 【ザ・ベスト・ライブラリー1500円:2009第1弾】 [DVD]

 「ベニイ・グッドマン物語」は,クラリネットとの出会いに始まり,カーネギーホールでのコンサートの成功にいたるまでのスウィングの大御所ベニイ・グッドマン(スティーヴ・アレン)の半生を映画化した作品です。

 舞台は
1919年のシカゴ。ユダヤ系のグッドマン一家の父親は地元の音楽教室に子どもたちを連れて行きました。ここで身体の大きな兄たちにはスーザホンとホルン,歳の離れた末っ子のベニイにはクラリネットが与えられました。

 クラリネットに不満顔でも,ベニイの腕はめきめきと上達しました。しかし,周囲の期待に反して、ベニイは、クラシック以外の音楽に興味をもちはじめます。

 運命はここで彼をデキシーの神様キッド・オーリーの演奏に遭遇させます。オーリーの音楽と人柄に触れ、ベニイはベン・ポラックの楽団に加わることを決意します。

 ポラック楽団で活動しながら,その後ベニイはニューヨークに出て,「楽団」を作って自分の音楽を模索しはじめます。しかし,時には生活のためとはいえ,つまらない仕事も引きうけなければならない試練が続きました。

 転機となったのは,NBC放送のオーディションでの合格でした。「ベニイ・グッドマン楽団」の音楽は、ラジオ電波でアメリカ中を駆け巡りました。地方では芽がでなかった楽団でしたが,ラジオを通してファンが増え,人気は定着します。

 映画はいくつかのエピソードを挿入して展開していきます。フレッチャー・ヘンダーソン,ライオネル・ハンプトンなどの楽団への参加。上流家庭の子女であるアリスとの結婚。最後は,クラシックの殿堂カーネギーホールでの公演。

 映画はハッピー・エンドで幕を閉じます。ジーン・クルーパ,テディー・ウイルソン,ライオネル・ハンプトン,ハリー・ジェームズ,ジギー・エルマンらが特別出演しています。

           


ファシズムの誕生から崩壊(スケールの大きい一大叙事詩)

2009-05-22 00:11:48 | 映画

ベルナルド・ベルトリッチ監督「1900年」316分、イタリア、1976

    

 この映画は,20世紀初頭から第二次世界大戦後までの時代の中での左翼とファシズム,農民と地主の抗争の構図を、エミリア地方の農村社会に舞台に,あぶりだした一大叙事詩です。

 1900年の夏,地主の孫アルフレードとその小作人頭の孫オルモが同じ日に,同じ敷地内で生まれました。身分の相違をこえ二人は兄弟のように仲良く成長します。この時期,奴隷のように扱われる農民の間に社会主義的な考え方がひろがります。

 アルフレードは地主の後継ぎになり,オルモは農民運動に入っていきます。おりしも時代はファシズム一色に塗りつぶされていく過程に入っていました。

 アルフレードは大地主の有り方に疑問をもっていましたが,その態度は煮え切らないものでした。オルモは小作人側を象徴する青年として成長します。オルモが第一次世界大戦から復員すると,アッチラが農場管理人として雇われ,ファシスト党の地方支部長となって権威をふりかざしました。彼はファシストのシンボル黒シャツを身につけ,オルモら農民を弾圧,迫害します。主人のアルフレードにも意地悪い姿勢で脅迫めいた態度をとります。


 1945
年4月25日,イタリアは解放されました。農民たちは悪の権化であるアッチラ夫妻を捕らえます。アルフレードは地主だったというだけで人民裁判にかけられますが,レジスタンスに参加して死んだと思われていたオルモが突然帰ってきて彼の命を救い,アルフレードは過去の大地主の生き証人として生きることを許されます。

 たくましく成長したオルモと,人民裁判にかけられるアルフレード。ふたりの対照的な姿に,時代の移りゆきが読み取れるようになっています。

 ラストは・・・・・。

 政治,愛,恋,友情,裏切りなど実にいろいろな要素が政治の物語にうまく嵌め込まれ,5時間を超える大作ですが長さを感じさせない力作です。

 アルフレード(ロバート・デニーロ)
 オルモ(ジェラール・ドバルデュー)
 アダ (ドミニク・サンダ)
 アッチラ(ドナルド・サザーランド)
 ビホッピ夫人(アリダ・ヴァリ)
 


アステアの優雅な踊り

2009-05-21 00:39:42 | 映画

ジョージ・スティーヴンス監督「有頂天時代(Swing Time)」103分(米,1936年

             

 ヴィクター・ムーアの一座で踊っていた無類のギャンブル好きのラッキー(フレッド・アステア)は,賭けに夢中になって結婚式に遅刻します。怒った婚約相手の父親に金を貯めることを約束させられたラッキーは、ニューヨークに出ます。

 ラッキーはニューヨークで舞踊学校でダンス教師をしているペニー・キャロル(ジンジャー・ロジャース)に心を惹かれ,シロウトを装って弟子入りします。気をひくために故意にヘマをして彼女を怒らせたりしますが,校長が生徒を叱りつける彼女を解雇しようとする事態がおこり,ここでアステアは彼女がすばらしい教師であることを証明するために本気で踊ってみせます。

 機嫌を直した校長は,ふたりをコンビで売り出すことにします。ナイトクラブでのステージは成功し,いつしかふたりはお互いに愛し合うようになり,最後にふたりはめでたく結ばれます。

 アステアの演じるラッキーはあまり好感がもてない人物で,そのためかこの作品はいまひとつ魅力に欠けます。ペニーがラッキーに優るとも劣らず恋に積極的なところは印象的で,ふたりのダンスは華麗です。

 この作品の見所はアステアが顔を黒く塗り,服装も黒人風にした「ボージャングルズ・オブ・ハーレム」というナンバーを踊るシーンです。

 大勢の女性とアステアひとりがダンスする部分は凄いのひとこと,またアステア自身が3つの巨大な影と一緒に踊る場面も迫力満点です。


ジャズのことがよく分かるアメリカ映画

2009-05-20 00:23:12 | 映画

ハワード・ホークス(Howard Hawks)監督『ヒット・パレード(A Song is Born)』
                                                             米(112分)1948年

             

 ハワード・ホークス監督が自作の「教授と美女」をリメイクした作品です。脚本はビリ-・ワイルダーです。

 「ヒット・パレード」は,世界音楽史事典を仲間と編纂している大学教授フリスビー(ダニ-・ケイ)が,新しい音楽の傾向を知ろうと街にでて調査するうちに,殺人事件と関係のある女性と知り合いになり,紆余曲折のはてに、この教授と女性が結ばれるというお話しです。

 大学教授たち7人はクラッシクが得意分野なのですが,音楽事典を書く以上,いろいろなジャンルの音楽を扱わなければならない、と思い立ちます。

 教授は。黒人の掃除夫にジャズの魅力を知らされ、街にでていくつかのクラブでジャズを目の当たりにします。実際に映画のこの場面で出てくるメンバーは,往年のジャズの豪華メンバーで,凄いです。ベニー・グッドマン,トミー・ドーシー,ルイ・アームストロング,ラオネル・ハンプトン,メル・ポウエル,チャーリー・バーネットなどそうそうたる演奏家です。

 また,調査の成果として教授がジャズの歴史を楽器演奏入りで説明するシーンもあり,興味尽きません。アフリカのドラムから出発して,スペインのギターと結びつき,その後スペイン圏,例えばキューバや南米の国々の音楽との出遭いをへて,アメリカの黒人霊歌と融合し,ビートがくわわって今日のジャズができあがる過程が,わかりやすく説明されています。

 映画のストーリーの方は,この教授がある殺人事件で検察に参考人として召喚されていた女性ハニー(ヴァージニア・メイヨ)が一時身を隠そうと音楽史編纂中の教授の家に住みこみ,そこで二人が恋におちるという展開です。

 この女性にはバックにギャングの情夫がいて,難局にぶつかるのですが,ふたりの恋は・・・?????。

 映画の筋は他愛のないものですが,ジャズの魅力を存分にいかした作品です。
                             
                               
Howard Hawks 監督
                       右はローレン・バコール    


「よく生きる」にはどうしたらよいのか

2009-05-19 00:03:52 | 科学論/哲学/思想/宗教
岩田靖夫『よく生きる』ちくま新書、2005年
              
            

 少子高齢化の時代が急速に進行し、また就業の不安定化も著しいこのごろ。中年が集まると話題は健康(病気)、介護、年金問題。明るい話が出にくいです。

 人間ただ生きていても仕様がない、いかに生きるべきか。これは思春期の青年の問題だけではなくなってきています。長生きしても、退職してすることがなくなったら、どうなるのでしょう。漠然とした不安がいつもあります。

 プラントンが『クリトン』で言った「よく生きる」ということが問われているます。そんな関心で本書を手に取りました。書かれていることは、次のとおりです。

 人は他者の関心の埒外におかれると孤独に苛まれ、鬱に陥ったりする、大事なのは他者との交わり、存在の根源の帰入に幸福を感じることです。

 幸福とは第一に自己実現ですが、これは幸福の条件であり、幸福の意味ではありません。幸福は他者との交わりのうちにあります、しかし他者との交わりによって愛の喜びを味わっても挫折、病気、老化、死という関門が待ち構えています、そこで宗教が必要になってきます。

 すなわち、私たちと私たちの存在の根源、宇宙の全ての存在者との関わりという問題につきあたります。私たちの個々の存在者はこの根源から送り出され、死を通してこの根源に帰るのです。

 最後に社会という問題。自由と平等という原理にもとづいて統治構造の問題、経済活動の問題、福祉制度の問題、ひとことで言えば正義を核にした社会の創造という課題があります。

 古今東西の思想家、とくにソクラテス、アリストテレス、プラトンを登場させて議論を展開しています。話がいささか抽象的で、問題をわりと具体的に考えたいわたしにとっては、退屈なところもありました。

大学改革を考える糸口に

2009-05-15 00:24:51 | 読書/大学/教育

寺崎昌男『大学改革 その先を読む』東信堂、2007年

 現在進行形で進む大学改革。この改革を推進するために、日本の大学教育の歴史をひもとき、問題点を摘出し、課題を示し、改革への動機づけ、勇気づけを与える本です。

 目のうろこが落ちる知見があちこちに散見できます。①日本の大学が最近、実学志向をとっているとマスコミなどが書いているが、そうではなく実は明治の最初からそうだった(p.6)、②大学の130年間の歴史で学生を本当には大切にしてこなかった、これからは学生を学習主体としてとらえることが大学問題を考えるうえで要である(p.34)、③授業は論理的に組み立てるのではなく、構造性をもたせることが大切(p.109)、④FD(faculty development)は授業改善にとどまらず、カリキュラム改革を含めた教育活動の総体を変えていく活動である(pp.132-139)、⑤大学設置基準は正課活動だけを規定し、正課外活動に触れていないが、これは誤り(pp.84-86)、⑥カリキュラムは「広がり」と「順次性」を基軸に考えなければならない(pp.87-88)、⑦学生が籍をおく大学のアイデンティティを教える自校教育は「居場所発見効果」があり意義がある(p.61)、⑧「教養ある専門人」から「専門ある教養人」への発想転換が学士課程教育の目標(pp.48-53)、といった具合です。(以上、順不同)

 講演記録なので読みやすく、喫緊の課題を考える糸口になります。脇道の話ですが、慶応義塾の「義」には「正義」の意味もあるが「パブリック」の意味も含まれている(p.164)、あるテーマを考えるときには「名詞で考えるな、動詞で考えろ」という神田駿氏の見解の紹介(p.75)なども、成程と思わせてくれました。

「第Ⅰ講 大学改革の歴史130年-何が達成され何が残されたか」
「第2講 学士課程教育と大学院教育-それぞれの抱える課題と連続性への着眼」「第3講 カリキュラムと授業-大学の勝負を分けるもの」
「第4講 教員と職員-それぞれのミッションと『支援・協働』」
「第5講 私学-その課題と未来を考える」


凄い女性画家もたくさんいた!

2009-05-14 09:49:37 | 美術(絵画)/写真

若桑みどり『女性画家列伝』岩波新書、1985年
             
 

                         

 
  小林緑さんの『女性作曲家列伝』でこの本を 知りました。小林さんは、若桑みどりさんの本書を意識して『女性作曲家列伝』を編んだと書いていました。

 絵画の世界にも凄い女性はたくさんいました。本書が彼女たちを紹介しています。ユトリロの母であるシュザンヌ・ヴァラドン。プロレタリアの生活に美を感じ、労働者の力強い生と悲しみを描いたケーテ・コルヴィッツ、カラヴァッジオの影響色濃くユーディットを盛んにテーマに取り上げたアルテミア・ジェンテレスキ、口絵のなかで一目で気にいった「ヴィジュ・ルブラン夫人とその娘」を描いたエリザベート・ヴィジュ・ルブラン、日本人では山下りん、ラグーザ玉、上村松園が紹介されています。他にアンゲリカ・カウフマン、レオノール・フィニ、マリー・ローランサン、ナターリャ・ゴンチャローヴァ。

 いい視点がたくさんあります。例えば「『宮廷肖像画』の歴史は、職人階級が支配階級を見る”まなざし”の歴史でもあった」(p.23)として、ヒリアード、リゴー、ベラスケス、ゴヤにも言及しています。

 またケーテ・コルヴィッツに触れて「全人類の幸福を願い、全人類の不幸に泣き、愛する子供をもち、ともに悲しむ伴侶をもったこの女性が、私にはうらやましい。幸福こそ人間の権利だとすればこそ、周囲の暗黒がはっきり見えたのだ。幸福の追求を断念した人間が、いつわりの美しい絵を描く」と書いています(p.54)。

 画家の紹介の後に空間彫刻家の多田美波さんとの対談があります。そして、その後に異例の長い「あとがき」。この「あとがき」で「女性はどのようにして芸術家になったか」を論じています。   
             


賢いお金の殖やし方をティーチング

2009-05-13 00:09:26 | 経済/経営
勝間和代『お金は銀行に預けるな-金融リテラシーの基本と実践』光文社新書、2007年           
          


 金融リテラシーを説いた本です。

 著者は外資系企業で16年間、金融相場の分析や取引、新しい金融商品の設計などに関わってきた人です。そして現在は投資顧問会社を経営し、マスコミでも大活躍しています。

 金融市場が発達し、401Kも導入され、しかし資本主義に綻びが見えはじめている現在、金融リテラシーは人間らしい生活するのに必須との立場で書かれています。

 怪しい本ではなく、著者は消費者の側にいます。すなわち個人がデイ・トレードなどに投資するのはプロには絶対負けるので止めよ(p.74)、何らかの投資をしようと思い立った人が本屋で利殖のハウツーものの雑誌を読んだりしても騙されるだけなので注意せよ、投資信託ならまだよいが、個別の株やFX(外国為替証拠金取引)などに手をだすと絶対に損する(p.126)と賢い市民になるように警告しています。

 万人にお勧めなのは投資信託、生命保険は「逓減型」に変更せよ、新築マンションは買ってはいけない、とかなり細かなサジェッションがあります。一番伝えたいのは、自分の資産を現金、預金として持つのはリスク資産として運用するのと比べて大きな機会損失を生んでいるということ(p.146)、そうであるから、リスク投資の意思を固めるからはじまって、金融資産構成のりバランスの習慣をつける10段階のステップを踏んで金融商品について賢くなろうと提言しています(pp.162-163)。

 原則は5つ(①分散投資、②年間リターンの目安は5%で上出来、③タダ飯はない、④投資にはコストと時間が必要、⑤管理できるのはリスクのみ、リターンは管理できない)[pp.159-160]。

レンブラントの実像に迫る!

2009-05-12 00:06:36 | 美術(絵画)/写真
ピーター・グリーナウェイ/倉田真木訳『レンブラントの夜警』ランダムハウス講談社、2008年            
          
 著者は映画「レンブラントの夜警」を撮った監督です。

 本書はそのストーリーブックです。登場人物が多く、脚本のような書き方なので読みにくいところもありますが、筋は理解できました。とかく偉大な画家として神聖化されがちなレンブラントですが、生の人間としては成り上がりもので、打算的であり、放蕩です。

 一言でいえばレンブラントは人間臭かったということになるのですが、ではどのように人間臭かったかについては本書を読むとか、映画を観るとよくわかります。

 「夜警」は歴史的名作ですが、ここに描かれている市警団の群像についてひとりひとりが誰であるかがわかっているようで、ある意味で壮絶なドラマ画布に広がっています。画を仔細に眺めれば目立つ人とそうでもない人がいますし、手袋を脱ぐ(決闘する)人がいたり、手の影が微妙な位置にあったり・・・です。

 そういうこともあってこの画は、当時あまり評判はよくなかったようです。また、この画は妻のサスキアが亡くなった年の作品で、以後、成り上がり者のレンブラントが凋落していきます。

 財産管理の失敗、愛人へルートヘの婚約不履行の訴え、召使のヘンドリッキェの懐妊、彼女の教会からの破門。スキャンダルが続出し、レンブラントは富裕な顧客を失いました。

 レンブラント研究も相当に進んでいて、その成果をふまえて書かれたもののようです。末尾に西洋美術研究家の木村泰司氏の要を得た解説ついています。