【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

ダンテ/平川祐弘訳『神曲』(河出世界文学大系3)河出書房新社

2017-03-31 21:58:34 | 文学

           
 ダンテの『神曲』読了(平川祐弘訳)。新年から読み始めたので、3カ月かかったことになる。やっと読み終えたというのが、偽らざるところである。


 読んでどれだけ理解が深まったかは心もとない。読みながら面白く、のめりこんだ実感はない。平川訳は各歌のまえに簡単ではあるが解説がついているうえ、脚注が豊富なの最も適当である。聞くところによると、壽岳訳は難解だという。ダンテ自身は、当時文学といえばラテン語で書かれていたものを、トスカーナ語(俗語)でわかりやすく書いたのであるから、わかりやすい訳で読んでも全く問題ない。

 『神曲』について、この間、いろいろなことがわかった。ます、全体は「地獄篇」「煉獄篇」「天国篇」と3つにわかれ、「歌」で書かれている。「歌」なので、音読するのがよいという人もいる。

「地獄篇」は序歌を含め34歌、「煉獄篇」は33歌、「天国篇」33歌、あわせて100歌である。『神曲』はこのように100歌からなるが、それは全部で14233行で出きている。「地獄篇」4720行、「煉獄篇」4755行、「天国篇」4758行である。きわめてバランスよく構成されているのがわかる。

 全体の内容は、35歳のダンテが地獄、煉獄、天国を西暦1300年の大赦の年の復活祭に一週間かかって旅をしたというものである。罪を寓意する森の中でダンテが迷っていたおりに、ウェルギウスが登場し、案内人になり、地獄、煉獄で先導役をととめる。天国に入ると絶世の美女ベアトリーチェが案内役を交替する。天国篇の第十天(至高天)でベアトリーチェに代わり聖ベルナールが最後の案内役をつとめる。 

 ダンテは1265年生まれである。その名前ダンテは姓ではなく、名である。姓はアレギエーリなので、正式の名称はダンテ・アレギエーリである。

 いまの若い小説家は『神曲』など読んではいないのではなかろうか? しかし、かつての文豪は森鴎外にしても、夏目漱石にしても、上田敏や正宗白鳥にしても『神曲』を味わい、影響を受けているようだ。また、今道友信は『神曲』の講義を1997年から1998年にかけ、15回にわたって行っている。参加者には、大学の先生の他、経済同友クラブ理事長、コスモ石油株式会社の相談役などがおられる。また現在でも朝日カルチャー新宿校には『神曲』の講義があるようだ。どのような人が出席しているのだろうか。いずれにしても、根強いファンがいるのは確かなようだ。


稀勢の里、奇跡の優勝。(大相撲大阪場所)

2017-03-27 11:56:59 | スポーツ/登山/将棋

                              

  大相撲大阪場所は、昨日が千秋楽でした。優勝は13勝2敗で、新横綱の稀勢の里。誰もが予想しえなかった優勝となりました。

 稀勢の里は13日目の日馬富士戦で、土俵下に転落したときに、左肩を打撲し、苦悶の表情でした。この時点で、休場かと思われましたが、14日目の鶴竜戦に出場。しかし、怪我のためか、あっけなく土俵をわりました。千秋楽は照ノ富士戦。照ノ富士はこの日まで14勝1敗で優勝争いの先頭をきっていました。照ノ富士もこの1年ほど脚の怪我で精彩がなく、大負けの場所があったり、勝ち越してもやっとのことでしたが、漸く、怪我がなおってきたようで、持ち前の怪力が復活していました。

 稀勢の里が優勝するためには、本割で照ノ富士に勝ち、さらに決定戦でも勝たなければなりません。ところが、このことが現実になったのです。

 本割で、稀勢の里は左に体をひらき、照ノ富士が右上手をとって、一気により進みましたが、稀勢の里は利き手の右手で突き落とすと、照ノ富士はバッタリ前に落ちました。19分後の決定戦。立ち合いから照ノ富士が珍しくもろ差しになり、稀勢の里は絶対絶命でしたが、右からの小手投げで照ノ富士をほふりました。稀勢の里自身も、後から言っていたように、「自分の力以上のものが出た」ということですが、体の敏感な反応は見事なものです。

 館内は大騒ぎ。ここ何年も聞いたことのない歓声で沸き返りました。

 稀勢の里は、精神面が強くなりました。責任感が強い名横綱意になりつつあります。

 照ノ富士側からみれば、もう少し落ち着いてがっぷり四つに組み、時間をかけて大勢をよくしてから攻めれば違った展開になったように思います。

 相撲史に残る名勝負でした。
 


エミール・アンドリーノ監督「天使にラブソングを」(アメリカ、1992年、100分)

2017-03-26 16:57:13 | 映画

                       

 コメディ・タッチの映画。主人公は、ネヴァダ州リノのカジノで歌っていたクラブ・シンガー、デロリス=ヴァン・カルティエ(ウーピー・ゴールドバーグ)。彼女はその界隈のボスで、自身の愛人であるヴィンス(ハーヴェイ・カイテル)が組織の裏切り者を殺害した現場を目撃する。

 警察へ駆け込んだデロリスを、サザー警部(ビル・ナン)はサンフランシスコの修道院に匿う。ここでデロリスは新米尼僧シスター・クラレンスとして修道院に迎えられ、シスター・パトリック(キャシー・ナジミー)、シスター・ロバーツ(ウェンディ・マッケナ)ら若い尼僧たちと親しくなる。しかし、厳格な修道院長(マギー・スミス)はデロリスの態度が気に入らない。何事にもデロリスに、神のもとにつかえるものとしての厳しさ、貞淑さをもとめる。

 修道院には聖歌隊があるが、歌う讃美歌は音程が狂い、ハーモニーもない。デロリスはあきれてしまう。意を決したデロリスは、ラザラス尼(メアリー・ウィックス)と聖歌隊のリーダーを交替して引き受け、歌のレパートリーにソウルやロックのナンバーを加えた。

 彼女たちの詩はたちまち地域にそして全世界の噂になり、ローマ法王の耳にも。やがて法王が訪米のおり、デロリスたちの修道院に立ち寄ることとなった。その頃、ヴィンスの放った殺し屋の影がデロリスに迫っていた。

 尼僧たちが一致団結し、殺し屋に捕まりリノに連れ戻されたデロリスを救出し、ヴィンスたちは逮捕された。そして法王の前で、デロリス率いる聖歌隊は、たのしげににぎやかに歌い踊るのだった。


ビリー・ワイルダー監督「Sabrina(麗しのサブリナ)」(アメリカ、1954年、113分)

2017-03-25 22:30:21 | 映画

      

 この映画はどういう動機でできたのだろう。オードリー・ヘップバーンのチャーミングな魅力が全面に出ている作品である。


 ストーリは次のとおり。

 サブリナ(オードリー・ヘップバーン)は、富豪ララビー家のお抱え運転手の娘。彼女はララビー家の次男坊デイヴィッド(ウィリアム・ホールデン)に思いを寄せていた。

 サブリナの父親はそれは娘にふさわしくないと考え、うつつを抜かしている彼女をパリの料理学校で修業させる。それから2年、サブリナはパリ・スタイルを身につけ、帰郷した。財閥タイスン家の令嬢エリザベス(マーサ・ハイヤー)との婚約がすでに決まっていたデイヴィッドは、パリ・ジャンヌに変身したサブリナに熱を上げる。デイヴィッドは自分の婚約披露パーティーにサブリナを招待し、婚約者をそっちのけでサブリナと踊った。

 デイヴィッドの兄で謹厳な事業家ライナス(ハンフリー・ボガート)はこの事態を当然ながら好ましくないと、シャンペン・グラスの上に座って怪我をしたデイヴィッドが寝込んでいるうちにサブリナを再びパリに送る計画を思いつく。計画はうまくいくが、サブリナはじょじょにライナスに傾いていく。

 ライナスと一緒にパリへ行けるものと勘違いしたサブリナ。ライナスは船室は2つとり、自分は乗船しないつもりだった。サブリナはそのことを知って悲しみ、ライナスとの夢を諦めてパリへ行く決心をする。

 ところがライナスは自責の念にかられ、いつの間にか自分がサブリナに恋していることに気づく。サブリナ出帆の日、ララビー会社では重役会議が開かれていた。そこに怪我が治って現れたデイヴィッドは、ライナスとサブリナが結婚すると突然、新聞記事を手に発表する。サブリナとライナスの気持ちを察したデイヴィッドの計らいだった。ライナスはサブリナを追い、客船の甲板でふたりは愛を誓うのであった。


李恢成「伽倻子のために」(新潮文庫,1975年)

2017-03-24 21:10:56 | 小説

 「伽倻子のために」を読了しました。樺太からわたってきた父のもとを離れ、東京の大学で学ぶ主人公・林相俊(イム・サンジェニ)。種々の偏見のなかで二世として生きていくなかで、朝鮮人の家庭に育った日本人・伽倻子と出会い、生活(同棲)し、そして別れていく。サンジュは「伽倻子のために」何ができたのだろうか?

 直前に小栗康平監督の映画を観ていたので、どうしても原作と映画との相違が気になります。


 この原作では朝鮮人の二世が日本で生活していくことの難しさ、心の問題が細かく丁寧に書かれています。またサンジュニが大学で演劇(構成劇「白頭山をめざす若者たち」)に関わり活動する様子も紹介されています。50年代末以降の朝鮮帰還運動も背景に登場し、友人の女性・崔明姫が登場します。彼女はサンジュニに少ないくない影響を与えていますが、映画には出てきません。

 伽倻子についても、幼少期に不幸があったこと、東京での相 との同棲生活から故郷にもどってからバーの男と関わったこと、その後、その男ともわかれ別の結婚生活が始まり、美和子という女の子を産んだことなど、映画で描かれているよりも深刻な人生をおくっています。


       


ジョージ・スティーブンス監督「陽のあたる場所」(アメリカ、1951年、122分)

2017-03-18 21:26:39 | 映画

 二度目の鑑賞です。エリザベス・テーラーの清楚で明るい魅力とモンゴメリ・クリフトの独特の個性が印象的です。
              
 とくにとりえもなく、水着製造工場を経営する伯父チャールズ・イーストマンのところで働くことになったジョージ(モンゴメリ・クリフト)は同じ職場で働く女工アリス・トリップと恋仲になり、密かに愛し合うようになります。アリスは妊娠し、ジョージとの結婚を決め込んでいました。ところがジョージ(シェリー・ウィンタース)は工場長の邸宅で開かれたホームパーティで出会ったアンジェラ・ヴィカース(エリザベス・テーラー)に眼を奪われ、また彼女も実直なジョージのこと気に入り、つきあいが始まります。アンジェラは魅力的で快活な女性で、振るまい方も派手な「お嬢様」タイプ。

 ジョージは次第にアリスのことを疎ましく思うようになります。アリスはジョージの心変わりに気づき、性急に結婚を迫ります。ジョージはアリスが邪魔になり、彼女がいなくなること、すなわち殺害を考えるようになります。

 ジョージはアリスを湖に誘い、二人でボートで湖に乗り出します。二人の間に再びいさかいが起こり、はずみでボートは転覆。両人とも湖に放り出されます。泳ぐことのできたジョージは助かりますが、アリスは溺死します。当然、ジョージに嫌疑がかかります。

 そして裁判になり・・・。直接殺害に手を出したわけではなく、助けの手をさしのべなかったジョージは???

       


 


「日本平ホテル」(静岡市清水区馬走1500-2;tel:054-353-1131)

2017-03-16 15:33:46 | 旅行/温泉

 

 日本平ホテルで一泊してきました。このホテルは、静岡県の日本平にあります。静岡県自体にあまりいったことがありません。市役所、県庁に仕事でいったくらいです。東海道線では下車の頻度が少ない都市です。


 日本平ホテルまでには静岡駅からシャトルバスが出ていて、これを利用しました。25分ぐらい乗っていると到着です。

 このホテルは5年前に全館リニューアルしたとあって、きれいでした。小高い山の上にあります。あたりは森林などで、コンビニを含め何もありません(利用される方は、口に入れるものをあらかじめ用意しておいたほうがいいですね)。

 一泊でしたがゆったりした時間を過ごしました。夜景がきれいです。横浜、神戸、函館のような華やかさはありませんが、駿河湾、清水市、富士市をのぞめます。

 一番の見どころは富士山です。80室ほどの客室のほとんどが富士山を大きく眺望できるはずです。「はずです」と書いたのは、天気はよかったのですが、もやがかかっていて、初日はそれに隠れていました。二日目になって、ようやく、頂上から8合目あたりまで姿をみせました。大きく、雄大に見えました。

 食事はやや割高ですが、それだけの価値はあります。朝食のバイキングは、豊富です。トマトジュースなどは天然のものがそのまましぼりたて、オムレツは中に入れるすきなものをチョイスすると(わたしは)シラス、コックさんが目の前でふっくらつくってくれます。

 初めてのホテルで本年度の疲れ(ブログには書けないいろいろな苦労)を癒しました。


小栗康平監督「伽倻子のために」(1984年、117分)

2017-03-04 01:01:15 | 映画

            

 李恢成氏の同名の小説が映画化されたもの。 

 昭和33年の晩夏。大学生の林相俊(呉昇一)は、北海道の森駅に降り立つ。父の親友の松本秋男(浜村純)に再会するためであった。父は樺太からの引き揚げ者であった。松本はトシ(園佳也子)という日本人女性と結婚していた。二人は、伽倻子(かやこ)(南果歩)という高校生と同居していた。伽倻子は二人の子ではない。本名は美和子で、敗戦の混乱期に日本人の両親に棄てられた少女だった。

 相俊は解放(日本の敗戦)後、父の奎洙(加藤武)、母の辛春(左時枝)、兄の日俊(川谷拓三)らと日本に留まったが、自分が朝鮮人であることに確信がもてず、屈折した心をもっていた。

 貧しい東京の下宿生活の中で相俊は、在日朝鮮人二世の存在であることに矛盾を感じながら、伽倻子を思い出していた。翌年、早春の北海道でふたりは再開し、心を通わせる。ふたりは、伽倻子の両親に隠れて交際を続けたが、そのことがトシに知られ、叱責される。伽倻子は家を出た。

 相俊は伽耶子をさがしもとめる。ようやく道東の小さな町で訪ねあてた伽倻子に相俊言う、「戦争があちこち引きずりまわしてくれたおかげで、僕たちは出会えた」と。ふたりはお互いに気持ちを確かめ合って結ばれる。東京での共同生活が始まったのも束の間、義父母がふたりの下宿に訪ねてきた。伽倻子を取り返しに。

 10年の歳月が過ぎ、相俊は北海道に松本を訪ねた。わかったことは、伽倻子が他の男と結婚したということだった。(映画では相俊がなぜそうなるまでに伽倻子をほうっておいたのかはわからない)


 


斉藤耕一監督「約束」(1972年,88分)

2017-03-03 00:04:19 | 映画

        

 日本海沿岸を北上する列車のなかで偶然に出会った
男女。岸恵子演じる蛍子(31歳)と20歳を少し過ぎたばかりのショーケンこと萩原健一の演じる朗。

 ふたりは相席となったが、図々しい態度の朗の問いかけに、蛍子ほ口を聞かない。あたりまえだ。女のとなりには、少し歳のいった女性、房江。ひたすら本を読んでいるが、どうやらふたりの女の間にはある種のいわくがありそうだ。

 そのうち男は3人分の駅弁を買ってくる。それを二人の女にもわたす。一緒に食べようというわけだ。

 実は女は過去に夫を刺殺して刑務所に入っていたが、模範囚であった。模範囚であったので、特別に墓参りを許されたのだ。隣の女は彼女に同行した見張り役の房江だった。

 北陸についても男は女につきまとう。問わず語りが続く。彼女に親しみを感じ、魅力を感じたのだった。しかし、この男もわけありの過去(銀行強盗?)をもっていた。

 二人の間にほとんど会話がないが、それでも女は次第に気さくなお調子者の彼に気を許し、心を開いていく。しかし、蛍子は用(墓参り)が終われば、刑務所に戻らなければならない。

 「約束」というタイトルに関係するシーンは二か所。一つは刑務所に帰る瑩子にもう一度、明日の昼にあってほしいと朗がせがみ、蛍子が約束どおりに待っていたにもかかわらず、事情があってのことだが、朗が結果的にすっぽかしたシーン。もう一つは刑務所に戻った蛍子が刑期を終えたら再開しようとお互いに約束するが、これも朗が警察につかまって破綻するシーン。最後は、北陸の思い出の街で、瑩子が押し黙って海をみながら待ち合わせの場所のシーンで終わる。

 日本海の波高く暗い海、そして哀切きわまりない音楽・・・。それらを背景に不条理な男女の想いが胸に突き刺さってくる。