【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

画を鑑賞する姿勢を示唆した本

2009-04-29 00:15:44 | 美術(絵画)/写真
尾崎彰宏『レンブラント、フェルメールの時代の女性たち-女性像から読み解くオランダ風俗画の魅力-』小学館、2008年

                
レンブラント、フェルメ-ルの時代の女性たちの画像

   過去に描かれた名画を見るのは、結構、難しいものだということがわかりました。この時代の画家は漫然と絵を描いていることはなく、キャンバスに書き込んだひとつひとつの小物、対象、構図などにも多くの注意をはらい、意図を加えています。

 そして、この時代は情報媒体が現代と異なり、限られていましたから、画はいろいろな情報の担い手でした。

 画を見るときには、現代の視点から鑑賞することもひとつの方法ではありますが、まず当時の画家のコンセプトをよく考え、当時それらの絵をみていた人たちの想いによりそうことが重要です。

 一言でこのように言えても、実際にそのようにするにはトレーニングがいります。今を生きているわたしを描かれた絵の時代の人間にもっていき、その時代の人になるということなど簡単にできるはずがありません。

 過去の人間にとっては当たり前であったことが、今の人間には当たり前のことではないのです。

 本書は、この容易にはできない鑑賞態度のトレーニングを手助けしてくれます。一例をひくと、フェルメールに「恋文」(1669-70頃)という画がありますが、当時、「手紙」がもっていた価値、意味はどのようであったのか、左手の地図が「ホラント、西フリースラント両州の地図」であること、女性ふたりの背後の壁にかかっている2枚の絵が恋人たちの愛の往くへを暗示していること、そしてこの画の構図がホーホストラーテンの「入口から見たオランダの室内の透視図」、ホーホの「女性と手紙を持つ若い男性」と無関係ではないといったことが解説されています。

 本書では、こういった感じでフェルメール、レンブラントに代表されるオランダ絵画を読み解くために必要な情報(家庭での女性の力、それに対する男性の畏怖、当時の医者[偽医師]という職業の中身、老女の果した役割、が満載されています。

 また、ドイツの哲学者ヘーゲル(1770-1831)がその著『美学講義』のなかでオランダ絵画について言及しているようで、本書でその部分が引用されていました(pp.224-225)。初耳でした。

 さらに、普段あまりお目にかかれないメッツー、ステーン、ミーリスなどの風俗画が掲載され、ほどよい解説がついています。この点だけでも得難い良書です。

濃密な作家活動を綴った三島由紀夫の日記(「裸体と衣装」)

2009-04-28 00:01:08 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談
三島由紀夫『裸体と衣装』新潮社、1959年

            
         
  

 表題の日記の他,短編,評論で出来あがっています。著者(1925-1970)の作家生活を知る貴重な日記(昭和33年2月から34年6月まで)です。表題は、自身の生の告白(裸体)と演技する人としてのそれ(衣装)とを読者に想起させます。

 当時書き下ろし中の「鏡子の家」という長編小説の執筆枚数が,時を刻むように入っています。豊穣,絢爛,潤沢な知識とそれを裏打ちする行動,そこから立ち昇る即興的な思想にまず驚嘆しました。33-34才という年令です。

 日記ですから,読者は現在進行形で作家生活を追っていくような感覚になります。オペラ,バレエ,歌舞伎,映画,ボクシングを観,古今東西の本を読み,ボディ・ビル,剣道に打ち込み,適度の日光浴,散歩,散髪を欠かさないのです。

 その間,文壇の人々,俳優との交遊,海外の評論家,訳者との書簡の往復,自作の戯曲の海外公演。私生活では結婚,引越し,女の子の誕生。ここまではいいのです。

 あるとき著者は,気難しく自己分析を始め,作家論,小説論を語り始めます。途端に,著者は読者の畏敬を受ける存在から読者の向こう側に座って,問題を投げかける文学者に変身します。もっとも,著者は自問自答しているにすぎないのですが。

 コンデンスミルクのような日記です。13年後のグロテスクな自決も含めてその文学活動は、奇才のそれでした。

銀座のお薦めBAR 2店(「毛利BAR」と「ルパン」)

2009-04-27 00:02:14 | 居酒屋&BAR/お酒

 銀座に飲みに行くことなどは、滅多にありません。暇がないのと、わたし自身が銀座に似合わない人と自認していますので、一年に2回くらいです。

 というわけで、いいBARがどこかもよくわかりません。そのなかで、「MORI・BAR」(中央区銀座6-5-12、TEL03-3573-0610)と「ルパン」(中央区銀座5-5-11、TEL03-3571-0570)を紹介します。どちらも評判のBARです。

 「毛利(MORI)BAR」は、銀座大通りのアートマスターズビルの10階にあります。酩酊の最後のお店と考えて、小さなエレベータを10階まであがります。お店に入ると、カウンターは10席くらい、4人掛けのテーブルが3席くらいだったと記憶しています。まず、「コンソメ・スープ」がでます。これがユニーク。次いでラム・マティーニがお勧めです。ここのマティーニは一味違います。ドライジンは英国製の「ブードルス」、ベルモットはフランス製の「ドラン・シャンベリー・ドライ」です。このブードルス・ドライは零下20度でギュとしめられています。超ドライ・マティーニですね。オーナーの毛利隆雄さんのステア(攪拌)も見ることができます。その数は何と100回くらい! 午前3時まで空いているそうですが(ウィークデー)、終電めがけて帰ります。  

 「ルパン」は、作家の太宰治が通っていたことでよく知られています。お店に入ると、太宰治、織田作之助、坂口安吾の写真があります。昭和3年開店。ここに来ていた文豪、画家、演劇人は多数です。永井荷風、川端康成、大仏次郎、林芙美子、宇野重吉、滝沢修などなど。各種カクテルがおいしいです。とくに、よく冷えたカッパーマグで飲むモスコーミュールが格別です。人気カクテルはチャーリー・チャップリンです。ドイツ・ミュンヘンの銘店チーファーのソーセージが逸品です。
 

lupin 


フランス近代音楽の薫り

2009-04-26 01:24:37 | 音楽/CDの紹介

ドビュッシー、ラヴェル、フォーレ~栄光のフランス近代の音楽~
                  ヴァイオリニスト 藤原浜雄
                  ピアニスト     三上桂子
                  チェリスト     毛利伯郎
                  桐朋学園大学  西原 稔

 ・フォーレ   「ヴァイオリンソナタ 第1番 イ長調 作品13」 (藤原、三上)
 ・ラヴェル   「ソナチネ」 「水の戯れ」 (三上)
 ・ドビュッシー 「ピアノ三重奏曲 ト長調」(藤原、毛利、三上)

            


 フランスの近代音楽を代表する3人、ドビュッシー(1862-1918)、ラヴェル(1875-1937)、フォーレ(1845-1924)の音楽を楽しむレクチャーです。

 フランスの近代音楽は、19世紀の政治が前提になります。簡単に言うと、フランス革命によって宮廷音楽は瓦解しますが、それからサン・サーンス(1835-1921)が登場するまで、フランスではピアノ、ヴァイオリンなどの器楽曲は衰退しました。

 この間にフランスに発達したのは、吹奏楽です。中心的な作曲家はゴセックです。同時に、ドイツ音楽の受容が盛んでした。19世紀にフランスでよく演奏されたのは、ベートーヴェン、モーツアルト、ハイドン、メンデルスゾーンでした。フランス人は交響曲、協奏曲、室内楽などのジャンルには携わらず、もっぱら劇的カンタータ、オペラの創作とかかわりました。

 こうした状況に反発したのがサン・サーンスです。サン・サーンスは1850年代から、交響曲の作曲を始めました。70-71年の普仏戦争後、サン・サーンスは「フランス国民音楽協会」を組織し、フランスの器楽曲の作品を作ることを課題として掲げました。彼の忠実な弟子がフォーレでした。

 今回は、そのフォーレから、ラヴェル、ドビュッシーの曲の演奏がありました。
 フォーレの「ヴァイオリンソナタ 第1番 イ長調 作品13」は、大変有名です。近代フランスが生み出した最初のヴァイオリンソナタの傑作です。ラヴェルはフランス芸術の古典美を追求した作曲家です。「ソナチネ」はフランスが輝いていた18世紀に思いを馳せ、繊細で感傷的で古典的な表現をとりながら、モダニズムを少しばかり取り入れています。 「水の戯れ」は1901年の作品です、リストの「エステ荘の噴水」の「水」の表現が原点にあります。この作品は噴水のしぶき、きらめき、水の運動が精妙な和声やパッセージによって表現されています。
 
 ドビュッシーの 「ピアノ三重奏曲 ト長調」は19歳のときの作品ですが、100年ほども行方不明でした。フォン・メック夫人がチャイコフスキー宛ての手紙でこの作品のことに触れていますが、誰も長く実物に接することができなかったいわくつきの作品です。
 ところが1980年に第一楽章と作品全体のチェロ・パートが発見され、ニューヨークのピーアポント・モーガン図書館に収められました。2年後の1982年にエルウッド・デアがこの作品の第二楽章からと第四楽章の自筆譜を発見し、ミシガン大学図書館に収められました。ニューヨークのものが改訂稿でミシガンのものが初稿ということもわかりました。
 さらに、ミシガン大学所蔵の楽譜には欠損があり、第四楽章の210-234小節が欠落し、さらに同楽章の最後の4小節が切り取られていました。
 現在、演奏されているのは二つの稿をもとに210-234小説の欠損部分をピーアポント・モーガン図書館所蔵のチェロ・パートを参考に補筆され、切り取られた最後の4小節は余白に音符が書きいれられていたのでこれを起して、全体の完成版が作成されたものです。
   
 演奏も、西原さんの解説も大変よかったです。いい時を過ごしました。


パトリス・ルコントの美学の伝説はここに

2009-04-25 00:11:13 | 映画

パトリス・ルコント監督「髪結いの亭主,フランス,1990年 

         
 12才の少年アントワーヌは,床屋に行くのが大好きです。いきつけの床屋は男性専用で,アルザス出身の少し太めの美女シェーファー夫人が経営しています。アントワーヌは,大人になったら女性の床屋さんと結婚し,髪結いの亭主になりたいと思いました。

 成人したアントワーヌ(ジャン・ロシュフォール)はある床屋の店を訪れ,美しい女性理容師マチルド(アンナ・ガリエラ)と出会います。マチルドを見初めた彼は,いきなりプロポーズ。そして結婚。

 床屋業は彼女が担当し,彼はそれをながめる毎日です。理髪にきてむずかる子どもを奇妙なアラブ風の踊りであやす程度が彼の役割。店の窓から射し込むやわらかな陽ざしのなかで,匂うような官能美を放つ妻のマチルド。二人は10年もの間,愛し合い,色褪せることのない甘い至福の暮らしを続けました。「二人が離れるのは死ぬとき」とマチルドは言います。これがこの映画の伏線です。

 ある日突然,悲劇が訪れます。二人の男性のお客が「死」とは何かについて会話をかわし,店を出ていきます。マチルドは,彼らの背中を見ながら「また背中がまがった,人生って嫌ね」とつぶやくのでした。
 夕立を観ながらマチルドは,「買い物をしてくる」言い,傘もささず店をでました。そして,・・・・・。

 遺された言葉は,
 「あなたが死んだり,わたしにあきる前に死ぬわ。優しさだけが残っても,それでは満足できない。不幸より死を選ぶわ。抱擁の温もりやあなたの香やまなざし,キスを胸に死にます。あなたがくれた幸せな日々とともに死んでいきます」と。

  深い哀しみを結晶させた,独特の死生観をルコント美学で包んだ佳品です。


蒲田行進曲

2009-04-24 00:04:24 | 映画
深作欣二監督「蒲田行進曲」 松竹 1982年 109分         
             
        
 場所は京都の撮影所。「新撰組」の撮影が進行中です。それなのに何故、蒲田行進曲なのでしょうか。蒲田行進曲の歌は昭和5年につくられたものです。当時は、映画界はいまと全く異なり、松竹と日活が競い合っていました。松竹の撮影所は蒲田にあり、夢のある映画を製作していました。蒲田はいわば映画のメッカだったのです。この映画のタイトルは、映画のなかの京都の撮影所とはまったく関係なく、夢のある活動写真の象徴として使われているだけのことのようです。  

 ストーリーは、単純です。東映京都撮影所で新撰組の池田屋奇襲の撮影に入っています。銀ちゃんこと倉岡銀四郎(風間杜夫)は、土方歳三の役ですが、なにかと橘(原田大二郎)におされ気味。

 大部屋のヤス(平田満)は銀ちゃんにあこがれ、尊敬しています。

 銀ちゃんには付き合っている女性小夏(松坂慶子)がいて、お腹に赤ちゃんがいましたが、スキャンダルになるのを恐れ、小夏をヤスと無理やり結婚させます。ヤスは銀ちゃんの子供をひきうける羽目に。

 妊娠中毒症にかかった小夏が入院中、ヤスは少しでもお金をかせごうと危険なスタントマン役をいくつもひきうけ満身創痍です。

 撮影所では池田屋での「階段落ち」の場面にスタントマンを調達できず、監督(蟹江敬三)はそのシーンを省略を決め込みます。しかし、それではお客からみれば期待はずれの映画になってしまい、入りはあがったりになること請け合い。

 そこでヤスが銀ちゃんのためにも、階段落ちをかってでます。階段の高さは10メートル余り。39段です。そして、いよいよそのシーンの撮影。

  これ以降の場面は、一気に進みます。なかなか大変です。そして、最後はあっけないですが、ちょっと可笑しい幕切れです。

  脚本は、つかこうへいさん。もともとは舞台でした。松坂慶子さんは体当たり演技ですが、綺麗です。風間さんは、若さをもてあますほど輝いています。平田さんはおかしいが、演技、顔の表情などはすごいです。ヤスのお母さん役の清川虹子さんも味を出していました。

  ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪

   虹の都 光の港 キネマの天地
   花の姿 春の匂い あふるる処
   カメラの眼に映る 仮染めの恋にさえ
   青春もゆる 生命はおどる キネマの天地 

   胸を去らぬ 想い出市ゆかし キネマの世界
   セットの花と 輝くスター 微笑む処
   瞳の奥深く 焼き付けた面影の
   消えて結ぶ幻の国 キネマの世界

   春の蒲田 花咲く蒲田 キネマの都
   空に描く白日の夢 あふるる処
   輝く緑さえ とこしえの憧れに
   生くる蒲田 若き蒲田 キネマの都  

野球界の興味深い話題提供が嬉しい

2009-04-23 00:28:44 | スポーツ/登山/将棋

二宮清純『プロ野球の一流たち』講談社新書、2008年

           プロ野球の一流たち

 プロ野球の一流選手の哲学、理論とともに、現在この分野が抱えている問題についての見解を述べた本です。

 一流選手として登場するのは、野村克也、中西太、稲尾和久、大野豊、松坂大輔、清原和博、土井正博、新井貴浩、渡辺俊介、山崎武司、工藤公博、古田敦也。(敬称略)

 本書を読むと野球がいかに難しい、デリケートなスポーツかがよく分かります。細かい技術的な話が論じられています。例えばインコースを打つには”たて振り”がよいとか(p.105)、野球は風の計算が大事だがピッチャーはバックネットにはねかえる風まで考えている(p.122)、など。

 本書は野球の本なので、当然、選手のいろいろな記録の記載もあります。王選手のホームランの86.3%はライト方向、清原選手と落合選手のホームランの左方向はそれぞれ28.6%と34.9%(pp.93-94)。古田捕手は、通算2000本以上の安打を打った右バッターのうち通算打率は4位の・294で(1位は落合の・311)、山本浩二、大杉勝男、清原和博などよりよい(p.162)そうです。

 松坂の大リーガー入りの際の代理人交渉の顛末、アメリカ主導のWBCの舞台裏、裏金問題、特待生問題と高校野球連盟、など球場の外での野球に関連した社会問題に対して、著者は歯に衣を着せない発言をしていて、気持ちがよいです。


チェロ作品でたどるクララ・ヴィーク=シューマンの生涯

2009-04-22 00:22:38 | 音楽/CDの紹介

チェロ作品でたどるクララ・ヴィーク=シューマンの生涯
                  講師 チェリスト   長谷川陽子
                      ピアノ     鷺宮美幸
                      音楽評論家 谷戸基岩

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  クララは、ローベルト・シューマンの妻ですが、19世紀の実力派のピアニストであり、作曲家でもありました。今回のレクチャーは、クララに関わる人々をチェロの演奏とともに理解していくというものです。解説は谷戸さん、チェロの演奏は長谷川陽子さん、ピアノは鷺宮美幸さんでした。

 演奏された曲目は、以下の通りでした。
 ①クララ・ヴィーク=シューマン(1819-1896)
 「4つの性格的小品op.5」より 「第1曲 間奏曲:魔女集会」(鷺宮美幸さんピアノ独奏)
 ②ローベルト・シューマン(1810-1856)
  「民謡風の5つの小品op.102」より 「第1曲 イ短調《空虚の空虚》」
 ③ヴォルデマール・バルギール(1828-1897):「アダージョ op.38」
 ④マリー・ヴィーク(1832-1916):「スカンディナヴィア民謡による幻想曲」
 ⑤ヨハネス・ブラームス(1833-1897):「チェロソナタ第1番ホ短調op.38」より「第一       楽章 アレグロ・ノン・トロッポ」
 ⑥ルイーゼ・アドルファ・ル・ポー(1850-1927):「4つの小品op.24」より「第4曲 マズルカ」

  以下は、レクチャーの内容です。

  クララ・ヴィークは作曲家でもありました。①はそのクララの作品です。クララの父親フリートリヒ・ヴィークは家庭での音楽教育に大変厳しかった人です。娘のクララに数多くのオペラ鑑賞をさせました。当時のオペラにはしばしばオカルト(怪奇)趣味があり、「4つの性格的小品」にもそれが反映しています。

 シューマンのチェロとピアノのための作品は一曲しか残っていません。②はその曲で長谷川さんが演奏しました。シューマンには他に「5つのロマンス」というチェロとピアノのための作品があったそうですが、クララは破棄したことがわかっています。

 ③はもともとチェロと管弦楽のために書かれた曲です。④はピアニスト・声楽家としてヨーロッパ各地を演奏旅行したマリーが旅先でであった民謡にインスピレーションをえて作曲したものです。
 
 ブラームスのチェロとピアノのための作品は2曲しかありません。そのうちのひとつが⑤の「チェロ・ソナタ第1番」です。

 ルイーゼ・アドルファ・ル・ポーは、クララにピアノのレッスンを受けていました。ふたりはあまりいい関係ではなかったようで、ルイーゼは後年、「回想録」のなかでクララのピアノの指導の仕方、人間性に疑義を示しています。ルイーゼのこの「4つの小品」⑥はハンブルクの作曲コンクールで優勝した作品です。

 長谷川さんは②~⑥までの曲を弾きました。チェロはヴァオリンとは異なり、一見地味ですがいろいろな音色がでるのはもちろん、響きが強く伝わってきます。長谷川さん、堂々たる演奏でした。まじかで聴くチェロは初めてです。

 解説の谷戸さんは雑誌『音楽の友』などに評論を書いている人だそうです。丁寧で、わかりやすい解説でした。


加藤周一の日本人論、知識人論

2009-04-21 14:56:30 | 評論/評伝/自伝
加藤周一『日本人とは何か』講談社、1976年              
             

 知の巨人、加藤周一(1919-2008)の日本人論、知識人論です。

 8編の論稿が収められていますが、いずれも1960年前後に書かれたものです。

 著者は日本ではもとより西欧で長く生活し、複眼的な目で日本、日本人、知識人のありかたを見据えています。

 たとえば、しばしば日本的なものと国学の流れが強調する「わび、さび、枯淡」は日本の文学、芸術の一面にすぎないことを指摘し、日本文化の雑種性、外来文化混入を前提とした文化の普遍的基準の確立を唱えます。

 また、日本は経済的な面での長い間の孤立は脱却しつつありますが、政治的な面では孤立の事情は変わっていない、日本のアジアでの伝統的孤立は変化がないと述べています。

 天皇制の洞察は鋭く、日本の近代化には歪みがあり、その集中的表現が天皇制と説いています。1956年9月に天皇制と宗教意識に関する世論調査(調査票約6000)を全国規模で行った結果が紹介されていて、まことに興味深いです。

 最後に知識人について、また知識人が大東亜戦争とどのように関わったかについての考察がなされています。内容の要約は難しいですが、日本の知識人は(イギリス、フランスなどと比べると)政治にも、大衆文化にも影響力をもたない抽象的存在で、そのような孤立的状況も手伝って、大多数が太平洋戦争を聖戦と礼賛し、皇軍のたたかいを熱狂的に支援したと分析しています。

 知識人の思想は、結局、西洋思想の受け売りであり、生活意識と日本の伝統を媒介としていませんでした。著者は、このことが知識人の思想が真の意味での科学的精神を欠く脆弱な内容のものとならざるをえなかった理由である、と述べています。
 この内容は著者の叙述に即して言えば、論旨は概ね、次のとおりです。戦争中、知識人にとっての思想の価値は、実生活上の便宜、習慣、感情、「小集団を支配する家族的意識」を超越するものではありませんでした。倫理的価値、美的価値、科学的真理は、生活の論理に屈服したのです。日本は超越的価値概念、真理概念を生むことができず、外来思想を頭で理解していました。それこそが知識人の戦争協力という事実の背景でした。批判の矛先はとくに日本浪漫派、京都哲学に向けられています。

 「思想」が国家をも超越する価値として捉えていたわずかな知識人のみが、その脆弱性を回避でき、戦争協力や戦争賛美と無縁な場所にいたとも書きくわえています。
    
    
                
               
             
 

神楽坂の寛ぎの空間

2009-04-20 00:04:56 | 居酒屋&BAR/お酒

「風雅」 新宿区神楽坂5-30 03-3513-5230
公式サイト ⇒  http://www.bar-fuga.com/

  

  神楽坂の路地裏にひっそりと佇む「風雅」です。築70年の古民家の改築で、雰囲気十分です。JR飯田橋駅から神楽坂を上がって、毘沙門天を通過し、最初の信号を左手に曲がって10分ほどです。

 この店は3階構造です。1階は、一枚板が心地良いカウンターが5席ほど。2階はラウンジ風ソファー席、3階は屋根裏個室で一日ひとくみの場所です。この日は、2階のソファー席に座りました。

 注文は、上州とことん豚・黒胡椒焼、名古屋コーチン手羽先、ソーセージ盛り合わせなどです。

 日本酒が抜群に豊富です。焼酎、日本ワイン、日本ウイスキー、和リキュールなど国産酒がいっぱいです。金属の徳利がおしゃれです。

 お酒はビールからでしたが、このグラスがすごく綺麗でした。生麦酒の銘柄は、カージェリーエステラという珍しいもの。武蔵小金井に工場があるとか。そして日本酒。利き酒セット(大吟醸、吟醸、純米)などなど。

    写真:日本酒

 全国から取寄せられら塩辛、からすみなどの珍味。ここのお薦めは、HPによると温泉湯豆腐です。ふわっとした食感が美味しいようです。
          

写真:店内


読書リテラシー

2009-04-19 00:23:15 | その他

ブログ・コンセプト②  「3つの読書リテラシー」

 「
読書リテラシー」という表題は大げさに聞こえるかもしれませんが、本を読むときに心がけていることがありますので、今回はそれをいくつか紹介します(ここで言う読書は仕事関係のそれでなく、文字通り、趣味としてのそれです

 ひとつは、必ず最初から最後まで読み通すことです。つまらなくても、難解でも、頭に入らなくとも、とにかく読み通します。と言うのは、途中でやめなくてよかったという本にたくさんであったからです。途中でやめてしまっていたら、宝物を発見できそこなやのではと思ったことはしばしばです。鉱脈に辿り着くには、苦労をともなうものなののです。

 もっとも「必ず」と言っても、途中で投げ出した本が全くないわけではありません。ただし、それはほんの数冊しかありません。

 2つ目は、読書は最初の部分が肝心なので、丁寧に、ゆっくりと読みます。最初を急ぐと、読みはあさくなります。書き手によって文体に個性がありこれになれることが必要ということもありますが、何をテーマとし、それにどのようにアプローチするかということはおおむね書き出しの部分におおむね出てきますので、それぞれの本の枠組みをつかむためでもあります。映画を観る場合にも最初はなかなか入っていけないことがありますが、最初をじっくり、丁寧にみると、映画の全体像の理解は比較的容易になります。もっとも映画は見る側のペースト無関係にどんどん進んでいきますが、読書の場合は読み手のペースの確保はできます。

 3つ目は速読しないということです。ゆっくり吟味しながら読みます。たくさんのいい本があり、人生の時間は限られていると、早く読了して次の本へと進きたいとあせりがちになりますが、それはしません。読書の楽しみを犠牲にしてまで、多くの本を読んでも意味がないと考えるからです。仕事関係では、拾い読みしたり、斜めに読んで大意をつかんだりすることは始終ありますが、趣味の読書ではこれは禁じ手です。世の中には、速読の大家という人がいるようですし、1ページ分をあっというまに頭に焼き付ける速読法というのもあるらしいのですが、わたしは速読には関心がありません。
  
 今日は、理屈っぽい話になってしまいました。恐縮です。
    

 


 


有馬稲子さんの自伝

2009-04-18 00:20:25 | 評論/評伝/自伝
有馬稲子『バラと痛恨の日々』中央公論社、1998年        
        

 有馬さんは、この本によると、複雑な家庭と環境のなかで育ったようです。「ママ」と思っていたのは実父の姉でした。4歳で韓国の釜山のこの伯母夫婦にもらわれ,一度小学3年のときに一端大阪に帰りますが、実父母となじめず,韓国に戻りまる。

 戦後,21年11月ごろ密航同然で日本に帰国しました。再び実父母のもとに身をよせましたが,スパルタ教育に苦しみました。その後、友達の勧誘で宝塚に合格しました。女優人生が始まりました。

 思い出の映画は「彼岸花」「夜の鼓」「わが愛」など、とか。新劇では宇野重吉に鍛えられ,木村光一さんと出会って「はなれ瞽女おりん」の主役を得ました。ロンドン公演(ジャパン・フェスティバル91)で大成功,激賞されました。

 中村錦之助,実業家Sとの2度の結婚に失敗。そんな彼女は書いています,「『家族』,それはわたしにとって永遠のテーマ・・・・もとめ続けてついに得られなかったもの」(pp.213-214),「意識の薄れる瞬間,生きていてよかったと,愛する人の腕の中で呟きたいという夢。そんな夢が,まだ捨てきれないで残っているのだ」(p.216)と。

 川端康成,岸恵子,太地喜和子,宇佐美宜一,大河内豪との交流の記,運転免許取得の記。いずれも面白いです。

 有馬さんには数年前の12月、「地人会」のパーティーでお会いしました。

親鸞のひととなり

2009-04-16 13:28:05 | 科学論/哲学/思想/宗教
山折哲雄『親鸞を読む』岩波新書、2008年
         
      
 親鸞についての知識はほとんどありませんでした。知っていたキーワードは、浄土真宗の祖、他力本願、悪人正機説、その教えは「歎異抄」等々くらいです。

 この本によってかなり親鸞という人が分かりました。まず、長寿だったこと。承安三年(1173年)生まれで弘長二年(1262年)没、亨年90です。
 承元元年(1207年)、専修念仏停止(センジュネンブツチョウジ)で京都から越後に流され、その後5年ほどで罪をとかれると、建保二年(1214年)頃、常陸国笠間郡稲田郷で伝道生活。60歳をこえるころ京都に戻りました。

 親鸞の名は中国の七高僧のふたり「天(親)」と「曇(鸞)」からとったものだそうです(p.36)。それ以前には「綽空」「善信」を名乗っていまし(p.38)。

 「歎異抄」は弟子の唯円によるもので、師の親鸞の信心に異なる説をとなえるものがいたので、それを歎き批判するために書かれたものです(p.83-84)。

 親鸞の思想の神髄は、難解な書物「教行信証」にあります。そこに凝縮されている主題は「父殺しの罪を犯した悪人ははたして宗教的に救われるのか」でした(p.149)。

 悪人正機の核心は、「善知識」(善き教師)と「懺悔」(その師について罪を深く反省すること)による除外規定(阿弥陀如来の救済力は「五逆(父殺し、母殺し、聖者殺し、仏の体を傷つけ、教団を破壊する者)」と「誹謗正法」の罪を犯した者には及ばない)の克服であるとのこととのことだそうです(pp.151-152)。

 「教行信証」には「歎異抄」には見出すことのできない、悪と悪からの救済についての究極の問題が論じられています(p.156)。、また、「愚禿親鸞」(ぐとくしんらん) と名のったこと、「非僧非俗」(ひそうひぞく)の生活をおくったことでも知られています。

 最終章「恵信尼にきく」もためになりました。恵信尼は、親鸞の妻といわれる人です。西本願寺の宝庫に眠っていた「恵信尼文書」とうものが大正10年に、発見されました。「下人譲状二通」「書状八通」「無量寿経の音読仮名書三葉半」からなります。著者は、「下人譲状二通」「書状八通」も重要ですが、いままであまり重視されなかった書写断片「無量寿経の音。読仮名書三葉半」に重要な価値があると主張しています(p.179)。

 本書は、『悪と往生ー親鸞を裏切る「歎異抄」』(中公新書、2000年)、『親鸞の浄土』(アートデイズ、2007年)とともに、著者による「親鸞」三部作です(pp.213-214)。

フランス映画「8人の女たち」

2009-04-15 00:17:48 | 映画

フランソワ・オゾン監督「8人の女性たち」2002年,111分

      

 場所は1950年代のフランス,降りしきる雪に閉ざされた屋敷。クリスマスを明日に控えた早朝,この屋敷の主マルセルが殺されました。犯人は屋敷のなかにいるはず,虚々実々の犯人捜しが始まります。サスペンスの要素が盛り込まれ,大変に面白い映画で。ひとつの空間のなかで,女性8人の心の衝突,葛藤が繰り広げられます。思惑,疑念,嫉妬,邪推が渦巻きます。


 8人の女性の関係は,この映画を見る前におさえおくとよいです。まず,大きな存在としておばあちゃんマミー(ダニエル・ダリュー)がいます。脚が弱っていますが,まだまだ気力は健在。今は株にのめりこんでいます。彼女にはふたりの娘があり,ひとりは殺された夫マルセルの美しく気品溢れる妻ギャビー(カトリーヌ・ドヌーブ)。もうひとりは,その妹でオーギュスティーヌ(イザベル・ユペール)。欲求不満が顔に出ているオールドミスです。
 美貌の持ち主であるギャビーには,ふたりの娘がいます。イギリス留学中のスゾン(ヴィルジニー・ルドワイヤン)と犯罪ミステリーが大好きなカトリーヌ(リュディヴィーヌ・サニエ)です。長女のスゾンは,実は夫の子ではなく,結婚前に付き合いのあった男との間に生まれた子でした。
 夫には妹ピレット(ファニー・アルダン)がいます。自由奔放な性格で,かつては踊り子であった。
 そして,さらに家政婦とメイドの2人の女性。古くからいる黒人の家政婦の名前はシャネル。そしてもうひとりは新しいメイドで妖しい色香をはなつルイーズ(エマヌエル・ベアール)。以上8人です。

 ストーリーは,長女のスゾンが留学先から戻ってきたところから始まります。彼女の帰宅で賑やかになったリビングでは,帰宅したスゾンを中心に女性たちのおしゃべりが弾みましだ。ところが,主のマルセルの部屋に朝食を運んだメイドのルイーズが,そこに背中をナイフで刺され死んでいた彼を発見したことで,話しは急転直下。空気は暗転し,サスペンスの石が投げ込まれます。ルイーズの通報にショックを受けながらも,犯人探しが始まりました。ところが,警察に連絡をしようにも,電話線が切られ,車も配線を切断され動きません。番犬が不審なものに吠えた様子もありません。犯人は内部の人間しか考えられないという疑念がみんなの気持ちのなかに起り,お互いの言動の詮索が始まります。そしてこれまで隠されていた事実が次々に・・・。

 この結末は、意外にも・・・・。

 随所にシャンソンとダンスが入っているのも,嬉しいです。

 この映画のもうひとつの見所は,衣装です。

  それぞれの役に,スクリーンのかつての名花がイメージされています。豹の毛皮をゴージャスに着こなすカトリーヌ・ドヌーブは「母の旅路」のラナ・ターナー,また濃いグリーンのドレスで踊る場面では「荒馬と女」のマリリン・モンローがモデルです。

 スゾンを演じるヴィルジニーの衣装モデルは「麗しのサブリナ」のオードリー・ヘプバーン。次女カトリーヌ役のモデルは,「巴里のアメリカ人」のレスリー・キャロン。

 後半は変身してセクシーな青いロングドレスで登場するイザベル・ユペール演じる欲求不満のオールドミス,オーギュスティーヌのモデルは赤毛のセックス・シンボルと呼ばれたリタ・ヘイワ―スです。

 色香漂うメイドのルイーズを演じたエマニュエル・ベアールのモデルは,「小間使の日記」のエロティックなジャンヌ・モロー。義妹の役を演じるファニー・アルダンの衣装モデルは「裸足の伯爵夫人」のエヴァ・ガードナー,黒手袋を脱ぎ捨てながら歌うシーンは「ギルダ」で有名なリタ・ヘイワ―スの振り付けの再現です。

 いやはや、映画ファンには、こたえられない楽しさです。

 2002年ベルリン国際映画祭銀熊賞


映画が活動写真と言われていた頃  「キネマの天地」(松竹)

2009-04-14 01:08:39 | 映画

山田洋次監督『シネマの天地』1986年 135分

                                 キネマの天地(初回生産限定)          
 
 松竹50周年を記念して製作された作品です。

 時代は昭和8年(1933年)。軍靴の音が聞こえつつありました。松竹=蒲田撮影所でのお話です。

 浅草の映画館で売り子をしていた田中小春(有森也実)が、松竹の小倉監督(すまけい)に女優としてスカウトされます。撮影所の所長は城田(松本幸四郎)、その下には当時の意気軒高な才能ある監督がたくさん活躍していました。他方、いい加減な低俗な写真(映画のこと)をとる監督もいました。

 若い助監督、島田健二郎(中井貴一)は、そのような撮影所のなかでいい脚本を書き、芸術的な映画をとることに希望をもって仕事をしていました。 

 「浮草」という映画をとる段になって、主演となる女優が出奔してしまいます。誰が代役を努めるか? 小春が抜擢されます。

 しかし、小春は演技力が未熟。重要な場面でNGを出し続けます。何度、この場面を撮ろうとしても、演技はぎこちなく悪くなるばかり・・・。小倉監督は癇癪を起します。

 小春は父、喜八(渥美清)とのふたり暮らしでした。喜八は実は小春の本当の父ではなく、かつて小さな旅回り劇団の役者だったころ、ある男の子を身籠っていながら捨てられた一座の看板女優と結婚。その後、生まれた子が小春でした。母は亡くなり、喜八と小春とは親子二人で貧しく暮らしてきたのですが、小春の出生の秘密は隠されたままでした。

 何度もNGを出し、帰宅した小春は途方にくれましたが、父の喜八が娘を叱咤したときに、この出生の秘密をうっかり喋ってしまいました。

 さて、この顛末は???

 映画がまだ「活動写真」であり、ようやくトーキーの時代に入るころです。新しい大衆の娯楽として巣立ち始めたころの話です。

 いろいろなことがありました。たとえば初期の映画は舞台俳優が多かったのですが、舞台での演技と映画のそれとでは大きな違いがあります。演劇では複数の役者が舞台という空間で演技し、ストーリーを熟成させていきます。映画は、ワンショットづつをとり、フィルム編集で完成させます。演劇の役者はそんな映画をある意味で軽蔑していました。監督の言うことを聞かない役者もたくさんいました。

 ストーリーをワンカットづつ撮る監督からみれば、多少演技が下手でも素直に言うことを聞く俳優のほうが使いやすかったわけです。女優はとくにそうでした。「シネマの天地」には、そんな当時の活動界の雰囲気が流れています。

 松竹にはその頃、斎藤寅次郎、小津安二郎、島津保次郎、清水宏、山本薩夫、吉村公三郎、大島渚、木下恵介らの優秀な監督がいましたが、「シネマの天地」ではそれらの人たちがモデルになって熱く活動しています。
 
 中井貴一、有森也実、すまけい、渥美清、倍賞千恵子、市川染五郎、岸部一徳、堺正章、平田満、松坂慶子、桃井かおり、木の実ナナ、笹野高史、笠智衆、藤山寛美など豪華キャストで、みないい味をだし好演です。