【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

なかにし礼『天上の声・大地の歌』音楽の友社、2001年

2007-08-24 16:08:39 | 音楽/CDの紹介

なかにし礼『天上の音楽・大地の歌』音楽の友社、2001年
          天上の音楽・大地の歌 / なかにし礼/著


 かなり独断的(と思える?)な、クラシックにウエイトをおいた音楽評論です。それは「堀米ゆず子」絶賛(pp.180-186)、N響の4人の演奏家に対する厳しい評価(p.144)などなどに出ています。

 それでいて嫌味がないのは、著者の博学な知識の裏づけがあるからでしょう。たとえば、メロディとはラテン語のメロス(旋律)とオード(詩・言葉)の合成語であるとか(p.21)、第九の「歓喜」はフリーメーソン結社入会の「歓び」であるとか(p.194)、「自然界にある無限の音を7つに固定し、その間に5つの半音を入れて12音に決めた・・・犯人はむろんキリスト教の教会である。オクターヴは彼らの世界観の反映であり、それを万人に強いることが力の誇示と布教教育の手段であった」(p.42)などの指摘などなど。

 「音楽はその国の大地に咲いた花である。ゆえに、風土の匂いにみちている。しかも音楽は、音楽一人で抽象的に成り立っているものではない。音楽はつねにその国の言葉というものが寄り添っている」、これがこの本で著者が言いたかったことのようです(p.141)。

 ベートーベンのピアノトリオ「幽霊」の第2楽章が美しい(p.197)とあるので、聴いてみました。おしまい。


玉置信夫著『甲子園球場物語』文藝春秋社、2004年。

2007-08-18 16:20:14 | スポーツ/登山/将棋

玉置信夫著『甲子園球場物語』文藝春秋社、2004年。
            
 炎天下の甲子園。今日も熱戦が繰り広げられています。

 甲子園球場80年の歴史が描かれています。大正13(1924)年8月1日生まれ。「甲子」の名は、この年の干支が「甲子」だったから。切っ掛けは阪神電鉄の実質的社長であった三崎省三が技師の野田誠三にかけた「ヤンキースタジアムなみの球場を設計せよ」のツルの一声でした。

 中等野球夏の大会が開催されていた鳴尾グラウンドでは、観客があふれる状態でした。都市交通視察のため渡米中だった阪神電鉄の車両課長、丸山繁のもとにアメリカの球場の設計図を持ち帰るように三崎から依頼電文がまいこみ、その任務を果たして三崎に見せたことで一挙に話が進んだとのことです。

 プランは具体化され、大正13年約4ヵ月半の突貫工事で完成されたのが甲子園球場です。以来、この球場は日本の野球の盛衰の舞台となりました。

 戦争中は、銀傘が供出され、戦車がグラウンドを走行し、戦後も米軍に接収されたり、と悲劇を味わいましたが、球場はファンに支えられて戦後、すぐに蘇えりました。

 エピソードが一杯です。最初の野球の試合は、第10回全国中等学校野球大会の1回戦、静岡中学対北海中学、北海の手島義美投手の第一球は緊張のあまりバックネット直撃の大暴投(p.45)。校名を書いたプラカードの先導による入場行進、勝ったチームの校旗の掲揚はアムステルダム・オリンピックで女子800メートル銀メダリスト人見絹枝の発案(p.72)。スキーのジャンプ大会がこの球場で開催されたことも(pp.105-106)。

 幾多の名勝負があり、名選手の活躍があり、阪神大震災の苦難を乗り越えて、現在の甲子園があります。


イスタンブールで活躍した人々

2007-08-16 13:00:37 | 歴史

松谷浩尚著『イスタンブールを愛した人々ーエピソードで綴る激動のトルコー』中公新書、1999年。
              イスタンブールを愛した人々―エピソードで綴る激動のトルコ (中公新書)

  「19世紀半ばのクリミア戦争から第二次世界大戦の終結まで・・・オスマントルコ帝国の崩壊・滅亡から新生トルコ共和国の国造りまでの約1世紀のトルコの歴史」(p.iii)を12人の人物を通して概観した本です。

 登場するのは、「ナイチンゲール」「シュリーマン」「ピウエル・ロティ」「山田寅次郎」「乃木希典」「大谷光瑞」「芦田均」「橋本欣五郎」「トロツキー」「アガサ・クリスティー」「ブルノ・タウト」「キケロ」。

 ボスポラス海峡で区切られたヨーロッパとアジアの両岸にまたがるイスタンブール。政治的も、地理的にも微妙な位置にあるこの都市の歴史は紆余曲折、さまざまな人物がここで仕事をし、活躍しました。

 取り上げられた上記の日本人がトルコと深く関係していることは知りませんでした。また、シュリーマン以外の西欧人とこの都市との関係などこれまで知る由もありませんでした。

 日本とトルコとの外交関係についてもそうです。その意味で、眼からウロコがおちる想いで読みとおしました。

 あわせてトルコの近現代史が細部にわたってきめ細かく描かれています。民間人として日本とトルコ両国の架け橋となった山田寅次郎、不朽の大著『君府海峡通航制度史論』を著した芦田均、イスタンブールに国外追放され、そこで『ロシア革命史』『わが生涯』を書いたトロツキー、日本での3年間の滞在の後、トルコに飛び、イスタンブール大学で教鞭をとりながら、多くの建築物を製作し、この地で客死したブルノ・タウト、トルコ建国の父、ケマル・パシャ(アタチュルク)等、興味つきない話題がいっぱいつまっていました。

 著者はイスタンブール領事をつとめた経験をもち、イスタンブール大学でPh.D(博士号)を取得しています。他の追随を許さないトルコ(イスタンブール)通のように思いました。

おしまい。


ビザンチン帝国とアヤ大聖堂

2007-08-12 13:57:54 | 歴史
浅野和生著『イスタンブールの大聖堂ーモザイク画が語るビザンチン帝国』中公新書、2003年。
              クリックすると拡大画像が見られます
  
 コンスタンティヌス帝は、4世紀の頃、内戦状態にあったローマ帝国を再統一。首都をローマからコンスタンティノポリス遷都しました。これが現在のイスタンブールです。

 しかし、4世末、テオドシウス帝の死後、周知のように、ローマ帝国は東西に分裂。このうち西ローマ帝国は4世紀ら5世紀にかけて急速に弱体化しました。そして、476年に消滅。

 他方、東ローマ帝国はビザンチン帝国も呼ばれ、領土的には現在のトルコ、ギリシャを支配して、約一千年の命脈をたもちますが、次第に東からイスラム教国家に押され、領土縮小を余儀なくされ、1453年にオスマン・トルコ帝国によって滅ぼされました。

 聖ソフィア大聖堂は、ビザンチン帝国の初期、6世紀に建設され、この国の歴史とと運命をともにしました。オスマン・トルコ支配下では、キリスト教の聖堂としての機能は剥奪され、イスラム教のモスクとして使われました。現在のトルコ共和国治下では、この建物は宗教性のない文化財として一般に公開されています。

 以上が予備知識ですが、新しい分野の本を読むと前提としている知識が乏しいので難儀します。ビザンチン帝国(東ローマ帝国)、オスマン・トルコのことについて知ろうなどということはついぞ思ったことがなく、読書経験もなかったので、この本に次から次へと出てくる皇帝の名前、地名はメモでもとらないと、なかなか頭に入りませんでした。

 それでも面白いところがたくさんあったのは収穫です。ひとつは、ローマ帝国で当初、キリスト教が排他されていたのが、しだいに受け入れられ、313年にコンスタンティヌス帝によって公認の宗教になぜなっったのか、その理由がよくわかったことです。

 要するに、キリスト教が迫害されたのは、当時ローマ皇帝が神として崇められていたのに、キリスト教が一神教のゆえに皇帝を神として崇拝することを拒否したためからであり、それがしだいに「人間は民族の隔てなく唯一の神によって救われる」というキリスト教の教えが民族の違いに寛容であったローマ帝国の理念に合致しているみなされ、受け入れられたということなのだそうです(p.p30-31)。

 次いで、偶像論争。ビザンチン時代の聖堂ではキリストや聖人の肖像、聖書の物語の場面が壁や天井に描かれていますが、創建時の聖ソフィア大聖堂にはそれがありませんでした。これはキリスト教がもともと神や聖なるものを描いてはならないという教えがあったのに、これも時代を経て聖像擁護が受け入れられ(8世紀には激しい論争があったらしい)、イコンに対する崇敬が正当化されるにいたったとのことです(pp.8-91)。

 第三にアプシスのナルテックス(玄関回廊)のモザイクに描かれた人物が誰かの推測は、ミステリーを解くような面白さがありました。著者はこの人物をテオフィロス帝(テオドラの夫)と推定しています。

 アヤ・ソフィアと呼ばれる大聖堂のモザイク画を素材にビザンチン帝国の歴史と文化に触れた好著です。

佐々木信夫『地方は変われるかーポスト市町村合併』ちくま書房新書、2004年

2007-08-07 14:48:42 | 政治/社会
佐々木信夫『地方は変われるかーポスト市町村合併』ちくま書房新書、2004年

               地方は変われるか


 パワーがあり、タイムリーな地方自治体論です。「第1章:転換期にきた地方政治」「第2章:なぜ市町村合併か」「第3章:市町村合併の設計」「第4章:政策官庁としての自治体」「第5章:地域経営の新しいスタイル」「第6章:人材経営の新たな方向」「第7章:議会は変われるか」「第8章:地方財政の自立改革」「第9章:地方制度の将来」。

 本書で著者が主張しているのは、地方自治体は広域化と狭域化を視野に、変わらなければならず、そのためには自治体は「政策官庁」でなければならず、専門的知識(執行知識ではない)をもった職員を育てなければならず、住民自治の成熟、活発な住民の自治活動が不可欠であるということです。

 市町村合併はその手段であり、これを契機に地方自治体、地方自治のあり方を変えていかなければならないのだと、力説しています。同感。

 地方自治体は。どういう「地域」をつくりたいのか、どういう「改革」をしたいのか、明確なヴィジョンをもたなければならないのです。

 本書は市町村合併の進め方、議会のあり方、地域づくりの方向など具体的な事例をだしながら議論展開しているので、大変わかりやすいです。

 地方自治体論、行政学という学問はこういう内容なのかと、よく理解できました。

 わたしは、これとは別個に地方自治体をまわって、各地域の政策についてのヒアリングを行ったことがあります。その経験から、本書を読みながら合併が頓挫した山形市のことが頭をよぎりましたし、また各地域では政策の評価のための指標作成が普及していることを知っていたが本書でその背景がわかりました。

 最後の章では、道州制への展望が取り上げられていますが、その話はいくつかの自治体でも話題になりました。合併による議員在任特例(p.74),構造改革特区(p.147),公共政策系大学院(p.176),三位一体改革(補助金削減、交付税改革、税源移譲)など、必要な話題が適切に入っているので、勉強になります。

おしまい。

高嶋ちさ子『ヴァイオリニストの音楽案内ークラシック名曲50選』PHP研究所、2005年

2007-08-04 17:14:28 | 音楽/CDの紹介
高嶋ちさ子『ヴァイオリニストの音楽案内ークラシック名曲50選』PHP研究所、2005年
              ヴァイオリニストの音楽案内 クラシック名曲50選


 名曲にまつわるエピソード、アーチストを紹介した本です。

 自分の音楽体験を織り込み、①シンフォニー、②管弦楽曲、③コンチェルト、④室内楽曲・器楽曲、⑤オペラ・その他の5つのジャンルに分けてクラシックを紹介しています。

 クラシックといって構えるのではなく、そこには音楽家のいたずら心があるし、作品は所詮人間が作ったものなのだから(p.19)、という調子で語っています。

 ベートーベン交響曲5番・2楽章(p.30)、ピアノ協奏曲4番(p.131)を絶賛しています。エピソードとしては、ベルリオーズ「幻想交響曲」が失恋の復讐が込められている(p.47)、ヴィバルディの「四季」が女子限定で弾かれていた曲(p.118)、プロコピエフの「交響曲1番(古典交響曲)」がハイドンのパロディと間違えても不思議でない(p.64)など多数書かれています。

 演奏家のお勧めは「チャイコン」ではハイフェッツ、「ピアノ協奏曲1番」ではリヒテル、アルゲゲリッチ、オペラ歌手ではゲオルギューとブライトマン(p.228)とか。

 恩師、徳永二郎氏(かつてのN響オンサートマスター)には全く頭があがらないし、彼の実力は凄いらしい。

おしまい。

『阿刀田高集』(中島河太郎監修、もだんミステリーワールド11)リブリオ出版、2001年

2007-08-03 16:50:48 | 小説
『阿刀田高集』(中島河太郎監修、もだんミステリーワールド11)リブリオ出版、2001年。

                            もだんミステリーワールド


 大きな活字で詠みやすい本です。図書館にありました。

 「無邪気な女」「運のいい男」「干魚と漏電」「旅の終り」「花の器」の5編所収です。

 「無邪気な女」は、結婚に遅れた35歳の篠田大介が知人の紹介で知った26歳の静子という女と結婚するが、夜の交渉の時に及ぶ寸前で異常な反応をするというのが話の芯です。精神科の医師の催眠療法による見立てで、彼女が過去に男に犯された時に咄嗟に近くにあった石で殴り殺してしまったことのトラウマが異常な反応の原因とわかります。ところが、医師が静子に「あなたの犯した殺人はとるにたりないものだ」とトラウマを癒すために試みた説得が災いとなって、大介と静子の「やり直しの初夜」に大変なことが起こります。結末は????

 「運のいい男」は、才能ある友人を自殺に追い込み、近年食味評論家として名の売れてきた桜沢雅雄が山陰の潮崎に足を伸ばし、ここでしか食べられない夏牡蠣にありつくが、運悪くこの牡蠣で中毒に、地元の病院で・・・・・・・されてあの世に送られるという不気味な話です。

 「干魚と漏電」は、杉田夫人が移転した先の電気代が高額なため、調査を依頼したところ、原因が地下に埋まっていた冷蔵庫にいきあたり、その中に・・・・・が。冒頭の冷蔵庫のなかで腐っていた古いシシャモとオーバーラップする結末に震えます。

 「旅の終り」は、芭蕉の奥の細道の追体験を趣味としているサラリーマンの権藤栄作のところに取材にきた東都新聞の記者田村がインタビューのやりとりのなかで感じた不信が、直後の栄作の急逝の後にわかった・・・・・・・が発覚する話です。

 「花の器」は、マンションに独り住まいの田倉育子のところに岡山の備前焼の花瓶のお土産をもってきますが、そこで育子はある演技で洋介を追い込んでいきます、それは姉を殺した犯人をつきとめるために育子が刑事と仕組んだ罠でした。育子と洋介とはふたりで犯人と目星がついていた男の吟味をするのですが、最後の育子のしくんだ演技で、一転して・・・・・・です。手の込んだ作品です。

 阿刀田高氏のブラック・ユーモアが健在。マナーとして結末は伏字にしました。おしまい。

岩松旅館(作並温泉)

2007-08-02 13:57:51 | 旅行/温泉

岩松旅館(作並温泉)
↓ 綺麗なHPがあります。

http://www.iwamatu-ryokan.com/

仙台市郊外・作並温泉 政府登録国際観光旅館 鷹泉閣 岩松旅館 〒989-3431 宮城県仙台市青葉区作並字元木16 TEL022-395-2211(代)

 ご無沙汰していました。29日から同僚と出張して、昨晩帰ってきました。行き先は山形市、仙台市です。調査で、市役所とか県庁をまわり、現在の仕事に関するヒアリングをしてきました。

 31日(火)の夜は、慰労をかねて、作並温泉の岩松旅館で一泊しました。ここは200年を超える伝統の旅館だそうです。


 地下一階のお風呂(不二の湯)はたしかに広くゆったりしていました。あまりお客もいなく、のんびりと過ごしました。そして圧巻は地下2階の露天風呂です(河原の湯、湯、滝の湯、鷹の湯など)。脱衣所で着物をぬぎ、90段の緩い木製の階段をさらに下におりていくと岩場を利用した、自然に抱かれたといった感じの露天風呂があります。混浴可能です(といっても今回は女性は入ってきませんでした【笑】。そして女性だけの時間帯が設定されています)。

 東北の温泉は、このような混浴形式をとっているお風呂がたくさんある、と同僚が言っていました。確かに江戸のころは、共同風呂といえば男女一緒というのが一般的だったのですから、不思議ではありません。この岩場の露天風呂の側には川(広瀬川)がかなり激しく流れています。大自然のなかの風呂です。温度も丁度よく、しばし出張の疲れを癒しました。

 交通の便はあまりよくありませんが、仙山線の「作並駅」で降りれば、宿に連絡しておくと、シャトルバスで迎えに来てくれます。われわれは、レンタカーでしたので、山形から入って天童をとおり、1時間ほどで宿に到着しました。

 お薦めの旅館です。

  最後にクイズ。「左沢」「愛子」は何て読むでしょう? 山形の地名で山形をよく知らない人は読めません。わたしもダメでした。山形県に長く住んでいた同僚が、このクイズを出してくれました。明日以降、正解を公表します。

 おしまい。