チャイニーズ・ダイニング「CHINNABAR(杉並区高井戸2-18-28:03-3247-8013)」
井の頭線、高井戸駅のすぐそば(徒歩で4分ほど)にこのお店はある。近くの中華料理屋に行きたかったのだが、そこが満席で入れず、しかたなく(と書いては失礼だが)チョイスしたのがこの「CHINNABAR」である。カジュアルなお店で、ここもけっこう混んでいた。席の数は少ない。カウンターに座る。ちょうど5周年記念とのことであった。
おいしかったので、ブログにUPする。麻婆豆腐で有名なところだそうである。注文をしようとしたら、お店の方が「ここは麻婆豆腐が有名なので、お勧めします」と告げてくれたので、それに従う。ほかに、北寄貝を蒸したもの、黒酢の酢豚、玉子ちゃーはん、のりたまラーメンなどをお願いする。麻婆豆腐は確かにうまい。くせになりそう。一味違うおいしさである。
厨房では調理人がひとりで働いているようで、その人が手のすいたときにお客に挨拶に来る。料理に意欲的な姿勢がうかがえる。
BARでもあるので、その雰囲気をかもしだしている。お酒は豊富である。カウンター席に座ったのだが、バックにお酒がずらりと並んでいる。ウィスキー、焼酎、中国のお酒など。カウンターに大き目のツボが美しい姿でかしこまっていて(?)、「焼酎ですか」と尋ねると、「紹興酒」とのことであった。「白板」には日本酒の珍しいものが書かれていた。「東洋美人」(山口県)を目ざとくみつける。・・・と書いてくると、さぞお酒も楽しんだように思われるかもしれないが、この日はビール一口でやめた。前日、居酒屋でしこたま飲んだからである(笑)。
お店を出るとき、さきの厨房の料理人が丁寧にお別れの挨拶をしてくれた。感じのよい、お店である。
「野郎どもと女たち(Guys and Dolls)」1956年4月公開
原作は、短編小説作家デーモン・ラニョンの「サラ・ブラウン嬢の挿話」です。ジョー・スワーリングとエイブ・バロウズはこれをミュージカル・プレイとし、1950年ブロードウェイで盛んに上演されました。映画はこのスワーリングとバロウズの台本を、巨匠ジョセフ・L・マンキーウィッツが脚色・監督したものです。
率直な感想を言えば、それほど面白い作品ではありません。ただ、若きマーロン・ブランドとジーン・シモンズ、そしてフランク・シナトラが出演しているので興味が惹かれます。
ストーリーのおおよそは、以下のとおり。
タイムス・スクエア近くの街頭で、救世軍の女軍曹サラ・ブラウン(ジーン・シモンズ)が、「魂を救うにはわが許に来たれ」と熱弁を振るっています。
かたや、お調子屋のジョンスン(スタッビー・ケイ)と南街のベニイ(ジョニー・シルヴァ)の2人は、ハリー(シェルドン・レオナード)と出逢いました。彼らの会話を聞いていると、どうやらハリーは、ネイザン・デトロイド(フランク・シナトラ)の賽ころ博奕の賭場を探しているようです。ネイザンは実は、警察の目を逃れながら、あちこち場所を変えて賭博を行っていました。
ネイザンは、落ち込んでいました。賭博の場所(車庫)を貸してやろうと言うジョイは、前金1000ドルが条件です。ネイザンは、このことで、婚約状態が14年も続いている恋人アデレイド(ヴィヴィアン・ブレイン)に誕生日のプレゼントすらできません。
彼は、町に大博奕打ちのスカイ・マスタスン(マーロン・ブランド)が来ていると知り、彼に1000ドルの賭をしないかと提案します。おりしも彼らの前に救世軍の楽隊が見えました。一計を案じたネイザンは先頭のサラを指し、彼女をハバナへ連れて行けるかどうか1000ドルの賭をしようと言い、スカイはこれを受けます。
救世軍の事務所での場面。サラの伝道はさっぱり効果がなく、責任をとり辞職してボストンに帰ろうと考えていました。そこへスカイが入って来て、深夜大集会に罪人12人を連れて来ると約束します。サラはそれができると集会を盛会させることができると思い、この約束を承知します。
スカイはサラをハバナ(キューバ)に連れ出し、そこで彼女の純真さと愛を知ります。夜遅くニューヨークに帰った二人。伝道所に戻ると、そこに警察の車が来ていて、博奕屋どもを逮捕していました。サラはスカイも一味だったのかと嫌疑をかけますが、楽隊員のアヴィド(R・トーミィ)はスカイがその一味と関係がないと伝えます。
かねてのジョンスンとスカイが秘密の賭場に行くと、ビッグ・ジュールのインチキ賽でネイザンがカネをぼられていました。スカイは12人の罪人の話をもちだしても、誰も応じません。しかし、一転、夜半に博奕屋たちが、カートライト将軍とサラの前に、ぞろぞろと現われました。さて、この顛末は・・・。
スタッフ監督 ジョセフ・L・マンキーウィッツ
脚色 ジョセフ・L・マンキーウィッツ
原作 デーモン・ラニョン
原作戯曲 ジョー・スワーリング 、 エイブ・バロウズ
製作 サミュエル・ゴールドウィン
舞台版製作 サイ・フュアー 、 アーネスト・H・マーティン
撮影 ハリー・ストラドリング
音楽監修 ジェイ・ブラックトン
作詞 フランク・ローサー
作曲 フランク・ローサー
指揮 ジェイ・ブラックトン
振り付け マイケル・キッド
◆キャスト
Sky_Masterson マーロン・ブランド
Sarah_Brown ジーン・シモンズ
Nathan_Detroit フランク・シナトラ
Miss_Adelaide ヴィヴィアン・ブレイン
Lt._Brannigan ロバート・キース
Nicely-Nicely_Johnson スタッビー・ケイ
Big_Jule B・S・プリイ
新春は、歌舞伎座が華やかです。最後のお正月気分を愉しみました。演目は下記のとおりです。
・廓三番叟(孝太郎、種乃助、染五郎)
・義経千本桜・鳥居前(橋之助、門之助、児太郎、松江、弥重郎)
・梶原平三誉石切(吉右衛門、芝雀、歌昇、種乃助、由次郎、桂三、宗之助、男女蔵、又五郎、歌六)
・茨木(玉三郎、鴈次郎、門之助、左近、歌昇、松緑)
「廓三番叟」
吉原のお座敷。傾城、新造、太鼓持がそろい、傾城を翁、新造を千歳、太鼓持を三番叟に見立て艶やかな踊りが繰り広げられます。
「義経千本桜(鳥居前)」
兄頼朝に謀反の疑いをかけられた義経は都を追われ、わずかの家来とともに伏見稲荷に到着します。そこに義経をおって静御前があらわれますが、義経は静に都にとどまるよう、さとします。義経は初音の鼓を形見としてあずけます。残された静は鎌倉方の追手にとらわれそうになりますが、佐藤忠信が救います。その様子を隠れてみていた義経は、忠信に静の守護をたのみ、西国におちのびていきます。
「梶原平三誉石切」
梶原平三景時は大庭景親たち平家の武将がいならぶ鎌倉の敦賀八幡宮に参詣するところ、青貝師郎太夫の娘の梢が重宝の刀を売りに訪れます。刀の目利きを頼まれた景時はそれを保障するのですが、二人の人間を重ねて斬る「二つ胴」で切れ味をためすことになります。ところが、試し斬りに必要な死罪の囚人がひとりしかいません。娘のために金を工面したい六郎太夫が志願します。試し斬りを請け負った梶原は、一気に刀を振り下ろしますが・・・。
「茨木」
京の都、羅生門で鬼の片腕を斬りおとし、手柄をあげた渡辺綱は、鬼が片腕を取り戻しにくるのに備え、館で物忌みをしています。そこへ伯母の真柴が訪れ、久しぶりの面会をもとめます。たっての願いに綱は彼女を中へ招き入れますが、真柴は鬼の片腕をみるとたちまち姿を変えます。実は真柴の正体は伯母にばけた茨木童子で・・・。
「ブラタモリ」(NHK)という面白い番組がある。タモリさんがNHKの女性アナウンサー(現在は桑子アナ)と日本のおもだった地域をおとずれ、地形のなりたちから、その地域にあるなかなか気づきにくい過去の痕跡を分析、解剖し、歴史、地理、文化を読み解く番組である。「段差」を極めるタモリさんの博識ぶりが際立っていて、勉強になる。先日は、熱海を分析、解剖していた。過去にはわたしが育った札幌やその近くの小樽が取り上げられたが、それでも知らないことばかりであった。
そのタモリさんが編んだ東京の坂道の案内書がこの本である。タモリさんが撮り下ろした坂の写真が満載である。
東京には坂がおおい、というのは前から感じていた。渋谷界隈では特にそう思ったことが幾たびもある。
しかし、目次にある坂道は、その名前も知らないところばかりだ。この本を片手に散歩するのがよいと思う。紹介されている坂道をいかに掲げる(このほかにも表記は小さいが多数の坂が写真入りで紹介されてる)。タモリさんの坂道鑑賞ポイント(勾配、湾曲、江戸情緒、由緒)が5点満点で記されているのも面白い。
■港区
三分坂、霊南坂、南部坂、本氷川坂、道源寺坂、暗闇坂、狸坂、網坂、青木坂、三光坂、桂坂
■文京区
大給坂、湯立坂、福山坂、日無坂、鼠坂、善光寺坂、胸突坂、鎧坂
■目黒区
相ノ坂、目切坂、別所坂、行人坂、寺郷坂
■新宿区
霞坂、梯子坂、新坂、鮫河橋坂
■大田区
おいはぎ坂、桜坂
■荒川区
富士見坂
■台東区
三浦坂
■千代田区
紀尾井坂
■渋谷区
ネッコ坂
大相撲初場所の5日目、両国国技館に観戦に行きました。大相撲は、2回目です。西1、7列目2番で、比較的よく見える桝席でした。西の花道の近くで、力士が通過していくのがみえます。
十両の2番目の対戦あたりからの観戦でした。正月気分の華やいだ雰囲気が残っていました。力士の髪結いのびんつけ油のにおいが独特です。
多くの力士は、国技館の横の通路から入ってきますが、そこから拍手が聞こえ、近寄ってみると逸ノ城関が付け人をしたがえて入場してきました。
対戦では、宝富士と蒼国来の一番が力の入った長い相撲になり、お客さんは大喜びでした。熱戦の末、寄り切りで宝富士が勝ちました。人気の遠藤は、体調が悪いようで、元気がありません。嘉風はいい相撲で豪栄道を下しました。体がよく動いています。
下位では、高安がいい相撲をとって全勝です。実力のある力士なので大勝しそうです。
横綱では、鶴竜に土がつきました。2敗目です。日馬富士、白鵬0は横綱相撲で、勝ち進んでいます(日馬富士は2日目に負け、一敗ですが)。
館内の博物館で、過日、亡くなった北の湖理事長を追悼する展示会が開催されていました。また、相撲甚句をうたって、ファンサービスに努めています。
はね太鼓の音を聴きながら、これを観て、帰宅の途につきました。
まだわたしが子どもで幼稚園に通っていたころ(5歳?)、当時札幌にいたのですが、園をとおしてとっていた子供向けの雑誌のお正月号の絵に、羽子板をついている女の子、お相撲さんが歩いている姿があり、どうしてお正月に雪がなく、そこにお相撲さんが普通に歩いているのか不思議に思っていましたが、その風景のなかにわたしが今いたわけです。
新年最初の東京散歩(1月8日)はまず、東京司法裁判所に行き(霞が関)、裁判傍聴の社会見学、そこから上野に出て合羽橋道具街を散策しました。ここで1時間ほど歩き、さらに浅草方面に足を延ばしました。仲見世、雷門まで行きました。最後は池袋で夕食。全部で1万2千歩ほどでした。
裁判は覚せい剤関係のものと、道路交通法違反に関係したものです。これも社会勉強なのでしょうか、大学の授業の一環なのでしょうか、学生の姿が目立ちました。
合羽橋道具街は、台所用品、家具などのお店が並ぶ通りです。珍しいものがたくさんありましたが、居酒屋などで業者が専門的に使うおでんの鍋なども目立ちました。問屋街であるということを聞くとうなずけます。
路地に入るとスカイツリーが近くに見えたので、その方向を目指して歩きました。近くに見えただけで、なかなか接近感はありません。気が付くと、浅草寺のそばの通りに出ました。まだ正月気分が残っていました。和服姿が目立ちました。メンチカツを200円で買って休憩。どんどん売れています。
少し横に入ると、そこで猿回しの見世物があり、並んでみていると「キング」という4歳の猿が芸当をしています。高い を操ったり、逆立ちジャンプをしたり、なかなかの演技でした。
夕方も暗くなってきたので、夕食をとって帰ろうと、いくつか考えていた候補のお店に電話を入れましたが、休みだったので、事情が一番わかっている池袋に出て、「銀座六角」で食事とドリンキングでした。マスターは以前いた方ではなく代わっていて、話を聞くと、室蘭出身の35歳でした。