水沢瑤子『立原道造覚書-夭折の詩人,その光と翳-』不識書院、1996年
「暁と夕の詩」「優しき歌」で知られ,24才8ヶ月で夭折した詩人・立原道造の創作の軌跡をたどったノート。
口語定型十四行詩(ソネット)に至るまで若い詩人は,短歌の習作期(府立三中時代),口語自由律短歌,四行詩(一高時代),十四行詩(東大時代)と自己の抒情世界に相応しい形式の詩型を模索しました。
この間,北原白秋,室生犀星,堀辰雄との交流がありました。道造の詩歌には独特の美学があります。それは物語性,潔癖性,体温の低さ,日常性の稀薄性,観念的リズム,美しい日本語(「ゆうすげびと」など)です。
万葉集,新古今集への憧憬もあります。昭和10年代という時代の暗黒を背景に,晩年(といっても23-24才)における転生の願い,死の予感,水戸部アサイへの恋,北方と南方への旅は痛々しいですね。
草に寝て…… 六月の或る日曜日に
立 原 道 造
それは 花にへりどられた 高原の
林のなかの草地であつた 小鳥らの
たのしい唄をくりかへす 美しい声が
まどろんだ耳のそばに きこえてゐた
私たちは 山のあちらに
青く 光つてゐる空を
淡く ながれてゆく雲を
ながめてゐた 言葉すくなく
──しあはせは どこにある?
山のあちらの あの青い空に そして
その下の ちひさな 見知らない村に
私たちの 心は あたたかだつた
山は 優しく 陽にてらされてゐた
希望と夢と 小鳥と花と 私たちの友だちだつた